当サイトで扱うまでにはまとまっていない直木賞関連情報を、だいたい週イチでアップする「直木賞のすべて 余聞と余分」を平成19年/2007年5月から始めました。こっちの本サイトの更新を怠らないように、心してやっていきたいものです。
▼昭和42年/1967年、ポール・エングルがアイオワ州立大学でIWPを始める。  アメリカの創作科って言っても、ほとんどの日本人には遠い世界の絵空事だったはずです。それが1960年代以降、急激に(?)日本でも身近なものになったのは、何と言ってもアイオワ州立大学のおかげでしょう。  大学のおかげ、というよりかは、ポール・エングル(Paul Engle)さんとその妻、聶華苓(ニエ・ホアリン、Ni...
▼1950年代終盤以降、アメリカの大学で創作科が盛んになる。  昭和40年代に日本で起きた創作教室の熱は、明らかに海外の影響が見え隠れしています。  海の向こうの、みんなの憧れUSAでは、とっくのとうに創作指導が大学に根づいているよ。日本も見習わなきゃ世界に付いていけないよね。……というような、よくあるといえばよくある米国崇拝の発想が、ちょっと異臭を放っていますけど、海外との関係性なしに日本...
▼昭和26年/1951年、スタンフォード大学創作科のスティーグナーが、慶應義塾で講演。  太平洋戦争の開戦から終戦後にいたる1940年代~50年代。日本の小説教室は、不毛の時代でした。  いや、それは小説教室だけじゃないだろ。とツッコみたくなるのはたしかです。しかし、その時期でも、戦火が身近にせまっているのにイケイケでやっていた文学賞とか、日本の降伏から間をおかずに復活していった出版文化・商...
▼昭和39年/1964年頃から、文学学校の同人雑誌が『文學界』でも取り上げられ始める。  戦後の日本文学を眺めまわして、目につく現象はいろいろありますけど、絶対に外せないものがあります。文学賞(懸賞小説)と、同人雑誌と、そして小説教室。いわゆる「三種の神器」ってやつです。  いや、「神器」と呼ぶのはさすがに語弊がありました。すみません。何と言いますか、この世に「文学」というものがあるのだとし...
▼昭和29年/1954年、大阪文学学校が開校する。  昭和28年/1953年に東京にできた日本文学学校。昭和29年/1954年に発足した大阪文学学校。ともに、短い昭和の時代、短い歴史しかない日本の近現代文学史に、たしかな足跡を残した小説教室です。  日本文学学校は平成25年/2003年に「文藝学校」と名が変わり、希薄な存在感を身にまとって、ほそぼそと続いています。いっぽう大阪文学学校は、しぶ...