直木賞受賞作
第11回(昭和15年上半期)受賞

小指

堤千代

『オール讀物』昭和14年12月号




 新中河しんなかがわそめちゃんが指を切った、そのうわさを聞いた時私は、すぐ、はア※(「ヤマイダレ/票」)ひょうそだと思いました。
 ですから、それと一緒に聞かされた金三万円也に痛いのも忘れたんだの、どの朝刊夕刊にも重大声明ッて言う活字と一緒に出ている何とか大臣さんの写真のあのモウニングの内ポケットには、染ちゃんの白い細い指がアルコールづけになって肌身はだみについているだの、その金で内緒の人と一緒になって、あののまげはモウ真物ほんものだとか、そんなのは残らず、※(「クサカンムリ/將」)さん行きだと思いました。
 何故すぐ※(「ヤマイダレ/票」)疽だと思ったかと言いますと、わたしのもソックリ当推量あてずいりょうなんですの……。もと、家に居ました内箱うちばこのおしんッてんでしたが、そりゃア、カン性でしてね。つめを取るのに肉がのぞく位短く、つまないと気がすまないんです。それも二日おきに一寸のひまに、立ちながらでも、ぱちんぱちん小鋏こばさみを使うんですが、大掃除の日に雑巾ぞうきんをゆすぐのを手伝った時からだとか言って、一晩の中に十本の指が左の親指を残して全部真黄色まっきいろになってしまったんですよ。病院じゃ自動車くるまの煙が消えない内に手術にかかってくれたんだそうですけれど、人さし指は二番目のフシから、薬指は右左ともツメの所から助からなかったんです。それからは土用中でも手袋をはめていましたけれど、目で見て知ってましょう、帯をしめて貰ったりしても何んだか背すじが寒いんです。
 それで今でも妾は雷様と※(「ヤマイダレ/票」)疽は同じ位こわいんですの。だもんですから染ちゃんのも、テッキリ※(「ヤマイダレ/票」)疽と思いました。
 あの器量ですからね。災難の上に人の口が、やかましいんだと思いました。
 売出し盛りのッて者は、世間様方のお嬢様のお嫁入り前同様の大事な身体ですからね。そんな極印ごくいんを打つ者じゃありません。とにかく※(「ヤマイダレ/票」)疽だときめて一度は会いに来そうなものだ、会いたいと思っていましたが、そうなると何処ででもかけちがって顔が合わないんですよ。
 その内、秋の靖国神社の大祭の日でしたっけ。こんな者ですけれど朝から身じまいして、おまいりに出かけたんです。随分と早かったつもりでしたけど、人の足で砂利が見えない程でしたわ。
 心だけの、おまいりをして御鳥居おとりいのわきから出ますとね、すぐ三尺程前をね、こう背のすらりと高いお嬢さんが歩いて行くんです。これも後姿でしたが、肩の構えからして重いお立派な、お年召した軍人さんに引きそって、丁度、末のお嬢さんかお孫さんに見えます。
 銀うるしの少しじみな羽織に、小さく束ねた髪のもとに白いカアネエションの花をつけてました。鰐皮わにがわ草履ぞうりで小さくいそぎ目に、どっしどっしとふむ長靴とならんで行くのが、何んだか見おぼえが有りますから、かけぬけて、そっと振り返ると、それが染ちゃんだったじゃありませんか。
 おつれの軍人さんは、おひげも眉も白くていらっしゃる。御身分は肩の上や胸の所ででもわかりますけど、歩いておいでなさる周囲まわり二三尺は、揉み合ってる人波が自然に開いてのくようなんですもの、とても私にちゃんづけで呼ばれる女のおつれじゃありません。
 勿論かたずをのんじまいましてね。後先へついて行きますとね、アノ坂を少し下りた辺で、
「では」
 と軍人さんの方から手をゆるくお上げなさると、染ちゃんも首すじを細く下げたんです。
 すると何処に居たのか若い将校さんが、つッと出て来て、うしろから外套をおきせすると軽くおうなずきなすって、そのまま人波の中へわけ入っておしまいなすったでしょう。
 私、いそいで染ちゃんの、うっかりと立って見送ってる背後うしろにまわって、
「ばア」
 って指でね、目かくししてやったんですよ。
「まア、いや。古いわ」
 と、かぶりで振り払って見返ると、
「まア、ねえさん」
 と、たちまち、みずみずしい笑顔になりました。
「今のは」
「何と見立てて」
「そうね、染ちゃんの三ツの年に生き別れのお父ツァんと、めぐり合い」
「ふうん、花柳はなやぎ役所やくどこね。いいわ」
 と、にっこりしましたが、
「私、姐さんに会いたかったのよ。聞いて頂きたい事ばッかりなの。つき合ってよ」
 と、くせのように髪の所へやった手の、白く繃帯してあるのが、目にしみたでしょう。
「そう、いいわ。どこへでも」
「静かな所でなくちゃア」
 そうして十五分程後、私達は女同士ひざをつき合せて、手を取り合うように坐っていました。
「淋しくって、いい花ね」
 などと、はじめは染ちゃんも細いこけを這わせた石の上に、小さく白い萩の花びらのこぼれたのを眺めて、月並な事を言って居ましたが、やがてむきなおると、
「姐さん、私近い内にひくわ」
 と言い出しました。
「そう、やっぱり」
 と、顔を眺めると、
「この話、おききになったでしょう」
 と、白い繃帯ほうたいの手を、ぱったりと卓の上にのせて見せて、
「私、この話聞いて欲しいの。きいてよ」
 と思い入って話し出したんですよ。

 そう、去年の春の矢張り靖国神社の大祭だったわ、花火がぽうんぽうんいってましたもの……。
 その日の昼下ひるさがりに「そのままでいいから」ッて電話が、かかって来たの。
 名が通してあってそれが多分姐さんも御存じだと思うわ、伝通院でんづういん玄白げんぱく先生なのよ。ほら酔っちまうとすぐ、「俺は現代の杉田玄白だぞ。貴様等ア知らんか」とか何とかで気えんをお上げなさるでしょう。それで通っちまった方だわ。伝通院辺で大きな病院を持っていらっしゃるんですとさ。お酒を上っちゃ、わっわっとさわぐばかりで、とてもサッパリしていらっしゃるものだから、皆も「玄白先生のお座敷はラムネになるネ」って言い言いしてたのよ。
 その方が支那事変が始まるとすぐ御出征なすってね、歓送会の晩にも、
「見ろ、俺は医者だからこの年になってもお役に立つのだ。お前達も、いろは医者にしろ、医者に」
 ナンテ大威張りでいらっしゃったわ。
 向うにお出でなすってからも、月に一度位のお葉書があったから、私達ひいきにして戴いてた連中がよって、慰問袋を送ったりしてたんです。
 杭州こうしゅうって所からのは絵葉書で、何でも蘇小々そしょうしょうとか言うあちらの昔の芸者のお墓の写真なのよ。それに「これはお前達の御先祖の墓だ。この女は纏足てんそくで足は小さかったが、どんな山坂ででもコロバなかったそうだ」ッて書いて有るの。
「憎らしいね」って大笑いしちゃった。
 それから近々帰還きかんするかも知れないと言う、おたよりが有って二月ばかりしたところなの。
 お電話で合点すると、すぐ私は帯留おびどめ金具ぱちんをとめながら自動車くるまに乗ったわ。
 そうしたら、いつものようにアグラで、ひじつきに両ひじをついて、あごてのひらにのせて居なすったわ。私がはいって来るのを見ると、
「やア」
 って顎を下から上へシャくって、一寸も変っちゃいなさらないの。和服だけど額の所だけ薄白く残して、真黒の日焼ひやけで、肩はばも広くなったみたいで、お若くなんなすったように見えたわ。
 私なつかしかったから膝でアチラの膝をおす位にぺったりと坐って、思わず、
「まア黒くなっちゃったわア」
 と言っちまったの。
「なアんだ。そんな、あいさつがあるか」
 と平手で顔をなでまわして見なすって、
「併し君はべっぴんになった。一年見ない中にスゴク女ッ振りが上ったぞ。もっとも俺の目のせいもあるな。百日も湯に入らんような避難民のクウニャンばかり見てたからナ。内地の女はどれもこれも良くって、しようがないんだ。」
「ええ、ええ。殊に私は湯上りでございますからね。ほほほほほ」
 と私は首をかしげて笑って、
「さっそく、お一ツ」
 と、お銚子を取上げながら、
「皆は未だなの」
 と聞きました。無論、他の連中も一緒に呼ばれていることと思っていたんです。
「いや、酒は当時、おたちものだ」
 と、はっきり手を振って、
「それに今日は用があって君を呼んだんだ。それでなけりゃ召集解除にもなってないくせに、昼日中ひるひなかノコノコこんな所へ来られるかい」
 本当にお猪口ちょこふちもぬれてない。お好きだったんですからねえ。思わず、まじめになってお銚子を下においたわ。
「あら、私に、どんな御用」
「うん。今、俺は陸軍病院につとめてるんだが、君に兵隊の慰問に来て貰いたいんだ」
「あら、慰問ですの」
 それなら何回も経験があるので、
「何日頃でしょうか。来週の土曜は一寸こまるんですけど。その他なら――」
「いや、そんな慰問じゃないんだ」
 と先生一寸、手持ぶさたらしく、
「俺のついてる患者だ。少尉さんさ。戦地でも同部隊に居たし、帰ってからも偶然俺が病院であずかるようになったんだがね。一寸その男に頼まれたと言うより、俺が思いついた事があってね。君にその男を見舞って貰いたいんだよ。演芸慰問に行って踊ったり唄ったりするのと同じ意味でね。それも無理だろうけど、今からでも一緒に行ってくれなくちゃ間に合わないんだ」
 と、思い入ったように私の顔に見入りながら、
「その患者はね。明日俺の執刀しっとうで両腕を切断してしまうんだ」
「まア」
 と私は、鳩尾みぞおちが堅くなったの。そして、
「まいりますとも。私みたいな者でお役に立つんでしたら、どうぞ」
 そういきごんで答えないわけには行かなかったわ。だってこの場合の返事には、便所掃除させるんだ、すぐ来いと言われたって、これより他には無かったじゃありませんか。
「そうして私、その方に、どんな事をして上げたら、いいのかしら」
「どんな事ッたって」
 と先生は苦笑いして、
「相手は白衣の勇士だ。支那兵じゃないからネ。大した難題は言い出しやしないさ。もし不愉快に感じたら遠慮はない。ハッキリことわればいい。それは君の感情一ツだよ」
「そりゃ私、私だってその方が、こまるような事を私におっしゃるなんて思ってやしないけれど」
「そりゃ、ひょっとすると、こまるかも知れないさ。ただ程度によるがネ」
 と先生は薄ら淋しい笑いも漂わせて、
「相手は生きるか死ぬか分らん所なんだ。俺がたのまれもせんのに、君をひっぱり出しに来る位だからね。そこを承知していて貰いたいんだ」
「ええ、わかりましたわ」
 と私も深く、うなずいて、
「でも今、ここからすぐお供ってわけにも行かないの。そのままで出て来ちゃったでしょう。髪ゆいさんも、まだなんですもの」
 と少しユルんだ髪の根を持って、ゆすって見せました。
「そうサ。俺も相乗りで、かけつけは、おそれいる。じゃアこうしよう。三時までに来てくれたまえ。病院の前で出むかえてるから。それでと」
 と、考えて、
「ナルべく綺麗にして来て貰おうか。綺麗な程慰問の実が上るからネ」
「まア」と、うけて私は「おほほほほ」と笑っておいたけれど、内心一寸なにが始まるかしらと言う気もちも、はずんで来たわ。
 でも先生が、
「こればッかりはやめられんでね」と、すいつけなすったのが、ほまれなのを見ると、すぐ自分のおッちょこちょいが恥かしくなったんです。
 火が近くなるのは臭いッて、キリアジを半分までしか、すいなさらなかったんでしょう。
「すッかり御自分をかえていらっしゃる」
 そう思うと私、うつむいて、指でひざの上をこすって見ながら目を伏せてしまったの。

 髪ゆいさんの所じゃ、大急ぎで唐人髷とうじんまげにゆって貰いました。浅黄あさぎ淡紅色ときいろの麻の葉の絞りを、ふさふさとかけて貰い、銀の薄いびらびらをつけて、着物も思いっきり派手にね、花模様の入った矢がすりくずしの袷に、白地に紅のバラを描いた帯をわざと高くしめて、大和うちの組紐、緋鹿子の背負揚げをして、一寸御時節がら御遠慮物かしらと思ったけれど、指輪も一番大きいのをはめたわ。
 白粉はばら色に塗って、眉も口紅もハッキリとさせると、さアこれからと言うような生き生きした心地になったの。
 自動車くるまで一あおりに陸軍病院にかけつけましたが、前にも演芸慰問に来た事があるから勝手は知ってるでしょう。
 外科げかの受付の所へずんずん歩いて行くと、先生は、今度は軍服で立っていなすって、
「早かったネ」
 と先に立って廊下をどっしどっしいらっしゃる後から、私も小走りにスリッパでついて行くと、
「さア、ここだ」
 と前後に入れ代ると、片手で私の背中を押して、片手でドアを開けて一緒に中にはいったの。
 畳を敷いたら四畳半無い位かしら、せまいへやだったわ。
 真先に目に入ったのは真白くおおわれた寝台ね。その白い物の中に、矢張り真白にまいた頭を白い枕にうめて、両手を掛蒲団の上に乗せて人形の様に寝ていなすったわ。
 私達が、はいって来たのに気がついて、斜めに体を返しなすった時、私とぴったり顔が合ったんです。
 その時よ。私、急に下げた首すじが一度にほてって、まげが重くて顔が上らないような気がしたわ。
 何て言ったら良いでしょう。姐さんの前じゃ、うぬぼれと言われるより他は無いけれど、だって世の中にあんな目で男に見られた女が沢山あるでしょうか。
 私、嬉しかった。通りすがりの岡持越おかもちごしに自転車の上から見送られたって、女は男に美しいと思われる位嬉しい事は無いわねえ。それがその蒲団のかげから私を見つけた顔ったら、初めはさっと赤く血がさしたのが、見る見る青くとおって行くように色が変りながら、ウットリと見とれたじゃないの。遠くのにじを眺めるような、世の中で一番美しい物に見とれている、そんな顔なんだわ。
 だから私もそれに誘われて、その方の眼の中で自分が天女になったような気がしたんです。アア、私は、いい女なんだねえ、と本気でそう思っちゃった。
「何をびっくりしたんだい」
 と先生は一寸笑い声で、
「さア昨日のお約束の人だ。ゆっくり、一ツ、話をするんだね」
 と蒲団のかげの顔をのぞきこんでおいて、
「お茶でも持って来ようかネ」
 とクルリとむき直って私に、
「まあ、椅子にでもかけて、ゆっくり御慰問を願います。あはははは」
 なんて笑い捨てて出て行っておしまいでしょう、随分これはが悪かったわ。なんだか素人めいてるみたいだけど、私だって椅子に腰かけて、ハンカチを結んだり解いたりしてるより所作しょさが無かったわ。おまけに相手の人ったら蒲団の中で身体中真赤になって恥かしがってるのがわかるんですもの。
 仕方がないから、間がぬけてるけれど、
「あのう、御気分、いかがでいらっしゃいまして」
 って言って見たの。そうしたら蒲団の中からこう首を出して、私を見すえて、
「軍医殿は貴女に何か言われましたか」
 って聞くの。
「いいえ。別に――」
 と、にごらせると、
「ア、そうですか。それじゃ何も聞いていらっしゃらないんですね」
 と急に元気づいて、
「どうもわざわざおいで下すって恐縮です。何か、お話でもして下さいませんか」
 とスッカリ安心したらしいの。すると此方こっちは一寸癪にさわるでしょう。だから、
「でも、何か貴方様に御用がお有りだそうで、それをおうかがいするようにッて、そうおっしゃいましたんですけれど」
 って、いじめて上げたわ。するとその方は又、真赤な、今にもシャクリ出すようなお顔になって、
「いや、用なんて。そんな、別にそんな事はありません。全く」
 って、こう右左へ首を振ってお見せなのよ。
「まア、それじゃ」
 と私は軽く唇を引きしめるようにして、
「先生が、おからかいになりましたのね」
 と椅子から立つようにしたんです。
「いや、そんな、からかうなんて。そんな事は断然ありません。軍医殿は全く好意で、こんな事をして下すったんです」
 出来たら私のたもとをつかんでひきすえたそうに力を入れて仰有ったから、私も、
「それでは、どんな御用でしょうか」
 と姿勢を正しくして聞いたの。するとその方はじっと私の顔を見つめて居なすって、それからハッキリと決心がついたように、
「じゃ申しましょう」
 と仰有ると蒼白く緊張した顔で、
「申し上げたら取様とりようで貴女はきっと不愉快になられるか、軽蔑けいべつされるかの何方どっちかですよ。もし腹が立ったら僕の横ッ面をひっぱたいて出て行って下さい」
かしこまりました。私怒ったら、これでたたいて上げますわ」
 って小さい拳骨げんこつをこしらえて、息を吹きかけて見せたわ。
「じゃ言います。僕はね明日両腕を肩から切断してしまうんです。それはお聞きになったでしょう」
 私が、うなずくと、
「昨日の晩でした。僕は軍医殿に冗談じょうだんのように言ったんです。アア、両腕を取っちまう前に一度女の手を握って見たいナって言ったんです。そうしたら軍医殿がいいとも引受けた、僕が知合いの女をつれてきてやるナンテー」
 私は、黙ってその方の顔を見たわ。その方の額には汗がにじんで何だか苦しそうなの。
「僕はね、二ツの年に母が死にました。姉も妹も無い。従妹いとこだって無いんです。親戚中には年った伯母が一人有るくらいなものです。僕は父の手で書生の間に育てられました。小学校を出るとすぐ中学の二年から幼年学校にはいりました。厳格な寄宿生活の間の休日には父と一緒に釣に行ったり、剣道の試合に出かけたりして過しました。どんないそがしい時でも、父は僕の休日には帰宅して相手をしてくれたんです。士官学校になっても一寸もちがいません。士官学校を出るとすぐ今度の事変に出征して、そうして戦傷を受けたわけですね」
 そう話している中に、その方の顔は頬が震えて子供らしくなって行くじゃありませんか、私何だか一緒に泣き出したくなって行ったの……。
「自分の両腕を切ってしまう前に一度でいい、生れて初めて、そして最後にこの手で女の人の手にさわって見たい、そう思ったんです。手術後どう容態が変化するかわからないし、全快した所で血の通う感覚の有る手で、女の人の皮膚ひふにふれて見る事は絶対に出来ないんです。母の手、妻の手、姉妹の手、一切の手をかねて、一度でいい、女の人の手にさわっておきたい。そして、それをしっくりと自分の身内に覚えこんでおきたい。そう思うんです。四つまで育ててくれた婆アやがあるので、手を引かれて歩いた事もあるんでしょうが、それを覚えちゃ居ないし」
 と切なそうな淋しそうな笑い方をして、
「随分妙なあさましい望みかも知れませんが、いよいよ両腕を切ると決ってからは、そればかり考えていました。看護婦さんが来てくれても、白衣の天使をつかまえて、下の物は取って貰っても、手を握らせて下さいとは言えません。しょッちゅう考えていたものだから、ゆうべもツイ軍医殿に、冗談めかして言ってしまったんですね」
 たかぶったように起していた半身をぐったり横に戻すと、つぶやくように、
「でも、こんな話は、健全な人間には感じが伝わらないかも知れない」
 私、聞いてる内に、その言葉の一ツ一ツが、いじらしくて可愛くて哀れで胸が一ッぱいになってしまったの。涙が自然にぽろぽろ頬を流れてるままで、わざと笑ったわ。
「そんな事お安い御用ですわ。そら、これがお母様の手」
 と右手をさし出して、
「はい、此方こっちがおくさまの手」
 と左手を素早くさし出したんです。
「有りがとう」
 と起き直ると、しっかりと両手に私の右左の手を握りました。顔は汗で光っているのに不思議に冷たい手だったわ。その大きい冷たい堅い手の中で私の小さい温かい手が見る見るとけてなくなって行くように思えたの。そして、しっかりと握りしめられている中に、それはそれは妙な気持がして来たわ。何て言ったらいいかしら、恥かしいような嬉しいようなまぶしいようなそれでいてしだいに目がくらんで行くような気がして来たんです。そして握られている手先からだんだんせき上って来て胸元で息がとまるような気がして、モウ自分の体を何処に立てておいたらいいのか、わからなくなっちまったんです。
 はっと自分に気がついてぱッと相手の手を振り切ったけれど、次の動作をどうしたらいいか、わからない。夢中になって室の外へ走り出してしまったんだわ。

 そう、そうね。それでアッサリ私はその方にれちまったんだわね。翌日すぐ行きたかったんだけれど、面会謝絶はわかっているでしょう。
 電話で毎日容態を聞いたわ。そして経過良好と聞いて果物の籠を下げてお見舞いに出かけたわ。
 そうしたら玄白先生が出て来て、御自分の室につれて行っていきなり、
「何の為めに来たのかネ」
 って聞くじゃありませんか。ぎっくりしたけれど、わざと笑顔になって、
「何の為めだなんて。そりゃお見舞いに上ッたんじゃありませんか」
 すると先生は、急に私をいじらしそうなあわれむような目でじっと見下しながら、
「そう。先日からたびたびお見舞い有難う。併しだネ。もう見舞いは今日だけでやめて欲しいんだ。この間の事はアレだけで良いんだよ。一度でも亦君があの男に顔を合せたりすると、どうもアレだけ以上に延長する恐れがあるからナ。君は僕にたのまれて白衣の勇士の慰問をしてくれたんだ。それでうち切ってくれ給え。当局もね、慰問が個人の交際に変って行くのをきらってるんだ。色々と弊害もあってね」
 と淋しい少し冷たい笑いをつくって、
「……殊に君のような若い綺麗過ぎる御婦人はだね。の少尉殿、すっかりたかぶってしまって、君の事を聞くから鎮静剤代りに君の二人の旦那の事を話しておいた」
 そして、たしかに、とどめをさすように、
「あれは××将軍の独り息子さ。だから、あんな星の世界で育ったような男になったんだネ」
 私、その時位人間が憎いと思った事は無かったわ。出来たらとびかかって相手の顔を十本の爪で肉も皮もムシリ取ってやりたかった。先生はこう言ってるのね。お前は売物の女だ、一時或る男の何かの用をたした後は、その場かぎりですますものだ、後くされを作るな。お前に接近されると、相手の男が不幸になる。殊に相手は××将軍の独り息子だ。新聞に現代の乃木将軍なんてよくお写真も見て知ってるだけに、先生の言葉のきびしさがよくわかるんです。つまり先生は私を慰問の何のと言っても、一ツの道具に使ったんだわね。無理におしつけられたお礼の物の多過ぎたのもそれだからだわね。
 私口惜くやしさがこみ上げて来て一言も言えないで泣いてしまったわ……。
 ハンカチで顔を包んで泣き入っている私を、先生は、軍服の胸を正して、じっと見下していたわ。
 散々泣いてしまって、果物の籠に手をかけながら、
「じゃ、せめてこれだけでも上げて――」
 と言ったら、
「そう。同じ病棟の者に皆にわけてやろう」ッて。
 私、糸より肩が細まったような心地で病院を出たんです。
 その晩だったわ。姐さんも御存じね。あのかぶと町の人にいや応なしにつれ出されて、九州めぐりに出かけたでしょう。
 一月ばかり東京を空けて帰って来たけれど、二度と病院をたずねる勇気は出なかったわ。でもその後の容態はと思うとツイ電話をかけてしまったの……。
 そうしたら「目下経過はごく良好です」ッて。看護婦さんの声らしかったわ。
 先生の言葉はよくのみこめてるんだけど、ほれちまったんですもの仕様がないわ。こうして着飾ってる帯留にだって指環にだって一ツ一ツ厭な記憶が、からみついてるんでしょう。私は色々深間ふかまになった男の人も何人だって有るのに、まるで洗い落したように何の思い出も残ってやしないのよ。それが一度握られた手先に男の味がしびれこんで残ってるの。十本の指を残らず切りすてても、矢張り胸の中には、その感じがまざまざ出てきて体中の血が熱くわき出してくる、そんなんだわ。
 もう一度どうかしてあいたい、そればッかり思ったわ。それでも思い直し、思い直ししている中に夏になってね、土用の日盛りだったわ。頭痛がするから前髪の間に薄荷水はっかすいをつけていたの。その青いようなすっと冷えた匂いをかいでいる中にムラムラとして来て、プイと立って電話口に立ってしまったの。そうしたら、
「僕、××です。どなたでしょうか」
 って御自分が出て来たじゃありませんか。
 それは何だかとても若い声だったわ。七ツ八ツの子供のような涼しい声だったわ。なつかしいより何より、こんな若い声の持主に両腕が無いのだと思うと、私涙がとまらなくなってしまったの。
「私、○○先生と御一緒に御慰問に上りました者です。アノその後はいかがでいらっしゃいまして――」
「ええ。有りがとう」
 と、一寸言葉が切れて、
「この電話受話器を人にもって貰っているんです。でも、もう随分いいんです」
 そして又、一寸間をおいて、
「あの時はどうも――」
 そして電話がコウコウって鳴ってるの、何だかそれがあの方の息づかい見たいな気がするの。私受話器をしっかり握りしめて、耳を澄ましていたけれど、コウコウって鳴るばかりだから、「じゃ、お大事に」と言うと、
「ええ、有りがとう」
 って、それでガチャリと電話が切れてしまったわ。
 あの方は私の所番地さえ聞いてくれなかった。そう思うと私は電話口にひたいをおしつけて声かぎりに泣いてしまったの……。
 それから二日程して、先生から一枚葉書が来たわ。それにはペンでね、
 その後は無事にお過しの事と思う。昨日××の所へ電話が有った由。××が僕に語っていた。あの女の人は好意らしい物を持っていてくれるらしい。この電話をキッカケに、たぐって行けば、或る程度の何物かに近づけるのじゃないかと思うと恐ろしくなった。こう言う事からどんな風にでも自分の気持が募って行きそうで恐くてたまらなくなったから、何も言わなかったと言って苦笑していた。ハッキリ言う。君はあの慰問の日だけあの男に必要だったのだ。あの日以外には君はあの男に毒物にしかならない。どうぞ今後絶対に彼から消失してくれ給え。君にはただの遊びもあの男には破滅以上の悲劇をもたらすばかりだ。僕は二週間後再び大陸の第一線に勤務する事になるだろう。あの男も同じ頃病院を出て療養所に移るはずだ。これを読んでさぞ君は怒るだろうと思う。怒られるのを覚悟の上で書いた。では幸福に暮し給えよ。
 私はこの葉書を細く細く裂いて畳の上に散らしながら、先生があの方に言い聞かせている言葉を自分で自分に聞かせたわ。
「君そんな電話なんぞ気まぐれだよ。アア言う女は日に十度は、男に手を握らせているよ。あんな事にこだわっているものか」
 そうして私は歯をくいしばって自分の手先を、あの日からそれだけはどんな男にもさわらせない手を、じっと見つめたの。そうしていると、どんな処女むすめさんよりも白くてほそい軟い自分の手が、可哀そうで可哀そうで思わず顔におしあてて泣いちゃったわ。

 それまで私、どうせこんな稼業しょうばいなんだもの、神様や仏様の御気に召すものかと思って不信心だったけど、そうなると矢張り目に見えない力におすがりするより他はないようねえ。日本橋のおきち不動様ふどうさまにお百度ふんだわ。お吉さんは私等と同じ身の上でつらい目に遇いなすったんでしょう。御利益が有るだろうと思ったの、どうぞモウ一度、一度だけでようござんす、その代り今日から息を引取るまで、他のお願いは致しませんからッて……。
 ええ、不思議なものね。御利益が有ったわ。
 あえたんですもの。そう道ばたの行きずりなの、横顔だけだったけれど。小石川の植物園の門の前でよ。
 昼下りだったわ。私の乗った自動車くるまが前の荷車の牛が動かなくなっていたので一寸とまったんだわ。窓ガラスに額をつけて外をのぞくとね。アノ門の鎖を一すじ渡した所にね、モウ一人の白衣のおつれと立っていなすったの。
 横向きだけど、ああして寝ていなすった時よりもっともっとやつれて青い色なの。鼻ばかり、こう高くってね、頬がそげてモミ上げの長いのが尚、衰えていなさるみたいで、随分悲しかった。紙まきをくわえていらっしゃる所へ、おつれの兵隊さんがライターで火をつけて上げたんだわ。一寸うなずいて受けなすった高い鼻先へ、ぱッと薄赤く火が映ったまで見たんだけれど、もう自動車くるまが動き出したじゃありませんか。
 何故彼時あのとき、私は車からとび下りて行かなかったのでしょう。誰が何と思ったって、ならんで乗ってた男の嫉妬やきもちで、島田の髷をねじきられたってかまやしない。はだしでとび下りて武者振ついて、すがりついて、「あいたかった。あいたかった」って泣けばよかった。色気狂いッて砂利の上につきとばされたってよかった。私が間ぬけだったの、たった一ツ、たった一度のメグリ合わせをにがしちゃったんですもの。私が、のろまだったんです。仕様も無いわ。
 それから二週間程立ったかしら。その頃何とか会社の重役だか社長だかが、しつッこくて仕方が無かったの。酒ほてりのした重ッたい体を人の膝にのしかからせて、「おい、ナアどうだ」ナンて言う鼻の頭の黒いブツブツを見ていると気が違いそうなの。
 大きな腕に腰をまきつけられながら、両手をしっかり組んで胸の下にかくして、「いや、いや。私の手にさわッちゃ、いや」ッて泣いたの。
 そんな奴に手を握られたら、残っているアノなつかしい恋しい手ざわりが、ぬけて行きそうで恐かったの。
 それもうるさいし、自分の気持も妙にこじれて物忘ればかりするでしょう。
「二三日遊んで来るわ」ッて、かぶと町のと出かけるふりで家をとび出しちゃったんだわ。そしてバスの中の広告で行先をきめて温泉宿に行って二三日寝ころんでいたの。
 その日は秋ももう終りなのに二百十日めいた降りだったわ。さアーッとふって来ると思う内に、ぱっと薄日がさして来たり、どんどん走っている真白い雲の間からクッキリ青空がのぞいたりしていたわ。
 私は宿の二階で取ッ放しの床の上にアオムケに寝たまま、手すりに近い大きな百日紅の咲残りの紅い熱い花がぬれて重々しくゆれているのを眺めながら、それはそれは淋しい物悲しい心地になっていたの。
 夕方になると風が出て来て、ガタガタ戸がゆれ出したけど矢張り電燈もつけずに寝ていたわ。
 そしたら女中さんが夕刊を持ってきてくれて、
「まア、たいそう、いんきでございますネ」
 ってスイッチひねって行ったから、夕刊をボンヤリ膝の上にひろげて見ていると、レコードとソースの広告の間に小さく二寸程くぎって、
「四月×日第○陸軍病院×号室にて握手せられたる婦人。至急牛込××病院受付まで御出を乞う」
 それを見て十五分とたたない内私は薄暗い自動車の中で震えながら何度も何度もその文字を宙に浮べて見つめていたわ。そして窓ガラスに雨にぬれた街の灯が、うつって来るまで、ほとんど何も知らなかったわ。

 あの方のなくなんなすったのは、両腕の傷じゃなかったんです。それは全快して義手をつける位になっていなすったのに、耳のそばの傷に何とか言う黴菌ばいきんがはいり直して、それが、いけなかったんですって……。
 いよいよ自分でも覚悟なすったんだわね。後の事なんか色々仰有ってから、
「お父さん」
 と改まって言い出しなすったんですッて。
「僕は中山門ちゅうざんもんで死ななかったのは間ぬけですね。後送の担架の上で舌でも※(「口+齒」)んで死んでおけばよかった」
 お父様の方は何と聞きなすったでしょうか。黙って、うなだれていらっしゃったそうよ。
「それで僕是非死ぬ前に、あいたい女の人が有るんですが、ここへよんで戴けるでしょうか」
「そんな女が有るのか」
 他の場合とは違って、そのお声はそれはそれは優しかったそうです。
「ええ。有るんです」
 と、簡単に、あの時のことをお話しなすって、
「それッきり、会わないけれど、ズッとその女の事を考えて居たんです。一生に一度生れて初めて手を握った女の事がお母さんのように思われるし妻のようにも恋人のようにも姉さんのようにも思われるんです。中山門の下で二日三晩飲まず食わずでほりの石に※(「口+齒」)しがみついて居る内に、すぐ目の先に小さい苔の花が土の割れ目から咲いているのを見つけた事があります。僕はその苔の小さい花位生れてから美しいと思ったものはありません。その女は丁度僕の生涯の中のその小さい花のように思われるんです。僕が生きた人間でなくなる前に、モウ一度その女に会って自分の記憶をたしかめて見たいのです。その花をつんでポケットの手帳の中にはさんだように、その女の顔を記憶の中にハッキリさせて土の下にもって行きたいと思います」
 死んで行く二十五の若い我子の言葉を、お父様はどんな気持でお聞きなすったでしょう。
「よろしい、今すぐよんで来てやる」
 そう仰有ってすぐ八方に電話をかけたり、問い合わせたりなすったけれど、私の行方がわからなかったので、とうとうアノ夕刊の広告になったんですって……。
 私が病院にかけこんで行った時は、もう紫色の頬だったわ。
「どうして、どうしてモッと早くよんで下さらなかったの。おそいわよ。おそい、おそい、おそいじゃありませんか」
 って、私、酸素吸入の道具をはねとばして、しがみついて泣き出したの。
「おそいから、おたがいに、会えたんじゃありませんか」
 と私の泣きだした意味がおわかんなすったのね。
 そう独り言のように仰有おっしゃってから、静かに話し始めたのだけれど、それはとても若い悲しい声なの。何だか随分遠い方から響いて来るような涼しい声だったわ。私、人間の男があんな悲しい遠い涼しい声で話すものだとは知らなかったわ。だから暫く何も忘れて仰向いて、うっとりと聞いたの。
「今もね。君の事を、そう君の事ばかり考えていたのですよ。看護婦さんがカアネエションの盛花もりばなをしてくれるのを見ながらね。淡紅色ピンクのカアネエションは君の顔色見たいだなと思っていた。だけど君は僕が考えていたよりずッとずッと綺麗ですね。君がこんなに美しいなんて僕はしあわせだ。本当にいい。それに君が、そんなに泣いてくれるなんて全く予想以外の幸福だ。僕は、君が僕の事を思い出しちゃ、滑稽こっけいな奴だと思って笑っているだろうと思っていたんです」
 私は歯をめたけれどモウ駄目だと思った。泣いたって、さけんだって走り廻ったって、口や言葉じゃ、どうにもならない。間に合やしない、と思ったわ。
 そう思うと、悲しいより口惜くやしいより、※(「テヘン+蚤」)はがゆくて泣き笑いしてしまったの。それと一緒に玄白先生の葉書の全文が目の前にならんで見えて来たわ。
 そう、私決心したわ。私は今自分の体と血で自分の誓紙を書いて見せなくちゃいけない。でなけりゃモウこの人に私の想いを本当に知って貰うことが出来ない。
「そうね、貴方の事を笑ってたか泣いてたか知らないけれど、とにかく私は貴方の為めなら何をしてもいいと思っていたわ。ほらこの通り十本の指を皆切って上げても惜しくはないと思っていたの。ほら、ごらんなさい。ほら」
 と言うと、私は其処に在った西洋花ばさみをとり上げて、左の小指の根本をはさんで、うんと力を入れるとね、ぞっくりッて応えて、ぽとりと取れたわ。すぐまた、次の薬指をはさんで、
「そら、ごらんなさい。私今、この指十本共残らず貴下に上げるわ。それで私の気持がわかるじゃないの。それとも、わからなくって、どう」
 て私、ひッひって笑いながら、血の引く手を上げて見せたの。
 そして又、はさみに力を入れようとすると、ドアの所から二三人が飛びこんで来て私をつかまえて、ひきずり出してしまったの。
 気がつくと私は真白に手をまき立てられて、寝台の上に寝かされていたわ。看護婦さんが二人、白い姿で私のまわりに動いているだけで……。
 あの方は大変御機嫌良く嬉しそうに、お亡くなんなすったんですって。
「僕は幸福だ」ッて、くり返し仰有おっしゃった後、正しく、
「天皇陛下ばんざい」
 を、おとなえしてね。
 私の指は肌につけて、棺に納めて下すったの……。
 初七日の晩にね。お父様が、
「よく、拝んでやって下さい」
 と仰有るから、御親類の方がお帰りになった後まで残って、お仏壇の前に坐っていたの。引延しの写真の中の軍服姿のお顔は、若々しく丈夫そうで、笑っているのが、※(「虫+(臘-月)」)ろうそくの光の中で、ゆらめいて物を言いそうで……。
 あア、こんな笑顔は私の目には知らない顔なんだと悲しくなって見入っていたら、お父様が何時の間にか、そばへいらっしゃって、
「貴女の手を見せてごらん」
 と仰有るから、両手をさし出すと、御自分の手のひらの上に大事な宝石か何ぞのように私の手を載せて、つくづく眺めていらっしゃってね、急に、ほろほろと白い眉の下から涙を落して、
「可哀想な奴。いい奴だった。可愛い奴だった。本当にいい奴だった。貴女もそう思って指を切ってくれたんだね。うんうん。そうか。有りがとう。有りがとう」
 いかめしいおつむりがブルブル震えて私の膝の近くまで下って来た時、私もありったけの声を上げて泣いてしまったの。そうして同じ悲しさの中で、私達二人は真の親娘おやこのように手を取り合って泣いていたんです。
 その後だったわ。小切手で、どッさりお金を下すったから、お断りしようとすると、
「いや、取っておいて下さい。彼奴あいつがアンナに握った貴女の手を、今後、酔ッ払いに握られたりせんようにナ。これで身をかためて、よい人妻になりなさい」
 って淋しそうにお笑いなすったでしょう。ごもっともと思って頂いたんです。だけどね……。

「だけどね――」
 言いかけて思いせまったように、大きな涼しい眼の中に一ッぱい涙をためていますから、
「だけど、どうしたのさ」
 と、催促しますと、
「だけど、私今も口惜くやしくって口惜しくってたまらないの。どうしてもこの口惜しい気持は一生消えないでしょうよ。どうしても」
「何がそんなに口惜しいの。指を切ったことなの――」
 と聞くと、
「ううん、そんな事。あの方と一緒に灰になったんですもの惜しくなんぞ一寸も無いけれど、ただね、ただ――」
 と両手でぴったりと顔を包むと、
「アンナ立派な方にめぐり合っていながら、ただ手を握られただけなんですもの。それッきりなのが、私口惜しくって情なくって、もったいなくって」
 と言いながらたたみの上に泣きくずれてしまったんですよ。
 その白い細い首すじと波うっている華車きゃしゃな背中を眺めながら、私もね、女心と言うものが、しみじみ悲しくなってきて、いつか声を合せて泣いていましたっけ……。





底本:平成元年3月15日 文藝春秋刊『オール讀物 平成元年3月臨時増刊号 直木賞受賞傑作短篇35』
入力日:平成19年4月28日
入力責任:WEBサイト「直木賞のすべて」
URL https://prizesworld.com/naoki/
Email pelebo@nifty.com




●底本との表記の違い