当サイトで扱うまでにはまとまっていない直木賞関連情報を、だいたい週イチでアップする「直木賞のすべて 余聞と余分」を平成19年/2007年5月から始めました。こっちの本サイトの更新を怠らないように、心してやっていきたいものです。
▼昭和57年/1982年、日本児童文学専門学院が設立される。  小説教室だけでも範囲が広いのに、周辺分野となると、あまりにわからないことが多すぎます。深入りすると、直木賞に帰ってこられなくなりそうです。ほどほどにしたいと思います。  たとえば、作文・綴方、文章、エッセイの書き方教室というものがあります。いちおう小説教室とは別モノと認識されますが、いったい小説と作文は何が同じで、何が違うのか。...
▼昭和35年/1960年、日本放送作家協会が、「放送作家教室」の前身「放送文芸研究室」を立ち上げる。  直木賞は文芸ではない、というのがワタクシの実感です。  すみません、間違えました。直木賞は「文芸だけでできているわけではない」に言い換えます。時代に応じた企業プロモーションのかたち、嫉妬とプライドが入り乱れる作家同士のせめぎ合い、といった卑俗なハナシから、純文芸でも大衆文芸でも本流になれな...
▼昭和52年/1977年、劇画原作の持ち込みからコネをつくった若桜木虔が、小説を刊行する。  そして群雄割拠の時代がやってきます。  「群雄割拠」という言葉は便利なのでワタクシもよく使います。要するに個々の事例を調べていくとキリのない複雑な状況に収拾がつかず、とりあえずそれさえ言っておけば何かわかったふりができるという、魔法のような言葉です。「いま世界では数十億を超える人間が生きている。まさ...
▼昭和62年/1987年、川辺為三、昔の教え子に書いてもらった小説を『北方文芸』に載せる。  1970代後半からほんの数年で、創作教室ブームは一気に広がりました。牽引したのは新聞社やテレビ・ラジオのマスメディア企業です。  コツコツと有志たちが手づくりで運営するような「文学学校」とは違って、こちらはあからさまにカネがからんでいます。募集をかければ人が集まり、受講料収入で経営が成り立つ。という...
▼昭和62年/1987年、吉本真秀子の卒業制作「ムーンライト・シャドウ」が、日大芸術学部長賞を受賞する。  1970年代後半から80年代、カルチャースクールが実績を上げるそばで、大学の創作クラスからも作家がデビュー。と、小説教室をとりまく環境に春の日差しがさし込みました。こうして温まった出版界に、「小説を書くための専門教育を受けた」大スターが誕生してしまいます。流れとしては正常だった、と言って...