当サイトで扱うまでにはまとまっていない直木賞関連情報を、だいたい週イチでアップする「直木賞のすべて 余聞と余分」を平成19年/2007年5月から始めました。こっちの本サイトの更新を怠らないように、心してやっていきたいものです。
 平成8年/1996年なんてつい最近のハナシじゃないか……と感じるぐらいには、ワタクシもれっきとした爺いですけど、すでにそのころの直木賞というと、人気の出はじめた若手作家が候補ラインナップに勢揃い、という様相を毎回のように見せていました。  第115回(平成8年/1996年・上半期)で落選した4人の作家は、いずれもエンタメ小説界を賑わしていた有力作家ばかり。一度の候補でとれなくても活躍をつづける...
 直木賞をとったのに、直木賞のピラピラ・テカテカした雰囲気に一向に染まらなかった人は、80余年の短い歴史のなかでも山ほどいます。  山ほどいる、ということは、それこそが直木賞の本質なのでは、と思うところですが、しかしだいたい文学賞といえばピラピラ・テカテカしているもの、という固定観念から抜け出せない人もまた、世のなかには山ほどいます。とりあえず、こういう掛け違いが直木賞を面白くしてくれている現象...
 「海を越える」の意味を「外国に行く」というふうに限定しなければ、ハナシはいくらでも広がる気がします。もはやこのブログテーマ自体、内容が茫洋としてきて、別に何を書いても構わないんですけど、とりあえず「海を越えた体験が、作家的な履歴のなかで重要な位置を占める、直木賞の候補者たち」という路線は外さずに進めたいところです。  しかしそうは言っても、地勢的・歴史的な事情から考えて、「海外」の範囲のなかか...
 人というのは、だいたい人それぞれです。これまで直木賞の候補になった人はたくさんいますが、一人ひとりが個別の事情を抱え、そこに傾向なんてものはありません。それでも「直木賞」に関わりを持った、あるいは持たされた、という一つの共通点だけを軸にして、何の傾向も見えない人たちのことを調べてみる。……やはり傾向なんてありません。  先週、上海の生島治郎さんのことを取り上げたいと思って『私の父 私の母』(平...
 先週は、上海の小泉さんを取り上げました。せっかくのつながりなので、今週も上海の小泉さんのことで行きたいと思います。  生島治郎、本名は小泉太郎。たぶん小泉譲さんとは赤の他人で、血縁関係などないはずです。  あちらは大正2年/1913年に埼玉で生まれた戦前からの文学派、こちらも早稲田大学にいたころまでは純文学志向の強い人でしたが、社会に出てからは一転、そんな青臭い文学観から解き放たれて娯楽街道を...