Last Update●[H30]2018/4/29
主催 |
講談社『小説現代』 |
対象 |
公募原稿 |
規定枚数 |
40枚以上~80枚以内 |
昭和38年/1963年度・下
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和38年/1963年12月号選評掲載
受賞 |
|
「優しい女」 |
『小説現代』昭和38年/1963年12月号掲載 昭和53年/1978年4月・講談社刊『小説現代新人賞全作品1』所収 |
佳作 |
工藤喜美子 |
「婬」 |
佳作 |
戸山草二 |
「石の声」 |
佳作 |
有田光盛 |
「拒絶」 |
候補 |
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「黒い花黒い影」 |
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「歴日の果て」 |
|
「幻の好機」 |
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「硝子の目」 |
最終候補作8篇 |
応募総数841篇 |
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昭和39年/1964年度・上
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和39年/1964年6月号選評掲載
受賞 |
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「山風記」 |
『小説現代』昭和39年/1964年6月号掲載 昭和46年/1971年5月・講談社刊『山風記』所収 |
佳作 |
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「黴の花」 |
候補 |
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「さかさま物語」 |
桜井和雄 |
「藍子」 |
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「永遠のミモザ」 |
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「魅せられた女」 |
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「尾太鉱山」 |
最終候補作7篇 |
応募総数684篇 |
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昭和39年/1964年度・下
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和39年/1964年12月号選評掲載
受賞 |
八切止夫 |
「寸法武者」 |
『小説現代』昭和39年/1964年12月号掲載 昭和42年/1967年9月・講談社刊『寸法武者』所収 ... |
佳作
第一席 |
小川 元 |
「霊場の女」 |
佳作
第二席 |
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「輪舞(ロンド)」 |
候補 |
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「冬の旅」 |
|
「こゝは御国の」 |
広名伸一 |
「捨身」 |
最終候補作6篇 |
応募総数692篇 |
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昭和40年/1965年度・上
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和40年/1965年6月号選評掲載
受賞 |
竹内松太郎 |
「地の炎」 |
『小説現代』昭和40年/1965年6月号掲載 昭和53年/1978年4月・講談社刊『小説現代新人賞全作品1』所収 |
佳作
第一席 |
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「斬首の背景」 |
佳作
第二席 |
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「美しい顔」 |
候補 |
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「女人風呂」 |
|
「楽園追放」 |
最終候補作5篇 |
応募総数683篇 |
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昭和40年/1965年度・下
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和40年/1965年12月号選評掲載
受賞 |
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「悪い指」 |
『小説現代』昭和40年/1965年12月号掲載 昭和53年/1978年4月・講談社刊『小説現代新人賞全作品1』所収 |
佳作 |
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「夜会のあと」 |
候補 |
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「牛」 |
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「一族戦死」 |
|
「ノーストリング」 |
|
「朝の来ない日」 |
最終候補作6篇 |
応募総数723篇 |
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昭和41年/1966年度・上
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和41年/1966年6月号選評掲載
|
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昭和41年/1966年度・下
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和41年/1966年12月号選評掲載
受賞 |
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「アイヌ遊侠伝」 |
『小説現代』昭和41年/1966年12月号掲載 |
佳作 |
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「水族館の女」 |
候補 |
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「軍鶏百姓」 |
|
「冬の人」 |
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「まぼろしの朱文錦」 |
平田恭子 |
「のびやかな世界」 |
最終候補作6篇 |
応募総数704篇 |
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昭和42年/1967年度・上
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和42年/1967年6月号選評掲載
受賞 |
佐々木二郎 |
「巨大な祭典」 |
『小説現代』昭和42年/1967年6月号掲載 昭和53年/1978年4月・講談社刊『小説現代新人賞全作品1』所収 |
候補 |
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「観音の瓔珞」 |
四月文生 |
「梅雨前線」 |
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「金色の劇」 |
硲村圭介 |
「ダグアウト」 |
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「汚名」 |
内海和子 |
「さわやかな夜」 |
最終候補作7篇 |
応募総数721篇 |
|
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昭和42年/1967年度・下
=[ 締切 ] 昭和42年/1967年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和42年/1967年12月号選評掲載
受賞 |
|
「ひげ」 「ひげの生えた風景」を改題 |
『小説現代』昭和42年/1967年12月号掲載 昭和53年/1978年4月・講談社刊『小説現代新人賞全作品1』所収 |
候補 |
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「はだか武兵衛」 |
三岳一正 |
「ヨスケと太鼓」 |
|
「パリの肉屋」 |
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「グラン・プリ」 |
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「男は土に帰る」 |
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「海からの轍」 |
最終候補作7篇 |
応募総数887篇 |
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昭和43年/1968年度・上
=[ 締切 ] 昭和43年/1968年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和43年/1968年6月号選評掲載
|
|
昭和43年/1968年度・下
=[ 締切 ] 昭和43年/1968年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和43年/1968年12月号選評掲載
受賞 |
見矢百代 |
「サント・ジュヌビエーブの丘で」 |
『小説現代』昭和43年/1968年12月号掲載 昭和53年/1978年4月・講談社刊『小説現代新人賞全作品2』所収 |
佳作 |
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「骨」 |
候補 |
斯把典子 |
「女の道程」 |
【】 |
「さど おけさ」 |
戒砂鮎造 |
「袴垂の末裔」 |
|
「神々の果実」 |
最終候補作6篇 |
応募総数852篇 |
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昭和44年/1969年度・上
=[ 締切 ] 昭和44年/1969年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和44年/1969年6月号選評掲載
|
|
昭和44年/1969年度・下
=[ 締切 ] 昭和44年/1969年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和44年/1969年12月号選評掲載
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昭和45年/1970年度・上
=[ 締切 ] 昭和45年/1970年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和45年/1970年6月号選評掲載
|
|
昭和45年/1970年度・下
=[ 締切 ] 昭和45年/1970年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和45年/1970年12月号選評掲載
|
|
昭和46年/1971年度・上
=[ 締切 ] 昭和46年/1971年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和46年/1971年6月号選評掲載
受賞 |
北川 修 |
「幻花」 |
『小説現代』昭和46年/1971年6月号掲載 昭和53年/1978年4月・講談社刊『小説現代新人賞全作品2』所収 |
候補 |
館 志郎 |
「曲り首の男」 |
|
「おいどの春」 |
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「病院妻たち」 |
|
「ナウカの窓」 |
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「アニマル」 |
最終候補作6篇 |
応募総数728篇 |
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昭和46年/1971年度・下
=[ 締切 ] 昭和46年/1971年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和46年/1971年12月号選評掲載
|
|
昭和47年/1972年度・上
=[ 締切 ] 昭和47年/1972年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和47年/1972年6月号選評掲載
|
|
昭和47年/1972年度・下
=[ 締切 ] 昭和47年/1972年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和47年/1972年12月号選評掲載
|
|
昭和48年/1973年度・上
=[ 締切 ] 昭和48年/1973年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和48年/1973年6月号選評掲載
|
|
昭和48年/1973年度・下
=[ 締切 ] 昭和48年/1973年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和48年/1973年12月号選評掲載
|
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昭和49年/1974年度・上
=[ 締切 ] 昭和49年/1974年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和49年/1974年6月号選評掲載
|
|
昭和49年/1974年度・下
=[ 締切 ] 昭和49年/1974年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和49年/1974年12月号選評掲載
|
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昭和50年/1975年度・上
=[ 締切 ] 昭和50年/1975年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和50年/1975年6月号選評掲載
|
|
昭和50年/1975年度・下
=[ 締切 ] 昭和50年/1975年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和50年/1975年12月号選評掲載
|
|
昭和51年/1976年度・上
=[ 締切 ] 昭和51年/1976年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和51年/1976年6月号選評掲載
|
受賞作なし |
候補 |
北 夏二 |
「木乃伊闇唄」 |
|
「走る男」 |
佐藤武弘 【】 |
「牙をとぐ」 |
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「あの娘が泣いてる波止場」 |
宮本徹志 |
「田舎に着いた時の愉快な気分」 |
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「北の碑」 |
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「豪気な細工」 |
最終候補作7篇 |
応募総数675篇 |
|
|
昭和51年/1976年度・下
=[ 締切 ] 昭和51年/1976年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和51年/1976年12月号選評掲載
|
|
昭和52年/1977年度・上
=[ 締切 ] 昭和52年/1977年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和52年/1977年6月号選評掲載
|
|
昭和52年/1977年度・下
=[ 締切 ] 昭和52年/1977年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和52年/1977年12月号選評掲載
|
|
昭和53年/1978年度・上
=[ 締切 ] 昭和53年/1978年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和53年/1978年6月号選評掲載
受賞 |
達 忠 |
「横須賀ドブ板通り」 |
『小説現代』昭和53年/1978年6月号掲載 昭和53年/1978年4月・講談社刊『小説現代新人賞全作品4』所収 |
佳作 |
川上信定 |
「町のなかの嵐」 |
佳作 |
ばばあいさ |
「ムサシがいた!だから……」 |
佳作 |
高橋太郎 |
「ビバ!官狗さん」 |
候補 |
|
「妖精狩り」 |
|
「恋陽炎」 |
最終候補作6篇 |
応募総数905篇 |
|
|
昭和53年/1978年度・下
=[ 締切 ] 昭和53年/1978年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和53年/1978年12月号選評掲載
|
|
昭和54年/1979年度・上
=[ 締切 ] 昭和54年/1979年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和54年/1979年6月号選評掲載
|
|
昭和54年/1979年度・下
=[ 締切 ] 昭和54年/1979年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和54年/1979年12月号選評掲載
|
|
昭和55年/1980年度・上
=[ 締切 ] 昭和55年/1980年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和55年/1980年6月号選評掲載
|
|
昭和55年/1980年度・下
=[ 締切 ] 昭和55年/1980年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和55年/1980年12月号選評掲載
受賞 |
阿井渉太郎 【】 |
「第八東龍丸」 |
『小説現代』昭和55年/1980年12月号掲載 |
候補 |
斎藤 勲 |
「マニラ女衒戦記」 |
花岡玖邇子 |
「荼毘」 |
松尾伸弥 |
「人知れず、ざわめきの中で」 |
黒としお |
「ドラゴンへの回り道」 |
最終候補作5篇 |
応募総数613篇 |
|
|
昭和56年/1981年度・上
=[ 締切 ] 昭和56年/1981年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和56年/1981年6月号選評掲載
|
|
昭和56年/1981年度・下
=[ 締切 ] 昭和56年/1981年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和56年/1981年12月号選評掲載
受賞 |
高林左和 【】 |
「ワバッシュ河の朝」 |
『小説現代』昭和56年/1981年12月号掲載 |
候補 |
|
「サバイバルゲーム」 |
多田たかし |
「投手症候群」 |
中島紘一 |
「脅しのルール」 |
秋月ともみ |
「おりをと重三郎」 |
最終候補作5篇 |
応募総数635篇 |
|
|
昭和57年/1982年度・上
=[ 締切 ] 昭和57年/1982年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和57年/1982年6月号選評掲載
|
受賞作なし |
佳作 |
【】 |
「ハーバー街のねずみたち」 |
候補 |
|
「堕ちた海鳥の伝説」 |
|
「ミドリーヌ」 |
阿井淳一 |
「完走」 |
|
「10時から3時まで」 |
最終候補作5篇 |
応募総数853篇 |
|
|
昭和57年/1982年度・下
=[ 締切 ] 昭和57年/1982年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和57年/1982年12月号選評掲載
受賞 |
【】 |
「あなたは不屈の ハンコ・ハンター」 |
『小説現代』昭和57年/1982年12月号掲載 |
受賞 |
越沼初美 |
「テイク・マイ・ピクチャー」 |
『小説現代』昭和57年/1982年12月号掲載 |
候補 |
|
「板前仲間」 |
岸本建作 |
「地下鉄ラプソディ」 |
|
「悲恋」 |
最終候補作5篇 |
応募総数893篇 |
|
|
昭和58年/1983年度・上
=[ 締切 ] 昭和58年/1983年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和58年/1983年6月号選評掲載
|
|
昭和58年/1983年度・下
=[ 締切 ] 昭和58年/1983年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和58年/1983年12月号選評掲載
|
受賞作なし |
候補 |
山口麻美 |
「夕暮れのシンデレラ」 |
|
「かざしぐさ江戸模様」 |
石塚常利 |
「六甲おろし」 |
鳥取絹子 |
「キャリアウーマン症候群」 |
中嶋紘一 |
「ハイエナのルール」 |
最終候補作5篇 |
応募総数722篇 |
|
|
昭和59年/1984年度・上
=[ 締切 ] 昭和59年/1984年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和59年/1984年6月号選評掲載
|
受賞作なし |
佳作 |
|
「マッスル・ガール」 |
佳作 |
|
「幸福な生活」 |
佳作 |
|
「ピクニック」 |
候補 |
|
「板前ぼんぼこ」 |
最終候補作4篇 |
応募総数798篇 |
|
|
昭和59年/1984年度・下
=[ 締切 ] 昭和59年/1984年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和59年/1984年12月号選評掲載
|
受賞作なし |
佳作 |
【】 |
「海の落とし子」 |
平成5年/1993年2月・青森県文芸協会出版部/あおもり選書『海の落とし子』所収 |
佳作 |
|
「桃青・小田原町地図」 |
候補 |
二神健次 |
「五月の死」 |
斉藤泰徳 |
「美しき自転車乗り」 |
|
「婿どの登場」 |
|
「東京ドリーミング」 |
成田圭一郎 |
「ハイゼンシュタイン博士の贈り物」 |
最終候補作7篇 |
応募総数891篇 |
|
|
昭和60年/1985年度・上
=[ 締切 ] 昭和60年/1985年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和60年/1985年6月号選評掲載
|
|
昭和60年/1985年度・下
=[ 締切 ] 昭和60年/1985年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和60年/1985年12月号選評掲載
|
受賞作なし |
佳作 |
|
「首対面」 |
候補 |
大石 暢 |
「待ちに待った核戦争!」 |
|
「真冬のナイター放送」 |
茂呂三衛 |
「陽炎の幻想」 |
最終候補作4篇 |
応募総数863篇 |
|
|
昭和61年/1986年度・上
=[ 締切 ] 昭和61年/1986年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和61年/1986年6月号選評掲載
受賞 |
松村秀樹 |
「大脳ケービング」 「聖水洞の銀鱗」を改題 |
『小説現代』昭和61年/1986年6月号掲載 |
受賞 |
|
「ファイナル・ゲーム」 「野球せんとや生まれけん」を改題 |
『小説現代』昭和61年/1986年6月号掲載 |
候補 |
|
「艀からの旅立ち」 |
栗田裕士郎 |
「設楽原の雷神」 |
|
「変身譚」 |
最終候補作5篇 |
応募総数988篇 |
|
|
昭和61年/1986年度・下
=[ 締切 ] 昭和61年/1986年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和61年/1986年12月号選評掲載
受賞 |
矢吹 透 |
「バスケット通りの人たち」 |
『小説現代』昭和61年/1986年12月号掲載 |
候補 |
|
「百両の馨り」 |
|
「平内死霊変」 |
|
「真夜中の紙飛行機」 |
【】 |
「デッド・ドロップ」 |
最終候補作5篇 |
応募総数1288篇 |
|
|
昭和62年/1987年度・上
=[ 締切 ] 昭和62年/1987年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和62年/1987年6月号選評掲載
受賞 |
|
「真作譚」 |
『小説現代』昭和62年/1987年6月号掲載 |
候補 |
【】 |
「ひびわれた街」 |
|
「斧」 |
|
「幕末横道伝」 |
えとう誠 |
「化生陣、参る」 |
|
「過剰な季節」 |
最終候補作6篇 |
応募総数1148篇 |
|
|
昭和62年/1987年度・下
=[ 締切 ] 昭和62年/1987年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和62年/1987年12月号選評掲載
受賞 |
|
「東京不動産キッズ」 「ようこそ「東京」へ」を改題 |
『小説現代』昭和62年/1987年12月号掲載 |
候補 |
|
「中腰のバイソン」 |
|
「蛍丸伝奇」 |
|
「奈々ちゃん」 |
|
「ガラスの塔のむこう側」 |
餅 大介 |
「沈黙のエンド・オブ・ループ」 |
平成24年/2012年5月・幻冬舎ルネッサンス刊『沈黙の声と歩く』所収 |
最終候補作6篇 |
応募総数1326篇 |
|
|
昭和63年/1988年度・上
=[ 締切 ] 昭和63年/1988年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和63年/1988年6月号選評掲載
受賞 |
馬場真人 |
「グッバイ・ルビー・チューズディ」 「ルビー・チューズディの闇」を改題 |
『小説現代』昭和63年/1988年6月号掲載 |
候補 |
【】 |
「偶然完全」 |
|
「応じ返し」 |
|
「ラギン マサヤ」 |
早川 潜 |
「純ちゃんの解剖実習」 |
|
「茶碗」 |
最終候補作6篇 |
応募総数1196篇 |
|
|
昭和63年/1988年度・下
=[ 締切 ] 昭和63年/1988年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』昭和63年/1988年12月号選評掲載
|
|
平成1年/1989年度・上
=[ 締切 ] 平成1年/1989年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成1年/1989年5月号選評掲載
受賞 |
|
「アスガルド」 |
『小説現代』平成1年/1989年5月号掲載 |
候補 |
【】 |
「海から海へ」 |
|
「ブルースカイ ブラックデス」 |
平成3年/1991年3月・講談社刊『青い空黒い死(ブルースカイズ ブラックデス)』 |
|
「橋を渡る日」 |
|
「転舵」 |
有田京子 |
「ダブル アンド ハーフのトランポリンゲーム」 |
最終候補作6篇 |
応募総数1137篇 |
|
|
平成1年/1989年度・下
=[ 締切 ] 平成1年/1989年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成1年/1989年11月号選評掲載
受賞 |
|
「エル・キャプ」 |
『小説現代』平成1年/1989年11月号掲載 |
候補 |
|
「フリーズドライ・シアター」 |
|
「オーサカ」 |
|
「鬱金の花」 |
|
「うない」 |
|
「岬はるかに」 |
長谷川 暁 |
「名作の背景」 |
最終候補作7篇 |
応募総数1187篇 |
|
|
平成2年/1990年度・上
=[ 締切 ] 平成2年/1990年1月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成2年/1990年5月号選評掲載
受賞 |
園部晃三 |
「ロデオ・カウボーイ」 |
『小説現代』平成2年/1990年5月号掲載 |
候補 |
羽振佳太 |
「大いなる渇き」 |
大山卓悠 |
「海流の牙」 |
景山 諒 |
「飽食の狼達」 |
|
「酒場(バル)、ソアス・パスティアにて」 |
最終候補作5篇 |
応募総数1136篇 |
|
|
平成2年/1990年度・下
=[ 締切 ] 平成2年/1990年7月31日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成2年/1990年11月号選評掲載
受賞 |
|
「疾風伝」 |
『小説現代』平成2年/1990年11月号掲載 |
受賞 |
小川顕太 =応募時 【園河銀灰色】 |
「プラスチック高速桜 (スピードチェリー)」 |
『小説現代』平成2年/1990年11月号掲載 |
候補 |
高林 杏 |
「渓谷記」 |
|
「シューカー渡り」 |
|
「ジェットの亡霊」 |
|
「逸る人」 |
最終候補作6篇 |
応募総数1187篇 |
|
|
平成3年/1991年度・上
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成3年/1991年5月号選評掲載
受賞 |
小倉千恵 |
「ア フール」 |
『小説現代』平成3年/1991年5月号掲載 |
受賞 |
三田つばめ |
「ウォッチャー」 |
『小説現代』平成3年/1991年5月号掲載 |
候補 |
|
「クレムリン埋葬曲」 |
|
「ラップタイム」 |
|
「幕末・留守居役覚え」 |
三隅健一 |
「ジャパニーズ・エージェント」 |
最終候補作6篇 |
応募総数1025篇 |
|
|
平成3年/1991年度・下
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成3年/1991年11月号選評掲載
受賞 |
羽島トオル |
「銀の雨」 「海賊たちのビーチボール」を改題 |
『小説現代』平成3年/1991年11月号掲載 |
候補 |
|
「ドラゴンマンブルース」 |
池原具也 |
「イヴェント」 |
田原莉果 |
「耳の法則」 |
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「へんしん!」 |
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「エグランタイン」 |
最終候補作6篇 |
応募総数1504篇 |
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平成4年/1992年度・上
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成4年/1992年5月号選評掲載
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平成4年/1992年度・下
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成4年/1992年11月号選評掲載
受賞 |
【】 |
「売る女、脱ぐ女」 |
『小説現代』平成4年/1992年11月号掲載 |
候補 |
【】 |
「東京音頭・第四楽章」 |
高梨宗國 |
「ぶたとジンボと満ちた月」 |
【】 |
「蔓の端々」 |
最終候補作4篇 |
応募総数1542篇 |
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平成5年/1993年度・上
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成5年/1993年5月号選評掲載
受賞 |
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「アタシはジュース」 「カスピ海の宝石」を改題 |
『小説現代』平成5年/1993年5月号掲載 平成7年/1995年4月・Tokyo FM出版刊『アタシはジュース』所収 平成8年/1996年5月・集英社/集英社文庫『アタシはジュース』所収 |
候補 |
移川純一 |
「赤い車の男たち」 |
山本美弥 |
「黄色いネコ通信」 |
大野麻沙子 |
「銀色の指先」 |
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「松前奇談」 |
加藤 文 |
「祭り囃子」 |
最終候補作6篇 |
応募総数929篇 |
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平成5年/1993年度・下
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成5年/1993年11月号選評掲載
受賞 |
=応募時 【】 |
「ふざけんな、ミーノ」 |
『小説現代』平成5年/1993年11月号掲載 |
候補 |
矢吹藤夫 |
「花嫁衣装はアベコベ」 |
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「最後のラビット」 |
【】 |
「ダーティー・ユー」 |
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「箱館売ります」 |
最終候補作5篇 |
応募総数1596篇 |
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平成6年/1994年度
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成6年/1994年5月号選評掲載
受賞 |
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「空中庭園」 |
『小説現代』平成6年/1994年5月号掲載 |
受賞 |
広岡千明 |
「猫の生涯」 |
『小説現代』平成6年/1994年5月号掲載 |
候補 |
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「左きき」 |
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「神前仕合」 |
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「女郎蜘蛛」 |
【】 |
「葉桜」 |
最終候補作6篇 |
応募総数1536篇 |
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平成7年/1995年度
=[ 締切 ] 平成6年/1994年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成7年/1995年5月号選評掲載
受賞 |
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「苦い酒」 |
『小説現代』平成7年/1995年5月号掲載 |
候補 |
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「言語郎」 |
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「徳丸謝罪士事務所」 |
池名 新 |
「エンジェル・ノイズ」 |
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「花映る」 |
最終候補作5篇 |
応募総数1807篇 |
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平成8年/1996年度
=[ 締切 ] 平成7年/1995年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成8年/1996年5月号選評掲載
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平成9年/1997年度
=[ 締切 ] 平成8年/1996年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成9年/1997年5月号選評掲載
受賞 |
宮崎和雄 |
「洗濯機は俺にまかせろ」 |
『小説現代』平成9年/1997年5月号掲載 |
受賞 |
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「紙ヒコーキ 飛んだ」 |
『小説現代』平成9年/1997年5月号掲載 |
候補 |
入江雅巳 |
「棋士」 |
【】 |
「南の涯」 |
広瀬イワナ |
「最後の夜伽」 |
最終候補作5篇 |
応募総数1601篇 |
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平成10年/1998年度
=[ 締切 ] 平成9年/1997年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成10年/1998年5月号選評掲載
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平成11年/1999年度
=[ 締切 ] 平成10年/1998年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成11年/1999年5月号選評掲載
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平成12年/2000年度
=[ 締切 ] 平成11年/1999年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成12年/2000年5月号選評掲載
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平成13年/2001年度
=[ 締切 ] 平成12年/2000年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成13年/2001年5月号選評掲載
受賞 |
高尾 光 |
「テント」 |
『小説現代』平成13年/2001年5月号掲載 |
受賞 |
綿引なおみ |
「弾丸迷走」 |
『小説現代』平成13年/2001年5月号掲載 |
候補 |
麻生高子 |
「それがぎりぎりの線」 |
樋口範子 |
「てぶくろ・ろくぶて」 |
泉 季里 |
「ボニーの破片」 |
猪俣太一 |
「裕次は、振り返らない。」 |
最終候補作6篇 |
応募総数1466篇 |
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平成14年/2002年度
=[ 締切 ] 平成13年/2001年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成14年/2002年5月号選評掲載
受賞 |
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「私の券売機」 「券売機の恩返し」を改題 |
『小説現代』平成14年/2002年5月号掲載 |
候補 |
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「スイート・レモン・トゥリー」 |
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「新宿無頼帳」 |
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「二人の巫女」 |
楡崎いずの |
「ステンレスは嗤う」 |
水島 蓮 |
「風のふくまま」 |
最終候補作6篇 |
応募総数1547篇 |
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平成15年/2003年度
=[ 締切 ] 平成14年/2002年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成15年/2003年5月号選評掲載
受賞 |
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「ゴーストライフ」 |
『小説現代』平成15年/2003年5月号掲載 |
受賞 |
橘かがり |
「月のない晩に」 |
『小説現代』平成15年/2003年5月号掲載 |
候補 |
志村圭一郎 |
「猫のつめとぎ」 |
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「植物のような日々」 |
和久憂美 |
「エーコは死なない自分が嫌いだ」 |
最終候補作5篇 |
応募総数2141篇 |
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平成16年/2004年度
=[ 締切 ] 平成15年/2003年12月20日
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成16年/2004年5月号選評掲載
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平成17年/2005年度
=[ 媒体 ] 『小説現代』平成17年/2005年5月号選評掲載
受賞 |
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「スリーピーホロウの座敷童子」 「スリーピーホロウの座敷ワラシ」を改題 |
『小説現代』平成17年/2005年5月号掲載 |
候補 |
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「蝶の家」 |
桜木 空 |
「その夏いちばん熱い夜」 |
福永将吾 |
「夫婦検定」 |
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「神無月顛末」 |
最終候補作5篇 |
応募総数1786篇 |
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