Last Update●[H26]2014/11/1
主催 |
作家社 |
対象 |
全国の同人雑誌に発表された小説のうち、一年間を通じて最もすぐれたものに贈られる。 |
創設経緯 |
昭和39年/1964年創設。昭和32年/1957年より毎年行われていた「作家賞」(同人のみ対象)を発展させ、賞金を増額、対象を全国の同人誌に広げて始まった。 |
※平成3年/1991年、『作家』主宰の小谷剛死去に伴い、同誌終刊。それとともに作家賞も終了し、翌年より『季刊作家』の「小谷剛文学賞」へと受け継がれた。
昭和39年/1964年度
=[ 決定 ] 昭和40年/1965年1月9日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和40年/1965年3月号選評掲載
受賞 |
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「ヘンな椅子」 |
『小説と詩と評論』9号[昭和39年/1964年2月] |
候補 |
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「デーモンの子」 |
『路傍』創刊号[昭和39年/1964年3月] |
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「その日を」 |
『作家』昭和39年/1964年11月号 |
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「証言拒否」 |
『東海文学』17号[昭和39年/1964年2月] |
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「萠木」 |
『ぼいす』18号[昭和39年/1964年-月] |
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「凍土抄」 |
『円卓』昭和39年/1964年3月号 |
秋山 勝 |
「雪に埋もれた残像」 |
『層』20号[昭和39年/1964年12月] |
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「神話の終りに」 |
『作家』昭和39年/1964年12月号 |
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「無邪気な兇器」 |
『犀』創刊号[昭和39年/1964年11月] |
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「竪穴十六号」 |
『冬涛』21号[昭和39年/1964年4月] |
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「狂詩人」 |
『小説と詩と評論』10号[昭和39年/1964年5月] |
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「崖」 |
『クライテリオン』7号[昭和39年/1964年6月] |
最終候補作12篇 |
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賞金10万円+賞品 |
選考委員 |
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選考会●昭和40年/1965年1月9日 [会場]名古屋「王山荘」 |
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昭和40年/1965年度
=[ 決定 ] 昭和41年/1966年1月8日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和41年/1966年3月号選評掲載
|
受賞作なし |
候補 |
国木田阿紀 |
「魔のはざま」 |
『自我』4号[昭和40年/1965年4月] |
芳川幸造 |
「奇妙な合金」 |
『新日本文学』昭和40年/1965年10月号 |
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「阿修羅王」 |
『作家』昭和40年/1965年7月号 |
東築史樹 |
「不確定の原理」 |
『文芸首都』昭和40年/1965年12月号 |
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「虫係一件」 |
『小説と詩と評論』18号[昭和40年/1965年3月] |
最終候補作5篇 |
予選通過作12篇 |
予選候補 |
小野 京 |
「その時」 |
『文芸首都』昭和40年/1965年7月号 |
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「日高おろし」 |
『札幌文学』35号[昭和40年/1965年6月] |
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「第百五十六兵站病院」 |
『午前』15号[昭和40年/1965年10月] |
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「冬の訪れ」 |
『円卓』昭和40年/1965年11月号 |
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「朝の亡骸」 |
『文学・現代』11号[昭和40年/1965年8月] |
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「病む女」 |
『ぼいす』19号[昭和40年/1965年7月] |
辻 史郎 |
「竹槍」 |
『小説家』1号[昭和40年/1965年10月] |
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選考委員 |
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選考会●昭和41年/1966年1月8日 [会場]名古屋「河芳」 |
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昭和41年/1966年度
=[ 決定 ] 昭和42年/1967年1月8日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和42年/1967年3月号選評掲載
受賞 |
【】 |
「瘋癲」 |
『関西文学』昭和41年/1966年1月号 |
候補 |
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「墓地の眼め」 |
『宴』昭和41年/1966年4月号 |
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「島との関係」 |
『文芸首都』昭和41年/1966年6月号 |
堀江孝雄 |
「海が………」 |
『ふらぁぼ』8号[昭和41年/1966年11月] |
|
「寓話」 |
『ゴム』6号[昭和41年/1966年8月] |
|
「医師会長日記」 |
『城砦』20号[昭和41年/1966年5月] |
|
「原爆人形」 |
『東海文学』25号[昭和41年/1966年2月] |
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「滲血」 |
『原点』3号[昭和40年/1965年12月] |
最終候補作8篇 |
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賞金10万円+賞品 |
選考委員 |
|
選考会●昭和42年/1967年1月8日 [会場]名古屋 |
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昭和42年/1967年度
=[ 決定 ] 昭和43年/1968年1月6日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和43年/1968年3月号選評掲載
受賞 |
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「風のある日に」 |
『作家』昭和42年/1967年10月号 |
候補 |
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「埋葬」 |
『三田文学』昭和42年/1967年2月号 |
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「帰り来る者」 |
『三田文学』昭和42年/1967年4月号 |
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「家政婦福島すゞのの場合」 |
『イデイン』創刊号[昭和42年/1967年3月] |
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「贖罪行」 |
『詩と真実』昭和42年/1967年11月号 |
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「反芻骨」 |
『作家』昭和42年/1967年6月号 |
岡田 晃 |
「上りの汽車は下りホームに着くけれど」 |
『蟻』8号[昭和42年/1967年3月] |
戸美あき |
「土手の下の家」 |
『紅炉』12号[昭和42年/1967年8月] |
笹本 淀 |
「私のシャンソン」 |
『文芸首都』昭和42年/1967年3月号 |
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「犠牲」 |
『文芸首都』昭和42年/1967年12月号 |
最終候補作10篇 |
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賞金10万円+記念品 |
選考委員 |
|
選考会●昭和43年/1968年1月6日 [会場]名古屋 |
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昭和43年/1968年度
=[ 決定 ] 昭和44年/1969年1月11日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和44年/1969年3月号選評掲載
|
受賞作なし |
次席 |
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「乾坤独算民」 |
『小説と詩と評論』62号[昭和43年/1968年11月] |
次席 |
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「日本語について」 |
『文芸首都』昭和43年/1968年9月号 |
候補 |
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「伊吹に雪が」 |
『作家』昭和43年/1968年7月号 |
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「輝きの日に」 |
『文学者』昭和43年/1968年11月号 |
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「林檎」 |
『三田文学』昭和43年/1968年4月号 |
槙 昭三 |
「島」 |
『野田文学』10号[昭和43年/1968年9月] |
最終候補作6篇 |
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次席:賞金5万円ずつ |
選考委員 |
|
選考会●昭和44年/1969年1月11日 [会場]名古屋「さくら旅館」 |
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昭和44年/1969年度
=[ 決定 ] 昭和45年/1970年1月
=[ 媒体 ] 『作家』昭和45年/1970年3月号選評掲載
受賞 |
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「金色の大きい魚」 |
『作家』昭和44年/1969年12月号 |
候補 |
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「犬」 |
『宴』38号[昭和44年/1969年6月] |
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「消霧燈」 |
『文学者』昭和44年/1969年9月号 |
佐藤和子 |
「逝く母」 |
『文学者』昭和44年/1969年12月号 |
井口元二 |
「ルリ子ひとり旅」 |
『文学造型』20号[昭和44年/1969年11月] |
|
「爬う」 |
『仙台文学』14号[昭和44年/1969年5月] |
最終候補作6篇 |
|
|
昭和45年/1970年度
=[ 決定 ] 昭和46年/1971年1月9日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和46年/1971年3月号選評掲載
|
受賞作なし |
次席 |
|
「墓泥棒」 |
『関西文学』昭和45年/1970年9月号 |
次席 |
御遠 肇 |
「夜明けの鳥の声」 |
『三田文学』昭和45年/1970年6月号 |
次席 |
|
「玩具の音」 |
『作家』昭和45年/1970年10月号 |
候補 |
木田誠一 |
「生きることを罷めたくない男の話」 |
『天理文芸』20号[昭和45年/1970年1月] |
|
「新島」 |
『文学者』昭和45年/1970年12月号 |
|
「黒い夏」 |
『小説と詩と評論』85号[昭和45年/1970年11月] |
最終候補作6篇 |
|
次席:賞金3万3300円ずつ |
選考委員 |
|
選考会●昭和46年/1971年1月9日 [会場]名古屋「名鉄グランドホテル」 |
|
昭和46年/1971年度
=[ 決定 ] 昭和47年/1972年1月8日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和47年/1972年3月号選評掲載
|
受賞作なし |
候補 |
|
「黄色い外套」 |
『福島文学』3号[昭和46年/1971年10月] |
金城登紀子 |
「啓蟄」 |
『散文芸術』4号[昭和46年/1971年3月] |
|
「夏の翳り」 |
『橋』20号[昭和46年/1971年7月] |
|
「踊る光」 |
『独楽』6号[昭和46年/1971年3月] |
|
「唖の声」 |
『原点』17号[昭和46年/1971年8月] |
|
「侵蝕」 |
『ドン』15号[昭和46年/1971年7月] |
最終候補作6篇 |
|
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昭和47年/1972年度
=[ 決定 ] 昭和48年/1973年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和48年/1973年3月号選評掲載
受賞 |
|
「鳥を売る」 |
『三田文学』昭和47年/1972年11月号 |
候補 |
|
「長く乾いた空」 |
『文芸秋田』20号[昭和47年/1972年5月] |
|
「未完の旅」 |
『小説と詩と評論』109号[昭和47年/1972年11月] |
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「ともに帰るもの」 |
『三田文学』昭和47年/1972年2月号 |
米谷実之助 |
「朝・夕」 |
『茫』4号[昭和47年/1972年6月] |
|
「遺る罪は在らじと」 |
『文学者』昭和47年/1972年7月号 |
最終候補作6篇 |
|
|
昭和48年/1973年度
=[ 決定 ] 昭和49年/1974年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和49年/1974年3月号選評掲載
受賞 |
楠見千鶴子 |
「無花果よ私を貫け」 |
『文学者』昭和48年/1973年9月号 |
受賞 |
|
「赤い電車が見える家」 |
『作家』昭和48年/1973年6月号 |
候補 |
|
「耳栓」 |
『小説家』10号[昭和48年/1973年2月] |
江羅沓二 |
「晴れた日の壁の外」 |
『風群』16号[昭和47年/1972年12月] |
|
「メデューサの首」 |
『作家』昭和48年/1973年2月号 |
|
「黄色いテントのコミューン」 |
『文芸秋田』22号[昭和48年/1973年8月] |
山形敏男 |
「箱の中で」 |
『北方文芸』昭和48年/1973年5月号 |
谷原幸子 |
「やさしい声」 |
『鈍』6号[昭和48年/1973年10月] |
|
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昭和49年/1974年度
=[ 決定 ] 昭和50年/1975年1月4日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和50年/1975年3月号選評掲載
受賞 |
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「雀」 |
『作家』昭和49年/1974年4月号 |
候補 |
|
「団地の中で」 |
『詩と真実』昭和49年/1974年1月号 |
藤井泰輔 |
「首」 |
『文学地帯』43号[昭和49年/1974年5月] |
日方ヒロ子 |
「なめくじは鈍色の軌跡」 |
『氾』1号[昭和49年/1974年-月] |
森 志斐子 |
「草色の仮説」 |
『小説と詩と評論』131号[昭和49年/1974年9月] |
峰村雅夫 |
「菊次」 |
『新誌』27号[昭和49年/1974年2月] |
金山嘉城 |
「裕福な反逆者たち」 |
『裸人』創刊号[昭和49年/1974年11月] |
辻田 新 |
「バラボラアンテナ」 |
『日本きゃらばん』28号[昭和49年/1974年9月] |
|
「巣立ち」 |
『作家』昭和49年/1974年7月号 |
|
「鴉」 |
『三田文学』昭和49年/1974年12月号 |
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賞金10万円+記念品 |
選考委員 |
|
選考会●昭和50年/1975年1月4日 [会場]名古屋 |
|
昭和50年/1975年度
=[ 決定 ] 昭和51年/1976年1月4日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和51年/1976年3月号選評掲載
|
受賞作なし |
候補 |
日下典子 |
「憑依(つきもの)」 |
『小説と詩と評論』144号[昭和50年/1975年10月] |
|
「竜の風船」 |
『詩と真実』昭和50年/1975年5月号 |
|
「溯る群れ」 |
『逆行』3号[昭和50年/1975年-月] |
松山春雄 |
「じいさんばあさん」 |
『作家』昭和50年/1975年2月号 |
仰木隆史 |
「ルージュと銃弾」 |
『風群』21号[昭和50年/1975年9月] |
山本直哉 |
「復活祭」 |
『黒馬』4号[昭和50年/1975年4月] |
|
「パンとサーカス」 |
『関西文学』昭和50年/1975年10月号 |
|
「遁走」 |
『日本きゃらばん』30号[昭和50年/1975年6月] |
|
選考委員 |
|
選考会●昭和51年/1976年1月4日 [会場]名古屋 |
|
昭和51年/1976年度
=[ 決定 ] 昭和52年/1977年1月8日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和52年/1977年3月号選評掲載
受賞 |
|
「ウェイトレス」 |
『作家』昭和51年/1976年7月号 |
候補 |
|
「天魚」 |
『散文芸術』20号[昭和51年/1976年8月] |
|
「冬日向」 |
『関西文学』昭和51年/1976年4月号 |
|
「花壇ができる迄」 |
『文芸秋田』25号[昭和51年/1976年5月] |
|
「上端の家八朔の変」 |
『小説と詩と評論』149号[昭和51年/1976年4月] |
村田隆一 |
「さよならの夏」 |
『滋賀作家』12号[昭和51年/1976年6月] |
最終候補作6篇 |
|
賞金10万円+記念品 |
選考委員 |
|
選考会●昭和52年/1977年1月8日 [会場]名古屋「名鉄グランドホテル」 |
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昭和52年/1977年度
=[ 決定 ] 昭和53年/1978年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和53年/1978年3月号選評掲載
受賞 |
水田敏彦 |
「血の花」 |
『作家』昭和52年/1977年9月号~11月号 |
候補 |
|
「野の底流」 |
『層』47号[昭和52年/1977年5月] |
|
「水の中の涙」 |
『小説家』25号[昭和52年/1977年10月] |
|
「宗印寺物語」 |
『双鷲』7号[昭和52年/1977年5月] |
阿久津哲明 |
「ミヤコタナゴ」 |
『落葉樹』15号[昭和52年/1977年6月] |
|
「印野胎内洞窟への道」 |
『邑』昭和52年/1977年6月号 |
|
「お母さまは人力車に乗って」 |
『北方文芸』昭和52年/1977年1月号 |
|
「壜の中の鼠の踊り」 |
『小説と詩と評論』158号[昭和52年/1977年1月] |
|
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昭和53年/1978年度
=[ 決定 ] 昭和54年/1979年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和54年/1979年3月号選評掲載
受賞 |
|
「犬」 |
『作家』昭和53年/1978年1月号 |
候補 |
|
「寡黙」 |
『小説家』29号[昭和53年/1978年10月] |
|
「A市寺町裏」 |
『文芸秋田』27号[昭和53年/1978年8月] |
中尾哲也 |
「龍馬の写真」 |
『鳥語』8号[昭和53年/1978年8月] |
|
「彦太ガ山」 |
『小説と詩と評論』171号[昭和53年/1978年3月] |
|
「少女暴行」 |
『碑』32号[昭和53年/1978年11月] |
|
「耳の中の虫の音」 |
『北方文芸』昭和53年/1978年4月号 |
|
|
昭和54年/1979年度
=[ 決定 ] 昭和55年/1980年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和55年/1980年3月号選評掲載
受賞 |
|
「もう一つの朝」 |
『北方文芸』昭和54年/1979年3月号 |
候補 |
村上玄一 |
「眠い子守唄」 |
『公園』6号[昭和54年/1979年8月] |
|
「南半球大陸横断道路」 |
『東海文学』72号[昭和54年/1979年9月] |
|
「喪われしものたちの歌」 |
『散文芸術』27号[昭和53年/1978年12月] |
|
「悲しい緑」 |
『文宴』49号[昭和54年/1979年10月] |
|
「大人の絵本」 |
『碑』34号[昭和54年/1979年11月] |
関 幸寿 |
「橋のむこう」 |
『船首像』1号[昭和53年/1978年11月] |
|
「ある同行」 |
『柳絮』11号[昭和54年/1979年2月] |
|
|
昭和55年/1980年度
=[ 決定 ] 昭和56年/1981年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和56年/1981年3月号選評掲載
受賞 |
|
「失語」 |
『作家』昭和55年/1980年5月号 |
候補 |
小杉明枝 |
「失われた顔」 |
『小説家』37号[昭和55年/1980年11月] |
湊 久雄 |
「桃という名の恋人」 |
『獣神』4号[昭和55年/1980年6月] |
白石路子 |
「私の休日」 |
『散文芸術』30号[昭和54年/1979年12月] |
丸矢 並 |
「二十日鼠」 |
『宴』3号[昭和55年/1980年8月] |
金城正明 |
「金歯と信管」 |
『関西文学』昭和55年/1980年12月号 |
新山美和 |
「零れ萩」 |
『文学造型』31号[昭和55年/1980年3月] |
|
「花ばたけは春」 |
『公園』7号[昭和54年/1979年12月] |
|
|
昭和56年/1981年度
=[ 決定 ] 昭和57年/1982年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和57年/1982年3月号選評掲載
受賞 |
笠原藤代 |
「色のない街」 |
『奇蹟』6号[昭和56年/1981年10月] |
受賞 |
田中耕作 |
「ブバリヤの花」 |
『作家』昭和56年/1981年7月号~11月号 |
候補 |
萱 淳平 |
「夜のはずれ」 |
『文学横浜』4号[昭和56年/1981年8月] |
|
「雑音に混って」 |
『小説家』39号[昭和56年/1981年5月] |
|
「珊瑚の簪」 |
『柳絮』20号[昭和56年/1981年7月] |
出雲あき |
「遠い日曜日」 |
『まくた』昭和56年/1981年11月号 |
|
「寒い部屋」 |
『作家』昭和56年/1981年5月号 |
|
「銃声」 |
『北方文芸』昭和56年/1981年9月号 |
|
「鳩」 |
『双鷲』16号[昭和56年/1981年11月] |
|
|
昭和57年/1982年度
=[ 決定 ] 昭和58年/1983年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和58年/1983年3月号選評掲載
受賞 |
小野美和子 【】 |
「ガラスペンと白文鳥と」 |
『作家』昭和57年/1982年5月号 |
候補 |
水村民江 |
「木馬型の凹み」 |
『小説家』44号[昭和57年/1982年8月] |
|
「青春のインクブルー」 |
『北方文芸』昭和57年/1982年12月号 |
小林達生 |
「岐れ道」 |
『残光』3号[昭和57年/1982年-月] |
|
「薔薇の跫音」 |
『原点』38号[昭和57年/1982年11月] |
加地勝美 |
「マリたちの墓」 |
『まくた』昭和57年/1982年6月号 |
|
|
昭和58年/1983年度
=[ 決定 ] 昭和59年/1984年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和59年/1984年3月号選評掲載
受賞 |
宮井千津子 |
「天窓のある部屋」 |
『作家』昭和58年/1983年11月号 |
佳作 |
深井 了 |
「虫たちの出てくる日」 |
『渤海』14号[昭和58年/1983年5月] |
佳作 |
森中博子 |
「写真」 |
『蜂』昭和58年/1983年1月号 |
候補 |
|
「砂塵」 |
『小説家』49号[昭和58年/1983年11月] |
栗田桂子 |
「優しい声のポピュラーソング」 |
『北方文芸』昭和58年/1983年10月号 |
中山礼子 |
「歪んだ眼」 |
『まくた』昭和58年/1983年9月号 |
菴とき子 |
「逃げる白い花」 |
『作家』昭和58年/1983年6月号 |
|
「飴ん棒」 |
『キャラバン』1号[昭和58年/1983年5月] |
|
|
昭和59年/1984年度
=[ 決定 ] 昭和60年/1985年1月5日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和60年/1985年3月号選評掲載
受賞 |
|
「曇る時」 |
『双鷲』22号[昭和59年/1984年11月] |
候補 |
いしいあいこ |
「山のホテル」 |
『まくた』昭和59年/1984年9月号 |
|
「岩壁の波」 |
『碑』41号[昭和59年/1984年4月] |
|
「贋マリア伝」 |
『作家』昭和59年/1984年9月号 |
|
「明治堂新聞店」 |
『ひのき』19号[昭和59年/1984年-月] |
野呂享史 |
「金木犀」 |
『芹』創刊号[昭和59年/1984年-月] |
|
「鬼燈」 |
『北方文芸』昭和59年/1984年7月号 |
|
「草のほとり」 |
『渡河』2号[昭和59年/1984年-月] |
|
賞金10万円+記念品 |
選考委員 |
|
選考会●昭和60年/1985年1月5日14:00~ [会場]名古屋「名鉄グランドホテル」 |
|
昭和60年/1985年度
=[ 決定 ] 昭和61年/1986年1月4日
=[ 媒体 ] 『作家』昭和61年/1986年3月号選評掲載
受賞 |
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「ドアの隙間」 |
『こみゅにてぃ』10号[昭和60年/1985年-月] |
受賞 |
本多美智子 |
「落し穴」 |
『作家』昭和60年/1985年12月号 |
候補 |
岡田安里 |
「十八歳のパチンカー」 |
『婦人文芸』53号[昭和59年/1984年11月] |
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「梨香」 |
『北方文芸』昭和60年/1985年11月号 |
島内裕子 |
「日々の泡」 |
『とぽす』創刊号[昭和59年/1984年12月] |
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「創る」 |
『層』62号[昭和60年/1985年6月] |
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「石を拾う」 |
『小説家』56号[昭和60年/1985年8月] |
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賞金10万円+記念品 |
選考委員 |
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選考会●昭和61年/1986年1月4日14:00~ |
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昭和61年/1986年度
=[ 決定 ] 昭和62年/1987年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和62年/1987年3月号選評掲載
受賞 |
横谷芳枝 |
「かんかん虫」 |
『晨』13号[昭和61年/1986年-月] |
候補 |
海野青二郎 |
「光る衣」 |
『層』63号[昭和60年/1985年12月] |
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「やどかり讃歌」 |
『北方文芸』昭和61年/1986年5月号 |
小池 進 |
「水の中」 |
『北方文芸』昭和61年/1986年4月号 |
森 栄枝 |
「かけ出し電車」 |
『ひのき』27号[昭和61年/1986年-月] |
柳 光昭 |
「あめりか橋」 |
『作家』昭和61年/1986年12月号 |
由布州子 |
「死を抱く」 |
『とろっこ』19号[昭和61年/1986年-月] |
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「コップを鳴らす女」 |
『小説家』58号[昭和61年/1986年-月] |
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昭和62年/1987年度
=[ 決定 ] 昭和63年/1988年
=[ 媒体 ] 『作家』昭和63年/1988年3月号選評掲載
受賞 |
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「凍港へ」 |
『作家』昭和62年/1987年6月号 |
候補 |
篠島 周 |
「海竜館2号室」 |
『麦』46号[昭和62年/1987年9月] |
田宮慧子 |
「同行二人」 |
『北方文芸』昭和62年/1987年5月号 |
楢 信子 |
「レイからの贈り物」 |
『双鷲』27号[昭和62年/1987年5月] |
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「狐火」 |
『くうかん』17号[昭和62年/1987年-月] |
平緒宣子 |
「菜種づゆ」 |
『まくた』昭和62年/1987年7月号 |
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「遠い目の時」 |
『群生』6号[昭和62年/1987年-月] |
南 柊一 |
「日傘」 |
『海』36号[昭和62年/1987年-月] |
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昭和63年/1988年度
=[ 決定 ] 平成1年/1989年
=[ 媒体 ] 『作家』平成1年/1989年3月号選評掲載
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受賞作なし |
候補 |
いぬゐじゅん |
「終りの雪」 |
『よんかい』89号[昭和63年/1988年-月] |
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「スペア・キー」 |
『峠』15号[昭和63年/1988年-月] |
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「プレパラートのきらめき」 |
『関西文学』昭和63年/1988年6月号 |
佐藤繁子 |
「病葉のように」 |
『こみゅにてぃ』23号[昭和63年/1988年-月] |
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「郊外の女」 |
『作家』昭和63年/1988年5月号 |
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「尾行」 |
『まくた』昭和63年/1988年6月号 |
渡辺実千恵 |
「堤防の見える窓」 |
『北方文芸』昭和63年/1988年3月号 |
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「毀つ」 |
『金沢文学』4号[昭和63年/1988年7月] |
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平成1年/1989年度
=[ 決定 ] 平成2年/1990年1月6日
=[ 媒体 ] 『作家』平成2年/1990年3月号選評掲載
受賞 |
戸田鎮子 |
「旅のウイーク」 |
『作家』平成1年/1989年4月号 |
候補 |
池田信雄 |
「影の刻」 |
『関西文学』平成1年/1989年7月号 |
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「クイックサンド」 |
『作家』平成1年/1989年11月号 |
岸田淳子 |
「有縁無縁」 |
『海牛』4号[平成1年/1989年9月] |
斎藤寿美子 |
「海へ」 |
『六期』8号[平成1年/1989年9月] |
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「砂の家族」 |
『詩と眞實』平成1年/1989年11月号 |
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「リンゴムシへ」 |
『西域』13号[平成1年/1989年3月] |
藤澤清典 |
「呆と呼ばれて」 |
『北方文藝』昭和63年/1988年12月号 |
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賞金10万円+記念品 |
選考委員 |
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選考会●平成2年/1990年1月6日 [会場]名古屋「栄東急イン」 |
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平成2年/1990年度
=[ 決定 ] 平成3年/1991年1月5日
=[ 媒体 ] 『作家』平成3年/1991年3月号選評掲載
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受賞作なし |
候補 |
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「鳥たちのように」 |
『作家』平成2年/1990年6月号 |
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「鬼の来た街」 |
『関西文学』平成2年/1990年11月号 |
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「春のコスモス」 |
『八尾文学』19号[平成2年/1990年-月] |
亀山恒子 |
「風の森」 |
『文芸復興』87号[平成2年/1990年7月] |
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「湯灌」 |
『北方文藝』平成2年/1990年7月号 |
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「雪片」 |
『こみゅにてぃ』33号[平成2年/1990年-月] |
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「まぼろし家族」 |
『カンテラ』平成2年/1990年2月号 |
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選考委員 |
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選考会●平成3年/1991年1月5日14:00~ [会場]名古屋「栄東急イン」 |
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