当サイトで扱うまでにはまとまっていない直木賞関連情報を、だいたい週イチでアップする「直木賞のすべて 余聞と余分」を平成19年/2007年5月から始めました。こっちの本サイトの更新を怠らないように、心してやっていきたいものです。
 直木賞史上、有名な……というか、受賞エピソードを追っているとかならず目にする新聞記者がいます。河合勇さんです。  またまた昔のハナシで、しかも純粋な「文芸記者」じゃありません。すみません。  河合さんというと、その名が直木賞のなかで登場する場面は限られています。昭和29年/1954年の夏ごろです。しかし、ハナシの展開があまりに面白く、インパクトも強いということもあって、なかなか忘れがたい...
 ところで「文芸記者」って何でしょう。漠然とでもいいので、いちおう定義づけておく必要がありそうです。  新聞を発行する会社に籍を置き、文芸や文壇にまつわる話題を対象にして、取材・構成・執筆などに従事することで、いくばくかの給料を得る人たちのこと。なかでもうちのブログは、なるべく「ニュース記事を書く記者」という視点で人選するつもりですが、新聞に連載された小説の担当者とか、新聞社が出している雑誌...
 直木賞(ともうひとつ)の文学賞は『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号で創設が発表されました。しかし、その号は昭和10年/1935年1月に発売されたわけではありません。そのあたりの事情はいまと同じで、刊行されたのは表記された「年月」の一ト月ぐらい前のことです。  『出版年鑑 昭和十一年版』(東京堂刊)に掲載された文藝春秋社の広告を見ると、『文藝春秋』本誌は19日が発売日だったと言います。...
 何でもいいから、週に一度は直木賞のハナシに触れていたい! ……という、他人に共感されない興味で始めたこのブログも、今週から15年目に入ります。  直木賞に関して取り上げたいテーマは、まるで尽きません。困ったことです。才のある人なら、ススッとやって数年で結論を出せるんでしょうけど、ワタクシみたいなもんは、どれだけやっても深いところに手が届かず、表面的なゴシップを撫でるだけ。これで一生が暮れていく...
▼平成18年/2006年、朝井まかて、大阪文学学校の合評会で大泣きする。  「小説教室と直木賞」のテーマも、今週でようやく50週。キリよく今回で締めたいと思います。  といってもカッコよく締めらりゃしません。小説教室も直木賞も、いま現在、コツコツと続いているナマモノです。どちらも「本が売れない」「売れない作家は、次のチャンスがない」という商業出版のカネまわりが厳しい時代に直面しながら、山もあ...