Last Update●[R6]2024/7/31
主催 |
財団法人(公益財団法人)日本文学振興会(第17回までは株式会社文藝春秋) |
対象 |
各年のすぐれたノンフィクション作品(ルポ、内幕もの〈インサイドストーリー〉、旅行記、戦記、伝記、日記、郷土史、ドキュメンタリー等)を表彰する
第48回~第49回は「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞」の第1回・第2回として開催。過去の受賞経験者も選考の対象となる
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創設発表 |
『文藝春秋』昭和44年/1969年11月号 |
- 第1回(昭和45年/1970年度)~第44回(平成25年/2013年度):応募原稿、または前年1月1日~前年12月31日に発表された作品
- 第45回(平成26年/2014年度)~第47回(平成28年/2016年度):
書籍部門=前年1月1日~12月31日に公表された書籍
雑誌部門=前年3月1日~当年2月末日に発行された雑誌(第45回のみ前年1月1日~当年2月末日に発行された雑誌。ウェブマガジンは除く)
- 第48回(平成29年/2017年度)~:書籍、雑誌記事、ウェブ記事とも、年間に発表された作品
昭和45年/1970年度
=[ 決定 ] 昭和45年/1970年3月23日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和45年/1970年5月号選評掲載
受賞 |
尾川正二 |
『極限のなかの人間 ――極楽鳥の島』 |
昭和44年/1969年5月・国際日本研究所刊、創文社発売 |
受賞辞退 |
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『苦海浄土 ――わが水俣病』 |
昭和44年/1969年1月・講談社刊 |
候補 |
成家順子 |
「私とベトナム戦争」 |
(応募原稿) |
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「実像・山本義隆と秋田明大」 |
『文藝春秋』昭和44年/1969年10月号 |
佐藤藤三郎 |
「私の東京見聞記」 |
『展望』昭和44年/1969年6月号 |
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「軍神」 |
『作家』昭和43年/1968年1月号~昭和44年/1969年12月号 |
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『公明党の素顔 ――この巨大な信者集団への疑問』 |
昭和44年/1969年5月・エール出版刊 |
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『死刑台への逃走』 |
昭和44年/1969年8月・立風書房刊 |
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『食生活を探検する』 |
昭和44年/1969年8月・文藝春秋刊 |
佐橋嘉彦 |
『解放戦線抑留記』 |
昭和44年/1969年11月・中日新聞出版局刊 |
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『三岸好太郎』 |
昭和44年/1969年3月・日動出版部刊 |
最終候補作11篇 |
予選通過作 |
予選候補 |
八木秌子 |
「砂と骸」 |
(応募原稿) |
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「暴動」 |
(応募原稿) |
沢木城 |
「伝説の人」 |
(応募原稿) |
山本真理子 |
「建碑」 |
(応募原稿) |
野口博司 |
「古都ユエに思う」 |
(応募原稿) |
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「東北と西南」 |
『熊本日日新聞』昭和44年/1969年-月 |
尾辻秀久 |
「ボッケモン世界駆けある記」 |
『南日本新聞』昭和44年/1969年-月 |
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「アメリカ通信」 |
『文学雑誌』昭和44年/1969年-月 |
丹羽小弥太 |
「ガン病棟からの脱出」 |
『文藝春秋』昭和44年/1969年12月号 |
朝日新聞社会部 |
「沖縄報告」 |
『朝日新聞』昭和44年/1969年-月 |
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「復帰不安におののく沖縄」 |
『文藝春秋』昭和44年/1969年10月号 |
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「ビアフラの独立戦争」 |
『アサヒグラフ』昭和44年/1969年10月3日号 |
小川三雄 |
『天皇の踏絵』 |
昭和44年/1969年8月・サンケイ新聞社刊 |
|
『生命の大陸 ――生と死の文学的考察』 |
昭和44年/1969年1月・三省堂/三省堂新書 |
林 景明 |
『知られざる台湾 ――台湾独立運動家の叫び』 |
昭和45年/1970年1月・三省堂/三省堂新書 |
|
『憤死 ――インパール作戦 痛恨の祭師団参謀長』 |
昭和44年/1969年8月・文藝春秋刊 |
渡辺 清 |
『海の城 ――海軍少年兵の手記』 |
昭和44年/1969年11月・朝日新聞社刊 |
才神時雄 |
『松山収容所 ――捕虜と日本人』 |
昭和44年/1969年7月・中央公論社/中公新書 |
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『天然記念物の動物たち』 |
昭和44年/1969年11月・月刊ペン社刊 |
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『芸人 その世界』 |
昭和44年/1969年4月・文藝春秋刊 |
|
『舌の世界史 ――ラーメンからキャビアまで』 |
昭和44年/1969年10月・毎日新聞社/Core books |
秋田明大 |
『獄中記 ――異常の日常化の中で』 |
昭和44年/1969年11月・全共社刊、ウニタ書舗発売 |
、 村木良彦、
|
『お前はただの現在にすぎない ――テレビになにが可能か』 |
昭和44年/1969年3月・田畑書店刊 |
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『私は河原乞食・考』 |
昭和44年/1969年9月・三一書房刊 |
芹川嘉久子 |
『モスクワの顔』 |
昭和44年/1969年4月・中央公論社刊 |
高橋基生 |
『御蔵島―西洋黒船漂着一件記1863年』 |
昭和44年/1969年6月・ノーベル書房刊 |
山口武秀 |
『わが青春を賭けたもの ――牢獄と戦争と抵抗』 |
昭和44年/1969年11月・三一書房刊 |
松浦行真 |
『激流百年 ――井伊直弼・岩倉具視・伊藤博文』 |
昭和44年/1969年1月・サンケイ新聞社出版局刊 |
|
『国立歳時記』 |
昭和44年/1969年10月・逃水亭書屋刊 |
|
『第二次世界大戦前夜 ――ヨーロッパ1939年』 |
昭和44年/1969年8月・岩波書店/岩波新書 |
石原重雄 |
『取材日記 国立劇場』 |
昭和44年/1969年1月・桜楓社刊 |
河崎一郎 |
『素顔の日本』 |
昭和44年/1969年5月・二見書房刊 |
|
『町の職人』 |
昭和44年/1969年11月・文藝春秋刊 |
前田俊彦 |
『瓢鰻亭通信』 |
昭和44年/1969年9月・土筆社刊 |
|
『アメリカにおける秋山真之 ――明治期日本人の一肖像』 |
昭和44年/1969年7月・朝日新聞社刊 |
山本義正 |
『父・山本五十六 ――その愛と死の記録』 |
昭和44年/1969年8月・光文社/カッパ・ブックス |
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『信濃のおんな』(上)(下) |
昭和44年/1969年5月、8月・未来社刊 |
新関岳雄 |
『光と影―ある阿部次郎伝』 |
昭和44年/1969年10月・三省堂/サンセイドウブックス |
小笠原久正 |
『若きヒトラー』 |
昭和44年/1969年11月・芳賀書店刊 |
鳥居 民 |
『毛沢東 五つの戦争 ――中国現代史論』 |
昭和45年/1970年1月・草思社刊 |
長谷川義記 |
『北一輝』 |
昭和44年/1969年9月・紀伊国屋書店/紀伊国屋新書 |
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『史説 山下奉文』 |
昭和44年/1969年5月・文藝春秋刊 |
久米 茂 |
『消えた新聞記者』 |
昭和43年/1968年10月・雪書房刊 |
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『野口英世 ――名声に生きぬいた生涯』 |
昭和44年/1969年1月・講談社/講談社現代新書 |
神崎 清 |
『革命伝説 ――大逆事件の人びと』(1)~(4) |
昭和43年/1968年9月~昭和44年/1969年12月・芳賀書店刊 |
小林恒三郎 |
『ロシヤ革命の渦中に生きる ――私はシベリヤの死刑囚だった』 |
昭和44年/1969年-月・集団形星刊 |
平鹿町郷土誌 編纂委員会 |
『平鹿町郷土誌』 |
昭和44年/1969年3月・平鹿町役場刊 |
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『妻の記録・その愛と死』 |
昭和44年/1969年-月・プレス東京出版局/ノンフィクション・シリーズ |
高岡なを |
『コスモスの記 ――人生記録 五人の戦死者を出した ある農家の百年』 |
昭和44年/1969年1月・文理書院刊 |
予選対象作品約460篇(自薦作品=260点〈応募原稿約123篇含む〉、アンケートによる推薦作品=219点) |
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賞金1,000ドル(相当)
副賞日航機による世界一周券
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選考委員 |
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選考委員会●昭和45年/1970年3月23日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
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昭和46年/1971年度
=[ 決定 ] 昭和46年/1971年3月19日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和46年/1971年5月号選評掲載
受賞 |
イザヤ・ベンダサン |
『日本人とユダヤ人』 |
昭和45年/1970年5月・山本書店刊 |
受賞 |
鈴木俊子 |
『誰も書かなかったソ連』 |
昭和45年/1970年6月・サンケイ新聞社出版局刊 |
候補 |
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「マラソン爺さん半代記」 |
(応募原稿) |
金重剛二 |
『タスケテクダサイ ――仁保事件と岡部さん』 |
昭和45年/1970年-月・理論社刊 |
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『ビアフラ潜入記』 |
昭和45年/1970年3月・朝日新聞社刊 |
|
『月白の道』 |
昭和45年/1970年4月・創言社刊 |
三浦雄一郎 |
『エベレスト大滑降』 |
昭和45年/1970年8月・文藝春秋刊 |
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『ああ星条旗 ――アメリカの顔』 |
昭和45年/1970年3月・朝日新聞社刊 |
最終候補作8篇 |
予選通過作 |
予選候補 |
小池英夫 |
「ダラスの五日間」 |
(応募原稿) |
勝矢武男 |
「ある戦中絵記」 |
(応募原稿) |
橋爪志津乃 |
「北京日記」 |
(応募原稿) |
河野敏雄 |
「ある満鉄社員の手記」 |
(応募原稿) |
坂本喜代治 |
「原爆忘れまじ」 |
(応募原稿) |
杉山美津子 |
「陽気な海燕」 |
(応募原稿) |
平野薫子 |
「葉菜子」 |
(応募原稿) |
小泉利治 |
「一冊の画帖」 |
(応募原稿) |
吉市繁光 |
「戦場の内と外と」 |
(応募原稿) |
みやこうせい |
『明日は貴族だ! ――ヨーロッパ無宿の旅』 |
昭和45年/1970年4月・あすなろ社刊 |
|
『アメリカ合州国』 |
昭和45年/1970年12月・朝日新聞社刊 |
|
『砂の十字架 ――鹿島人工港ノート』 |
昭和45年/1970年9月・講談社刊 |
鈴木敏之 |
『指が目になった ――ある全盲画家の半生』 |
昭和45年/1970年10月・朝日新聞社刊 |
斐太猪之介 |
『オオカミ追跡18年 ――ニホンオオカミはまだ生きている――』 |
昭和45年/1970年2月・実業之日本社刊 |
菅野静子 |
『戦火と死の島に生きる』 |
昭和45年/1970年11月・偕成社/少年少女世界のノンフィクション |
|
『ばっかやろう ――生きて、旅して、考えて』 |
昭和45年/1970年-月・仮面社刊 |
半田知雄 |
『移民の生活の歴史 ――ブラジル日系人の歩んだ道』 |
昭和45年/1970年6月・サンパウロ人文科学研究所刊 |
栗原景太郎 |
『白鴎号航海記』 |
昭和45年/1970年12月・文藝春秋刊 |
犬飼哲夫 |
『わが動物記』 |
昭和45年/1970年3月・暮しの手帖社刊 |
|
『農民哀史 ――野の魂と行動の記録』 |
昭和45年/1970年2月・勁草書房刊 |
石垣綾子 |
『オリーブの墓標 ――スペイン戦争と一人の日本人』 |
昭和45年/1970年6月・立風書房刊 |
滝本道生 |
『サハラ外人部隊 ――フランコ将軍と二人の日本人兵』 |
昭和45年/1970年6月・芙蓉書房/知られざる国々叢書 |
加藤義憲 |
『山遙か雲うかび』 |
昭和45年/1970年11月・東京科学文化研究所出版部刊 |
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『沖縄と私と娼婦』 |
昭和45年/1970年12月・合同出版刊 |
|
『沖縄に生きて』 |
昭和45年/1970年9月・サイマル出版会/サイマル・ドキュメント |
予選対象作品約450篇(自薦作品=271点〈応募原稿151篇含む〉、アンケートによる推薦作品=176点) |
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賞金1,000ドル(相当)
副賞日航機による世界一周券
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選考委員 |
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選考委員会●昭和46年/1971年3月19日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
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昭和47年/1972年度
=[ 決定 ] 昭和47年/1972年3月17日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和47年/1972年5月号選評掲載
受賞 |
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『マッハの恐怖 ――連続ジェット機事故を追って』 |
昭和46年/1971年3月・フジ出版社刊 |
受賞 |
桐島洋子 |
『淋しいアメリカ人』 |
昭和46年/1971年5月・文藝春秋刊 |
候補 |
石井静子 |
「私の戦後史」 |
(応募原稿) |
|
『東京大空襲 ――昭和20年3月10日の記録』 |
昭和46年/1971年1月・岩波書店/岩波新書 |
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『南ア共和国の内幕 ――最後の白人要塞』 |
昭和46年/1971年2月・中央公論社/中公新書 |
中村 浩 |
『糞尿博士 世界を行く』 |
昭和46年/1971年4月・廣済堂出版刊 |
最終候補作6篇 |
予選通過作 |
予選候補 |
橋本和正 |
「星条旗の檻」 |
(応募原稿) |
朝野明夫 |
「インドを訪ねて」 |
(応募原稿) |
廉野鳩子 |
「駅馬家族」 |
(応募原稿) |
指宿城 |
「死なざりき」 |
(応募原稿) |
金子文哉 |
「中国技術交流の旅」 |
(応募原稿) |
平木国夫 |
『空気の階段を登れ』 |
昭和46年/1971年8月・朝日新聞社刊 |
若木重敏 |
「私はヒロシマを憎む」 |
『文藝春秋』昭和46年/1971年8月号 |
平岡 梓 |
「伜・三島由紀夫」 |
『諸君!』昭和46年/1971年12月号 |
|
『落花抄 ――ある脳腫瘍の記録』 |
昭和46年/1971年-月・南江堂刊 |
山本茂実 |
『喜作新道 ――ある北アルプス哀史』 |
昭和46年/1971年10月・朝日新聞社刊 |
松下友子 |
『さよならモスクワの小学校』 |
昭和46年/1971年10月・筑摩書房刊 |
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『北大路魯山人』 |
昭和46年/1971年4月・文藝春秋刊 |
ジョン・オルセン、 美江オルセン |
『ウェスト・ポイント物語』 |
昭和46年/1971年-月・時事通信社/時事新書 |
大瀧重直 |
『白夜の海 ――だれも書けなかった北洋船団ルポルタージュ』 |
昭和46年/1971年10月・月刊ペン社刊 |
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『魔の系譜』 |
昭和46年/1971年5月・紀伊国屋書店刊 |
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『天皇陛下萬歳 ――爆弾三勇士序説』 |
昭和46年/1971年11月・筑摩書房刊 |
|
『青春を山に賭けて』 |
昭和46年/1971年3月・毎日新聞社刊 |
予選対象作品約690篇(自薦作品=272点〈応募原稿180篇含む〉、アンケートによる推薦作品=231点) |
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賞金1,000ドル(相当)
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
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選考委員会●昭和47年/1972年3月17日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
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昭和48年/1973年度
=[ 決定 ] 昭和48年/1973年3月19日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和48年/1973年5月号選評掲載
受賞 |
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『サンダカン八番娼館 ――底辺女性史序章』 |
昭和47年/1972年5月・筑摩書房刊 |
受賞 |
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「「南京大虐殺」のまぼろし」 |
『諸君!』昭和47年/1972年4月号、8月号、10月号 |
候補 |
梅棹エリオ |
『熱気球イカロス5号』 |
昭和47年/1972年9月・中央公論社刊 |
|
『誰も知らないあした ――ガン病棟の手記』 |
昭和47年/1972年-月・時事通信社刊 |
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『いっさい夢にござ候 ――本間雅晴中将伝』 |
昭和47年/1972年9月・中央公論社刊 |
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『ハーレムの熱い日々』 |
昭和47年/1972年-月・講談社刊 |
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『妻たちの二・二六事件』 |
昭和47年/1972年1月・中央公論社刊 |
北詰由貴子 |
「ロンドンの小学校」 |
(応募原稿) |
最終候補作8篇 |
予選通過作 |
予選候補 |
田淵四郎 |
「オ・シャバ風土記」 |
(応募原稿) |
沢田 稔 |
「ジンタが私を呼ぶ」 |
(応募原稿) |
|
「この子等にも教室がほしい」 |
(応募原稿) |
吉野俊彦 |
『森鴎外私論』 |
昭和47年/1972年11月・毎日新聞社刊 |
荒井 勉 |
『信州の教育 ――洋才・土俗・源流性』 |
昭和47年/1972年10月・合同出版刊 |
三本和彦 |
『世界最長ラリーに挑戦して』 |
昭和47年/1972年-月・二玄社刊 |
高塚 篤 |
『予科練甲十三期生―落日の栄光』 |
昭和47年/1972年12月・原書房刊 |
丸山勝広 |
『わが胸に泉あり ――ある地方交響楽団の回顧』 |
昭和47年/1972年-月・カワイ楽譜刊 |
能城律子 |
『女のアフリカ』 |
昭和47年/1972年10月・文藝春秋刊 |
|
『ルワンダ中央銀行総裁日記』 |
昭和47年/1972年6月・中央公論社/中公新書 |
|
「視えない共和国」 |
『TBS調査情報』昭和47年/1972年1月号 |
|
「大韓民国の憂鬱」 |
『諸君!』昭和47年/1972年11月号 |
予選対象作品521篇(自薦作品=364篇〈応募原稿182篇含む〉、アンケート等による他薦作品=157篇) |
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賞金1,000ドル(相当)
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和48年/1973年3月19日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
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昭和49年/1974年度
=[ 決定 ] 昭和49年/1974年3月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和49年/1974年5月号選評掲載
受賞 |
後藤杜三 |
『わが久保田万太郎 ――枯野はも縁の下までつゞきをり』 |
昭和48年/1973年12月・青蛙房/青蛙選書 |
受賞 |
中津燎子 |
『なんで英語やるの?』 |
応募作品(昭和49年/1974年1月・午夢館刊) |
候補 |
|
『自動車絶望工場 ――ある季節工の日記』 |
昭和48年/1973年12月・現代史研究会刊、徳間書店発売 |
小松錬平 |
『ルポ 鯨の海』 |
昭和48年/1973年11月・朝日新聞社刊 |
|
『曠野から ――アフリカで考える』 |
昭和48年/1973年8月・筑摩書房刊 |
|
「私の中の朝鮮人」 |
『諸君!』昭和48年/1973年12月号 |
|
「永遠においでおいでの世界」 |
昭和48年/1973年7月・六藝書房刊『野に誌す』より |
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『銀のしずく降る降る』 |
昭和48年/1973年11月・新潮社/新潮選書 |
最終候補作8篇 |
予選通過作 |
予選候補 |
ケイコ・ヒガセ |
「ベージュ色の日本人」 |
(応募原稿) |
大母山伝 |
「並川市場」 |
(応募原稿) |
木村不二男 |
「漱石の弟子たち」 |
(応募原稿) |
小原 啓 |
『葦舟の冒険野郎 ――ラーII世号航海記』 |
昭和48年/1973年-月・毎日新聞社刊 |
|
『リビア砂漠探検記』 |
昭和48年/1973年6月・講談社刊 |
三島昭男 |
『破滅の水 ――飛騨高山の汚染を告発』 |
昭和48年/1973年11月・潮出版社刊 |
大熊一夫 |
『ルポ・精神病棟』 |
昭和48年/1973年2月・朝日新聞社刊 |
|
『逃げろツチノコ』 |
昭和48年/1973年9月・二見書房刊 |
矢田喜美雄 |
『謀殺下山事件』 |
昭和48年/1973年7月・講談社刊 |
横内仁司 |
『片道の青春 ――ふっとんだ俺の目と脚』 |
昭和48年/1973年7月・北欧社刊 |
大南勝彦 |
『ペテルブルグからの黒船』 |
昭和48年/1973年11月・六興出版刊 |
猪狩 章 |
「韓国報告」 |
『朝日ジャーナル』昭和48年/1973年8月24日号~昭和49年/1974年1月25日号 |
予選対象作品(自薦作品=357篇〈応募原稿153篇含む〉、アンケート等による他薦作品=163篇) |
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賞金1,000ドル(相当)
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和49年/1974年3月12日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
|
昭和50年/1975年度
=[ 決定 ] 昭和50年/1975年3月13日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和50年/1975年5月号選評掲載
受賞 |
|
『洟をたらした神』 |
昭和49年/1974年11月・彌生書房刊 |
受賞 |
|
『マッカーサーの二千日』 |
昭和49年/1974年8月・中央公論社刊 |
候補 |
|
『密約―外務省機密漏洩事件』 |
昭和49年/1974年7月・中央公論社刊 |
堀越満枝 |
『栄ちゃんはひとりではない ――自閉症児をとりまく学級の記録』 |
昭和49年/1974年-月・たいまつ社刊 |
山崎孝子 |
『試みの夜は明けて ――ある脳腫瘍体験者の心の記録』 |
昭和49年/1974年11月・こぐま社刊 |
|
「“司”王国―飢餓時代のメルヘン」 |
『諸君!』昭和49年/1974年12月号 |
大宜見義夫 |
「単車で駆けたユーラシヤ」 |
応募作品 |
小坂知子、 浜口すま子 |
『アフリカびっくり冒険記』 |
昭和49年/1974年-月・M.I.C出版刊、創樹社発売 |
最終候補作8篇 |
予選対象作品(自薦作品=268篇〈応募原稿156篇含む〉、アンケート等による他薦作品=137篇) |
|
賞金1,000ドル(相当)
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和50年/1975年3月13日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
|
昭和51年/1976年度
=[ 決定 ] 昭和51年/1976年3月15日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和51年/1976年5月号選評掲載
受賞 |
|
『新西洋事情』 |
昭和50年/1975年9月・北洋社刊 |
候補 |
|
『日本の“村”再考 ――くたばれ近代化農政』 |
昭和50年/1975年2月・ダイヤモンド社/ダイヤモンド現代選書 |
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『呪われたシルク・ロード』 |
昭和50年/1975年4月・角川書店刊 |
|
『暗い暦 ――二・二六事件以後と武藤章』 |
昭和50年/1975年10月・エルム刊 |
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『サイゴンのいちばん長い日 ――戦争の国を生きた人間たちの記録』 |
昭和50年/1975年10月・サンケイ新聞出版局/サンケイ・ドラマ・ブックス |
|
『アメリカへ行った僚子』 |
昭和50年/1975年-月・朝日新聞社刊 |
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「昭和21年・国語審議会」 |
『諸君!』昭和50年/1975年7月号 |
栃折久美子 |
『モロッコ革の本』 |
昭和50年/1975年10月・筑摩書房刊 |
最終候補作8篇 |
予選対象作品(自薦作品=318篇〈応募原稿192篇含む〉、アンケート等による他薦作品=171篇) |
|
賞金1,000ドル(相当)
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和51年/1976年3月15日18:00~2時間余 [会場]東京築地「松山」 |
|
昭和52年/1977年度
=[ 決定 ] 昭和52年/1977年3月15日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和52年/1977年5月号選評掲載
受賞 |
|
『黄昏のロンドンから』 |
昭和51年/1976年11月・PHP研究所刊 |
受賞 |
|
『太平洋の生還者』 |
昭和51年/1976年7月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『いのちある限り ――ある脳神経外科医の記録』 |
昭和51年/1976年1月・サイマル出版会刊 |
小林則子 |
『リブ号の航海』 |
昭和51年/1976年6月・文藝春秋刊 |
|
『土と女 ――出稼ぎ未亡人とその周辺』 |
昭和51年/1976年10月・筑摩書房刊 |
村田龍明 |
「わが子は登校拒否児だった」 |
(応募原稿) |
|
「長距離ランナーの遺書」 |
『展望』昭和51年/1976年4月号 |
辛島貴子 |
『私たちのインド』 |
昭和51年/1976年5月・北洋社刊 |
最終候補作8篇 |
予選対象作品(自薦作品=261篇〈応募原稿101篇含む〉、アンケート等による他薦作品=148篇) |
|
賞金1,000ドル(相当)
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和52年/1977年3月15日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
|
昭和53年/1978年度
=[ 決定 ] 昭和53年/1978年3月16日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和53年/1978年5月号選評掲載
受賞 |
伊佐千尋 |
『逆転 ――アメリカ支配下・沖縄の陪審裁判』 |
昭和52年/1977年8月・新潮社刊 |
候補 |
|
『若き数学者のアメリカ』 |
昭和52年/1977年11月・新潮社刊 |
|
『出ニッポン記』 |
昭和52年/1977年10月・潮出版社刊 |
疋田桂一郎 |
『信夫韓一郎小伝』 |
昭和52年/1977年-月・新聞人信夫韓一郎刊行委員会刊 |
|
「娘を膠原病で失って」 |
(応募原稿) |
|
『人の砂漠』 |
昭和52年/1977年11月・新潮社刊 |
小林惟司 |
『寺田寅彦の生涯』 |
昭和52年/1977年6月・東京図書刊 |
|
『めだかの列島』 |
昭和52年/1977年10月・筑摩書房刊 |
最終候補作8篇 |
予選対象作品(自薦作品=286篇〈応募原稿121篇含む〉、アンケート等による他薦作品=183篇) |
|
賞金1,000ドル(相当)
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和53年/1978年3月16日18:00~2時間余 [会場]東京築地「松山」 |
|
昭和54年/1979年度
=[ 決定 ] 昭和54年/1979年3月13日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和54年/1979年5月号選評掲載
受賞 |
|
『テロルの決算』 |
昭和53年/1978年9月・文藝春秋刊 |
受賞 |
|
『サイゴンから来た妻と娘』 |
昭和53年/1978年5月・文藝春秋刊 |
候補 |
花井喜六 |
『アメリカ大学事情』 |
昭和53年/1978年12月・東京新聞出版局刊 |
|
『時刻表2万キロ』 |
昭和53年/1978年7月・河出書房新社刊 |
八木あき子 |
「二十世紀の迷信 ――理想国家スイスの場合――」 |
(応募原稿) |
|
『木村王国の崩壊 ――ドキュメント福島県政汚職』 |
昭和53年/1978年6月・朝日新聞社刊 |
最終候補作6篇 |
予選対象作品(自薦作品=203篇〈応募原稿113篇含む〉、アンケート等による他薦作品=158篇) |
|
賞金30万円
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和54年/1979年3月13日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
|
昭和55年/1980年度
=[ 決定 ] 昭和55年/1980年3月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和55年/1980年5月号選評掲載
受賞 |
ハロラン芙美子 |
『ワシントンの町から』 |
昭和54年/1979年6月・文藝春秋刊 |
受賞 |
|
『にっぽん音吉漂流記』 |
昭和54年/1979年5月・晶文社刊 |
候補 |
前田哲男 |
『棄民の群島 ――ミクロネシア被爆民の記録』 |
昭和54年/1979年8月・時事通信社刊 |
|
『横浜事件の人びと』 |
昭和54年/1979年4月・田畑書店刊 |
|
『空白の五分間 ――三河島事故 ある運転士の受難』 |
昭和54年/1979年7月・文藝春秋刊 |
|
『徳川夢声の世界』 |
昭和54年/1979年10月・青蛙房/青蛙選書 |
後藤亜紀 |
『星降るインド』 |
昭和54年/1979年9月・北洋社刊 |
堀江邦夫 |
『原発ジプシー』 |
昭和54年/1979年10月・現代書館刊 |
最終候補作8篇 |
予選対象作品(自薦作品=225篇〈応募原稿124篇含む〉、アンケート等による他薦作品=169篇) |
|
賞金30万円
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和55年/1980年3月12日18:30~ [会場]東京築地「松山」 |
|
昭和56年/1981年度
=[ 決定 ] 昭和56年/1981年3月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和56年/1981年5月号選評掲載
|
受賞作なし |
候補 |
|
『女たちの同窓会 ――二十三年目のクラスメイトと女の現在』 |
昭和55年/1980年9月・JICC出版局刊 |
工藤 宜 |
『佐渡にんげん巡礼』 |
昭和55年/1980年10月・新潮社刊 |
|
『騎手福永洋一の闘い』 |
昭和55年/1980年12月・文藝春秋刊 |
枝川公一 |
『人間と都市 ――ルポルタージュ東京・大阪・大分 ―快適なシティ・ライフとは何か』 |
昭和55年/1980年7月・サンケイ出版刊 |
|
「滅びのチター師」 |
(応募原稿) |
|
『二十歳にして心朽ちたり』 |
昭和55年/1980年11月・新潮社刊 |
井上 雪 |
『廓のおんな』 |
昭和55年/1980年11月・朝日新聞社刊 |
ゴーマン美智子 |
『走れ!ミキ』 |
昭和55年/1980年5月・文藝春秋刊 |
最終候補作8篇 |
予選対象作品(自薦作品=230篇〈応募原稿152篇含む〉、アンケート等による他薦作品=171篇) |
|
賞金30万円
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和56年/1981年3月12日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
|
昭和57年/1982年度
=[ 決定 ] 昭和57年/1982年3月11日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和57年/1982年5月号選評掲載
受賞 |
早瀬圭一 |
『長い命のために』 |
昭和56年/1981年8月・新潮社刊 |
受賞 |
宇佐美 承 |
『さよなら日本 ――絵本作家・八島太郎と光子の亡命』 |
昭和56年/1981年11月・晶文社刊 |
候補 |
|
「カウラ 捕虜第一号」 |
(応募原稿) |
|
『性の王国』 |
昭和56年/1981年12月・文藝春秋刊 |
筑波 昭 |
『津山三十人殺し ――村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』 |
昭和56年/1981年9月・草思社刊 |
|
『ライカでグッドバイ ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』 |
昭和56年/1981年4月・文藝春秋刊 |
最終候補作6篇 |
予選対象作品(自薦作品=230篇〈応募原稿140篇含む〉、アンケート等による他薦作品=170篇) |
|
賞金30万円
副賞日航機による世界一周券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和57年/1982年3月11日18:00~ [会場]東京築地「松山」 |
|
昭和58年/1983年度
=[ 決定 ] 昭和58年/1983年3月10日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和58年/1983年5月号選評掲載
受賞 |
小坂井 澄 |
『これはあなたの母 ――沢田美喜と混血孤児たち』 |
昭和57年/1982年2月・集英社刊 |
受賞 |
|
『宰相鈴木貫太郎』 |
昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』 |
昭和57年/1982年12月・文藝春秋刊 |
|
『新宿裏町三代記』 |
昭和57年/1982年11月・青蛙房/青蛙選書 |
|
『慶州ナザレ園 ――忘れられた日本人妻たち』 |
昭和57年/1982年7月・中央公論社刊 |
椎屋紀芳 |
『自白―冤罪はこうして作られる』 |
昭和57年/1982年8月・風媒社刊 |
友清高志 |
「鬼哭のルソン」 |
(応募原稿) |
最終候補作7篇 |
予選対象作品296篇(自薦作品=126篇〈応募原稿86篇含む〉、アンケート等による他薦作品=170篇) |
|
賞金30万円
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和58年/1983年3月10日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
昭和59年/1984年度
=[ 決定 ] 昭和59年/1984年3月8日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和59年/1984年5月号選評掲載
受賞 |
西倉一喜 |
『中国・グラスルーツ』 |
昭和58年/1983年6月・めこん刊、文遊社発売 |
受賞 |
|
『線路工手の唄が聞えた』 |
昭和58年/1983年6月・JICC出版局刊 |
候補 |
|
『ブリエアの解放者たち』 |
昭和58年/1983年9月・文藝春秋刊 |
|
『天皇の影法師』 |
昭和58年/1983年3月・朝日新聞社刊 |
|
『満州・その幻の国ゆえに ――中国残留妻と孤児の記録』 |
昭和58年/1983年7月・筑摩書房刊 |
山中康男 |
「シルエトク ――“地の果つるところ”の人と野性記」 |
(応募原稿) |
最終候補作6篇 |
予選対象作品300篇(自薦作品=120篇〈応募原稿66篇含む〉、アンケート等による他薦作品=130篇) |
|
賞金30万円
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和59年/1984年3月8日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
昭和60年/1985年度
=[ 決定 ] 昭和60年/1985年9月30日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和60年/1985年12月号選評掲載
受賞 |
吉永みち子 |
『気がつけば騎手の女房』 |
昭和59年/1984年10月・草思社刊 |
候補 |
|
『遙かなニッポン』 |
昭和59年/1984年10月・毎日新聞社刊 |
|
『オリンポスの使徒 ――「バロン西」伝説はなぜ生れたか』 |
昭和59年/1984年7月・文藝春秋刊 |
|
『日本海のイカ ――海からだけ見えるニンゲン社会の動悸』 |
昭和60年/1985年5月・情報センター出版局刊 |
|
『海峡を越えたホームラン ――祖国という名の異文化』 |
昭和59年/1984年10月・双葉社刊 |
|
『大いなる影法師 ――代議士秘書の野望と挫折』 |
昭和60年/1985年6月・文藝春秋刊 |
高尾栄司 |
『ビートルズになれなかった男』 |
昭和59年/1984年12月・朝日新聞社刊 |
最終候補作7篇 |
予選対象作品(自薦作品=216篇〈応募原稿173篇含む〉、アンケート等による他薦作品=157篇) |
|
賞金2,000ドル
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和60年/1985年9月30日18:00~2時間半 [会場]東京銀座「松山」 |
|
昭和61年/1986年度
=[ 決定 ] 昭和61年/1986年10月15日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和61年/1986年12月号選評掲載
受賞 |
|
『メディアの興亡』 |
昭和60年/1985年6月・文藝春秋刊 |
候補 |
小林道雄 |
『翔べ!はぐれ鳥 ――ドキュメント『憩いの家』を巣立った三人の問題児』 |
昭和61年/1986年6月・講談社刊 |
多賀たかこ |
『はいすくーる落書』 |
昭和61年/1986年2月・朝日新聞社/朝日ノンフィクション |
|
『変体少女文字の研究 ――文字の向うに少女が見える』 |
昭和61年/1986年2月・講談社刊 |
|
『見えない死―脳死と臓器移植』 |
昭和60年/1985年9月・文藝春秋刊 |
|
『建築探偵の冒険 東京篇』 |
昭和61年/1986年3月・筑摩書房刊 |
最終候補作6篇 |
予選対象作品454篇(自薦作品=169篇〈応募原稿55篇含む〉、アンケート等による他薦作品=230篇) |
|
賞金2,000ドル
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和61年/1986年10月15日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
昭和62年/1987年度
=[ 決定 ] 昭和62年/1987年10月7日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和62年/1987年12月号選評掲載
受賞 |
|
『ミカドの肖像』 |
昭和61年/1986年12月・小学館刊 |
受賞 |
|
『コンピュータ新人類の研究』 |
昭和62年/1987年3月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『夏の肖像』 |
昭和61年/1986年9月・光人社刊 |
中川靖造 |
『海軍技術研究所 ――エレクトロニクス王国の先駆者たち ドキュメント』 |
昭和62年/1987年6月・日本経済新聞社刊 |
|
『墜落の夏 ――日航123便事故全記録』 |
昭和61年/1986年8月・新潮社刊 |
|
『サーカス村裏通り』 |
昭和62年/1987年4月・JICC出版局刊 |
|
『狼煙を見よ ――東アジア反日武装戦線“狼”部隊』 |
昭和62年/1987年1月・河出書房新社刊 |
最終候補作7篇 |
予選対象作品489篇(自薦作品=177篇〈応募原稿62篇含む〉、アンケート等による他薦作品=250篇) |
|
賞金2,000ドル
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和62年/1987年10月7日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
昭和63年/1988年度
=[ 決定 ] 昭和63年/1988年3月9日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和63年/1988年5月号選評掲載
受賞 |
吉田 司 |
『下下戦記』 |
昭和62年/1987年12月・白水社刊 |
候補 |
|
『海の果ての祖国』 |
昭和62年/1987年7月・時事通信社刊 |
|
『人工心臓に挑む』 |
昭和62年/1987年9月・中央公論社/中公新書 |
|
『瀬島龍三 参謀の昭和史』 |
昭和62年/1987年12月・文藝春秋刊 |
|
『ドキュメント 東京のそうじ』 |
昭和62年/1987年12月・PHP研究所刊 |
最終候補作5篇 |
予選対象作品475篇(応募原稿=58篇、自薦作品=172篇、アンケート等による他薦作品=245篇) |
|
賞金2,000ドル
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●昭和63年/1988年3月9日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
平成1年/1989年度
=[ 決定 ] 平成1年/1989年3月8日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成1年/1989年5月号選評掲載
受賞 |
石川 好 |
『ストロベリー・ロード』(上)(下) |
昭和63年/1988年4月・早川書房刊 |
受賞 |
|
『チャイコフスキー・コンクール ――ピアニストが聴く現代』 |
昭和63年/1988年11月・中央公論社刊 |
候補 |
|
『『事件』を見にゆく』 |
昭和63年/1988年8月・文藝春秋刊 |
ウッドハウス暎子 |
『日露戦争を演出した男モリソン』(上)(下) |
昭和63年/1988年12月・東洋経済新報社刊 |
|
『復讐する神話 ――松下幸之助の昭和史』 |
昭和63年/1988年12月・文藝春秋刊 |
最終候補作5篇 |
予選対象作品496篇(応募原稿=63篇、自薦作品=182篇、アンケート等による他薦作品=251篇) |
|
賞金3,000ドル
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成1年/1989年3月8日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
平成2年/1990年度
=[ 決定 ] 平成2年/1990年3月8日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成2年/1990年5月号選評掲載
受賞 |
|
『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』 |
平成1年/1989年6月・文藝春秋刊 |
受賞 |
|
『レーザー・メス 神の指先』 |
平成1年/1989年8月・新潮社刊 |
受賞 |
|
『フィリッピーナを愛した男たち』 |
平成1年/1989年10月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『遠いリング』 |
平成1年/1989年12月・講談社刊 |
|
『日本人ごっこ』 |
平成1年/1989年12月・文藝春秋刊 |
吉松安弘 |
『バグダッド憂囚 ――商社マン・獄中の608日』 |
平成1年/1989年11月・新潮社刊 |
村上由見子 |
『百年の夢 ――岡本ファミリーのアメリカ』 |
平成1年/1989年6月・新潮社刊 |
最終候補作7篇 |
予選対象作品462篇(応募原稿=38篇、自薦作品=151篇、アンケート等による他薦作品=273篇) |
|
賞金3,000米ドル
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成2年/1990年3月8日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
平成3年/1991年度
=[ 決定 ] 平成3年/1991年3月11日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成3年/1991年5月号選評掲載
受賞 |
家田荘子 |
『私を抱いてそしてキスして ――エイズ患者と過した一年の壮絶記録』 |
平成2年/1990年11月・文藝春秋刊 |
受賞 |
|
『プロレス少女伝説 ――新しい格闘をめざす彼女たちの青春』 |
平成2年/1990年10月・かのう書房刊 |
候補 |
|
『紙の中の黙示録 ――三行広告は語る』 |
平成2年/1990年6月・文藝春秋刊 |
|
『母さんが死んだ ――しあわせ幻想の時代に 「繁栄」ニッポンの福祉を問う ルポルタージュ』 |
平成2年/1990年4月・ひとなる書房刊 |
|
『うちの子が、なぜ! ――女子高生コンクリート詰め殺人事件』 |
平成2年/1990年10月・草思社刊 |
|
『私だけの勲章』 |
平成2年/1990年7月・日本経済新聞社刊 |
|
『漂流する経営 ――堤清二とセゾングループ』 |
平成2年/1990年6月・文藝春秋刊 |
最終候補作7篇 |
予選対象作品(応募原稿=35篇、自薦作品、アンケート等による他薦作品=多数) |
|
賞金3,000米ドル
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成3年/1991年3月11日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
平成4年/1992年度
=[ 決定 ] 平成4年/1992年3月11日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成4年/1992年5月号選評掲載
受賞 |
|
『日本の陰謀 ――ハワイ・オアフ島大ストライキの光と影』 |
平成3年/1991年9月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『エチオピアで井戸を掘る』 |
平成3年/1991年10月・草思社刊 |
|
『鏡の国のクーデター ――ソ連8月政変後を歩く』 |
平成3年/1991年12月・文藝春秋刊 |
|
『ニッポンFSXを撃て ――日米冷戦への導火線・新ゼロ戦計画』 |
平成3年/1991年10月・新潮社刊 |
|
『日中戦争いまだ終らず ――マレー「虐殺」の謎』 |
平成3年/1991年7月・文藝春秋刊 |
|
『甦る鼓動』 |
平成3年/1991年12月・講談社刊 |
最終候補作6篇 |
予選対象作品440篇(応募原稿=41篇、自薦作品=131篇、アンケート等による他薦作品=268篇) |
|
正賞3,000米ドル
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成4年/1992年3月11日19:30~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
平成5年/1993年度
=[ 決定 ] 平成5年/1993年4月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成5年/1993年6月号選評掲載
受賞 |
|
『エリザベート ――ハプスブルク家最後の皇女』 |
平成4年/1992年4月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『柴玲の見た夢 ――天安門の炎は消えず』 |
平成4年/1992年9月・講談社刊 |
|
『遠い『山びこ』 ――無着成恭と教え子たちの四十年』 |
平成4年/1992年9月・文藝春秋/書下しノンフィクション人間発掘 |
吉田義仁 |
『ぼくらのパパは駆け出し主夫』 |
平成4年/1992年12月・朝日新聞社刊 |
|
「トヨタ・GM 巨人たちの握手」 |
応募作品 |
最終候補作5篇 |
予選対象作品569篇(応募原稿=40篇、自薦作品=157篇、アンケート等による他薦作品=372篇) |
|
正賞3,000米ドル
副賞日航機による世界一周航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成5年/1993年4月12日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
|
平成6年/1994年度
=[ 決定 ] 平成6年/1994年4月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成6年/1994年6月号選評掲載
受賞 |
小林峻一、
|
『闇の男―野坂参三の百年』 |
平成5年/1993年10月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『一九九一年 日本の敗北』 |
平成5年/1993年11月・新潮社刊 |
|
『朝鮮戦争 ――金日成とマッカーサーの陰謀』 |
平成5年/1993年12月・文藝春秋刊 |
|
『アメリカ国家反逆罪』 |
平成5年/1993年11月・講談社刊 |
篠田英朗 |
「日の丸をつけたボランティア」 |
(応募原稿) |
|
『覇者の誤算 ――日米コンピュータ戦争の40年』(上)(下) |
平成5年/1993年6月・日本経済新聞社刊 |
最終候補作6篇 |
予選対象作品576篇(応募原稿=151篇、アンケート等による自薦・他薦作品=425篇) |
|
正賞3,000米ドル
副賞日航機による世界一周相当航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成6年/1994年4月12日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
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平成7年/1995年度
=[ 決定 ] 平成7年/1995年4月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成7年/1995年6月号選評掲載
受賞 |
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『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』 |
平成6年/1994年8月・中央公論社刊 |
受賞 |
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『リターンマッチ』 |
平成6年/1994年11月・文藝春秋刊 |
候補 |
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『巨怪伝 ――正力松太郎と影武者たちの一世紀』 |
平成6年/1994年11月・文藝春秋刊 |
戸田郁子 |
『ソウル・サランヘ ――日韓結婚物語』 |
平成6年/1994年9月・亜紀書房刊 |
最終候補作4篇 |
応募原稿・アンケート等による自薦・他薦作品約400篇 |
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正賞5,000米ドル
副賞日航機による世界一周相当航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成7年/1995年4月12日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
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平成8年/1996年度
=[ 決定 ] 平成8年/1996年4月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成8年/1996年6月号選評掲載
受賞 |
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『ホンダ神話 ――教祖のなき後で』 |
平成7年/1995年4月・文藝春秋刊 |
受賞 |
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『森の回廊 ――ビルマ辺境民族解放区の1,300日』 |
平成7年/1995年9月・日本放送出版協会刊 |
候補 |
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『ねじれた絆 ――赤ちゃん取り違え事件の十七年』 |
平成7年/1995年5月・新潮社刊 |
吉田守男 |
『京都に原爆を投下せよ ――ウォーナー伝説の真実』 |
平成7年/1995年7月・角川書店刊 |
素樹文生 |
『上海の西、デリーの東』 |
平成7年/1995年12月・新潮社刊 |
最終候補作5篇 |
応募原稿・アンケート等による自薦・他薦作品約400篇 |
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正賞100万円
副賞日航機による世界一周相当航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成8年/1996年4月12日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
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平成9年/1997年度
=[ 決定 ] 平成9年/1997年4月10日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成9年/1997年6月号選評掲載
受賞 |
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『旅する巨人 ――宮本常一と渋沢敬三』 |
平成8年/1996年11月・文藝春秋刊 |
受賞 |
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『コリアン世界の旅』 |
平成8年/1996年12月・講談社刊 |
候補 |
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『嬉遊曲、鳴りやまず ――斎藤秀雄の生涯』 |
平成8年/1996年7月・新潮社刊 |
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『インド ミニアチュール幻想』 |
平成8年/1996年7月・平凡社刊 |
入江吉正 |
『死への扉 ――東海大安楽死殺人』 |
平成8年/1996年8月・新潮社刊 |
最終候補作5篇 |
応募原稿・アンケート等による自薦・他薦作品約500篇 |
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正賞100万円
副賞日航機による世界一周相当航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成9年/1997年4月10日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
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平成10年/1998年度
=[ 決定 ] 平成10年/1998年4月10日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成10年/1998年6月号選評掲載
受賞 |
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『ゆりかごの死 ――乳幼児突然死症候群〈SIDS〉の光と影』 |
平成9年/1997年4月・新潮社刊 |
候補 |
金子達仁 |
『28年目のハーフタイム』 |
平成9年/1997年9月・文藝春秋刊 |
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『隠蔽 ――父と母の〈いじめ〉情報公開戦記』 |
平成9年/1997年11月・文藝春秋刊 |
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『洗脳の楽園 ――ヤマギシ会という悲劇』 |
平成9年/1997年12月・洋泉社刊 |
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『無敵のハンディキャップ ――障害者が「プロレスラー」になった日』 |
平成9年/1997年12月・文藝春秋刊 |
最終候補作5篇 |
応募原稿・アンケート等による自薦・他薦作品約500篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成10年/1998年4月10日18:00~ [会場]東京銀座「松山」 |
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平成11年/1999年度
=[ 決定 ] 平成11年/1999年4月13日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成11年/1999年6月号選評掲載
受賞 |
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『北朝鮮に消えた友と私の物語』 |
平成10年/1998年11月・文藝春秋刊 |
受賞 |
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『朱鷺の遺言』 |
平成10年/1998年4月・中央公論新社刊 |
候補 |
岸 宣仁 |
『税の攻防 ――大蔵官僚四半世紀の戦争』 |
平成10年/1998年4月・文藝春秋刊 |
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『貴妃は毒殺されたか ――皇帝溥儀と関東軍参謀吉岡の謎』 |
平成10年/1998年5月・新潮社刊 |
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『女房が宇宙を飛んだ』 |
平成10年/1998年9月・講談社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による欧州往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成11年/1999年4月13日18:00~1時間半 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成12年/2000年度
=[ 決定 ] 平成12年/2000年4月13日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成12年/2000年6月号選評掲載
受賞 |
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『火花 ――北条民雄の生涯』 |
平成11年/1999年8月・飛鳥新社刊 |
候補 |
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『動物園にできること ――「種の方舟」のゆくえ』 |
平成11年/1999年3月・文藝春秋刊 |
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『少年にわが子を殺された親たち』 |
平成11年/1999年10月・草思社刊 |
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『少年リンチ殺人 ――ムカつくから、やっただけ』 |
平成11年/1999年6月・講談社刊 |
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『王道楽土の交響楽 ――満洲―知られざる音楽史』 |
平成11年/1999年11月・音楽之友社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による欧州往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成12年/2000年4月13日18:00~1時間余 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成13年/2001年度
=[ 決定 ] 平成13年/2001年4月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成13年/2001年6月号選評掲載
受賞 |
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『光の教会―安藤忠雄の現場』 |
平成12年/2000年12月・建築資料研究社刊 |
受賞 |
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『転がる香港に苔は生えない』 |
平成12年/2000年4月・情報センター出版局刊 |
候補 |
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『聖(さとし)の青春』 |
平成12年/2000年2月・講談社刊 |
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『ラブ&フリーク ――ハンディキャップに心惹かれて』 |
平成12年/2000年6月・文藝春秋刊 |
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『M/世界の、憂鬱な先端』 |
平成12年/2000年12月・文藝春秋刊 |
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『カルトの子 ――心を盗まれた家族』 |
平成12年/2000年12月・文藝春秋刊 |
最終候補作6篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による欧州往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成13年/2001年4月12日18:00~2時間弱 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成14年/2002年度
=[ 決定 ] 平成14年/2002年4月10日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成14年/2002年6月号選評掲載
受賞 |
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『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 |
平成13年/2001年6月・角川書店刊 |
候補 |
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『将棋の子』 |
平成13年/2001年5月・講談社刊 |
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『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』 |
平成13年/2001年2月・草思社刊 |
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『潜入 在日中国人の犯罪』 |
平成13年/2001年5月・文藝春秋刊 |
奈賀 悟 |
『日本と日本人に深い関係がある ババ・ターニャの物語』 |
平成13年/2001年8月・文藝春秋刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成14年/2002年4月10日18:00~2時間余 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成15年/2003年度
=[ 決定 ] 平成15年/2003年4月10日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成15年/2003年6月号選評掲載
受賞 |
近藤史人 |
『藤田嗣治「異邦人」の生涯』 |
平成14年/2002年11月・講談社刊 |
候補 |
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『ドキュメント戦争広告代理店 ――情報操作とボスニア紛争』 |
平成14年/2002年6月・講談社刊 |
広瀬公巳 |
『自爆攻撃 ――私を襲った32発の榴弾』 |
平成14年/2002年12月・日本放送出版協会刊 |
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『スターリン 家族の肖像』 |
平成14年/2002年3月・文藝春秋刊 |
山口文憲 |
『日本ばちかん巡り』 |
平成14年/2002年2月・新潮社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成15年/2003年4月10日17:00~2時間余 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成16年/2004年度
=[ 決定 ] 平成16年/2004年4月14日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成16年/2004年6月号選評掲載
受賞 |
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『こんな夜更けにバナナかよ ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』 |
平成15年/2003年3月・北海道新聞社刊 |
候補 |
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『ドナウよ、静かに流れよ』 |
平成15年/2003年6月・文藝春秋刊 |
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『北海道警察の冷たい夏 ――稲葉事件の深層』 |
平成15年/2003年9月・寿郎社刊 |
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『そして殺人者は野に放たれる』 |
平成15年/2003年12月・新潮社刊 |
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『食肉の帝王 ――巨富をつかんだ男 浅田満』 |
平成15年/2003年5月・講談社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成16年/2004年4月14日17:00~2時間 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成17年/2005年度
=[ 決定 ] 平成17年/2005年4月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成17年/2005年6月号選評掲載
受賞 |
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『ぼくもいくさに征くのだけれど ――竹内浩三の詩と死』 |
平成16年/2004年7月・中央公論新社刊 |
受賞 |
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『大仏破壊 ――バーミアン遺跡はなぜ破壊されたのか』 |
平成16年/2004年12月・文藝春秋刊 |
候補 |
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『オウム裁判傍笑記』 |
平成16年/2004年3月・新潮社刊 |
草薙厚子 |
『少年A 矯正2500日全記録』 |
平成16年/2004年4月・文藝春秋刊 |
神保哲生 |
『ツバル 地球温暖化に沈む国』 |
平成16年/2004年2月・春秋社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成17年/2005年4月12日18:00~2時間 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成18年/2006年度
=[ 決定 ] 平成18年/2006年4月11日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成18年/2006年6月号選評掲載
受賞 |
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『ナツコ―沖縄密貿易の女王』 |
平成17年/2005年4月・文藝春秋刊 |
受賞 |
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『散るぞ悲しき ――硫黄島総指揮官・栗林忠道』 |
平成17年/2005年7月・新潮社刊 |
候補 |
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『物乞う仏陀』 |
平成17年/2005年10月・文藝春秋刊 |
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『脳内汚染』 |
平成17年/2005年12月・文藝春秋刊 |
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『メディアの支配者』(上)(下) |
平成17年/2005年6月・講談社刊 |
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『中村屋のボース ――インド独立運動と近代日本のアジア主義』 |
平成17年/2005年4月・白水社刊 |
最終候補作6篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成18年/2006年4月11日17:00~2時間 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成19年/2007年度
=[ 決定 ] 平成19年/2007年4月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成19年/2007年6月号選評掲載
受賞 |
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『黒澤明vs.ハリウッド ――『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて』 |
平成18年/2006年4月・文藝春秋刊 |
受賞 |
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『自壊する帝国』 |
平成18年/2006年5月・新潮社刊 |
候補 |
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『おそめ ――伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生』 |
平成18年/2006年1月・洋泉社刊 |
落合博実 |
『徴税権力 国税庁の研究』 |
平成18年/2006年12月・文藝春秋刊 |
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『暗闘 ――スターリン、トルーマンと日本降伏』 |
平成18年/2006年2月・中央公論新社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成19年/2007年4月12日17:00~2時間 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成20年/2008年度
=[ 決定 ] 平成20年/2008年4月7日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成20年/2008年6月号選評掲載
受賞 |
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『あの戦争から遠く離れて ――私につながる歴史をたどる旅』 |
平成19年/2007年9月・情報センター出版局刊 |
受賞 |
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『知られざる魯山人』 |
平成19年/2007年10月・文藝春秋刊 |
候補 |
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『明香ちゃんの心臓 ――〈検証〉東京女子医大病院事件』 |
平成19年/2007年4月・講談社刊 |
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『ピンポンさん ――異端と自己研鑽のDNA 荻村伊智朗伝』 |
平成19年/2007年7月・講談社/ジャーナル・ラボ |
最終候補作4篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成20年/2008年4月7日17:00~2時間 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成21年/2009年度
=[ 決定 ] 平成21年/2009年4月6日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成21年/2009年6月号選評掲載
受賞 |
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『キャパになれなかったカメラマン ――ベトナム戦争の語り部たち』(上)(下) |
平成20年/2008年9月・講談社刊 |
候補 |
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『なぜ君は絶望と闘えたのか ――本村洋の3300日』 |
平成20年/2008年7月・新潮社刊 |
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『移民環流 ――南米から帰ってくる日系人たち』 |
平成20年/2008年11月・新潮社刊 |
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『オーケストラ、それは我なり ――朝比奈隆 四つの試練』 |
平成20年/2008年9月・文藝春秋刊 |
最終候補作4篇 |
|
正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
|
選考委員 |
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選考委員会●平成21年/2009年4月6日17:00~2時間 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成22年/2010年度
=[ 決定 ] 平成22年/2010年4月5日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成22年/2010年6月号選評掲載
受賞 |
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『日本の路地を旅する』 |
平成21年/2009年12月・文藝春秋刊 |
受賞 |
川口有美子 |
『逝かない身体 ――ALS的日常を生きる』 |
平成21年/2009年12月・医学書院/シリーズケアをひらく |
候補 |
|
『康子十九歳 戦渦の日記』 |
平成21年/2009年7月・文藝春秋刊 |
|
『同和と銀行 ――三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録』 |
平成21年/2009年9月・講談社/現代プレミアブック |
最終候補作4篇 |
|
正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
|
選考委員 |
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選考委員会●平成22年/2010年4月5日17:00~2時間 [会場]東京銀座「松山」 |
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平成23年/2011年度
=[ 決定 ] 平成23年/2011年4月6日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成23年/2011年6月号選評掲載
受賞 |
|
『空白の五マイル ――チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』 |
平成22年/2010年11月・集英社刊 |
受賞 |
|
『ヤノマミ』 |
平成22年/2010年3月・日本放送出版協会刊 |
候補 |
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『天才 勝新太郎』 |
平成22年/2010年1月・文藝春秋/文春新書 |
竹内 明 |
『時効捜査 ――警察庁長官狙撃事件の深層』 |
平成22年/2010年4月・講談社刊 |
野口孝行 |
『脱北、逃避行 ――NGO日本人青年の脱北者支援活動と 中国獄中243日』 |
平成22年/2010年4月・新人物往来社刊 |
最終候補作5篇 |
|
正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成23年/2011年4月6日17:00~ [会場]帝国ホテル |
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平成24年/2012年度
=[ 決定 ] 平成24年/2012年4月10日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成24年/2012年6月号選評掲載
受賞 |
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『木村政彦はなぜ 力道山を殺さなかったのか』 |
平成23年/2011年9月・新潮社刊 |
受賞 |
森 健 と子どもたち |
『「つなみ」の子どもたち ――作文に書かれなかった物語』 |
平成23年/2011年12月・文藝春秋刊 |
『つなみ ――被災地のこども80人の作文集』 |
『文藝春秋』平成23年/2011年8月臨時増刊号 |
候補 |
|
『ホームレス歌人のいた冬』 |
平成23年/2011年3月・東海教育研究所刊 |
柳澤 健 |
『1985年のクラッシュ・ギャルズ』 |
平成23年/2011年9月・文藝春秋刊 |
最終候補作4篇 |
|
正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成24年/2012年4月10日17:00~ [会場]帝国ホテル |
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平成25年/2013年度
=[ 決定 ] 平成25年/2013年4月9日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成25年/2013年6月号選評掲載
受賞 |
|
『カウントダウン・メルトダウン』(上)(下) |
平成24年/2012年12月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『死の淵を見た男 ――吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』 |
平成24年/2012年12月・PHP研究所刊 |
五味洋治 |
『父・金正日と私 ――金正男独占告白』 |
平成24年/2012年1月・文藝春秋刊 |
|
『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか ――見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』 |
平成24年/2012年3月・講談社刊 |
|
『ネットと愛国 ――在特会の「闇」を追いかけて』 |
平成24年/2012年4月・講談社/g2 book |
最終候補作5篇 |
|
正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成25年/2013年4月9日17:00~ [会場]帝国ホテル |
|
平成26年/2014年度
=[ 決定 ] 平成26年/2014年4月3日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成26年/2014年6月号選評掲載
書籍部門
受賞 |
|
『市場と権力 ――「改革」に憑かれた経済学者の肖像』 |
平成25年/2013年4月・講談社刊 |
候補 |
|
『殺人犯はそこにいる ――隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』 |
平成25年/2013年12月・新潮社刊 |
鷲田 康 |
『10・8 ――巨人vs.中日 史上最高の決戦』 |
平成25年/2013年3月・文藝春秋刊 |
最終候補作3篇 |
雑誌部門
受賞 |
と週刊文春取材班 |
「全聾の作曲家はペテン師だった! ゴーストライター懺悔実名告白」 |
『週刊文春』平成26年/2014年2月13日号 |
候補 |
|
「鎖 なぜ生活保護は受け継がれるのか」 |
『g2』vol.14[平成25年/2013年9月] |
小林泰明 |
「死刑のための殺人 『土浦通り魔事件』死刑囚全記録」 |
『新潮45』平成25年/2013年6月号 |
|
「米太平洋軍が傍受した 張成沢粛清の内幕」 |
『文藝春秋』平成26年/2014年3月号 |
|
「中国・韓国 『ネット愛国者』を訪ねて」 |
『g2』vol.12[平成25年/2013年1月] |
最終候補作5篇 |
|
正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成26年/2014年4月3日15:00~ [会場]日本外国特派員協会 |
|
平成27年/2015年度
=[ 決定 ] 平成27年/2015年4月7日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成27年/2015年6月号選評掲載
書籍部門
受賞 |
須田桃子 |
『捏造の科学者 STAP細胞事件』 |
平成26年/2014年12月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『ひみつの王国 評伝 石井桃子』 |
平成26年/2014年6月・新潮社刊 |
|
『謝るなら、いつでもおいで』 |
平成26年/2014年3月・集英社刊 |
最終候補作3篇 |
雑誌部門
受賞 |
|
「ルポ 外国人『隷属』労働者」 |
『g2』vol.17[平成26年/2014年9月] |
候補 |
|
「朝日新聞『吉田調書』スクープは 従軍慰安婦虚報と同じだ」 |
『週刊ポスト』平成26年/2014年6月20日号 |
|
「実録 ソニー追い出し部屋」 (1)~(18) |
『FACTA』平成25年/2013年10月号~平成27年/2015年3月号 |
中村竜太郎 |
「ASKA逮捕!」 |
『週刊文春』平成26年/2014年5月29日号 |
|
「籾井新会長の暴走が始まる NHKvs官邸 メディアの死」 |
『文藝春秋』平成26年/2014年4月号 |
最終候補作5篇 |
|
正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
|
選考委員 |
|
選考委員会●平成27年/2015年4月7日15:00~ [会場]日本外国特派員協会 |
|
平成28年/2016年度
=[ 決定 ] 平成28年/2016年4月6日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成28年/2016年6月号選評掲載
書籍部門
受賞 |
|
『原爆供養塔 ――忘れられた遺骨の70年』 |
平成27年/2015年5月・文藝春秋刊 |
候補 |
|
『満洲難民 ――三八度線に阻まれた命』 |
平成27年/2015年5月・幻冬舎刊 |
|
『殺人犯との対話』 |
平成27年/2015年11月・文藝春秋刊 |
|
『切り捨てSONY ――リストラ部屋は何を奪ったか』 |
平成27年/2015年4月・講談社刊 |
最終候補作4篇 |
雑誌部門
受賞 |
児玉 博 |
「堤清二 『最後の肉声』」 |
『文藝春秋』平成27年/2015年4月号~6月号 |
候補 |
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「シリーズ 奈落の子供たち」 (「足立区『マネキン偽装』 虐待死事件」ほか) |
『新潮45』平成27年/2015年6月号、8月号、平成28年/2016年1月号 |
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「総理の影 菅義偉の正体」 |
『SAPIO』平成27年/2015年6月号~11月号 |
山口敬之 |
「韓国軍にベトナム人 慰安婦がいた!」 |
『週刊文春』平成27年/2015年4月2日号 |
最終候補作4篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●平成28年/2016年4月6日15:00~ [会場]日本外国特派員協会 |
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第1回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞
平成29年/2017年度
=[ 決定 ] 平成29年/2017年5月17日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成29年/2017年7月号選評掲載
大賞 |
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『小倉昌男 祈りと経営 ――ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』 |
平成28年/2016年1月・小学館刊 |
読者賞 |
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『日本会議の研究』 |
平成28年/2016年5月・扶桑社/扶桑社新書 |
候補 |
出井康博 |
『ルポ ニッポン絶望工場』 |
平成28年/2016年7月・講談社/講談社+α新書 |
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『いつかの夏 ――名古屋闇サイト殺人事件』 |
平成28年/2016年11月・KADOKAWA刊 |
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『狂うひと ――「死の棘」の妻・島尾ミホ』 |
平成28年/2016年10月・新潮社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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一般読者投票●平成29年/2017年4月4日~5月7日 |
選考顧問会●5月17日 |
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第2回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞
平成30年/2018年度
=[ 決定 ] 平成30年/2018年5月9日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成30年/2018年7月号選評掲載
大賞 |
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『悪だくみ ――「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』 |
平成29年/2017年12月・文藝春秋刊 |
読者賞 |
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『石つぶて ――警視庁二課刑事の残したもの』 |
平成29年/2017年7月・講談社刊 |
候補 |
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『裸足で逃げる ――沖縄の夜の街の少女たち』 |
平成29年/2017年2月・太田出版/atプラス叢書 |
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『子どもたちの階級闘争 ――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』 |
平成29年/2017年4月・みすず書房刊 |
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『戦禍に生きた演劇人たち ――演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』 |
平成29年/2017年7月・講談社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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一般読者投票●平成30年/2018年3月28日~4月24日 |
選考顧問会●5月9日 |
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平成31年/2019年度
=[ 決定 ] 令和1年/2019年5月15日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』令和1年/2019年7月号選評掲載
受賞 |
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『選べなかった命 ――出生前診断の誤診で生まれた子』 |
平成30年/2018年7月・文藝春秋刊 |
受賞 |
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『八九六四 ――「天安門事件」は再び起きるか』 |
平成30年/2018年5月・KADOKAWA刊 |
候補 |
先崎 学 |
『うつ病九段 ――プロ棋士が将棋を失くした一年間』 |
平成30年/2018年7月・文藝春秋刊 |
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『告白 ――あるPKO隊員の死・23年目の真実』 |
平成30年/2018年1月・講談社刊 |
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『軌道 ――福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』 |
平成30年/2018年4月・東洋経済新報社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●令和1年/2019年5月15日 |
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令和2年/2020年度
=[ 決定 ] 令和2年/2020年6月11日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』令和2年/2020年8月号選評掲載
受賞 |
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『チョンキンマンションのボスは知っている ――アングラ経済の人類学』 |
令和1年/2019年7月・春秋社刊 |
候補 |
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『無敗の男 ――中村喜四郎 全告白』 |
令和1年/2019年12月・文藝春秋刊 |
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『聖なるズー』 |
令和1年/2019年11月・集英社刊 |
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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 |
令和1年/2019年6月・新潮社刊 |
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『安楽死を遂げた日本人』 |
令和1年/2019年6月・小学館刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●令和2年/2020年6月11日15:00~ [会場]文藝春秋ビル |
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令和3年/2021年度
=[ 決定 ] 令和3年/2021年5月13日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』令和3年/2021年7月号選評掲載
受賞 |
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『女帝 小池百合子』 |
令和2年/2020年5月・文藝春秋刊 |
候補 |
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『ふくしま原発作業員日誌 ――イチエフの真実、9年間の記録』 |
令和2年/2020年2月・朝日新聞出版刊 |
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『エンド・オブ・ライフ』 |
令和2年/2020年2月・集英社インターナショナル刊 |
春名幹男 |
『ロッキード疑獄 ――角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』 |
令和2年/2020年10月・KADOKAWA刊 |
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『一八〇秒の熱量』 |
令和2年/2020年7月・双葉社刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●令和3年/2021年5月13日 |
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令和4年/2022年度
=[ 決定 ] 令和4年/2022年5月12日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』令和4年/2022年7月号選評掲載
受賞 |
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『嫌われた監督 ――落合博満は中日をどう変えたのか』 |
令和3年/2021年9月・文藝春秋刊 |
受賞 |
樋田 毅 |
『彼は早稲田で死んだ ――大学構内リンチ殺人事件の永遠』 |
令和3年/2021年11月・文藝春秋刊 |
候補 |
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『家族不適応殺 ――新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』 |
令和3年/2021年9月・KADOKAWA刊 |
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『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』 |
令和3年/2021年9月・集英社インターナショナル刊 |
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『災害特派員』 |
令和3年/2021年2月・朝日新聞出版刊 |
最終候補作5篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●令和4年/2022年5月12日 |
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令和5年/2023年度
=[ 決定 ] 令和5年/2023年5月17日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』令和5年/2023年7月号選評掲載
受賞 |
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『黒い海 ――船は突然、深海へ消えた』 |
令和4年/2022年12月・講談社刊 |
候補 |
石川陽一 |
『いじめの聖域 ――キリスト教学校の闇に挑んだ両親の全記録』 |
令和4年/2022年11月・文藝春秋刊 |
鈴木エイト |
『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』 |
令和4年/2022年10月・小学館刊 |
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『ソ連兵へ差し出された娘たち』 |
令和4年/2022年1月・集英社刊 |
最終候補作4篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●令和5年/2023年5月17日 |
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令和6年/2024年度
=[ 決定 ] 令和6年/2024年5月17日
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』令和6年/2024年7月号選評掲載
受賞 |
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『鬼の筆 ――戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』 |
令和5年/2023年11月・文藝春秋刊 |
候補 |
石川結貴 |
『家で死ぬということ ――ひとり暮らしの親を看取るまで』 |
令和5年/2023年8月・文藝春秋刊 |
古川英治 |
『ウクライナ・ダイアリー ――不屈の民の記録』 |
令和5年/2023年8月・KADOKAWA刊 |
森合正範 |
『怪物に出会った日 ――井上尚弥と闘うということ』 |
令和5年/2023年10月・講談社刊 |
最終候補作4篇 |
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正賞100万円
副賞日本航空による国際線往復航空券
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選考委員 |
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選考委員会●令和6年/2024年5月15日 |
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