直木賞受賞作
第2回(昭和10年下半期)受賞

吉野朝太平記

鷲尾雨工

第二巻 昭和10年11月・春秋社刊、松柏館発売




洛西らくせい小倉山おぐらやま

「小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびの御幸みゆきまたなん」と、貞信公ていしんこうが詠じた。「小倉山麓の寺の入相いりあひにあらぬながらまがふかりがね」とよんだのは俊成しゅんぜいだし、「小倉山麓の里に木の葉散ればこずえにはるゝ月をみるかな」と、歌ったのは西行さいぎょう法師だ。
 その小倉山であった。
 中腹の厭離庵えんりあんの、ぼろぼろに朽ちた縁に、紅雀べにすゞめのような格好かっこうに押し並んで、べちゃべちゃ喋舌しゃべっているのは、一条堀川の足利あしかゞ直冬たゞふゆ邸の侍女どもだった。
 老女の枳殻からたちは、渋茶をすゝって、さも渋そうに顔をしかめたが、
「おゝ美味おいし!」
 と、つぶやいた。
 尼が、
「濃すぎましたか?」
 と、きくと、庭に立っていた舜髄しゅんずいが、おお声に笑って、老女枳殻からたちへ、
「疲れのなおる妙薬みょうやくじゃ。元気を出して、てっぺんまで登ろうではござらぬか」
 と、去った。枳殻は、あわてたように手をふった。
「もうもう結構! 腰が板みたいでございます」
「ほう、見かけによらぬ弱いお腰じゃの」
「まあ、いやらし! 山坂は馴れませぬものを──」
「はゝゝ山というほどの山でもござらぬに、たいそうらしい。敷妙しきたえどのさえ、おのぼりじゃ」
「おほゝゝゝ敷妙さまこそ、お達者でいらっしゃいまする。なにぶんにも、やかたさまのおしつけが、おきびしゅうございますによってな」
「ほい、これは御挨拶ごあいさつだのう」
 珍らしくなごやかな天気で、うらゝかな空からそゝぐ陽光ひかりには、まるで桜花はなでもふくらみそうなぬくみがあった。一昨日おとついまでのひどい寒さをおもうと、まったく無気味なほどの激変げきへんだったが、それだけに遊山ゆさん日和びよりとしては申分なかった。
「でも、これから上の方に、何かあるのでございますか?」
時雨亭しぐれていという、こわれかけたちんが一つあるきりでござるが、そこもやはり定家ていかきょうの別荘跡で、眺めのよろしいことは、お話しがお辞儀じぎをいたす」
「でも、餘寒よかんもすぎぬきのう今日では、花が咲いておるではなし、紅葉もみじが色づいておるでもなし。風流心ふうりゅうごころのない私どもが参ったとて──のうそなたたち」
 と、老女は、腰元どもをかえりみた。
「ほんにさようでございますなあ」
 と、一人が答えると、もう一人が、
「定家卿なら、さきほどお墓へおまいりいたしましたゆえ、またの御別荘の跡とやらまでは、おがまずともでございます。のう千鳥どの」
「そうともそうとも。早苗さなえどのの申すとおりでございます。それにさっき承わったところでは、この厭離庵えんりあんとやらもやっぱり、昔は定家卿の御別荘で、小倉百人一首は、こゝでえらまれたということでございますもの、私どもはもう、こゝだけで堪能たんのういたしました」
 と、一人が云った。舜髄しゅんずいが、
「はゝゝゝ揃ってお尻の重いことじゃ」
 と、笑って、
「そんなら精々どっちりと、お腰をすえて、待ってござれ。たゞし縁板えんいただけは、ゆがめないようにの」
 いつになく下がかりの冗口むだぐちをきいて、庭から出て行った。

 あんあまが、
「おほがらかな御僧じゃ」
 と、つぶやいた。
「お部屋様の兄御でございます」
 と、老女が云った。
「いずれの所化しょけでおわすかのう?」
「天竜寺の僧でございます。舜髄と申されますが、若い器量きりょうよしの手代をつれて、お部屋様と御一緒に登ってゆかれましたのが、堺の大商人おおあきうどで、唐土屋もろこしや伽羅作きゃらさくという方で、あれも、お部屋様の兄御でございます」
「そんなら御兄弟三人が、おむつまじく旧跡めぐりの御遊山ごゆさん、というわけじゃ、結構なことでござりますの」
「きょうは朝から方々のお寺めぐり、お墓めぐりで、よい加減のところまでは、物珍らしくも思いましたけれど、足のひらに豆が出来ますと、お供はつろうございますよ。でもまあ久方ひさかたぶりで、のんびりとすがすがしい気持ちになれました。去年の秋から急に世の中が物騒ぶっそうになり、戦ははじまるし矢たら無しょうに火事があり、空ではお星さまがいさかいなさるかして、今にも京へ敵の軍勢が攻めのぼって、市中まちじゅうが焼野の原にもなりそうな話ばかり──毎日おびえておりましたが、ありがたいことには四条縄手じょうなわてとやらで、楠どの御兄弟が戦死なされて、味方は大勝利──もうもうなんの心配もなく、枕を高うねむれるとのことで、ほっと安堵あんどのおもいをいたしましたのが一昨日おとついでございます。こうして物見遊山ゆさんに出かけてまいるなど、ほんに夢のようでございますぞや」
 庵の尼は、うなずきながら聞いていたが、
「戦さは、いとわしい厭わしい!」
 と、ひとちた。そして、
「楠の御二代目も──討死なされた!」
 味気あじきなげに、そう呟やいて眼をとじた。
「南無阿弥陀仏」
 山頂に近い時雨亭しぐれていへむかって、舜髄は登っていった。
「露霜の小倉の里に家居いえいしてほさでも袖の朽ちぬべきかな」「忍ばれん物とはなしに小倉山軒端のきばの松に馴れて久しき」と、定家卿の詠んだ歌を、口ずさみながら登って行った。古井戸、柳の水は、その昔、歌のひじりの定家卿が筆硯ひっけんのために汲んだ井戸のあとで、またの名をすゞりの水とも呼ばれていた。舜髄はその井戸をひとめぐりして、それから一度、下の厭離庵の方をながめてから、小径こみちを、竹林の茂みへ入った。やがて竹がつきると、老松のおおきな幹がわだかまった。小倉山は、隠掠山おぐらやまとも書かれたくらい、樹木が、奥暗いまで生え茂っていた。落葉する木々が梢をむきだしている冬ながら、ちん四辺あたりはかなり濃い陰影かげになっていた。
「兄者──」
 と、声大きく舜髄が呼んだ。
 風や雨にれ荒らびたちんのなかから、唐土屋もろこしや伽羅作きゃらさくが現われた。そして、
「どうじゃ──紅葉のない紅葉山も、わるくはないのう」
 と、云いながら手招きした。
 舜髄は、近づいて、
「いかゞ?」
 訊ねると、眉根まゆねを寄せて、
「難かしい!」
 と、伽羅作きゃらさくが答えた。

 舜髄しゅんずいと、その兄の伽羅作とは、六本杉の怪異かいいの作者だった。怪異を作りだした立作者たてさくしゃはむろん虎夜叉とらやしゃ正儀まさのりだが、それをたすけて、なくては叶わぬすけをつとめた脇作者わきさくしゃは、この兄弟であった。
 大塔宮だいとうのみやのおん崇りが、仁和寺にんなじの六本杉の上に、天狗評議をひらかせ、御外戚ごがいせき峯の僧正の霊が、副将軍直義たゞよしの北の方の腹から男子となって産まれ出るし、一方では忠円僧正が高師直こうのもろなお師泰もろやすに、また知教ちきょう上人しょうにんは上杉、畠山にのりうつって乱をおこすことになった、という作為さくいは、むしろ作者の予期以上にも反響をもたらして、その凶々まが/\しい木魂こだまが京都を、まっさおに震撼しんかんさせたのであった。
 で、いま、この兄弟は、なにか第二の怪異でも作ろうとしているのだろうか?
 きのうの夕がた、唐土屋もろこしや伽羅作は、艫太郎ともたろうと呼ばれる年若な手代をつれて、反橋そりばしの直冬邸に現われた。四条畷合戦の大勝利を、祝うために、しこたま祝儀物をとゝのえて伺候しこうしたという形だった。
 屋敷の家老、横溝よこみぞ平馬は、
さかいから、お早々と、それはそれは!」
 重たそうな金銀づつみを、進物台に見つけるがいなや、眼尻めじりしわ相好そうごうをくずしたが、じきにわざわざ渋面じゅうめんをこしらえて、
狒々館ひゝやかたの大将が、あのでかいお鼻を、どんなに高々と、太々と、うごめかしたり、ふくらましたりされるかと思うと、しゃくで、癪で、我慢ならん! えゝっ我慢がならん! めでたくも、嬉しくもないっ!」
「ひゝゝゝゝ!」
 いち早く笑いだしたのは、丹那たんな市之進いちのしんで、
「我慢がならんなら、泣くなりわめくなり、遊ばせだ」
 例によって酒気満々。
「なにを!」
「えひゝゝ六条河原で、さらし首のお通夜つやでもなさるかな?」
「おのれ、また喰らっておる!」
御念ごねんにゃ及ぶ。あなたは不芽出度くも、こなたは芽出度いのだ。こう、平馬殿っ! 勝ったからこそ御勝手な熱も吹けようが、これが敗けて御覧じろ、今ごろは、跳ねても吠えても追いつかん」
「馬鹿を申せ。五万の兵が負けてたまるか」
「馬鹿をおっしゃい。相手は楠だ。その首とれば師直様々──正行どのゝ首を持って、明日は一たん凱旋がいせんなさるという。足利万歳、高万歳──われ等も万歳、酒も万歳──内輪喧嘩うちわげんかは中休み、万歳楽まんざいらくウだ、オヤハオヤ! ヨイとこ、どっこい、オヤはおや!」
 と、手拍子てびょうし、足拍子で踊りだしたので平馬はあっけにとられたし、侍たちはどっと笑いはやした。で、夜は、直冬から許しが出て、遠侍とおざむらいでは、唐土屋もろこしや持参の祝儀樽しゅうぎだるの鏡をぬいた。いかに師直は憎くとも、めでたいことにいつわりはなかったから、にぎやかな戦勝祝い。舜髄しゅんずいも天竜寺からやって来て、夜がふけたので、伽羅作と一緒に屋敷に泊まった。そして今朝は、伽羅作が、洛外らくがいの旧跡めぐりをしたいと云いだして、案内役は舜髄。
 お部屋の敷妙しきたえも、二人の兄と共に、出かけることになった。都の西の郊外は初めてだというし、特別な上天気でもあったし、そこに何らの不自然さはなかったのであった。

 定家ていかきょう山荘の遺蹟いせき時雨亭しぐれていの中では、敷妙が、悲しそうにすゝり泣いていた。
 そばに、唐土屋もろこしやの手代が、きりゝと締まった凛々りゝしい美貌を、さも困ったらしく曇らせながら腕ぐみをしていた。
 いくたび建て直されたものか解らぬが、その都度つど、小さく、粗末そまつになって、今は雨露の洩るにまかせた※(「クサカンムリ/最」)さいじたる無住の小舎だった。木目もくめれ高まった板の間に、けばけばしい唐衣からぎぬの袖をはわせて、敷妙は、二人の兄が入ってきても、突っぷした顔をもたげずにいた。伽羅作と舜髄は、手代の艫太郎ともたろうよりも下座しもざにすわった。こんなやぶれ小舎で、下座も上座もないようなものだが、しかしおかしなことは、それだけではなく、舜髄が、
「困りましたのう、お身さまが手をお焼きのようでは──」
 と、云ったし、主人である唐土屋までが、
 ともかくも、いま一度、あなたから、因果いんがをふくめて頂きたい」
 と、頭をさげた。
 これでは明らかに、手代てだい艫太郎などというのは、人を偽る仮の名であることがわかる。
「いや、二度でも三度でも申す」
「どうぞ納得なっとくの参りますように──」
 と、伽羅作のかしらが、ふたゝび下がった。
「敷妙どのゝつむりが、縦に動くまでは、いくたびでも申そう」
 そのとき、敷妙が、涙にぬらしたあでやかな顔をあげて、
梶丸かじまるどの──」
 と、呼んだ。
 梶丸! 唐土屋の手代に変装へんそうして、京都へ入り込んだのは、虎夜叉正儀の股肱ここう近豎きんじゅ尾鷲おわせ梶丸だったのである。
 だが──いうならば神出鬼没しんしゅつきぼつ
 ほとんど端睨たんげいを許さぬ行動だ。
 なぜかなら、正行まさつら戦死の詳報しょうほうが、東条の城にとゞいた六日の朝、和泉いずみ槇尾山まきのおやまなる興良おきなが親王しんのう准后じゅんこう親房ちかふさきょうのもとへ、その悲しむべき報らせを運んで、もはや危急のせまった吉野の行宮あんぐううつし奉らんがために、さながら疾風はやてのごとく駒をやる虎夜叉に扈従こじゅうして、自分も馬を走らせた梶丸だったし、虎夜叉が槇尾城まきのおじょうの客殿で、親房卿と語っている間、入側いりがわの外の廊にうずくまっていたのも、梶丸だったのである。
 それが、翌くる七日の夕がたには、堺の唐土屋と共に、その手代艫太郎として、足利直冬の堀川邸にあらわれたのだ。そして──
 梶丸は、今、
御得心ごとくしんか?」
 と、敷妙の顔を見返した。
「いゝえ」
 かぶりは、横に振られた。
「いゝえ、では済まぬ。済みますまい!」
「でも──」
「でも──いやと、いわるゝか?」
「わたしの身に叶うことならば──」
「叶うことだ。ぴったりとかなうことでござるぞ!」
「まあ! ぴったりと適うなどと──そりゃむご、梶丸どの! あんまりでございます」
「いやいや、むごいことや出来ぬことを、ついぞ一度もおっしゃったためしない殿でござる」
 わきから舜髄が、
「のう敷妙。覚悟のほぞを固めに固めて、直冬の愛妾あいしょうになっておる身ではないか!」
 と、言葉を添えた。

 敷妙は、うらみ侘ぶるという目つきで、
「もうそれだけで精いっぱいじゃ!」
 と、舜髄へ、投げ返すように云った。だが舜髄も、すぐに応じた。
「なんのなんの! 忠義のためにみさおをすてゝ、朝敵の寵女おもいものになってから、すでに一年半もすぎた。おのがみだらからというではなし、それが大きなお役に立つならば、この上にも肉体からだを汚したとて、五十歩、百歩じゃ」
 伽羅作きゃらさくが、手をうって、
「そうだ! 五十歩、百歩だ」
 梶丸も、
「確かに!」
 そう云った時、敷妙は、金糸銀糸のまばゆいような浮線綾ふせんりょうの胸を、白い手でおさえつゝ、きっとなって、
「梶丸どのは、女心を知らぬ。兵法武芸はお達者でも、まだ恋知らずの若衆では、遣瀬やるせないわたしの悩みが、どうまあ汲めよう! 東条とうじょうの殿のお言葉とあれば、出来まするかぎりは、なんでとやこう申しましょう。二つを二つとも叶いませぬとは、お答えいたしませぬぞえ。一つの方は──正行まさつらの殿のお首の方は──いかようにも働くつもりでおりまするし、まあこの方ならば、どうやら成就じょうじゅめども見えますけれど、も一つの方は──そりや御難題ごなんだいでございます、御無理でございまする」
 と、そう云いきると梶丸は、
「敷妙どの!」
 鋭い声音こわねで、
「御難題とは、なに事ぞっ!」
 と、叫んだ。
 舜髄しゅんずいは、起ちあがって、ちんの外へ出た。見張るためだった。伽羅作もまた、外に気をくばりながら、だが、妹の面持ちを、はげしく眺めた。
 梶丸は、一層するどく、
「おん身にも似合わぬ返辞へんじを、よくも聞かせた! ああさようか、然らばで──この梶丸が立ち戻って、復命できると思わるゝか? 弱年ながら殿のお見立みたてこうむって、お使者にまいったそれがしでござるぞ!」
「もし! 死ねとおっしゃるなら、よろこんで死にもいたしましょうが、こればっかりは御難題──」
「えゝっ殿の御苦衷ごくちゅうが、おん身にせぬとは情けない。一身一家のかりそめな、喜憂利害きゆうりがいのみにかゝわるなら、いやもよかろう、叶わぬでもよい。恋の辛さに負けようと、女心を立てようと、そりゃ何とでも御勝手なれど、ことがらは恐れおゝくも吉野なる、朝廷の御安泰ごあんたいいなかのわかみちにもかゝわる! さ、なにが無理か? なにが無体むたいか?」
「おゝ!」
 と、敷妙は苦しげにうめいた。
 梶丸も、こゝ懸命けんめいのせつない汗を、じっとりひたいににじませながら、
「おん兄上お二人と、二千の将兵を失っても、なお自若じじゃくとして立たせらるゝ我が殿の、世にも悲壮なお心を──これさ、敷妙どの、おん身は──おん身は──」
 声がふるえ、言葉が出詰でつまると、たちまちなみだが、はらはらとこぼれ落ちた。
「なんと感じるのだ? 感じないのか?」
 と、たゝみかけられて、敷妙は、こらえきれずに、わっと泣き倒れた。
 伽羅作も、鼻をつまらせて云った。
「一天万乗の、大君のおん為めじゃ、しのんでくれ!」



六条河原から清涼寺せいりょうじ

「押すな、押すな、あ痛、たゝ、つゝ足も、足も──足もからだのうちだあ!」
「あゝ痛いっ! 痛いというたら、踏まんどいてくれ!」
「あぶない、つぶれるつぶれる!」
「あれもう、小さいのが居るわいなあ!」
「痛いよう!」
細少こまいのをつれて来るのが間違いだ、せろ失せろ!」
「あゝ苦し! のうにも動けぬわいのう!」
「こう、が高い、あたまが邪魔じゃまだぞう!」
「ちゞまれちゞまれ!」
「造りつけだい!」
烏帽子えぼしをぬげやい!」
頭巾ずきんをとれっ!」
「押すなと申すに、反吐へどが出るぞお!」
「き、き、きたねえ奴だ、やりきれん、退け退けえ!」
 群集は、老若男女をこきまぜて、広い河原を狭くしていた。
「首は、どこだ? おれには見えんがな」
「そりゃ見えぬはずでござんす、まだ首は、一つも来ておらぬわいな」
「おう、待たせるではないか? いやに勿体もったいをつけずとも、見せるものなら早ようみせてくれい!」
「あれま、聞こえるぞえ。お侍衆が、こちら睨んでるわいの」
勿体もったいぶるわけじゃよ、楠さま御兄弟のお首じゃ。我りゃ昔からのことを知っとるが、新田にった左中将さまのお首がこゝでさらされた時なども、小半日こはんにち待たされたぞや。重みからいうたら、こりゃ、それよりか重いお首じゃ。お取んなされた師直もろなおさまのお手柄は、とんでもなく素晴らしいわけだが、吉野の宮方みやかたは、なんぼうお力落しであろうぞ。楠さまも、御二代つゞいて討死なされるとは、よくよく御運のお悪いことじゃ。正行の殿も、父御様てゝごさまにもおとらぬおえらい方だという噂だったがのう。たたり目に逢いぐせがついては叶わん。そこへいくほかないようなことばかりする。人間というものはおかしなものじゃわ。運の神様に一度かばわれたとなると、なかなか容易よういなことではち目が来ないて。りゃこの目で見たことだが、ちょうどこの辺で戦があった。そなた達は頑是がんぜのうて、覚えもあるまいけれど、その時は、将軍さまのお命が危なかった。それから湊川では、副将軍さまが、命拾いを遊ばしたし、こんどは今度で師直さまが、ほんのもう少しで娑婆しゃばとお別れになるところだったという。でも、いずれも様が、お首にはおなんなさらんわい」
 六条河原は、もう人で埋まった。
 だが、長講堂ちょうこうどう御影堂みえいどうのわきから、東へ走ってゆく者が、かゝとひざを蹴られたし、七条烏丸からすまるの辻などは、動きのとれぬくらい雑沓ざっとうしたし、川東では五条坂どおりも、八坂やさかの塔から建仁寺けんにんじどおりも、今熊野いまくまのから三十三間堂の通りも、みんな河原へ河原へといそぐ民衆でひしめき立っていた。
源秀げんしゅうどのゝ首は、どんなに凄いだろう?」
「首になっても、喰いついた本宮ほんぐう太郎左衛門の喉から離れなかったそうじゃ」
「その本宮ほんぐうとかいう士は、睨まれたまなここわさに、狂い死に死んだというぞよ!」

 河原へ運ばれてきた首の数は、五十ほどだった。
 四条畷じょうなわて、茶ノ木堤きづつみ、野々宮の森、佐良々、野崎の原頭げんとうから、京都へ送られた首はおびたゞしい数であったが、それが皆なさらされるわけではなかった。五十級は、名ある将士の首級だけ──。
 でも、ずらりと並んだ梟首台きょうしゅだいは、まだその上に生首なまくびが架けられてはいないにもかゝわらず、物々しく陰惨いんさんに眺められた。台に平行して、竹矢来たけやらいがいわれ、台の上には、かなり大きな木の札が、立て並べられた。木札には、楠正行之首、楠正時之首、和田高家之首、和田源秀之首というように、首の数だけ書かれてあった。
 きのうの温かさは何処へ行ったか、空は、どんより曇って、一月九日の午前の陽は、ほんのかすかに賀茂川かもがわの水に、砂に、こいしに、そして五条橋から七条橋の間の河原にぎっしりつまった群集のうえに洩れた。つめたい風が、だんだん強まって来た。首は、やはりそれぞれ名札のついた首桶くびおけに入っていて、防腐剤ぼうふざいも塗られてあったし、まだ寒中でもあったから、それほどひどく腐敗してはいなかった。けれどもふたをとってみると、さすがにむっと──屍臭ししゅうが、はげしく鼻をつんざいた。
 郎従ろうじゅうの一人が、正行の首を桶から、とり出そうとした時──
 ちょうど河原院の築地ついじのあたりで、
「わーあっ!」
 と、群集がわめき声をはりあげた。五条橋の西袂にしだもとの観衆も、それに呼応でもするように、どっとおめいた。役人やくびとの士はじめ、首桶のふたをとった郎従どもは、一度にあっと驚ろいて、河原院の方をながめた。
「待てえ──待てえ!」
 声もろともに、騎馬の士が、一騎、二騎、三騎──。
 徒歩かちの郎従が、馬側ばそくを走りつゝ──
 市民の群れが、二つに割れると、まっすぐに河原へ乗り下りた先頭せんとうさむらいが、
「やめい、やめい、梟首さらしくびの儀は無用なるぞう!」
 と、大きく、高くよばわった。
「わーあっ!」
 無数の観衆が、どよめき立った。
「やあやあ無用とは奇怪きっかい千万──かくいう樫村かしむら儀左衛門、奉行ぶぎょういたす梟首を、とめだてなすは何者だっ!」
「おう我こそは、足利あしかゞ宮内くない大輔家たゆうけの家老、横溝平馬矩近のりちかなり。無用々々、かたく無用ぞ!」
「ちえゝ烏滸おこがまし、直冬家の臣に、なんの権限けんげんこれあって、いらざるさまたげいたすのか、返辞によっては容赦ようしゃはせぬぞっ!」
「やあ口幅くちはゞ広し儀左衛門、敵とはいい条、南山の名将、楠どのおしるしを、兇賊きょうぞくとえらばぬ取扱いはもってのほかだ!」
「わーあっ!」
 群集は、かみなりのように鳴りわめいた。おゝかたは歓呼の声だった。
 建武けんむ中興ちゅうこうの業、破れてこゝに十三年、京は、足利の膝元ではあったが、しかしなお楠の令名れいめいは、ふかく市民の脳裡のうりに刻まれていたのであった。
「だまれ横溝っ、楠は、持明院じみょういんみかどにたいし奉っては逆賊じゃ。朝敵の首をさらすがもっての外か? 天下の執事しつじ師直殿の命により、この樫村が奉行ぶぎょうぞ。退れ、退れ、退られい!」

 樫村かしむら儀左衛門は、威たけだかに呶鳴ったが、横溝平馬はからからと笑った。
「片腹痛い! 退さがれとは何んだ?」
 そう云いざまに、馬からひらりと降りた時、樫村はつかつかと進みよって、
「退れとはせろということだ。わざと馬から下りたのは、刀のさびになりたい気か?」
 つかを握って睨みつけると、
白痴たわけ々々/\、都の飯をみながら、平馬の剣を知らぬのか?」
「なにをっ?」
「はゝゝゝお手前の御朋輩ごほうばい熊髭くまひげみたいな評判倒れの剣とは剣がちがう」
 ふだんは、だらしのないほど物柔らかな平馬だったが、腕には自信があるだけに、いざとなったら強かった。
「おのれ、武州ぶしゅうさまの御威光もおそれずに! それ各※(二の字点)っ!」
 ばらばらっと配下はいかが、平馬をおっ取りめようとすると、すでに下馬げばして郎従を集合させていた平馬の部下も、負けるものかという意気込みで走り出た。だが、
「待て、はやまるなっ!」
 と、平馬が制して、樫村かしむらへ、
「さあ尋常に、楠どのゝお首をこなたへ渡さばよし、いやとあらば目に物見しょうぞ。大御所おおごしょ下御所しもごしょ両公の、お指図さしずによって参った拙者を、直冬家の使者とあなどらば、後悔ほぞを噛むとも及ぶまい。さあ如何に如何に?」
 と、よばわった。
「なに、御両公のお指図だと? えゝ偽りを申すな、申すな! 樫村は、たばかられはせんぞ。下御所のみならいざ知らず、わが殿の御執行ごしっこうを将軍家がおさゝえ遊ばすわけがない。ちえ面倒だ──者どもかゝれっ!」
 儀左衛門が、そう叫んだ時だった、ふたゝび群集が大波のように動揺どうようして馬をとばせて馳せつけた饗庭あえば命鶴丸みょうずるまると、その従者とが河原へ現われた。
 命鶴丸は、将軍しょうぐん尊氏たかうじ秘蔵の近習きんじゅだったから、群集は、
「命鶴どのう!」
「命鶴どのう!」
 と、叫んだ。
 儀左衛門は、ぎくりとした。尊氏の命令をもたらしたことを、疑う餘地よちがなかったからである。命鶴丸は、足利譜代ふだいの重臣である饗庭家あえばけにうまれて、幼いころから並すぐれて悧巧りこうだったので、尊氏は自分の側近くはべらせてその非凡を愛した。政治をすて、軍事をかえりみなくなって、ほとんどすべての侍臣を遠ざけてしまった尊氏にとっては、唯一の近侍はこの命鶴であった。まるで形に影がともなうように、尊氏のおるところには必らず命鶴がいた。命鶴の顔色によって、およそ尊氏の気持ちがわかったし、命鶴の行動から判断すれば、たいがいは尊氏の意志が見つもれた。浮世うきよと断ったかのように日は送っても、尊氏は将軍、源氏の長者に相違ないのだから、二十歳はたちにも達しない命鶴ながら、年齢不相応ふそうおうな、そして身分にはるか過ぎた権柄けんぺいがおのずと附くことになった。で、その命鶴丸に出現されては樫村儀左衛門も、
(駄目だ!)
 と、思ったが、たまらなくごうが煮えた。
(一たい誰れが命鶴なんぞを、引っ張り出したのだ?)
 将軍の寵豎ちょうじゅは、馬からおりた。
 またも市民が、歓呼の声をあげた。

 一条今出川の師直もろなおやかたでは、朝から戦勝を祝ううたげがひらかれていた。
 宏壮な宸殿しんでんには、堂上どうじょう公卿くぎょう朝臣あそんたちが招かれて、善美をつくした饗応きょうおうに、今や、うちくつろいでいた。うたがいもなく、これは前例のない催しだったろう。なぜかというと、昇殿はゆるされていてもやっと四位の一武臣にすぎない師直の招宴に、やんごとない雲上うんじょうびとが列席したのだから、けだし未曾有みぞうだ。師直の驕慢きょうまんと、押しの太さは、この一事でも充分想像そうぞうされようが、しかも師直は、会釈えしゃくと挨拶をすますがいなや、さっさと宸殿しんでんから対の屋へ引っ込んでしまった。
ねぎの枯れっ葉みるような、公家くげどもの、相手が勤まるか」
 ほんの我まゝからだった。宸殿では、窮屈きゅうくつで、酒もうまくないからだった。いかに磊落らいらく、無作法でも、衣冠束帯いかんそくたいの堂上人を前に飾っては、そうそうは行儀も乱せない。当人は平気でも、先方が困る。わざわざんでおいて、迷惑な想いをさせては、饗応の趣旨にもとる。むしろ座をはずす方が、自他ともに助かる。と、勝手な理窟りくつをつけて、東対に引き上げたのだ。そして、
「五郎、そなたはねぎの枯れっ葉の血筋だ。宸殿しんでんへ出て、わしの代理せい」
 と、云った。
 愛子、武蔵むさし五郎丸師夏もろなつは、早熟そうじゅくな顔を微笑ほゝえませて、
「畏まりました。だが父上、葱の枯れっ葉はおひどうございます」
 そばから、師夏の母二条御前が、
にものう!」
 と、みやびやかにひたいをひそめた。
(どうもひんばかりよくて、年増としまになっても肝腎かんじんな味わいが出てこぬわい)
 師直はそう思って、その物足りなさのつぐないを探すような眼つきで、下座にはべっている七八人もの側女そばめたちを、ひとわたり見廻したが、ちえっ──舌打ちして、
(咲き損ねたり、とうが立ったり──)
 どこかに、ぞっとするほどの美女はいないものか、と考えた。
 宸殿しんでんでは、上座から十人目くらいに、文章博士もんじょうはかせ、日野行氏ゆきうじがいた。
「築山は、宇都うつの峠をかたどり、泉水は難波なにわの葦を移したという、この林泉りんせんの結構さは、洛中らくちゅうでも随一でござりましょうな」
 隣席の宰相さいしょう中将ちゅうじょう忠季たゞすえが、うなずいた。
「将軍も、副将軍も、あってないような形でござりますのう」
「まことに。十万の大軍に総帥そうすいして、南方討伐とうばつの偉功をあぐれば、名はこれ無くとも、内実は立派な征夷せいい大将軍でござりますゆえ、幕府ばくふはひっきょう師直もろなお殿どのの幕府じゃわ」
くすのき左衛門督さえもんのかみの首うちとられしは──」
 と、宰相さいしょう中将は声を低めて、
「いわば女讐討めがたきうちじゃ。──再度の出馬で吉野へ攻入り、弁内侍べんのないしを、こたびこそ奪いとろうおつもりかも知れませぬぞ」
 と、さゝやいた。日野三が、
「かも知れませぬな」
 と、鸚鵡返おうむがえして、にやりとしつゝ、
鹿路平ろくろだいらで、矢板将監しょうげんが斬られたと聞きました折は、この行氏ゆきうじ、実を申せば、生きてあるそらもないかに思われましたが、さいわい格別のたたりものうて──」
 そう云いかけた時、武蔵五郎丸が父に代わって宸殿に現われた。

 樫村かしむら儀左衛門は、重ねて言い直した。
「は。正行まさつら殿どののおしるしのみならず、正時殿のお首以下四十九級、ことごとく奪われましてござります」
「馬鹿っ!」
 師直は、酒杯を叩きつけるように、高坏たかつきにおいて、
「奪われた奪われたと、ぬけぬけと、五十級の首のすべてを、な、何者にられたと申すのだ?」
 豪胆無双ごうたんむそうこう執事しつじも、あまりにも意外な報告に、愕然がくぜんとなっていらだった。
「は。宮内くない大輔たゆう直冬たゞふゆさま御家老。横溝平馬どのに──」
 儀左衛門は、とっくに観念をきめていたから、自棄やけ落着おちつきにおちついて答えた。
「なに、横溝平馬に──」
 頭脳も活溌かっぱつな師直には、たちまち事件の輪廓りんかくだけは、ほゞ推測すいそくできた。と、同時に、直冬への憤怒ふんぬが、猛然と爆発した。
「おのれ小童こわっぱ、どうするか見ろ!」
 そう叫んだが、すぐ声を、ぐいとふだん並みに落として、
「儀左。肋骨あばらは二三本足りなそうでも、平馬は武芸の達者だということだな?」
「さようでござりまする」
痴者たわけめ。無抵抗で奪わせたのかと訊いておるのじゃ」
「殿。──直冬様のうしろだて下御所しもごしょは、それがしとてあえておそれませぬ。もし、下御所の御要求ゆえその首渡せとあらば、不肖ふしょう儀左めも、刀の目釘めくぎの折れるまで──いゝえ先日の源秀げんしゅうもどきに、相手の喉に喰らいついても闘ったでござりましょうが、──殿。──大御所さまの御許おんもとから命鶴みょうずるどのが、馳せ参られましてはもはや詮なしとあきらめ、たゞ尋常に、相渡しましてござりまする」
「命鶴に刃向うは、大御所への敵対と考えてか──?」
「それがしも殿の御指令ごしれいを仰ぐだけの猶予ゆうよは乞いましたなれど、命鶴どのはいっかなゆるさず──また一つには、なまじきわどいはずみに殿のお耳にいらば、かえって将軍家との御関係において、おん為め悪しかりなんとも存じましたゆえ、かく申す儀左めが腹を一つ、切って事を済ますにしかずと──」
「待て。悪い覚悟だ。腹切ることは、無用だ。断じて、まかりならぬぞ」
 師直はまず、かたく制してから、
「首を、湊川の合戦後になろうて、河内へ送り返そうためか──直冬は?」
 と、たゞした
「いえ、洛西らくせい小倉山のふもとの、清涼寺せいりょうじに葬るためとござりました。かしこの住職、堯算ぎょうさん老師ろうしは、楠どのが幼少時代に師と頼まれた河内かわち観心寺かんしんじの、滝覚坊りゅうがくぼうと深交があったとやら──その因縁いんねんによる、と申すことで──」
 と、儀左衛門が答えた。
「さようか。だが、送ろうと葬ろうと、わしの鼻を、したゝかに明かしたことに変わりはない。儀左、そちが腹など切って見い、わしのがかさむだけじゃ」
「殿──」
「よい。案ずるなよ。──さかずきを取らそう」
「はあ」
 切腹の覚悟であっただけに、嬉し涙がこぼれた。
 師直もろなおは、空間をぎゅうっと睨んで、
「直冬め、まともからたてつくとは、身のほど忘れた夏の虫、火焔ほのおの熱さを思い知らそうぞ」
 そう云ったかとおもうと直ぐ、にっこりと無気味に相形そうぎょうをくずした。儀左衛門が、杯を返そうとした。
「樫村、近う」
「はあ」
「耳をかせ」
 師直はなにごとかを樫村儀左にさゝやいた。儀左は、がぜんと眼をまるくしながら、
「えっ? おう! は」
 驚いたりうなずいたりして、聞き終わった。
「どうじゃ?」
御妙案ごみょうあん!」
「むふゝゝゝ」
「して、時日と御手段ごしゅだんとは?」
「それはまだ、決めてはおらん。だが──うふゝゝふ!」
 物騒な、残虐性ざんぎゃくせいをおびた笑いが、濃いひげのしたの厚ぼったいくちびるから、こゝろよげに洩れるのだった。



無体むたい返報へんぽうがえし

せて来そうかっ?」
 と、さむらいが叫んだ。
 その懸念けねんを打消すように手をふりつゝ、物見ものみが馳せもどって来た。
すような、模様もようは見えぬか?」
「心配なしっ!」
 村雲むらくも反橋そりはしだもとの直冬たゞふゆていには、上杉、畠山両家の兵が集まっていた。三条坊門ぼうもんの下御所からも、武装した郎党ろうどうが来ていた。今にも戦がはじまりそうな門前の景色けしきだった。
 そんなふうに警戒を厳重にして、師直屋敷からの来襲らいしゅうにそなえさせたのは、副将軍直義だった。反師直派の巨頭きょとうである上杉重能しげよしと畠山直宗なおむねは、みずからこの館まで出かけて来るほど形勢を、よういならずと考えた。だが、事件の発頭人ほっとうにんともいうべき直冬だけは、最初から、しごく楽観気分で、一向にあわてるような様子がないばかりか、青い顔をしてわいわい騒がれてははなはだ迷惑めいわくだと感じたし、そう口に出して言いもした。直冬は、清涼寺せいりょうじへ送る首にさえ、さほどたくさんな護衛は不必要だと思った。むろん、その護衛ごえいに武装させる心組つもりなどはなかったのだが、そんなことで叔父の副将軍とあらそうにも及ぶまいと考えて、その言う通りになったまでだ。
 横溝平馬をはじめ重立おもだった家来はたいてい、清涼寺へ行ったので、丹那たんな市之進が、門前の警戒兵と屋敷の内部を連絡れんらくする役目だった。
物見ものみっ! 彼邸あっちにしても、ちいっとやそっとの兵ぐらいは、出入りしておるだろう?」
「ところが、妙でござる。変でござる。たゞ、お公家方のお供衆だけが、あそこの門から顔を出して、あんまり市巷まちの人間どもが騒ぐので、まなこをきょろきょろ、何だ、何だと、たずねておるような始末で──どうにも勝手が違い申すぞ」
「おかしいな。青侍衆が、何だ何だときくようでは──堂上方どうじょうがたはまだ彼邸あすこで召上がってると見える。はての。追手が、嵯峨野さがのへ裏門からでも押し出しはしなかったか?」
「いえいえ、どの門からも、追手らしい者はたゞの一人も──」
「出なかった、とするといさゝか拍子ひょうしぬけだ。ちえ張合いのないことだ!」
 封じに茶碗酒ちゃわんざけを、がぶがぶあおった後の市之進は、鼻息がたけしかった。
 午後になっても、物見の報告は、依然いぜん──師直屋敷に異状なし。
 殿上人でんじょうびとへの饗宴きょうえんはおわったが、邸内の酒もりは、いよいよたけなわというのであった。
 やがて、横溝平馬が清涼寺から、とゞこおりなく埋葬まいそうをすまして帰って来た。
「寺の西門せいもんから西、一町ばかりの丘の上に、正行殿のおしるしを葬り、導師はすなわち堯算ぎょうさん上人しょうにん──衆僧の読経どきょうもおごそかでござりました。正時殿のおしるしは、やゝ離れし場所に、それから和田殿以下の首級は、その丘の裾の、竹林のなかに、これまたねんごろに埋めまして、ただいま帰着──」
 と、平馬が復命した。
 それこれするうちに、暮れやすい曇り空が、ついに、ざあーっと雨をおとしながら暮れて行った。
 もはやどう考えても、今出川の高邸こうのやしきから楠の首を、取戻しに来る心配はなかったので、上杉、畠山の警戒兵は、雨にれつゝ暗い街路を、彼等の屋敷へと引き揚げた。
 重能しげよしと、直宗なおむねとは、
「いゝ気味でござる。横道おうどうものも、が出なかった。わはゝゝゝ!」
 笑いながら、反橋そりばしの直冬邸を辞した。
 その夜、愛妾あいしょう敷妙しきたえは、
「殿──。ふと思いついたまゝ申し上げたことがもとで、今日はとんだお人さわがせをいたしたような、形に相成りまして、まことに心ぐるしゅうございましたぞえ」
 と、云った。
 直冬が、かぶりをふった。
「なんの! 理由いわれもなく騒いだのだ。わしは昨夜ゆうべ、そなたに言われたので、はっと気づいた。その点、恩に着なければならんのじゃ。天下の名将、楠正成まさしげの、嫡男ちゃくなんにしてかつ南山武臣なんざんぶしんの今の棟梁とうりょうを、そのお首を、獄門ごくもんにかけては後世末代のものわらいになりはせぬかと、そなたが言うてくれなかったなら、今朝のような手順には、おそらく運べなかったであろう。われながら恥かしい話だが、師直にくしの怨念おんねんから、あぶなく倫常りんじょうの礼節を誤るところだった。それというのも去年の暮、師直が河内かわちへ出陣する折の、傍若無人ぼうじゃくぶじんいきどおるあまりに、実は昨日の凱旋がいせんなぞは、まったく他所よそごととしか思われず、なんとでも勝手にしろという気持ばかりが、先に立ったでの。──敷妙、お蔭であったぞよ」
「あれ、そのようにおっしゃっていたゞいては──」
「いや本当に、ありがたかった。父上尊氏のめお言葉を、わしは生れて初めて貰うことが出来たのだ。──人の子として、これが喜ばずにおられようか! わしは、不幸で生みの母と一緒に住むことを、さまたげられた。この直冬は、親の慈愛にえていたのだ。──敷妙。わしは、嬉しいぞ!」
「殿──。そのおよろこびはお道理でございまする!」
「だが、歓びは、それだけでない。それ、そのように美しいばかりか、さかしさは男まさりのそなたを──こうして、いとしむことが出来るという嬉しさ! この嬉しさは天地てんち陰陽いんようの理にかのうて、ほとんど何物にもかえがたいような熱烈さを持つ。のう敷妙──」
 やわらかな肩に、直冬の手がおかれた。
 のぞきこむと、うるわしい双眸そうぼうが、なみだの露でうるんでいた。
「直冬は、そなたなしには、生きてゆけぬ!」
「──まあ、勿体もったいのうございます!」
「あゝなんという可愛い声だろう! そなたを得てから、わしの人生観は変わったのだ。──敷妙! 敷妙!」
「わたくしは、幸福者しあわせものでございまする!」
 たちまちすゝり泣きが、直冬の耳へは、微妙な音楽のように聞えてきた。
「おゝ嬉し泣きに、泣いてくれるか!」
 それは陶酔とうすい声音こわねであった。
 雨の夜は、やゝけて、奥まったねやには、銀燭ぎんしょくがしずかにまたゝいた。

 敷妙しきたえが、直冬たゞふゆかいなにいだかれつゝ流したなみだは、そもいかなる泪ぞ?
 彼女は都の西郊せいこう、小倉山の時雨亭しぐれていで、くすのき虎夜叉とらやしゃ正儀まさのり密旨みっしをもたらして何ごとかをいた梶丸にむかって泣きながら答えたことには、死ぬよりもはるかにつらいとあった。兄の伽羅作きゃらさくおよび舜髄しゅんずいから、かけまくもあやにかしこき大君のおん為めに、苦肉くにくのはかりごとをめぐらす虎夜叉の殿のお言いつけにそむく気か、となじられもしたし、また、忍びかねるでもあろうが忍んでくれ、と諄々じゅん/\、説きすかされもした彼女だった。自分はしあわせものだと直冬に云った言葉が、うたがいもなく真っ赤ないつわりなら、流した泪はたゞたぶらかしの空涙そらなみだであったろうか?
 敷妙は、もちろん、たばかるために直冬たゞふゆに身をまかせている女だった。虎夜叉の密計に参画さんかくしたごく少数な人間のひとりなのだ。虎夜叉は、彼女の美貌びぼうと才智とを利用して、かねての計画をいまや実行にうつそうとしているのであったし、敷妙もまた、心もからだも棒げきった虎夜叉のためならば、たといどんなことであろうといとわない──かならず仕遂げよう、と覚悟をきめたその決心のかたさには、たしかに婦女の感情を超越ちょうえつしたものがあった。けれども、木石ぼくせきでない彼女にとっては、それが死ぬるよりも辛いことであるかぎり、やはり悲しまずにはいられなかった。
 泪は、悲しみにえかねた涙──彼女自身の痛ましさをなげく涙であった。
 だが、敷妙としては不覚ふかくの泪に、かえって彼女の予期よきしなかった効果がともなった。と、いうのは、この夜くらい彼女をいとしいと感じたことは、これまでの直冬の愛の経験けいけんにかつて一度もなかったからだ。直冬の、彼女への愛情は、いわば沸騰点ふっとうてんに達した。熱愛はまさしく煮えたち、たぎったのである。
 その翌くる日──
 きのうの雲は、夜の間に、空から綺麗きれいにぬぐわれて、うらゝかな陽が、紺碧こんぺきに春めかしい柔か味をそえさせて輝く晴れやかさは、一昨日おとついにもまさる日和ひよりだった。
「お帰館かえりの時刻は──?」
 と、たずねる敷妙へ、直冬は、
「たぶん夕景ゆうけいに相成ろう」
 そう答えると、
「あの──わたくしは、今日もう一日、お暇をいたゞいて、兄たちと一緒に出かけたいと存じまするが──」
 やゝ言いにくそうに云うので、直冬は微笑した。
「幾日でも出かけるがいい。きょうはどの方面の見物けんぶつかの? 八瀬やせ大原おはらから寂光院じゃくこういん──鞍馬山くらまやまへでも登るか。それとも叡山えいざんか?」
「見残してまいりました天竜寺から、高雄たかお栂尾とがのおをまわりまして、帰りがけに上賀茂かみかもやしろへお詣りいたしたいなどと、さかいの兄は申しておりまする」
「あゝさようか。そんなら叡山えいざんの方面は、明日がよかろう。唐土屋もろこしやも、こんどはゆっくりと逗留とうりゅうして、存分にてゆくことじゃ。伏見稲荷ふしみいなり醍醐だいごの三宝院、宇治の平等院びょうどういんというように、廻ればずいぶんと名所も多いぞよ。すこしも遠慮えんりょはいらぬからと、そなたからそう申せ」
「お有難うございまする」
 敷妙は、三条坊門ぼうもんの副将軍邸へゆく直冬を送りだすと、すぐ供仕度ともじたくをさせた。
 前々日、仁和寺にんなじ、妙心寺、つれづれ草のならびの岡から、大覚寺だいがくじ、清涼寺、二尊院そんいん、小倉山とまわった時とまったく同様な一行の顔ぶれだった。敷妙は、肩輿かたごしに乗った。艫太郎ともたろうの梶丸をつれたていの伽羅作と、舜髄とは、輿こしのまえに立った。老女の枳殻からたちと、千鳥、早苗さなえなどの腰元どもが輿側こしわきを歩いた。
 附近の市民が、目ざとく見つけて、
「あれあれ、反橋そりばし屋形やかたのお側室そばめが、また今日も何処ぞへお出かけじゃ」
「ほんまにな。えろうお器量きりょうよしだという評判だが、わしはついぞまだ、その美しいお顔を見たことがない。あのみすをあげんかいの」
「わしも見たことはないけれど、弁財天べんざいてんか、吉祥天女きっしょうてんにょの、生まれ変わりみたいだというぞ」
「なんでも、噂によると、直冬さまが野方図のほうずもないお逆上のぼせようで、朝昼晩のけじめなしに、のべったらにお傍へくっつけてお置きになるから、なんぼなんでも、あれではどうも見てはおれぬほどだし、はたの迷惑はともかくも、御本人様のお為めにもおからだにも、よくはあるまいということだが、寿命なんぞは縮まっても大事ない、かまわんと、そうおっしゃるので手のつけようがない」
「見てきたようなことを云うの」
「本当のことだもの、気がもめるではないか」
「ぷ。よけいな苦労だ。此方こちとらの知ったことかい!」
 などと、話し合う者もあった。
 輿は、一条通りの街路を、西へ進んで行った。
 ちょうどその時、どこの郎従ろうじゅうか三人ほど、なにか至急な用でもあるのだろう、後方から駆けてきて、輿こしのわきを走りすぎた。そして今出川の方へ疾走しっそうして行ったが、やがて高師直邸の表の唐門前からもんまえまで達しると、いっさんにその門内へと駆け込むのだった。
 と、門内の広場に、牀几しょうぎをすえて掛けていた樫村かしむら儀左衛門が、
「やあ──どんな動静ようすじゃ」
 そうよばわると、いま馳せ戻った郎従の一人が、
「は。あんまりなあつらえむきで、ちと気味が悪いほどの気味合いでござりますぞ」
 と、答えた。
「なに、気味が悪いほどの気味だと?」
「は。目ざすたえじるしが、むこうから出かけて参りました」
「え?」
 思わず叫んで、儀左衛門は突っ立って、
「そ、それはまことか?」
正真正銘しょうじんしょうめい、もうすぐそこを通りまする」
「ほう、そりゃ又なんという思うつぼだ! 天の助けかな。だが──なにかの間違いではないか? 人違いではないか」
「どう仕りまして」
「たしかか?」
まがいなし」
「うますぎて、眉唾まゆつばだぞよ」
「樫村どの。それほどお疑りなら、御自分で街路とおりへ出て御覧なされ──論より証拠しょうこじゃ!」
「これこれふくれっつらはよせ。むこうの屋敷へ乱入ということにでもなって見い、五人十人の斬り死ぐらいですむものか。命冥加いのちみょうがと考えたら、念を入れても損は立つまい」
「儀左衛門どの、もう参りまするぞ!」
「一体どこへ行くのだ?」
「どこへ行こうと、そんな事よりか、供は小人数でござる。さあ、お支度なされませ」
合点がってんだ。──それ、者ども!」
 樫村儀左衛門は、広場にたむろしていた三四十名の郎従ろうじゅうへ、声をかけた。

 郎従はみんな武装ぶそうしていた。
 儀左衛門みずからも、小具足こぐそくけていた。ふだん着は、偵察から戻った三名だけだ。
「はい、坊主と町人で。輿舁こしかきのほかは女ばかりでござります」
「なかなかひまどるの」
「もう見える時分で──」
「いずれへか曲りはせぬか? 見て参れ」
 物見の三名が、唐門からもんの口ヘ走り出た。
「どうじゃ、参るか?」
「お築地ついじのはずれで、どう致したことやら、とまっておりまする」
「なに、とまっておる? おかしいな」
 儀左衛門と、さむらいが二人、門口へ出て行った。
 師直もろなおてい築地ついじわきまで来たとき、だしぬけに輿こしのなかから、悲鳴に似た叫びごえがきこえたので、輿舁こしかきの若党らは驚ろいて足をとめたし、老女の枳殻からたちは、顔いろをかえて、みすへ走りよったし、伽羅作きゃらさくも舜髄も艫太郎も、愕然がくぜんとなったさまで、輿へくびすを返しつゝ、敷妙の名を呼んだ。けれども答えはたゞ、くるしそうなうめきの声のみだった。
 老女は、みすから首を突っ込んで、
「もし、どうなされました、もし……」
 と、たずねたが、
「苦しい……た、た、た、あゝ痛い:…」
 鳩落みぞおちをおさえてもがきあえいでいる敷妙の顔は、まるで蒼い顔料がんりょうで染めたかのようにさおであった。そのものすごい青さに、老女枳殻からたちの心は顛倒てんとうした。おしつぶった眼尻まなじりが、きりきりっと釣りあがり、口が、への字にゆがみ、朱唇しゅしんがぶるぶる痙攣けいれんして、歯がみの音がきしるのだった。枳殻は、わなゝく声で、
「も、も、もろころし屋どの……舜髄しゅんずいどのっ!」
 と、わめいた。伽羅作が、
「敷妙、敷妙どのっ!」
 老女を押し退けるようにして、内部をのぞくと、
「薬……薬……」
「おゝ、どこぞ……痛みは、痛みは?」
「こゝ……こゝ……」
 敷妙は、さながら二つのこぶしでえぐるように、胃ののあたりと、下腹をしていた。
 伽羅作の肩ごしに顔をさし出した舜髄が、
「なにかの中毒ではござらぬか? それともしゃくかな?」
 と、云ったとき、ふたゝび烈しい呻吟しんぎん痙攣けいれんとが起った。そして急病人は、しきりに薬、薬、と呼びつゞけた。
「困ったのう!」
「困りましたなあ! 薬というても──」
「日ごろはしごくお達者ゆえ、御持薬ごじやくなどの用意はなし──」
 と、いう老女へ、舜髄が、
生憎あいにくと、この近くにお医者の家はなし。お屋敷へ人を走らしても、ひまどるし──これはまた何という悪い場所じゃ、高殿館こうどのやかたの側でござるわい!」
「でもこうなってはぎらいや、ごのみなど出来ませぬ。どれ、わたくしが一走り……」
 こうであろうが、鬼であろうが、かまうものか! 医者と薬! 薬と医者!
 そう思いつゝ駆けだす枳殻からたちのあとから、伽羅作きゃらさく艫太郎ともたろうがつゞいて、師直邸の表門めがけて走って行った。
「ほい。どこまで都合つごうよく出来ておるのだ!」
 そう呟やいたのは、唐門からもんの下で、ようすを眺めていた樫村儀左衛門だった。

「もし、おたすけ下さいませ。急病人きゅうびょうにんでございまする」
 枳殻が、あえぎながら叫ぶと、
「癪の発作ほっさやら、食べ中毒あたりやら、お築地ついじぎわでにわかの発病──まことに難渋なんじゅういたしまする。恐縮ながらお屋敷の、御典薬ごてんやくさまに、お薬の御調合ねがわれますれば、この上もない仕合わせにござりまするが──」
 と、伽羅作きゃらさくが云った。
「それはそれは。いずくのお方かは存ぜぬが、さぞお困りであろう。路ばたでは、お医者の手当てあてもとゞくまい。見らるゝとおり広やかなる当屋敷のことゆえ、いざ御遠慮のう──輿こしを早く、手おくれに相成らぬよう、いそいで舁き込まれよ」
「まあ御親切さまに!」
 老女は、儀左衛門へ会釈えしゃくした。
「では、伽羅作どの」
 唐土屋はうなずいて、
「艫太郎。お輿こしをこれへ」
 と、云った。
 艫太郎はすぐ輿こしの方へ走った。
 輿が、門内へきこまれた。
「遠慮は御無用」
 急病人は、輿のまゝ遠侍とおざむらいへ運ばれた。附添って入ったのは、老女と唐土屋もろこしや主従だけで、ほかはみな、広い上框あがりがまちの下の土間で待たされた。しばらくたつと、伽羅作と艫太郎とがなかから戻ってきた。
「いかゞ?」
 訊いたのは、舜髄だった。
仰々ぎょう/\しいほど御丁寧じゃ」
 そう伽羅作が答えると、
「いや、御容態ごようたいが気にかゝる」
「御容態か。ずいぶん、重いということだぞ。そしてどうやら此方こちらの御身分が知れておるらしいぞよ」
「お顔見知りの者が、ござったという訳かの?」
「いずれその辺じゃろう」
 艫太郎が、わきから、
「枳殻どのさえ、お傍へは行けないほどに奥まったお部屋での、御療治ごりょうじらしうござります」
 と、いった。その眼が舜髄の眼とあって、うなずきかわした。
 やがて邸内が、だんだんにざわめきだして、廊下には走りつゝ行き来る足音がやかましく、庭や空地あきちへ、なにか運ぶような気配けわいがしたり、せわしげによばわりあう声がきこえたりした。
 伽羅作は、艫太郎の耳へ、
「何事でござろう?」
 と、さゝやいた。ちょうどそのとき、邸の正面広場で、
 ぼうーっ。
 法螺貝ほらがいがひゞいた。
「出陣──」
 と、艫太郎がさゝやきかえした。
「はて──?」
 伽羅作のひとみが、疑問を投げると、
「いや──」
 艫太郎の瞳は、その疑問をうち消して、当然の出陣であろうことを暗示あんじした。法螺貝ほらがいは三度鳴った。舜髄が、
「艫太郎。──!」
 と、呼んだ。
「河内へ、再度の御出馬では、ござりませぬかな」
 と、艫太郎は、物ごとがごく順調な、満足まんぞくすべき状態で進行していることを、告げるような表情で答えた。でも舜髄は、まだまだ安堵あんどするには早すぎる、といったような面持おももちで、首をかしげながら、
「それで──な──それならばよいがのう」
 そう呟いたとき、老女の枳殻からたちが、廊下から遠侍へ戻ってきた。青い顔で、
唐土屋もろこしやどの」
 不安そうな声であった。
「どうした訳やら、おそばへ通してくれませぬぞや。しいて頼めば、剣もほろゝの挨拶あいさつじゃ」

 夜がふけてゆくにつれて、直冬たゞふゆの心のいらだちはつのるばかり──。
「平馬っ、まだか市之進は?」
「は。まだ戻りませぬ」
「どこを探しておるのだ?」
「は。たゞ北の郊外こうがいとばかり──無我夢中で駆け巡っておることゝ思われまする」
「西の方へも、もう一度、人をやってくれ」
「参っておりまする」
 日が暮れても、敷妙が戻らなかったのだ。遊山ゆさんの一行が、だれ一人、帰って来なかったのだ。市之進ほか騎馬きばが数名、郎従が十五六人で天竜寺から高雄たかお栂尾とがのお、上賀茂の方面をあちらこちら探してはみたものゝ、行方ゆくえ皆目かいもくわからなかった。それらしい一行の姿を、眼にとめた者さえが、いなかった。市之進は、そこで捜索そうさく洛北らくほくへむけた、ということだけが判っているのみだった。西の郊外でなければ北の郊外かとも思われたが、大原おはら寂光院じゃくこういんあたりに夜更けまでうろついておる筈がないと、そう考えて来れば、安からぬ心の陰影かげは、だんだんと色が濃くなり増さるだけであった。
「平馬──」
「殿──」
「たゞごとではないの」
「たゞごとではござりませぬな」
 家臣郎従は、捜査そうさのためにほとんど出はらったので、屋形やかたうちはひっそりしていた、その静けさがなんとなく颶風あらし予兆よちょうをはらむ不穏ふおん寂莫せきばくのようにも感じられた。たゞごとでないことだけは明らかでも、さてどうしたのかさっぱり見当けんとうがつかなかった。明敏な直冬ではあるが、いとしくて堪らぬ敷妙の失踪しっそうだけに、気持の惑乱わくらんが冷静な考えかたを、ひどくさまたげるのだった。とてもじっとしてはいられなかったから、屋形中を歩き廻った。そして僅かばかり居残った人たちへ、いつになく自制じせいの失われた音声でどなった、かと思うと、一つところに放心ほうしんしたようにたゝずんだりした。時間はずんずん経過して、やがて夜半も丑三うしみつへかゝった。方々を探しあぐんだ家来たちが、ぼつぼつ帰って来た。いちばん望みをつないでいた市之進もむなしく戻った。で、もはや、明朝をまって探しなおす外なかった。誰れも彼れもかぶりをひねるきりで、摩訶不思議まかふしぎな神かくしに逢ったようなものだ、などと、云うぐらいが関の山だった。
「皆が、御苦労であったぞ。とにかく、一睡ひとねむりいたせ」
 直冬は、それでも家来をいたわる言葉は忘れなかった。
 自分も、気を落ちつけて、夜の明けるまではやすもうと思った。けれども、睡れるどころか物の一刻も臥褥ふしどにはおれなかった。
空閨くうけい!)
 敷妙なきねやは、たえがたかったのである。
 初めて彼女を愛した一昨年おととしの秋このかた、たゞの一夜といえども孤独こどくでは過さなかった直冬であった。むろん、かりそめの不在なら、淋しくて物足りない程度にすぎまいが、これは一体なんとした事か? そう考えると、いたゝまれなかったのだ。
(師直!)
 居間のしとねにすわったとき、直冬がそう心のなかで叫んだのは、ふとある考えがひらめいたからだった。それは、丹那たんな市之進が去年の夏ごろ、横溝平馬に告げた話からの連想れんそうであった。
莫迦ばかな!」
 舌打ちをして呟きながらも、いまのおかしな連想を、吟味ぎんみしてみずにはいられなかった。
 市之進の話というのは──「いわゆる狒々館ひゝやかたの白羽の矢番やつがいが、こんどはこのお屋敷の、敷妙さまへ向けられている」と、平馬に語ったことだ。市之進の乳兄妹ちきょうだいが、如月きさらぎという名で、師直邸に住み込んでまわし者の役目をつとめているために知れた情報だった。吉野の弁内侍べんのないしをうばい損ねた業腹ごうはらいせを、とんでもない場所へ持ちこむのだと、そう市之進が告げたのは、ちょうど六本杉の怪異かいいのあった日だったので、平馬もよほどあとになってやっと想い出したくらい気にも留めていなかったのであるが、ある時、なにかのついでに直冬の耳に入れた。──それが今、ゆくりなくいやな連想を産むことになったわけだ。しかし、考えてみると、いかに狂暴きょうぼうな師直でも、まさか敷妙を強奪ごうだつも出来まいに! と、直冬は、自分のあられもない想像の痴愚ちぐあざもうとした。
「馬鹿っ!」
 ふたゝび自嘲じちょうの呟きが洩れたのである。

(おれは今日きょう──いや、もう昨日きのうだ──午後、三条坊門の叔父のやかたで師直が、河内かわちの戦線へ再出馬したことを聞いた。麾下きかの兵に出陣をうながす法螺ほらの音も、かすかに聞えたし、今出川を発したその行軍の模様もようは、叔父の家来や上杉の郎党がみてもどったのだ。南伐なんばつ八万の軍を統帥とうすいするために京をった師直と、敷妙の行方ゆくえとを、結びつけることは、なんとしても不合理だ。敷妙の輿こしは朝のうちに洛内を西へはなれた。師直とその麾下きかは、ひるすぎてから南へ下った。だから途上で相会うことさえがあり得ない)
 直冬たゞふゆはそんなふうに考えた。
 だが、また師直が戦地へ、女を輿こしにのせてつれて行ったという、下御所しもごしょの一家臣のはなしが意識いしきおもてにぽつりとうかびでた。
「ちえゝ!」
 はらいのけようとしたが、あべこべに執拗しつこからみついてくる。
(もしその輿の女が、敷妙なら──? その女が敷妙であるためには──?)
 彼女が奪われたとしたなら、唐土屋もろこしや舜髄しゅんずいとはどうなったであろう? 侍女こしもとどもは?
 直冬は、師直の屋敷に如月きさらぎのいることを思った。もし異変が起ったとすれば、市之進へなんらかのしらせがあるはずだった。すると悲観の材料も、かなり薄弱はくじゃくではあった。しかし敷妙の失踪しっそうは厳然たる事実だった。
 悶々もん/\と、直冬は夜をあかした。そして今日は捜索隊そうさくたいを、叡山えいざん方面と、伏見、宇治の方面へ出すことにした。家人が大かた出かけてしまった後は、昨夜同様、邸内は森閑しんかんとわびしく憂色ゆうしょくにつゝまれた。念のために洛中へも人を出したが、戻ってきて、敷妙一行が一条の街路とおりを西へ行くのを眺めた市民はいくらもあるけれど、今出川からさきの街々まち/\には、そうした目撃者もくげきしゃは一人もない。ということを報告した。で、この報告を根拠にして考えると、一行はちょうど今出川の高邸こおのやしきの築地がつゞいている範囲で失踪しっそうしたことになる。もし今日も洛外で行方ゆくえがしれぬなら、どうあっても疑いを高邸にかけなければならない。と、平馬が結論したのは、もはや正午に近いころだった。その推理すいりを、直冬も正しいとは思ったが、
「わしは、そうは、考えたくないでの」
 と、云った。
「ほかに、考え方がござりましょうか?」
 と、平馬が詰問きつもんした。
「そう云われると──無いには無いけれど」
横道乱倫おうどうらんりんの返報がえし、とそう見なければなりませぬぞ」
「楠どのゝ首級くびの意趣返しか?」
「さよう──そのこと!」
 と、平馬が答えて、直冬が、
「だが、のう──」
 云いかけた時、がぜん色めく騒音そうおんが、侍溜りの方からきこえた。
「や!」
「お、あの物音は!」
 平馬はたちまち廊へ走り出た。
 と、遠侍とおざむらいから近習きんじゅがひとり、土気色つちけいろに顔色をかえて駆けこんで来た。
「大変でござる! 大変でござる!」
「おゝ敷妙どのが? 敷妙どのが?」
師直もろなおに──師直に──」
 と、近習はあえぎ入った。

 わあーっ、と枳殻からたちは泣きふした。
 舜髄も、こぼるゝなみだをおさえて、
沙門しゃもんの身ながら、無念むねんに堪えかねまする」
 というと、伽羅作は、
「お申訳けもなき次第にて、生きてお目にかゝれぬと存じながらも、まず一通り言上いたして後に御成敗をこうむるなり、腹を裂くなり……」
 声もわなわなと云い続けようとするのを、
「これ、唐土屋もろこしや! そちに何のとがあろうぞ、成敗とか切腹とか滅相めっそうもないことを、申すでない」
 直冬は、そうさえぎってから、しばらく悲痛な沈黙におちた。平馬が、
禍津日まがつびにおいなのだ!」
 と、太息といきをついたが、すぐにまたも、ぎりぎりと歯ぎしりしつゝ、南の方のちゅうをにらんで、
「えゝっ堪忍かんにんならぬ、ならん! おのれ師直っ!」
 と、たけりたった。
「平馬、落着け。──いちはやくこうがしわざと目星めぼしをつけたのはそなたではないか」
 直冬の白皙はくせきなこめかみには、静脈じょうみゃくが青くふくれて見えたが、すでに心馬しんば手綱たづなはがっちりと引きしぼられて、憤怒いかりのためにあわや狂わしくはやろうとした感情は、かたくおさえつけられていた。
「この伽羅作めの軽卒けいそつから、場所もあろうに師直屋敷へ、医者よ、薬──ととびこんだのが、なによりも悪うござりました」
「いえいえそれこそこの枳殻からたち落度おちどでございまする。高であろうと、鬼であろうと、ぎらいやりごのみなどする場合でないと、わたくしが申したのでございまする。決して決して唐土屋どのがお悪いのではございませぬ」
「いやいや、あと先の思慮かんがえをなくしました手前の落度でござりまする」
「いえいえ」
「いやいや」
「これこれ、悪いのは、凶事きょうじ魔神まがみのいたずらだ。こつねんと、敷妙に、しゃくを病ませた偶然ぐうぜんにこそとがはあろうが、そなた等に落度はないぞ」
 直冬は、たがいに責めをおうとする唐土屋と枳殻からたちへ、そう云って寂しく微笑した。そのほのえみをみとめて、平馬はやゝほっとした。だが直冬の頬をはった微笑は、単純なほゝえみではなかった。あきらめたのではなかったし、みずからあざけりあわれんだのでもなかった。むろん愛憎を客観かっかんした悟入さとりでもなかった。またもちろん、師直への恐怖からむしろ自分の破滅をまぬかれ得た僥倖ぎょうこうをよろこぶ微笑でもなかった。だが然し、いくぶんずつは、そのいずれでもあるような微笑ほゝえみだった。
 それはいわば、直冬の、複雑ふくざつな性格の表現ひょうげんだったのである。
「のう枳殻。師直のたくらみを、如月きさらぎがそなたへ告げずに、すぐ市之進まで報らせてくれさえしたら、どうにかすべもあったかも知れぬが、そなたへの密告を気取けどられて監禁かんきんされたことも、分別ふんべつが足りなかったというより、やはり偶然のとがじゃ」
 直冬はそう云った。
 そして、伽羅作、舜髄、枳殻の三人から聞いたことを綜合そうごうして、昨日からの災難さいなんの内容を、しずかに頭のなかでまとめてみるのだった。
 まず──
(首の意恨いこんをはらすために、敷妙を奪おうともくろんだやさきに、敷妙の外出が知れた。そして急病という偶然ぐうぜんが、師直の味方をした)
 と。──それから、
療治りょうじにかこつけて敷妙を、供から引き離した時は、すでに出陣の命令が師直から出ていた。恐らくしゃくは間もなくなおったであろうが、師直は、目的もくてきを果したからには一刻も早く京都を去るのが悧巧りこうだと感じた。そこで法螺貝ほらがいを鳴らして再度の出馬の麾下はたもとの兵を集めた)
 と。──又さらに、
(出陣にのぞんで、敷妙の自由をなんらかの手段で──縛って、含ませた綿に猿轡さるぐつわか、あるいはしびれぐすりを使ったかもしれぬが──うまく拘束こうそくして、輿にのせ、行軍の伍列ごれつに加えて運んで行った。のこされた伽羅作、艫太郎、舜髄、枳殻以下の女どもゝぜんぶ厳重に監禁かんきんされて、今出川の屋敷で一夜を過ごさねばならなかったのだ)

 その夜、伽羅作きゃらさくは、
やかたさま。──敷妙しきたえどのは、もう生きてはおらぬであろうと思われまするが──」
 と、云った。
 直冬のおもざしが啾々しゅう/\と曇った。
 あかるい灯かげで、じいっとその顔をながめたのは、伽羅作のうしろ下座しもざにすわっている艫太郎ともたろうだった。
 艫太郎──すなわち梶丸かじまるにとっては、直冬の現在いまの心持ちを正確に読みとらなくてはならぬという大切な任務が、まだ一つ残っていた。正行の首級くびを師直から直冬に奪わせ、その代わりに愛妾敷妙を直冬から師直に奪わせるという大仕事を、じつにすばらしくみごとに成しとげたのであったが、しかしこゝで直冬の心のなかをたしかめそこねては、せっかくほとけつくって眼を入れぬようなことになる。
「うむ、死んでみさおを守ってくれたかも知れぬ。だが──悲しさにえ、苦しみを忍んで、この直冬の奪いかえしの手がとゞくのを、待っていてくれるかも知れぬ。わしは、どうぞそうあってほしいと念じておる。いや、そうあるだろうとわしは、望みをつないでいる。いやいや、きっとそうするにちがいないと、わしは信じたい」
 直冬は、きょう午後、監禁かんきんから釈放しゃくほうされて戻った人たちを、いたわりねぎらう言葉を残して、叔父直義たゞよしを訪ねた。いうまでもなく師直の暴行を告げに行ったのだ。けれども智慧を叔父から借りるつもりはなかった。自分のとるべき態度と手段とは、すでに心に決めておいて下御所しもごしょをおとずれたのであった。叔父直義は愕然がくぜんとして、すぐさま上杉や畠山などの大名たちを召集したが、対策たいさくについては意見がまちまちで、評議ひょうぎは夜まで長びいた。しかし結局一致したのは、師直へのはげしい憤激ふんげきだけだった。直冬は、とにかく敷妙の安否あんぴがわかってからだと、そう思って三条坊門ぼうもんの叔父の屋形から帰ると、伽羅作らを自分の居間へ呼び入れて、ものさと、うら悲しい寂しさとを、いくらかでもまぎらかすための酒の相手をさせているのだった。
「のう伽羅作。──舜髄。わしの口から言ってはちと気がさすけれど、彼女あれの愛情の濃まやかさは、言葉では尽くせぬでの──わしに捧げてくれる真情まごころの熱烈さは、どんなものをもかすだろう。と同時に又、わしからいかに可愛く想われておるかを知りつくしている彼女あれのことだから、決して軽卒に自分の身を殺すようなはやまり方は、せぬぞよ。美しい点ですぐれてると同じほどにも聡明な彼女あれの頭で、貞操みさおにだけ殉じて死ぬるのと、たとい汚された肉体でも惜しみ長らえるのと、どちらがこの直冬をよろこばせるか、それを考えあやまるとは思えぬ」
 聴いていた艫太郎は、内心ひそかに、ほくそ笑った。伽羅作は弟の舜髄とあわせた視線しせんを、すぐ直冬へうつして、
「では、もし敷妙どのゝ一命に、つゝがござりませねば、やかたさまには──?」
 そう云ったとき、舜髄も、
「お情け恋いしいの一念から、自害もせずに長らえますならば──?」
 どうするか? いかなる手段でり返すか? 言葉には出さぬが、二人は眼でたずねた。



穴生あのう御動座ごどうざ

「あれ勿体もったいもないではございませぬか。やんごとない玉葉ぎょくようのおん身で──あれあれ寮の御馬みうまに召させられましたぞえ」
 と、勾当内侍こうとうのないしが云った。
 畏くも、主上しゅじょうには、もはや宸殿しんでん御苑ぎょえんのそとへ渡御とぎょあそばすのである。
「そんなら勾当内侍さま──」
 と、弁内侍べんのないしが促した。
 内侍司ないしのつかさ──すなわち温明殿うんめいでんの女官のうちで顔を泣きぬらしていないのは、たゞひとり弁内侍ばかりだった。この※(「クサカンムリ/(月+曷)」)じょうろうの涙は、すでにれ、つきていた。わいて流るべき泪の泉のみなもとは、去年の夏のはじめ、楠正行への切なる恋に破れたときに、あまりにもおびたゞしくしぼられたうえに、この正月は新春の松の内もすぎぬのに四条畷じょうなわての、悲しい敗戦を聞いたために、すっかりとらびかわいてしまったのであった。優婉無双ゆうえんむそうとうたわれた花のかんばせも、いたましくやつれさびて、いわば生けるしかばねにも似た弁内侍は、
「それ、掌侍しょうじがた! 早う!」
 と、声をかけた。
 二人の掌侍は、泪をぬぐうて、左右から勾当こうとうの内侍をたすけるようにして階段きざはしをおりた。
 中門垣ちゅうもんがきの方で、誰れかゞ、
「弁内侍どの!」
 と、よばわるのが聞えた。
 内侍は、それにこたえるかわりに、
御鏡みかゞみは、主上おかみ渡御とぎょにおくれては相成りませぬぞ」
 自分の上司うわつかさである勾当内侍へ、うしろから注意こゝろづけの言葉をおくった。
 三種の神器の随一、八咫やたの神鏡を安置する賢所かしこどころの第一※(「クサカンムリ/(月+曷)」)ろうが、勾当内侍と呼ばれ、そしてその第二※(「クサカンムリ/(月+曷)」)が、弁内侍と呼ばれるのであった。──賢所づきの郎吏ろうりたちが、扈従こじゅうした。温明殿の上童かんわらんべ稚児ちごがつゞいた。
 まことに恐懼にたえぬ御動座ごどうざにちがいなかった。──行方は重なる山々の雲をわけなくてはならなかった。とても鳳輦ほうれんの通うべくもない崖をよじ、谷をくだらなければならぬ峻険しゅんけん羊腸ようちょう、つゞら折りの悪路、難行だったのである。──冷泉右府れいぜいうふが、
「あゝ、今となっては愚痴ぐちのようではござりますが、この吉野からは落ちとうなかった!」
 と、うれわしげに吐息といきした。
 おなじい想いの花山院内府かざんいんないふだった。
穴生あのうには、起き臥しのかのうみかゞ、はたしてござりましょうか、のう?」
 洞院左兵衛督とういんさひょうえのかみが、
「十五年の昔、金剛山こんごうせんに楠正成、籠城ろうじょうつかまつった折に、大塔宮護良だいたうのみやもりなが親王みこは、かしこの※(「砥-石」)川入道あとがわにゅうどうの城に御座ぎょざござりまして、幕府これを知れども、攻むるに術がなかったと申しまするゆえ──」
 と、まだ云いおわらぬうちに、
笑止しょうし洞院とういんの卿!」
 さも不興らしいかおつきで、たしなめたのは二条左府さふで、
「虎夜叉正儀の口吻こうふん、そのまゝの受売りは聞きぐるしうござるぞ」
 そういわれると、洞院卿はあわてた態で、
「なかなかさようの儀では、毛頭もうとう──口真似などとは思いもよらず。身どもの申すは、かしこ穴生あのうの地は、それほどの天険には相違なくとも、城はかならずやびょうたる小城にすぎまいという意味にござりまする。ほかに仏閣、神社のきこえし堂宇どううの存するではなし──まことまこと心細い限りなればこそ、先日も言葉つくして北畠の准后じゅんこうへ、このたびの御遷幸ごせんこうの非を鳴らしましたる次第は、左府公にも聞し召されたではござりませぬか」
 と、弁疏べんそにつとめた。
 僻南へきなんの山間とはいっても吉野は、すでに住みなれた行在所あんざいしょだった。蔵王堂ざおうどう如意輪寺にょいりんじ、それは修験道の巨刹きょさつだった。公卿の屋形に朝臣あそんの屋敷がつゞきあったし、諸寮のつかさや八省のすけたちのすまいには、従官の家家が連接したし、女院、女御にょうご、内親王、宮々の御所などが、皇居をめぐっていらかをならべ、垣をつらね、築地ついじをとゝのえた。いうまでもなくすべての規模きぼは、しごくさゝやかではあったけれど、それでもいくぶんかはかりそめながらも都らしい景色を、そなえかけていたのだ。
 ところが今や、そうした吉野を見すてゝ、さらに遙か山ぶかい、どんなにかいであろう穴生あのうをさして、あやうい路の岩根をあるき、おそろしい渓川たにがわの瀬をわたらなければならぬと思うと、供奉ぐぶの人々は、心弱い※(「クサカンムリ/(月+曷)」)じょうろうや婦女ならずとも、袖が涙でしめるのであった。

 金峯きんぶの中腹までは輦輿れんよも登れるであろうが、それからむこうは馬にからくも頼れるのみだし、その先となれば所詮しょせん徒歩かちよりほかないということなので、月卿雲客げっけいうんかくはいずれも乗りなれない馬で、行けるところまで行くこと以外に供奉ぐぶの様式はなかった。
 洞院左兵衛督とういんさひょうえのかみの兄、左大将実世さねよが、
「せめて、このくらいの路がつゞきまするなら、のう」
 と、右大将教忠のりたゞをかえりみた。
 教忠は、二条左府の令弟だった。
 吉野公卿の錚々そう/\──この左右両大将も、いまは悄然しょうぜんと意気なえつゝ、主上と神器のおん鹵簿ろぼのうしろについて進むのだった。
金峯きんぶの向うがわは、名にしおう大天井おおてんじょうたけの深い峡谷きょうこくてんノ川の断崖絶壁は、さぞかし身の毛がよだつようでござりましょうぞ」
「まったく、至尊しそんの渡御あらせらるべき場所ではござりませぬ。女院、女御におかせられても、いかばかり御心みこゝろいたむであろう。恐れおゝい極みでござりまする」
「たゞいまの、勝手神かってのかみの神前での御製を、承わらば、わがみ独善主義の北畠准后とて、恐懼きょうくして、慙愧ざんきの汗にそびらをひたすことでござりましょうに」
 左大将は、准后親房卿への反感はんかんを、ぶちまけるように云った。
  たのむかひなきにつけても誓ひてし勝手の神の名こそをしけれ
 それは、行宮あんぐうを捨てさせ給うた至尊しそんが、勝手宮祠かってぐうじの神前をよぎらせられた時の御製ぎょせいであった。
 勝手神かってのかみは、吉野山八神の一はしらで、劫初ごうしょ、天孫降臨の直後、うしろ見のためにくだった鬘受命かずらうけのみことを、祭神としていたのだ。
「神も仏も、あって甲斐かいない憂き世でござりますのう。末法まっぽう濁世じょくせじゃ!」
 と、左大将実世卿がつぶやいた。
 教忠右大将も、憮然ぶぜんとして、
宸殿しんでんの柱や、廊の鏡板かゞみいたに、やっとのことで光沢つやが出かゝり、林泉、池亭ちていの姿にも、せっかく趣きが添いかかりましたのに、それを見すてゝてんノ川の奥へのがるるとは、いぶせき限りではござりませぬか。──師直よしや寄するとも、宮闕きゅうけつおかすという大不敬は、まさか働きも仕るまいに──准后のこけおどしにかゝって到頭、このていたらく! あゝ味気あじきなし、味気なし!」
 そう、歎じわびると、
「右大将──。准后は、たくみに女院の御心みこゝろをとらえ参らせた。国母こくもの院があのように御意ぎょいあっては、ひっきょう諦めるよりみちはなかった」
「准后の師直恐怖病きょうふびょうは、あれはきつい悪熱おねつで、あまつさえ悪性あくしょうの感染力もござりましたか、ついには諸卿の大半、朝臣郎吏あそんろうりの大部分が、由来公家くげと申すものは武臣の戦争の埒外らちがいに、たかく超越すべき筈をわすれて、今にも我々のすべてがとらわれてうち首か、かるくも遠島えんとうの憂き目みるかのようにおびえたのでござりまする」
教忠のりたゞの卿」
 と、ふたゝび実世さねよ左大将は呼びかけて、やゝおくれた馬を近寄らせながら、
「しかしこうした吉野落ちは、遠島とさまで違いはいたしませぬぞ。穴生あのうへたどりつきまして、黒木の御所をしつらうとも、いわゆる茅茨ぼうしきらず、采椽さいてんけずらずでござりましょうし、かしこきあたりすらさようあらば、我等などは、木の下岩の、岩かげに、松葉、杉葉をきかけて、こけのむしろを片敷かたしかねばなりますまい」
 と云った。
 右大将が、うなずいた。
軒端のきばもる雨は、ふせぐによしなく、大天井の高根おろしが吹きすさびましても、霜の手枕たまくらにこゞえるばかりでござりましょう。あゝ、おもえばいっそ賊軍に捕らわれて、ひと覚悟に首をはねらるゝ方が、増しかとさえ考えられまするのう!」
 大宮おおみやびとらしい感傷に、気をめいらせると、左大将は、馬の背にまたがることを避けた公家乗りの鞍つぼで、坂路を危ぶみつゝも、
「いかにも、そうした愚痴ぐちもこぼれまするての。恨めしいは准后よ。独断どくだん専横せんおうおもいたかぶった、ほしいまゝなこたびの態度は、言語道断──」
 親房准后のために満廷の公卿が圧伏あっぷくされた口惜しさが、いまさらのように激しく感じられたのである。
「楠の──虎夜叉のさしがねとやら、承わりましたぞよ」
「いや。虎夜叉ごときが、なにを申そうと、しがなき地下人じげびと妄言もうげん──。やはり准后の、正しからぬお心柄より結果せることでござります。──無法なる弾圧だんあつ──兵を擁しての強制きょうせいは、沙汰のかぎりじゃ!」
「しかし──そのお怒りはことわりながら、もとをたゞせば楠が、無謀むぼうの戦さ闘ったがためではござりませぬか。正行まさつらの四条畷の敗亡なくば、准后の卿とて──」
「それはもちろん、楠のせめはもちろんでござ……」
 と、言いかけて──いきなり、語尾が、
「あっ!」
 と、叫び声にかわった。話相手の右大将も、はっと思ういとまもなく、左大将実世卿さねよきょうは、仰反あおのけざまに鞍つぼから落馬した。そして、坂路の地べたを下へ三間あまり、ごろごろところげおちた。
 どうしたはずみか乗馬が、前肢をもたげて、背をひどく傾けたがための落馬だった。驚いて青侍が四五人、かけ登ってきた。教忠卿も馬の背から危くすべり落ちようとしたが、これは鞍べりにしがみつくことが出来たので、左右両大将の双落馬ともらくばだけはまぬかれた。

 和泉いずみ槇尾山まきのおやまから北畠准后が、くすのき虎夜叉正儀とらやしゃまさのりとともに、吉野に馳せつけたのは、四条畷合戦の翌日の夜であった。
 その時はもう、正行正時の戦死と、麾下きか二千の精兵全滅の報告は、大和やまと竜田口たつたぐちからとゞいて、行在あんざい震撼しんかんさせ、群卿の顔から生きてある色をうばっていたのであるが、准后の口から吉野はあやういと聞くと、たちまちそこに公家くげ特有な心理がうごきだした。それは奈良平安のいにしえから連綿れんめんとつちかわれ、牢固ろうことして習性となり、抜くことの出来ぬ惰性だせいとなってしまった大宮人おおみやびとの物の考えかただった。
「吉野落ちなどは、もっての外だ!」
「穴生のごときは、行在所あんざいしょたるべき地にあらず!」
「京都へ還御かんぎょとあらば、この吉野を捨つるもよろしかろうが、先帝のさだめ給える行宮あんぐうを空しくして、嶮岨けんそ不便の山峡深くへ御動座を仰ごうとは何ごとぞ!」
 群卿は、ひしめきつゝ反駁はんぱくした。
 そこで、准后は大納言隆資卿たかすけきょうへ、急使をたてた。四条畷合戦の当日、暗峠くらがりとうげでやぶれた隆資大納言は、竜田口までしりぞいていた。師直は、正行兄弟の首をえたことに満足して、京都へ凱旋がいせんする模様だから、吉野まで来襲らいしゅうするような憂えは、およそあるまいというのが、大納言の報告だった。したがって大納言は、吉野落ちにたいして不賛同の意を表したので、二条、冷泉れいぜいの左右大臣、花山院かざんいん内府ないふ以下の諸卿はいっそういきおいづいて、准后の提案を否決ひけつしようとした。けれども切迫せっぱくの形勢は、とてもそうした体面論や楽観説を、なまやさしく聞いていることを許さないと考えた准后は、だんぜん強硬きょうこうな態度をとった。
 そうなると、兵力を有する北畠は、吉野宮廷においての絶対勢力であった。
 准后は、令嗣れいしの大納言顕能卿あきよしきょうの兵をもって、戒厳かいげんをしいた。この戒厳布告ふこくのかげに、虎夜叉正儀が力づよく働いていたことは、いうまでもなかった。むろん、武力をないものとしてみても、北畠父子の権威けんいは決して軽かろうわけがなかった。──父は、一ぽん准后じゅんこうだし、子は二ぽんの大納言だ。そして父は、かしこくも皇弟興良親王おきながしんのうのおん外戚だったし、子は、ちかごろ入内じゅだいの噂さがもっぱらな若き美姫ひめを、妹にもっていた。
 で、親房准后は、戒厳によって群卿のきもをひしいでおいて会議を、ふたゝび開いた。すると覿面てきめんに、御遷幸ごせんこうの議案はたちまち可決された。そして奏請そうせい──勅許──。
 穴生への御動座が決定されたので、准后は槇尾山まきのおやまへ、虎夜叉は東条へと戻ることができた。それは、八日──ちょうど梶丸が堺、唐土屋もろこしや艫太郎ともたろうとなって、伽羅作と共に京都堀川の直冬邸へ行ったのと同じ日だった。准后の嗣子、顕能あきよし大納言は、和泉いずみの防禦の容易ならぬことがわかったため、吉野にあった自分の麾下きかの兵を、ことごとく率いて、槇尾城まきのおじょうの興良親王の軍営におもむいた。それは、翌々、十日のことだった。
「御支度は、すべて調とゝのいましたゆえ、御動座はおゝかた明日あたり──」
 と、顕能大納言が、父准后へ告げた。
 だが吉野の公卿朝臣くぎょうあそんたちは、それから一日々々とまごまごして、十数日をついやした。
 このあいだに、戦雲はしきりに河内かわちと、和泉いずみに動いていた。師直軍は、八尾河原おがわらを攻略して南河内へ、潮のように殺到した。東条の正面をつこうというのだ。先鋒は、すでに石川河原に、堅固な対塁たいるいを築いた。十四日にはその先陣の一隊が、東条の前哨兵ぜんしょうへいとほこをまじえた。和泉の方面では師泰軍が、これもまた山を圧し野をうずめる勢いで、槇尾城へせまった。この城を陥落かんらくさせなければ、南朝武力の側背そくはいを攻めるわけにはゆかないから、師泰の三万の兵は、南面利なめり善正ぜんしょう松尾まつのお父鬼ちゝおにをつらねる線に一大包囲陣をつくって、山上の城へ、北、西、南の三方から撃ち登ろうとした。
 もし師直の再出馬がもっと後れたなら──したがって大和やまとへ侵入して平田荘ひらたのしょうに陣どることがなおおそかったなら、吉野落ちの荏苒じんぜんは、依然と続いていたでもあろうが、もはや敵が、しかも総帥そうすいの師直の本軍が、遠からぬ葛下郡かつしもごおりに押し寄せたと聞いては、いかにんぎりのわるい殿上人たちも、思いきるよりみちがなかった。
 そこで今日──二十四日、ついに吉野を捨て去ることになったのであった。

 吉野よしのを目ざして大和へ侵入しんにゅうした師直の軍勢は、その兵力二万と聞えた。
 四条大納言隆資卿たかすけきょうは、吉野にあるかぎりの兵をひきつれて、上市かみいちから下市しもいちへかけての川岸に防禦の陣をかまえていた。竜田口たつたぐちからしりぞいてきた味方の兵──初瀬はつせ、筒井、湯川、芋瀬いもせなどの荘司しょうじらを頭目とした南大和みなみやまと、北紀伊の郷士、山伏、野伏せりの雑軍もまた、この防衛の陣に合していた。だから今日の御動座の供奉ぐぶには、はなはだ恐れおゝいことながら御警衛の兵が皆無だった。
 武士らしい武士は一人も、附添い参らせることが出来なかったのだ。たゞ諸寮しょりょうの郎吏と、公家の青侍とが、警護にあたるのみであった。
 ふかい渓谷たにをつたうのだから、高貴な女性の方々も、かつて一度もおぼえのない岩根を、かよわい、やわらかな足で踏まねばならなかった。立春の後、もうやゝ一ヵ月ちかくなるとはいえ、深山みやまは寒中とあまり変わらぬ姿だった。つめたい霧が、濃く、うすく去来して、脚もとに削りたつ断崖の、すそを洗う丹生川にうがわの瀬音が、ざあーざあーと、こだましつゝ空谷にひゞいた。
 婦女の歩みでは、ましてや金枝玉葉の御足みあしでは、どうしても遅れるばかりであった。女院──新待賢門院しんたいけんもんいんは、
「しばし、いこいたい」
 と、仰せられた。
 谿たにを見おろすにも、峯をあおぐにも眺望ながめのすぐれた場所だった。扁平へんぺいな巌石に、女院は疲れた御足を休ませられた。
「まあ、美しい水のいろ──」
「濃いあいぞめのように淀むやら──白絹でも振るように流れ落つるやらいたしまする」
 と、答えたのは宮仕えの、伊賀局いがのつぼねだった。
「深山ならでは逢われぬ景色じゃのう」
 女院は、このたびの北畠准后の言葉にいちはやくお耳をかされ、御動座のやむなき次第を、公卿の決議に先だって、主上へ申上げられたほどに聡明であらせられた。だから、今日もいたずらに歎きかなしまれるようなことはなかった。
「あの白雲をしのぐ高峯たかねは、なんという峯であろう?」
 と、問わせられた。
「おゝかた、あの峯こそ大天井おゝてんじょうたけかとおもわれまする」
 伊賀局は、他の局たちや、女嬬にょうじゅ、女房、雑仕ざうしのやからとは離れて、おそば近々と枯れ草の上にすわっていた。としは二十を二つ越えたばかりであったが、並みよりははるか大柄な女だったので三つ四つはふけて見えた。肉体がひじょうに豊満で、四がみごとに発達していたから、風にも雨にも堪えぬというようななよやかな風情とは、およそ由縁ゆかりのとおい型ではあったけれど、とゝのった顔だちには、健やかな、溌剌とした一種独特な美しさがみなぎっていたし、才智も非凡だったし、男まさりに気丈でもあり、おまけに生まれつき不思議な怪力を恵まれていたという、まことに稀有けうな女性だった。事実、屈強くっきょうの男十人が力を合わせても及ばないほどの力量があった。武芸にも達していた。だから女院の御信寵ごしんちょうの厚かったのも道理だった。
「のう伊賀」
 女院は、雲を腰にまとう高峯からお目を移された。
「准后の卿へは、ねたみそねみが──かゝっておる、とは思わぬか?」
「と──御意ぎょいあそばすのは?」
 お顔を、局があおいだ。

 女院が、
「聞き苦しうあげつらう人、のゝしる人が、ありはせぬかや?」
 と、仰せられた。伊賀局は、
「ございまする。──北畠は清華せいかの家門にすぎぬのに、摂家せっけをもこえて准后宣下じゅんこうせんげあったは、依怙えこの御沙汰と思わるゝを、天恩になれて際限さいげんものう心おごり、楠の虎夜叉ずれの若輩を、さも傑そうに吹聴ふいちょうして、その発案とやらで、穴生あのう々々/\と、無理おしに、こたびの大事をいぎめに決めた不逞ふてぶてしさよ、などと今朝けさほども、お話しあそばすお方々があったようでございまする」
 と、答えた。
「准后の卿の乙姫おとひめが、入内じゅだいなされたら、やがてはきさいの宮ともおなりであろうという、ねたみ心のいわせる声じゃ。二条の女御にょうごも、花山院の女御も、さすれば中宮ちゅうぐうに立つのぞみが失せるゆえ──北畠こそ嫉ましや──羨まし、憎らしいの情が、あられもなくざわめく。──浅間しいことわいのう」
 女院は、お腰をあげられた。そして、
「准后も、お大抵ではない!」
 やおら歩み出されたので、つぼねはじめ、扈従こじゅうの者が前後に立った。
 後続の、女御とその供奉ぐぶが、やっと岨道そわみちへ姿をあらわした。二条女御と花山院女御のあとは、興良おきなが親王の御生母、北畠三位局、そのあとから多数の宮嬪きゅうひん※(「クサカンムリ/(月+曷)」)じょうろう、女官がつゞき、しんがりは蔵王堂ざおうどうの吉水法印、如意輪寺にょいりんじの僧都などであったが、三位局以後はまだ、谿をおおうて茂る檜葉ひば栂松つがまつ高野槇こうやまきの密林のかげから出て来なかった。
 女院のお唇が、蓮歩れんぼのひまにほぐれた。
「のう。先だっての四条畷の討死は、まこと本意ほいないことではあったけれど、楠の──あとに残りし虎夜叉正儀まさのりは、年こそ若けれ、いみじう勝れた武士ものゝふで、あの男一人あれば、十万二十万の味方あるにも増して心づよい、と准后から承わったぞや。虎夜叉あらんかぎり、宸襟しんきんは安かろうとのことじゃ」
「まあ、なんと勝れたお方なのでございましょう!」
 と、伊賀局が云った。
「それほど勝れた、若き英雄──その面かげはまだ見知らぬわらわ、はよう逢うてみたい、のう伊賀」
「ほんとうに凛々りゝしうて猛からず、お立派な方でございまする」
「あれ、そなたは知っていやるのか?」
「はい」
 と、答えたが、つぼねは顔をぼうっとあかくした。
 岨道そわみちは、急な下りにかゝった。女院は御足をとめて、
「どうして、そなたは存じておる?」
「あの──このあいだ、北畠やかたの御門前で、ふとお見かけいたしましたので──」
「おゝそれはいことをしやった。──伊賀は仕合わせであったのう!」
 ほゝえみが、やんごとないお顔にうかんだ。いつになく局が、いよいよ赭らんで、耳たぶまでも染めたからであった。
 局は、新田義貞の客将として驍勇ぎょうゆうの名をとゞろかした篠塚伊賀守のむすめで、父伊賀守は、秩父ちゝぶ土豪どごう、畠山重忠の八代の孫にあたったから、きっすいな武家の血をうけていたし、生得しょうとくの怪力といゝ、武術のたしなみもあり、禁中に宮仕えする身ながら、公家の公達きんたちの優雅風流にはその青春の情は、ほとんど動こうとさえしなかったが、准后屋形の門前で、がっちりと落着いた風采のどこかに、颯爽さっそうの気をつゝんだような、年若い武家を見て、それが楠虎夜叉だと聞かされたとき、たちまち胸の鼓動が、あやしくたかまった。二十二歳で、かなり遅蒔きではあるけれど、局の心に初恋が蒔かれ、そしてすぐ芽ぐんだのであった。

「あれ。まあ怖ろしげな橋ではあるのう!」
 女院は、御足を、おぼえず後ろへ退かれた。
 ことわりとは思いながら、つぼねは事もなげに、
「でも、主上おかみも、神鏡みかゞみも、渡御あそばしましたものを、女院さまにも、みこゝろ安うあらせられませ」
 と、云った。
 谿たにには、粗末な、見ただけでも危そうな釣橋が、かかっていた。きこりや猟師しか渡らぬ橋だったが、渡らずには谿向うへ行けない。丹生にう川上神社は谿のかなただ。その社のそばを通らなければ穴生へは行き着けない。
「橋ぐいが無うては、さぞ揺れるであろう。わらわは目くるめこうぞ!」
 釣橋の下の、ふかい谷そこを、丹生川が白い飛沫をあげつゝ激しく流れていた。
「お目をおつぶりあそばせ。わたくしが、おん手をおひき参らせて、そろそろと渡りまする」
 橋体は、ふとい藤づるで、断崖がけの大木にゆわかれて、吊されていた。
「中途で落ちはせぬかしら? あの橋げたは、雨風にれくちておるではないか?」
「あゝれ、お案じすごしでございまする」
「そなたは怖いもの知らずゆえ、わらうでもあろうが、わらわはおそろしいぞえ」
 御懸念ごけねんをなごめるために、局は、青侍を呼んだ。
「そちたち──橋げたの上で、力足を踏んでみい」
 三人の青侍が、畏まって、橋を中ほどまで渡って、そこで足踏みをはじめた。吊られた橋体は、ぐらりぐらりと揺らいだ。
れて、ゆがんではおりまするけれど!」
 おゝ声で、そう云いながら一人が、どんと力足をけた板に落した。
「これでも、まだまだ」
「大丈夫、この通り」
 どん、どん、と他の二人も、力をいれて桁を踏み鳴らした。青侍は、足踏みを、橋のむこう袂まで試みて引っ返した。そしてこちら袂にちかい箇所で、三人そろって、同時にどーんと力足をおろした、その刹那せつな──
 めりめりめりっ、と朽ちた桁板の砕けて折れる音響ともろともに、あっと叫びを合わせつゝ一人が一人にまた一人と折重なって、桁の破片と一緒にましたの渓流へ、逆さまに墜落したのだった。
「あれいっ!」
 女嬬にょうじゅ、女房たちの声々が、かん高くわめいた。青侍の朋輩ほうばいがひしめき立った。だが、倖いにも墜落者は三人とも、そう浅くも深くもない水中へはまった。まじかには巌角が稜々りょう/\と水の上にあらわれて、川波を噛みくだいていた。それにぶち当ったら最後、即死か、ないしは重傷かであった。じっさい、適当な水の深さがすくいだった。板の折れぐちで皮膚を裂いたくらいの微傷で、ただ胆を消しとばしただけで済んだ。
 谷底をのぞいていた伊賀局は、ほっとした。墜ちた青侍が、岸ちかい浅瀬で、絶壁ぜっぺきを下から仰いで、
「別段の怪我はござりませぬぞ!」
「命びろいを致しましたっ!」
「神仏の御加護でござりましたあ!」
 と、局へむかって叫んだ。
(ほんに冥々めい/\冥護みょうごか!)
 心のなかで、局はそう呟かずにはいられなかった。
 墜ちた侍の命も命だが、めりめりめりっという響きを聞いた瞬間、橋が落ちること……そのことが、血色のいゝ局の顔いろを土のように変わらせた。もし女院の、御懸念のお言葉なかりせば──? と思うと、まったく恐懼にたえなかったのだ。
(侍の墜ちたのも、いわば天佑てんゆう。おちて、無事だったのも、天のたすけ)
 そう感じながら、局は、谷底の渓流けいりゅうへ、
「綱をおろして遣わそうぞえ。──一人ずつ、それに縋って、のぼるがよい。大勢の力で引きあげてやるほどに──よいか」
 と、よばわった。谷底の一人が、
「もし、お局っ!」
 と、叫んで、
「手前どもより、橋でござります。お困りなのは、橋の墜ちたことでござりましょうが、いかゞなされまするか?」
「橋は橋、そなたらはそなたらじゃ」
「いゝえ手前どもは、後廻しで結構でござります。あれあれ橋は、あのとおり、桁の板が二間ほども落ちておりまするぞ」
「橋げたは、わらわが架け直す。──そなたたちとて役目のために墜ちたのじゃ。谿川の水は、氷のように冷たかろうが、綱のおりるまで辛抱してたもれ」
 女御の供奉に綱の用意があった筈だというので、局は青侍の一人を、あとへ馳せ戻らせた。だが人々は、みな不安なおもゝちで、瞳を伊賀局へあつめた。
 橋げたは、自分が架け直すと、たしかそう云ったようだが、断たれた橋を、さてどうして局は継ぎなおす?
「これ伊賀局──」
 と、女院が、お心もとなげに呼ばせられた。
「は。しばしの御猶予ごゆうよを──」
 そう答えて、局は唐衣からぎぬをぬいだ。
 人々が(おや?)と、いぶかる目の前で、局はうちぎの大袖に襷をかけて、裾と袴を、おもいきり高くからげた。むっちりとはちきれそうに弾力だんりょくを籠めつゝふくらんだ、白い腕とはぎとが、あらわになったかと思ううちに局はもう、岨道そわみちばたの林のなかへ入っていた。そしてその真っ白い、豊満に緊張した腕が、もろに一本の高野槇こうやまきの幹をつかんだ。
「えゝっ──やッ!」
 裂帛れっぱくの気合、たゞ二声で、まわり二尺もあろう高野槇が、根こぎにされてしまった。人々は愕然がくぜんと、舌をまいて、感歎のさけびを胸へ吸いこむほかなかった。
 と、局の気合が、ふたゝび響いた。こんどは栂松つがまつが引っこ抜かれた。っぎは檜木ひのき、また檜木、つゞいてならの樹、それからけやき──という具合いに、見るまに十本ばかりの、充分ふとい樹木が、根こそぎ地面から抜き倒されたので、人々はやっと我れに返ったように、どっとわめきごえを発した。女房たちは、まだ顔色をなくしたまゝで、
「人間わざでございましょうか?」
まぼろしを見たとしか思われませぬ!」
「ほんに、あのお力は、どこから出たのであろう? わたしはもう気味がわるい!」
 などと、囁きあうのだったが、伊賀局は、汗を拭いつゝも、青侍たちへ、
「さあ橋げた代りが調うた。いそいで枝を折ってから、運んでほしい」
 と、言いつけた。
 局の勇力は、かねて聞いていた。知ってもいた。しかし誰れが、これほどと思ったであろう?
 断橋だんきょうは、やがて常緑樹と落葉木をとりまぜた樹皮かわつきの丸太で、応急修理ができた。谷底の三人は、そのつぎ足しが終わる前に、綱で吊り上げられた。
 局は、女院へ、
「丸木の上は、お徒歩ひろいにくうおわしましょう。わたくしがそびらで負いまいらせまする」
 と、申上げた。
 女院は、局の背中で、
「このまあおぶさり心地のよいことは! むかしのともえも、板額はんがくも、いまの伊賀には遠くおよばぬであろうぞや」
 と、仰せられた。
 かしこくも、今上きんじょうの御生母、新待賢門院を背におい参らせて、橋を谿の彼岸へ渡りきったとき伊賀局は、
(あゝ! どうやら)
 責任をはたし得た者の吐息といきをもらした。



吉野炎上えんじょう

 南河内みなみかわちの石川河原から、竹ノ内峠をこえて、大和やまと葛下郡かつしもごおり(旧名、今の北葛城きたかつらぎ)に入った師直の軍勢二万は、平田荘ひらたのしょうに充満していた。
 本陣が当麻寺たいまでらについたのは、二十四日の午後だった。
 それはちようど伊賀局が、国母の女院をおぶいまいらせて、丹生川にうがわの谿を渡ったのと同じくらいの時刻であったが、吉野宮廷が穴生あのうへ御動座あろうなどとは、師直は夢にもおもわなかったのである。
 石川河原で、師冬もろふゆへ、
「どれ、遊山戦争ゆさんいくさに行って参るぞ」
 と、云った時、
「師直どの。遊山どころか、天下一統をさだめる大切な戦争じゃ。──吉野を陥すことだけならば、見物がてらにも出来ましょうが……」
 そう、師冬が答えたので、師直はからからと笑った。
「吉野だけを目あてに、誰れがゆく? 心配するな」
 十二分に成算があるという態度で、悠然と出かけてきたのだった。
 四条畷の激戦で、二千の楠兵を全滅させた代りに、自分の兵一万余を死傷させた師直ではあったが、正行の首をたずさえて一旦京都へ凱旋がいせんしたとき、在京の予備隊を動員して兵力の喪失をおぎなったため、こんど大和へ侵入することになっても、従弟師冬じゅうていもろふゆは依然三万の大兵を擁して東条を攻めつゞけることが出来た。
 師直の本陣があまりに緩々ゆる/\しているので、すでに幾日か平田荘で滞在しておった先発の諸隊は、すっかり退屈していた。
「まだ陽も高うござるに。もっとお進みなされては如何なものじゃな?」
 と、佐々木道誉どうよが云った。
 佐々木隊は先鋒だったから、殊に、しびれをきらしていた。
「日暮れには間があるからこそ、泊まるのだ」
 と、いうのが師直の返辞へんじだった。
「はて? おかしなことを──?」
「なにが訝しい。見物が出来るからじゃ」
「なに、見物とは?」
「読んで字のとおり、物を見ることだ」
「──物を?」
「はゝゝ解らん入道じゃ。つまり、寺だの、墓だのという、名所旧跡だ」
「ばかな! おん身が、わはゝゝゝ名所旧跡などとがらにもない、ひゝゝゝゝ!」
「笑うなよ道誉。これで大真面目なのだ。わしは、ついこの頃から、遊山かたがた学問をし始めた」
「え、学問を──かつぐのは、よい加減に願いたい」
「これさ、担ぐものか。学問というても聴き学だがの──いゝお師匠がみつかったでな、やり始めてみると面白い」
「へえゝ、妙なこともあるものじゃ。して、おん身のお師匠というのは、いずれの何方どなたでござる?」
「その師匠というのは──待たれよ、他ならぬ入道のことゆえ、きあわすといたそう。たゞし、断っておくが、構えて眼を廻さぬように御用心がいるぞよ」
「なんと? 眼を廻さぬように──身どもが?」
「そう。おことが」
「ふーむ、なことを──」
 佐々木佐渡判官入道道誉は、どうにも、呑みこめぬという唸り方をした。
「この佐渡を、変に、はぐらかし召さるのではないか?」
「佐、渡うも、そう気を廻されては、道誉もならんな」
 と、わるく洒落のめして、師直は笑った。

 そこは、当麻寺たいまでらの参道だった。
 道誉は、目を、白黒させて、
「こうこう、そりゃ高の諸肌もろはだぬぎの洒落と申すものじゃ」
「はゝゝ苦しいの」
 師直はそう云いつゝ、侍童を手まねきした。
 中部大和と南河内の国境をしきる葛城山脈かつらぎさんみゃくの北の鼻ともいえる二上山ふたがみやま──その二上山の下に、こぶのような麻呂古山まろこやまがある。当麻寺は、この麻呂古山の麓に、じつに白鳳はくほうの古えから七堂伽藍どうがらん、整美の壮麗をしめして建っていた。
 師直が、馬からおりて、道誉と話しているので、行列は参道で、とまったまゝだった。
 侍童は、言いつかったとおりに、肩輿かたごしみすをあげて、はなやかな打掛うちかけに紋様も絢爛けんらん唐衣からぎぬをまとうた美女を、つれ出した。
敷妙しきたえ
 と、師直が呼んだ。
 近寄ると、
「道誉入道、これがわしの学問の師匠じゃ」
「や!」
 大きくきだされた白眼のなかで、瞳が、くるくると廻った。
 とんでもない師匠だという驚きよりも、聞きしにまさる妖婉あでやかさに、ぎゅうっと度胆を押っぴしがれたのであった。
「そうれ、道誉々々!」
 と、師直は、脂肪あぶらぶつぶつわくような赭褐色しゃかっしょくかおを、気味よさそうにゆがめて、
「だから、言わないことではない、御用心とのう。──敷妙。こちらが佐々木どの。武道ぶどう色道しきどう兼達けんたつの猛者じゃ。下手まごつかば、この師直とて、因果いんがはめぐる小車で、そなたをこんどは攫われぬとも限らんぞよ、あはゝゝゝ!」
 と、高笑いした。
「まあ、いやらしい」
 つんとして、横を向いた敷妙は、道誉へ会釈えしゃくさえしなかった。
 かなりおもやつれがしたようだが、それがかえって凄艶に見えた。
「道誉?」
「参った!」
「この美しさで、おまけに学者で、物識りと来ておるから嬉しいではないか」
「ほう! 然らば、紫式部むらさきしきぶか、清少納言せいしょうなごんの、うまれ変りのようなもので──」
「やすでに踏んで貰うまい。清少納言や紫式部が、どれほど美しかったという話を、ついぞ聞いたことがないぞ」
「なアるほどの。──ふうむ!」
 道誉は、また唸った。
(あてこともない女が、商人あきんどの家にうまれたものだ! 学問の方は話十分一としても、眉目みめかたちはまさしく天下の逸品いっぴんじや。その道にかけたらどんな真似もする執事が、強奪、強淫ごういん──それにはさらさら無理もないが、強奪された直冬どのこそいゝ面の皮だ。いや、これでは、なかなか思い切れるわけがない。こりゃ相当の悶着もんちゃくくらいでは済むまいぞよ。──だが、ともかくも素敵だなあ!)
「のう道誉。おぬしもちと弟子入りをせぬか? 学問の方なら、裾分けも苦しからずだ。めきめき物識りになれるぞ」
 そう師直がいったので、入道は微笑して、
「ではお裾分けを願いますかな」
 と、答えた。
「入道、さしあたりこの寺のことを、教わろうではないか。名高い寺だが、わしらは何にも知らんからのう。おこともわしの同類にちがいないが、小児のときから書物というものに親しまずにきた。かりと、馬と、戦のまねと、ほんとうの戦いと、酒と、女と、それで全部だ。わしらは、てんでの先祖のことさえろくろく知ってはいない。わしは、河内かわちであちこち見物しながら、彼女あれからいろいろ教えられて、物事を知るということはいいことだと、初めて気がついたのだ」
「へえゝ!」
 なんと不思議なことになったものだ、と道誉は、がくりと頭をかしげた。

 敷妙は、師直と道誉のあいだに挾まれて、参道を、楼門のほうへ歩いていった。
「あの後ろの山は?」
二上山ふたがみやまと申しまする」
「いゝ格好かっこうの山だな。なにか曰くがありそうだの?」
大津皇子おゝつのみこの御墳墓がございます」
「薄命な御最期をとげられた皇子だったな、たしか?」
「はい、『つぬさはふ磐余いわあれの池に鳴く鴨を、今日のみ見てや雲隠りなむ』という御辞世を、おのこしあそばした多情、多恨の皇子さまでございました。伊勢の斎宮さいぐうからおのぼりなされた大伯皇女おゝえぎおうじょが、『うつそみの人なる吾れやあすよりは、二上山をが兄とが見む』と涙をお流しになったのが、あの山でございます」
「なるほど。由緒ゆいしょのある山だの」
 楼門ろうもんを入ると、左右に寺坊が建ちつらなっていて、正面にゆかのたかい本堂、その両わきに金堂こんどうと講堂とが見えた。そして金堂のまえには、三重塔が二つ、東西に対峙たいじして、白鳳はくほう期芸術の精髄をほこっていた。
「いい寺だのう、塔が二つもある」
 師直は、慕僚の将士や、側近の扈従こじゅうらを、寺坊のわきにのこして、
「まず一廻りして見よう」
 と、歩きだした。敷妙と入道が、それに並んで本堂へ近づいた。
「いったい誰れが建てたのだ、この寺は?」
当麻たいまの国見というお方でございまする」
「あゝそれで当麻寺か。だが、その国見とかいう人は、何者かの?」
聖徳太子しょうとくたいしの弟宮に麻呂子皇子まろこおうじとおっしゃるお方がございまして、そのお方のお孫さまが当麻の国見なのでございます」
「ずいぶん古い寺だな」
 本堂のうしろには、曼荼羅堂まんだらどうがあった。訊かれないうちに敷妙の方から、
「中将姫が、曼荼羅を織ったという、お堂でございまする」
「あゝ中将姫の寺だったのか、これが!」
 この堂は、桁行けたゆき七間、梁間はりま六間の、大きな建築だった。
「だが、中将姫というのは、誰れの子かのう?」
「藤原氏の長者、豊成公とよなりこうの姫君でございます」
「継母に、ひどくいじめられたとかいうが、本当の話かな?」
「あれは、作り話だと申しまする」
「すると、曼荼羅もうそかしら?」
蓮糸はすいとの曼荼羅織りのことは、古今著聞集ここんちょもんしゅうにも載っておりまするゆえ、信じてもよいと思いまする」
 敷妙が、そう答えると、わきから、
「その曼荼羅織りの話を、きゝとうござるのう」
 と、道誉が云った。むさぼるような眼が、なめらかな横顔へ吸いつけられた。だが返辞はなくて、敷妙はふたゝび、つんと表情をかたくした。
「お部屋どの。──もし、御側室どの!」
 重ねて呼んでも、やはり受けこたえが聞かれぬ道誉入道だった。

 師直が、
「敷妙、なぜ佐々木どのに、返辞をせぬか?」
 充分に猫なでごえで訊ねたが、
「わたくし、──高さまのお部屋でも、側室でもございませぬものを」
 そう、答えながらも、敷妙は、つい今しがた頭にふと閃めいたある一事を、思いわずらった。
(吉野の御動静ごようすは──?)
 危険をおもんばかって、万全な穴生あのうへの御遷幸を奏請しなければならぬ、というので虎夜叉が吉野へ行ったことだけは、梶丸から小倉山で聞かされた彼女だった。しかし、その後の消息は、ようとして知ることが出来なかった。むろん彼女にとっては、それを知りうる機会や手段のあろうはずもなかった。梶丸は、虎夜叉の伝言ことづけだといって、ほかのこと一切、心配するに及ばぬから、たゞ彼女へふりあてられた役目をさえ専心に果たしてくれたら結構だ──それは実際、極度きょくどに、なんらの誇張もなしにこの上もなく重大な役割で、今後のあらゆる謀計はかりごと根柢どだいになるのだから、と告げたのであった。まったくそれは、ほかのことに気をうつす余裕などの、とてもあり得ない仕事だった。けれども彼女は今、吉野の模様に──どうなったのであろうという懸念けねんを、もたずにはいられなくなった。やゝ吉野に近づいたこと以外に、別段これといえるようなわけもなかったのだが──。
(一日でも、半日でも──暇どる方が──)
 吉野のおん為めに、よいに違いないと、そう敷妙が思ったのは、師直の猫なで声に返辞をしてから、わずか二十秒か三十秒かの後であった。
 そのわずかの間に、師直は、

「そなたは、まだそれを言う!」
 と、二度、三度とくりかえした。
 道誉入道が、ちよっと妙な手つきで、自分のあごをなでまわしながら、
「身どもが、御機嫌を斜めにいたしたかな。──お部屋どのでお気にめさずば、敷妙どのと呼び申そうか。それとも──」
 と、師直の顔をながめた。
 いくらかれくさく、にたりとして師直は、
「これさ敷妙。こうしたいくさの旅のせわせわしい仮寝かりねの枕でも、かわせば、枕は、やっぱり枕じゃ。そなたは現実、この師直のとぎの女ではないか? 伽をすれば、側室そばめだ。権妻ごんさいなら、お部屋と呼ばれて何をこだわるぞ」
 そう云ったが、敷妙は聞く耳を持たぬような格好かっこうで、じいっと立っていた。
「さあ機嫌直してくれ」
 引き寄せようとするのを、なかばこばむようにからだをくねらせると、たちまちそこに甘美、芳烈ほうれつな曲線が乱舞した。
 強すぎる蠱惑こわくに、おぼえず顔をしかめたのは道誉入道だった。
こうどの。ちとお手柔らかに!」
 と、哀願するような声で、道誉が云ったとき、敷妙が、師直の腕のあいだで、
「いゝえ。あなたの女ではございませぬ」
 と、身を揉みながら、羽がい締めの力にこたえた。
「はゝゝゝ面白い女じゃ!」
 師直が抱擁ほうようをとくと、
「わたくし、あなたのお伽をいたした覚えはございませぬ」
 みだれた衣紋をつくろう容姿ようしは、たとえようもなくなまめかしかった。
「ほ! なにを申すぞ?」
「いゝえ。強いられたまでゝございます。わたくしは、どこまでも、直冬さまの側女でございまする」
「ひゝゝゝ、いよいよこれは面白いわい!」
 師直は、総身そうみがうずきたつような、刺戟を感じて、呼吸をやめた。

 翌日、
橘寺たちばなでらへ」
 と、進軍命令が出た。
 師直の本陣は、夕刻、その寺へうつった。
「聖徳太子の御誕生の地だと申しまする。──用命ようめいみかどの、離宮のあった場所なそうでございまする。──万葉集に『たち花の寺のなかやにわがいねし、うなゐばかりは髪あげつらむ』と、詠まれておりまする、その橘寺でございます」
 そんなふうに、説明する方が、はるかに効果が顕著あらたかなのを、敷妙はますますはっきりと知ることが出来たのだった。
 虎夜叉からおわされた役割は、直冬と師直とを、全力的に抗争こうそうさせることにあった。足利幕府の首脳部における二大勢力の内訌ないこうに、爆発の口火をつけるためには、自分の肉体を悲しいおとりにして、右と左とから、直冬と、師直とを、おなじような強烈さで引きつけなければならない。どちらをも、盲目的に溺愛できあいさせなくてはならないのだ。
 だから敷妙は、師直に対しては、特殊な工作に苦心しなければならなかった。たゞ眼をつぶって、肉体をさらけ出しておれば、それでよいというような訳にはゆかない、美女、麗人には、食傷しょくしょうしないのが不思議なくらいの師直には、よしんばどんなに美しくとも、たゞそれだけでは、刺戟しげきの永つゞきは望めない。その道にかけての巨人師直を、ぐんにゃりとなるまで悩殺のうさつし、彼女のためなら、いかなる無理も敢ていとわんというほどに、うち込ませようとするには、特別に妖艶ようえんな感じを与えるようなてくだがいる。
「聖徳太子御建立ごこんりゅうの、七つのお寺の、その一つなのでございまする」
「ほう、七つの。──七つというのは?」
「法隆寺、四天王寺、中宮寺ちゅうぐうじ蜂丘寺はちおかでら池後寺いけじりでら葛城寺かつらぎでら──それにこの、橘寺でございます」
 この寺の境内には、聖徳太子にかゝわったいろんな伝説の旧跡が多かった。太子が勝鬘経しょうまんきょうを講讃された際に、その宝冠かんむりに日月星の三光があらわれて、それが照り映えたという三光石があった。そのとき蓬華れんげが虚空から降った、といわれている蓮華塚があった。
 きのうのように、敷妙はまたも説明のわずらわしさを辛抱しつゝ、師直と一緒に境内を、くまなく歩きまわった。
「よく知っておるのう!」
 師直は、自分でいうほどに無学、無識の野人では決してなかったが、その知識と、興味の対象たいしょうは、これまで極度に現実的なものに限られているだけに、過去の芸術や歴史、伝説などについての敷妙の、まったく意外な物識りぶりにぶつかった驚きは、また格段におゝきかった。
 いろいろな種類の女をあさりつくした師直ではあったけれど、こうした敷妙に接したことは、たしかに新鮮しんせんな経験だった。
 新らしもの好き、変り種ごのみ──それは漁色家ぎょしょくかの常で、もちろん師直ほどの大家なら、そのゆうなるものでなければならない、明敏な敷妙は、そこのところを掴んだのだ。
「そなたは、この辺を誰と一緒にめぐった? まるで自分の生まれ故郷のようではないか」
「堺の兄につれられて、河内かわちから大和めぐりをしたことがございました」
「ふうむ、兄と──」
 師直は、その兄という男も、町人ながらよほどすぐれた人物にちがいないと思った。
(京をたつ日に、逢っておけばよかった。──だが、早晩いずれ、手なずけることにしよう。商人あきんどなら、いかに型破りでも、利にはさといであろう。財宝たからの山を積みさえすれば、よもや靡かぬことはなかろう。そうだ、兄に対しては、あくまで俺の財力──そうして、この稀有けう美女たおやめに対しては、あくまで俺の体力でゆこう。これほどの才媛さいえんではあり、直冬にはぞっこん参っていて、容易に思いきる様子はないけれど、仕合わせなことには、ふゝゝゝ色にはたしかに脆いたちだ。そこを附け目に、ねばるなら、うふゝゝゝ!)
 境内からは、飛ぶ鳥の明日香あすかのさとと歌われた、古き都のあとが、なだらかな勾配こうばいの裾に見晴らされた。畝傍山うねびやま香久山かぐやま耳成山みゝなりやまの三山にかこまれた、睡むるがように静穏な盆地に、早春のなごやかな夕暮れが夢ましく近づいていた。──このあたり一帯は、敷妙にとっては、どこよりも深い追憶おもいでにつながる場所であった。いま師直へは、堺の兄とともに遊んだことがあったのだ、と答えた。しかしながら、事実は大ちがい──曾遊そうゆう伴侶はんりょは、虎夜叉正儀であった。それはなんと形容もできぬほど楽しい、嬉しい旅であった。虎夜叉は、敷妙をたずさえて、こゝ飛鳥あすかの古都──本朝文化の発祥の地の風光、遺跡を、こゝろゆくばかり探りあるいたのであった。それは一昨年おととしの春たけなわの三月初旬のことだった。虎夜叉は十九歳だった。敷妙は十七歳だった。
(あゝあの時の幸福さ……)
 追想が、にわかに涙をさそった。
 そして、一たび眼ぶたの堰が破れると、もはや止めどもなしに泣けて来るのだった。
 師直は、夕映えの微光のなかで、泣きぬるゝ妖冶ようやな美貌をのぞきこんだ。
「これさ、なにを歎くぞ!」
 だが、泣くその風情ふぜいが師直にはたまらなかった。

 師直もろなおの橘寺滞在は、三日にわたった。
 二十八日の朝、敷妙は、
「わたくしは、血腥さい戦場いくさばへは、参りとうはございませぬ」
 と、云った。
「血の流れるような戦さかよ。相手は長袖ながそでと、坊主と、山伏だ、相変らずの遊山ごころで、のんびりとついてくるがいゝ」
 師直はつれてゆく気であったが、敷妙は動かなかった。
「いやでございますものを、御無理な!」
 と、なまめかしく睨んでみせた。
「ほう。それほどいやなら、待っていやれ。おそくも明日の夕景までには、こゝへ戻って来る。わずか一日半ほどの辛抱ゆえ、わしも観念するとしょうか、はゝはゝ!」
 今夜は、吉野の鳳輦ほうれんをわが陣中へ迎えとり参らせるのだから、自分も心せわしくもあれば、躰にも暇があるまい。と、師直は思った。
「たゞし、留守が心配じゃ。直冬の未練心みれんごころが、隠密を入れておいて、今宵こそというので、そなたを奪い返そうとすることは、極めてありうることだからの。警戒は厳重にしておくぞよ。敵はむしろ後ろにありじゃ」
 敷妙を、橘寺の陣営にのこして、そこに五千の兵を残留ざんりゅうさせた師直は、いよ/\馬を吉野へと進めた。
 南山をいまや冒そうとする師直の軍勢は、すべて、おそるゝことを知らないような驕兵だった。左翼は芋ガ峠から上市へ、中軍は壺坂つぼさかから六田むたへ、右翼は国見山のふもとを迂回うかいして下市へと進んだ一万五千の将兵は、みちみち、民家という民家に手あたりしだいに火をつけた。黒烟りがもうもうと空になびき、焦げる臭いが山野にみちた。
 あわれ無辜むこの民衆は、泣きさけびつゝ逃げまどうた。それは理由のない放火だった。軍需品ぐんじゅひんはたんまりあてがわれていた兵は、掠奪りゃくだつの必要などはすこしもなかったのだ。だが強いて理由をさがすなら、示威ということであったろう。
 その意味では、たしかに効きめがあらわれた。というのは、峠越しに天に冲する黒煙りをながめた吉野の守備軍は、俄然士気を萎縮いしゅくさせてしまったからである。
 この士気阻喪そそうは、しかし、無理もないことだった。すでに行在あんざいの宮廷は、四日前に、穴生へ御動座あって、蔵王堂や如意輪寺にょいりんじまでも、まったく藻ぬけの殻だった。だから死を賭して吉野川の峡谷線をまもったところで、どれほどの忠義にもならなかった。で、一たん戦意を失ったとなると、もはや総帥そうすい四条大納言の統制などは行われない。もともと山の衆徒と、郷士や野伏せりの雑軍にすぎないのだから、いわば烏合うごうの勢で、頭かずだけは数千をそろえていたが、こうなっては頼りないことおびたゞしく、たちまち我れ先きにというさまで、あるいは十津川の奥へ、あるいは五条、紀ノ川すじへと逃げ散らばってゆくのみだった。
 最小の損失をもって最大の収獲をあげよう、というのが今度の師直の腹であった。当麻寺たいまでらや橘寺で、悠々みこしをすえていたのは、あながち敷妙のせいばかりでもなかった。窮鼠きゅうそかえって猫を食むようなことになってはばかばかしいという、心構えもあったのだ。
 思いどおり師直の軍兵は、一じんにも血ぬらずして吉野へ迫ることができた。
 たしかに、そこまでは宜かった。
「わあーっ!」
 ときが、万雷のとゞろくように、三たびあがった。吉野川の峡谷を越えた驕兵どもは、まるで大津波おおつなみのごとき勢いで、山上へ押寄せたには押奇せたが、
「あら、ら、ら、あっ!」
 と、衆口ひとしく叫ばずにはいられなかった。
 行宮も、伽藍も、邸宅も、たゞ寂寞じゃくまくとして人声を絶っていた。
「吉野山には、敵は一兵もおりませぬ」
「なに、一兵もおらぬと?」
 師直は、麓の川べりの幕のなかで、牀几しょうぎにかけていた。
「いずれかへ、いつの間にか、消えてくなっておりまする」
 先鋒、佐々木道誉の部将、鉢上景之はちがみかげゆきが、そう答えると、
「どこへせようと、木っ葉武士や雑兵めらに用はない。──鉢上」
「はあ」
「ひっきょうするに、鳳輦ほうれんと、高貴なかたがたの輦車みくるまとを、わが軍陣に迎えたてまつればよいのじゃ。わかったか?」
こうの殿! 高の殿!」
「あん?」
 師直は、佐々木の部将へ、眼をみはった。

「見えさせられませぬ」
「えゝ?」
 師直のひとみが、だいぶ拡がった。
「一大事でござりますぞっ!」
「なにが?」
「意外、面妖めんよう、あまりにも──」
「前置きはいらん!」
「あまりにも案に相違つかまつりまして──」
「はよう、これとく申せっ!」
「は。あるじの入道はじめ、二陣三陣以下の諸将方、いずれも呆然と、いうべき言葉も存ぜぬ有様にござりまする」
「ばかめ! 前後顛倒てんとうでは訳がわからん」
「いえいえ、顛倒は致しませぬ」
「ちえ、なぜ呆然ぼうぜんとなったのだ?」
「見えさせ給わぬゆえ──」
白痴たわけっ! た、誰れが、どなたがじゃ?」
 師直は突っ立った。事よういならずと感じて、瞳孔どうこうはますます開けた。
「高の殿! どなた、かなたではござりませぬぞよっ!」
「えゝ脳味噌の足りぬ奴、なにがどうあったというのだっ?」
 どなられたが、佐々木の部将はむしろふてぶてしく落着いていた。
「脳味噌の足りなかったは、はゞかりながら我が軍の、首脳部だったのではござりますまいか? 吉野の一山、げきとして声なく、火の気もなければ烟りもたゝず、行在所の内外うちそと、まったく無人の境と相成っておる始末でござりますぞ」
「なんと? なんと?」
 傲岸不屈な師直だが、声をうつろにして叫んだ。だが鉢上景之のことばつきは、冷然と乱れなかった。鉢上は、軍の首将しゅしょうが美女をようして、戦さの陣営にあるまじき婬楽をむさぼるばかりか、きょうは当麻寺、明日は橘寺と、何日をも空費して、ついに大目的を逸してしまったことに対して、憤怒いきどおりを感じていたのだ。
「行宮のみならず、公家の屋形も、堂も、寺も、がらんどうの空伽藍あきがらん、空屋敷ばかり」
「鉢上っ! 主上は──主上は、おわしまさぬのかっ?」
「もちろんでござる。考えても御覧ぜよ、無人の境に、やんごとなきあたりが在しまそう筈はござりませぬ」
「うーむ!」
 師直は、唸った。そしていくたびか、喉を異様にうめかせた。
(不覚! 不覚!)
 わが拳で、どんと胸をたゝきつけて、
「おん行衛は──いずくだ? どこだっ?」
 と、喚いた。
「尾上の松か、落葉の桜に、訊ぬるほかにすべはなし」
 と、鉢上がうそぶいた。
「だまれ!」
 はげしく叱咤して、
「八方手分けで、探れと申せ、佐々木に申せっ!」
「伝えまする」
 佐々木の部将が去っても、師直の唸り声はなかなかやまなかった。
(えゝ、しまった!)
 幕張りのなかを、あたかもおりをめぐる猛獣とでもいうべき恰好かっこうで、ぐるぐる廻っていたが、やがて麾下きかの幕僚にむかって、
「焼いてしまえっ!」
 と、どなった。
 愕ろいて幕僚たちが、
「は、なにを焼けと仰しゃりまするか?」
 そう伺いをたてると、
「その空屋敷、空伽藍あきがらん、いらぬからこそ捨てゝ行ったのだ。片っ端から、焼いて焼いて、焼きつくせ! 吉野の山を焼きつくせ!」
 まるで焼けぼっくいを揮りまわすような声で、師直は叫びたてた。
 その夜──。
 吉野山は、紅蓮ぐれんの舌に、まがまがしく嘗められた。
 不逞ふていの驕兵が放った火は、まず蔵王堂に、炎をあげた。
 折しも西南の風が吹きつのっていた。それが※(「(陷-コザトヘン)+炎」)えんねつに遭うと、たちまち、魔の風に変わって物すごく旋回せんかいした。烟と、火とは、その旋風に狂いつゝ、宿坊を蔽いつくした。
 みるまに、二丈二基の笠鳥居と、二丈五尺の金鳥居きんとりいとが、火の柱と化した。金剛力士の二階門の楼上へと、※(「火+(陷-コザトヘン)」)の舌先がはいあがった。
「おゝみごと、みごと!」
 師直の音声こわねには、異常の狂燥きょうそうがあった。
 月明りのない二十八日の闇空は、炎々とこげて、中天は真昼をあざむき、金峯山の峯はあかあかと光を反照はねかえして、暗黒のわくから浮き出して見えた。
「この師直をたぶらかした吉野山よ、燃えろ、燃えろ!」
 七十二間の廻廊へも、※(「(陷-コザトヘン)+炎」)がまわった。
 三十八所の神楽堂かぐらどうが、一時に火を吹いた。
「壮快っ!」
 示現じげんの宮──北野天神の別宮のむねが、どっと火柱を立てゝ、焼けくずれた。
 宝蔵が、火※(「火+(陷-コザトヘン)」)に包まれた。竈殿そうでんが焼け落ちた。いまや本堂の大厦たいかは、すさまじい音響を、ぐるりの山谷にこだまさせつゝ、猛然と燃え立った。
(あゝ、いゝ気味じゃ!)
 まさしく病的な鼓舞こぶに、師直は躍りあがった。
 三尊、光をやわらげて、衆人がその御前に、首をたれた金剛蔵王こんごうざわうの社壇もついに、劫火ごうかにあぶられて、えん優婆塞うばそくこのかた修験道にいやちこの霊場は、後醍醐のみかどを扶翼ふよくし奉ったいさおしをいだいたまゝ、むなしくも灰燼に帰すべく地に倒れた。
「高どの、もう、もう消しとめては、いかゞでござろう?」
 と、道誉入道が云った。
 だが、師直は、げたげたと笑った。
「焼くのだ、みんな焼くのだ!」
 火の海は、如意輪寺にうつった。
 魔の風の雄たけびが、一段とたけった。
 吉水神社の拝殿を焼きつくした炎が、如意輪寺の講堂をなめた火と合して、行在の宮闕きゅうけつのいらかへ流れた。
 北畠准后邸の宸殿しんでんから、この時、ひときわたかい火ぶきが見えた。
ざまをみろ!」と、師直が、※(「(陷-コザトヘン)+炎」)に酔いしれたかのように叫ぶのだった。



擬勢ぎせい擬装ぎそう

 梅花の馥郁ふくいくとかおる縁ばたで、夕飯はすませたが、なお虎夜叉は、幾波いくなみ折鶴おりづるに、酒の酌をさせていた。
「のう梶丸。もう使いが見えそうな──」
 ばん酌の相伴は、いつもどおり尾鷲梶丸おわせかじまるであった。
「待ちぼけそうでござりまするな」
「でも、おそくも今晩じゅうにはの」
「参るでござりましょうか?」
「来る。あるいは明朝になるかも知れぬが、来るにはきっと来る」
 春めかしい和やかな夕闇が、玄々寮げん/\りょうの内庭に、やがて近寄る時刻だったが、あかしはまだついていなかった。暮れなずむたそがれに、二人の美しい侍女の白い顔が、やゝおぼろに匂っていた。梶丸は、さかずきをほして、
「かえって、手足まといかとも存ぜられまするが、やはり──あの衆徒たちの力が、なんぞお役にたつのでござりまするか?」
 と、たずねた。そして曲器わげものに、自分の杯をふせた。
「もうしまうか?」
「お結構」
「梶丸」
「は」
「わしは、なにも長谷寺はせでらの衆徒の武力を、たのみはせぬぞ。だが、なにか役に立つか、と訊くのか。そなたまでが?」
「はあ」
「春さきは、とかく頭脳あたまがにぶる」
「恐れ入ります」
「わからぬか?」
「おはずかしきことながら」
「日ごろのそなたにも肖合にあわぬの」
「たゞ軍容をさかんにすること以外には、大和の、他の寺々への牽制けんせいくらいしか、考え得られませぬが──なにか特別の思召しでも?」
「人数ほしくば、穴生にをる四条卿の雑軍でも間に合うではないか? また大和やまとの寺社の向背こうはいとて、すでに分野は定まっている。長谷寺一ヵ寺がどうあろうと、形勢は変わるまい。法隆寺の別当覚懐べっとうかくかいまでが、師直の陣へ馳せ参じた」
「殿。ようやく!」
「む、わかったか」
擬装ぎそうのため──おそらくは」
「さすが。──そのとおり」
「では──真木野定観まきのじょうかんどのは、北軍の味方と号して音無川原おとなしがわらへ──?」
「そのとおり」
 と、ふたゝび虎夜叉がうなずいた。
 ──りん、りんりん、りん。
 こゝ衆妙房の壁にかゝった鈴が、鳴った。
 折鶴が、起って、入側から廊へ出て行った。
「来たらしいぞよ」
 と、虎夜叉は、梶丸の顔をみて、
「出兵の支度は、とゝのっておるな?」
 と、云った。
「は。今日こそはと、手ぐすね引いておりまする」
「夜襲の方の用意も、よいか?」
「恩智どのが、充分に心得ておるようでござります」
 幾波が、燈台ともしびだいに灯をいれた。
 もどってきた折鶴が、膝まずいて、
「真木野どのお使者でございまするが──」
 と、告げた。
「む。出て会おう」
 虎夜叉は、鎧びつのおいてある室へ、入って行った。
 その後から、
「あの──お鎧でございまするか?」
 と、幾波が、そして折鶴も走って行った。
 やがて、へやのなかから、
「梶丸。そちも早う、武装しろ」
 と、いう虎夜叉の声が聞えた。

 東条の城内は、室々にこそあかあかと燈火が、かゞやいていたが、屋外には篝火かゞりびなどは一つも焚かれていなかったし、馬にはばいふくませたし、人には高声高音を禁じてあったから、外部から窺ったぶんには、ふだんよりも却って静かなくらいだった。城内では、
「ありがたいことに、曇ってきたぞ」
 と、兵のひとりが云った。別の兵も、空をながめて、
「月も七日だから、曇らないことには、月かげが邪魔になる」
やかたが、鎧かぶとを召してござるぞ」
 と、また別な兵が云った。
「むゝ。ずいぶん、久方ぶりだのう」
「籠城このかた、はじめてゞはないか?」
「さよう。まる一ヵ月ぶりだ」
「まさか」
 と、さらに別の兵が、小声で笑うと、
「でも、ちかごろ見たおぼえが無いもの。甲冑のお姿は、たしかに、四条畷の合戦の日以来のことだ」
「いかにもな。槇尾山まきのおやまから、吉野へおまわりになった時さえ、小具足だった」
「鎧が、よっぽどお嫌いと見えるて」
「お亡くなりの兄ぎみ達は、よく召しておられたがのう」
「お種もお腹もおんなじい御兄弟で──こうも異うものかしら!」
「おれの兄弟なんぞは、食べものに意地きたないところから、鼾の音いろまで区別がつかぬそうだがのう」
「馬鹿いえ。鼾の音いろは、たいがい似ているわさ」
「とにかく今夜は、たいそうなお意気ごみらしいぞ。ひょっとしたら、御自身、御出馬かも知れん」
「なにしろ今夜という今夜は、はじめてあの抜け穴が、役に立つのだから愉快じゃよ」
「大骨を折ったからのう、とてつもないあの穴掘りには」
「去年の秋から、毎日々々、千人がかりで掘った隧道ずいどうだ。出来あがったのがこの二月の一日じゃもの、延人数にして見ろ、十日で一万人、ちようど百日かゝったから──なんと十万人だぞ。十万人の力で掘った隧道なんていうものは、唐天竺からてんじくなら知らないけれど、俺たちは聞いたためしも覚えもありはせぬ。掘りも掘ったが、よくまあ思いきってお掘らせなすったものよ。やかたの殿でなくば、お出来にならぬわざだ」
「そうともよ。だが俺たちは小半年、地べたにもぐって、人が爪生野うりうので勝とうと、四条畷で討死しようと、一向に、かゝわりなしのもぐらもちでは、なんぼなんでも情けなかったが、やっとこさ今夜は溜飲りゅういんがさがろうというものだ。ぞんぶんにった斬ろうぜ!」
「斬るとも斬るとも、大根なますだ!」
「刀が折れたら、源秀どのだ、喰らいつく!」
「もぐら鼠から狼へ、早がわりか!」
「虎だ、虎だ! 虎夜叉さまの郎党ろうどうだ!」
「しっ! 静かに!」
 兵は、首将の虎夜叉正儀が、およそ一月ぶりで虎がしらの兜をかぶったのをみて、いさみ立っていた。
 玄々寮げん/\りょうと城外の岩壁とをつなぐ秘密の地下道とは全然別に、一大坑道がうがたれたのは、今夜のような出撃のための設備だった。その坑道をくゞりぬけて城を出るなら、包囲の敵陣へひそかに迫ることが出来るのだ。
 地下の大坑道が掘りあがるまでは──と、城兵はみな待った。だが、その工事がすっかり落成しても、虎夜叉は、相変わらず玄々寮で、書物を読んだり、酒を飲んだりしていて、敵が攻めかゝって来れば、ほんの普通あたりまえに防がせるだけであって。兵は、奇襲きしゅうの出撃命令の下るのを、今か今かと首をながくして期待したから、隧道工事の竣工しゅんこうした日から今日までの七日間は、じつに待ち遠しかった。
 兵のみでなく、一ぱしの将領株しょうりょうかぶでも、やはり想いは同じだった。
 それが──
 いまぞ出撃!

「驚いたのう」
和殿わどのも、一言半句つけなかったの」
「むゝ拙者、はじめて頭がさがった」
「只今から、おとどの呼ばわりは断ぜん、止そうではござらぬか?」
「いかにも。やかたじゃ館じゃ!」
「やはり血統ちすじは争われぬて、正成の殿の御三男だ」
「われわれの館、楠氏の当主あるじと仰ぐにたる御智謀じゃのう」
「まさしく、奇想天外きそうてんがいの妙計だ」
「必勝うたがいなしの御作戦だ」
 貴志きし右衛門や、矢尾新太郎や、宇佐美成時なりとき安間やすま余一などの諸将が、こんな具合に語りあった。
 召集された枝城、出城、哨塁しょうるい防砦ぼうさいの守将たちは、今晩から明晩へかけての作戦の一般方略を虎夜叉から告示されたのであった。
 会所の広間へ、恩智正一おんちまさかずが、にこにこ顔で出てきて、
「方々、どうじゃ? 呑舟どんしゅうの魚は枝流におよがず!」
 と、言った
「いや恐れ入った」
「わしも、城の前の敵軍を襲うものとばかり思っていた。ところが、なんと驚ろいたことには、今夜の夜討ちは、敵の注意をみだすために過ぎぬとはのう」
「まことにな。目ざすは大和やまとの師直軍とは、思いもつかぬことでござったぞよ」
 と、云ったのは、安間余一だった。
 虎夜叉はこよい、隧道から奇襲の兵を放って敵の陣営を惑乱わくらんさせ、その狼狽を利用して、城内の兵の大部分を大和へ移動させようとしているのであった。
 恩智が云った。
「三万の大敵に囲まれたこの城を、空にして、大和方面の敵軍を襲うなどということは、先々館せん/\やかたの御智謀をもってしても容易に考え得らるゝものではなかろう。──貴志、宇佐美」
「おゝ、和殿はいよいよ──出撃か?」
 と、右衛門と成時が、恩智をみはった。
「む。──お身たちは、各自の持ち場をまもってじいっとしておれば宜いのだ。矢尾、おぬしにも頼むぞ、大切なのは明日だ。枝城から兵をこゝへ移す必要はないのだからの、こゝはいかに無人でも、おぬしらは平気な体でいてくれたら、それでよい。──安間、おことは大和へお供できるゆえ仕合せじゃ、はなばなしい奮闘をいのるぞ」
「働きまする」
 と、余一が答えた。
 安間余一は、恩智の叔母の子であった。
興武おきたけは、飯盛山いゝもりやまでみごと籠城をつゞけているし、わしは今夜の夜襲の将を承わったし、そこでおことから功名して貰えば、亡き祖父じいさまもどんなにか、泉下で喜ばれることであろうぞ」
「正一どの!」
「余一!」
 その昔、故正成のいまだ若かった頃から、楠氏の老臣として重きをなした恩智左近満一おんちさこんみつかずは、正一と興武にとっては祖父、余一からいえば外祖父だったのである。
「さらば」
 恩智正一は、兜を持たせておいた兵を、手招きした。
 出撃の奇襲部隊きしゅうぶたいの兵数は、五百であった。──夜はもういぬ──九時を過ぎていた。

 じっとりと曇った夜の水分みくまりには、遅れ咲きの梅林が、いまを盛りに暗香をたゞよわせていた。
 与茂平が、腹巻をつけて、馬のくつわをとった。度々平は、馬の尻尾に肩をふれさせた。
 東の城門を出た虎夜叉正儀は、一軍の先頭に立って馬を進めて、いま水分みくまりの本邸の前まで来たのであった。
 梶丸だけがたゞ一騎、虎夜叉に先行した。
 三千の精兵のうち百あまりが、馬尾についてきたので、その他はみんなまだ城門をでなかった。奇襲部隊が前面の敵陣をおびやかすのを合図に、出発しようというのだった。
「殿、お立ち寄りなされますか?」
 と、梶丸が馬上で、後ろを振りむいた。
「む。お会いしてゆこう」
 虎夜叉が、梶丸とならんで、水分館みくまりやかたの表門へ近づくと、そこには屋敷の郎従や若党下部わかとうしもべどもが群れて、出迎えていた。門内の楠木の老木の根がたには、篝火かゞりびが焚かれて、そのそばに、後室こうしつ久子の方が腰元たちをつれて立っていた。下赤坂からも桐山からも、虎夜叉の出陣をさっき報らせて来たのだった。
「母者びと」
 馬からおりた虎夜叉へ、
「お弔い戦さに、出馬さるゝと聞いて、母は嬉しう思いまするぞや」
 篝のあかい火影ほかげで、母堂の顔をしずかに眺めて、
「お弔い戦さではござらぬ」
 と、虎夜叉が云った。
「でも──師直へは、惜しくも討ち洩らしたという先館の、恨みが遺っておるではないか?」
「いや、亡き兄上の遺恨をはらすべく戦う正儀ではござりませぬ」
「しかし師直をうち破らば、それに上越す回向はありますまい」
「いえいえ、四条畷の霊魂みたまへ、手向け草をさゝげたいというような、あまい気持ちは、露ござりませぬぞ」
「まあ、それを甘い気持ちなどと──?」
「母上、師直はいま、新行在所の穴生を、側背そくはいから衝こうとしておりまする。吉野を焼いてなお飽きたらず、一たん橘寺へ還した軍ぜいを、ふたゝび進めて、穴生と相へだたること遠からぬ音無川原まで迫っている」
「おゝそれは私とて、なんで心安かろう。もったいなくも吉野の宮殿にまで火をかけたほどの逆賊どもが、穴生に迫らば、たとい天険あればとて、※(「砥-石」)あとがわ入道の城は小城だし、兵はせいぜい五六百──隆資たかすけ卿や吉水法印の軍勢では、なんの頼みにもなりませぬし──」
「それ御覧じろ、危機じゃ」
 虎がしらの兜の、目庇まびさしの下で、双眸ひとみがらんらんと光った。
「打破しなければならぬ危機でござる。──ある程度までは天険にたのめる。二万の兵を擁しながら師直が、音無川原で滞陣すでに幾日かにおよぶのも、しょせんは行軍の困難があるからでござりまする。だが、黒滝川、丹生川にうがわの峡谷に、敵を進入させては、事態ことが非常にむつかしくなる。師直の荏苒じんぜんに乗じて明日は、手痛くたゝきつけます。危機とは申せ、その到来はそれがしが、かねて期したることゆえ、たゞいまから逆寄さかよせに寄せてまいって、一挙に敵を、宇智郡うちごおりの外へ、追いちらしましょう。──まことに危急の場合ながら、母者人、ふかくはお心を、お痛めあるな」
「おゝ、虎夜叉!」
 後室は、さも頼もしげに云ったが、すぐにまた案じ顔にかえって、
「おん身に、成算が──おありか?」
 そう訊ねると、
「成算なしに動く正儀と思召おぼすか?」
「でも、三千で──二万の敵に──?」
「はゝゝ、まともな合戦などは仕らぬ」
「そりゃもうおん身のことゆえ──」
「母上。では明瞭はっきりと──御安堵あれと申そう」
 後室は、うなずいてから、
「そんなら大和の方へは、気をかけますまい。おん身を信じて吉報を、まつことにいたそうが、あとの東条に心配はなかろうか? 本城が空では、こゝろ細いのう!」
 と云った。
 虎夜叉が、
「御無用」
 と、手を振った。
「その御心配もいりませぬ。留守の安全を期すための、こよいの夜討ちでござる」
 そう答えたとき、梶丸が叫んだ。
「おゝ火の手、火の手っ!」
 与茂平も叫んだ。
「あれあれ首尾よく、火の手が、火の手が!」
 ちょうど東条の真北から、真西へかけての暗い空が、ぼうーっと赤く染まった。と、見るまに灼熱しゃくねつ※(「火+(陷-コザトヘン)」)のさきが、めらめらと揺らぐのが、一ヵ所、二ヵ所──何ヵ所かにながめられた。東条の城外、石川の広い河原に陣どった敵営が、恩智正一のひきいる奇襲部隊きしゅうぶたいによって放火されたのだ。
 警鉦けいしょうの乱打が、ひゞいて来た。
「おしいことには、風がない!」
 と、度々平がわめいた。
 門の外にいた兵が、どっと快哉かいさいを叫んだ。
 西の方は、東条、佐備さみ、滝谷とつらなる丘の陰になって、こゝからは※(「(陷-コザトヘン)+炎」)が見えなかったけれど、北の方は焼けるのが、よく見えて、ごく微かではあったが敵兵の、うろたえ騒ぐわめき声さえが聞えてくるのだった。
「母者。──師冬もろふゆが、河原に築いた対塁たいるいにも、おそらく火はついたでござろう。こうして胆をうばっておけば、こゝのところ二日や三日は、たしかに安全でござりましょうぞ」
 と、虎夜叉が云った。
 後室は、にっこりと頷いた。
(夜討ちとは、こうした夜討ちであったのか!)
 これならば、三千の兵が城を空にして出てきても、敵にけどられる心配はない、と久子の方は思った。
 攻囲軍の陣地の東のはずれ──すなわち最左翼さいさよくは、東条川が石川へ流れこむ、その出合いの近くだった。そして最右翼の西のはずれは、嶽山たけやまのふもとの、滝谷、彼方おちかたまでのびていた。
 だが、それでははなはだ不完全の攻囲陣地といわなければならなかった。なぜかなら、包囲線は、半円をえがいているだけで、東条の南、東の方面からは、まったく囲むことが出来なかった。だから、包囲線の張られていない部分から、いつ何時、城兵が夜討ちをかけるか知れぬという恐怖心──それが、左右両翼のはずれを、極度きょくどに警戒させた。
 で、どんな晩でも、哨兵しょうへいたちが、どの陣地よりも厳重に、寝ずの見張りをつゞけていたのであったが、秘密の隧道ずいどうは、そうした警戒からずんと離れた場所に、出口をもっていた。そこは岩壁のふかいひだのかげで、師冬のきずいた対塁へは、むしろ近かった。放火が第一目的の奇襲隊は、だから、白河夜舟と寝込んでいる敵陣の奥へ、まんまと近づけたにちがいなかったのである。
「館」
 と、梶丸が呼んだ。
 虎夜叉は、顧みて、
「安西の隊が、もうやがて見えるだろう」
 と、云った。
「先陣させまするか?」
「む。そして二陣は、安間がよかろう」
「第三陣は?」
「橋本兄弟を、三番四番に──」
「は。第五陣には?」
生方うぶかた
「次ぎは?」
「わしの本陣」
香月こうずきどのが、殿陣しんがりでござりまするか?」
「そうだ」
 虎夜叉は視線を、東条の西の空へやった。赤い火の反照てりはえが、ますます濃くみえた。
 後室が、
「のうやかた。──長谷の真木野どのには、二心ふたごころや、返り忠などの怖れは、きっとないであろうか?」
 と、云った。
 虎夜叉と三千の兵は、真夜中に青崩あうぐえの谷をのぼって、水越峠をこえ、大和の室花むろばなの宿と名柄ながらむらのあいだの森で、夜明け前に、真木野定観父子じょうかんおやこのひきいる長谷寺の兵と相合うことになっていた。
「疑りぶかいようだけれど──?」
「お案じなされますな」
 虎夜叉は、焦げた空をながめつゞけながら、答えた。



音無川畔おとなしかはん逆襲ぎゃくしゅう

 吉野川が、下市から西へ一里あまり流れると、川瀬が急に左へまがって阿太あたの懸崖の裾をあらう。そして阿太から下流しもを、音無川とよばれる。
 音無川は、五条むらの南で、穴生の奥からながれてくる黒滝川の水を合わせると、名が紀ノ川と変わる。──師直は、山越をして穴生の背後に出ることも、考えたには考えたけれど、やはり山になれない兵には、黒滝川について登る方がいゝと思った。
 そこで、まず音無川原に全軍を集結して、兵站へいたんをととのえた。本陣は、河原を見おろす栄山寺に構えられていた。
「は、真木野定観どの御著到でござりまする」
 報告をきいた師直は、
「む。こゝへ通せ」
 と、命じた。
 寺の客殿で、諸将をあつめて、酒もり最中だったのである。
 師直の膝のわきには、敷妙がすわっていた。吹きあげてくる夜の川風が、しょくの灯をゆらめかした。春とはいえ、川風はまだ肌ざむかった。だが諸将の顔は、日暮れ前からの酒で赤々とほてっていた。
 副帥格の細川頼春が、
「なにを愚図ついていたのだろう、室花からこゝまで三里ともない道のりを──?」
 と、云うと、京極秀宗きょうごくひでむねも、
「よほど悠長に出来ておる。役に立ちそうもないのう」
 と、そばの佐々木道誉をかえりみたとき、客殿へ、真木野定観が三輪西阿みわのさいあと一緒に入ってきた。
「初めておめにかゝる三輪西阿を、同道仕まつった」
 定観は、かつて京都で師直に会っていた。
「真木野。固くるしい会釈はいらぬ。さあ杯を進ぜよう」
 そう云って、師直は酒をつがせた。
「その杯を、三輪へ」
「頂戴つかまつる」
 西阿が、飲んで返杯した。
「両所の参陣は、近ごろ殊勝の至りじゃ。たゞし──」
 と師直は、鼻の脂肪あぶらを、片手でぬぐって、
「二里半の道を、まる一日がかりの行軍とは、これまた近ごろ、稀有けう暢気のんきさじゃ、わはゝゝゝ!」
 たかだかと笑うと、諸将もおかしがって笑い声を重ねた。道誉が、
「脚をいためた牛よりものろい」
 と、云った。
「較べるなら、亀の鈍さかの」
 と、京極秀宗が附けたした。
「真ったいらな下街道しもかいどうでその態なら、このさきが案じられる。明日からはいよいよ、黒滝川の遡上さかのぼりじゃ」
 細川頼春がそういうと、定観は微笑して、
「亀か牛かは存ぜぬが、二里半の道は、ちょうど一※(「日+向」)ときほどで歩きましたぞ。おそらく貴方がたの御酒宴が、始まりましてから我々は、室花の宿を発ったことゝ思われまする」
 と、答えた。
「ほう。では日没後に──?」
 定観はうなずいて、あらためて師直へ、
「さんぬる正月、佐良々四条畷合戦のみぎりは、手前どもの衆徒中、吉野へ加担かたんいたせし者もこれあり、拙者としてはまことに不本意に存じておりましたところ、このたびはこうの殿御自身で大和へ御出馬──はやくも吉野を攻めおとされて、穴生をさしての御進撃とうけたまわり、この機においてお味方に参らずば、またいつの日か長谷寺の、幕府に対する恭順きょうじゅんぶりを、表明いたすべきや、と考えまして、真木野が力におよぶ限りの兵数を狩り集めたのでござる。それがため、きょうは午後にいたるもなお続々と、士卒が馳せまいり、ことに三輪の手勢、一千を待ち合わす都合もござりましたゆえ、かたがた室花発が、日暮れ後と相成った次第でござる」
 と、述べた。
「ほゝう。それは神妙なお話じゃ」
 師直は、上機嫌で、
「三輪の手勢のみでも──一千と云われたの。して、着到の総勢は?」
「四千五百」
「なに、四千五百!」
 機嫌はますます斜ならず、
「よくも集めたぞ、大部隊じゃ!」
 と、讃めた。
 真木野定観は、その賞め言葉に、頭をさげて会釈したが、ふたゝび杯を貰ってからは、ちらりちらりと敷妙の方をながめた。
 それに気づくと師直は、
(ふ、この入道めも、好色すきだな)
 と、思った。

 敷妙は、睡られなかった。
(睡りたい!)
 と、あせればあせるほど、目がさえて、後頭部が、錐のさきでちくちく衝かれるかのように痛んだのである。
(覚めていたとて、なんになろう?)
 睡眠こそ、せめてもの救いだった。
(ふかい睡りは、苦しい意識を消してくれるし、あさい眠りは夢をさそうて、虎夜叉さまのおそばへも自分をつれてゆく)
 夢だけが、望ましい現実で、覚めている間が、おそろしくとも夢魔むまうなされであったなら、どんなに嬉しいことだろう?
(あゝ、こうした情けない、むごい夜昼が、いつまで──?)
 続くか? 続くか?
 十七の秋までの自分は、幸福すぎた。両親を早くなくした不仕合せひとつを別にすれば、まことに申分がなさすぎた。堺港の大商人の家の富は、なまなかの武家大名を凌いでいたし、兄伽羅作きゃらさくは、慈愛いつくしみの厚い兄だったし、つぎの兄の舜髄は、すきな文学の親切な導者みちびきてだった。そして十五の春、懇望されて東条の侍女にあがって──
(虎夜叉さまのおいとしみにひたった)
 それも、たゞお情けがかゝったというだけでは足りない。自分の恋が、うれしくも、叶ったのであった。──果報負かほうまけが、きたのだ。
 でもまた、この正月までは、悲しいながらもどうやら辛抱できていたのに、なんという悪辣あくらつな運命であろう──※(「ケモノヘン+非」)ひゝとあだなされる獣人のふところに、われから身を投じて、しかもその醜怪しゅうかいな情慾の炎を、あらゆる手段で煽らなければならぬというのは!
 そう思うと、敷妙はたまらなかった。
(おゝ、けがらわしい!)
 師直の鼾が、すさまじく響いていた。
 あくどい体臭と、酒臭いいきとが、室内の空気を、すっかり濁らせたからでもあろう、敷妙は胸ぐるしい嘔きけを感じた。
 で、師直を目覚めさせぬように、そっと臥褥ふしどをすべり出て、足音をしのばせつゝ、入側から、戸をあけて濡れ縁へ、不快な鈍痛と、気だるさをおぼえる自分の体を、はこびだして、ほっと太息といきをついた。
 そして、冷えびえとした外気を、吸ったり出したりしているうちに、すこしは体が浄まったように思われてきた。
 八日の月がかたむいて、暗い空に星が光っていた。深夜の陣営は、寂寞と川原にひろがって、二万五千の将兵をしずかに睡らせていたし、音無川はもはや阿太あたきょうで、瀬音をつかい果したかのように、その名のとおり音も無く流れているのだった。
(真木野の長谷寺衆はせでらしゅうまで着到したゆえ、明日は進むのだという)
 いく日かの後には、穴生も、吉野とおなじく、兇暴の火に焼かれるのではなかろうか? 新らしい行在所もまた、獰悪どうあくな朝敵のために冒されることから、まぬかれ難いのではなかろうか?
 そう思うと、敷妙は、背すじに悪寒おかんをおぼえずにはいられなかった。

(あゝ恐れ多い!)
 敷妙はぶるぶる、身を慄わせつゝ、師直が穴生へ迫ったなら宮廷はいずこへ、おうつりあるだろうかを想像した。
 穴生ならば、安らかに守護し奉るすべもあるのだと、梶丸から聞かされてはいたけれども、いかに嶮岨けんそといっても、天然の要害だけでは防げるものでない。穴生という場所に、東条のような城と、兵とがあるなら、この大軍をも、あるいはさゝえとめ得るかもしれぬが──。
(でも、東条の殿に──なにかしらお手だてがおありなのだろうか?)
 ちょうど、その時だった。敷妙は、異様な物音を耳にした。
(おや? なんの音かしら?)
 眼のしたに、闇のなかに、漠々ばく/\とつらなっている河原の陣所の方から、不思議なひゞきが伝わってくるのだ。
 風の音ではなかった。
 むろん、水の音ではなかった。
(人の声?)
 と、おもう間もなく、それは、わあーっという、まがいもない喚き声として聞えてきた。
(おゝ、あの声──おびたゞしいあの声は──?)
 河原では──楠の精兵三千が、時刻を見はからって突如いきなり、猛烈な襲撃を開始したのであった。真木野定観と三輪西阿にひきいられた四千五百の混成隊こんせいたいは、その実、三千の楠兵をふくんでいた。楠兵は、おゝっぴらに師直軍のまったゞ中へ入って、陣どることができたのだ。
 河原では──京極、佐々木、細川の三つの陣に挾まれたような場所に、今夜の宿営を張った真木野陣から、一千ずつ三隊にわかれた楠兵が、獰猛な喊声もろともに、迅雷、耳をおゝういとまさえ与えぬという勢いで、一隊は、細川陣へ、一隊は、佐々木陣へ、さらに一隊は京極陣へ、まったく同時に突入したのであった。
 音無川原は、忽然こつねんとして、たとえようにも言葉のない混乱を現じだした。
 なにがなにか解らないだけ、狼狽と、惑乱わくらんとがはげしく、おどろきと怖れとが激しければ激しいほど、死傷はますます算を乱した。
 明日は悪路、難行の深山入みやまいりだから、せめて今夜一夜は、らくらくと寝よう、寝てやれという気で、武装は名残りなく、みずから解除かいじょしてしまった兵が、剣と槍と長巻ながまきと馬蹄との、いわばつなみに襲われたのだ。刎ねとばされた首が、半分もがれた頭にぶつかり、血みどろな自分の腕を、地べたで探しまわってみたり、脚のもげたことを忘れて走ろうとしたり、喚こうと思うやさきに呼吸が絶えたり、主人が斬ったのは家来だったり、郎従の突いたのが将であったり──。
 暗さは暗し──敵は通り魔のような迅速じんそくさ。
「敵か? 夜討かっ?」
 と、酒の酔いも一瞬にさめて、京極秀宗は、おっとり刀で叫んだ。

「敷妙っ──敷妙っ!」
 と、師直は、鎧半ぶん着ただけで、大刀のさげ紐を腰にむすびつゝ、客殿の入側いりがわや廊を、走りながらび廻った。
 かすかに、敷妙の声が、
「はーい!」
 答えた。(たしかに答えた)と、そう思って、師直は、
「庭だっ!」
 と、叫んだ。そして外へ駆け出ようとしたので、側近の士の一人が、抱きとめて、
「殿、早うお馬に馬に、馬に──」
 郎従の一人が、
「お部屋さまは、それがしがお伴れ申す!」
 他の郎従が、
「私どもがお供つかまつる!」
 そう云いざまに、庭へ走り出たとき、室内へは、部将の何某なにがしが、蒼白な顔で跳び込んできて、
やかた──館っ、総崩そうくずれ──総崩れっ!」
 声を上ずらせつゝ、
「佐々木どのは──肩さゝき、あ、肩さゝきではない肩さきに……」
 と、喘ぐのを、
「む、道誉が、道誉がなんと?」
重傷いたでを負われ──京極どのは討死──討死され……細川どのが行方知れず……」
「おゝ、彼等が揃ってやぶれては、退くほかないな」
「館、かくなる上は瞬時しゅんじも早く──」
「殿、殿っ!」
 と、側近が声々にさけんだ。
「やあ敵、敵! あの物音は敵でござるぞっ!」
 と、縁端えんばなでどなる者があった。
 庫裡くりの方から狼狽えさわぐ声が聞えてきた。
「馬を引けっ」
 そう云ったかと思うまに、師直は、庭へ走りおりた。
「敷妙っ! 敷妙はいずくじゃ?」
師直も一生懸命だが、家来も安危のわかれみちだ。
「館っ!」
「敷妙っ!」
 よばわる声と声とが交錯こうさくした。
「探せっ!」
 と、師直が、たけるように命じた。

 庭は暗かった。
 敷妙は、息をこらして、樹蔭にかくれていた。最初ひと声、師直に答えたきりで──答えるとすぐ、居場所をずんと別な方角にうつして、身を潜めていたのであった。
 自分をさがすための郎従どもが、なんべんか、そばを通りぬけた。おびえたった彼等の断れぎれの会話を、つぎあわせて考えてみると、どうしても楠兵の夜襲にちがいないと、そう思わずにはいられなかった。
(天から降ったか、地から湧いたか──と、いま話して通ったが、そんな夜討ちが、ほかの人に出来るものでない。虎夜叉さまに相違ない。穴生をふせぎまいらせる手だてが──あると仰しゃった東条の殿にちがいない)
 敷妙は、異様な河原の物音を、夜襲だと感じたその刹那から、おゝ嬉しや今夜は東条の殿に逢えるのではないか? と思ったのだ。彼女は決して、自分の重い任務をわすれたわけではないけれども、逢えるかも知れぬと思うと、師直のそばへ行く気持ちには、とてもなれなかった。
(どんなに叱られてもいゝ!)
 敷妙は、樹かげにひそみつゝ、待った。
(おゝ、松明たいまつ! 蹄の音!)
 敵陣から奪った照明を、今やふりかざして闇をてらしつゝ、驀進ばくしんして来た一隊──その中央の馬上の将が、大音声に、
「楠虎夜叉こゝにあり。やあやあ師直、出会い候え」
 と、よばわった。
(おなつかしや、あのお声!)
 敷妙は、庭から、本堂の前の広場へ、走って行った。
 寺は、もうさっきから、庫裡くりの横へ進入した安西九八郎隊によって襲われていたので、師直の側近の兵はおゝかた、裏門から遁れでて、残った者はみんな斬られていた。
 安西が、
「殿──」
 と、馬を寄せてきた。虎夜叉が、
「九八郎。──師直は、無事に、逃がして遣ったであろうな?」
 そう訊ねると、
「仰せの通り」
 と、安西が答えたとき、梶丸がさけんだ。
「あれっ敷妙、敷妙どのが──」
 松明の灯が、悽艶せいえんな美女のすがたを──かおを照らした。
 敷妙は、他のすべてをわすれたように──取り乱したさまで、馬側へ走りよって鞍のはしにすがった。
 ひとみが、馬上の眸とあった。
「おゝ!」
 と、云った虎夜叉のおもてには、抑制よくせいをおしのけた感情が、ありありと映った。けれどもたかぶったその感動も、ほんのしばしで、つよい意志で置きかえられた。
「なぜ残った? なぜ師直のそばから離れたのだ?」
 わあっと泣き入る声で、それに答えた敷妙だった。──彼女の手は、馬腹の、虎夜叉の膝に、脛当すねあてにすがったのである。
 およそ何人なんぴとに接しても、慧敏けいびんな、明徹な理性のひらめきの曇るような彼女ではなかったが、ひとり虎夜叉のかたわらにある時だけは、はるかに愚かしくなるのだった。
「くどくは云わぬ──そなたの重き使命は、やっと半ばが果たされたのみだ。働くべき基礎どだいが、築けたにすぎぬぞよ敷妙。それわきまえぬそなたでもなかろうに──夜討ちと知った歓びに浮かされて、ついふらふらと心まどわしたのであろう」
「殿──わが殿……」
 泣きじゃくりながら、
「かしこきあたりへの御奉公──殿への忠義と、心はきめても……堪えかねまする辛さ、悲しさ! 師直という人非人にんぴにんに、もてあそばれても泣けぬ苦しさを、どうぞお察しくださいませ!」
「気の毒だ。不憫ふびんじゃ、だが、それを憐んでいては、幕府に勝てぬのだ。朝敵を、ほんとうに破るためには、そなたを師直に預けておかねばならぬ。つれないようだが、あの狒々のそばへ戻ってくれ!」
 虎夜叉は、そうさとしてから、
「九八郎。此女これ輿こしを探させよ」
「は」
「すてゝ逃げたに相違ないぞ」
「は」
「師直め遠くは行くまい。此女これを、送り届けるための宰領さいりょう──梶丸そちに申しつけた」
「は」
「──のう敷妙」
 と、虎夜叉は、じいっと女の顔を見おろして、
「この正儀まさのりは、そなたの恩を、心の奥に牢記ろうきして忘れぬぞよ。わしのもっとも深い感謝は、つねに、たえずそなたにそゝがれている」
 いわれて、敷妙は一入つよく、馬側の脛に腕をからめて、
「虎夜叉さま!」
 と、名を呼んだ。だが、その足を、正儀はかるくゆすった。
「半年後か、一年後かはわからねど、東条へ還りうる日はきっとくるであろうぞ。さあ、それまでは頼むぞ! 行ってくれ!」
「はい!」
 残り惜しげに、脛当から手を離して、
「そのお言葉をふところに抱きしめて、わたくしは参りまする!」
 河原からは、潰乱かいらんの敵兵を追いちらす吶喊とっかんの声が、なお聞えていた。
輿こしが──見当りましたぞ」
 と、安西九八郎が、庫裡くりの玄関に現われて叫んだ。
 それをかくべき郎従は、すでに梶丸がきめていた。

 河原から宇野への街道は、敗兵で埋まったし、、街道ばたの原にもいく筋となく、退却兵の河ができていた。
 街道では、走ろうと思っても、先がつかえて走れなかったから、逃げることを急ぐ者は、原へはみ出てやみくもに急ぐほかなかった。
 師直は、精いっぱいの声で、
「止まれい! 返せいっ!」
 と、呶号どごうしたが、駄目だった。
 師直の声も、馬の力も、堤をきった洪水のような潰走かいそうのいきおいを、さゝえ得られるはずがなかった。
 まるでお祭りの群集にもまれる山車だしのごとく、師直はいまや街道で、進退をさえ失ったが、でもなお、声をふりしぼった。
「殿っ、大切なお生命じゃ、一刻もはやく平田まで──」
 と、老臣の益子弾正ましこだんじょうが、叫んだ。
「生命も惜しいが、女も惜しいぞっ!」
 師直は、叫びかえした。
「楠の全力をあげた逆襲は、そらすが上策でござるぞっ!」
 弾正も、やはり山車の一つであった。
「闘うのではない。敷妙をさがしに返せ、戻せ! ええ戻せというに!」
 師直の馬は、四五人の兵を蹴ちらして、路から畑へ跳び出した。
「館あ、天下のためには、女人のごときを──」
「馬鹿あ、天下は天下、女は女だっ!」
 真っ暗な畑のなかを、声を目あてに郎従どもが、師直の後を追って走った。走った。



さみだれ雲

内侍ないしさま。おもえば夢のようでございまするのう」
 後室久子の方は、あまりにもおもやつれのした弁内侍べんのないしを、またあらためてじいっとながめた。その眼が、なみだにうるんだ。
 久子の方の泪は、自分がいま語った四条畷の戦いや、清涼寺に埋まったわが子の首からも誘われたが、それよりも内侍がなお恋々の情を断ち得ずにいるらしいさまを、哀れと感じたのであった。
 だが、内侍の言葉は意外だった。
「お歎きなさいますな、返らぬことを」
(おや?)と、後室が思ったとき、内侍は、
「もはや返らぬことでございまするものを」
 と、附け加えた。
「でも──?」
「でも──その後はよいことばかり──二月きさらぎこのかた、芽出度いこと続きでございまする。正儀の殿の、さながら軍神いくさがみのようなお謀計はかりごとで、音無川原の大勝利──二万とやらの大敵が、ちりぢりばらばら、師直もほうほうのていで京都へ、逃げて還ったため、穴生の宮居は、泰山の安らかさでございまする。また三月やよいから卯月うづきにかけては、東条こちらのお城でも度たびのお勝ち戦さで、城攻めの敵方はもう、逃げ腰の遠巻きじゃと承わりましたし──なにもかも、みんな正儀の殿の、お力ではございませぬか?」
「内侍さま──」
「お母堂ふくろさまのお歓びは、まあどのようであろうぞと──」
「もし。その歓びは大きゅうございまする。つい昨晩も、寄手の副将、高師茂こうのもろしげの首を討ちとりましたので──」
「おゝまたぞろお手柄あそばしたか!」
「うれしさは、お言葉どおりでございまするが、でも内侍さまのお心憂さを、おもいますると、わたくしは……」
 後室は、そう云いさして内侍のかおを見いりながら、
「いぶかしい!」
 と、感じた。自分の推測に、かなりな誤りがあったのではないか、とも思われた。
(諦めが、おつきなされたのか知ら? もはや返らぬことだと仰しゃった──)
 雨の音が、またも、聞えてきた。
 そとは、やみそうもない五月雨さみだれに、樹も、石も、土も、ぬれに濡れて、水分館みくまりやかたの庭の池は、あふれるくらい水嵩が増していた。
 内侍が庭へ目をやったので、後室も戸外そとをながめるともなく眺めたが、
(この雨つゞきでは、てんノ川、黒滝川の谷々は、さだめし出水で、穴生からの路は、どんなにか悪かったであろうに──)
 路のわるさをも厭わずに、内侍が訪ねて来たのは、なんのためだろうと、後室は考えてみた。
 だが、見当がつかなかった。
 よほどいてみようかとも思ったが、めて口をつぐんだ。黙っていても、内侍の方から云いだすにちがいないと考えたのである。
 しかし内侍は、たゞ虎夜叉の噂ばなしばかりするのだった。
「穴生での、正儀の殿のお人気は、それはもう大層なものでございますぞや」
 とも、云った。
 新待賢門院が、とりわけ御贔屓ごひいきあそばす模様なども、物語ってから、
「二十一というお若さで、あゝした勲功いさおしを、おたてゞございまするもの、後宮こうきゅうの女子たちが、お噂に浮身をやつすのもことわりでございまするぞえ」
 とも、云った。
(おや、おや?)
 後室は、いよいよ不審をふかめた。

 久子の方は、弁内侍の言葉をきゝながらも、考えた──
 ──内侍は、もはや悲恋を泣いていない。正行のことを、すっぱりと、諦めきっている。亡き人を、討死した人を、諦めるのは当然ではあるけれど、しかし正行の死後も、正行への思慕は依然たてない内侍かも知れぬと、そう思ったのは、自分の思いちがいだった。自分が想像したほど内侍はいっこくなひとではなかった。もともと情けの言葉ひとことかけたわけでなく、初めから内侍の恋を拒みとおして死んで行った者に、なおも未練をつなぐとすれば、およそ聡明とはほど遠い女としか云えなかったであろうが、なぜ拒んだかという正行の心持ちを理解して、いさぎよく思いきって、宮仕えにいそしんでいたのなら、あの美しさとあの教養──日野という家柄からいっても──まことにふさわしい我が家の嫁──。
 と、後室は、そこまで考えたとき、忽ち、さっきからの不審が解けたような気がした。
(虎夜叉へ、内侍は──?)
 いまの話だけでも、憎からず思っていることは明らだが──
(あるいは恋──新らしい恋を──?)
 そうなら、なんという倖いだろう!
 と、後室は思った。久子の方にとっては、現在では掛け替えのない独り子となった虎夜叉の、女色に関する品行みもちが、苦労でならなかったのだ。今日きょうびは、それがたった一つの苦労であるとさえ云えた。
 後室は、虎夜叉から、ねやにかゝわったことは、一言半句も聞かされていなかった。だが、東条の城の密房みつぼうに、相変らず女をはべらせていることは、明らかだった。幾波と呼び、折鶴と呼ぶ侍女が、その玄々寮のとぎの女だということは、告げられていない後室だったけれど、しかし、東条と水分のことだから、たとい虎夜叉の口からは聞かなくとも、大概おゝよそはわかっていたので、後室は一日も早く、虎夜叉に妻を迎えさせねばならぬと考えた。
(敷妙とやらいう美貌の側女そばめが、どうしたわけか今は高師直の寵妾てかけになって、戦場にまでも随いて来たのを、音無川で生捕ったが、それをわざわざ敵方へ、おくり返してやったとか、遣らぬとか)
 聞くのが、つらかった。
(あゝこの麗人を、我が子の嫁に出来るなら──)
 久子の方は、そう思うと、もう逡巡ためらってはいられなかった。
「あの──内侍さまは、お自らは、虎夜叉のことを──正儀をどう思召しますか?」
 訊ねられて、弁内侍は、
「と、仰しゃるのは?」
 なにかしら異常な熱意が、後室の胸にこもるのを、感じたのだった。
「と、申すのは──わが子正儀がもし、内侍さまあなたを、妻にほしいと申し出ましたなら、なんと御返辞いたゞけましょうか?」
 後室は、単刀直入たんとうちょくにゅうにきりだした。
「まあ!」
 さも意外らしく、ほとんど叫ぶように内侍が云うと、
「ぶしつけは御容赦ねがいまする。年老っては気がもめてなりませぬ。どうぞ──あなたのお心をお洩らし下さいませ」
 と、久子の方はいよいよ迫った。

「おもいも寄らぬことでございます。今日はお暇乞いにまいった、わらわでございまするものを」
「えゝ?」
 と、こんどは後室のほうが愕ろいた。
「宮中から、永のお暇をすでに頂きまして、これよりすぐに京都へのぼり、洛外の小倉山、清涼寺の堯算上人ぎょうさんしょうにんを導師とたのみまいらせて、落飾らくしょくいたすつもりなのでございまする」
「おゝなんと? 御落飾──この世をお捨てなさいますのか?」
「はい。墨染めの法衣にさま変えまして……」
「おう!」
「正行の殿の──お首塚のほとりで、朝な夕な、沙弥尼しゃみにながらも怠らず、回向さゝげて世を終わる心でございまする」
 そう聞いては後室も、返す言葉が見つからなかった。
 声の出るかわりに、泪が湧いてこぼれた。
 軒端をおちる雨だれが、濡れ縁さきの敷石をたゝいた。
「後室さま。髪をって浮世から、離れようと思いさだめましたのは、去年の初夏、ほとゝぎすの鳴きそめたころ、わらわがこのたちへ吉野から、正行の殿のお後を、追うてまいったあの日のことでございました。亡き殿が、はじめて咯血かっけつあそばしたあの夜のことでございました」
 内侍の声音こわねは、泣くよりも遙かに悲しそうにひゞいた。
(あゝやはり、やはりそうであったのか!)
 久子の方は、顔を手でおゝった。
「後室さま。四条畷で御戦死と知れたとき、今こそと、思いつゝも宮居の御動座やら、穴生での御所づくりやら──いろいろと事しげく、今日が日まで、つい延びのびに相成ったような訳でございまする。──吉野を焼いた朝敵も、正儀の殿のお働きで、退散いたしましたゆえ、ちょうどよいしお、こゝろ安う清涼寺へおもむかれまする」
 そう告げ終わって内侍は、別れの会釈えしゃくをしようとした。
「もし内侍さま」
「俗名にてのお目もじは、これが最後でございまする」
「もはや止めだては致しませぬが、もうやがて日暮れじゃ。せめてこよい一夜は、こゝにお宿りくださいませ。正儀とても、東条から参って、お名残りを惜しみましょうし──」
 と、云ったとき、
「申上げまする」
 使番が、入側いりがわに現われたのだ。
やかたの殿が見えさせられました。北畠准后さまと御一緒でござりまする」
 思いがけもない、親房卿ちかふさきょうの入来というのは、なんとよい折に──と、そう後室は思ったので、憂れわしい顔にも、仄笑ほのえみがうかんだのであった。

 その夜、弁内侍は、水分に泊って、ゆくりなく准后にまでも、別れを告げることができた。
 親房卿は、高師泰こうのもろやすの攻囲軍が、槇尾城まきのおじょうをせめあぐんで、五月雨さみだれ月に入ってからは、まるで戦う意志をえさせてしまったため、心にも躰にもひまが生じた。そこで、わずかの衛兵だけをつれて東条の正儀をおとずれたのだ。
 東条の城は、准后には初めてだった。水分の館も、これが初訪問であった。楠累代るいだいの本邸も一覧したいとはむろん思ったが、それよりも東条の城につよく心をひかれた。というのは、去年の暮、槇尾山で虎夜叉から、吉野の行宮あんぐうを穴生へうつすべき必要と、さらに南北の御両朝をおん合一へ──という遠大な抱負を告げられたとき、東条の城が、穴生さえも危い万一の場合、かしこきあたりへふたゝび御動座を仰いでも差支えないように、構築にも、造作にも、念をいれてあることをも、ついでに聞かされたからであった。
 准后と虎夜叉とは、正行の首塚にかしずくために尼となる弁内侍とわかれて、水分みくまりから東条へもどった。
 そして、翌くる朝──
「穴生へ参ろうではないか?」
 と、親房卿が云った。
天機奉伺てんきほうしでござりますか?」
「それが第一」
「第二には?」
「穴生の名を、名生るゝを賀す、と書くことに改めたく思う」
「ほう、賀名生あのう。しごく結構」
 と、虎夜叉はほゝえんで、
「ほかに」
「臨時の除目じもくを奏請して、和殿の官位を進めたい」
「いや、それは御無用。左馬頭さまのかみで、過分に存じまする」
「いやいや、御動座についての発案者でもあり、音無川の偉大なる戦功もあるに、左馬頭とは低きにすぎる。──ともかくも、共に参ろう」
「お供は、仕る」
 虎夜叉は、御遷幸の提唱者ていしょうしゃとしての責任からも、新行在所の模様を早く見ておかなければならぬと、だいぶ前から考えていたのだった。
 梅雨つゆは、きょうも降りであった。
 供は、北畠の諸大夫信重その他と、楠の安西九八郎、尾鷲梶丸おわせかじまるら、合わせても五十名ほどの軽装──
 東条から穴生へのもっとも近い道は、金剛山の西尾根の鞍部あんぶになっている千早峠の、けん岨をこえて、五条邑の北の有家あらけへ下り、音無川を渡って黒滝の谿たにへ入ることだった。
 峠みちは、ひどくすべった。
「命がけじゃの」
 と、准后が云った。
「下馬あそばせ」
 正儀は、そう声かけて、自分から先に馬をおりた。
 長雨の時節でなくてもこの峠は、ひじょうな難路だった。老いた親房卿には、徒歩となると、息ぎれがして、こたえた。だが、幾十じんか知れぬ谷底へ、墜落の危険は、もちろん歩く方が少かった。
 朝からの細雨は、やっと降りやんだけれど、霧は、濛々もう/\と、ふかい谿から立ち昇って、そばだつ岩石を、けわしい岨路そわみちを、たどり進む人と馬をかすめたり、つつんだりした。
水越峠みずこしとうげを、廻ればよかったのう」
 だが、そういう准后が、この路を通ってみたいと云い張ったのであった。

 千早峠のてっぺんは、尾根の鞍部だが、海抜二千六百尺。
 南斜面の急勾配きゅうこうばい直下ましたをよぎる音無川・紀ノ川の河畔かわべりは、晴天の日ならどんなにか、すいらんの美をみせたことだったろう。
「惜しいの」
 と、親房卿が云った。
 たゞ模糊もこと雨霧にぼやけた峡谷を、見おろしながら、一行は簡素な中食をとった。
「握り飯など──一位の卿は、お初めであられましょう?」
 虎夜叉が、微笑すると、
「初めてゞはなけれど、珍らしい」
 そう答えた准后は、
「昨日は、お饗応もてなしの美酒、佳肴かこうに満喫いたしたせいやら、この素朴さ──ことさら妙じゃ」
 と、笑った。そしてすぐ云いついだ。
「しかし和殿の飲食物たべもの巧者は、噂にはきいておったが、こたび初めて知って感じ入ったぞ。あの梅酒のえならぬ風味といゝ、羚羊かもしかの肉の漬物といゝ、とくに鶴の塩醢しおびしおの味加減のごとき、日ごろの御丹精がうかゞわれた」
「それは意外なお賞め言葉──。みんな人まかせでござります」
「いやいや人まかせでは、あゝは参らぬ。東条へ行けば、飲食物の美味いことゝ、侍女の綺麗なことには、誰れもが驚ろくと、槇尾で、和田の助氏から、たび重ねてきかされたが、まさしくそのとおりじゃのう」
「助氏が、そのようなことを──」
「要するに、美醜の差別にたいする感覚が、すぐれてするどいからでもあろうが、飲食物の方はとにかく、和殿生涯の伴侶はんりょたるべき妻定めともならば、とても容易なことではござらぬの?」
 親房卿は、なにやら意味ありそうに莞爾かんじと、顔の皺をうごかした。
(きょうの、准后は、どうかなされたぞ)
 似気ない口ぶりを、変だとは思ったが、そう深くも気にとめず、
「なにを仰せらるゝぞ。たゞ美味いものは、不味まずいものより好ましく、醜は美に如かずという、誰れもが抱く感情しか、もちあわせぬ私でござりまする」
「なかなか。然うではないらしいぞよ。──親房が忖度そんたくにあやまりなくば、いざ婚姻という場合、配隅の選択には、ずいぶんと標準が高かろう。かなりに妖艶あでやかな才媛でも、お身の頭は、おそらくうんとは動くまい」
「はゝゝどう仕りまして」
 と、虎夜叉は、苦が笑いして、
「それがしこどきは、婚姻に、やゝこしい選り好みいたす柄ではござりまぬ。気質きだての尋常な、身体すこやかな女でさえあれば、容貌の美醜などは問いませぬ」
「ほう、身体が強健でさえあればの」
 なぜか、准后の眼が、にわかに希望をたゝえたかのように、輝くのだった。
「正儀、わどのは然し、わどの自身がいとしとおもふおなごならでは、めとらぬでござろうがな?」
「いえ、かならずしも恋愛を要しませぬ」
「どうかのう」
 信ぜられないという語気であった。
 虎夜叉は、ふたゝび苦笑して、
「恋い恋われて結びつく婚姻──を、いやとは申しませぬが、恋なき結婚を拒もうとも思いませぬ。時と場合によっては、敵方のむすめを妻とすることをさえ、あえて辞せぬ私でござりまする」
 と、答えた。
「ふうむ!」
 准后は、目をみはって、
「敵のむすめと──策略結婚をも!」
 さすがに驚いたに違いなかった。
「ふうむ、どこまでも超凡じゃのう。──すると和どのは、結婚ということを──つまり婚姻そのものを、重く観ておらぬことになる。亡き兄者とは、その一点でも、極端な相違じゃ。正行はあまりにも婚姻を重大に考えすぎて、かたじけない勅諚をすらいなみたてまつった。和どのならばあの場合、よしんば内侍への恋いごころなくとも──いや、相手がたとい見知らぬ女にもせよ、勅諚とあればありがたく御受けいたしたことでござろうな」
「仰せまでもなし。それがしなりせば、謹んで頂戴つかまつった」
 その、はっきりした答えを聞くと准后は、満足げにうなずいた。

 降りの急勾配きゅうこうばいを、おりきると、親房卿も虎夜叉も、乗馬の鞍上にもどった。そして二人のあいだの話もまた、峠のいたゞきでの中食の際の話題にもどっていた。
「いわゆる純真な心というものは、えて単純すぎる偏屈へんくつになりがちじゃ。──弁内侍の恋を斥けた態度などは、まさしくそれであったのう」
「尼となって、ひたすら菩提をとむろうにも、これが自分の夫の首塚であったなら──と、思わずにはおられますまい。たとい浮世を捨てたものにも矢張り、なにかの慰めがのうては……」
「そうじゃ、慰めらるゝ追憶がほしかろうに」
「そうした想い出のないことが、傷わしく思われまする」
「──小倉山までの道中、無事であってほしいが……」
 親房卿が、そういうと、
「その点、懸念なきように、今朝ほど手配を充分にいたし置きました」
 と、虎夜叉が答えた。
 やがて、越替こしかえ有家あらけの里、五条のむらをとおりすぎて、音無川の橋をわたると、そこはもう黒滝・丹生峡にうきょうの入口だった。
 大天井※(ガの四分角)嶽の水源からあふれだす出水は、うずまく濁流となって、岸に激していた。谿にひゞいていた。水は、ところどころ岸を越えて、丹原から生子おぶすにいたる間の民家の床下をひたしていた。江出えずるでは、崖が大きく崩れていた。巌石が、樹を倒していた。土砂が、路をふさいでいた。
「よほど降ったと見えるのう」
 と、准后が虎夜叉をかえりみた。

 ※(「砥-石」)氏川あとがわ入道の城は、柚野山ゆずのやまにあった。
 そこは、丹生川と黒滝川の出会いの、城戸じょうどと呼ばれる場所から、たゞちにそばだつ要害で、この二つの谿谷を天然の大塹壕だいざんごうとしてめぐらしていた。のみならず、背後には、天狗倉嶽が樵夫きこりのかよう径さえもない峨々たる峻峯を、聳えさせていた。
 この阿※(「砥-石」)川城こそ、穴生の行在の堅固な前衛だった。
 吉野からうつった宮居は、この城と丹生川上神社とのおよそ中ほどの地を卜して、まことに恐れおゝいことながら、俄かごしらえの、粗末な普請ふしんで建てられた黒木御所であった。檜木の良材はいくらでもあったが、建築に念を入れるだけの時間と人の力に、余裕がなかったのである。御所でさえ、そうした恐懼すべき状態だったから、ましてや公卿以下の棲家すみかとなれば、それこそ本当の仮普請で、たゞ雨露をさえぎるだけのものだった。けれども、行在とともに群臣が移ってきて、そのうえ隆資卿の率いる混成軍の兵も駐屯ちゅうとんしていたから、人烟まれな山かげが、忽然としてさまを変えたのであった。
「腐ってしまふのう。また降ってきた」
「どうやら薄日ぐらい射しそうな空模様に、なったかと思うたら、糠よろこびじゃ」
「こう湿けては、躰にまでかびが生える」
「黴も、茸も、生えよう生えよう。まるで野宿と変わらん住まいじゃ」
「早う梅雨が、あけてくれぬことには、ほんまに身うちが腐ろうぞ」
 どの仮屋でも、人がはみ出していた。
 立ち樹が、そのまゝ、柱になっていた。崖が、壁に代えられてもいた。
「梅雨が明けたら、もう少し、人間の住まいらしく建て変えて貰うことだ」
 青侍たちが、話合っているところへ、仮屋のそとから朋輩が一人はいってきた。
「どこをうろついていたのだ」
「たいそうな見物をして参ったぞよ」
「この雨降りに、なにを申す!」
五月雨さみだれだとて、観物はあるものよ」
「なんぞ、退屈ざましでも出来たのか?」
「観ようと思えば、去年吉野でも観ておけたのだが、あの頃はその気がなかったゆえ、こんどの今日が初見参ういげんざんじゃ」
「これさ、なにを見て来たというのだ?」
「さすがに堂々たるものじゃ。颯爽さっそうたるものじゃ」
「これこれ、鬱陶うっとうしい陽気に負けて、気が変になったのではないか?」
「馬鹿を申せ、音無川の勇将をみて参ったのだ」
「音無川の──?」
「楠の殿よ」
「おゝ、この穴生へ──来られたのか?」
「准后の卿と御一緒じゃ」
 雨は晴れずとも、穴生の人の心は、たちまち燦々さん/\とかゞやきわたった。

 つぎの日の午後のことだった。
 正儀は、参内した。
 天顔に咫尺しせきし奉って、御礼を言上したのであった。正儀は昨日の朝、東条で親房卿へ、左馬頭でも過分に存する旨をこたえておいたけれど、今朝の除目じもくによって左衛門督さえもんのかみ任叙にんじょされた。亡兄正行と同じ官位だった。聖恩の鴻大を感じこそすれ、しいてこれを拝辞すべき理由はなかったから、かたじけなく御受けした。そのお礼に禁裡へ伺ったというわけだった。すでに左衛門督となれば、衛門府の長官だから、殿上人の列に入ったのである。家門の栄誉、身の面目にちがいなかった。
 で、謹しんでお礼を申しのべて、退下たいげしようとした時、
「待たれよ、楠左衛門督」
 と、呼びとめたのは花山院内府だった。
(何事だろう?)
 と、思っていると、内府は歩みよって、
「勅諚じゃ」
「はあ」
 虎夜叉は、居ずまいを改めて、粛然しゅくぜんと平伏した。
「女院御所にはんべる伊賀局いがのつぼねを、妻に賜わったぞ」
 内府の語調は、すぐに変わって、
「おん身の妻に賜わったぞよ、有難くお請けせられよ」と、言い添えた。
(しまった!)
 虎夜叉は心ひそかに叫んだ。
(ちえゝ准后の卿に、まんまと、してやられた! 一の不覚!)
 ──伊賀局といえば、稀有けうな勇婦──吉野から御動座のみぎり、国母の女院のおんために、つがや檜木を根こぎにして、丹生川に橋を架け直したという、剛力無双の女子だ。とんでもない驍勇ぎょうゆうな、体格抜群に偉大だという噂の女子ではないか。婦女の怪腕、あらくれ業──と、思うと虎夜叉はおぼえず身ぶるいが出た。
「楠どのは、局をお見知りかの?」
「一向に存じませぬ」
「吉野で一度出逢われたはずじゃが──」
「とんと覚えませぬ」
「しかし、局の身元については、聞いておられような?」
「四尺八寸の大刀やら、二十八貫の鉄棒やらを、むやみと振りまわしたという、篠塚伊賀のむすめとだけは、承わってをりまする」
 そう返辞をして、虎夜叉は眉をしかめた。
(油断は、大敵だった)
 花山院内府が、
「おん身は、妻定めにわが恋などはいらぬ、女子おなごの身体強健でさえあれば、容貌の美醜のごときあえて問わずとの趣き、かしこくも叡聞えいぶんに達し、さすがは正儀ぞ、いみじき心構えかなと、御感いともふかく、さてこそ只今のとおりの御諚と相成り申した」
 と、いった。
(口が、禍いのもとか。准后も、罪な方だ!)
 心で呟いたとき、
「さあ、いかゞでござる?」
「…………」
「お請けの言葉が聞きたい」
 と、内府が促した。
 虎夜叉は、(女院の思召しがまず動き、そして准后が、お頼まれになったのに違いない)と思った。(おそらく、女院のお使が密々に、槇尾山の准后のもとへ参ったのだろう。そこで准后がお膳立てをなされた。たくまれたお料理の箸を、自分はついうかうかと採ったのだ。──だが、女院の思召しは、特に尊重しなければならぬ自分の立場ではなかろうか? 女院のおん肝煎きもいりなかりせば、行在御動座の朝議は、もっと遙かにもつれて、どんな不祥事が起きたかも知れなかった。その点で、厚い御恩を蒙っている自分だ、とすれば?)
 そこまで考えたとき、とっさに覚悟がきまった。
「左衛門督」
 と、ふたゝび促す内大臣の声をうけて、
「忝なく頂戴つかまつる」
 虎夜叉はそう、勅答しまいらせたのであった。

 北畠准后が、女院御所へ参入したのは、暗鬱と梅雨空が暮色をたゝえた時刻だったが、一歩屋内に入るとさながら別の世界でもあるように、燈火ともしびという燈火が、早々とまたゝいていたし、人という人の面持は、それらの燈火よりもなお明々あか/\とかゞやいていた。
「ひとえに、お蔭さまにて──」
 新待賢門院は、丁寧に会釈えしゃくされた。
 そしてこまごまと、謝意れいを述べられた。
「女院」
 と、准后はしゃくを揺すって、
「決して、この親房が力ではござりませぬ。ひっきょうこれは正儀の、賢明が、成就じょうじゅの実を結ばせたに他なりませぬぞ。彼れ正儀は、去んぬる正月、宮居を吉野より移すについての御助力をば、胆に銘じて感佩いたしておりまする。正儀という男は、親房に言質をとられたからと申して、なかなかそれのみの理由でおのれをげるような人物ではござりませぬ。されば、遡のぼりますれば、女院おんみずからの御聡明に、みなもとを発しましたる流れが、抱擁ひろやかな楠が池に、うけ容れられたものと存ずる」
「でも、貴卿あなたのおとり計らいなくば、正儀いかに賢うても──」
「いえいえ、私は単に、きっかけを拵えたのみでござりまする」
 准后は、そう答えた。
「これ、局」
 女院のお声に、伊賀局は准后のまえに進みでて、はずかしそうに頭をさげた。
「結びの神じゃ。お礼申せ」
 だが、局は、その驍勇ぎょうゆうにも、その年齢にもはなはだ不釣合いに、そしてまた持ち前の才気と、ふだんの能弁とを、どこにか置きわすれでもしたかのように、ただ羞恥に顔を赭らめつゝ、慇懃いんぎんにお辞儀をくりかえしたばかりだった。
「懸けた想いがかなって、さぞかし嬌悦きょうえつであろうの」
 准后から、そう云われても、応答いらえが口から出なかった。
 肉体は、ずばぬけて豊満でも、情事にかけては、ひどく初心うぶであった。その初々しいようすを、親房卿は笑ましげに眺めながら、
「正儀どのは、南山一の殿御じゃ」
 そう云うと、女院も、
「勅諚までたまわって──ほんにつぼねは果報者よ。正儀ほどの夫はなかろうぞや」
 と、云い添えられた。
 血が頭へのぼって、唇がかわく局だった。はずむ鼓動は、昂まるばかりで、嬉しいのか苦しいのかさえわからなかった。
 親房卿へ、女院が、
「お請けして退った楠は、貴卿あなたへは何と申しましたか?」
 と、問わせられた。
「たゞ、忝けない御諚賜わりしゆえ、女院御所の伊賀局を、妻に頂くことにした、とのみ──」
「と、のみ?」
「たゞ一言!」
「まあ!」
「そこが正儀の正儀たるところでござりまする」
「でも──憤りを貴卿に、含んでおるのではないか知ら?」
「いえ、そのようなことは、断じてござりませぬ。──その証拠には、おのが婚姻に関してこそたった一ことでも、こゝ新行在所の造営については、非常な熱心さをもちまして、縷々るゝ数百言を述べたほどでござります」
「行在所の造営と申しますると──?」
「これでは恐懼にたえぬ。河内かわち和泉いずみの敵軍退散せば、さっそく東条の兵を土木の役夫として、皇居をはじめ、女院女御の御所、摂関公卿せっかんくぎょうの屋形以下を、おゝいに改築しなければならぬ、ということでござりました」
「おゝなんと奇特な心であろう!」
「まことに殊勝な心がけでござりまする」
「自らの婚儀はわたくし事──行在の造営修理は、公けのおつとめごとゝいう、意味からであろうぞえのう」
 と、女院は感じふかげに云われた。
 宸殿の燭の光は、まだみずみずと※(「クサカンムリ/(月+曷)」)たくおわす顔容かんばせを照らした。いとも足らわれたようなそのおかおは、やがて、ふくらかな胸を抑えつゝ、夢ましくかげを見つめている伊賀局の方へむけられた。
「そなたは、幸福者しあわせものじゃのう!」



せめぎ合わんとする姿勢しせい

 空は青く澄みきって、日ざかりの太陽が、じりじり照りつけていた。京都の市民は、梅雨つゆあけ以来一つぶの雨にも逢わぬという酷熱に、汗を流していたが、五万坪の境内──桓武の帝の延暦えんりゃくこのかた年古びた松や、杉が、おううつと茂る東寺は、それでもやゝ涼しかった。
 直冬は、大師堂の檜皮葺ひはだぶきの庇の下から、蒼翠みどりのむこうにきつぜんと建つ全国無比の高塔を、ながめていた。
 高さ二百四十尺──さながら天を摩するような五重の塔は、東寺──すなわち弘法大師の大伽藍、教王護国寺の、荘厳な表識めじるしだった。
 兵はたいがい日蔭で昼寝をしていたが、なかには児童こどものように蝉とりなどをやっているものもあった。
 蓬池の端では、さむらいが集まって話していた。
「退屈だのう。無駄話の仲間にいれて貰おうか」
 ぶらぶら歩いていた士たちも、池のみぎわへ来て尻をついた。
「朝起きると、具足をつけて、飯を三度食うと、具足を脱いで、一夜寝て起きると、また具足に飯だ」
「全くな。食うことゝ、睡ることゝ、鎧を着ることの外、なに一つすることが無いのだから、うんざりする」
「一体われわれは何のために、こんなだゝっ広い寺の境内なんぞに陣どっておるのだろう?」
「それが解れば、退屈はせんわい」
「解ったとて、退屈だ」
「せめて、夜あそびぐらいはの」
「女買いなら、白昼ひるまでも苦しゅうない」
「はゝゝ地金が出たな」
「境内から出さんという法はないのう」
「きょうは何日だと思う」
水無月みなづきの十七日だ」
「三日や五日なら、とにかく、梅雨もまだひぬ先月の二十八日からじゃ」
「梅雨がひないなぞとは申さん」
「二十日の禁足では、辛抱の棒が、へし折れるぞ」
 桃井、吉良、石堂、荒木、河越の士が、しきりにこぼし合っているのだった。だが、
「おん大の直冬の殿のお身になって見い、正月こっち半年の、つらい御辛抱じゃ。二十日はつか一月ひとつきの我慢がなんだ」
 と、云うものがあった。
「そうともよ。今出川の高館こうのやかたに、敷妙どのが、とりこになってござるのだ」
 と、また一人が云った。
「だから、解らんと申すのだ」
「同感じゃ。二万の兵を集めたら、さっさと今出川を囲むがいゝ」
「そうは参らん。法成寺ほうじょうじに一万はたむろしている」
「こなたは倍だ」
「優勢でも、都のまん中では合戦が出来ん」
「出来んことがあるか」
「直冬の殿は、都を焼きたくは思召おぼさんのだ」
「そうか。そんなら兵を解くがいゝわさ。こうしているのは、無駄の骨頂じゃ」
「止せ止せ。我々になにがわかる」
「あゝ女が欲しいっ」
「やあ、上杉の殿が見えられたぞ」
 上杉伊豆守重能しげよしが、白い馬にまたがって、大師堂の方へゆくのが見えた。
 鎧直垂よろいひたゝれに、胴だけをつけていた。だが、扈従こじゅうは、ものものしい武装兵だった。

 土御門つちみかど東洞院ひがしとういんの、将軍御所では、尊氏の居間から渡殿わたどのづたいに、北の対屋へもどって来た御台登子なりこの方へ、
「どう?」
 と、さけんだのは副将軍、直義であった。
「まあお坐わりなさいませ」
 御台は、そう云って、突っ立っている直義のまえに坐ったので、直義もしぶしぶ座にかえって、だがいらっぽい声で、
「きょうはまさか、会わんでもよい、とはござるまいが?」
 と問いかけた。
「ところが矢張り……」
「なに?」
「相も変わらぬ仰せで、わらわに、伺い置けとのみでございました」
 登子の方は、白麻の下着に生絹すゞしの単衣、うちかけも生絹という軽やかな服装だった。
嫂上あねうえでは、らちあかぬことだ」
 直義の語気は、はげしかった。
「でも……」
「えゝ、お解りにならん」
「あれ、解る解らぬは、伺ってみませぬことには──」
「無駄じゃ。わしは押し通りますぞ!」
 ふたゝび立ったのを、
「なりませぬ!」
 と、御台がさゝえた。
「ちえ、退かせられい!」
「えゝあなたこそ、お控えあそばせ!」
 副将軍と御台とが、睨みあった。
「御台っ、天下の重大事だ。詰問きつもんと勧告をひっさげて、この左兵衛督さひょうえのかみ直義が、将軍尊氏に逢わなければならぬのだ!」
「わがつまは、あなたを避けておられまする。逢うのが厭わしいと仰せられた」
 御台は、たやすく屈しなかった。
「なに、厭わしい? そ、それが兄上のお身勝手だ。我まゝと申すものだ。だが際限なしの身勝手は、もう赦せぬ。断じて許せん!」
 直義は、大胯に一歩ふみだして、
退かれよっ!」
 そうたけばれても、登子の方は健気にこばんだ。
「退きませぬ」
「えゝ飽くまで?」
「はい、飽くまでも!」
 と、応じてから、
「左兵衛の殿。──将軍とて、未来永劫えいごうあわぬとは仰せられませぬ。たゞ、当分は厭わしと仰しゃる。それゆえ今日は、御不承でもあられましょうが、わらわに御用件をお洩らし下さいませ。もとよりわらわなどに裁量は叶いますまいけれど、承わってわが夫へ申伝えまする」
 と、云った。
「よろしい。然らばお目にはかゝるまい」
 直義は、座にしりをおろした。
「どうぞお申聞けを──」
 と、御台も坐った。
「餘の儀でもなし」
 じいっと見すえた眼には、あきらかな憎しみが光った。
「弟の、足利直義として、また天下の副将軍として詰問の、まず第一は、なにがゆえに──御自身、政事まつりごとをみられぬのだ? 兵馬の統率を放擲ほうてきされた所以はなにか?」
「もし」
 と、御台は言葉をはさんだ。
「わらわにお答えの出来まするかぎりは──」
 聞きも終らずに、
「む、出来るものなら」
「そんなら代って──」
「御返辞あれ」

「わが夫は、後醍醐のみかどへの御懺悔ござんげひたすらにて、餘事へは、み心むきませぬ故でございまする」
「御懺悔は久しいことだ。知れきっていることは答えにならぬ」
「そう仰しゃるなら、あなたの御詰問とて、問いにはなりますまいに」
「違う。大政を執事にまかせて顧みざるは何故か? わしの問いはそれにつながる」
「なら、答えも違いまするぞえ」
「なんと?」
「師直どのは執事、執事は将軍の代理ゆえ」
「副将軍はなんのためか? 執事に代理を独占さする理由はいかに?」
「副将軍は、将軍世嗣せいし義詮よしあきらの後見のためでございまする」
「ふ、得手勝手な理窟もあるものだ! その調子では、おそらく、一切の余事には関わらぬからという、遁辞にげことばを聞くでもござろうが、第二第三の詰問、申すだけは申そう。なにが故に、焼かでもの吉野を焼いて、行宮はじめ役行者えんのぎょうじゃ以来の名刹伽藍の、殿宇堂塔を灰燼かいじんに帰せしめたか? 宮居のことは申すまでもなし。悪愛おあいを六十余州にしめして、彼を是し、これを非とする賞罰を、三千世界に顕ずる霊験は、無二やく無三といわれている蔵王権現だ。その蔵王堂の社壇仏閣を、一時に焼きはらうくらいなら、事のついでに天竜寺もなぜ焼かぬか?」
「もし、そりゃ乱暴な仰しゃりようじゃ。後醍醐のみかどの御菩提のため、尊氏が、精根しょうこんをからして建立せし天竜寺を、焼けよがしに。あんまりじゃ。天竜寺は、尊氏の魂いでございまするぞ」

 登子の方の亢奮こうふんは、直義をかえって冷静にした。
「嵯峨野に建てゝも、吉野で焼けば、有無相殺うむそうさつでござる。いや、天の忿りは、悪行の方を残らせよう。奈良を焼いた重衡しげひらは、たちどころに亡びた。師直の罪を問わぬ兄者尊氏は、懼るゝことを忘却されたのか? 兄者がたのむ師直は神仏を涜すのみならず、人倫の道義ふみ荒らして、直冬から側室そばめ敷妙をうばった。沙汰のかぎりだ。直冬は、兄者にとっては、長男だ。御台、あなたにとっては、義理ある子じゃ。──またかくいう直義は、ひと頃、親がわりにもなった間柄でござる。さあ、師直が所業を──なんと覚す?」
「わがつまが、ことさら人を避けさせらるゝは、それがためかと思われまする」
「えゝ卑怯だ。兄者は卑怯だ。──腫れ物に触るがいやじゃ、見るがいやじゃと、手をつかね、まなこつぶっておられては、怖るべき悪腫は、足利をも、幕府をも、天下をも、たゞれ腐らせる。なぜ断乎として、執事をやめさせ、法成寺の兵に解散を命令されぬか? なぜ南征軍の大将に、直冬を奏薦なさらぬか? ──嫂上。ならべ立つれば、きりがない。もたらした勧告を申述べて、おいとま致そう」
「承わりましょう」
 と、御台は、反感に顔をこちこちにした。
「すなわち諫言じゃ。兄上には、将軍の任を辞して、名実ともに隠遁あれ」
 直義は、座を立った。
(いうべきことは云った。会わぬなら、会わぬでいゝ。おれは、自身で仙洞御所せんとうごしょへ参ろう。そうして院宣いんぜんを乞い奉ろう)
 と、考えたのであった。

 仙洞御所の権臣、高階雅仲たかしなまさなか朝臣あそんは、高の家とは、祖先を同じくする親族だった。
 だから、直冬に院宣が下って誰れよりも先に青くなったのは、この雅仲であった。
 雅仲は、院宣の下らない前から青くなっていた。というのは、いわば直義から不意討ちを喰らった形だったからである。直義の奏薦そうせんを、むろん極力、妨げようとはしたが、今出川の高館から何等の情報も入っていなかったため、まったく予防運動をほどこす暇がなかった。で、仙洞の形勢が刻々に、直義へ有利になるにつれて、雅仲の顔は土気色に変わって行ったのであった。
 いよいよ絶望と決まると、雅仲は、馬を今出川へとばした。供の青侍たちは続けなかった。
 決してひどく文弱な公家でもなかったのだが、事をよほど重大に、緊急に感じたせいであろう、高館に乗りつけて、中門垣から東の対屋の階段きざはしまでたどりつく間に、二度も転んだし、階段からも足をすべらして、
「あっ!」
 と、いうまに向うずねと、鼻柱を、したゝかにりむいた。
「あ痛っ!」
 声もろともに、血が流れた。いや迸ばしったのである。しかし、それは鼻血で、すりむけた傷からは大した出血のあろう筈もなかったが、本人はかなりの大怪我と勘違いして、
「あっ!」
 斬られでもしたように、烈しくわめきながら両手で顔をおさえた。
 入側から駆け寄った敷妙は、
「おほゝゝ、まあおそゝかしいこと! もし、雅仲さま、お鼻血でございまするものを、お案じなされますな」
 と、そう云って、おゝ勢の侍女に命じて、血を拭わせたり、汚れた手を洗わせたりした。
 師直は、黄麻きあさの肌じゅばん一枚で、それも胸をはだけて、毛もくしゃの肌もあらわに、高坏たかつきの膳で酒を飲んでいた。
「わはゝゝゝ! 高階たかしなも人さわがせをするぞよ。鼻っ柱のすり剥きぐらい、なんだ! ちょうど時刻だ、まず飲むとされい。──これ、雅仲どのへお膳をもて」
「あゝもう酒どころか、大事じゃ、大異変じゃ!」
 思わぬ負傷に、報らせを急ぐ気持ちは緊張を、すくなからず気殺けそがれたものゝ、雅仲は、鼻のあたまを紙でおさえつゝ、片手をしきりに振った。
 その格好の変てこさに、
「おほゝゝゝ!」
 と、敷妙が、また笑うと、
「えゝ笑いごとではござらんぞっ!」
 と、雅仲がどなった。
「これ高階、わはゝゝゝ何が大事じゃ?」
「院宣が、院宣が直冬どのに下った」
「なに、院宣が直冬に?」
 さすがに師直も、顔色を変えてきっとした。
 たゞごとではない。たしかに異変だ。まったく予期しなかったことだ。
 そう思ったとき、
「右兵衛すけ直冬を、南征軍の大将に任ずるという、院宣でござるぞ」
「なんのことだ、わはゝゝゝ!」
 と、師直は、たちまち顔を変え直して、高笑いをした。
「な、な、なにを笑わるゝ?」
 雅仲が、呆れると、
「院宣には、この師直を討伐せよ、とあったかと思ったのだ」
「しかし、東寺の兵は堂々と、活動する自由を得ますぞよ」
「いずこへなり、勝手に動くがいゝ」
「そりゃ悪い。暢気すぎまする。今後は勢望おのずから、右兵衛佐どのに集まる。きょうの院宣降下は、身どもの考えを申すなら、高一族にとっては、ほとんど致命的な打撃の濫觴らんしょうともなりはせぬか?」
「あはゝゝ、たんと馬鹿を云われよ」
 師直はかえりみて、
「敷妙。──直冬は、大そうえらくなったぞ。どうじゃ、そなたは嬉しかろう?」
「あれ──わたくしは存じませぬ」
「副将軍からの奏薦であろうが、仙洞御所という大きな後ろだてがついたのだ。きょうからは、何万という軍の司令者だ。嬉しくない筈はなかろうがの?」
「存じませぬ」
「逃げて行ってはどうかな? 直冬は、急に強くなったぞ。もうもう俺をも、怖れないかも知れぬぞ」
「あれもう存じませぬと申すのに!」
 敷妙が、みせた媚態──さわらずとも色香は、こぼれそうであった。
 そのながしめが、師直の溶ろけるような笑顔を誘い出した。
「うふゝゝゝゝ!」
「高どの!」
 と、雅仲は鼻の傷を紙の上から、痛そうに摘みながら叫んだ。
 だが、師直は見向きもせずに、
「のう敷妙、もとのそなたなら、はい、嬉しゅうございます、と云うたであろうに、ひゝゝゝ可愛いとしい女子じゃ!」
 そう云ったとき、侍女たちが、客膳を運びいれた。雅仲朝臣は、自分がなんのために怪我までしたのか、解らなくなった。

 東寺の、蓊鬱おううつとした樹々の翠は、篝火の光をうけて、異様な美しさで暗中から浮き出ていた。
 月はまだ東山から昇らなかった。
 けれども、蓮花門れんげもん不開門あかずのもんも、慶賀門も八足門そくもんも、みなはっきりと見えていた。それほどに、焚く火の光りはあざやかであった。四つ塚街道に面した正面の南大門から、上杉の大部隊が入ってきた。瓢箪池ひょうたんいけのまわりには、もう畠山隊が着到していた。滞陣すでに二十日に及んだ二万の兵は、そうした新部隊を、歓呼して迎えた。むろん、増加部隊の新入がなくても、しびれのきれた気持や退屈は、
「院宣が降ったぞっ!」
 という、一声で、どこへか吹っ飛ばされてしまったのであった。
 この正月、敷妙をうばわれてからは直冬が、反師直党の中心人物となったのは、しごく当然なことだった。で、音無川原で惨敗して大和から退陣しながらも師直が、軍を法成寺に集結したまゝで、いつまでも傲然と示威を続けていることに業を煮え立たせた反対党は、ついにこの東寺に兵を集め合って、そして直冬を、頭目にいたゞいた。尊氏の子で、麒麟児きりんじだったし、もはや右兵衛佐にも昇っていたし、材も、身分も申分なかった。たゞ憾むらくは、公然首将として仰ぐについての名分が欠けていた。それが、院宣降下!
 天晴れ名分が立ったのである。
 大師堂では丁度いま、首脳部が額をあつめていた。いろいろと、打倒師直の作戦を凝らすのであったが、所詮しょせんは実力に訴えるほか打倒の道はなかった。
「とすれば──いっそのこと、今夜のうちにも今出川を襲うては、どうかな?」
 上杉重能がそう云うと、畠山直宗なおむねも、
「宜しいかも知れぬ。兵は神速を尚ぶ」
 と、賛意を表した。
「しかし、法成寺は?」
 と、いったのは、渋川貞範──副将軍北の方の弟だった。
「むろん攻める」
大戦おおいくさになる」
「もちろん」
 最上席の副将軍が、
「院宣のてまえ──?」
 と、次席の直冬を顧みた。
「もっての外」
 直冬が答えた。副将軍は、上杉を呼びかけて、
「名分から云って、今すぐに攻めるわけには参るまいぞ。和殿はすこし、あせり過ぎていかぬ。こないだも大高と口論して、刃傷に及ぼうとされたとか。昇殿をも許されておる幕府引付ひきつけ一番の頭人とうじんでござる御身じゃ。ちと慎重に願いたいの」
 と、云った。
「下御所のお言葉ながら──」
 と、上杉重能は、むき直って、
堪忍袋かんにんぶくろの緒がいかに強くとも、十年間も締めつゞけては、もう切れる。右兵衛佐どのゝ憤怒いかりは新らしい。愛妾を強奪されてからとも謂えるゆえ、恨み深いには相違なけれど、時の上からは浅うござる。高に対する上杉の鬱憤うっぷんは、実に長いのだ」
 なかば叫ぶように答えた。

 直義の北の方は、二条京極の吉良邸で、弟の渋川貞範の帰りを待っていた。
(夜が更けたのに、おそくまで──?)
 なんの評議があるのだろうと、いろんな風に考えてみたが、頭にうかぶ事柄は、どれもこれも不安のくまのかゝったものばかりだった。
 北の方は、去年六月、自分の実家であるこの邸で、四十歳をすぎての初産をして以来、まだ三条坊門の夫の館へは還らずにいるのであった。生まれた男児も、天下の副将軍の初若君として、諸大名こぞっての慶賀をうけたのみでなく、伏見院からは御剣を授けられて寿ことぶかれた。多幸なるべきこの子は、しかし世にも怖ろしい呪われの運命を、母の胎内たいないに宿る前からしょわされていたことが、六本杉の怪異によって告げられた。子の父である直義は、ほとんど精神が錯乱さくらんするほどに懼れおびえた。わが子の顔を見るどころか、そばへ近寄ることをさえ避けた。それからちょうど一年、今月の八日は誕生日であったが、依然母子ともに、父のかたわらへ戻ることが出来なかった。北の方の父渋川貞頼は、吉良貞家の弟で、すでに没したが、貞頼の子の貞範は、やはり渋川姓を称して亡父同様、この吉良邸に住んでいた。で、きょう東寺の陣へ、貞範は、従兄いとこの吉良満義と一しょに出かけて行ったのであるが、その帰邸のおそいことを、北の方が苦にやんでいるのだった。
(院宣が、たとい、あゝしたふうに降っても、戦いの敵手は、楠ではなくて高一党に違いない。わるくすると、もう今夜あたり、いくさが始まりはせぬか? もしそうだったら?)
 北の方は、戦慄した。
(敗北! 非業ひごうの死! 遺族の破滅!)
 この一年間というものは、物事を、なんによらず、怖ろしく、怖ろしくとばかり考える心の癖がついたのであった。いかなることにも、明るい希望らしいものは、とても認め得なくなっていたのである。だから争うことは、負けることゝしか、そして闘うことは、殺されることゝしか考えられなかった。
 あかしを見つめていても、その目の先が真っ暗になり、瞼をふさげば、血みどろの顔が見えてきて、それが夫直義の顔であったり、弟の貞範の顔であったりした。
 北の方は、声をあげて恐ろしさを、叫びたくなった。
 だが、そうした強迫観念ふうなおびえは、貞範が平常とあまり違わない顔で、東寺から帰ったので、どうやらおさまった。
「姉上。お顔色が真っ青だ」
「戦さは、いつ──?」
「今夜こそ──」
「えゝっ!」
「いえいえ、今夜こそという者もござったが、たゞちに都で戦うは、仙洞御所への恐懼きょうくもあり──」
「おゝ! そんなら敵は──目ざす敵はやっぱり一条今出川か?」
「はゝゝ知れたことを」
「えゝなぜ今まで匿していやった? うならそうと、なぜわらわには告げてくれぬ?」
「なにも、匿した訳ではござらん。申さずとも、東寺にわれわれが陣どったことで自から、明らかではござりませぬか」
「して、都でなくば、戦さは──戦さはどこで?」
「姉上。そのお顔は──」
「えゝもう顔の話ではない!」
「ともかくも、まず直冬の殿から、紀州方面へ出馬して頂く。将兵一万五千がこれに従う。ということに相成った」
「まあ紀州へ?」
「紀州で、師冬、師泰の両軍の行動を眺めまする。東寺には、一万の軍勢が居残って、法成寺の師直軍を見はりまする。采配さいはいは上杉どの。下御所には──」
「おゝわが夫の殿は?」
「形勢切迫せば、三条坊門館から東寺へ、ならせらるる手はずでござる」
 貞範が、そう答えたとたんに、
「あゝ!」
 ふたゝび、しかも烈しく、強迫観念が北の方を脅やかしたのである。
「や、どうなされたぞ、姉上々々!」
「おゝ怖い!」
 北の方は、両手の指をかゞめて、身慄いした。眼には狂おしいような光りがあった。
「わらわはもうこうしてはいられぬ。屋形へ帰ってつまの殿を──わが夫の殿を……」
「もし、何とあそばす?」
「お諫めする、お諫め申す!」
 まるでりうつられた人のように、ふらふらっと立ち上がる北の方であった。
「姉上っ!」
 と、貞範がうちかけの袖をつかんで、支えるのを、
「放せっ!」
 振り払うはずみに、燈台が倒れて灯りが消えた。東の空に昇っていた十七日の月の、さやかな光が濡れ縁ごしに流れ込んだ。
 北の方は、廊下へ走りでようとしたが、入側から引き戻された。
「止むるな貞範っ……大塔宮の御怨霊ごおんりょう……犯せる咎の、大逆の、報いを着ておる夫と妻……生れた和子わこは、峯の僧正の生れがわりじゃ、呪われてある、呪われてある直義の殿じゃ……戦に勝たるゝ筈がない……」
「これさ、姉上っ!」
「えゝ放せ、放せっ!」
「放さぬ!」
「放せ!」
 鎧の金具と、蒼白な顔とが、月明りを浴びつゝもつれた。



山峡さんきょうの秋に馬やしつゝ

「なにかお差支えが出来たのでは──ございますまいか?」
 腰元は、さっきから何べんも同じ言葉を繰返したけれど、お奈穂なおは黙っていた。
 すこし離れて、だがやはり落葉の上にうずくまっていた若党が、
「お文にあった時刻を、お読み違いでもなされませぬか?」
 と、云うと、お奈穂はかぶりを「なんの」というように振って、そのまゝ池のおもてを、眺めつゞけた。
 粟ガ池の水は、黄紫紅褐おうしこうかつに彩どられた丘陵の姿を、さかさまに映していた。丘は、水面から三百尺も高くそばだって、ちょうど屏風を立てつらねたように、右左へ長い裾をのばしていた。この丘のてっぺんに建っているのは、貴志右衛門の邸だった。燃えるような櫨紅葉はじもみじの梢に、棟を見せている邸の屋根もまた、秋らしく明るく澄んだ夕空と一緒に、その映像を池の水面みのもへおとしていた。
 お奈穂は、この邸のあるじ右衛門の、かけがえのない独り娘なのであった。
 若党は起って、しばらく人待ち顔を、富田林とんだばやしの町の方角へむけたり、石川の岸の方へむけたりして眺めていたが、突如、
「や、いとさまっ!」
 と、叫んだ。
「おゝお見えか?」
「は、あすこに! あれあれあすこに!」
「あゝ庄五郎さまに違いない!」
「おゝ違いございませぬとも! 嬉しや嬉しや、あゝ嬉し!」
 待ち人は故楠正季まさすえ遺児わすれがたみ、庄五郎正氏だったのである。
 褐色かちいろの馬に乗って、供もつれず、たった一人、この粟ガ池の池畔へむけて、石川の岸辺の路を近づきつゝあるのだった。
 川の堤からは、七八町の距離があった。だから、人も馬も、ほんの小さく見えるきりであったけれども、待ちこがれたお奈穂の眸にだけはもう、その微笑ほゝえむ目もと、口もとまでも、はっきりと見えた。
 池と川の間は、田であった。田はもう、のこらず刈取られていたが、稲はまだ畦に乾してあった。そして野良働きの農民たちが、黄いろくかわいた稲の束を、せっせと背中で搬んだり、手車に積んでいたり押したりもしていた。田圃は、肥沃ひよくな石川平野の一部であった。幅は広くないが蜒々と狭長ほそながく川の両岸につらなる豊穣な耕地は、今や収穫をすませて、晩秋のなごやかな日のひかりの下で、意外にも早く復帰した和平の雰囲気ふんいきをよろこぶかの態をみせていた。高師冬が、東条への対塁を放棄して、八尾へ退いたので、南河内にはもはや敵は一兵も止まっていなかったのであった。
「だいぶ後れて、済まなかった」
 田圃みちから、街道を横ぎって、池のみぎわの紅葉林へ入ると、馬から下りてそう云った庄五郎だった。
 狩衣かりぎぬが濃い紫のせいか、一入いろが白く、眉が黒々と見えた。十六歳の秋もすでにたけなわ──身長も五尺六寸を越えたし、恰幅かっぷくもやゝそれにかなっていた。
「庄五郎さま──」
 と、お奈穂が走りよった。

 腰元と若党とは、想い想わるゝ仲のふたりの会話をさまたげないように、心して、話声のきこえない距離に遠ざかっていた。
 汀を歩いたり、街道へ出て歩いたり──
「滅茶くちゃに樹を伐りゃあがったなあ。紅葉の名所の粟ガ池も、これでは、形なしというものだ。むこうの畑から池の水が丸見えではないか。──何万という敵の奴らが、半年の余も寝たり起きたりしおったのだから、仕方もないが──のう」
「お屋敷の荒らされぶりを考えて見なされ、まんぞくな場所は、お屋根まわり、ぐらいなものじゃ。はじや楓の紅葉をかれこれいうどころではないぞえ」
「まあそう云えば、そんなものだが──」
「もともと名前が粟ガ池じゃもの、粟やひえの畠から、見透しじゃとて辛抱がならぬでもないけれど──」
「こう、無風流なことを云うでない。これが以前の紅葉なら、あゝしておいでのお両人ふたりが、もっともっとお美しい風情ってやつに見えるわな」
「そんなことよりか、お前はどうお思いかえ?」
「え? なにをさ?」
「遂げられそうもないではないか?」
 と、腰元は、池の岸辺の枯れ黄ばんだ草の上に坐っているお奈穂とその恋人の方を、顎でしゃくると、若党がうなずいた。
「む。とてもとても。──当座のお慰みというなら別だが、御祝言の盃かわして末永くとは参るまい。はたが許すまい」
「なんにせい、お両方ふたかたとも独り子──お嫁にも行けない、お婿にも入れぬというお身の上じゃもの──。ひょんな恋じゃのう」
「一体どうなさろうというお積りかなあ?」
 召使たちの言葉どおり、たしかにひょんな恋であった。
 貴志右衛門は、上赤坂の城の守将だったから、去年干戈かんかが動くと同時に、自分の居邸から手勢を率いて赤坂へ入城した。そして四条畷の勝に乗じた敵軍が東条へおしよせた時は、右衛門の居邸は、その位置からいって無ろん師冬軍の、大きな陣地の拡がりのなかへ包みこまれた。右衛門の一人娘のお奈穂が、あらかじめ難をさけたのは云うまでもなかろう。お奈穂は、貴志ガ岡の上の自分の邸を空にして、召使たちをつれて水分みくまりへ避難した。七ヵ月たって、師冬の大軍が大和川以北へ退いたので、彼女は父とともに貴志ガ岡へ帰ったが、わが家に帰ったのはいわば身体ばかりで、心は、半年の仮寓の方へ、ぴったりと吸いつけられていた。なぜかというと、水分生活が、彼女に恋を知らせたからであった。だが、それはふさわしい恋ではなかった。もし男が、どこかの次男三男であったなら、貴志は楠氏の譜代屈指の重臣だし、彼女は充分に美しかったし──だから、相惚あいぼれであるかぎり、なにも難かしいことは起らない道理だったであろうが、困ったことには相手が、故帯刀正季の一子、庄五郎であった。
 お互いに自分の境遇を考えれば、てんからすまじき恋だったのである。
 しかし誰れもが云うように、恋こそは思案の外だ。
 添われぬ恋とわかっていただけに、諦めかねながらも両人は、慎しみ深かった。人目を忍んで逢いはした。逢って語ることはしたが、それ以上の関係にはまだ進んでいなかったから、いわゆるあいびきとは、かなり性質のちがった密会だった。
「でも庄五郎さま──」
「いやいや、それは無分別だ。とうてい、望めることではない」
 と、表情をすっかり憂鬱ゆううつにして、お奈穂の情熱のうずきに堪えかねたようなまなざしを、見つめながら、
「貴志どのは、近ごろ、また反感のよりを、もどしておられるからのう。敵が、八尾へ、退陣した時、なぜ追わなかったかと、ひどく憤っていられる。音無川の勝利以来、館の殿へ牙を剥かれなくなったので、これは倖いだとおもっていたのが、あれで一ぺんに解消してしまった。館への反噬はんぜいが烈しければ、わしなどへは恐らく唾をふっかけるのさえいやであろう」
「あれ、もったいない、お主へむかって臣下の父右衛門が、いかにかたくな、因業いんごうでも──」
「奈穂どの、徒労むだじゃ。そなたが後とり娘でなくば、十に一つの望みもあろうけれど──」
「……それは徒労むだかも知れませぬ。でも、わたくしと致しましては、一応は父の許しを乞うてみるのが、本当かと思われまする」
「乞うてみるのはいゝ。だが、駄目なことは火をみるよりも明らかだ」
「と、申して、わたくしはもう我慢がなりませぬものを──」
「断じてならぬ、馬鹿ものっと、叱られたら、そなたは何とおしじゃ?」
「父も家も、棄てまする」
「そうは参るまい。奈穂どのは棄てる気でも」
「すがって、願って、それで許して貰えぬなら──」
「お待ち! 貴志の後継あとを絶やしても庄五郎に添うということは、この河内ではとても出来ない相談じゃ。のう奈穂どの、そなたが家を棄てるだけでは、わしたちの恋はまだ叶うまいぞ」
「と仰しゃるのは?」
「この庄五郎もまた家を棄てなければならぬ。両人して手をたずさえて、どこか他国へ駆け落ちいたすほか、添いとげる道はないのだ」
「庄五郎さまは、それがおいやでございまするか?」
 お奈穂は、にわかに涙ぐんで、怨むがように情人を仰いだ。
 添うことさえ出来れば、ほかに何がいろう、というのがお奈穂のいまの気持だった。もはや恋が全部であった。いつかしら、盲目的な、たゞひたすらな恋慕と変わっていたのであった。三つ歳上──女は十九のすでに熟した肉体から、ほとばしるように湧く情熱に、ほとんどえがたそうに見えた。これまでの慎しみぶかさは、どこへ行ったか? 澎湃ほうはいと押し流す慾望の流れは、あらゆる堰を破ろうとしているのであった。

「いやではない」
 と、庄五郎が答えた。
「おゝ嬉しい!」
 お奈穂はいきなり、男の胸にすがろうとするのを、
「いやではないけれど……」
 と、身を退いて、
「そうは出来ぬ。朝廷への御奉公を忘れては、亡き父のお位牌にすまぬ。楠の家門の歴史をけがす。正成正行おん二代の輝かしい御芳名を、きずつけるばかりか、今の館に対して、なんともお申訳がないのだ。わしが兎もかくも人並みになれたのは、ひとえに虎夜叉の殿のお蔭じゃからのう。ことに今日ぐらい大切な時期はないといえる。虎夜叉の殿の、回天かいてんの御事業が、まさにこれからというときじゃ。わしにとっては、恋のみがすべてではあり得ないのだ、奈穂どの」
 庄五郎は、そう云ったとき、背後うしろの方で誰れか自分の名を呼ぶので、驚ろいて振りかえった。声のぬしは、尾鷲梶丸おわせかじまるだった。
(しまった!)と心で叫んだのは、梶丸に見つかったことは、きょうの逢引が、館正儀やかたまさのりの眼にふれたも同じだったからである。
(たゞ一騎、なにしに来たのだろう?)
 疑問が、庄五郎の頭をかすめた。
 梶丸は、黒い馬の歩みを街道でとめて、
「お邪魔いたしたかな?」
 と、云った。街道と池の汀とは、ちょいと距離があったので、かなり大きな声だった。
 庄五郎は、お奈穂へ、
「見つかっては仕方がない」
 そう囁いてから、
「構わん。──さあ、こなたへ」
 と、招いた。
 梶丸は、林のなかに庄五郎がつないでおいた馬のわきへ、自分の馬を捨てゝ、微笑しながら、近づいた。
「これはこれは、貴志のお奈穂どのでござったか。その後はしばらく」
「ほんに暫らくでございました」
 と、お奈穂は丁寧に会釈した。
紅葉狩もみじがりというわけでござるかな」
 梶丸は、女へ、そう云ってにっこりとした。
「偶然にも奈穂どのに行き逢っての」
 と、庄五郎が、代って答えた。

 虎夜叉正儀は、伊賀の方に、腰と脚とを揉みさすらせていた。
 こゝは、新夫人の居間であった。
 東条城内の本曲輪ほんぐるわのなかの館にあって、かげ曲輪の密房みつぼう玄々寮げん/\りょうからは、ずいぶん離れていた。新夫人が、水分みくまりの本邸から城内のこの館に引き移ったのは、二十日ほど前でしかなかった。婚礼は六月の初めだったが、以来、伊賀の方は姑のそばにいて、ときどき城から来る夫を、焦がれ待たねばならなかった。で、やっと城に住めるようになって、こんどこそ毎日そばにいることが出来るとおもうと、歯の根が合わぬくらいよろこばしさを感じたのであったが、不思議なことには、夫正儀とともにすごせる時間は、水分館に起き臥していた頃よりも、かえって遙かに短くなった。夫は、今いたかと思うと、たちまち姿を消した。水分では、来ればかならず一泊して帰ってくれたのに、こんどは、真夜中でも風のように消えて行った。で、きょうなどは、ちょうど四日ぶりで──会うことが出来たのだった。
 しかし、猜疑さいぎと嫉妬とは、断じて慎しめと、女院が仰せられた。北畠准后からも、夫の秘密に触れずにはおれないというような気持では、とても正儀の妻たる資格がない、と云われた。伊賀の方は、どんなことがあっても、
(お両方ふたかたのお戒めをまもろう!)
 と、覚悟をかたく決めていた。
 釣瓶つるべおとしの晩秋の日はもう黄昏れて、城の紅葉は、黒紫にくろずんで、梢にまじる黄葉のみがかすかに残光をとゞめていた。そして前栽の枯れ芝へは、夕靄が、いわば湖の面のように立ちこめていたが、樹々のかなたに、腰から上を見せている金剛山の峰は、まだ赤々と、あざやかに夕映えていた。
「あゝよくとおる」
「あの──こゝでございまするか?」
「そこ、そこ」
「この辺はいかゞでございましょうか?」
「むゝ、それ、それ」
「たいそう凝っておりますること!」
「う、うーむ!」
 と、正儀は顔を、枕の上でしかめて、
「さすがに、そなたは怪力じゃ。怖ろしい指先の力だのう」
「あゝれ、痛うございましたかしら?」
「息が止まりそうであった」
「あらまあ! 強く強くと仰しゃるので、つい指先に、うっかりと……」
「はゝゝゝ!」
「どうぞ御容赦くださいませ」
「そなたの方から詫びられては、張り合いがないの」
「あれ! なぜでございまする?」
「どこでこんなに、脚腰を凝らして来たのか、と持ち前の剛力で、ひと捻りに、ぎゅうっとたまには痛めつけてくれてはどうかの?」
「あら滅相もないことを!」
「でも宝の持ち腐れは、気の毒だ」
「もう、わらわは、持たでもの力がはずかしゅうてなりませぬものを!」
「はゝゝそう下手々々と組まれては、わざの施しようがないの。武芸十八番、角力の極意まで心得ている」
「まあいやな、なんでわらわが角力技すもうわざなどを!」
「存じておらねば、あゝは参らぬ」
「あゝれ存じませぬものを!」
 宮仕えに馴れた伊賀の方には、はしたなさがなかった。おゝどかな艶めかしさはあっても、卑猥ひわいな媚は露ほども見せなかった。
 やがて、侍女たちが、灯をつけたり、食膳を運んだりした。
妻女つまは結句、この方が宜さそうだ)
 正儀が、そう感じながら、しとねに横たえた躰を起したとき、本郭附ほんぐるわづきの近侍が一人、はいってきた。そして、和泉の蕎原そぶるから、和田正武の見えたことを告げた。
「こゝへ呼べ」
「厳めしい武装でござりまするが──?」
「鎧兜か。──構わん」
「は」

 正武は、身長六尺、四条畷で自分の首を斬られつゝも本宮太郎左衛門を、喰い殺したという猛者もさ、源秀にも、あまり劣らぬほどの偉丈夫であった。
 戦死した源秀兄弟とは、従兄弟いとこだった。だから槇尾城まきのおじょうの和田助氏からいえば、やはり甥であった。歳は、二十三歳。色はくろぐろと、眼に慓悍ひょうかんな光をたゝえていたが、
「食べとうござらん!」
 と、どなって、兜を、牀板ゆかいたに叩きつけるように置いて、その眼の光を一段ときらめかした。
「おかしいの。腹加減でもこわしたか?」
「飲み食いよりも、命令が欲しい!」
「紀州へ出陣のことかな?」
「申すまでもなし」
「わざわざ来るにも及ばなかったのに」
「いゝや参らずば、なんでらちがあこう?」
「参ったとて、そんな埒があかさりょうか」
「え、なんと? 有田郡、日高郡と深入りした直冬めは、今や袋の鼠でござるぞ」
 あぐらの膝が、ざくりと小札草摺こざねくさずりをゆすり鳴らした。だが、正儀は答えなかった。
「館っ」
「…………」
 伊賀の方は、正武の尋常でない顔つきと、夫のなんでもなさそうな面持ちとを、見くらべた。
粉河街道こがわかいどう根来街道ねごろかいどう、紀州街道──この三路をやくして敵の退き口をたとうとはなぜなされぬか? 犬鳴山と風吹峠に、砦を設けて、雄山越かつのやまごえの隘路に伏兵をたむろさせ、しかる後に小沢の城の恩智が兵に、出撃を御命令これあらば、味方の大勝、疑いないではござりませぬか? もちろん、これしきの軍略、御存じのない館でもおわすまいに、晏如あんじょたるそのおざまは、ひっきょう心の手綱ゆるんだと見たは僻目ひがめか、さあ、御返辞をうけたまわりたい」
「槇尾山に立ち寄って参ったのか?」
 と、返辞のかわりに、正儀が訊いた。
「えゝ、御返答がきゝたい」
「まず、わしに答えてくれ」
「優柔不断な叔父助氏に、裁量乞うなどは、およそ愚の骨頂でござる」
「おぬしの叔父はとにかく、和泉の軍は、北畠准后の御司令の下にあるはずだ」
「雲の上人に軍機はつかめない」
「わしの作戦の方針は、槇尾の城へ行けばわかる。廻り路というでもなし、帰りに御機嫌伺いを兼ねて立ち寄るがいゝの」
「誰れが!」
「おことも融通のきかぬ男じゃ。ちと、叔父にあやかってはどうか?」
「殿っ」
 と、正武はゆかを拳でたゝいた。
「神宮寺の真似をする」
 と、正儀が微笑んだとき、正武は、ぬっと起って、縁側から畳へあがった。そして伊賀の方のわきまで行って、どしりっと胡坐あぐらの尻をおとして、鎧の肩を怒らせた。
「和田。──うちの奥と、力較べでもいたすのか?」
「ば、ばかな!」
「でも、そういった呼吸だぞよ」
「これを御覧じろ」
 さげ袋から、紙片のたゝんだのを出した和田が、
蕎原そぶるの城の壁に貼られた、落書の一首でござる」
 そう云って、伊賀の方に渡した。
 ひらいて、それを眺めた新夫人の顔が、いきなり曇った。
「読め」
 と、正儀が云った。
 さも困ったらしい顔つきで、夫人がためらった。だが、ふたゝび、読めと云われて、仕方なげにその落首を、
「『──楠の正時までは正しくて、いま正儀が正なかりけり』」
 と、読んだ。
「はゝゝ正なかりけりは宜い。面白い歌だ」
 正儀の笑顔を、きっと睨んで正武は、
「館っ、御家門に恥じられよ!」
 と、叫んだ。
 ちょうどそこへ、さっきの近侍がまた現われた。
「は。梶丸どのが只今、戻られたそうでござりまする」
 正儀がうなずくと、近侍はさがった。
「わしに急用が出来た」
 そう、夫人に云って座を起った。
「和田。おぬしに構っている時間がない。ともかくも紀州への出兵は無用だぞ。直冬は、たぶん今夜あたり、雄山越かつのやまごえをするだろう」
「えゝ、直冬か?」
 正武の赭らんでいた顔が、さっと蒼く変わった。
「紀州に残留する部隊もあるが、直冬がいてさえ、格別われわれの妨げにはならなかった。邪魔どころか、たいそう為めになったのだ。わしらはむしろ、彼等の労をねぎらって、酒樽ぐらい贈ってやってもいゝところだ」
「な、なにを仰しゃる?」
「死に絶えて、わが一族に人の乏しい昨今じゃ。もうすこし、思慮を練るようにしてくれぬと困るぞ。楠と和田──呼び名は違っても、一家同様の間柄じゃ。その和田の正武ともあろう者が、なぜに師冬が八尾へ、そして師泰が天王寺へ、それぞれ東条と槇尾の包囲陣をといて退却したかという、疑問をおこさぬようでは心細いぞ」
 そう云ったかと思うと、さっさと渡り廊下へ去ってしまった正儀であった。

「うむ」
 うなずきつゝ聞き終わった正儀は、
「御苦労」
 と、云って衆妙房しゅうみょうぼうへ入ろうとして、振り返った。
「梶丸。そなたも来てくれ」
 房内の、あるじ正儀の居間につゞいた一室に、並んですわっているのは、庄五郎とお奈穂であった。二人とも正儀の姿を見るなり、ぼうっと紅くなってうつ向いてしまった。そばには、幾波がいた。折鶴は、居間の方の隅っこに坐っていたが、正儀の顔を見ると、つつましやかな微笑みを送った。
 しとねにつくと、
「庄五郎」
 と、正儀が呼んだ。庄五郎は、耳たぶをほてらせながら、顔をあげた。
「万事に巧者なお身だけれど、初恋だけに羞かしいと見えるのう」
「羞かしゅうござる」
「羞恥の本能は、人倫に欠くべからざる常軌の一条だ。しかし、お身としては、一刻も早く、そうしたはにかみを通り越さなくてはなるまいぞ。心が、そのまゝ顔に映るようでは、事にのぞんで本当の働きは出来ない」
「まことに」
「進まれい。そこでは話が遠い。──お奈穂。さあ、それへ」
 両人は、明るい燭の光がまぶしそうな様子で、居間のしきいを越えた。
「奥よりお奈穂へ頼みがあると、梶丸に云わせたは、あれは腰元と若党を貴志ガ岡へ帰らす方便だった。が、お身たち両人への、わしからの依頼は、事すこぶる重大じゃ。そして、非常なる機密にかゝわったことだ。庄五郎、おみならば、やれると堅く信ずるからこそ、今宵、こうして頼むのだ。よいか?」
「は。何事かは存ぜねど、身に適いまする限りは──」
「頼まれてくれるか?」
「はい。何なりと」
「まず最初には──」
「は。最初に──?」
「この玄々寮で一夜あかして、お身たち相思の恋をとげてくれ」
「おゝ!」
「そして明日は河内から、出奔しゅっぽんしてくれ」
「えゝっ?」
 だが、驚ろく暇もあたえずに、
「駈落ちの、落ちつく先は、堺浦じゃ。唐土屋もろこしやじゃ。よいか?」
「は。は」
「それからが肝腎だぞ。──唐土屋は、ほんの足だまりで、ほんとうに落ちつくべき先は、右兵衛佐うひょうえのすけそばだ」
「え? 右兵衛佐足利直冬のかたわらに?」
「そうだ。直冬の帷幕いばくのなかにはいることだ」
「えゝ? 帷幕のなかに──?」
 庄五郎は、自分の胸中でおどろきが不審さに変わって行くのを、感じた。

「はいってくれ、と頼むのだ」
「──館っ。果してそれがしが、入り込み得るでござろうか。敷妙には、美貌があった。境遇上の便宜がござりました」
「いや。──敷妙の場合とは、手段がことなる」
「しかし、それがしには──」
「聞け。──庄五郎正氏が、足利へ──北朝へ降参するのだ」
「え、降参? この庄五郎に、朝敵方へ、たとい謀りごととはいえ降参せよと?」
「申すのだ」
「館っ、そ、それは、こくでござる!」
 と、庄五郎も、叫ばずにはいられなかった。けれども正儀は、若き従弟を静かに見すえて、
「むろん酷じゃ。──よしや敵を計るためにもせよ、朝敵の軍門に降らば、一生涯、人の指弾つまはじきを受けるであろう。いや悪名は、一代で消えない。──五百年、六百年の後までもそしられるだろう」
「あゝ堪えがたいことだ!」
「いかにも辛いことだ!」
 と、正儀が、にわかに声を慄わせた。そうした哀切な語気は、かりそめには絶対に虎夜叉正儀の喉から洩れるものではなかった。
「しかしながら、その辛さに堪える人柱こそ──庄五郎、その人柱こそもっとも必要なのだ」
 声が、ますます、痛切にひゞいた。
「館!」
「頼む!」
 庄五郎のみでなく、お奈穂も──また幾波も、折鶴も、さらに梶丸までが、正儀のあきらかに悲痛な顔に、ひとみをあつめた。
「虎夜叉とて、最もおゝきな必要に招かれた場合、あるいは降参もしなければならぬかと思う。──もし、大君の御ために、正儀の北嚮ほっきょうが、ぬきさしならぬ絶対の必須とあらば、甘んじて後世に、汚名をのこすこともあえて厭わぬであろうぞ」
「おゝ、正成の殿の御子におわすあなたが!」
「うむ。わしが!」
「……それがしは、正季まさすえの子でござる!」
「正季の子なるが故に、降参は出来ぬと申すか?」
「は、はい!」
「庄五郎っ! 今わしは、もっとも大きな必要と云った。最大の必要に迫らるゝ場合とはなにか? すなわち、一天万乗のみかどのおん前に、北朝をして降参せしむる場合をさすのだ。三種の神宝の偽器を擁して天位を潜称せんしょうした京都朝延を、わが大君へ、屈服せしむるためには、楠正儀が北朝へ降参する以外絶対に途なしという時が、もし来らば、この正儀は、あらゆる嘲り、あらゆるのゝしりを忍んで北へ赴く。人々はもちろん、あの不忠者よと、世から世へ語りつぐだろう。歴史は、逆臣伝反臣伝のうちにわしの名を記録するでもあろう。だが、まゝよ、構わん。正儀が唯一の目的は、北朝を、降参させることにある。かつては草莽そうぼうの臣たりし楠が、深き朝恩に浴して三代目、正儀にいたって忠を忘れ、義を誤てりと非難さるゝとも、天つ日嗣のすめみかどが、都の宮闕きゅうけつへめでたく還らせ給うなら、なんの幸いかこれに過ぎよう!」
 正儀は、庄五郎の双眸そうぼうを、きっと見つめて、しばし語をとめてから、
「いうまでもなく、自ら北へ走ることを要せずに北朝を、降参させたいは山々だ。それがためにこそ、虎夜叉の心血をしぼり、全霊、全力をこうして傾けているのだ。──庄五郎っ。わしの苦衷を察してくれ。……もし虎夜文の眼に見損じがなかったとせば、お身は理解できると思うぞ。──どうじゃ、人柱になってくれぬか? 皇室のおんために──そしてこの正儀のために!」
「館っ!」
「む、解ってくれたか?」
「はい!」

 庄五郎は、決ぜんと、解ったと答えた。切々と迫る虎夜叉のこえが、心根に徹し、烈々ときらめく正儀の気魄きはくが、魂いを照したのであった。
(北朝を、南朝の正統へ降参させるためには、臣楠が北嚮ほくきょうしたとていゝはずだ。そして自分は今、「もっとも大きな必要」に招かれたのだ。そうだ、まず自分が人柱になろう!)
 庄五郎は、そう考えて、「はい」と答えたのだったが、答えた自分の声に、亢奮こうふんをはげしく煽られて、泪がわき、躰がふるえた。
(人柱!)
 と、叫びたいような衝動が込みあげたとき、正儀が、
「わしは、嬉しいぞ」
 と、云った。
「わたくしも!」
 と、庄五郎が応じた。
(湊川や四条畷の戦死よりも、まるで別な意味で、はるかに意義が深いのだ!)
「のう。大きな犠牲だ。──歴史に悪名は遺るし、──だがしかし、千載の後には知己も現われよう。痛ましい、辛苦な仕事だが、庄五郎、やってくれ。お身を除いて他に適任がないのだ。お身が、直冬のふところへ入ってくれなければ、わしの謀略が運べない。去年来の画策かくさくが行きづまらぬまでも、遅々として捗どらないのだ。わしのごく側近の腹心だけしか知らぬことだが、敷妙の働きでさすがの直冬も、どうやら明敏な心境を曇らせて、師直と戦う気持ちになった。そこで紀州まで出かけて来たのだが、高の軍勢が、その裏をかいて、八尾と天王寺へ退いた。退かずにいたら、直冬は紀州から兵を和泉へかえして、高軍の陣後へまわり、われわれとそれを挾み撃ちにする形で攻めかゝったかも知れぬ。直冬にとっては、そうした姿勢で戦うよりほか、高に対して勝ち味がない。で今や師冬、師泰に退かれたゆえ、つぎの機会を待たなければならない。な、そこだ」
 正儀は、そう云って、亢奮をだいぶ落着かせた庄五郎の、問いを誘った。
「そこで? ──わたくしが直冬の軍門に降れば?」
「かならず直冬は、お身を利用して、わしへ何等かの渡りをつけて来る」
 互角のいきおいで師直と、直義・直冬とに、鷸蚌いっぽうの争いをさせなければならぬのだ。それがためには自分が、直冬の相談相手になって、望ましく形勢をかもしださなくてはならないのだ。と、そう思ったとき、庄五郎の眼には、正儀の顔が、崇く高く仰がれるように映った。
 若い魂いは、溌剌と、するどく奮いたった。



当月とうげつ当日とうじつ

 登子なりこの方が、
「宜かったか、それとも──悪かったのやら?」
 と、つぶやいた。
「さあ! いずれとも……」
 饗庭命鶴丸あえばみょうずるまるは、御台の浮線綾ふせんりょう唐衣からぎぬをながめて、(やはり派手な方がお似合いだ)と思った。灯にあかるく照らされる御台の顔は、たしかに去年の暮ごろから五つ六つ若返って見えるのだった。(御台には、将軍の禁慾の御生活が、どんなにお辛かったろう? それは、何年つゞいたことか? だが将軍の御心機が一転した。北の対へ、御台のねやへ……)
「命鶴──」
「──?」
「源氏ほど、兄弟仲のわるい家柄はないのう」
「しかし争いには、兄の方が勝っておられまする。頼朝卿は源九郎義経を殺し、義朝は為朝を追われた」
「……直冬を、中国探題という名で備後びんごともへ、遠ざけることが出来て、一安堵にはちがいないけれど、そのため下御所のお恨みは、どれだけ深まったかしれぬ」
「御安堵が、御安堵にはなりませぬ。なれど、あの場合、あれよりほかに御手段はなかったのでござります」
「上様がお起ちあそばしたから、内乱も防げたようなものゝ、あれが日ごろのわがつまなら……」
「都も焼野が原でござりましたろう。萩原法皇の崩御が、将軍のお心持ちに、大きな響きを投げかけた矢さきゆえ、よろしかったのでござります。妙心寺を建立あそばして萩原院に、世の風塵ふうじんをお避けになり、ひたすらのりの道にわけ入らせられた法皇さえ、あゝした御悩の御最期! ということが、御転向ごてんこうの動機だったにちがいござりませぬ」
「わが夫とても、お足許に火がついてはのう」
「でも、あれが、崩御以前の出来ごとなら、おそらく燃えるがまゝに、捨ててお置きになったことゝ思われまする」
 待女が、襖をあけた。
「上様のお召しでございまする」
 そう云ったとき、白い霧が、室内へさっと流れこんだ。
「や、ひどい霧だ」
 と、命鶴が云うと、
「もうとても、おそろしい霧でございます。しとみのすきから、濛々とお廊下へも、お入側へも──」
「お召しは、それがしをか?」
「はい」
 命鶴が、渡廊わたりろうへ出ると、霧のなかに待童の姿が、ほんのぼんやりと見えた。
 戸外は、まったく一寸さきも見えぬ霧の海であった。

 めずらしい濃霧だった。
 一方は宮殿、一方は東洞院御所すなわち尊氏館。築地ついじと築地に挾まれた街路は、まるで河の底のようだった。夜はまだそうけてもいないのだが、なにぶんにもひどい霧で、一歩ふみ出せば、衣服はびしょ濡れになるし、手さぐり、爪先さぐりでなくては動けないような有様なので、人の往来がほとんど止んでしまった。
 だいぶ、風が出て来たが、よういに吹き払われる霧ではなかった。朦朧もうろうと渦をまきつゝ、流れる後からまた流れた。
 ふかいこの霧のなかを、一、二と数えるならちょうど十五人の人間が、将軍御所の築地そとへ近づいたが、十五人のうち、二人だけを除いて、あとは皆、なにかかめみたいな恰好の物をつゝみにして背負っていたし、手には、やはり油紙で包んだ、長さ三尺ばかりの棒切れのたばらしいのを下げていた。
 空身からみの一人が、
「やれっ」
 と云った。
「は」小声で答えた、もう一人の空身が、ふところから、細引きの繩束を出して、築地の内側から枝を街路へのばしている椎の樹へむけて、投げると、みごとな手練で──たちまち繩梯子になった。
 と、見る間に、その男はするすると枝へ登って、その梯子の一端を持ったなり、幹づたいに、築地の上に立つ塀の内側へ降りてしまったので、外と内とをつなぐ通路が出来た。つまり繩梯子が高い塀のあたま越しに架けられたのであった。
 命令した男が、塀を乗り越えたあとで、十三人が、つぎつぎと、屋敷のなかへ忍び込むその素早すばやさ──。
 最後に、梯子までが、ずるずると邸内へ沒しると、あとはただ漠々ばく/\と、闇夜を霧が、そよぐだけ──。
 街路には、依然いぜん、往来が絶えていた。

 屋形の遠侍では、郎従どもが、内しょで寝酒を飲んでいた。
「大丈夫! 騒いだとて聞えるものか、あの風の音だ」
「滅茶な霧だったが、どうやら吹っとばされたらしいぞ」
 起って行って、窓蔀まどじとみをあげると、濃霧が流れ込むかわりに、こんどは烈風が、まともに吹き入ってあっという前に燈りを消してしまった。
「ちえっ、この風に窓を開ける奴があるか。締めろ?」
「早う、燈火あかしをつけてくれ。せっかくの酒を、懐にでも呑ましてみろ、もったいないぞ」
「おう、瓶子へいしを倒しては大変だぞ」
「平氏が倒れりゃあ源氏だ」
「早く、つけろ」
「おっと険呑けんのん、もうすこしで源氏の世だった」
「ほ。世だった、世だった身の毛がよ」
 燈火はついたが、※(「火+(陷-コザトヘン)」)が、しきりに揺れた。
「風の奴、どこからは入って来るのかな」
「だんだん烈しくなるの」
「ひどく唸るぞ。こんな風に火でも餘したら丸焼けだ」
「なあに、霧でうんと湿っているから、そう易々とは燃えん」
「燃えが悪うて張合がないような、面をして」
「おう、きょうは何日かな?」
「ばか。日を忘れたのか。正月二十八日だ」
「二十八日か。む、ちょうど一年目だ」
「なにが?」
「忘れもせん去年の今月今日だ。風はもっと烈しくて、おまけに空気が、からからに乾いていたから、燃えたの燃えないのという段ではないぞ」
「一体なんの話だ?」
「淒かったぞよ! 夜だったから、火の手が天にくっついて、空一面が焦げるかと思ったのう。話が負けるから、見ないものには想像も出来まいけれど──」
「夢にみる火事という奴は、とても綺麗だって事だ」
 はたから一人が、
「あゝ吉野の焼けた時の話しか。──へえ、去年の今夜か。そうそう、おぬしは今出川の人間だったの」
 と、云うと、みんなが、一年前の吉野炎上を想い起した。
「噂さに聞いたきりだけれど、ずいぶん大きな火事だったというの」
「もとの主君あるじの悪口はつきたくないが、高さまも、あれはひどすぎた。焼かずともの御所や伽藍がらんを灰にしてしまわれた。吉野といえば、後醍醐のみかど以来、日本中に鳴りひゞいた場所だからのう」
 しとみがうごき、軒や庇がきしんだ。樹々が、枝を、葉を、ざわめかせた。何か倒れたり、落ちたりする音がした。
「この風では、火の用心がいる」
「火事のある日には、火事の話が出るというの」

 ゆかの高い宸殿の、縁の下から、黒い影が出てあたりをうかゞったが、やがてまた前の牀下へもぐり込んだ。
 かめのなかは油だった。
 木片は、燃料だった。
 十三箇の瓶が、将軍座所と、北の対とに四箇ずつ、そして宸殿には五箇、いずれも牀下ゆかしたへ運ばれていた。瓶の油のなかへ、木片が浸けられた。油に火が点いた。ぱっと燃えあがった炎は、ぱちぱちっと音を立てた。じいっと油が鳴って、すぐ木片に火が移った。縁下をくゞって来る風のあおりが、ぼう、ぼうっと、火勢をつのらせた。光りが、赤ぎいろく、人間の顔を、服装を照らした。火つけ人は、若い武士とその郎従であった。繩梯子をかけた男は、楠正儀の秘蔵の郎党、与茂平だった。
 土御門東洞院の将軍御所をやくために、はるばる東条から潜入したのであろうか?
 だが近ごろ、東条から京都へ入った武士は一人もなかった。では町人か百姓かに変装してか? 否、それもなかった。
 今夜の火つけ人十五名は、誂えむきの濃霧にまぎれて、村雲の反橋そりはしの直冬邸からこゝへ忍びこんだのだ。若き武士といったのは、庄五郎正氏だったのである。
 尊氏の座所の牀下ゆかしたから、走り出した四人が、北の対に火を放った四人と前後して、宸殿のそばまで戻ったとき、庄五郎も与茂平らも※(「火+(陷-コザトヘン)」)が、牀の木材に燃えうつったことを、たしかめて、縁の下から現われた。そして十五人が揃って、暗い広庭を、風と一緒に横断して、さっきけたまゝになっている中門をくゞり、築地ぎわの椎の樹の下まで戻った。
 庄五郎が、
「大丈夫か?」
 と、すでに樹に登っている与茂平へ、声をかけた。
「誰れも通りませぬ」
「火の方は?」
「それも心配なしでござります」
 塀を乗り越えざまに、振りかえると、闇のなかで宸殿が、猛烈な※(「火+(陷-コザトヘン)」)を縁の下から吐いていた。
 庄五郎は、にっこりとして、繩梯子を降りた。

「火事だっ!」
 と、将軍が叫んだ。
「おう、火事々々! あれもうどう致そう!」
 御台は、とび起きながら小袖の前を合わせて、細絎ほそぐけを腰に巻きつけたし、尊氏は、脱ぎすてゝおいた直垂の袖を通すが早いか、御台の手を引いて閨を出ようとしたが、たちまちたじろいだ。
「あゝ!」
 烟が枕をはったその焦臭きなくささで、目が覚めたほどだったから、火はすでに建物の内部へ廻っていた。入側の牀が燃えぬけて、おそろしい赤気しゃっきが、真っ直ぐに、斜めに、幾本となく火柱となって、紅蓮の舌が、大蛇おろちの口のように襲いかゝって来るのだった。
「駄目だっ!」
 尊氏は、御台を引きずって、走り出すべき方向をかえた。一方の入側は、黒煙が一ぱいに旋回せんかいはしていたけれど、まだ牀は焼け落ちる前だった。しかし外側は蔀も、濡縁も、真紅の火※(「火+(陷-コザトヘン)」)につゝまれていたから、戸外へ、庭へ、と脱出を試みることは、すなわち猛火に、身を焼かれることであった。侍女たちの悲鳴にまじって、命鶴丸の声で、
「上様っ! 御台さまっ!」
 と、よばわるのが、聞えたけれど、烟と炎とでさえぎられて、姿はどこかわからなかった。
「息をこらせ! 烟にむせぶぞ」
 御台にそう云いつゝも、尊氏は、どうして遁れようかを、まるで旋風つむじの回るような頭で考えなければならなかった。生命の危険はもう迫っていた。火が異様な音響をたてゝ背後から襲って来るし、前の黒烟のうずにもちらちら※(「火+(陷-コザトヘン)」)のさきが混りだした。御台が、
「あゝ生きながらの焦熱地獄しょうねつじごく!」
 と、叫んだ。いつもは気丈な夫人だが、
「もしっ!」
 と、しがみつくのを、尊氏も抱えて、
「吉野を焼いた当月、当日だ! 世にも怖ろしいむくいじゃ!」
「おゝ焼いた報いに、焼かるゝとは!」
 御台が、おびえた声でそうおののくとき、烟りのなかから躍りでたのは、命鶴丸だった。
「お、命鶴っ!」
「御台っ、おぶい申すぞっ!」
 登子なりこの方を背おった命鶴は、尊氏とともに、猛火をくゞってからくも渡廊下へ、そして広庭へ遁れることが出来たが、火はもはや屋形のあらゆる部分を焼きつゝ、烈風に狂って高く舞いあがり、低くいなびいていた。近く、遠く、乱打される警鐘が、音を合わせ、つらね、響きを交えて、東山に、鴨川原に、けたゝましく反響した。深夜の京のまちは、たけなわの夢を破られて、さかんな火勢を愕ろきながめた。火の手はまさしく、やんごとない皇居と、将軍御所の方だったからである。
 公家くげも武家も、がぜん色をなくした。朝臣武臣が、先をあらそって蝟集いしうした。街路は人で溢れ、消防隊が人にせかれ、人を倒し、群集が叫び、わめきあい、火に近ければ近い場所ほど混乱が沸騰ふっとうした。だがさいわい、烈風は北から南へ吹いていたので、乱れとぶ火の粉も、皇居の方へは流れなかった。そして不思議にも、尊氏館の建物が、すべて劫火ごうかになめられた時、さしもの烈風がぴたりと吹きやんでしまった。群集は、火の拡がる怖れから救われた安堵と同時に、一種奇異きいな感じにうたれた。
(どうして風がやんだのだろう?)
 天変地異の気まぐれは、むろん人間の智慧では測れない。だがそれを、その気まぐれを、何かに結びつけようとするところに、人間の弱さがある。
 尊氏邸への放火は、この弱さを巧みに利用して、精神の不安と、士気の萎靡いびとをねらった企てだった。
 発火の場所が、宸殿と、将軍座所と、北の対屋の三ヵ所に選ばれたことはそのいずれかの場所に尊氏が寝ているに違いなかったからである。で、北の対で御台とともに睡っていた尊氏は、猛火に包まれて進退きわまった。命鶴が御台を救い出してくれたので、危く助かったが、火から遁れてからの恐怖の方が、はるかに、烟と※(「火+(陷-コザトヘン)」)とに生命をおびやかされている最中の恐怖よりも深酷しんこくだった。
(吉野を炎上させた当月当日!)
 去年の今夜──焼いたのは師直でも、師直は自分の代理者だから、自分が吉野を焼いたことになる。今は昔、弟直義が大塔宮に対して犯した大逆よりも、かえって自分の罪が深かったのではないか? なぜなら弑逆しいぎゃくの兇刃をふるった淵辺ふちべは、末輩の家臣にすぎなかった。決して弟の代理者ではなかった。
 そう思うと、尊氏はおのゝいた。
 烟にまかれた登子の方が、命鶴の背からおりると昏倒こんとうしても、それを顧みようとさえしなかった。火の中にいた時は、夫人をかばった尊氏が、安全な場所に免れてからは、たゞもう恐懼と懊悩おうのうとにさいなまれるのみだったのである。

「たゞの火ではない」と師直が云った。
「たゞの火ではない」
 と、尊氏も同じ言葉を洩らした。
「放け火だと申すのだ」
 そう、師直が言いなおすと、
「いや、業火ごうかじゃ。悪業所感の苦報だ!」
 尊氏は、太息といきをついて、邸を焼きつくした火の餘燼よじんをながめた。
「はゝゝゝ」
 剛愎な哄笑たかわらいをひゞかせて、師直は、
「わしの今出川邸は無事だ。まだ焼けない。吉野の応報ならば、わたしの屋形がまず灰燼かいじんに帰さなければならぬ。将軍。檜は堅くても、木材だ。罰が当らずとも、火を放てば焼けまする」
 と云った。
 将軍の東洞院御所焼けつゝありと聞いて、今出川の自邸から、屈強な消防隊をひきつれて馳せつけた師直だった。
「わしの館に、火を放てば、誰れがどれだけ利益を受ける? 劔をるなり、毒を盛るなりして尊氏が生命を覘うとあらば、まだしも意味があるけれど。──住邸を焼いたとて何となろうぞ」
「なかなか。──直義殿の、おそいこと。まだ見えぬことを、何とおぼす?」
「師直。和殿は、直義が焼かせたと云うのか?」
「直義殿か、直冬殿か、ないしは上杉か、そこどころは存ぜぬが、三ヵ所から同時の出火は、放け火の証拠じゃ」
 不敵な師直の考えかたは、どこまでも唯物的ゆいぶつてきであった。だが尊氏は、はなはだ憂うつに頭を振った。
「世には理外の理というものがある」
「宸殿には誰れも、いなかったと申すぞ」
「そこに臥せった者のないことは、火の気のなかったという理由にはならぬ」
「はゝゝゝ困った方じゃ!」
 と、師直はまた笑った。
「笑い声は聞きとうない!」
 尊氏は、不機嫌に云った。そして、
「たとい放け火にもせよ、それがすなわち業火だ」
「はゝゝこれは師直、手を挙げた。ともかくも焼け出されのお宿なし将箪じゃ。さあ、成らせられい、わしの邸へ」
 師直は、そう云って、
「弾正っ」
 と、大きな声で呼んだ。
 益子ましこ弾正が、走って来た。
 尊氏と師直とは、庭苑の築山の上に立っていたのであった。
「御所を今出川のわが館へ、お供申せ」
 火は風下へ延焼したが、ついに消しとめられた。地上の餘燼はなお赤々と見えたけれど、空は黒々と闇にかえり、※(「火+(陷-コザトヘン)」)に照らされた四周ぐるりの物象もひしめく群集の姿も、ともに暗中に沒して、たゞ松明たいまつの光りだけが、点々と、騒音のなかにまたゝいていた。

 副将軍直義が見えたときは、尊氏と御台とはすでに、師直の屋形へ送られていた。
 だが、諸大名はまだ焼け跡から去らなかった。吉野炎上の当月当日の怪火ということが、誰れもの心を恟恟きょうきょうとおのゝかせたからである。親しい者同士が、怪異を語りあい、反目する群れと群れとが、不安な心で睨みあった。
 師直も、なお引上げずに、山名時氏と話していた。
「高殿のお言葉には、充分ことわりがござる。しかし、放け火とすれば、その目的は?」
「目的は明らかだ。将軍のお心をおびやかして、ふたたびもとの世捨人同様な心境へ、もどらせようというのだ」
「なるほど。将軍が政務を聴かせらるゝことは、直義の殿御一党にとっては、たしかに大きな不利益でござるからの」
 時氏が、そう云った時、走って来る足音がして、闇のなかで、
「殿。──高の殿はおわさぬか? 高の殿」
 声は、富永孫四郎であった。
「こゝだ」
 と、師直が答えた。
「おゝ。一大事を聞き込みましたぞ」
「なに、一大事?」
「は。まさしく。──殿、おそばにござるは?」
「山名殿じゃ」
「あゝ山名殿でござりますか。しからば申上げまする。先刻、出火の直後の出来ごとでござるが、怪しき者が幾人か、上杉屋敷の塀を乗り越えて内部へ入ったということでござりまするぞ」
「なんと、上杉屋敷へ──」
「は」
「孫四郎」
 と、師直は思わず踏み出して、
「それは確実な話か?」
「はい。伴野ばんの出羽守家来が、確実に認めたのでござりまする」
 と、富永が答えた。
「どうじゃ、山名」
「愕ろき申した」
「睨んだずぼしだ」
「するどい御眼力、恐れいった」
 伴野出羽守長房の家来どもが認めた曲者というのは、ほかでもない庄五郎正氏と与茂平以下の郎従だった。尊氏館に火をけた庄五郎主従は、だが、なんのために上杉邸へ忍び込んだのであろう?
 彼等は、村雲の反橋ぎわの直冬邸からひそかに出かけたのだから、放火という仕事をしとげた後、ふたゝび直冬の留守邸の塀を越えて彼等の寝床へ還ろうとしたところを、見つかったというのなら、至極筋道だが、上杉屋敷へ潜入したことは、いかにも不思議だ。なんのために上杉邸へ入ったのか?
 事実をいうと、庄五郎主従は、伴野出羽守の家来たちにわざと発見されるために、上杉邸へ潜入してみせたのであった。つまり上杉邸へ入るところを人に見つかりたかったのだ。
 だから、その目的をはたすと彼等は、すぐまた街路へ逆戻りした。そして直冬屋形へ帰った。将軍の邸第ていだいを焼いて人心を恐怖させ、懼れを知る者の胆を寒からしめると同時に、たとえば師直のような懼れを知らぬ者へは、火つけ人は上杉邸の人間だと思わせることによって、内訌ないこうを促進させるという二重の効果をねらった計略だったのである。
 すなわち、思いどおりに、みごと計略は図にあたった。
 師直が、
「上杉め。いよいよ滅びる時が来たぞ」
 と、呟いた。
「自ら墓穴を掘ったのだ」
 そう云った山名へ、師直は、
「むしろ結構な火事だったのう、はゝゝゝ」
 と、こゝろよさそうに笑った。



田楽でんがく異変いへん

「身に覚えなきこと──」
 と、上杉重能しげよし陳弁ちんべんにつとめた。
 将軍も、
「重能は、断じてそんな男ではない」
 と、あくまでかばった。
「重能が知らずば、知っている者があるはずだ。屋敷の取締りに当っておる責任者を出せ」
 と、執事師直は突っ張った。
 だが、尊氏は極力、師直を慰撫いぶし、なだめ、すかした。
 で、結局、慕府の引付一番の頭人という上杉の職をはいで、出仕をとめ、閉門して百日謹慎させるほか、中国方面に散在する所領は、すべて没収して、重能の封土采邑ほうどさいゆうをおよそ半減させることで、やっと一まずけりがついた。
 副将軍をはじめ、畠山、吉良、石堂、桃井、長井、荒川、二階堂などの諸侯は、歯がみをして口惜しがったが、直冬は中国に離れているし、高に対して一戦をまじえるには、とても兵が足りなかった。
(いつぞや、直冬が云ったとおり、南朝と手を握って、楠の武力を利用するほかないかも知れぬ)
 直義は、そう思った。
 だが、そうは思っても、それは一朝一夕にできる事柄ではなかった。
 不可能ではないまでも、数えきれぬほどの困難が横たわっていることを、直義は感じたのであった。
 備後びんごともの津の直冬屋形と、三条坊門の直義邸との間を、使者が頻々ひんぴんと往ったり来たりした。いつかしら庄五郎正氏の姿が、ひそかに副将軍館に出入りするようになった。
 中国から上京した直冬の使者の口上には、
「恋のために、また一つには正儀への不平もあって、河内を逐電した庄五郎どのではござりまするが、間諜の報告によりますると、女の父の貴志右衛門は、一粒種の後つぎ娘を奪われた腹立たしさから、たとい主家の人にもせよ、見つけ次第、生かしては置けぬと云っているそうにござりますが、正儀どのは案外怒っておられませぬ。一族肉身が死に絶えた今日、自分にとっては大切な従弟いとこだ。よしんば貴志を犠牲にするとも、楠家としては、庄五郎のありかを探し出して、河内に呼び迎えなければならぬと、そう考えておられるらしゅうござります。それゆえ、庄五郎どのは、われわれが南朝方と提携ていけいする場合、充ぶんくさびとなり得ると信じたので、京の留守邸に残しておいたという殿のお言葉でござりました。年齢としはわずか十六歳ながら、きわめて俊敏、有為な材ゆえ、大いに用いるべきだ、とござりました」
 と、あった。
 もっとも信頼する直冬の推薦だから、副将軍直義は、よろこんで庄五郎と会うことになったのであった。
 さて、一方では師直みずから工事を督して、尊氏の新館の造営にあたっていた。土御門東洞院の焼跡に再建することは、将軍がこれを忌みきらったので、新らしい屋形の敷地には高倉が選ばれた。建築は、どんどんはかどった。師直の権勢は、さながら将軍御所の炎上が一つの時期を劃したかのように、その前と後ではたいそうな相違を見せた。
「将軍も、副将軍も、あったものでないのう」
「まったく飾りものじゃ」
「名ばかり将軍かの」
「足利幕府またの名すなわち高幕府だ」
「征夷大将軍、源氏の長者、高師直こうのもろなおってなことになりはせぬかな?」
「なりそうじゃ。上杉といえば将軍家の御外戚で、重能の殿は昇殿もお許されの方ではないか。それを、猫の子のくびでも捻ねるようにさ──」
「曲者の姿を見たものがある。いや、知らぬ、存ぜぬ。水かけ論で証拠にはならぬものを、無理無体に罪に陥したのだ」
「む、どうも無実の罪らしいが、そうするとあの火事は、やはり天罰かのう?」
「天罰とも。天網恢々てんもうかい/\、疎にして失わずということがある。怖ろしい話だ」
「吉野を焼いた一年目の当り日に焼けるようでは、将軍家の御運も末じゃよ」
「だが、高の殿の有卦入うけいりは、解せぬではないか?」
「それも恢々、洩れるものか。おっつけどえらい罰を喰う」
「もう一昨年、六本杉の怪異がちゃんと予言しているからな」
「気味の悪いことじゃのう!」

 世俗は、怪異を好む。
 と、云ってはやゝ語弊はあろう。だが、怪異を怖れすぎる人心は、ほんとうは怪異でもなんでもないものをも、まことの怪異としてでっち上げてしまう。
 怨霊思想おんりょうしそう瀰漫びまんしていた中世の末期だから、それは当然だった。
 社会の上層の一部知識階級にこそ、新らしい学問である宋学が、すでに輸入されて、程朱ていしゅの新釈が学ばれていた。進歩した頭脳の所有者たちは、訓詁くんこの学をすてゝ、意義と道理の学問についていた。因襲いんしうと典故の呪縛じゅばくから脱して、窮理博物きゅうりはくぶつの独立心を養いつゝあった。また宗教の方面でも、超仏越祖ちょうぶつえつそを手段として、個人の独知独覚を重んずる禅が、大きな勢力を得ていた。後醍醐のみかどのごときは、禅の哲理に通暁つうぎょうあらせられ、宋学によって独闢乾坤どくびゃくけんこんの御英気をつちかわれた。そして
「今の例は、昔の新儀なり。朕の新儀は後の世の例たるべし」
 と、のたまうた。
 で、院政をも武将政治をも、断然廃して、建武維新の、天皇御親政をお布きになったのは、恐れおゝいことながら畢竟は、帝の御教養の深くおわしましたことに基づいた、といえるし、准后親房卿が「神皇正統記じんのうしょうとうき」を書いたのも、古来の仏教の影響からまったく離れて、新らしい学問の光りで、はじめて明確に大日本の国家、国体というものを認識したからであった。また楠正成、正行は宋学のいわゆる「道」を、帝への忠に結晶させて、これを湊川と四条畷で実践してみせた。
 しかし、こうした新学と新精神の真髄にふれるということは、ごく狭い範囲にかぎられていて、世の一般はまだまだ、とても近世的な黎明れいめいを眺めるどころではなかった。
 だから、怨霊おんりょうや怪異が、きわめて大きな影響を投げていたのだった。
 で、陰陽寮は、
「将軍の邸の炎上せしころより、犯星はんせいと客星、隙なく現じたり。王位のうれい、天下の変、かならず兵乱と疫癘えきれいあるべし」
 と、密奏したものだ。
 ところが二月二十六日の夜半だった。
「おゝ、あの音は? あの音は?」
 洛中の貴賤、老若が、なまぬるい春の夜の夢を破られて、魂いを冷した。
「あゝ、将軍塚だ、将軍塚が鳴る!」
「物すごい鳴動じゃ!」
 東山長楽寺ちょうらくじから、つゞらおりの坂路をのぼりつくすと、そこには将軍塚があった。桓武の帝がこの平安京をさだめ給うたとき、王城鎮護のため、身のけ八尺の武将像が造られ、それに甲冑を着せ、弓箭きゅうせん刀仗とうじょうを帯びさせて、西向きに埋めた。それ以来、天下に何か変乱が起ろうとする時は、きっと、この塚が鳴動して、前じらせをする。と、そう言い伝えられていたのであった。
「おゝ、あれは地鳴りだけではないぞよ」
虚空こくうに兵馬が、馳せ通る音じゃ!」
「えゝ? 兵馬が空を、走るのか?」
「走るとも。それ、な、陣鉦の音だ!」
「あ、馬の蹄の音がする!」
「怖ろしいことだ。まるで六本杉の怪異の予言どおりになるのだ」

 あくる二十七日の真昼、正午というのに、清水坂の東宿の、ある僧房から、にわかに火が燃え出して、風も吹かないのに、大きな炎が不思議な火唸りをたてゝ飛んだ。
「これはたゞ事ではないぞ! 火事が起きれば焼けるのはじょうだが、あれあれ、あの火唸りはどうしたことじゃ。まるで火※(「火+(陷-コザトヘン)」)に翼が生えて飛ぶようだ。あゝ本堂へ飛んで行った。おゝ、阿弥陀堂あみだどうへも飛びうつった。──世の中に大変がある前には、霊験のいやちこなお寺やお社がまず焼けるそうじゃ。やれやれ清水寺も丸焼けか!」
 風のない日でも、火災の折は、往々、局部々々に旋風が起きる。※(「火+(陷-コザトヘン)」)は、その旋風にあおられて、猛烈な飛び火をして、大伽藍の本堂、阿弥陀堂あみだどう、楼門、舞台、鎮守まで、一宇も残さず焼きつくしたのであったが、民衆は決してそうは思わなかった。あやしい羽根が※(「火+(陷-コザトヘン)」)に生えたのだ。清水寺の丸焼けは、天下大乱の前兆だ。と、考えた。
 この考え方は、桜さく真盛りの三月三日に、なおさら深められた。
 と、いうのは、男山八幡の社殿が鳴動して、神の鏑矢かぶらやが音もたかく京をさして飛んでいった、と、まことしやかに流言を放つ者が現われたからであった。
 すると、宮廷の天文博士が、
「つらつら天体を按ずるに、月日を経ずして大乱が出来して、大臣は災をうけるし、子は父を殺すし、家臣は主をしいし、疫癘えきれいと兵革が続くであろうし、※(「クサカンムリ/孚」)がひょうは巷に満つるであろう」と、もったいらしく断言した。
 のみならず、若葉がかおる四月七日のことであったが、ちょうど戌の刻、すなわち午後八時ごろ、たつみ(東南)といぬい(西北)の方角から、電光がかゞやきだして、双方の光が寄りあって、さながら戦うごとくして砕け、砕け散ってはまた寄りあい、風が猛火を吹きとめるように、余光が天地にみちて見えたとき、名状もできぬ異形いぎょうのものが現われたかと思ううち、乾の光が退いて、巽の光の方が進んでいったが、やがて忽然と互いの光が消えて失せた。
 と、これもまた天文博士によって発表された。で、註していうには、
「この妖怪ようかい──天下の不穏を示す」

 だが、人間の心理というものは妙なもので、無気味な想いにしばしばおびやかされると、いきおい何等かの方法で気分の転換を求めずにはいられなくなるから、天下が乱れるぞ、不穏の兆があるぞ、と、あまりしげしげいわれると、却って太平楽な遊び事をやってみる。
 今年の春以来、田楽でんがくがばかばかしく流行したことなどは、たしかに、そうした心理の表われだった。
 鬱屈うっくつした不安を、酒でまぎらし、田楽をみて恐怖を忘れようというのだ。将軍尊氏は、鎌倉育ちで、田楽は北条高時がひじょうに好んだため鎌倉が本場だったから、若い時にはかなりこれに耽ったけれど、延元このかた去年までは、まるで捨てゝ見向きもしなかった。
 ところが、心機一転後はふたゝびこれをもてあそぶことになった。そして火災後は、今出川の高屋形に起臥したので、なによりの憂さばらしとして田楽をたのしんだ。
 かげでは、
「あゝ宜くないことだ。関東が滅びる前に、高時禅門が田楽に溺れた。上の好むところ下これにならう。万人が手足を空にして、朝夕を、これに婬し、これに費したので、北条氏がたちまち断絶した。それを今また将軍が──」
 と、心配するものも無いではなかったが、そうかといって尊氏に、世捨人になられては、大乱を速めることにもなりそうだから、うかつに諫めも出来なかった。
 今年はいわば、鳴動ばやりだとみえて、持明院の御苑の池が、鳴りはためいた。そして旋風つむじが起って、中門そとの雑舎が一棟、空中へまきあげられた。
 ところが、その翌日は、また火事で、壬生みぶの地蔵堂が灰になってしまった。
 梅雨があけて、盛夏がおとずれた。
 天変地異も、あまり度かさなると、だんだん凄味がうせる。鳴動や火事はもう、そう人の噂にのぼらなくなって、京のまちの話題は、この六月十一日に興行される勧進田楽に、ほとんど限られたかの有様だった。
 行恵ぎょうえという僧は、祇園ぎおんの執行であったが、この僧が、四条大橋をかけかえるための勧進として河原で本座の田楽と新座の田楽とを合わせて、能競のうくらべをさせることにした。で当日は、河原に広大な桟敷さじきを設けて、かしこくも持明院の御連枝、梶井門跡もんぜきの台臨をあおぎ、公家からは、太政大臣洞院公賢公とういんきんかたこうや二条関白、武家からは尊氏将軍が、観覧されるから、この田楽競演こそ希代なみものだろうというので、洛中も洛外も到るところで、寄ればきっとその前評判ばかりであった。
「さて、いよいよ明日だな」
「この夕映えでは、明日は間違いなしの日本晴れだ」
「どうじゃ、あの桟敷さじきの結構なことは」
「豪勢なもんだのう。三重にも四重にも組上げてあるではないか。どうせ此方こちとらに見物の出来る田楽ではないから、せめて空桟敷でも観ておこうかよ」
「囲いの周りを一廻りしたら、二百間もあろうかの。おれたちの住家の柱よりも太い材木が使ってあるぞよ」
「あたり前よ。何千人という人間の重みがかゝるのだもの、細かったら保てはせぬ──。五寸角、六寸角──八寸角の大物だ。三塔の貫主かんすの御門跡さまや、弓矢の長者の将軍さまの御見物さい中にこんな四重屋体が崩れでもして見ろ、どうなると思う」
 夕涼みがてら、桟敷をながめに来る市民の数も、すくなくはなかったし、磧の石に尻をおろして明日の盛況を想像しつゝ話しあう群も、あちこちに、十日の月影を青白く浴びていたが、やがて夜が更け、月が傾くころは、広い河原中に人気がたえて、尨大ぼうだいな桟敷が黒くわだかまった。そして河添いの人家のともし火が、一つ消え、二つ消え──ついに灯影はどこにも見えぬ真夜中が来ると、ふかい寂寞せきばくをみだすのは、かすかな水のせゝらぎだけになってしまい、桟敷が組み上げられる時の騒めきを思えば、まったく別世界のよう。
 だが、そうした静寂は、長く続かなかった。意外なる闖入者ちんにゅうしゃが現われたのだ。

 闖入者は、ぼつぼつと、桟敷の床下へ入って行った。その人数は、合せると十四五人もあったろう。黙々として誰れ一人、口をきかなかった。彼等は、十二分に予定された仕事を実行するまでだと──思われるような態度で、袋に入れてきた鋸を出して、八寸角、六寸角の、桟敷全体を支えるにはぜひ必要な親柱ともいうべき、大物を挽き切るのであった。
 もし何人かゞ彼等のそばに近よって、よくその容貌を点検するならば、夕涼みに来て、空桟敷でも観ておこうと云ったり、こんな四重屋体が崩れでもじて見ろ、どうなると思うなどとも云ったりした町人が、そこに発見されたかも知れない。そしてその点検者が、楠の郎従与茂平の顔を見知っていたなら、くだんの町人がすなわち与茂平の変装だったことを知るだろう。
 それはとにかく、鋸で親柱を挽いて、どうする積りなのであろう?
 せっかく組まれた桟敷を夜の間に倒して、明日の催しを妨害ぼうがいするのか?
 いや。どうもそうではないらしい。
 なぜかというと、彼等は、柱の大物を、挽き切りはするが、鋸の歯が間二尺ほどおいて、二ヵ所で木材を横断しさえすれば、それで目的を果せたかのように、その柱はそのまゝにちゃっておいて、つぎの柱へ鋸を入れる。では、挽くだけ挽いて、あとでどうかするのかと思うと、最後まで挽きっ放しで、一人が四五本ずつ、合計六七十本に鋸の歯を通させてしまった時が、作業の終りだった。
 彼等は、袋へ鋸をおさめて、静かに桟敷の床下から磧へ出た。そして、依然黙々として一人々々立ち去るのであった。
 夜が明けて、晴朗な空に朝陽が、いかにも夏らしく燦々とかゞやいた。
 桟敷は、前夜の秘事をけろりと忘れたような景色で、木の香を匂わせた。幕張りや、その他の飾りつけは、手廻しよく昨日のこらず済まされていたので、今はただ時刻の来るのと、観客のあつまるのを待つだけだった。
 やがて諸大名の肥えた馬が見えた。月卿雲客げっけいうんかくのかぐわしい乗物がならんだ。大きな寺の僧侶が円い頭を揃えた。名のある社の神官が、冠をつらねた。
 公家の上※(「クサカンムリ/(月+曷)」)と、武家の女性とが、装いをきそわせた。そのうちに、将軍が入場した。間もなく梶井門跡もんぜきが台臨された。
 そこで、興行者の側は、どんな具合かというと、本座と新座が、東と西に、かりやをたてゝ、両方に橋懸はしがかりをこしらえていた。そして楽屋の幕には、纐纈こうけつの錦を張っていたし、天蓋てんがいの幕は金襴だった。舞台には、紅と緑の毛氈もうせんを敷きのべた。そこにはきらびやかな※(「碌-石」)きょくろくや、牀几が、ならんでいたし、その上には豹や虎の皮がかけてあるという豪勢さだった。
「まあ、なんと綺麗な舞台なのでございましょう!」
 と、云ったのは敷妙しきたえだった。
「むゝ、みごとに出来たのう」
 師直は、眼を細くしていた。
 田楽の舞台の構造が気に入ったことよりも、諸人の眼が、自分の愛妾の美しさを羨んでいると感じて、すっかり悦に入ったのであった。
「あの楽屋から聞えまする音取ねどりの笛の、音色の澄んでおりますこと!」
「笛の音も悪くはないが、もっとよい音が聞えるぞよ」
「もっとよい音と申しますと──はて、なんでございましょう?」
「それ、その声じゃ。そなたの声音こわねのことじゃ」
「あら、なに仰しゃるかと思えば、おごと、このような場所で、わたくしはいやでございまする」
「おゝその眼、その眼! その眼は国の十国にも換えがたいわい」
「あれもう人に聞えまするものを!」
「そのやさ睨みが、師直の宝じゃ。のう敷妙、きょうのそなたは、また格別に美しゅう見える。化粧の加減といゝ、着物の色どりといゝ、なんとも申しようがないわ。もう一年半も精一ぱいいとしがったあげくのきょう、わしはまたぞろ惚れ直したぞ。考えてみると、そなたという女は、一日増しに嬌艶あでやかになって来たようじゃ。中国におる直冬が、久しぶりにそなたを見たなら、美しかったその上にもなお美しゅうなったことを、さぞ驚ろくであろうし、未練の煮湯にえゆのたぎりようも、また一倍はげしかろう、わはゝゝゝ! 今日は下御所以下、反対徒党の顔が一つも見えのうて、それだけは張合いがないけれど──あのとおり、わしの息のかゝったてあいまでが、初めてそなたを見でもするように舞台はそちらのけで、こなたばっかり眺めておるぞ。あれ見い、公家方の桟敷から殿上人や、上※(「クサカンムリ/(月+曷)」)が、そなたの方へ眼をみはっている」
 師直がそう云っている間に、鼓が鳴り出した。
 東西の楽屋のうちで、音取りの笛に合わせて打つ序口くちの鼓だ。
 からくれないの、纐纈こうけつの幕が、へんぽんと風に動くと律雅りつがの調べが亮々とひゞく。
「あれ、始まりまするぞえ」
 と、敷妙が云った。
 まぶしいような金襴の水干すいかんを着て、紅とおしろいの厚化粧をこらした美童が八人、東の楽屋から練って出た。と、西の楽屋からも、清らかな法師八人が、薄化粧で、おはぐろをつけ、花鳥を金で染め狂わした水干に、銀の乱紋をちらした裾濃すそごの袴を、下くゝりにして現われた。そして各自に拍子を打った。あやい笠を傾けた。一のさゝらは、本座の阿古であった。乱拍子は、新座の彦夜叉であった。刀玉かたなだまは、道一であった。
 いずれも名高い田楽の名人で、神変自在な芸の持主だったのである。
 観衆がおぼえず感歎の声を洩らしたとき、敷妙が座を起った。侍女が一人、つゞいて起った。師直が、
手水ちょうずか?」
 そう、訊くと、
「はい」
 敷妙と侍女は、しきりを出て、桟敷の通路を降りて行った。

 師直は、敷妙の後ろ姿を見おろした。愛妾のたおやかな姿が、群衆の陰に没しても、なお見送るように眺めていると、
「館」
 と、呼んだのは老臣の、益子弾正であった。
「なんじゃ?」
「なんじゃではござりますまい。折角の舞台──御覧じませ」
 弾正に云われて、師直も、いくらかは気がさしたらしい面持で、にやりとすると、
「さまでに──それほどもお可愛いものでござりますかのう!」
 と、首をかしげた。
「ふゝゝゝねぶっても、そりゃ噛っても、飽き足りぬぞ」
「ふうーむ!」
 と、仰山に、弾正がうなって、
「こりゃ恐れ入り益子の弾正じゃ。はゝゝゝ」
 舞台では、日吉山王の示現じげんで、利生りしょうあらたかなりという猿楽が、演じられていた。
「おゝましらの面が出た」
 師直は、舞台へ眼をうつして、そう云った。
「あれが評判のわらべでござりますな」
 と、弾正もみまもった。
 桟敷の床下に幔幕まんまくでかこって、手水場ちょうずばがあった。敷妙と侍女とは、その幔幕の下をくゞってかこいの外に出ていた。そこは、桟敷の一番高い部分の直下ましたにあたる床下だった。
「敷妙、さあ早う!」
「そんなら庄五郎さま!」
 二挺の肩轎かたかごがおかれていた。両方とも四人舁きである。轎舁は、みな下郎と見せた屈強な郎従だったが、もうながえに肩を入れていた。
 とゞろく胸をおさえつゝ、敷妙が、かごの座席へくゞりこむと、
「そもじも早う」
 と、庄五郎は、侍女を促してから、敷妙へ、
「正儀の殿へ、よろしゅうな」
 と、云った。
「はい!」
 声がふるえた。躰もふるえた。あまりの嬉しさに言葉が見つからなかった。直冬のそばに一年半、そして師直のわきに一年半、まる三年ぶりでなつかしい、東条の城へ、玄々寮へ、夢にのみ見つゞけた正儀のかたわらへ還れるのだと思うと、心臓も破れそうに鼓動が昂進こうしんするのだった。きょう、こうして脱出する手はずは、庄五郎との間に、五日ほど前から、極密ごくみつのうちに決めてはおったが、しかしつい今しがたまで師直に秋波を送らなければならぬ敷妙だったのである。だから、いよいよかごに乗ってみると、心底しんそこから止めどもなしに歓ばしさが、湧きあがる。
 与茂平が、
「邪魔の入りませぬうちに──」
 と、云った。
「行け!」
 と、庄五郎が声をかけた。
 轎舁きは、腰をあげた。
「洛中は、急ぐに及ばぬぞ」
 と、与茂平が注意した。

 敷妙と侍女を乗せた二挺の轎が、桟敷の床下から空地をよぎって、往還へ出たとき、桟敷の下に居残った庄五郎と、与茂平たちは、どうしたか?
 彼等は、昨晩の真夜中に、こゝでひそかに作業した際とおなじ頭数であった。
 丈夫そうな麻のひき繩が、親柱のある箇所に絡みつけられた。ある箇所というのは、ほかでもない。前夜、上下を挽き切っておいたおよそ二尺の部分だ。
 揃って、ひき繩をつかんだ彼等は、
「えいっ!」
 力を合わせてひくと、切断してある部分が、たちまち引離されて地面に落ちた。
 結んだわけでなく、たゞ絡げたのみだから、索繩なわは、すぐ、地べたに落ちた切れ端からくことが出来た。
「それっ!」
 索繩は、第二の柱にからげられた。
「えいっ!」
 同じ動作が、見る見るうちに二十回ほど、繰り返された。
「もう大概、よさそうでござりますぞ」
 と、与茂平が云った。
「む、よかろう。これで、一揺れしたら──きっと崩れる」
 庄五郎が、微笑ほゝえむと、
「では、もう一本で──」
「よし。──こんどは危いぞ。むろんこちらへ倒れるからな」
 少しでも傾むけば、柱はなお五十本ちかく切断してあるのだから、桟敷ぜんたいはひと堪りもなく倒壊するにちがいなかった。
 こうした恐るべき倒壊作業が、床下で行われていようとは知らぬが仏の、数千の観衆は、桟敷の上で舞台の妙技に熱狂していた。
「人間わざではござらぬて!」
「あの芸当は、神託じゃ。神がかりじゃ」
「日吉神が、奇瑞きずいをお見せになるのだ」
 猿面の童は、赤地錦に金襴を縫いつゞったうちかけに、虎の皮のつらぬきを穿いていた。御幣を高くさしあげて、紅色と緑の毛氈をしいた反橋そりはしを、なゝめに横に踏みかわし、高い欄干のうえに跳びあがって、左へ廻るかと思えば、右に旋回し、後ろに反るかと見れば、はね返ったし、前にかゞむと忽ち宙返った。
「わーあ!」
「無双々々!」
「天下一品っ!」
 感興と感声とが、席にあまって、観衆はほとんど総立ちに突っ立った。
 と、突っ立った観衆が、さながら海の波のように揺らいだ、その刹那──
 めりめり、めりっ!
 ひゞきと共に、八十三間の大桟敷が、はげしい勢いでかたむいた。田楽のたえなる芸を讃めた声々が、一瞬にして恐怖の叫びにかわった。だが叫んだとて、喚いたとて、なんの甲斐があろう、二百四十九区劃という四重桟敷が、まるで将棋倒しをするように一度に、ど、ど、どっと倒壊とうかいした。
 崖が崩れて、石が落ちるように、人間が落ち重なった。その上へ、崩れた横木が、倒れた縦木が、ぎし、ぎしっと積み重なると、阿鼻叫喚あびきょうかんが下から聞え、たとえようもない喧騒が、上積みに投げ出された人々の間に起った。
 門跡もんぜきも、将軍も、摂関せっかんも、執事も、みなこの上積みに倒れ落ちた仲間だった。あっといった時が境い目で、それから後は、貴賤上下のけじめはたえた。
 桟敷が、めりめりと崩れはじめたとき、師直の心臓への第一衝戟しょうげきは、手水をつかいに行っていた愛妾のことだった。
「敷妙っ! 敷妙っ!」
 師直は、どうしたはずみか、自分の座席とはずいぶん隔っていた梶井門跡のかたわら近くへ転げ落ちた。そして額に、したゝか突き傷をこしらえた。だが流れる血などは物ともせずに、たゞ敷妙の名だけを呼びつづけた。

 即死は、百余人であったが、怪我は無数で──重傷軽傷。手の折れた者、脚のくじけた者、刀を鞘走さやばしらせて血まみれになったのもあれば、湧かした茶の湯で火傷やけどをしたのもあれば、腰を抜かして泣く娘、木にはさまれて喚く女房──ひとの主人の奥方を背負って逃げるあわて者を、追いかけて刃を引き抜く踈忽者そこつものもある、という騒ぎようも、決して無理はなかった。なぜかというと、桟敷の倒れたことが崇りであり、悪業の報いであって、将軍館の火事この方の、天変地異の連続だとすれば、こうしているうちにもたどんな怖ろしいことが起るかも知れぬと、そう思われたからだった。
 あくる日の朝、この四条河原に、一首の狂歌がかけられた。
  田楽の将棋倒しの桟敷には王ばかりこそ登らざりけり
 梶井門跡、洞院の相国しょうこく、二条関白、将軍、執事と、公武を網羅して墜落した桟敷には、北朝の宮室のおん方はおわしまさなかったことを、懼れげもなく諷刺した落首だったのである。



ある日の正儀まさのり

 貴志右衛門は、まなじりに朱をそゝいで、思わず刀のつかへ手をかけた。そして、
「う、うーむっ!」
 と、唸った。
 あわや三尺の秋水、一閃するかと見えたし、殺気はまさしく右衛門の心頭からほとばしった。
 だが、正儀の面には、薄笑いが消えずに残っていた。
「おかしな真似はせぬことだ」
「な、なにを!」
「おぬしに斬られる虎夜叉と思うのか?」
「えゝ、主君にもせよ堪忍な、ならんっ!」
「なら、念のため抜いて見やれ」
 伊賀の方が、
「あゝ、もし……」
 と、ろくろく相手の眼をながめもせずに物をいっているわが夫に、不安を感じて、そう呼びかけたのであった。
「抜けまい」
 正儀は、餘裕綽々と、
「抜けなかったら帰るがいゝ。たゞし、娘が産んだ子に、貴志の後を嗣がせてはどうかと申しただけで、わしが逃がしたとも、駆落ちさせたとも云わなかったぞ。むろん、今どこにおるかは、正儀の知ったことではない。子がない場合はというかも知れぬが、駆落ちせずとも、無い子はなかろう」
「えゝ白々しい! 御存じないという筈がないっ!」
 右衛門は、どなりはしたが、もはや殺気が自分から失せていることを意識した。
 正儀が、
「はずは筋。筋は訳だが、その訳は陰微いんびじゃ」
 と、右衛門にはさっぱり解らぬことを云った。
「もう訊かん!」
 足音あらく、貴志は出て行った。
小児こどもが一ぺんに歳を老ったような男だ」
「でも、あれほど申されましたのに、にべものう」
「今の場合、膠があってはならぬのだ」
「親心──無理からぬところもございまするものを」
 伊賀の方はそう云ったが、にわかに顔を暗くした。
 正儀が、それを見て、
「どうしやった?」
「……あの──貴志どのゝ怨みは、強うございまする。いまほどは──本当に殺気が見えましたぞえ」
「武芸に秀でたお身には、見えたかも知れぬけれど──わしには一向にな」
「あれ、そのようなおなぶりは、おひどうございまする!」
 と、伊賀の方が、かこち顔で云った。
「それはお身のとがじゃ」
「えゝ?」
「お身が空言そらごとでいうから、わしも空言で答えた」
「まあ! わらわがなんで空言を?」
「右衛門に殺気が生じた刹那には、はっと思ったにちがいなけれど、今は、それを案じて顔曇らせたのではあるまい」
「おゝ!」
 心の裏の機微をも見透す、夫の明察に驚ろいたのである。

 正儀は、言葉をつゞけた。
「お身が輿入れしてこのかた、わしは一度も自分の武の力量を見せていない。しかし伊賀ほどの素養があれば、この虎夜叉、断じて他に負けないと、信じることが出来たろうと思う。右衛門ごときが、よしや刃を研げばとて、なにがこわかろう。──のう。なぜ、お身らしくすなおに、早く敷妙という女に引会わせて欲しいとは云わぬか」
「もし、わがつまえ。申しかねたのでございまする。はしたない嫉妬ごころからと、そう思召しはせぬか知らと……」
「奥。嫉妬は決して端たなくはないぞ。すくなくとも、おのが夫の仇し女への嫉妬ごころは、妻として、むしろ無ければならぬ。有りたいものが有ることを、恥ずるにも、匿すにも及ばぬぞよ」
「そう仰しゃって下さいますると、なおさらのこと、わらわは……なにやら気が退けまするものを」
「伊賀。庄五郎と奈穂がこと、お身にうち明けたのは、なにもお身が正儀の妻なるがためではない。妻であっても、わしが深く信じないかぎりは、明かすべき秘密ではないのだ。愛したとて、信じないことには、あくまで匿し続けなくてはならぬ事柄であったのだ。──わしの気持、解るであろうな?」
「はい」
「敷妙のことも、根柢はまた同じだ。しかし、根本は同じことでも、この方には、もっとやゝこしい枝葉がついている。──わしに敷妙という女のあること、その女が三年ぶりで還ったこと、それだけは話したけれど、真相はまだ何も告げてないのは、その枝葉があったからじゃ。だが、この方の真相も、打明けてさしつかえないと、わしは信ずるようになった。あの女が還ってから二ヵ月、わしには、お身を顧みぬ日がどれほど多かったか? それにも拘わらず、この正儀に対してお身は、前よりも一層よく尽してくれた。畢竟これは、一箇の夫としての立場よりも、すめらみくに大日本の純臣としての立場、すなわち南朝武臣の棟梁たる立場を、はるかに重しと理解したことの現われだ。──水分みくまりの母人にさえ、敷妙にかゝわる機密は一さい秘しているのだが、今日こそお身にすべてを明かそうぞ」
「おゝ! そんならお明かし下さいますか。わらわは嬉しゅうございまする」
 その歓こびの表情をみて、正儀はほゝえみつゝ、
「ついでに城内の秘密境へも、案内しよう。わしの謀略の策源地、玄々寮は、朝敵討伐の作戦本部じゃ」
 そう云って、入側へたって、魚板を鳴らした。
 魚板の音が、赤とんぼ静かにとぶ秋晴れの庭に、さわやかに響くと、それに答える声がきこえて、やがて、奥方づきの侍女頭が現われた。
「錠の口に、梶丸を呼んで、わしが、奥とともに寮へ参ることを、申し伝えよ」
「はあ」
 侍女頭が去ると、伊賀の方は、納戸なんどへ行こうとした。化粧を直して、衣裳をかえて、とそう思ったのである。
「着がえは、無用じゃ」
 と、正儀が声をかけた。
「でも──唐衣からぎぬなりと……」
「目下ではないか、構わぬ」
 夫は構わぬであろうが、敷妙というひとはどんなにか美しい容姿だろうに、あまりにも見劣りしては……
 と、思わずにいられなかったのは、やはり女心であった。
 納戸で、いろいろ顔をつくりなおして、うちかけや唐衣も、どれにしようと迷ったりしていると、几帳きちょうのそばに夫の近づいたのが、ぼんやり鏡に映った。
「まだか?」
「はい。もうすぐ──」
「なにを纏うたとて、お身のその肉体からだは、縮まらぬよ、はゝゝゝ」
「あら!」
 白い豊満な顔が、ぼうっと羞恥しゅうちに染まったのである。──夫の神経は、細かくもあれば、また太くもある……
 そう思いながら、銀朱と青緑じょうろく孔雀くじゃくを織りつくした唐衣を、はおった。それが一番似合わしいと女院が仰せられた秘蔵の衣だった。
「だが、それは似合うの」
 と、正儀が云った。
 偶然にも、夫の直垂もやっぱり青緑に銀朱の乱紋だったので、伊賀の方は、きゅうにたのしい気持ちになれて、
「まあ、あなたのお召物とまるでついのような色合いでございますこと!」
 そう云うと、正儀も見くらべて、
「なるほど、対の着物だ」
 と、ほゝえんだ。

 居間にもどると、奥方は、茶を入れた。
「こゝで茶を飲めば、寮では、すぐと酒がいゝの。お身もいける口だし、彼女あれは、京都で飲む方の修業も積んで来たらしく、今では相当なものじゃ」
 と、正儀が云った。
「さぞかし、敷妙どのは……美しいでございましょうなあ」
 酒の話には、のらずに、伊賀の方がそういうと、
「うむ、美しいとも。これは相当以上だ。かなりに予期しても、予期の方が負けるだろう」
「まあ、そんなにも!」
「その代わり、すこし重い物でも持たせたら、たよたよじゃ。あんな非力な女も珍らしいぞよ」
 力のことを云われたので、面はゆげに目を伏せて、伊賀の方は、自分の恵まれた怪力を、呪わしいようにも感じるのだった。
「女には、あらでもの力量でございますものを……重い物持って、なよなよいたしたら、かえって楊柳ようりゅうの風をいたむ風情とやらがございましょうに!」
「風情はあっても、敗け戦さの落城とならば、厄介だ。が、とにかく無類の器量よしとはいえるだろう。ごく正直にいうと、わしも最初は、美貌ゆえに彼女あれを愛したのだ」
「あれ、最初は──などと、仰しゃって、そんなら只今では──?」
 さすがに嫉ましそうに、見上げると、
「今は、美しいからというよりも、義理があるという理由の方が強いのだ。虎夜叉は、彼女あれに恩を被ているのだ。それに報いるためには、是非とも愛してやらなければならないのだ」
 正儀は、そう答えてから、
「いかなる恩を被ているか? 寮へ、まいってから語ろう」
 と、起って、
「行こう」
 奥方は、坐っていれば、夫よりよほど大きく見えるが、起てば身長は、夫の方がやゝ高かった。と、云っても、正儀は普通よりは丈のかなり高い男なのだから、奥方の肉体はたしかに最大級に抜群だった。
 伊賀の方にとっては、「寮」の錠口からむこうは、完全に未知の境であった。
 廊下が扉につきあたると、その扉の奥に、もう一つ扉があった。扉と扉の間が、錠口と呼ばれている小間だった。
 鈴の綱が、さがっていた。
 それを、正儀が引こうとした時、扉が左右にひらいて、真っ暗な洞窟みたいな通路が、口をあいた。そこには、梶丸と折鶴とが立っていた。折鶴のそばには、手燭を持った腰元がいたし、梶丸のうしろにも、侍童が灯をかゝげていた。
 送ってきた奥方づきの侍女たちを、錠口に残して、がんじょうな扉が閉鎖へいさした。
 岩磐をうがった地下の通路でもあろうか?
 そう思いながら伊賀の方は、夫のあとについて歩いた。
 前に立った梶丸が、正儀へ、
「ちょうど只今、萩二郎が到着いたしました」
 と、云った。
「なにか、もたらしたか?」
「はい。重大情報でござります」
「さようか」
 三歩四歩してから、立ちどまって、
「申せ」
「は」
 梶丸は無ろん、足をとめていたし、皆も歩くのをやめた。奥方は、手燭の光で夫の顔をながめて、(おゝ、ついぞ──)と、思った。そんな深刻な表情のうかんだのを、今初めて見たからであった。
「京都からか? 中国からのか?」
「は。中国からの情報でござります」
「まさか──」
 と、正儀は俄かに心許なそうに、
「事をあせって、直冬が備後から東上するというのではなかろうの?」
「いえ、まさしくそれで。直冬どのは、中国の兵を狩り催して、京都を目ざし押し上られまするぞ」
「む!」
 正儀は、眼をつぶった。
(しまった!時機尚早じきしょうそう! 直義とこなたの交渉が、ほんの緒口いとぐちにすぎないのに!)
 梶丸が、
「師直の命令を受けた杉原又四郎の軍勢が、不意に、ともの津の直冬屋形を襲いました。それが動機で、にわかの東上となったのでござりまする」
 そう告げると、正儀は目をみひらいて、
「あまり思いのまゝに運びすぎた。これからはいろいろ、齟齬そごも生じょう。意外なさしさわりにも出会うだろう。──梶丸。馬だ。堺だ。供は、そなたと度々平ほか三名」
「は」
 正儀は、歩きだした。
「だが、出発は一※(「日+向」)ときごだ。それまでは酒宴さかもり──奥と敷妙の初対面、顔つなぎの杯ごとだ」
「は」
 ぱっと明るくなった。そこは渡り廊下で、午後の秋陽が、一ぱいに射していた。
 あでやかな敷妙の顔が見えた。そばに幾波が立っていた。
 正儀は、心のなかで呟いた。
(敷妙を、師直のふところから奪ったことが、すこし早すぎはしなかったか? そうだ! 師直はもちろん、直冬に奪い返されたと思い込んでいる。杉原又四郎に不意を襲わせたのは、直冬を、京都へおびき寄せるためだった。師直は、直冬にりかえされたと思うし、直冬の方では、たとい敷妙の行衛不明という噂をきいても、なにを、真っ赤な偽! 師直めが、たくらんだ嘘偽だとばかり思う。それで至極よいのだが、たゞ時期が早すぎた。あのどさくさまぎれに奪うくらい容易たやすい奪い方はないと、そう考えたのがわしの誤りだった。彼女あれには気の毒でも、もうすこし師直のそばに置けばよかったのに!)

 正儀が佇ずんでいるので、敷妙の方で進み寄って、奥方へ丁寧に一礼してから、
「もし。どうぞ遊ばして?」
 と、訊ねてみた。
 正儀は、
「いや、格別──」
 と、首をふりながら歩き出した。
 その後について、伊賀の方は、
(おゝ、なんと美しい器量! なんと艶めかしい、しなやかな姿であろう! あの、あでやかに粘りつくような眼はまあ、なんという眼であろう! あの──どうぞ遊ばして? と、わが夫にぴったり寄り添うた嬌態しなの好さ! もう憎らしいほどの嬌態の好さ!)
 ぼうっと逆上のぼせた頭で、そんな風に感じつゝ、玄々寮の畳廊下へ入って行った。



尊氏たかうじ新邸しんていかこまるゝこと

「戦か?」
「兵が走る。戦かも知れん!」
「危い、逃げろ!」
「やあ、まちいっぱいに押して来たぞ!」
 逃げまどう市民を、はねとばし、押したおし、踏みつけ踏み越えて、京じゅうの街という街を、卒と、兵と、士と将と馬が、走っていた。十三日の、冴やかな月光も、埃と土煙りのために、もやのなかの月影としか見えなかった。しかし、これが夜露のおりない夏の街路の出来ごとなら、土煙りはどのくらい濛々と、空を蔽い、家々を埋めたか解らなかった。が、仲秋、八月のおかげで、空気も地面も、しっとり湿っていたから、将兵は苦なしに走れた。よくもこれだけ現われたと思われるような、おびたゞしい兵だ。兵だ。兵だ。どの町も、兵の河だった。この兵の河の流れには二つの方向があった。
 一つの方向は、一条今出川へ。もう一つの方向は、三条坊門へ。──だが、今出川の方向へは、十倍も多く流れた。兵は、集結を急いでいるのだった。すでに、今出川の高師直の館を中心に、一条大路、転法輪てんぽうりん、柳※(ガの四分角)辻、出雲路いずもじ河原かわらには、兵がぎっしりつまっていた。集結すれば、埃は立たない。月は冴やけさを回復して、旗差し物と兜を照らし、薙刀と、槍や長巻の穂先に光った。
 辻や、大路への曲り角では、方向のちがった流れと流れとが、ぶつかって交錯こうさくした。その度に、まだ戦さは始めなかったけれど、小競合こぜりあいは免かれなかった。今ぶんでは集結が第一の目的ではあったが、しかし武装した兵と兵とがりあえば、血を見るのは当然だった。戦さとはいえなくても、闘いには違いなかった。
「斬ったぞっ!」
「それっ!」
 血烟りをあげて倒れた兵の味方が、五六本、薙刀を閃めかして、血烟りを揚げ返した。
「止まれっ!」
 士が、叫んだけれども、
「おのれっ!」
 歯を剥き出して、跳びかゝったのが、腹に灼熱を感じてのけ反りつゝ、止せばよかったと思ったが遅かった。槍のさきは背中へ出ているらしく、柄まで腹へ突き込まれていた。敵は、叫んだ。
「朋輩の仇っ、くたばれ!」
(なにを、高屋形こうのやかたへ楯つきおって、あとで吠え面──)
 と、思った瞬間、自分の死を意識して、
「ぎゃあっ!」
 と、娑婆しゃばへの執着をわめいた。

 月の光りが、篝火に遠いにわをも、明るくしていた。がらんとした苑にも、物ものしい雰囲気ふんいきがたゞよった。
 高倉の、真新らしい館の宸殿で、尊氏は欄干に手をかけて立っていた。廊に、御台の登子なりこの方がすわっていた。命鶴丸が、にわを走ってきた。尊氏が、上から声をかけると、
「たゞいま、禰津ねつ小次郎が参って、申上げまする」
 と、命鶴が答えた。
 中門垣の外から、人々のひしめく声が聞えた。門口の篝をめぐって、近侍が群れていた。
 禰津小次郎が、門から駆け込んで来て、おばしまへむかって叫んだ。
「御報告っ!」
 廻廊の侍童、侍女たちが、不安げに耳をそばだてた。
「洛中は、かなえの湧くような混乱に、陥りましたぞ。内裏だいりは、こよいのうちに御動座あるべしとて、主上ならびに一院には持明院殿へ、上皇には河原殿へ、鳳輦ほうれん竜駕りょうがを移させらるゝ趣きにござります。禁裡の階下、庭上は、雲上人や上※(「クサカンムリ/(月+曷)」)上達部かんたちべのあわてふためく姿、目もあてられませぬ。市人まちびとらは、戦いは必定ひつじょう、火事おそろしとあって、家財道具をはこび出し、長講堂や三宝院の広場へ持込んでおりまする。遠く東寺や、知恩院などへも、群集は避難いたしおる模様でござりまする」
「む、それは困ったのう」
 尊氏は、といきを吐いて、
「群集心理は怖るべきものだ。はたが騒ぎすぎると、つい釣り込まれて、示威じいの行動のつもりが、往々実力を使役することになる。勢いが、ほんとうに悪化しなければよいが……」
 そう呟きつゝ、廊から入側へ入ってすわると、対の屋の渡殿から、細川顕氏が、狼狽顔ろうばいがおであらわれて、
「御所っ」
 と、うずくまった。
「険悪か?」
 尊氏は、灯影で、顕氏の眸を見た。
「それがし、上意を伝えて、言葉はつくしましたれど、今夜の高殿は、従来の高殿ではござりませぬ」
「聴かぬか?」
「は、こたびこそは、断然干戈に訴えて、内訌ないこうの根本を除かなければならんと、じつに牢乎ろうこたる決意──もはや動かし難うござりますぞ」
「院の思召しを、申述べたであろうな?」
「もとより」
「窮したの」
 尊氏は暗然と云った。
「さて──」
 と、細川顕氏は、額をひそめつゝ、
「いかゞなされますか?」
 黙って、腕をくんで、しばらく考えた後、尊氏が、鬱々うつ/\と、
「ほかに、手段はない」
 と、云うと、顕氏が、
「唯一の御手段とは──?」
 訊ねたとき、尊氏は走って、ふたゝび廊へ出た。
「命鶴。──そちは、三条坊門へ走れ」
「は」
「小次郎。そちは、上杉と畠山の屋敷へ使いしてくれ」
「は」
「いそげ。この屋敷に呼び入れて、尊氏が、自身で庇うよりほかに、彼等を救う途はないのだ」
「両殿とももちろん、三条坊門館と存じまするが──?」
 と、小次郎が、てすりを仰いだ。
「家族の者を、のこらずれて参れ。この屋敷に、入るだけ入れるのだ。──収容できるかぎり、士も兵も、みんな収容して遣わすのだ。命鶴。よいか。高が目ざすは、直義と、上杉、畠山に相違なけれど、その他の者とて、囲まれては命がおぼつかない。一刻も早く、これへ避難せしめよ」
 と、尊氏が命令した。
 禰津小次郎は、畏まって駆けだした。しかし命鶴丸は、動かなかつた。
「なぜ急がぬ?」
「上。──副将軍の御安危、上杉、畠山、両宿老家の存亡の瀬戸ぎわとは申しながら、当お屋敷を避難所たらしめて、もし高殿の大軍が、こゝ高倉まで押し寄せなば、それこそゆゝしき一大事──さあ、その暁には、なんと遊ばしまするか?」
「命鶴。その懸念は無用じゃ。むろん師直は、内乱をかもし出すべき元兇を、引渡せと、迫るではあろう。しかしながら、予は将軍じゃ。わが館を、いかに師直とて、まさか兵を放って囲ませはしまいぞ」
「おそれながら、将軍の権威をさえ、権威とは思わぬ高殿ではなかろうかと、命鶴めは危ぶみまする」
「いや。副将軍なるものゝ存在をこそ認めぬ高ではあれど、執事が軍を進めて将軍を攻めるという下剋上げこくじょうはようせまい。この尊氏にのみはいつも恭順であった師直じゃ」
「上。それがしは信じられませぬぞ」
「時が移る。師直を信じ難くとも、わしを信じて、使いをはたせ」
「命鶴は、あくまでもおいさめ仕る」
「おのれ、わしをも信ぜぬと申すか?」
「たゞいまの御指図に関しまする限りは」
「えゝ時が移るというに──そちでなくば出来ぬ使いか。これ、修理進っ。──修理進はおらぬか?」
 飯尾修理進の答えた声がした時、
「上っ」
 と、命鶴丸が叫んだ。
「そちには頼まん、退れっ」
「余人が参るほどならば、命鶴が走りまする」
 尊氏の、わかき股肱は、止むを得ないと感じたので、そういうが早いか、駆け出した。そして篝火の方へ、
「馬曳けっ!」
 と、どなりながら走って行った。
 御台が、尊氏を呼びかけて、
「あの──別な意味合いから、わらわは、命鶴同様、お諫め申さずにはおられませぬ」
「別な意味とは?」
 登子の方をかえりみた将軍の半顔は、青白く月光をあびた。やつれて、ひどく弛んだ頬の肉が、ぴくぴく痙攣けいれんして、胸中の懊脳がどの程度であるかを語っているように見えた。
「上──わが夫」
 御台はしばし、言葉を保留した。
「申せ」
「直義の殿のお心には、うたがいもなく、上への御逆心がきざしておりまする。かのうなら、師直どのゝ一族を亡ぼして後、自ら上に代わって将軍と、うじの長者を兼ねたいと、そう望んでおられまする」
「お身は直義を、見殺しにせよというのか」
「自らは将軍たらずとも、二代将軍にはかならず直冬どのを、と──」
「えゝ、聞くに及ばぬ!」
 尊氏は、そう云いすてゝ廻廊から、宸殿の上段の間へ入って行った。

 御台は、夫の将軍のあとを追って、上段へあがった。下段では、細川顕氏が、いま入ってきたばかりの島津時久たちと話していた。入側にも、渡殿にも人々が私語をかわしていた。副将軍以下が避難して来るということが、空気を一そう重苦しくしているのであった。
「聞くに及ばぬと仰しゃっても、わらわは申さずには措かれませぬ。いつぞやも直義の殿は、あからさまに、兄尊氏はすみやかに将軍職を辞して隠遁いんとんすべきだと云われましたぞや。直冬どのとて中国へ去ってからは、いよいよ露骨にわが夫と、鎌倉の和子義詮とに、異心をいだく反抗の旗じるしを樹てゝおるではございませぬか」
 登子の方はそう云ったが、尊氏からは返辞がなかった。
「高殿の女あさり、修まらぬ素行みもちについての悪声は、執事の宮廻みやめぐりに、手向けを受けぬ神もなしなどと──もう久しいことでございまする。あれほど世間一般から悪しざまに噂されながらも、あゝして在せるのは、政事や軍事の上ではよこしまがないからこそ──。わが夫や和子の天下に、とって代わろうという野心は、露ほども高どのにはございませぬ」
 尊氏はなおしばし、黙りつゞけたが、やっと、
「それは当然じゃ。高の祖先は、足利の弟とはいえ、もはや遠い昔の肉親じゃ、だが、直義は現在の弟だし、直冬は、生みの母こそ賤しくとも、我が血をけた長男ではないか」
「なら、お両人が将軍職を望むのは、非望ではないと仰せられますか?」
「お身は然らば、ちょうどよい機会だ──師直をして、直義、直冬を殺さしめよ、というのか?」
「殺す殺さぬは、運命の神の支配──高殿みずからとてお解りにはなれますまい。いゝえ、それどころか、どちらが勝つか、負けるかさえ、結果を見るまでは判ったものではございませぬ。兵の数のまさった方が勝つと定っておるならば、世の中から戦が消えてもまいりましょうが、そうは行かぬところに直義の殿も、今晩の御運をお賭けなされたのではございませぬか知ら」
「たんと皮肉なことを云え」
 そう云ったかと思うと、いきなり尊氏は走った。そして落着きを失ったらしく、室内を、行ったり戻ったりした。
 すると御台も、起ちあがって、夫の後、後と、くっついて歩いた。
 皮肉を云えと突っ放したものゝ、御台の言葉は、尊氏の心の奥にもぐり込んで放れなかった。はたして自分の処置がで、登子の考えかたが非であろうか? 高一族を滅ぼすという、彼等の目的が、もし成就した場合、どうなるか?
(自分と、自分の嗣子義詮よしあきらに対して、弟の直義と、妾腹にせよ長男である直冬とが、どんな態度をとるか? ……自分は、隠遁も落飾らくしょくも厭わぬどころか、むしろそれは長い間の希望だったではないか? しかしながら、義詮は屈することをがえんじないだろう。義詮としては、叔父や、妾腹の兄に屈する理由がないのだ。してみれば、叔父か、庶兄か、いずれかゞ、将軍職を奪おうとする場合には、あくまでも争い戦うだろう。と──大乱だ。それを防ぐには──どうすればよいか? そうした乱が起らないように、未前に防ぐには、さてどうする?)
 尊氏は、出来るだけ気を落ちつけて考えようとした。
 そして、去年の夏から秋へかけての事件と、それにからんで起った自分の心境の変化とを、振り返ってみた。
(自分が、あらゆる俗務を放擲ほうてきして、一意専念、後醍醐の帝の、証真常しょうしんじょう、おん冥福を祈りまいらせ、懼れおおくも帝に対して犯し奉った罪の深さを、たゞひたすらに悔いていた間の月日は、今から思えば、苦しいながらも常に一脈の光明を仰ぎ得る生活だった。ところが、不幸にも──畢竟それも、大逆の罰、悪業の果てにちがいないけれど、──あゝなんという不幸だったろう。自分の心に、忽然こつねんとして悪魔が、ふたゝび宿ったのだ。法皇の崩御──あれほど深く仏門に帰依きえされて、妙心寺を建立あそばしたばかりか、おん自ら寺内の方丈のほとり、玉鳳院ぎょくほういんで、行いすまし給うた法皇すら、あのお痛わしき御悩のために崩御あったということが、たちまちこの尊氏の信念に、おそろしい懐疑かいぎ心を植えつけたのであった。自分の宗教心は俄然、大地震にあったように倒れくずれてしまった。後醍醐帝への恐懼きょうくは、そうなると強まりこそすれ、決して薄らぎはしなかったけれど、悲しいことには、前のように、懺悔ざんげ々々/\ひたすらの懺悔によって救われる、と信じることが、どうしても出来なくなったのだ。しかも、時も時、直冬は一万五千の兵をひきいて、師泰もろやす、師冬の軍勢と睨みあったし、東寺には上杉と畠山が陣をしいて、都の中で師直と、あわや開戦という勢いを示した。もはや自分が浮世にもどって、直冬を近畿地方から、どこか遠くへ去らせるよりほかには、内乱を防ぎとめて京都を、戦争の惨禍さんかから免れさせる途が見つからなかった。──えゝ、自分が救われないなら、せめて京都を救え、幕府を救え! ついに懺悔の生活を棄てゝ、政事を、見た。そして直冬を中国探題という名で、備後の鞆へ追っぱらった)
 尊氏は、そうして乱を防いだ去年を追憶したが、心はすぐ現在へ舞いもどった。
(今、一つ鎮めても、後に一つ起れば、結局、乱を防いだことにはならぬ。内乱がどうしても一つは起るものとすれば、小さくてすむ乱の方がまだしもである)
 そう考えると、尊氏は一そう沈鬱になってきた。
(あゝついに内乱は免れないのか!)
「上」
 と、背後で、御台が呼んだ。
「話しかけんでくれ」
「でも──高殿に、こよい攻めらるゝのは、直義の殿の自業自得じごうじとくではございませぬか? 敷妙がことも──初めに奪いし方に咎は深くとも、奪い返せば六分四分──師直どのに云わせたなら、自分にあれほどなついていたものを、攫われてみれば、五分と五分、残るのはかなたの逆心だけじゃと申されましょうに──」
「これ、うるさいというに!」
 尊氏の眉も、口も、いらいらしていた。
(とにかく都を、戦さの余※(「火+(陷-コザトヘン)」)で焼くようなことがあってはならぬ)
 そのためにはまず、安全地帯に、直義と、上杉と、畠山を、引き取らなければならぬと、そう思うほかなかったので、一度は取消そうかとも考えた自分の、先刻の命令を、やはり是認して、
(後は、後のことだ)
 と胸でつぶやいた。
 けれども、憂鬱いううつはすこしも去らなかった。
(だが、浅間しい──なんと醜い争いだろう!)
 柱にもたれつゝ、尻を※(「糸+間」)うんげんべりの畳に落すと、燭の灯が、なにかしら異様な炎に見えたので、おや──と、見直したが、無ろん眼のせい、気のせいに違いないけれども、炎の色は黄色っぽい常のともの色ではなくて、紅蓮の舌の色だった。
(おゝ、あの時の火※(「火+(陷-コザトヘン)」)の色だ!)
 一月二十八日の夜の火事の火いろだと、そう思いながら、にわの篝へ目をやると、火は見るまに大きな火柱となって、燃えあがり、燃え狂い、燃えひろがりつゝ、宸殿をめがけて追って来るかのように感じられた。
(予感ではなかろうか?)
 尊氏は、頸窩ぼんのくぼから背中へはしる寒さを覚えた。──東洞院の邸に火を放けたかも知れない上杉重能を、ここへ呼び寄せて、そして呼びよせたがために、この新築の工事なったばかりの屋形が、またも焼けるのではあるまいか? と、そう思われたのであった。
ごうだ! 報いだ!)

 白んだ暁の空へ、わあっと、響いて、黒い東山と鴨川と、灰色の霧とに、ふたゝびわあっとこだまに返ったのは、ときの声であった。
 将軍尊氏の高倉の新邸は、幾重にも包囲されていた。林のように立った旗と差物が、払暁ふつぎょうの風にうごき、目白押しにならんだ士兵の兜と、鎧と、半頭はつぶりと、腹巻とが、つらなった武器とともに、黎明れいめいの露にぬれた。鬨の声はその包囲陣から揚げられたのであった。
 高倉から、法成寺河原までの、道路は、兵で溢れていた。兵は、みな、高倉の方へ移動しつゝあった。師直の本陣は、法成寺にあって、せかゝりの輪違いの大旗が、天下第一の実権者の威容を誇りがおになびいた。
 さく夜、副将軍直義は、三条坊門の自分の屋敷に馳せあつまった将兵を解散させ、上杉重能、畠山直宗、ほか宗徒むねとの大名と、ごく側近の人々をつれたのみで、尊氏の館へのがれた。そこで師直は、直義の邸を攻める予定を変更して、今朝、夜明け前に、今出川の自邸を出て法成寺に陣どったのであった。
 一方、まさか囲みはしまいと思った尊氏の予想は、すっかり裏切られて、将軍新邸の人々は、たゞ一斉に色をなくして、途方にまよった。
 ことし十歳の光王丸が、睡り不足の眼を赤くして、御台のそばへ走って来た。
「母上っ、師直は憎い奴でございますのう」
「おゝ光王。──師直などと呼び捨てにしてはなりませぬ。父ぎみでさえが、和どの和どのと仰しゃるではないか」
「でも、いつもなら光王も、高どの高どのと申します。けれど、敵となれば師直めじゃ」
「これさ、高どのは、敵ではないぞえ」
「でも、攻めて来たら、敵じゃ」
 光王丸は、尊氏の三人の子のうちの末子で、千寿王丸義詮よしあきらとおなじく御台登子の腹だった。
「いゝえ違いますぞや光王」
「いゝえ違いませぬぞ母上」
「光王どのは小児こどもじゃ。なにがわかる」
「小児でも、聞けば、叔父上の方がお悪いぐらいは解りまする。でも、父上は将軍じゃ。将軍に刃向う大名は、逆臣じゃ。不忠者、憎い悪人じゃ」
「いえ違います。高どのは決して、刃向いに参った訳ではありませぬ」
 そう云ったとき、渡殿わたどのから、対屋の廊へ、
「御台」
 と、呼びかけて命鶴丸が現われた。
「おゝ、何んぞ……?」
「包囲陣の大手の大将が、交渉の全権をおびましてな、当館内とうやかたうちへ乗り込んでまいりまするぞ」
「大手の大将とは、たれじゃ?」
師冬もろふゆどのでござります」
 渡殿を走る人々の足音が、しげくなった。
「命鶴。お身の察見さつけんどおりになって来たのう」
 御台みだいは、この俊敏でかしこい若人を、さも頼もしそうに見まもりつゝ、
「では……さまで心は痛めずともよかろうか?」
先刻さっき申し上げたように相成る以外、とゞのつまりの持って行き場所が、なかろうではござりませぬか」
「わがつまのお心ひとつだけれど、どうぞそうなってほしいが……」
 光王丸が、わきから、
「戦さには、ならんのか?」
 と、命鶴にたずねた。
「なりますものか」
 微笑と共に、命鶴が答えた。
「すこし張合いがないな。光王は、戦さが見たいのだけれど」
「戦にも、戦がある。おろかしいこと申すでない」
 と、愛子を叱ってから、
「もしわがつまが、高どのゝ要求を、おしりぞけ遊ばしたら……」
「要求が通らずば、高どのはこの御所に火をかけて、焼き攻めにもいたしましょうぞ」
「おゝ、高殿自身で建てたも同様な、この新御所に、火をかけても……」
 御台みだいが、不安げに顔を暗くしたとき、にわかに陣鐘と、金鼓きんこの音が、響きだした。
「あ、寄せ鐘!」
「なに、大事ござりませぬ!」
 寄せ鐘は、邸の東北の大路おゝじからも、西南の小路こうじからも、すさまじい音で聞えてくるのだった。
 光王丸は、十歳の少年らしく、
「鐘、鐘っ、鐘だっ!」
 と、叫びつゝ、もう明るくなった渡殿わたどのへ走って行っちた。入側いりがわで待っていた小姓たちがあわてゝそのあとを追った。ちょうどその時、宸殿しんでんの方から、
「命鶴どの、命鶴どのっ」
 と、よばわる声がした。

 十重二十重の包囲陣ほういじんで打ち鳴らす寄せ鐘太鼓は、まったく示威じいだった。
 寄せ手の代表者、師冬が、滔々とう/\と直義およびその一党の罪状を弁じ立てゝいる間にも、鳴りひゞいた。
「騒々しいな」
 と、尊氏が、舌打ちをして呟いた。眉の間に、ふかく皺が喰い込み、眼窩まなこの縁には暗色のくまどりが出来ていた。
 会見の場所は、宸殿の南のにわであった。
 尊民と師冬とは、むかいあって牀几しょうぎにかけていた。師冬は緋おどしの大鎧をきていた。兜はぬいで、持たせていたが、随従ずいじゅうしてきた将兵たちは、いずれもがっちり兜の緒をしめて、鎧の袖を怒らせていた。だが、館方やかたがたは、尊氏はじめ皆が常装つね狩衣かりぎぬ直垂ひたゝれだった。
「将軍っ」
 と、師冬が、自慢の大音声だいおんじょうを張りあげて、
「今この御所を囲みおる大名らを、誰れ誰れと思召おぼすか。われら高の一族十二家は申すまでもなし。山名伊豆守時氏、細川相模守清氏、おなじく刑部大輔ぎょうぶたいう頼春、仁木頼章よりあき、同く義長、頼勝。佐々木の人々には道誉入道、秀綱、氏綱、氏頼、秀定。甲斐かい源氏、常陸ひたち源氏の人々には、武田信武、佐竹師義もろよし──」
「やめい」
 と、尊氏が叫んだ。
逸見へんみ信茂、小笠原おがさわら政長──」
「えゝっ何の為め並べるのだ?」
「はゝゝゝ! 似気にげなきお言葉を聞くものかな。そうした宗徒むねとの大名らが、あれあの通り陣鐘じんがねを打ち鳴らし、旗差物を朝日に照らして堂々と、はゞかる色なく将軍御所を囲むとは、そも何を意味する? 高師直が主張にもし誤りあらば、なんぞこの大軍が、手足のごとく動きましょうや?」
 師冬の音吐おんとが、鐘や太鼓のひゞきを圧してひゞいた。
「それくのではない。なぜすみやかに、高の要求を、述べないのか?」
「従兄師直が要求は、きわめて簡単でござる。即ち、下御所直義殿の、左兵衛督をめ、所領を没し、剃髪、蟄居ちっきょあらしむること。第二に、直冬殿の官職を剥ぎ、采邑さいゆうを収めて追放すること。第三に、上杉重能、畠山直宗を流罪るざいに処すること。並びに徒党の大名をすべて譴責けんせき謹慎きんしんせしむること。以上三ヵ条!」
 師冬は、きっと瞳を、将軍へ凝らした。
が、それをれずば?」
「包囲の陣が、物を申す!」
 断乎とした答えであった。
 しかし尊氏の面色は動揺を見せなかった。陰沈いんちんと暗くはあったが、それは昨日以来の暗さだった。むしろ要求を聞く前よりも、いくぶん暗澹あんたんたる曇りが薄らいだかにも見えた。じっさい、死刑、斬罪ざんざいの要求をさえ、予想していた尊氏だったのである。
(どのみち、起らなければならぬ内乱──最小の限度と、犠牲とで食い止めよう)
 そう思った時、師冬が、緊々と張りつめた音声で、
「いざ、御返答は如何いかに?」
 と、云った。
「三ヵ条の要求、しかと聞きとゞけたぞ」
「えゝっ?」
 おぼえず叫んだのは、あまりにも呆気あっけなかったからであった。
 じつに非常な意気込みで乗り込んで来た師冬だった。到底、なめらかに運べはしまい。要求三ヵ条の貫徹かんてつのためには、声もからさなくてはなるまいし、何等かの程度で力も発動させなければなるまいと、そう覚悟をして、まず瀬ぶみのつもりで返答をうながしたのであった。ところが、ほんの一瞬にしてけりがついた。
(たしかに、聞き違いではないようだが……)
 そう思って、
「お聞き届け、下さるか?」
「いかにも」
「おゝ、然らば、直義殿ならびに、上杉、畠山の身柄みがらを、即刻──只今お引渡し下さるゝか?」
「いかにも」
 と、尊氏が、ふたゝびうなずいた。
 そうとは知らぬ、屋敷のぐるりの包囲軍は、この時、わあっとときを合わせた。



直義たゞよし入道にゅうどう、南朝へくだ

 鼻をつままれてもわからぬような暗い夜であった。
 寒風が、ひょうひょうと葉の落ちたこずえをもざわめかせていたが、濃く低くたれて中空の月を隠した黒雲は、なかなか動く気配がなかった。
 遠侍の納屋なやの雨戸が一枚、戸締りがしてあったにもかゝわらず、戸外から、ほとんど音もなく、はずされた。屋内の灯影ほかげが、かすかに外へ洩れ、外の風が屋内へ入った。だが、灯はゆれたけれども消えなかった。
 納屋には、誰れもいなかった。その無人のいたへ、風よりもはるかに静かに忍び込んだのは、一人の修験者しゅげんじゃだった。
 物盗ものとりか? それとも刺客しかく
 とにかく修験者姿は変装にちがいないが、忍術のよほどの名人らしく、板の間の酒樽さかだるのなかへ、なにかの薬剤であろうが、薄黄色の粉末を、しこたま入れて、樽の中の酒と混合させ、鏡口かゞみぐちを挿し直して前の位置に据えてから、戸外へ出て雨戸をめ込むまで、全く物音らしい物音を立てなかった。
 修験者は、闇のなかを、建物から離れて、中門垣ちゅうもんがきを越えた。垣を越えると、そこは庭の植込みだった。そして木陰こかげには、やはり修験者が、しかも八人づれで待っていたのだった。
 で、いま納屋への忍び込みを果して戻った一人を加えると、九人だ。──この九人の修験者はそも何者であろう?
 こゝは、京都の錦小路にしきこうじ──細川陸奥守顕氏あきうじの屋敷の一部である別館の、書院をめぐる庭園だったのであるが、怪しい修験者が九人も入り込んでいようとは、夢にも知らない遠侍の人々は、毎晩きまって飲めることになっている時刻──楽しいその時刻が来たので、今夜の当番二人が、納屋へ入って、瓶子へいしに酒樽から酒を移したり、戸棚から出した肴と杯とを曲物わげものにのせて運んだりして、やがて※(「火+間」)あつかんにしたのを、ぐいぐいりはじめた。
「のう、うらやむ奴等が多いわけだ。こうして達筆たっぴつに飲めるのだもの」
「交代制にして貰わないことには、あんまり不公平だと云って、重役へねじ込んだ連中があるそうじゃ」
「へえゝ、それは初耳だが、気になるの」
「全くな」
 十幾人が、みんな同感だという顔をし合った。
「まさか、交代制なんぞにはなるまいの?」
「たぶん大丈夫だとは思う。重役衆は、酒樽の空きようが少々早過ぎることも認めるが、この寒空さむぞらに、寝ずの番をして、なに一つ間違いを起さずにいる俺たちの、功績も充分に認めている」
※(「日+向」)ふたときずつ三かわりで、戸外そとまわりまで警戒するのだから、陽気のいゝ時なら兎にかくさ──」
「骨が折れるよ」
「だが一体──話は違うが我々の殿、すなわち細川顕氏さまよ──どちらのお味方なんじゃ?」
「どちらとは?」
「高師直さまのお味方か、それともこの御殿にわす直義入道慧源えげんさまのお味方か、どうも明瞭はっきりせんではないか」
「む、なるほどの。──明瞭はっきりせんことはたしかだ」
「一昨年あたりは──そうだ六本杉の怪異のあった時分は、高さまへ、三条坊門屋形のおたくらみを密告あそばしたとかという噂さもあったが、その後だんだん今出川とは疎遠とおどおしくお成りのようで、八月の騒動の時も、将軍御所へはお詰めになったが、いわば中立の、どっちつかずさ」
「だけど、こうして慧源さまを、ていのいゝ座敷牢へお入れ申しているからには、やっぱり高さまのお味方のお一人だろう」
「ふん、よけいな頭痛を病まずと飲め」
「今夜は、ばかに廻りがいゝぞ。もう眼先が、ちらつくようだ」
「樽の木香きがが乗って来ると、酔いかたが覿面てきめんじゃよ」
「木香のせいかな。昨夜はそんなにも思わなかったが、どうも今夜は、あてこともなく酔って来た。あゝいゝ気持ちすぎて、なんだか急に睡ったくなったぞよ」
「本当に気が、うっとりとして来た」
「こう、横になって寝入る気か? よせやい、お前たちは初番しょばんの組ではないか」
中番なかばんに廻してくれ。慾も得もなく睡いのだ!」
「俺にも、睡気が伝染うつってきた。頼む、中番々々!」
 たちまちのうちに、寝ずの番の初番の組が、一人残らず中番希望者になって、ごろごろ酔いつぶれてしまった。
「しようがないな。誰れか代ってくれ。俺は後番あとばんだから、ぐっすり眠ることにするが、中番のてあい、頼むぞ」
「おいおい此方こっちが頼みたいのだ。後番の輩に、そっくり最初しょっぱなへ廻って貰おうじゃあないか。俺あもう、引っ込まれるように睡いのだ。初番はぴら、勘弁してくれ!」
「あ、寝てしまった。困ったなあ、実は俺も、眼がかすんでいるのだ」
「あゝ睡い! まぶたがくっついてしまう」
変手挺へんてこだのう、こう揃いも揃って、酔い潰れるなどということは、ついぞ今まであったためしがない!」
ためしがあろうとなかろうと、俺あ御免こうむる組だ」
「こう、起きろ起きろ、起きてくれ!」
「酔わない奴が、初番々々……」
 麻酔剤ますいざいのきゝめは十二分だった。
 最後まで睡魔すいまと闘かった二人三人も、ついに倒れてしまった。そしてこの別館のなかで目覚めているのは、直義入道慧源と、一人の小姓と、二人の郎従だけになった。

 この小姓と郎従は、副将軍直義が高師直との抗争にやぶれて、囚虜とらわれの身となり、官職を剥がれ、剃髪ていはつを強いられて、こゝ錦小路の細川邸内におし籠められたとき、特に許されて、ほんの身のまわりの雑用を弁じさせるために召使うことの出来た、わずか三人の側近そっきんだったのである。
「すっかり静まったようでござるの」
「どれ、見て参ろう」
 郎従の一人が、部屋を出て、遠侍へ行ったが、やがて戻って来る足音が、しんとひそまった屋内にひゞいた。
「総倒れじゃ」
「ふーむ、えらい効き目じゃのう。調合ちょうごうの加減もあろうが、とにかく酒の味には変りがなかったと見えるから、怖ろしい薬だ」
 片方の郎従が、舌をまくように驚くのへ、微笑して、
猪熊いのくま。奥へ参ろう」
 と、平茂へいもと呼ばれている郎従が云った。
 昼間は、細川家の若侍や侍童が、おゝぜい、この別館へ詰めていて、食事やその他をまかなうのであったが、夕餉ゆうげが終わるとみんな本邸へ引き揚げてしまう。だから、寝ずの番どもが総潰そうつぶれとなってはまことに寂寞ひっそりとしたものだった。
 直義の北の方と、三歳の可愛盛りになった一子、松若とは、相変わらず吉良邸きらていにいたが、あまたの家の子郎党は、すべて分散の憂目うきめを見なければならなかった。そして三条坊門の大厦高墻たいかこうしょうは、鎌倉から上洛した千寿王丸義詮よしあきらの住む館となってしまった。時しも丁度秋が暮れて、時雨しぐれがちな冬がしょうじょうとけた。幽閉された直義入道慧源は、全く世の中から隔離かくりした形で、与党であった大名たちとも交通を絶った。いや絶ったというより、それは絶たされたのであった。その悲惨な孤独を、慰めたいと思う人々も、多いにはちがいなかったけれど、近づこうともしないのは、師直をはゞかったからだった。大休寺だいきゅうじ※(「吉+吉」)みょうきつは、騒動の際にいちはやく、高の兇手からのがれるために、姿をくらましたし、独清軒玄恵げんえ法印も老病の臥褥ふしどにいたので、直義入道は心の友さえ失ったかのように、はたからは考えられていた。
 だが──
 平茂と呼ばれる郎従は、実をいうと、楠の臣、与茂平であったし、一人の小姓──四郎丸こそ庄五郎正氏だった。そして──
 たゞ猪熊いのくまだけが、偽りなしの自分の郎従だったのである。
「片附きましたぞ」
 と、平茂が去った。
「む」
 四郎丸は、うなずいて起ちあがった。
 襖をあけると、そこは慧源禅門の居間だった。
 慧源は、附書院つけしょいんを背にして、しとねに坐っていた。四十二歳で落飾したその剃跡そりあとは、まだかなり青く見えた。からだには、黒の単色の禅衣をまとうていた。
「妻戸を開けまするぞ」
 四郎丸がそう云うと、
「庄五郎」
 と、直義入道は、本名で呼んだ。
「は」
懸念けねんないか?」
「ござりませぬ」
 四郎丸は、妻戸つまど掛鉄かけがねをはずした。
 戸が濡れ縁へ開くと、四郎丸は、次ぎの間から持ってきた切燈台をたずさえて、縁へ出た。と、風が灯を吹き消した。だが、すでに近づいていたものと見えて、待つ間もなく闇から、修験者が、妻戸口に現われた。
 たゞし、それは一人だった。
 九人のうちの一人──それは、先刻さっきしのび込んで、納屋の酒樽に麻酔剤を投げ入れた人物であろうか。
 修験者は、草鞋わらじをぬいで、甲掛こうかけ脚絆きゃはんの塵をはらった。
 直義入道は、しとねに坐したまゝで、
「庄五郎。敷物をそれへ」
 と、火鉢の傍らを指さした。
 座が設けられたとき、修験者は、入側いりがわから室内に入って、兜巾ときんをぬいだ。
 篠懸すゞかけ姿の訪問者は、そして、茵に上った。
慧源禅門えげんぜんもん
「おゝ楠殿か」
 主客は、じいっと、視線を合わせた。

(なんという奥深いまなこであろう!)
 直義入道は、初めてこんな眼にぶつかったと感じた。
 会釈えしゃくがすむと、
「慧源どの」
 と、楠正儀は、ふたゝびそう呼びかけて、
唐土もろこしには、泰伯たいはくが、有徳うとくの甥、文王ぶんのうに譲ったという古事あれど、千寿王丸義詮よしあきらどのに何ほどの徳がござろうぞ。むしろ御器量は、はるか直冬どのがまされりと聞いておりまする」
 と、云った。
 直義入道が、
「さればわしも、泰伯のじんは学ばない」
 と、答えた。
「もう一つためしをひくならば、周公しゅうこうは無道の兄、管叔かんしゅくを討伐いたした」
わしに、周公の義をあやかれ、と云わるゝか?」
 そう、反問はんもんする入道へ、
「無道は、師直にはあるが、尊氏になしと申さるゝか」
 と、正儀は微笑しつゝ、反問を返した。
「将軍は、執事の無道暴戻ぼうれいにひきずられているのじゃ」
「暴戻を、おさえる力のないことゝ、おさえる意志のないことゝは、見かけは似ておっても、内容には雲泥うんでいの相違がござろうぞ」
「いや。わしの兄は、たゞ力を持たぬのだ。兄の人格への、和殿わどのの評価は低すぎる」
「決して。かく──申す正儀がるところでは、将軍に高をおさえる意志は、あるかに見えても、その実はなく、これに反しておさえる力は、外観はなきかに見えて、実は大いにありと考えまする」
「それは僻見ひがめでござろう。師直が実力は、天下無敵じゃ」
「禅門。これを用うればねずみ、虎となり、用いざればすなわち、虎も鼠となる。──東方朔とうぼうさく虎鼠こその論は、ちょうど高の場合に当てはまる。幕府の実権を握らせたからこそ、諸大名が、われもわれもと附鳳ふほうの勢いをむさぼって、師直の※(「臣+頁」)使いしに甘んずる、が然し、実権を彼から剥がば、攀竜はんりょうの望みを期するやからは、また我れがちにかゝとで彼を蹴るでござろうに──」
「待たれよ。その実権を剥奪はくだつする力が、今の将軍にありと思わるゝのか?」
「そこじゃ。力はあれど、意志なしと申すのだ」
「はて、せぬことを──」
 と、直義入道は眼をみはった。
「師直から、執事の職権をぐ」
「不可能じゃ」
「いや、可能でござる。まず高一族を、中国へなり、河内へなり出陣させて、しかる後に、いざといわばすぐにもはさみ撃てるだけの準備をとゝのえて、そこで執事をやめさせる。同時に師直討伐の院宣いんぜんを請う。──将軍には、その意志がなかった。そのために上杉、畠山は、越前の配所で斬られた。そのために禅門は今や、生命を累卵るいらんの危きにらしておられる。慧源えげんどの、おん身の血潮を犠牲に供えても将軍は、高師直による安定勢力の、より強まることを願っておられる」
「おゝ!」
 直義入道は、叫んだ。
 だが、正儀はなおも辛辣しんらつに、
「将軍尊氏は偽善ぎぜんの仮面に匿れておられますぞ。尊氏は、骨肉兄弟相鬩あいせめぐ源氏の呪われた宿命を怖るゝの余りに、高一族が第二の北条氏となることを、忘れている。直冬どのが備後びんごから失踪して、やれ嬉しやと思ったのはつかの安堵であった。たちまち九州で鬱然うつぜんたる一大勢力をきずいた直冬どのへの不安は、たちどころに禅門に対する将軍の心理に反映はんえいする。直義入道をして生き長らえさすれば──」
「おゝ!」
「必らずや、幾歳いくとせかの将来、義詮の天下を覘う直冬を、たすけずにはかぬだろう。今、禍いの根をらずんば、大きなくいが遺るであろうと──」
「もうよい、楠殿!」
「殺意は、師直をたでも尊氏将軍の胸に、もはや動いているかも知れませぬぞ。暗殺の白刃は明日を待たで──今日今晩、ふるわるゝ怖れなしとは誰れが断言出来ましょうぞ」
 正儀はそう云って相手の表情をしずかに見つめた。

 直義入道慧源は、しばらく思案しあんを凝らしていたが、考えれば考えるほど、自分の生命の危険が強く感じられた。一旦生命いのちだけは保証された上杉、畠山は、高弁房こうのわきふきのために殺されたではないか。
「身の安全をはかるためには……」
 なかば独語ひとりごとのように云う入道へ、
「商朝へ降参こうさんなさるほかみちなしと存ずる」
「な、なに降参?」
「降参でござる」
 正儀は、叫んだ相手を、きっと見すえた。
「降参は出来ぬ。和睦わぼく合体がったい提携ていけい──と、名はいろいろとあろうに!」
「大義名分にう名は、たった一つ、降参あるのみでござる」
 と、正儀がきびしく云った。
 だが、そのきびしい語気よりも、直義入道が気圧けおされたのは、さかんな眼の光であった。
 第一印象で、底知れぬ深さを感じたその眼は、今や不屈ふくつの鋭さをも加えて、らんらんと輝くのであった。
 おぼえず視線をそらしたとき、
「直義どのは、朝敵の汚名おめいを、いまだ拭ってはおられぬ。北朝は、足利尊氏がほしいまゝに擁立しまいらせた僭王せんのうでござるぞ。天津日嗣あまつひつぎ、正統の皇室たる南朝へ帰順する、これ降参でなくても何であり得よう?」
 正儀の声が、肺肝はいかんひらくように響いた。
 直義入道は、
(南朝を頼るほかに、術がないとすれば、降参もまた止むを得ないだろう)
 と、考えると、やゝ気軽さをおぼえた。
「楠殿のお言葉、納得なっとくまいった」
「おゝ、では降参なされますか?」
「いかにも降参、仕ろう?」
「そのお言葉、正儀においても本懐ほんかいでござるぞ」
 両人は、会釈えしゃくを交わした。
「さて──」
 と、正儀は、話頭をあらためて、
「御決心がさだまれば、もはや一刻も、こゝにわすべきではない。正儀、たゞちに御案内申そう」
「おゝ然らば今宵こよい?」
「もちろん。またなき機会でござろう。一夜明かさば、お身のおしるしを受取りに参る者が、あるやも知れず」
「正儀どの」
 と、慧源は苦笑しつゝ、自分のくびをなでて、
「おかげで、どうやらつながった。──して落ち行く先は?」
「ひとまず、大和やまと越智おちの城へ──」
「越智盛容もりたかが城へ──」
「越智は、すでにお待ち致しておる」
 正儀は、そう云いつゝ起って、入側いりがわの、庄五郎のそばへ行った。
「おゝやかた!」
 と、打ち仰いだ庄五郎正氏の両眼には、無量むりょうの感慨がなみだとなって光っていた。
 けれども、正儀はその泪を、叱るように一べつして、
「直義禅門は、此邸こゝを脱出なされる。お供の支度を急げ」
「は」
 庄五郎は、辛苦しんくの難業をなし遂げた者の歓びに心をたかまらせつゝ、廊へ出て、その歓びを与茂平へもけるために走った。

 直義入道の失踪しっそう
 あくる日の京都は、ちまたの噂が縦横に乱れとび、幕府の当局者の間でも、いろんな憶測おくそくと判断とがいくようにも対立した。
 だが、最も多くの人をうなずかせた説は、九州博多はかたの直冬が奪わせたという見方と、もう一つは、洛外の在家ざいけに潜伏していた家の子たちが奪い出して、鎌倉へはしったのではないか、という考え方であった。
 八月の事変後、尊氏の末子光王丸が、高師冬を執事として鎌倉へ下っていた。もし直義が関東へのがれたとすれば、この鎌倉の幼主光王丸にとっては、はなはだ憂慮すべきことがらにちがいなかった。
「虫の知らせか、光王が下ります折に……」
 と、御台が云った。
「いかゞ致した?」
 尊氏は、あおい顔をしていた。
「いやな胸さわぎ致しました」
 と、御台が答えた。
 たゞそれだけの事かとは、どうしても尊氏には云えなかった。
「わがつまの、お思いやりが過ぎたのでございまする。高どのに、三条坊門のやかたが囲まれかゝった時、お救いあそばしたことが、君子は人をやくに苦しめず、とあって、楚を撃たずに、却ってのために敗られたとやらいう、宋嚢そうじょうわだちまらねばよいがと、わらわは案じられてなりませぬ」
 そう云われても、尊氏は、返す言葉がなかった。
 師直は、
「草を分けても探せ」
 と、早馬飛脚はやびきゃくで、中国街道や、東海道、北国街道のそれぞれへれた。処々の港々へも告示こくじした。恩賞もかけた。
 だが、ようとして行方は知れなかった。
 直義入道が錦小路の細川邸を脱けだしてから、六日ほどたった十二月十四日の午過ひるすぎのことだった。河内、楠の城の宸殿しんでんで、北畠准后親房卿が、正儀と語っていた。
 准后は、衣冠束帯であった。正儀も直衣なおしの正装であった。准后の面持おもゝちには、近ごろになく暗いわだかまりがあった。しかし正儀の顔つきには、別段の変化は見えなかった。
「直義入道への──」
 こゝろにまぬげな声音こわねで、親房卿が、
「かたじけなき勅免の宣旨せんしじゃ」
 と、云った。
 うやうやしく正儀は、宣旨の文宇をながめた。
綸言りんげんあらせらる。ふるきをたずねて、新しきを知るは、明哲の好むところなり。乱をおさめ、正しきを復するは、良将の先んずるところなり。元弘の旧功を忘れずして、皇天の景命けいめいに帰し奉りしは、叡感えいかんの至り、尤も褒賞するに足れり。早く義兵を揚げ、天下静謐せいひつの策をめぐらすべし。綸旨かくの如し。よって執達くだんの如し。
  正平四年十二月十三日
              左京権太夫正雄奉
  謹上 足利左兵衛督入道殿」
 正儀は、
「有難き次第にござりまする」
 と、宣旨を准后の手許へもどして、
「さぞかし、慧源入道も感佩かんぱい仕りましょう」
 そう云った時、准后は、
「いやいや」
 と、はなはだ快くないという表情で、首をふって、
「あの不逞ふてい、不遜の直義が、なんで感佩仕るものぞ! まずまず一時の方便、これでよしと、北叟笑ほくそえむくらいが関の山であろう。どうじゃ?」
「…………」
 黙っているので、親房卿は続けて、
「このような宣旨を賜わるまでには、難かしい経緯いきさつがあったぞよ正儀どの。実世卿さねよきょうなどは、最も強硬な論者で、建武中興の御大業の破れしは、かの直義の悪逆あくぎゃくによるのだ、いま倖いに降参を乞うのは、天の与うるところであろうゆえ、早速これをちゅうすべしと主張した。また二条左大臣の説もこたびはうなずけた。──都におっては師直のために殺される。身の置きどころがないままに、来り投じて天威てんいを借り、おのが望みを遂げようというのだ。おそれおゝくも天聴をかすめた後、ある時期きたらば、かならず再び叛くだろう。この機に乗じて誅伐ちゅうばつせずんば、後日の禍い、ほぞを噛むとも追っつくまい。と、いわれたのだ。──のう左衛門督さえもんのかみ。吉野からの御動座のみぎりとはちがって、諸卿の言葉にことわりが含まれていた。もし、女院にょういんのおんとりなしがなかりせば、この親房とて、公卿こぞっての誅伐論に賛同したであろうが、女院の仰せには、いまこゝで勅免の御沙汰なくば、数年苦心の正儀が謀略も、あわれ水のあわとなろうに、とござった。──和どのゝ謀略の、目的と、ほんの輪廓りんかくだけは、親房も、たびたび聴いた。内容は知らぬけれど、和どのを信じたい。いや、信じた。信じたればこそこのとおり、勅免ちょくめんの宣旨を頂戴してまいった。さあ、これを頂いたからには楠──お身の重い責任が、さらに重さを加えましたぞ」
 と、云った。
 だが、なぜか、正儀は答えなかった。

 自分に対するいつもの正儀まさのりのようでもなく、口をつぐんでいるので、(変だ!)と、思うと同時に、准后は不快の気色を、いろ濃くして、
「楠、和どのは、内方うちかた伊賀どのに感謝しなくてはなるまいぞ。伊賀どのゝ泪ぐましき奔走がなかったなら、国母女院におかせられても、あゝは御贔屓ごひいきくださらなかったろう」
 そう云ったけれども、なおも正儀は返辞を口から出さなかった。
「これ、いつまで親房のみに物言わす? お身の自慢の謀略とは、一人の兵士をも持ち得なくなった直義入道を、降参さすことにあったのか?」
 ことばをとがらせて、問いつめたとき、
「違いござりませぬ」
 と、正儀が答えた。
「なに、違いないと?」
「は。さよう──」
「む、さようか。──失脚して押し籠められ、るべ失くしておのが命も危ぶまるゝ慧源入道を、つれて来たとて何となる?」
「何となるかは、来年、来々年のこと、今申しては鬼に笑われまする」
「えゝ親房をも、愚弄ぐろういたすか? ──いまの直義をつれてくるくらい、和殿ならずとも、誰れにも出来ることじゃ」
「しかし、直義を、いまの直義にいたしたことは、それがしが謀略の力でござりまする。全く一朝一夕でつかみ僥倖ぎょうこうではなくして、家兄かけい正行の討死に先だつこと一年有半の以前から、めぐらしておりました策謀が、やっと第一回のみのりを、見せてくれたのでござりまする」
「第一回の収穫みのり? 直義と共動して師直を討ち果せば、第二回の収穫か?」
「仰せの通り」
「しからば、第三回は──?」
「直義入道をして、ふたゝび叛逆はんぎゃくせしむること──」
「え? ──なんと?」
 親房卿の英邁えいまい、練達をもってしても、おどろろきの眸をひろげずにはいられなかった。
「楠。──直義の将来の叛逆が、お身の予定の筋書すじがきのうちにあるのか?」
「筋書きの、もっとも重要な項目こうもくの一つが、すなわち、それでござりまする」
 そう、正儀が答えたので、親房卿も、すぐには言葉が継げなかった。
(勅免の宣旨せんしの下賜に対する異論は、すべて、直義の降参が一時の方便で、やがては叛逆のうれえがあるから、というにあった。ところが正儀は、反旗はんきをひるがえさせるそのことが最も大切だ、という)
 准后は、いつのまにか、不快の気持ちが自分の胸から、消えていることを感じた。そして、いとわしい不満と入り換わったのは、この若き英雄に対する信頼しんらいの念であった。

 いまの、親房准后の衣冠束帯の正装が、まことに相応ふさわしい宸殿だった。総檜木の白木づくり──しとみの陰や、妻戸の裏にまで、おろそかのない普請ふしんだった。下段の間や入側の牀板ゆかいたは、影の映るほど磨かれていたし、廻廊の欄干てすりは、なめらかに光り、飾りの青銅からかねは、好ましい錆びを見せていた。
 殺風景なるべき、防戦のための城のなかに、あろうとも思えない結構な宸殿しんでんだった。
(いつぞや、正儀が云った──恐れ多い申条だが、万ガ一にも、やんごとなきあたりへ、御動座を仰ぐがごときこと、出来する場合を、おもんぱかって建築したのだと)
 親房卿は、廻廊に出て、冬の最中ながら穏かに晴れやわらいだ日和ひよりの、庭をながめた。
(正儀は、この宸殿を、わしの訪ずれて来た時以外には使わぬらしい。──その心構えは、よくわかる。──そうした心構えで、これを建てたのが、十七か、八の歳だというから、実に驚かれる。今年が暮れても漸くまだ二十三歳で、あの老成ぶりもむべなるかなだ! 不世出の天才だ。彼の思想は、あまりにも現実を重んじ、地上に即しすぎる嫌いはあるけれども、しかし奇策縦横、神算無碍しんさんむげだ。四条畷の戦前一年半ごろからの策謀──その正体はわからぬが……)
「親房の卿。──茶を召しませぬか」
 と、正儀が下段の間から、声をかけた。
 伊賀の方が、茶碗を准后のしとねの前においた。准后は手をふって、
「あゝ、わしも下段しもで頂く」
 と、正儀のわきを指さした。そして上段の、もとの座へは戻らずに、板の間に坐ろうとしたので、伊賀の方はいそいで茵を移した。
「のう楠、わしも万一をおもんぱかって、今後は、上段は遠慮いたすことにしようか」
 そう、親房卿がいうと、正儀は微笑でこたえた。伊賀の方は、一番気に入りの唐衣からぎぬ──銀朱と青緑で孔雀くじゃくを織りだしたのを、豊満な躰にまとうていた。いま、夫から囁かれて、勅免直義入道の宣旨の下りたことを知ったゝめに、朗らかな容貌が一そう明るく見えた。
「あの──いかゞでございましょうか?」
「まことに結構」
 親房卿は、茶をめてから、正儀へ、
「わしも、年老って気短かになったせいやら、とかく先ばかり急がれての、和殿のげんとした歩みかたと足並みが揃わないで困る。直義の、今もなお持つであろう実力を、見損ねたり、彼の向後こうごの詐偽と、背叛はいはんとを、案ずることだけになずんだりした。その詐謀さぼうの裏かいて背叛に乗じようという、深い謀略のあるのを、思わなかった親房じゃ。──実をいうと、逆賊直義をなぜ刺さなかったか? そう和殿に詰問したかった麿わしであった」
 と、自分を責めるように云った。
 正儀は、茶を飲みほした。そして、
「それがしとて、一刀のもとに彼が首、討ちたいという衝動しょうどうは覚えましたぞ」
「む──?」
「錦小路の彼が寓居へ、忍び入った夜──。彼と初めて顔見合わせた刹那せつな──」
 その声には、むしろ正儀らしくない感情がこもっていた。
 准后が、
「おゝ、ことわりじゃ!」
 と、ひき入れられた。
「おのれ直義、君父くんぷあだ!」
「理りじゃ」
「よくも鎌倉二階堂※(ガの四分角)谷の御所で、大逆を犯せしぞ。かしこくも聖上が、吉野の山へさすらわせ給いしも、なんじゆえだ。湊川の一戦に、わが父正成は、なんじこうべを獲んがため、いかに闘ったか? 叔父正季がいかに汝を追ったか?」
「うむ!」
「それがしも、正成の子でござりまする。忿りは心裡こゝろに燃え上がり、おもわず躰ふるえ、全身の血液あわや脳天へ集中するか、と感じられました。亡き兄正行ならば、あるいはたぎりたつ衝動にかられて、直義を真っ二つにいたしたかも知れませぬ。しかし、正儀はたゞ懸命に感情を殺し、その衝動をひたすら抑えて、にこやかに降参をすゝめたのでござります、大君のおんため──足利に、北朝に勝たんがために」
 めずらしくも正儀の言葉が、脈々と、感傷をつゞったのである。
 満足の太息を、ほっと親房卿は洩らして、
みかどのおん為に! そして湊川七百、四条畷千五百の精霊のために!」
 と、云った。
 しばらく、黙っていた正儀が、
「死せる父兄、ならびに一族郎党のためよりも、生きてわして、聖上陛下の文武の御補導ごほどうあそばさるゝ親房の卿、貴卿あなたのおんために」
 と、答えた。
 そこには、正成の子としての面影おもかげ、正行の弟としての風格は、ほとんど微塵みじんもなかった。そこには、たゞ独自な正儀が、鮮明に光った。
「おゝ!」
 と、親房准后は、そのあざやかな光りを眺めたのであった。
(おん若き陛下の、聖運は、かならず開け、栄えるであろう!)
 と、思いつゝ。



師直もろなお心理しんり

「奈良の坊主は、まだか?」
 と、師直はどなった。
 おゝきなしとねに横たわって、脚に一人、腰に一人、肩に一人──三人とも綺麗な側女そばめだが、凝った筋と、だるい肉を、ほぐしたり、もんだり、なでたりしていたのである。
「まだ相見えませぬ」
 と、鹿目しかめ平次左衛門が答えた。高家の重臣の一人である。四条畷で師直の身がわりに討死した上山修理亮こうやましゅうりのすけほどではないが、かなり主君似の容貌をもっていた。
「ばか。何をしているのだ?」
「たゞいま、改元仰せ下されました」
「なに?」
「上卿は太政大臣公賢公きんかたこう択進たくしんは菅原の高嗣卿たかつぐきょう
「なんだ、改元のことか」
観応かんおうと改まりました」
「はゝゝ花時だから、観桜かんおうと相通じる」
「はゝゝお痴言たわことを! 罰が当りまするぞ」
ばちが当れば、太鼓が鳴るし、琵琶も鳴る。花見は賑やかな方がいゝ」
「ほ」
「鹿目っ。そのしかづらは何だ?」
 鹿目平次が顰め面のまゝで退ると、師直は、側妾そばめへ、
「もう一人呼べ。頭をさすらせるのだ」
 と、云った。
 梶原大六兵衛びょうえ──やはり重臣の一人が、参入した時には、美しい按摩あんまが四人にふえていた。
 大六兵衛は喫驚びっくりしたらしく、
「館っ! どうぞなされましたか?」
「二日酔いじゃ」
「ほう、殿が!」
「師直じゃとて、過ごせば酔いが残る。久しく女旱魃おんなひでりで、とかく酒ばかり攻めがちだが、からだが負ける。どうも女よりは酒の方が毒じゃな。敷妙しきたえのおった頃は、まことに躰の調子がよかったが……こんな女輩てあいでは、煮てみても焼いてみても堪能たんのう出来んによって、結局酒の力で睡ることになる。毒じゃのう」
「ふうむ、それは不可いけませぬなあ。そうおっしゃれば、敷妙どのゝござった時分は、滅多めったにはお冠りが曲らなかった」
「だが、梶原、なにか用か?」
ならびガ岡の、兼好けんこう法師が死なれました」
「兼好が。──首でもくゝったのか?」
「なかなか。いとも閑寂な往生おうじょうだったと申しまする。殿には、おん思出ふかかるべき法師でござりまする」
「たゞ塩谷えんや顔世かおよへ、ふみを書かせたまでだ」
「なお武家では、赤松円心えんしん殿が、播磨はりまで逝くなられましたぞ」
「ほお円心がの」
 師直は、側女たちにさすらせながらぐるりと寝返りをうって、大六兵衛に背中をむけて、
「播磨の大蝙蝠おゝごうもりめ、穴へ入り時だろう」
「なお出家では──」
「まだ誰れか死んだのか?」
「は。独清軒、玄慧げんえ法印さまが、とうとう御危篤ごきとくなそうにござりまする」
「──玄慧法印の寂滅為楽じゃくめついらくか、これも結構」
 師直が、そう云うと、大六兵衛は、なんと思ったのかいきなり、口誦くちずさんだ。
「──『君が一日の恩に感じて
  我が百年の魂を招く
  病いをたすけて床下しょうかに坐し
  書をひらいて涙痕るいこんを拭う』──」
「何じゃ、それは?」
 と、師直も驚いたとみえて、寝返りを打ちなおして、
花時はなどきの陽気は、頭脳あたまにさわる。ちと、とり逆上のぼせたのではないか大六?」
 そう云ったが、大六兵衛は眼をつぶって、
「『──ながらへて問へとぞ思ふ君ならで、今はともなふ人もなき世に──』」
 と、こんどは和歌を吟誦ぎんしょうした。
梶原かじわらっ」
「この歌は慧源えげん直義入道が、玄慧法印へ送られたお歌──」
 と、大六は主君の、枕の上の眼を眺めつゝ、
「それにお答えなされた玄慧法印の五言絶句は、今お耳に入れたとおり。慧源禅門は、その返しの五言絶句に、紙をぎたして、六喩盤若ゆはんにゃ真文しんもんを写されたと申しまするぞ!」
「えゝ何を云うかと聞いておれば──白痴たわけめが……」
「おごる平家は久しからず、西海せいかいの藻くずと消えました。清盛きよもりの春にも似たる……あれ、あの桜花も……」
 と、宏壮な対の屋のにわに、今を盛りと咲き匂う花を指さした、大六兵衛へ、
「おのれ、師直が滅亡近しと、ほざくか?」
「南都の好専僧都こうせんそうずは、善智識でござるゆえ、お手荒なことないように……」
「ちえゝそれを申しに参ったのか! 退れ、無用じゃ」
「館っ。直義の禅門は、独清軒の法印と……」
「だまれっ、その直義の在りかを、奈良の坊主にたゞすのだ。拷問にかけても実を吐かすのだっ!」
 師直は、四人の妾をはねとばすように起きて、
「坊主はまだかっ?」
 と、次ぎの間へどなった。
 答える声と、走って来る足音がして、彦部ひこべ七郎次郎があらわれた。
「参ったな?」
逐電ちくてんいたしました」
「な、なにっ?」
「は」
「好専坊主を逃がしたのかっ?」
「いえ逃げたのは桃井直常もゝのいたゞつね殿、父子郎党、下郎まで─」
「や、桃井が──?」
「邸は、空巣あきすでござります。察するところ夜にまぎれて、直義禅門の許へはしったものと、思われまする。
「えゝその直義の在所ありかは、坊主、坊主、坊主だっ!」
 と、師直が叫んだ。
「御意にござります」
 と、彦部がお辞儀じぎをした。
「阿呆っ、頭をさげろと云うのではない。直義の居場所がわからぬかぎり、どうもこうも手の下しようがないではないか? だから、早く坊主をつれて参れ」
「もう参るはずでござります」
 彦部がそう云ったとき、廊下から益子ましこ弾正の声が、きこえた。
「七郎次──。桃井一家の逐電ちくてんさきがたゞ今、知れ申したぞ」
 弾正が入側いりがわに現われると、師直は、
「どこか?」
「は。湖水こすいの西を北へ向ったと申しまする」
「なら越前だ。だが越前えちぜんではない」
「え?」
「越前のはずがない」
「はて、越前が越前でないとは?」
「馬鹿っ!」
 出頭家老の益子弾正も、形なしに一かつをくらった。
「直義のことだ。──守護代の八木やぎに、百日さがさせても、越前・加賀・越中にはいないのだ」

 会所の庭には、拷問場ごうもんばが設けられていた。
 もし好専僧都が、師直を満足させるような答えを吐かないとすれば、その場に坐らせられるのであった。
 鋭いかどのある石の上に、膝と膝をくっつけて坐ると、前の高い方のかどが、向うずねに、後の低い方の稜が、足の甲に当る。だから、坐った僧都の大腿だいたいは、水平になるだろう。その大腿の上に重い石が、圧迫のためのおもりとして載せられる。つまり石をかされるのである。だが、抱くといっても、両腕両手はくゝりあげられ、両足の自由もまた奪われていることは勿論もちろんだろう。おもりの石の重量は、二人の人間の力でやっと持ちあげるくらいだから、三四十貫はあろう。僧都の向う脛と足の甲とへは、下敷の石のかどが食い込み、皮膚を破り、筋肉を割いて、じかに骨へきしるだろう。
 この石責めは、最も苛酷かこくな拷問であった。なぜなら、生きている人間の、とてもこらえ忍び得ない苦痛を与えたからである。
 拷問場には、郎従どもが、手ぐすねひいて控えていた。会所の板間いたのまには、高家の重立った家臣が、居流れていた。そのなかに、梶原大六兵衛は、あおくなってふるえていた。だが、益子弾正、山口入道、その子の新左衛門、鹿目平次左衛門、彦部七郎次郎などは、すこしもおびえた様子をもみせない僧都の態度に、胆をやいて、(拷問よ、すみやかに始まってくれ!)
 と、願っていた。
 師直は、牀几にかけていた。
 脂肪照あぶらでりのする顔が、陽春の温気と、腹の虫の熱ぼったいうずきとのために、内外から火照ほてらされて、まっになっていた。それほど好専僧都の返辞は、気に染まなかったのであった。
「やい、坊主っ。いよいよ石の座に坐りたいのだな。あれ、あれを見い」
 と、師直は庭へ指を向けた。
「坊主と僧都は、たった仮名のおんひとつちがいでござります。僧都と呼んで欲しゅうござります。坊主は聞き苦しゅうござります」
「えゝ、見よと申すに!」
「先刻とっくり見届けておいた、つもりでござります」
 言葉尻だけが、いやに丁寧ていねいだった。
「おのれふてぶてしい坊主め──」
「あゝその坊主が気に入りませぬ」
「七郎次っ、袈裟けさげ! ころもをむけ!」
 と、師直が叫んだ。
 彦部七郎次郎が起った。梶原大六が、
「あゝ待たれいっ!」
 と、わめいた。丁度そこへ現われた武蔵五郎丸師夏もろなつが、
「父上っ」
 と、師直の前へ走りよった。
「なんじゃ?」
 師直は、愛子の端麗な顔をながめた。
「母者人が、たいそう案じておられます。御詮議は、道理ことわりながら、僧都は仏門の高徳──お手荒らきお取りはからいこれなきように、私よりおいさめ申せとのことでござりますぞ」
 師夏の母は、第二夫人だが、雲上うんじょうの摂家、二条関白の妹であるから、師直も、正室以上に待遇していたのだった。師直の閨門に女は多かったが、なにか諫めるというような女性はこの二条御前ひとりであった。もっとも、その諫言かんげんは、ついぞ一度も師直に聞き入れられた例はなかった。師直がすなおに女のいうことを聞いたのは、ただ敷妙の言葉だけだった。しかし、これは当然であった。なぜなら、気に入るようなことばかり敷妙は云ったのだから、むろん諫言ではなくて煽動せんどうだった。
「はゝゝゝ、坊主は仏門──香煎こうせんは黄な粉じゃ。わかりきったことを申すな」
 と、師直はあから顔一ぱいに笑った。
「父上っ。好専僧都は聞こえた高僧でござる。下賤げせん洒落しゃれは、おっしゃらぬがいゝ」
 早熟な師夏は、もう好箇こうこの若人だった。
「五郎丸。そなたは十四になって少し馬鹿になったぞ。直義は、天下の賊じゃ。討伐の院宣いんぜんが降って、わしは錦の御旗を頂戴している。和平を乱す叛臣直義をかくまえば、どんな善智識でも香煎こうせん坊主だ。いま石を抱かすから、そこで見ておれ」
 師直がそう云ったとき、僧都が、
「高殿──」
 と、呼びかけて、
「承わりたいのは、石を抱かすのと、直義禅門のわす場所を知ることゝ、いずれが目的かということでござる」
 と、云った。
「なに? 拷問ごうもん手段しゅだんなら、どうだと申す?」
「拷問が手段なら、もっと効き目の早い手段を、お教え申そうか?」
「坊主、なんと?」
「それ、その坊主を、僧都とさえ云われたら、身どもも痛い思いはあまり好きでもござりませぬによって、早速、慧源禅門のお足跡をお知らせいたそうと存ずる」
「──足跡を?」
 と、師直がやゝ疑わしげに訊き返すと、好専僧都は、さかんな面魂つらだましいで、
「空とぶ鳥や天狗でも、止まれば足跡がつく」
 と、微笑した。
「む。今の在りを、白状いたすか?」
「しかと」

「どこだ?」
石川いしかわ河原がわら──」
「え、河内かわちのか?」
 と、師直が叫んだ。
「さよう、東条の楠城の北」
 と、好専僧都が答えた。
「あ、楠、楠っ!」
 おもわず師直は、牀几から突っった。
「去年鎌倉かまくらへ下られた師冬殿が、東条攻めのみぎり、お築きなされた向い城──石川河原のその向い城に、直義禅門は在わすのでござる。楠殿の庇護ひごをうけて、いとも安泰あんたいにお暮らしでござります」
 豪胆ごうたんをほこる師直が、あから顔を蒼然そうぜんとさせていた。楠のそばとは、あまりにも意外だったのである。
 越智盛容もりかたの城にいたこと、そして好専僧都と往き来していたことがわかったので、兵を差し向けたが、越智の城はからっぽも同様であった。盛容は家来の大部分をつれて、行衛をくらましていた。だが、直義入道は、大和やまとのうちの何処かにひそんでいる、とばかり考えられた。それが──(あり得ることだろうか?)
 楠の庇護ひごの下にいようとは!
(南朝にとっては、直義は弑逆しいぎゃく賊魁ぞくかいではないか!)
 師直は、一歩ふみ出して、
「僧都、それは真実か? 楠の許に、直義が、安泰におれようか? 大塔宮だいとうのみやに対して大罪を犯した直義が、どうして南朝の恩恵をこうむり得たのだ?」
 と、言葉せわしくたずねた。
「なぜかは存じませぬ。南朝のおん意向いこうはわかりませぬ。存じておるのは、たゞ楠正儀どのが御自身、錦小路の細川邸へ忍び入って、直義禅門をつれ出されたことのみでござる」
「なに、正儀自身が?」
 師直は、があーんと、二度目の衝撃しょうげきを喰らったのである。
「さよう。──正儀どのは、忍術の達人であられます。手を用いずして戸が開くと申します。たとい天井てんじょうでも壁でも、躰を横ざまに、あるいはさかさまに宙に浮かせて、自由に伝い歩けると申します。楠どのゝ忍びの股肱ここうに、八忍衆にんしゅうと呼ばれる──八忍の忍は、忍術の忍でござりますぞ──板持いたもち早風はやかぜ富田林とんだばやし村雲むらくも生駒いこま小鷹こだか新庄しんじょう早飛はやとびという、変幻出没きわまりない名人が、八人おるとか申します。寝首でもねらわれたら、まさしく事でござりますぞ」
 好専僧都はそう云って、ほのかに笑ったのであるが、師直は、聞いているうちに、気味が悪くなった。
「いやなわざを心得ていたものだ……」
「な、御要心なされませ」
「忍術というものは、そんなにもはなわざの出来る域まで、達するものかのう」
「まこと奥義おうぎに通じ、妙諦に徹しますると、三日五日はおろか、十日以上にもわたって、食わず飲まず、洩らさずに屋根の裏にひそみ、たとい斬られても、刃が肉を割かず、血管ちくだをやぶらず、くびられても呼吸いきのかよいがまらず、あまつさえちんの毒を、生のまゝ液に薄めず、物にまじえずに胃の腑へおくっても、その中毒死からまぬかれることが出来るとか、申しまする」
「だ、だまれっ!」
 まっ蒼になったまゝでいた師直の顔へ、いきなり赭茶あかちゃいろが、さっと戻った。僧都が、
(すこし、言い過ぎたかな?)
 そう思った時、
「おのれ、よくも師直を愚弄したぞ。いゝ度胸だ。引出物ひきでものを取らそう」
 手が、伸びた。小姓のひとりが、はっとなった。自分の捧げていた長刀のつかが握られたと思う間さえなかった。刃わたり三尺四五寸もあろう利刀わざものが、たま散るように光ったのである。驚きの叫び声をたてたのは、五郎丸師夏と大六兵衛だけではなかった。

 だがきっさきは、好専僧都の鼻の先、三寸か四寸かのところで、ぴたりと止まった。
「とらすぞ、坊主!」
「またも坊主か──」
 僧都は、顔色を変えながらも、おどかしの抜刀にちがいないと思ったので、とっさに気を取りなおして、そう口抗くちごたえをした。人々も鋩が血を流さなかったのを見て、息をついたり、胸をなでたりした。けれども師直の眼のなかの異常な光りは、消えないばかりかむしろ閃めきを添えた。
「斬られても、肉が裂けず、血のくだが破れないと、ほざきおったな。さあ証拠を見せてくれ!」
「あっ!」
 鋩が、頬の皮膚を、一寸ほど裂いたのだ。僧都は手を傷口ヘあてた。てのひらからあふれた血が、たらたらと腕をつたってゆかへこぼれた。
「高殿っ! 血管ちくだが破れないと申したは、忍術の名人のことでござるぞ!」
「好専坊主は名人ではなかったのか?」
「僧侶に忍術は無用じゃ」
「はゝゝゝ無用なものか。これでも無用かっ?」
 師直の刀は、たちまち鋩を進めて、横に二尺ほどくういだ、と思いきや血がぱっと斜めにしぶいて、僧都のはげしい叫びと共に、指が四本、無残にも斬り離された。頬の微傷うすでをおさえていた手先ががれたのである。指を切り落した刃は、その餘勢よせいで鼻柱を断ち割ったので、鮮血はそこからほとばしった。僧都は斬られてから初めて危険を意識したが、すでに遅かった。本能的に躰がって、のがれるために脚が動こうとした刹那、
「おのれっ!」
 と、師直が白刃を逆に返して、強襲の一撃を加えた。僧都は膝の骨に、痛さよりは熱さを感じて、どっと倒れた。重臣たちの声々の間に五郎丸師夏の声もまじって、そして五郎丸は大六兵衛と一緒に、師直の狩衣かりぎぬを後からつかんで引っ張ったが、強力の師直は動かなかった。倒れた僧都は、ふたゝび起とうとしたが、起てなかった。片脚の膝から下が、無慈悲むじひにも切断されて、ほんの皮膚のわずかな部分で繋がっているだけだった。しかし僧都は、
(殺される!)
 と、思うと、倒れてはおれなかった。隻脚で、もう一度立ちそこねた次ぎの瞬間には、躰をわせて、傷つかない方の手と足で、そして指のもげた悲惨な片手をも使って、生命の壊滅からまぬかれようともがいた。益子弾正が、声をしぼって、
「館っ、御堪忍を、御堪忍をなされませ! も、も、充、充分の御成敗じや、お刀を納めさせられい!」
 と、さえぎり止めようとしたし、大六兵衛はしかと抱きついて、師直の刃がこれ以上に血を流さぬように、僧都との距離を出来るだけ大きくすることに骨を折った。だが師直は、兇暴な哄笑たかわらいを、弾正のうろたえ顔へあびせてから、血刀を両三度、宙にふって、
「大六、怪我けがをするぞ」
 と、云った。が、大六は懸命に腰へ、しがみついていた。
「えゝ放せ!」
 師直は、腰をひねった。
「館っ、先刻あれまでお諫め申したに……なんというお情けないお心じゃ! 直義禅門の在所ありかをあからさまに白状なされた僧都へ、あの重傷いたでを負わすとは、そら怖ろしいむごたらしさ……仏罰をお考えなされませぬか、これ殿、殿……」
「うるさい、黙れっ!」
「だ、だ、黙れませぬぞっ!」
 と、たけぶ大六を、腰にまつわらせたまゝ、ずるずると引きずって師直は、血みどろの僧都へ、容赦なく近づいた。そして、遁れようとする方に立ちはだかって、兇刃を僧都の眼のさきへ突き出した。
往生おうじょうぎわのわるい坊主だ」
 師直がそう云うと、半顔を鮮血で染めた物すごい相形そうぎょうで、
「師直っ!」と、僧都はわめいた。
「言い遺すことはないか? あらば申せ」
「えゝどうしても殺す気かっ!」
「はゝゝゝまだ覚悟出来んとは、よくよくのやくざ坊主め。刀のさびに仕甲斐もないようだが、この師直が権威を世の中の、認識不足のやからに知らすよすがの一つと、そう思えばどうやら腹も立たぬ。どれ、引導いんどうをわたしてやろう」
 だが、師直の剣は、ひと思いに渡す引導ではなくて、むごいなぶり殺しの邪剣じゃけんであった。
 きっさきが、没義道もぎどうに血をむさぼった。

「殺さば殺せ! こんぱくこの世にとゞまって……おのれのろわずにこうか! 師直っ、思い知らすぞ!」
 苦痛の悲鳴が、断続して、呪いの言葉とからみあい、血が血をひろげてゆかあけにぬった。
 狂暴が、師直のこゝろのなかで、雄たけびを立てた。惨虐をよろこぶ神経が、師直の全身の末梢まっしょうでおどり狂った。
のろえ、呪え。師直は大手を開いて、まともに呪咀じゅそを受けてやる。うらめ、怨め、こうして命を、小刻こきざみに刻みとって遣わすのだ。わしも初めは殺す気などは毛頭もうとうなかったのだが、おことの思いあがった心ざまが、わしに殺意を起させた。この師直を怖れぬ気持──忍術に事寄せて飜弄ほんろうしたその気持が、おこと自身の寿命じゅみょうをわれから縮めたのだ。わしは天下の為政者いせいしゃだ。武断をもって、そむくものを斬り、さからうものを殺し、乱すものをほろぼすのだ。──好専っ、かくさいなみつゝおことが一命を断つのは、わしに反抗する者ども、わしを軽んずる者どもすべてへの見せしめだ。それ、そのように断末魔の苦しみを、たっぷりと、長く苦しむことは、せんじつむれば人助けじゃ。はゝゝゝやっぱり善智識らしい往生じゃ」
 師直は、ことさらに急所をはずして、浅く浅くと、すでに十数ヵ所を斬りなぶった。師直には、病的な情緒じょうしょと、偏執へんしつの論理とがあった。はがねのように頑強な神経と、めくら滅法なうぬぼれと、際限のない自恣自大じしじだいとがあった。だから、たとえようもなく悽愴せいそうな僧都の形相に睨まれても、たゞ心地よげに微笑するだけだった。
 だが人々は、とても見るにえなかった。眼を閉じて身ぶるいする者もあれば、おもてをそらして痛ましい苦悶の声に耳を蔽う者もあり、居たゝまらずに会所から逃げ出した者さえあった。
「父上っ!」
 そう叫んだ五郎丸の顔には、まるで血の気がなかった。唇をぶるぶるふるわせながら、
「臨終の一念は、あとを引くと申す。早うとゞめを、お刺しなされませ!」
 と、云った。ちょうどその時だった。多量の出血のために、もはや瀕死ひんしの境に入っている僧都が、一度ふさがった両眼をくわっと見開いた。あいのように蒼ざめきった顔は、すでに筋肉がこわばって──それは死人の顔と変らなかったが、たゞ眼だけがまだ視力を失わぬ瞳を、魚の目のように変色した白眼のなかでひろげたのだった。と、同時に、細まっていた呻吟しんぎんの声が、ややはげしいうなりとなったかと思うと、たちまち指のもげない方の手が、もがいたために皮膚がちぎれて大腿だいたいから離れてしまった片足を、牀の上でさぐった。その無気味さに、五郎丸が覚えず、
「あっ! 足を、足を!」
 と、わめいた。
 人々はがくぜんと視線を、犠牲へ投げた。師直の腰へ必死にしがみついたなりほとんど失神したかのようになっていた大六兵衛までが、鬼気きき啾々しゅう/\と漂う情景を、はっきりと認めた。
 人々はたちまち叫び合った。世にも恐ろしい動作がのあたりに起ったからである。──痙攣けいれんする片手が、血のゆかに横たわっていた肉塊──切断された片足を、やがて探りあてた。そしてつかんだ。と、見るまに、今までからくも這匐はらばいにうごめいていただけの躰が、いきなり、むくむくと起きあがった。もはや臨終への一途を辿たどるのみと思われていた瀕死の僧都が、がぜん一本足で、ぬっくと起立したのだ──しかも掴んだ片足を、真っ向にふりかざしたのである。
 それは、まさしくこの世の図ではなかった。大六兵衛が、絶叫した。
「きゃあっ!」
 声もろともに、彼は師直の腰から、後ろの牀へ仰反のけぞり倒れた。人々ははじかれたように跳び立ったり、きもをひしがれ、膝の力をぬかれて、へなへなっと尻餅をついたり、わっとして眼をおゝったりした。生得うまれつき、気の強い、そして武術にもすぐれた五郎丸師夏も、まだ歳が歳だけに、
(生きながらの幽霊!)と、戦慄おのゝいた。
 それとももはや息絶こときれて、一旦幽冥ゆうめいへ入った霊魂が、速かに舞い戻って遺骸なきがらを、生けるがように起たせたのか?
 人々は、疑い、惑い、そして怖れた。
 だが師直はたじろがずに、
「えゝっ!」
 と、片手なぐりに大刀を、初めて全力であびせおろした。
 ぱっとしぶいた血烟りのなかから、首がとんだ。僧都の首がゆかへ落ちたとき、隻脚のむくろもまたにぶい音をたてゝ血液の溜りへ倒れた。
 生首は、瞋恚しんいの炎に灼かれつゝあるかのように双限を、見ひらいたまゝであった。その妄執もうしゅうの眼を、師直は臆する色もなく見すえながら、出鱈目でたらめにうかんだ経文きょうもんを、
稽首けいしゅ生木しょうもく如意輪にょいりん能満のうまん有情うじょう福寿願ふくじゅがん亦満やくまん往生おうじょう極楽願ごくらくがん百千ひゃくせん倶服くうてい悉所念しつしょねん
 と、口誦くちずさんで、
「わはゝゝゝ」
 剛悍ごうかんな笑い声が、人々の恐怖をつんざいて、悽惨せいさんな空気をゆらめかした。



殺意さつい暗剣あんけん

「かなり大きく焼けているな」
 と、正儀が云った。
 はるか北の空が──黒い夜の空が、地平のきわを、ぼうっと薔薇色ばらいろにそめて、比叡山ひえいざんの峯が、月明りで眺めるよりはずっと瞭然はっきりと照らしだされていた。敷妙が、
「京都でございましょうなあ?」
 と、云った。正儀と敷妙は、ほら※(ガの四分角)とうげの、落葉樹林を脚の下にした巌角に立っていた。
「むろん京都だ」
「京は、どの辺でございましまうか?」
「師直の屋敷が焼けていることだけはたしかだ。仁木や佐々木も、焼かれているかもしれん。だがあとは解らん。直線距離にして、こゝから四里はあろうからの」
桃井もゝのい越後えちごの上杉勢が、いよいよ坂本から寄せたのでございましょうかしら?」
上野こうずけ駿河するがの兵も、寄せたかも解らん」
「こんな風のない晩に──あのように火の手がひろがりましたのは、ずいぶんはげしい戦さらしゅう思われまするけれど──」
義詮よしあきらが、戦わずして都落ちをしたのかも知れぬ」
「ではあの──都落ちをした不在屋敷るすやしきを、寄せ手が焼いているのだろうと、おっしゃいますか?」
丹波たんばから、播磨はりまへ落ちて、書写山しょしゃざんの尊氏・師直の主力軍と合する。いま、義詮としては、そのほかにはあるまい。が、戦ったとすれば、あきれた馬鹿だ。寄せ手と戦って、それですむことなら、充分戦ってもいいだろうが──、こゝ八幡やわたの大軍と、九州の直冬の威力を考えたら、一人の兵、一人の卒をも傷つけてはならぬところだからな」
「八幡の──直義入道のお旗本へは、たいそうお味方が集まったとやら──?」
「うむ、豪勢ごうせいなものだぞ。直義の鼻息が、おっそろしく荒くなってちょいと寄りつきにくいよ」
「まあ──それはし……いけない方が多いのでございませぬか?」
 敷妙は、にわかに不安を感じて、美しいひたいをちょいとしかめた。──とりとめのない、ばくぜんとした不安ではあったが──。
「いや、すこしも」
 と、正儀は微笑ほゝえんで、
「いけなくはない。わしの予定の変化じゃ」
 そう云って、岩肌へ尻をおろした。
 敷妙が、寄り添うて腰かけた。早春の満月が照らした。月光は、落葉林の傾斜の下の、達磨堂だるまどういらかに光った。正儀は、この達磨堂に本陣を構えているのであった。達磨堂を中心に、ほら※(ガの四分角)とうげの西麓から幣原しではらへかけて、精鋭三千の楠軍が、昨年の晩秋以来、冬越しをして滞陣すでに百余日に及んでいた。で、敷妙は東条の玄々寮から、しばらくぶりで、正儀のそばに来たのだった。正儀は、薔薇色の京の空が、地平に近づくほど赤く火に焦げているのを、だまって眺めていたが、やがて目を右手にひろがる山城平野やましろへいやへ移した。京都の方が焼けていると聞いて、庫裡から、敷妙ひとりをつれて峠の頂きまで、こうして登ってみたのであるが、火事はおよそ義詮都落ちのしるしと判断が出来た。
書写山しょしゃざんを攻めさせる時が近づいたぞ)
 そう思いながら、目は、巨掠湖おぐらこの銀いろに輝く水面をながめた。

 洞※(ガの四分角)峠は、山城やましろ河内かわちの国境の要衝だった。こゝは金剛山から、葛城山かつらぎやま二上山ふたがみやま信貴山しきさん暗峠くらがりとうげ生駒山いこまやまと峯をつらねて、河内・大和の国境を縦走する山脈の、北の末端であった。山脈はこゝから男山おとこやまに隆起して、淀川の岸でつきてしまう。その男山が、すなわち直義入道慧源えげんの、去年このかたの本営だった。八幡やわたに陣どるといえば、つまり男山からこゝ洞※(ガの四分角)峠をやくすことなのである。
「おゝきれい! 水が光って見えますること──」
 と、敷妙が云った。
 巨掠おぐらの湖が輝くばかりか、月明は、木津川を照らした。淀の大河を照らした。桂川かつらがわを細い銀糸のように照らした。
 正儀が、ふと思い出したように、
「九州の話、聞いたか?」
 と、訊ねた。
 敷妙は、首をしなやかにかしげて、
「いゝえ」
 と、答えた。さっき相伴しょうばんした酒の酔色よいいろが、ほんのりと眼のふちを、ぼかし染めているのが、月あかりのために一入ほのぼのと見えた。正儀が、
太宰府だざいふの直冬がことよ」
 そう云い足したけれど、やはり、
「いゝえ」
「おどろくな。とても大変な事件だぞよ。よっぽど用心して聞いてもらわぬことにはな」
 持ち前の薄ら笑いを、敷妙は不審げに、しかしなまめきを添えつゝ、横目で見あげて、
「まあ──用心などと厭らしい……」
 と、躰をくの字にたわめた。
「あっと叫ばないようにしてくれ」
「あゝら、なんでございましょうか?」
「直冬がの」
「直冬どのが?」
 敷妙は、じれったそうに身をもんだ。
「太宰府で──」
「あれもう、太宰府は解っておりまするものを!」
「実にな、意外な事に相成ったのだ」
「あれ、わたくしはもう存じませぬ!」
 あまえて、すねて、流眄ながしめに睨むのへ、
太宰少弐だざいしょうに頼尚よりひさの息女を、妻に迎えた」
「あ!」
「それ。おどろいたではないか?」
「それは、あの──真実まことのお話でございましょうか? ほんとに少弐どのゝ聟殿に──?」
「ふゝゝゝ、そう眼の色まで変えずともじゃ、のう敷妙、すくなくとも其方そなたからは信じられてもよいはずだがの。なぜかなら、この虎夜叉、つとめて人を欺騙たばかるけれど、いまだかつて其方へは、偽をついた覚えがないぞよ」
「おゝ、それが真実まことなら、なにより大きな苦労が消えうせましたぞえ、あゝ嬉し!」
 敷妙は、胸を白い指でさすりおろした。
伽羅作きゃらさくが、九州から戻ってのしらせだ」
「お、いつ兄は、太宰府から?」
「五日ほど前じゃ。そなたが此処へ参ることを知ったゆえ、東条へは報せなかったのだろう。──だが直冬は、決してそなたを思い切ってはいないぞ。明けたからもう一昨年おとゝしの──田楽異変でんがくいへんでさらわれたとはどうしても信じない。依然と師直の側におると思っているそうじゃ。少弐の姫をめとったのは、策略結婚よ。おかげで、直冬の勢力は、忽ちすばらしいものになった。九州から中国を風靡ふうびして、その先鋒はいまや、山陽山陰の両道から、師泰の軍を追って播磨はりまへ迫ってきたのだ。──そなたをとりもどしたい一念が凝って──その直冬の一念が、兵の鉾先ほこさきに反映しているのだ。人間の情痴じょうちというものは、なんと怖ろしいものではないか?」
「でも、去るものはうとしとやら──」
 敷妙が、そう云うと、
「ちがう」
 と、正儀は、含み笑いをしながら、
「そなたの去ったことが、最も強い動機どうきを直冬に与えたのだ。内乱の不利を知らぬような直冬ではなかったが、そなたというものゝ為めに、師直に対して、喰うか、喰わるゝかの、野獣の闘いを、戦わずにはいられなくなった。
 と、云った。
「そんなら安堵あんどには、まだ早うございましょうか?」
「早い、早い。もう十年」
「えゝ?」
 敷妙は、その明眸めいぼうを見はった。

「十年っても、果して安堵出来るかどうかな。──だが、十年経っても、そなたはやっと三十二歳だ」
 と、正儀が云った。
 敷妙も、すぐ微笑ほゝえまれた。
(殿が二十四、わたしが二十二)
 若さを思うと、気に張りが増した。
 前途は、荊棘いばらの路でもあろう。いやいや針の野原かも知れぬ。つるぎの山かも知れぬ。けれども、
(わが殿となら──この殿のお為めなら!)
 越えて行こう。超えて行ける。しのいで行かねばならぬ。敷妙はそう感じた。
 岩肌から、正儀が腰をあげた。
「師直と高一族を滅ぼすことは、一ヵ月以内に可能だ。しかし、われわれの行手は……はゝゝ」
 低く、沈痛に笑って、
「峠は寒い。そろそろ戻ろうか」
御酒ごしゅがさめましたのでございましょう。今宵こよいは、ふしぎなくらい、温かでございますぞえ」
 敷妙は、あとについて、巌角いわかどから落葉樹林へ下りた。京の火事を眺めに登った将兵の影は、もう一つも見えなかった。みな陣所へ帰ってしまったのだ。
「もし──。播磨はりまへの、師直攻めの御陣は──いつお進めなさいまするか?」
「いや」
 と、正儀は歩きながら、
「この洞※(ガの四分角)峠からは動かぬぞ」
「あら、なぜでございましょうか?」
「滞陣じゃ、こゝで陣を張り続けるのだ」
「ではあの、お大切な師直攻めのお戦を、人委ひとまかせにあそばして──?」
「む。あるいはこゝを陣払いして、東条の城へ引上げるかも解らぬ」
「えゝ? どうした訳で──ございまするか?」
 足利幕府の実権者は師直だ。だから朝敵の首魁しゅかいは師直だ。敷妙が、直冬に身をまかせたのは、師直を滅ぼすためだった。さらに師直にさえ肉体をもてあそばせたのも、無論その師直を討たんがための、苦肉の悲願からであった。謀略がやっとをむすんで、剃髪ていはつを強いられて押籠められた直義入道は、南朝へ降参して、勢いを盛り返したし、九州に追われた直冬も、菊池きくちを主力とする南朝方の西国大名と手を握って、太宰府だざいふで、中国の反師直派の諸侯へ号令した。師直は、好専僧都こうせんそうずを殺した後、直義入道を討つために、すぐに河内かわちへ大軍を侵入させることを考えているうちに、中国の方が一層危険に感じられたので、まず師泰をその方へ出陣させた。ところが、その師泰軍が大敗した。そして安芸あき石見いわみの戦線から、総崩れになって播磨まで退却した。師直は、尊氏とともに、中国へ出馬した、京都は将軍世嗣せいし義詮よしあきらにまもらせて、尊氏と師直は、播磨の書写山しょしゃざんを本営としたのであったが──すると、直義入道の方では、好機こうき、のがすものかというので、石川河原から陣を八幡やわたへすゝめて、男山八幡宮の社頭で、師直誅伐の兵を集めた。で、師直は、直義入道と直冬に、挾みうたれる形勢になった。
(こうなるまでの苦労は、どれほどだったろう?)
 と、敷妙は考えた。たしかに、もう一息で──結ばせた実を、収穫とりいれることが出来ようという時に──
(なぜ、わが殿は、にわかにお引込み思案じあんにおなりなのであろう?)
「師直が、……」と、敷妙は、すこし後れたのを、小走りに追いついて、
「あの──将軍を抱き込んでおりますことは、師直の強味つよみなのでございますまいか?」
 そう訊くと、正儀は、
「将軍を自分の陣に、ようしていないよりはな」
 と、答えた。敷妙が、かさねて、
此方こちらが戦ざに勝てゝも、ほんとうに滅ぼすことは、とても難かしいかのように、わたくしには思われてなりませぬ」
 と、云った。そしてぴったり躰を寄せた。
 正儀は、ほそい小径こみちを、窮屈そうに──だがやさしく、女のやわらかな手を握ってやりながら歩いた。

「敷妙、そなたは云うだろう。──敗軍はいぐんときまれば師直が、直義へ降参する。尊氏が極力とりなす。直義も、兄のいうことゆえ、無下むげには出来ない。それに自分も、兄のおかげで、師直に攻め殺されようとした時たすかったのだから、その恩返しの意味で、師直の命は助けるにちがいないと、そなたは、そう案じている、な?」
「はい」
「師直を殺さずにおけば、憂いが残ると?」
「はい」
「だから、この虎夜叉に直義入道と一緒に軍を進めて、是非とも師直を殺してしまうように、とりはからえ、と云いたいのだろう? そうしなければ、これまでの苦心惨澹さんたんが、水の泡になるかもしれぬと、気をもむ」
「はい。案じられてなりませぬ」
「しかし、直義と一緒には、とても進めないのだ」
「なぜでございましょう?」
あぶないからだ」
「あれ?」
「殺される」
「えゝっ?」
「殺されるという危険が、非常にあるからだ」
「まあ!」
 敷妙は、殺される、という言葉を聞かされた途端とたんに、両足が地べたに、釘づけられたのであった。だが、正儀は微笑して、
「な。それで疑問がはれたろう?」
「……?」
「直義は、師直の首もほしいが、この正儀の首もほしいのだ」
「おゝ、あの入道どのが……?」
「そうだ。あの入道は、兄の尊氏よりも、どのくらいあくに出来ているか解らぬのじゃ。南朝へ降参してまず師直を滅ぼして、それから正儀を殺して、北朝へ舞い戻ろうというのが、彼の腹よ。──むろん尊氏を引きずりおろして、自分が将軍になる気だ」
 正儀は、歩きだした。──女の手を引いて。
「だから、わしはこの、ほら※(ガの四分角)とうげから動けないのだ。ここは、後ろが河内かわちだ。いつ何時でも。とっさに東条へ還れる」
「殿──」
「解ったか?」
「はい」
「困難が、峨々がゝとして横たわっている」
「あゝもう、なんと申してよいやら……」
「はゝゝ、ひどく悄気しょげたの」
「ほんに気が痛みますものを」
 正儀が急に語気ごきをあらためて、
「気が痛もうと、心が裂けようと、あらゆる困難にうちって行かねばならぬのだ」と云った。
「おゝわが殿!」
 敷妙は、がぜん緊張きんちょうした正儀の言葉に、崇高な精神を感じた。と、たちまち感激が、熱い泪となって溢れた。
 正儀が握った手に力を籠めて、
「たとい、いかなる障礙しょうがいが前途をさえぎろうとも、みかどのおん為め、国家のために、最善なりと信じて自ら選んだ道を、進んでゆかねばならね虎夜叉だ。正儀だ。正儀のために、そなたもまた、どんな困難のなかへも、ひるまず、屈せず、とび込んで、それを忍んで、しのいでくれ!」
 と、握りしめた。
 敷妙は、精一ぱいな力で、握り返した。
「はい。忍びまする! きっと凌いで御覧に入れまする!」
「うむ、よく云ってくれた。それでこそ、わたしの敷妙じゃ! わしがこの世で、最も愛するそなたじゃ」
「おゝ」
 敷妙は、思わず正儀の胸にすがりついた。
「そなたは、わしのたからだ!」
 力強い腕が、ぐいっと抱え締めた。
「あゝ! わたくしは──嬉しゅうございますっ!」
えがたい苦しみをさせた。だが、またさせるかも知れぬ。正儀は永遠に、そなたの恩を忘れぬぞよ。そなたというものを恵まれたことは、わしの最大の仕合わせだと思うぞ!」
「おゝ、わが殿!」
 敷妙は、恍惚うっとりとなって叫んだ。
 嬉しさのために、ひきつった美貌を、月明りが照らした。
 まばらな林のなかの小径こみちには、去年の落葉が冬の間に、露にれ、霜に朽ちて、なかば土に化していた。踏まれても音を立てなかった。冬枯れのまんまの雑木ぞうきは、青白い月光の下で、ふけた夜を眠るがような姿を、影にして地面に落としていた。
 正儀は、やはり女の手をひいて、歩きだした。
「のう敷妙。──直義の黒い腹は、とっくに見抜いていたのだし、師直が滅びたあとで直義の再び叛逆することは、わしの予算よさんに入っているのだ。だから、心配はいらぬぞ」
 みちは崖をまわるので、さっきは目の下に見えた達磨堂だるまどういらかは、却ってだんだん遠くなった。そして雑木林が、やがてつきた。
 そこにはやゝ広い道路が、こんもりと茂った杉の森のふちに沿うていた。
 その道路は、暗かった。
 月の光りが、杉の密林で、すっかり遮断さえぎられていたからである。注意ぶかい正儀の眼が、森のなかの黒々とした闇を眺めた。
 眺めつゝ、小径こみちからその道へでたとき、
「あ!」
 正儀は、口のなかで叫んだ。

 ぎくりとした敷妙の耳へ、
曲者くせものだっ!」
 と、囁きざまに、後ろへ──今来た方へ、正儀は、押し戻した。
「おゝ!」
 敷妙は、剣術の心得はなかったが、すぐれた感覚の鋭敏さで──驚ろいてよろけながらも、即座の気転きてんから、
 つ、つ、つ──と、身を後退あとじさりさせた。
 正儀は、森の闇に殺気さっきを感じたのである。それは異常な、おそろしい鍛錬の賜物たまものであった。うしろへ、敷妙を遠ざけた瞬間に──ほとんど間髪かんはつをいれぬ襲撃──
 森の闇のなかから、無言の白刃が閃めき出たのだ。しかも白刃は、一本や二本ではなかった。刺客しかくの数は七人だった。彼等の服装は、百姓いでたちであった。
 しかし彼等は、勿論すぐられた闘士にちがいなかった。猛ぜんおそいかゝった第一のやいばは、正儀の脳天へ、
「とうッ!」
 と、撃ちおろされた。
「ぎゃあッ!」
 悲鳴は、まさに横から正儀へ、第二の刃をふるいかけた闘士の喉から、ほとばしったのだ。正儀の腕の名剣、伯耆安綱ほうきやすつなが、電光のように薄明をつんざいて、耳の骨から片目の眼球を、横なぐりに深く、ざっくり割ったのである。
「えゝっ!」
 正儀の声が、ふたゝびはげしく響いた時、
「あゝあッ!」
 二度目の悲鳴は、第一の闘士が叫んだ。
 初太刀をかわされて、崩れた体勢から立ち直ろうとした途端、正儀の返す刃の冴えに、みごと高腿たかもゝをぶった斬られたのだ。
 血烟りは、薄闇にもしるくがって、切断された脚と、斬られた闘士とが、右と左に分かれて地べたに倒れた。
 敷妙は、ほとんど呼吸いきが出来なかった。心臓が、いまにも破れそうだった。膝が、がくがくふるえた。とある木の幹に、すがりつゝ、
(どうぞ御無事に!)
 と、森かげの道路の薄闇うすやみへ──もの凄い闘いへ、目をみはった。
 ぱっと、火華が散って、刃と刃が合して鏘戞しょうかつと鳴った。鋭い声が、はげしく、短くおめき合い、叫び交わした。
 敷妙には、何事も考える餘裕よゆうがなかった。一意専念──たゞ、
(おつゝがなく!)
 と、心で叫びつゞけた。
「殿っ!」
 閃々と、剣光が、銀色にほの青白さを交えて、輝いた。月が、樹の間から、光りを洩らしたのである。
「あゝ!」
 黒い灰かぐらのように、血しぶきがけむって、絶叫と共に倒れたのは、曲者くせものの一人だった。おゝよかった、と、敷妙が思ったとき、
「やあ楠正儀どの、覚悟あれっ!」
 と、一人がよばわった。
「おう、名乗るかっ?」
 と正儀が闘いつゝ、よばわり返した。
「宇野六郎直村なおむらだっ」
「そんな名は知らん。解るように云え」
「故赤松円心えんしん殿の旧臣にて、今はさるお方に頼まれて和殿わどののおしるし、頂戴に参ったのだっ」
「はゝゝ馬鹿め。この正儀を斬れるか?」
「斬れるか斬れぬか、直村が剣、ならば手練てだれに受けてみよっ!」
 刺客の頭目とうもく、宇野直村が、平正眼ひらせいがんに構えた。
「参れ。──だが逃げる方が悧巧りこうだぞ」
 正儀は、すでに三人を倒して、宇野をのぞくあと三人にも、傷を負わせていた。しかし傷ついた三人は、必死にむかって来ていた。三本の刃が、隙をねらいつゝ、迫っていた。正儀は、宇野へは横を見せていた。
「汝ら鼠輩そはいの相手は、迷惑千万じゃ。刀をひいて、せるとあらば斬りはせぬぞ!」
 正儀の愛刀安綱は、きっさきを垂れて、どの敵の方へも向いていなかった。
「なにをっ!」
 と、宇野直村がたけった。

(あれ、おあぶない!)
 敷妙は、きもをひやした。

(宇野とやら、直村とやらに、横を見せて──あ、あれもう気が揉めること! あゝ、それ、お気強いにも程がある!)
 敵の頭梁は、側面そくめんからじりじり迫るのであった。正儀は、動かなかった。やはり鋩を、地へ垂れたまゝ──敷妙が、あせりつゝ、
(あれ、なりは百姓姿でも、あの剣の構えの──強そうな。あれ、およろしいのか知ら? あゝそれ、それ、参ります! あ、前からも! おゝ宇野が、宇野が、あれ参ります、参りますっ! あゝっ!)
 宇野直村の大刀が、さっとひらめいた。
 おぼえず敷妙は、眼をつぶった。見ていられなかったのである。
(刀が閃いても、殿はお動きなさらなかったようだ。あゝ武芸のたしなみのないこの身の腑甲斐ふがいなさ! これが奥方なら──伊賀の方なら──おけ太刀が出来ようものを!)
 敷妙は、正儀の剣をとっての強さをも、かたく信じてはいたけれど、自分に武芸の心得がなかっただけに、白刃の闘いに対しては気が弱かった。
 誰れの悲鳴か、
「ぎゃあゝっ──」
 と、致命的ちめいてきに、凄く響いた。敷妙が、
「おゝ!」
 と、叫びながら、目を見ひらいた。だが、視力が狂ったのか、死闘の場所が、たゞ朦朧もうろう網膜もうまくに映るだけであった。
「殿っ!」
 敷妙は、もう夢中むちゅうで呼んだ。
 けれどもその時、
鏖殺みなごろしだぞっ!」
 声の主は、正儀であった。
(おゝあのお声は、わが殿の!)
 そう思うと、たちまち視野しやがすうっと明るくなって、正儀の颯爽とした姿が、はっきり見えた。
──敷妙の視力は、完全に回復した。
 斬られたのは宇野直村だった。
 刀を落として、両手で頭の傷口をおさえていたが、
「無念っ!」
 と、一言さけぶと同時に、棒立ちの姿勢から、どっと地へたおれた。
 見るまに、残った三人も、ばたり、ばたりと斬り伏せられた。
「おうい!」
 と、正儀が、招くように呼んだ。
「殿っ!」
 敷妙は、走り寄った。
「あゝ、血がつくぞ」
 そう云われたが敷妙は、嬉し泣きに泣きながら、血だらけの正儀のからだにすがりついた。
「もし──お怪我は、どこぞお怪我は?」
「三四ヵ所、ほんのかすっただけじゃ」
 全身があけに染まっているのは、敵の返り血のせいだった。
「まあ、なんと剣にもお強くて──」
 敷妙には、正儀の偉さが、ほとんど無限の高さほどにも讃仰さんぎょうされた。そしてこうした英雄から愛せられる自分の幸福に酔うのであった。
 月は杉森の梢にのぼった。
 七つの死骸が、利剣安綱の切れ味を、悽愴な寂寞しゞまのなかで、黙々と物語りつゝ横たわった。
 敷妙が、屍骸を指さして、
「どこから来たのでございましょう?」
 と、云った。
男山おとこやまから──」
「ではあの──直義入道の?」
「む、疑いもなく」
 と、正儀が答えた。



驕威きょうい末路まつろ鷲林寺しゅうりんじ門前

 空は赤黄色く焦げて、星は光りをうばわれ、月は赤銅いろの顔を、白烟りや黒烟りの煙幕えんまくから出したり、引っ込めたりしていた。
 火の恐怖と、剣のおびえが、深夜の京都全市民をふるいあがらせた。桃井もゝのい直常と、越後の上杉憲顕のりあきとが、七千の兵で、雲母坂きらゝざかを下ったのだ。上野こうずけの上杉憲将のりまさ能憲よしのりが、師直のために殺された重能しげよしの子、顕能あきよしと共に、尾張おわりの足利高経たかつね駿河するがの今川範国のりくにと力を合わせて、これもまた七千の兵で宇治から京都へ攻め入ったのだ。同じ上杉でも、朝定ともさだ朝房ともふさだけは叛くまいと、そう義詮が頼みにおもっていた二人までが、在京二千の手兵で裏切って侵入軍と呼応こおうしたのだ。
 市民が、わめいた。
「一条今出川の高さま館が焼けているぞ!」
「二条の仁木さまお屋敷も焼けているぞ!」
「三条の高師泰館こうのもろやすやかたも燃えている!」
「四条の佐々木道誉さまも火だ!」
「五条の高師冬さまもかちかち山だ!」
「えゝ、のんきな頬桁ほおげた動かすな!」
「俺あお屋敷の話だい!」
「俺あ、地獄であの方々が、真っ赤に焼かれることなどは、なあにちっともいとわんが、お屋敷がこう焼けるのはまことに惜しくもあるし、迷惑じゃよ」
「えゝ無駄口を叩かずに、さっさと荷物をはこべ、運べ」
「おうい荷物を、運んでくれい!」
 群集は、荷物を運べ、運べと、声をからして呶鳴ったが、それも無駄であった。街往来まちどおりは、大小雑多ざったの荷物で身動きが出来なかった。市民にとっては、弓箭ゆみや剣戟けんげきよりも火事が怖いので、家財道具を持ち出したのだが、街路がこう犇々ひし/\とつまっては、こんどは兵の方が怖しくなって来た。
「わあーっ!」
 恐怖はたちまち実現した。
 戦慄せんりつすべき狂噪きょうそうと混乱とが起った。というのは、一隊の兵が、一隊の兵に追われて、荷物と群集で立錐りっすいの余地もない街路へ、どっと雪崩なだれこんで来たからである。斬り合い突き合う、兵と兵の、死闘が、民衆の逃げるための、押し合い、掴み合い、踏んだり、蹴たり、叫び、泣き、わめきつゝの、死ぬか生きるかの争闘と交流し、交錯こうさくした。
 どの街でも、追う兵と、逃げる兵と、闘う兵と、死骸とがあった。子を呼ぶ母があった。親の横死おうしを泣く娘があった。
 街角では、斃れた馬の上で、傷ついた馬がもがき、敵か味方か解らなくなった兵たちが、薙刀なぎなたをひらめかし、長巻ながまきを斬り落とされ、他人の腕をもいで、自分の脚を失い、血みどろに転がり、虫の息でっていた。
 火に近いところでは、濃い煙が呼吸こきゅうをつまらせ、煙りの絶え間に白壁しらかべが、炎に明かるく照らされて、血の手形や、血しぶきの痕跡こんせきを、夜目にも赤々と見せた。
 一条今出川近辺きんぺんは、師直館の焼ける火の熱で、気温がにわかにのぼったため、旋風せんぷうがつよく吹きまくって、焼けぼっくいや煙の臭いを、あたりへ撤きちらした。さしも豪壮を誇った執事師直の邸館やしきも、いまや猛火の咆哮たけびにつゝまれていた。庭苑の常盤木ときわぎが、くすぶりつゝ燃える異様な音が、熱した空気の動揺する音響とまじりあった。おごりをきわめた建物のかずかずを焼く煙りは、黒く渦巻き、淡紅うすべにいろにたなびき、あるいは新らしい血をあざむくようなあけにそまり、あるいは乾いた血のごとくどすぐろくかげり、むくむくと膨脹ぼうちょうした、かと思うと、たちまち細って、大蛇がのたうつかのように動いた。
(吉野を炎上させた報いが、ついに来た! おそろしい罰じゃ!)
 と、そう感じながら五郎丸の生母の二条御前は、からくも兄の関白の御殿へ避難することが出来たけれど、三十人にもあまる側妾そばめたちは、多数の侍女や端女はしためどもと一緒に逃げまどい、掠奪の兵の手を怖れたものは、煙りに捲かれるか、火に呑まれたかしたし、焼け死ぬのを嫌ったものは、おゝかみよりも遙かに残忍になって、血と女とをむさぼる越後えちご上野こうずけの上杉勢にとらわれた。
「高の内室ないしつはどうした!」
 と、上杉憲顕のりあきがどなった。
「火のなかへ跳び込んで、自害されたらしゅうござります」
 と、部将のひとりが答えた。

「師直の留守屋敷の兵だけは、鏖殺みなごろしにしたであろうな?」
 と、宇治から攻め入った上杉憲将のりまさが訊くと、先鋒の将が、
「五十人とはのがさなかったと存ずる」
 と、返辞をした。
「女どもは?」
「半数以上はとりこに致しました。たゞ残念なのは、二条御前をがしたことでござる」
「風を喰らって逃げたと見えるな」
「しかし、これでどうやら重能しげよしの殿の、黄泉あのよからのお怨みもいくぶんは晴れたであろうと思われまする」
「む、若干じゃっかんはな。だが、師直、師泰の生首を見るまでは、気持のたがをゆるめてはならぬぞ。我々の鬱憤うっぷん深酷しんこくなのだ」
 師直のために重能を惨殺された上杉一門の怒りは熾烈しれつな復讐となったのであった。桃井直常もまた、師直とその一族に対しては深い恨みがあった。足利高経も久しい陰忍いんにんを、ついに爆発させた。侵入軍のほこさきは鋭かったし、その気分はたけり荒びていた。
 だが、この悍々たけ/゛\しい軍隊も、もし義詮の麾下はたもとに、三万の大兵が去年同様にたむろしていたなら、こうたやすく京都を蹂躙じゅうりんすることなどは、とても不可能だったろうが、尊氏と師直が中国へ出馬する時に残しておいたその三万が、二万に減じ、一万に減ってしまった今日では、兵数も劣ったし、士気がまるで圧倒あっとうされた。どうしてそんなに兵の数を失ったかというと、みんな京から脱走して直義入道の八幡やわた男山の陣へ赴いたからだ。山名時氏ときうじなどは五千人もつれて堂々と京から八幡へ、大移動をやったし、師直の武蔵むさし守護代、薬師寺やくしじ公義きんよしまでが、男山へねぐらがえをしたのだ。
 だから、義詮は今夜、戦うべきではなかったのを、戦って、敗れて、焼かれて、逃げた。丹波路たんばじへのがれた。
 遁走とんそうの将兵は、追撃をおそれた。後ろのこわさに、前をきそった。京で闘わなかった者ほど、この逃げ足の路では強かった。なぜかといえば、傷ついてもいなかったし疲れもひどくなかったからだ。まず重傷者を、それから軽傷者を、ぐんぐん引き離して、まめ息災な将兵が、走れるだけ走った。真夜中すぎの丹波路たんばじを、月影をたよりに──。
 義詮は、馬を駆けさせながら、
(こんなことなら、戦わずに都を棄てた方がよかった。──夜が明けるまでに一里でも二里でも多く走っておかなくてはならん。摂津せっつ神崎かんざきにいる畠山国清に、横っ腹でも衝かれたら、それこそ腹掻っさばくよりみちがあるまい)
 と、鞍つぼで考えた。
 あとから、佐々木道誉と、仁木頼章よりあきが、馬をならべて追いついて来た。
「将軍がお悪いのだ」
「京都をおあけになったのが悪いのだ」
「父上よりも、悪いのは師直殿だ」
 と、義詮が答えた。
「師直殿の後尻あとしりにくっ着いて、都をさまよい出られたのが悪かった、と申すのだ」
 と、仁木がぷりぷり云った。
頼章よりあきっ、さまよい出たはなかろうぞ」
 さも不快げな声であった。
「尊氏将軍は、やきが廻っているのだ!」
 と、仁木は、負けずに不機嫌ふきげんな声を出した。ちょうどその時だった。道誉入道がいきなり、
「や、や!」
 と、叫びつゝ手綱たづなを引いて、馬をとめた。
「入道っ、──?」
 義詮が、かえりみた。道誉は、耳をそばだてゝいた。義詮も、乗馬の脚をとめた。不安の眼が、竜頭たつがしらの兜の眼庇まびさしの下で光った。仁木もまた、おどろいて馬首をめぐらして、
「いかに?」
 と、いぶかった。道誉入道が、
「あの物音──おびたゞしい兵馬の音だ!」
 非常声で叫ぶと、
「えゝ?」
「おゝ、聞える! 近い!」
 わかき将軍世嗣よつぎは、眼の前が暗黒まっくろくなるのを感じた。

(畠山国清は、兄直宗の復讐に燃えている。畠山の兵にちがいない)
 義詮が、そう思ったとき、
「国清か?」
 と、仁木がうめいた。
石堂いしどうかも知れん。細川かも知れん」
 と、道誉は自棄やけに大きな声を出した。
 誰れかが、
「敵だっ!」
 と、わめいた。「敵!」「敵!」と、声が、声を生んでいった。敗軍の先頭を走っていた将と兵が、叫びながら引っ返して来た。その将が「敵の大軍っ?」と、よばわった。忽ちそれが、連呼れんことなって、後尾の方へ伝わっていった。そして動揺がすぐに停止と沈黙にふりかわった。敗軍が、さんとして進退にきゅうした。後に上杉、前に畠山とすれば、いずれも師直にたいしては必殺ひっさつの敵である。我々は高の兵ではなくて、将軍世嗣義詮の近衛軍きんえいぐんだと云ったところで、もはやそれは何ら防禦の言葉にはならなかった。すでに矢はつるを放れたのだ。
 義詮が、仁木へ、
残兵ざんぺいは──千はあるのか?」
 と、云った。仁木が、
「足りますまい」
 そう答えた時、仁木の弟、義長が、後尾の方から馬をとばして来た。
「いかゞ、なされますか?」
「死か──降参こうさんかだ」
 と、義詮が答えた。
 側近の兵がひとしく声を呑んだ。馬蹄のひゞきは、刻々に近づいて来た。
 道誉入道が、
小御所こごしょ! 将軍と、御世嗣およつぎたるおん身は、中立ちゅうりつの地位にわすべきであった」
 そう云うと、義詮は、
「今さら、何を申すぞ」
 と、いらち声を投げた。だが自分も、
(母と共に、天竜寺へ避難すればよかった!)
 と、後悔を感じた。母、登子なりこの方は、夢窓国師むそうこくしの庇護へのがれたのであった。
 仁木義長よしながが、闇然あんぜんと叫んだ。
「畠山は、降参をれぬかも知れませぬぞ!」
「容れなくば、討死の一途だ!」
 蒼い顔で、そう義詮が云ったとき、かなたの森かげで馬がいなゝいて、月明りの視野しやへ、騎馬武者が数騎──。現われた前駆の一騎が、大音をあげた。
「おう、それなるは宰相さいしょう中将義詮の殿の御軍勢とお見受け申す。只今これへ、将軍尊氏卿、高師直の殿とおん共々、書写しょしゃの御陣より二万騎にて御来援ごらいえん──御来援でござるぞっ!」
 敵ではなかった。しかも最大の援軍であった。
「わあゝっ!」
 はげしく歓喜かんきの声が、どよめいた。

 明くれば、正月十六日──。
 京の市街は、ふたゝび修羅道しゅらどうの禍いに見まわれた。
 尊氏・師直軍は、義詮の敗残軍をも糾合きゅうごうして、京都回復のために乱入した。昨日攻めた者が今日は守る側に立った。攻める側へは、三井寺の衆徒しゅうとが、佐々木道誉との深い関係によって来援した。だが、まもる側へも、男山から、陸続と援兵が繰り出してきた。戦闘は、昨夜よりもさらにはげしくなり、数倍も大きくひろがったのであった。
 北朝の、主上は、内裏だいりから仙洞せんとう徙御しぎょ遊ばされた。桃井直常が、京を守護しまいらせる旨を奏した。しかし尊氏も仙洞へ、千秋高範ちあきたかのりを参入させて、自分が播磨から上洛したことを上奏した。
 闘いは、ほとんど京じゅうにひろがって行った。尊氏は二条河原で、義詮は四条河原で、師直は九条の原で戦った。だが、味方の兵力は二万五千にはよほど足りなかったのに、敵は──直義入道が男山から鳥羽とばへ出馬したので、戦線に立つ兵だけでも四万を超えていた。師直は九条の原で、二倍以上の敵と戦わなければならなかった。午後になると、味方の負け色は、あまりにも歴然れきぜんとなり過ぎたので、いくら歯がみしても、もう退却のほかなかった。
(ちえゝっ! おれの兵は、もっと強い筈だが……)
 師直の驕兵きょうへいも、すでに疆弩きょうどの末であった。盛んなれば、人につ。かつてはむかうところ敵のなかった慓悍ひょうかんな兵だった。しかし今は──人は同じく常磐しょうばんの原野に三春駒みはるごまを駆って武を錬った人が、軍の主力をつくっているのであるが、師直をおとずれた急転直下の頽勢たいせいのために、往年の驕剛きょうごうもいわゆる魯縞ろこう穿うがたぬという、意気沮喪そそうの兵に変わってしまっていた。
(おれの運も、ひどくかしがったものだ!)
 と、師直は、紫色になった厚い唇を噛みきった。血が、だらだらっと流れた。
(四条畷で、正行の兵を全滅させた時が、おれの運勢の絶頂だった。重能しげよしと直宗の首をたゝっ斬って、直義を坊主にした時──直冬を九州へ追落した時──おれの権威けんいは一段と伸びたようだったが、それはほんの見かけだけの感じでしかなかったのだと、今となって思いあわされる。おれの運にひゞがいったのは、あの時だった。なんの造作ぞうさもなく殺せる時分に、なぜ直冬めを殺さなかったろう? あいつから敷妙を奪った頃なら、赤児ののどくびるように息のをとめることが出来たのだ。敷妙を奪り返された時は、だが、もう遅かった。けれども直義を錦小路へ、おしめるかわりに殺してしまえば、こうまでみじめを見ずにすんだろうに、生かしておいて楠に奪われた。えゝ馬鹿っ、馬鹿っ!)
 師直は自分をのゝしった。
(ちえっ──兵が、弱すぎる!)
「退くな、死ね、死ねっ! 退くなっ!」
 と、四つ塚の羅城門らじょうもんあとに、馬をいなゝかせつゝ、声かぎり呶鳴りつゞけた師直だったが、先陣の諸隊はすでについえたし、中陣の各隊もまた本陣へ、雪崩なだれ、くずれ込んで来た。
 兵は、豪奢ごうしゃな今出川のやかたが焼きはらわれて、奥方は炎のなかに身を投げて自害し、女護にょごの島みたいだった美しい対の屋が、灰になってしまったことなどを考えて、そうでなくても萎靡いびした士気を、ますます萎縮いしゅくさせていた。だから、闘って死ぬものよりも、傷ついて、あるいは傷つかずに、逃げるものゝ方が、はるかに多かった。
 もはや本陣も、潰乱かいらんした。
 師直は、播磨はりま書写しょしゃをさして、走らなければならなかった。
 そして、師直よりも前に、尊氏と義詮とは、都から逃げ出していた。落ち行く先は、やはり書写の山下やましたの陣営であった。
 尊氏、義詮の惨敗も、師直の負けぶりに劣らなかった。側近を護ってはしった将兵の数は、わずか五百に足りなかった。
 佐々木道誉は近江おうみへ、仁木兄弟は若狭わかさへ、どちらも自分の城へのがれた。

 この日から数えて、ちょうど四十日目の、二月二十五日のこと──。
 楠正成戦死の場所と、兵庫の鶴見松原つるみまつばらとの、なかほどにある四方四町ばかりの小城、湊川城──またの名、松岡城の中で、尊氏は、やつれたかおをまっさおくして、昨夜一睡もしなかった眼をしぱしぱさせながら、がさつな建物とは甚だ不釣合いに立派な枝ぶりを、せまくるしい庭一ぱいにひろげた松の大木を、ながめていた。
 まるで、この松の名木を守護するために、築かれた、と云ってもあまり馬鹿々々しくは聞えないくらい粗末そまつな城だった。
 尊氏のそばには、師直が、脚を投げ出して柱にりかゝっていたし、師泰もその脇に、体を横たえていた。師直は、片脚と片腕に、師泰は両腕、両脚に、ぐるぐる白木綿しろもめんをまきつけていた。それは、ついこないだ──七日前の激戦に、かなり重く傷ついたその疵口を、繃帯ほうたいしているのであった。
 夜明けから間がなかった。陽はまだ昇らず、松の大木の葉は、じっとりと朝の露にぬれつゝ黒紺くろこんいろに見えた。
「眠らずに待ったが──」
 と、尊氏は、師直の方へ、松から眼を移して、
「とうとう命鶴みょうずるは、戻らなかったの」
 そう云ったが、師直は顔をしかめているだけで、返辞へんじをしなかった。
「痛むか?」
化膿かのう──」
 師直の傷口は、腐爛ふらんしかけていた。
 すこし離れて、しょんぼり胡坐こざしている義詮よしあきらが、なにか云おうとした時、梶原大六兵衛が、細長い薄板に墨くろぐろと文字の書かれたのを、横抱きにして入って来た。
 師泰が、寝転んだまゝで、いた。
「なんだ?」
「門の外に、立てかけてあった歌でござります」
「落首か」
 尊氏が、
「見せい」
 と、云った。大六は、落首の板を立てた。室内は薄暗かったが、白っぽい板に濃く書いてあるので、はっきり読めた。みんなの眼がそれに集まった。この部屋には、師直の長男師世もいた。五郎丸師夏もいた。師秋もいた。師兼もろかねもいた。
 歌は、二首であった。
  吉野山峯のあらしのはげしさに高き木ずゑの花ぞちりゆく
  かぎりあれば秋も暮れぬと武蔵野むさしのの草は皆がらしもがれにけり
 前のは、吉野を焼いた罪によって、高きこずえの花、すなわち高家こうけの人々が、亡びることをんだものだし、後のも、師直は武蔵守だから、武蔵野の草の枯れることに結びつけて、草は、皆がら──つまり高の一門一族が残らず滅亡したと、そうあてこすった歌であった。
「まずい歌だ!」
 と、尊氏がつぶやいた。
「いやな歌だ!」
 と、師泰がどなった。
 だが師直は、黙ったまゝ顔を、またしかめた。
 過去十八ヵ年の驕威きょうい末路まつろ
 ひしひしと迫る無量の悲哀と、堕地獄だじごくおそれとが、高一族の人々から声を奪った。

 大六兵衛は、しきりの取り払われた隣室の方へ、落首の板を向けかえた。そこには将軍の昵近じっきん糟谷保連かすややすつら、おなじく伊朝これとも、長井治部少じぶしょう、禰津小次郎などがいた。高の支族、重臣たちがいた。その大半は繃帯ほうたいをした負傷者だった。眼はみな、まがまがしい文字を読んだが、口は一様に緘黙かんもくかなかった。──高弁房わきふさ、大高、小高は、すでに戦死していた。
樫村かしむら──」
 大六兵衛は、落首の板を樫村儀左衛門にわたした。それを抱えて樫村は、傷の軽くない片足を引きずりながら、広敷ひろしきへ出て行った。
 奥の室では、尊氏が、
「命鶴は──心許こゝろもとないのう」
 半ぶん呟くように云うと、師直はたゞこくりとうなずいた。そのとき、五郎丸師夏が、
「兄者。夢のお話をなされては?」
 と、師世に云った。
 師世は、大六兵衛をかえりみた。
「大六。申そうか?」
「仰しゃいませ」
「父上!」
 と、師直を呼んで、師世は、昨夜まどろむ間にみた怖ろしい夢を、告げた。
 それは、奇怪なことには、師世のみならず梶原大六兵衛の、ほとんど同じ時刻の夢にも、まったく同じ形で現われた凶事であった。
「場所はたゞ渺々びょう/\たる平野でござりました。西は父上、叔父上、われわれ一族、その郎従数万人──東には、直義禅門、直冬どの、上杉、畠山らわずか千騎たらず。戦うこと少時しばし、敵が敗れて退くのを、追わんとする時、雲のうえから、にしきの御旗一流なびかせて、現われ出でたる一隊は、百騎内外。左右にわかれた大将を、誰れかと見れば、左は吉野の金剛蔵王権現ざおうごんげん、右はおなじ吉野の勝手の明神みょうじんでござりました。蔵王権現は、かしらに八つのつのが生えて、八脚やつあしの馬に召され、勝手明神は、金の鎧に黒鉄くろがねたてを引きそばめて、甲斐かいの黒駒に白い鞍おいて召されました。金剛蔵王が、おん目いからせ、あれを射て落せと下知げじされました。弓の弦音つるおとが、鼓膜こまくを破るがように響いて、とび来った矢が、父上と、叔父上の、眉間みけんのまん中を射徹いとおしたのであります」
 夢は、師直師泰の死の落馬によって、はっと醒めたのであった。
 人々は、顔を土のようにして固唾かたずをのんだが、師直はむしろにぶい表情で、
「夢は、五臓と脳味噌の疲労つかれだ」
 と、云ったきりだった。
 尊氏が、またも呟いた。
「命鶴は──まさか殺されもしまいが……」
 饗庭あえば命鶴丸は、重大な使命をおびて、八幡やわた男山の直義入道の本陣へおもむいたのだ。──尊氏と師直は、先月の十六日に京で大敗して、播磨はりま書写しょしゃの坂本へ遁れた。そして師泰軍と合したが、やがて書写山をも捨てなければならなかった。前面からは直義に、背面からは直冬に、側面からは上杉・細川・畠山・石堂の聯合軍に攻められては最早もはや、勢いがきわまりつきた。一途の血路を開いて重囲を脱しようと試みた最後の一戦も、無残にやぶれて、やっとこさ鏖殺みなごろしから免れた。いまは──たゞ、命鶴丸の復命たった一つに、生か、死かゞ、つながれているだけであった。尊氏は、男山の直義入道へ、降参こうさんと、師直、師泰の命乞いとを、申し送ったのである。が、待たるゝ命鶴丸みょうずるまるは、まだ還って来なかった。
(凶か? 吉か? 還らないとすれば──死あるだけだ)
 と、尊氏は思った。
「将軍。──身どもは、船で──」
 師直は、しかめ顔の片眼だけ見開いて、
「兵庫から、関東へ落ちようと存ずる。常磐じょうばん地方は譜代の根拠でござるし、師冬は鎌倉を放棄ほうきしても、甲斐かい半国はがっちり保っておるし──」
 そう云うと、尊氏は、頭をふった。
「だが、船まで落ちることが、まず第一に覚束おぼつかなかろう」
「鶴見松原は、頼春と、顕能あきよしのみだ」
「顕能は、上杉の嫡男だ。亡父の仇討ちという意気はたけしいぞ。──また、よしんば鶴見松原は突破できても、海には楠の水軍が、船をつらねている」
「しかし……」
 師直が眼をふさいだとき、広敷ひろしきから唐突に、どよめきが聞えた。
(や、なに事ぞ?)
 人々が、危倶きぐの目を見あわせた。

 樫村儀左が、傷の痛さも忘れて、駆け込んできた。
「師冬の殿が、甲斐かい逸見へんみの城で──御自害っ! 御自害っ! 只今、源八郎どのが、家城いえしろどのが、これへ──」
 と、叫んだとき、山伏姿やまぶしすがたの家城源八郎師之もろゆきが、樫村の後ろから現われた。錆びた赤銅しゃくどうのように陽光にけ、風雨にれすさんだ顔に、寝不足の目が赤く、汚れた篠懸すゞかけにも、こゝまで辿たどりつく途中の艱難が偲ばれた。
 源八郎は、あわたゞしく将軍に一揖するが早いか、師直へ、
「館っ! 無念でござりまする。わが殿は……」
 と、そう云いかけたが、気のゆるみと、変われば変わる師直の境涯に対する悲歎ひたんとで、あとの言葉が出づまって、涙がこんこんと湧いて、こぼれ落ちた。
播州ばんしゅうが自殺したとな?」
「はっ、はい!」
 と、師冬の家老、源八郎師之が、男泣きをすゝりあげつゝ、答えた。
 高家の人々は、一人のこらず絶望を感じた。一門随一の驍将ぎょうしょうこそ、播磨守師冬であった。師冬関東にあるかぎり、一の望みはかけ得るのだが、それが、すでにし。
「上杉憲藤のりふじの、優勢な軍に囲まれ、武蔵むさしの七党に裏切られましては、逸見城へんみじょうも保ちかね、宗徒むねとの家臣六十余人、枕をならべて死出のお供つかまつった」
「あゝ!」
 と、師泰が、一たん起した上躰を、ばったりゆかへ倒して、
「狂瀾を既倒きとうかえすことは、もう駄目だっ! 駄目だっ!」
 と、叫んだ。強情無上な師直は、だが「うーむ」と、猛獣が忿いかるような声でうなり、うめいた。
 ──ちょうど、この時刻に、
 八幡やわた、男山八幡宮の表て坂を、隊伍粛々と登っているのは、楠の護衛兵であった。
 正儀は今、直義入道慧源ゑげんの招きに応じて、洞ガ峠の達磨堂だるまどうから出かけてきたのだ。直義入道は先月十五日の夜、宇野六郎直村ほか六名の剣豪をえらんで、正儀を暗殺しようとした。だが、それに失敗してからは、何喰わぬ態でしばしば礼を厚くして正儀を、自分の本営に招いた。そのたんびに正儀も、知らぬ顔をして出向いた。たゞし供は、いつも途轍とてつもなく多数で──それは供という概念には、とてもおさまらないものだった。では、衛兵か? それでもなおよくはまらなかった。いうならば、一軍をひっさげて訪問したのである。衛兵には相違ないが、その兵の数は、無慮一千──。一千の楠兵! どれほど力強いかは、過去の戦争が証明した。
 で、今朝も、例によって衛兵一千。
 正儀は、虎がしらの兜を、与茂平に持たせ、伯耆安綱ほうきやすつなの名剣をおびて、二の鳥居をくゞった。先頭の衛兵は、すでに三の鳥居に近づいていた。そして衛兵の後尾はまだ、山麓の一の鳥居を越えたばかりだった。
 南にいた三の鳥居が、ぱっと金色に淡朱をまぜて輝いた。朝陽が、はるか東、平野の彼方につらなる笠置かさぎ山脈の主峯、鷲峰山じゅぶせんの尾根からさし昇ったのである。

「館。よい日の出でござりますのう」
 と、梶丸かじまるが云った。
 正儀は、頷きつゝ、朝暾あさひのひかりに赫燿かくようときらめく鷲峰山じゅぶせんを、木津川を、綴喜つゞき平野を、巨掠湖おぐらこをながめた。
 一望の視野はこれ悉く春であった。わかみどりと、やわらかい黄いろとを、色彩の基調にして、花のつぼみがほのぼのとかもしだす淡紅で、ぼかしをかけ、水のかゞやく銀色を点綴てんせつした、陽春の朝ぼらけは、眺める人の心にやどるのぞみのがらにつれて、どんなにも燿やかしく眺められたであろう。
(南朝にも春が来る!)
 と、正儀は心で云った。
 庄五郎正氏が、うしろから、
「殿。──命鶴への返答についての、相談でござりましょうか?」
 と、訊ねた。小桜のおどの華やかな、天晴れな若武者ぶりであった。
「そうだ」
 と、正儀が答えた。
「師直、師泰の助命を、許す心でござりましょうか?」
「直義入道の態度は、おそらく、わしの言うなりに決るだろう」
「……? お言葉のまゝに?」
「今の場合はな」
「この場合……?」
「庄五郎」
 と、足をとめて、正儀はかえりみた。
「おことにも似合わぬ頭の悪さよ」
「はあ、不肖ふしょうでござる」
 庄五郎は、忸怩じくじとしてかしらを垂れた。
 梶丸が、
「とまれい」
 と、号令した。号令は、前へも後ろへも迅速に、全隊の行進をとめるためによばわり継がれた。
「おおしえ願われましょうか?」
 と、庄五郎は顔をあげた。
「わしは、堺港と、岸和田と、あわの三カ所から、水軍を出した。和田の助氏と、淡輪あわのわ助重とが、いま、福良ふくらの渡し、淡路あわじの瀬戸から、須磨すま兵庫ひょうごの浜を扼しつゝ、兵船をうかべているのは、一体なんのためか?」
 そう訊いた正儀へ、
「それは尊氏、師直が、船でのがれるのを遮るため、としか心得ませぬ」
「師直、師泰が重傷いたでを負うまでは、それは勿論そうであった。が、現在は、まるで違うぞ。──考えて見よ」
 考えてみても、庄五郎には解らなかった。
「これが、せぬかの?」
「はい……」
「困るのう。解りそうなものだが」
「それが、羞かしながら……」
「鶴見松原は、背後の海に水軍あり、という安堵あんどから、尊氏、師直のこもる湊川城をかこむ包団陣のうちでは、一番兵力が手薄で。細川頼春の五百と、上杉顕能あきよしの五百きりだ。この安心しきった手薄さが、まことに有難いのだ。──どうじゃ?」
 どうじゃ、と云われても、湊川城包囲の戦線が、鶴見松原において手薄なことが、なぜ有難いのか? 庄五郎には見当けんとうがつかなかった。
「なぜでござりましょうか?」
「まだ解らないのか。──わしの水軍が、上陸して、尊氏、師直を城からすくいだすことが出来るではないか?」
「えゝっ?」
 庄五郎は、おどろいて、
「師直を? ──尊氏は兎にかく、師直を援うとは?」
「援うことも出来るし、また殺すことも出来る。だが、わしは殺すとは云わない。わしは、師直を援い出す、というのだ」
「えゝ?」
「なにをいぶかる?」
 と、正儀は微笑して、
「直義入道にむかって、そうわしが云うのだ。むろん、師直を殺すのが目的ゆえ、誰れの手で殺してもよさそうに思われるかも知れぬけれど、じつはそうでない。直義入道の手で殺さないことには甚だ都合つごうがわるいのだ。だから、もし直義が、このさい師直の助命じょめいを許す気なら、わしの水軍はたゞちに上陵して師直を援け出して、と同時に直義と手を切ると、そう云っておどかすのだ。もし命鶴が、きょう正午ひるすぎて一※(「日+向」)とき以内に、湊川城へ、師直を殺すという旨を伝達しないなら、わが水軍は予定の行動を起すことになっていると、そう云って直義入道を、おのゝかせるのだ」
「おゝ!」
 庄五郎は、従兄の機にのぞんで実に端倪たんげいしがたく応変する胆略たんりゃくに、おぼえず驚異のさけびごえを洩らした。だが、自分の心には、なお解りかねる点が残っていた。
「恐れ入りました。が、なお一つ、おろかなそれがしのに落ちませぬのは、直義入道がこのにおよんで、なぜ師直を殺すことを躊躇ためらっておるか、ということでござりますが……?」
「直義は、師直を生かしておきたくはない。だが師直を今殺すためには、尊氏をも殺さねばなるまい。兄をほふって、兄殺しの名を着ることは、彼としても避けたい」
「──では、今、尊氏を死なせずに師直を殺す確実な手段しゅだんが、ござりましょうか?」
「あるとも。今、その手段を行わせるために、わしがこうして直義に会いにゆくのだ」
 正儀は、そう云うとともに手で、梶丸に行進を命じた。梶丸が、
「進めい」
 と、号令した。──庄五郎は、
辛辣しんらつ機微きびのそのまた裏を穿うがつような計略が、あるのだろう)
 そう、思いながら、お辞儀をした。

 直義入道慧源えげんの本営は、この男山八幡宮の神主、紀有豊きのありとよ邸館やしきだった。
 石清水いわしみず男山八幡社は、わが国第二の宗廟そうびょうともいうべき、歴代の皇室のふかくあがめさせたまう神社で、本殿ほんでん外殿げでん舞殿ぶでん幣殿へいでん、楼門、鳩嶺きゅうれい書院、神厩しんきゅう鳳輦舎ほうれんしゃ羽車舎うしゃしゃ神厨しんちゅう──いずれも檜皮葺ひはだぶき丹青たんせいを塗って、けんらんの五彩がさんさんとかゞやいていた。神殿の四方をかこむ瑞籬たまがきには花鳥が彫られ、金銀がちりばめられて、まばゆいくらい壮麗だった。東、北、西の三面に、石畳の高さ八尺ばかりの外縁がいえん欄干づくり美ごとな廻廊があって、神殿の前には、左右に橘樹たちばなが蒼々と生えていたし、西の廻廊そとには大きな影向桜えいこうざくらがあり、東廻廊の外には、一樹の楠樹が亭々と茂っていた。この楠樹は、建武中興の年に楠正成が寄進して、みずからこゝに植えたものであった。だから正儀にとっては、この楠樹は、仰ぐたんびにいろんな感想の因子たねになった。
 今朝もまた、正儀は神前にぬかずいてから此の楠樹の下をとおりつゝ、
(父上よ。正儀は今、一兵をも損失うしなうことなしに凶賊のかい、尊氏、師直に対して、湊川の弔い戦を成しとげまする)
 と、そう心で云って、春の朝暾あさひに照り映える梢の常磐葉ときわばを見上げた。
しき運命は、尊氏と師直とを、父うえの御最後の場所──湊川において、敗衄はいじくさせ、屈服させ、そしてまず師直をして滅びさせまするぞ!)
 正儀はさらに、亡兄、正行、正時を呼んだ。
(兄上たちよ。弟は今、四条畷の復讐を遂げまする。兄者たちが、討ち洩された師直の首を、おそくも今日の陽が西に沈むまでには、かならず討ってお目にかけよう!)
 楠の衛兵一千を迎える男山の陣の物々しさは、いうまでもなかった。
 直義入道の麾下はたもとに集まった諸国の兵の、およそ半分は、摂津せっつ播磨はりまの方面へ出陣していたが、それでもなお二万余の軍勢が、こゝ八幡宮の宮司、紀氏きのしの館を中心に、末社まつしゃ後見殿こうけんでん──すなわち武内社たけのうちしゃ(男山八幡宮の祭神は、応神おうじんみかどであらせらるゝから、後見殿として武内宿禰たけのうちすくねを祀るのである)、若宮社わかみやしゃ水若宮社みずわかみやしゃ住吉社すみよししゃ稲荷社いなりしゃ石清水社いわしみずしゃ狩尾社かりおしゃ高良社たかながしゃなどという多くの神殿をめぐりつゝ駐屯していたので、宮本坊から如法経塚にょほうきょうずかさゝやばしから景清塚かげきよずか絹屋敷きぬやしきから御旅所おたびじょ放生川ほうじょうがわのあたりまでも兵、兵、兵、みな兵であった。
 正儀は、紀家きのけの庭で、直義入道とむかいあって牀几しょうぎにかけた。
 武装いかめしい諸将が、直義の両わきと背後に居並んでいた。それらの諸将の眼が一斉に、はっと光った。と、いうのは──
 直義入道の近豎きんじゅが運んだ茶を、正儀は、受けとったが飲まずにそれを、地べたへこぼし捨てゝしまったからである。
「や、楠どの!」
 と、直義入道が顔色をさっと動かしつゝ云った。
「はゝゝ、こぼしてしまえば、頂いたも同様、お茶碗がからになる」
 正儀は、そう答えた。
「やあ、なことを──」
「いや、ちょうど、斬って捨てれば、その死人には口がなくなるようなものでござる」
「えゝっ」
 直義入道は、こっぴどく、闇討ちの失敗をてこすられた。
「禅門」
 と、正儀は、ぴりゝっとからく薄らんで、
「お茶のことよりも、肝腎かんじんな師直がことについて、お耳を拝借いたしたい」
 そう云うなり、すっくと牀几から起って、直義入道へ近寄ったので、
(あっ!)
 入道も、諸将も愕ぜんとなった。
(斬られる!)
 だが、正儀はむろん、腰の伯耆安綱ほうきやすつなに血ぬりなどはしなかった。

一〇
 武庫むこ川べりの若草は、しめやかに降りだした春雨はるさめにぬれていた。
 朝の天気が、あまりにも晴れがましすぎたせいであろう、近畿きんき一帯がぐんぐんとぬくもって、ひるごろから花曇りとなり、午後の時間が経つにつれて曇りが雲に変わって、ついに糠雨ぬかあめを降らせたのであった。
「こう暖かで、おまけに雨では、すぐ満開でござりましょうな」
 そう云って、長尾彦太郎が、つぼみの桜の梢をあおぎ見た。
「彦太っ、暢気のんきなこと申すなっ!」
 と、上杉顕能あきよしが、まっ蒼い顔でどなった。
「は!」
 暢気のんきどころか、自分でもたまらないほど緊張しすぎた気持を、なんとか少しまぎらすために、そんなことを云った長尾彦太郎だった。彦太郎は、大身槍おゝみのやり石突いしづきを地面へ、ぐいっと突いた。
「まだか、見て参れっ」
 そう云いつかった長尾は、門の外へ走って行った。鷲林寺しゅうりんじの門前をよぎる街道には、西にし左衛門四郎、小林掃部助かもんのすけ、高山房次郎、佐々さっさ宇六郎左、小柴こしば新左などの家中屈指くっしの勇士らが、川向うの西宮にしのみやの方を見つめながら、話し合っていた。
「おゝい、まだか?」
「まだまだ」
「長尾。いまも話していたことだが、およそ今日ぐらい、とんとん拍子びょうしに事が運ぶということはめずらしかろうぞよ。な。考えても見い、一しゃ千里というやつは、たしかにこのことよ」
 そう、西左衛門四郎が云うと、小柴新左も、
「西の申すとおりだ。のう長尾。男山から、湊川まで、ざっと二十里を、命鶴丸はわずか五刻の短時間でせくだった。乗手のりてよりも馬だが、吉良きら、渋川の両殿も、やはり六こく以内で我々の松原陣へお着きなされた。たばかられたとは露知らぬ高兄弟め、命鶴丸がもってきた助命の報せで、ほっとよみがえったおもいで早速、広厳寺こうごんじへ行って、殊勝しゅしょうらしく出家して師直入道道常どうじょう、師泰入道道勝どうしょうてなことになってよ、のこのここゝへ我々に首を渡しに参るのだ。な、まるでうそのような事実じゃ」
 と、云った。
「だが、殿はもう待ちくたびれておわすぞ」
 長尾彦太郎はそう云って、かわいた唇をうるおしてから、
「早く来てくれぬことには、拙者などもこんがつきそうだ」
「彦太郎、そんなにあせっては、仕損じるぞ。殿におかせられては父君の仇、我々にとっては主君のかたきだ。たゞの一人とて討ち洩らしてはならんのだ」
「いうにゃ及ぶっ」
 と、長尾が叫んだ。佐々宇六郎左が、
「落ちつけ、落ちつけ。──わしは今、ふいっと考えたのだが、あの広厳寺こうごんじという寺は、どうも不思議な寺だのう」
 と、云った。高山房次郎が、
「不思議とは、なぜ?」
 と、くと、
「妙ではないか。延元元年の湊川合戦に、楠正成、正季が刺し違えて果てられたのはあの寺の無為庵むいあんだ。現に今、墓もある。それが今日、その無為庵で師直、師泰兄弟ががらにもなく出家した。──正成、正季は、あの寺の開山の禅師、楚俊老師そしゅんろうし生死交謝せいしこうしゃの時とやらの問答をして、それから最後の戦場にのぞまれたという話だが、きょう師直、師泰を得度とくどさせた導師は、今云った楚俊禅師ぜんじのお弟子で、禅師がくなられた後の住職になおった楚胤そいんとかいう和尚なそうだ。な、これがたゞの剃髪ならまだしも、鶴見松原からこゝへ我々が先廻りをして、こう待伏せているのだから、もうじきに首が胴から、ふっとぶのじゃ。な、広厳寺という寺は、まったく──」
「来たっ!」
 長尾彦太郎の叫びごえで、むろん佐々の言葉は中断された。
「見えたっ!」
「それっ!」
 上杉顕能家の勇士らは、ばらばらっと、逆戻りに背後の鷲林寺しゅうりんじ門内へ駆け入った。
 武庫川むこがわの堤に、将軍尊氏と世嗣せいし義詮とが、命鶴丸その他の側近を先駆として現われたのである。
 尊氏は、命鶴丸の復命によって、直義入道が、降参ならばという和睦わぼくと、高兄弟の助命とをゆるしたことを知ったので、男山から提出された条件どおりに、師直、師泰を出家させ、一族重臣以外従者をともなわせぬことにし、なお「尊氏、義詮──高一族の中間には、畠山国清の兵を差し挾むべし」という条件をも、忠実に履行りこうして道中することに決めて、湊川城を出たのであった。行く先は、いうまでもなく男山の直義の本陣なのである。そして今、武庫川橋を渡るのだった。
 長尾彦太郎が、
「わが殿っ! すでに将軍おん父子が、川を渡られますぞっ」
 と、よばわった。
「む。者ども用意っ!」
 若き上杉顕能は、叫んだ。
 鷲林寺内、五百の上杉兵は、武器をつかんで、つばを呑んだ。

一一
 湊川みなとがわから武庫川むこがわまで、街道の両側には、百騎二百騎、五百の徒歩かち、三百の徒歩というあんばいに警戒兵が、ほとんど隙間すきまなしに堵列とれつしていたゞけで、何事も起らなかったので、師直は、城と自分の兵とを後ろに棄てたときのはげしい不安も、どうやら幾ぶんは薄らいだ感じで、武庫川の橋を渡った。
 禅衣ぜんいが、師直。念仏衣ねんぶついが、師泰。
 なしごろもに、ざやだけ。
 そぼふる春雨のなかを、蓮葉笠はすのはがさに顔をかくして、傷の痛みをこらえながら、馬の背に悄然と身をおいた哀れさ──。
 いわゆる修羅が、帝釈たいしゃくに負けて、藕花ぐうかの穴にを隠したという、梵天竺ぼんてんじくの伝説も想い出されるような、そのみじめさ。──盛衰の交替は、世の中の常にはちがいないけれども、つい去年までは、天下の実際の覇者として、ごうぜんと諸大名を睥睨へいげいし、やりたいふしは、仕放題ほうだい──無理が槍でも押通した暴慢、暴虐、乱倫らんりん淫縦いんじゅう──不逞、不臣、不義、不敬と、ありとあらゆるあくを犯してもなお飽きたらずに、すこし気に喰わぬとなると、誰れ彼れの見さかいなく、たきゞを背負って焼野を通らせるような目に会わせた師直だったのである。
 橋を渡って、鷲林寺の門前をとおり過ぎた時、
(あっ!)
 おぼえず口のなかで叫んだのは「魂魄こんぱくこの世にとゞまって──」と、断末魔にうめのろった好専こうせん僧都の声が、耳の奥にひゞいたからであった。
 これはひっきょう虫の知らせだったろう。師直は、血みどろな僧都が、斬り落された片足をつかんで、生きながらの幽霊のように一本足で、すうっと起ちあがった物凄い幻影を、今、ありありと見たのである。
 さすがの師直も、ぞっとなって、鞍つぼで身をすくめた、その刹那せつな──
あっ!」
 と、背後の方で、絶叫が起った。
(やあ!)血腥ちなまぐさい幻影に後頂うしろを見せてふりかえると、師直の視神経の網の膜には、いまの場合、もっとも凶なる運命として、あるいは来はせぬかと心の底で疑惧ぎぐされていたことが、そっくりそのまゝ現実となって映写されたではないか!
「師泰っ!」
 と、かみなりにでも打たれたように、師直がわめいた。
 だが、わめかれた師泰新入道道勝どうしょうは、血煙りのなかで、大刃おゝばやりに、胛骨かたぼねの下から乳の上に突き徹されていた。師直は喚いた瞬間に、おびたゞしいやりと、薙刀なぎなたと、長巻ながまきと、武者と、怒号とを、見、かつ聞いた。
 寺の門内から、敵が溢れだして、街道を埋める、とそう感じたのと、師泰の落馬を眼で見たのとは、同時だった。
「やあ、ござんなれ高師直、師泰っ、汝らがため非業ひごうに死せる伊豆守重能しげよしが嫡男、上杉顕能あきよしこゝにあり。父のかたき、家のあだ、ふかき恨みをかえすは今ぞっ!」
「上杉家の臣、三浦八郎右衛門──」
「吉江小四郎──」
佐々さっさ宇六郎左──」
「長尾彦太郎──」
 上杉の主従は大音に、名告なのりをあげた。
「ちえゝ上杉かっ!」
 師直は、とっさに自分の躰が、負傷のために思うように動かぬことゝ、心もおこらぬ出家をして、裳無もなしごろもの禅衣を着たのみか、一尺にも足りぬ提鞘さげざや一本のほか、身に寸鉄を帯びなかったおろかさとを感じた。
(遁れ得るだけ……)
 と、そう思ったとき、
 鬨の声! それは、前駆の畠山兵の伍列ごれつから起ったのである。

一二
(進退、両難!)
 前の畠山には、直宗の怨恨えんこん、うしろの上杉には、重能の呪咀じゅそがあった。
(もうこうなっては、よしんばこの師直、犬のように両手をついて、地べたへひたいをすりつけて詫びようとも、ゆるすまい! だが、死にたくない。師直の生命は、ここで消えていゝほど、安価なはずがない)
 しかしながら、思案の餘裕よゆうもまた、あろう筈がなかった。
 一ばん躰の不自由な、からくも馬にまたがっていた師泰をめがけて、一番槍をつけた吉江小四郎は、たゞひと突きに突き落して、あとは郎従まかせに、自分は土佐守師秋もろあきへむかったし、長尾彦太郎は、五郎丸師夏もろなつへ、長尾三郎左は、鹿目しかめ平次左衛門へ、西左衛門四郎は、樫村儀左へ、高山房次郎は、富永とみなが孫四郎へ、小林掃部助かもんのすけは、彦部七次郎へ、おなじく又次郎は、山口入道へ、小田左衛門五郎は、武蔵将監師世しょうげんもろよへ、井野弥次郎は、高備前こうのびぜんへ、小柴新左は、師兼もろかねへ、三浦八郎右衛門は、家城いえしろ源八郎師之へ──あるいは刀で、あるいはやりで、斬ってかゝり、突いてかゝった。
(一尺の提鞘さげざやでは闘えない!)
 と、師直はそう思いつゝ、馬から辷りおりて、
「大六っ、刀をかせ!」
 と、叫んだ。
 益子ましこ弾正へは距離があった。もはや梶原大六から長剣なががたなをかりるほかなかった。
 大六兵衛は、自分が困るとおもったけれども、仕方がないから長剣は、主君へ渡して、短い方を抜こうとしたとき、上杉の郎従の一人が突込んできた槍の穂先で、太腿ふともゝを縫われた。
応報むくいだ!)
 と、感じながらも槍の柄をたぐって、短か刀で敵の顔を突いたが、きっさきの伸びが足りなかったか、血は見えたけれど敵はひるまず、腰刀を横に払って肩をなぐった。鎧を着ていない悲しさに大六兵衛は、したゝかに斬られて、
たゝりだっ!」
 と、叫んだ。そのとき、べつな槍先やりさきが、両側と背後の三方から閃めいて、十文字にたすきまでかけて大六の躰を突徹つゝとおした。
「ぎあーっ、僧都のたゝり……」
 そうわめきつゝ、大六はこの世に別れを告げた。
 益子弾正も、槍ぶすまに囲まれていた、気が狂ったように刀をりまわして、五六本のやりと両三人の人の生命とを、斬り落したが、いつのまにか自分が、地面に倒れていて、死んでゆくのを夢のように意識するのだった。
 師直は、大切な右手がかなかった。
(手さえ自由なら、木っ葉武者の三十、五十……)
 と、がみをしたが、利かない手は利かなかった。刀を左に持ちかえて闘ってみたけれども、敵は多勢だし、やっと一人か二人を斬るうちに、自分の方が五六ヵ所も突かれたり、がれたりした。
 師直は、う、う、うっとたけりつゝ、右手で刀を持ちかえた。あたらしい傷の痛みが、ふるい傷の苦痛を忘れさせたからである。
「父上っ!」
 と、そう叫んだ愛子五郎丸の声がきこえた。
 師直は、狂った手負いじしのように、白刃の重囲を突破して、五郎丸の方へ走って行った。五郎丸師夏は、今年十五歳の若冠じゃっかんではあったが、もっとも勇猛に、土佐守師秋にも劣らず血の雨を、横なぐりにしぶかせつつ闘っていた。
「五郎丸っ、父は無事だぞっ!」
 師直の声が耳に入った。
 弱りかけた気が、しゃっきりとなった。五郎丸はすでに長尾彦太郎を斬り伏せ、長尾の郎従四五名をも斃したが、自分も深傷ふかで浅傷あさでもまぜて十数創をうけていた。
 土佐守師秋は、甲斐の逸見城で自尽じじんした師冬の庶兄あにで、師冬亡き高一門では、一ばんの剛雄だった。もし彼が、先日の激戦に負傷していなかったら、一方の血路をひらいて、師直父子をすくいつゝ、おのれものがれ得たかもしれなかった。だが、この師秋もまた、一族重臣の誰れ彼れと同じように、こゝで襲われた最初から、やはり一頭の手負ておじしだった。荒れ狂う力は強そうに見えても、かんじんな底力にけたところがあった。
やかたっ!」
 叫んだが、貧血のために、鐘をたゝき破るような例の音声が、もう出なかった。

一三
 高の一族重臣らは、いずれも頑強に抵抗ていこうした。けれども、彼等には全く郎従がなかった。武装がなかった。上杉方の闘士はみな、多数の郎党の掩護えんごと助太刀のもとに闘ったのだから、おそわれた方の全滅は、要するに時間の問題でしかなかった。
 最初に首を掻き切られたのは、師泰入道道勝どうしょう、つぎが師直の長子の師世、つぎが大六兵衛、つぎが益子ましこ弾正、それから次ぎ次ぎに斃れて、首になって、刀のきっさきや、槍の穂先ほさきに貫かれて、差し上げられた。そして、五郎丸師夏もついに討たれた。生母二条御前によくたその端麗な美貌も斃れるまでに耳をそがれ、鼻をかすられ、唇を裂かれ、おまけに眼球をさえ割られたので、かゝれたその首が、佐々宇六郎左のきっさき※(「月+咢」)あぎとから喉へ刺しつらぬかれて、高くかゝげられ、この鏖殺みなごろしの闘いを見物する形の畠山兵から、どっと歓呼の声々を浴びせられたときは、とても正面まともには見られぬくらいに、酸鼻さんびを極めていた。
 上杉の方でも、この五郎丸に、長尾彦太郎が討たれたし、三浦は師之に倒されたし、西左衛門四郎は樫村儀左の刃に斃れたし、吉江小四郎と高山房次郎は、師秋のために重傷をこうむった。多くの郎従が死傷した。
 しかし、もはや高のがわでは、首が胴体につながっているのは家城源八郎師之と、土佐守師秋と、それから師直──の三人きりであった。
 師直は、ひととあべこべに、一番はなが最も弱そうで、すぐにも斃されそうに見えたが、次第々々に強くなった。墨染すみぞめの禅衣が、どす赤く血にひたり、さんざんに切り破かれ、やがてはほとんど千裂ちぎれ落ち、下着の白衣は、まるで纐纈染こうけつぞめのようになっていたが、これも忽ちさかれて飛び散り、師直入道道常どうじょうはさながら裸体になってしまった。その魁偉かいいな肉体は、数十カ所の突ききず、斬り傷のために、血の池地獄にちたかのように血まみれだった。
 それでもなお倒れなかった。
「う、蛆虫うじむし、うじ虫めらっ!」
 と、師直は叫んだ。
 師秋と、師之とは、ついに斃れた。
 まるで針千本みたいな格こうに、あまたのやりで突き刺された、地べたへ縫いつけられてしまったのであった。
 両人の強剛は、首級くびを掻き切られた。
 だが、ひとり師直だけは、のこぎりのようになった刃を杖にして、立っていた。
 上杉勢は、もう傍へ寄らなかった。というのは打棄うっちゃっておいても斃れるにちがいなかったからである。師直の立っている場所は、街道から二百尺くらい離れた草原だった。そこは海に近い鳴尾なるおの原の一部で、広い原には潮風が、春の匂いをかぐわしくたゞよわせていた。だが、師直の足もとには、屍骸十二三も横たわり、重傷者が折り重ってうめき、血が、おびたゞしい血が、糠雨ぬかあめにぬれた若草を、赤く、むらさきに、或いはくろく染めて、血腥さい臭気が、汐の香を消すように渦巻きこめているのだった。
 遠巻きにしている兵は、
不死身ふじみなのか知ら?)
 と、思った。
 上杉顕能が、佐々宇六郎左に、
たおせ」
 と、云った。
「は」
 しかし、宇六郎左は躊躇ちゅうちょした。あまりの物凄さに、気おくれしたのであった。
 さっきから、もう大丈夫と思って、兵が近づくと、近づいた者はみんな斬られた。
 宇六郎左は、
生身なまみなら、もう生きていられるわけがない。と、すると、あれは師直でなくて、師直の亡霊かもしれぬ!)
 そう感じると、身ぶるいが出た。
「斃せっ!」
 と、顕能がどなった。
「は!」
 宇六郎左は進みかけたが、からだがすくんだ。
おくすなっ!」
 と顕能が叱咤した。
 だが、く※(わの四分角)っとだけた師直の両眼を見ると、宇六郎左の脚はたちまちえてしまった。
 師直は、
「虫けら奴っ、幾百でもたばで来いっ!」
 そう叫んだつもりだったが、声が出なかった。
(俺は、斃れんぞ! ちえゝ斃れるものか!)
 師直は、眼球を露出むきだしたまゝ、刀にすがって立っていた。が、もうすでに、目は見えなくなっていた。耳は、まるで深い水の底にもぐったように、烈しくがあっと鳴った。
 それでもなお彼は、執拗しつようにもどうしてのがれようかを考えた。彼は、いかにしても死ぬ気になれなかった。おどろくべき頑固さで生に執着しゅうじゃくした。じつに異常な力で、生命の潰滅かいめつに抵抗した。まったく不思議な気根きこんで、死と闘ったのだ。
(師直は死なんぞ!)
 視力の失われた目に、一条今出川の壮麗な屋形がみえた。
 二条御前の後ろ姿がみえた。
 敷妙の顔と、白い肌が見えた。
 四条畷から凱旋する行軍が見えた。
 吉野山が見えた。
 行宮あんぐう蔵王堂ざおうどうが炎上する※(「火+(陷-コザトヘン)」)ほのおがみえた。
 その※(「火+(陷-コザトヘン)」)が見えたとき、師直の息が絶えた。
 だが、命絶こときれてからも亡骸むくろは、三瞬か四瞬の間は、血潮のみなぎる草原に、やゝ夕暮れのせまってきた武庫川むこがわべり鳴尾の原に、刀を杖にしたまゝ立っていた。
──第二巻 終──





底本:昭和33年4月25日 東都書房刊『吉野朝太平記 第二巻』第一刷
入力日:平成19年4月12日
入力責任:WEBサイト「直木賞のすべて」
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●底本との表記の違い