『南国太平記』などを著し、大衆文芸の世界で活躍した直木三十五氏が、昭和9年/1934年2月24日、享年43歳で亡くなりました(直木三十五氏の詳しい情報はこちら)。
氏と親交の深かった菊池寛は、自らが率いていた文藝春秋社で、直木氏を記念する賞を設けることを画策。『文藝春秋』誌の昭和9年/1934年4月号に、次のようなことを述べています。
氏と親交の深かった菊池寛は、自らが率いていた文藝春秋社で、直木氏を記念する賞を設けることを画策。『文藝春秋』誌の昭和9年/1934年4月号に、次のようなことを述べています。
直木を紀念するために、社で直木賞と云ふやうなものを制定し、大衆文芸の新進作家に贈らうかと思つてゐる。それと同時に芥川賞金と云ふものを制定し、純文芸の新進作家に贈らうかと思つてゐる。これは、その賞金に依つて、亡友を紀念すると云ふ意味よりも、芥川直木を失つた本誌の賑やかしに亡友の名前を使はうと云ふのである。
そして、『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号、 記念すべき両賞制定の宣言文が掲載されました(横書きで恐縮ですが一部抜粋します)。
芥川・直木賞宣言
一、故芥川龍之介、直木三十五両氏の名を記念する為茲に「芥川龍之介賞」並びに「直木三十五賞」を制定し、文運隆盛の一助に資することゝした。
一、右に要する賞金及び費用は文藝春秋社が之を負担する。
直木三十五賞規定
一、直木三十五賞は個人賞にして広く各新聞雑誌(同人雑誌を含む)に発表されたる無名若しくは新進作家の大衆文芸中最も優秀なるものに呈す。
二、直木三十五賞は賞牌(時計)を以てし別に副賞として金五百円也を贈呈す。
三、直木三十五賞受賞者の審査は「直木賞委員」之を行ふ。委員は故人と交誼あり且つ本社と関係深き左の人々を以て組織す。
菊池寛・久米正雄・吉川英治・大佛次郎・小島政二郎・三上於菟吉・白井喬二・佐佐木茂索(順序不同)
四、直木三十五賞は六ヶ月毎に審査を行ふ。適当なるものなき場合は授賞を行はず。
五、直木三十五賞受賞者には「オール讀物」の誌面を提供し大衆文芸一篇を発表せしむ。
(以下略)
当初は、かように直木賞の運営(経営)は、文藝春秋社という民間企業一社が興し、担っていたわけですが、第7回(昭和13年/1938年・上半期)から([H19]2007/8/6まで、ここを第6回(昭和12年/1937年・下半期)からと書いていましたが、それは間違いです)、新たに組織された財団法人日本文学振興会([H22]2010/2/8より公益財団法人)が受け継ぎ、現在に至っています。
一、故芥川龍之介、直木三十五両氏の名を記念する為茲に「芥川龍之介賞」並びに「直木三十五賞」を制定し、文運隆盛の一助に資することゝした。
一、右に要する賞金及び費用は文藝春秋社が之を負担する。
芥川・直木賞委員会
(「芥川龍之介賞規定」は中略)直木三十五賞規定
一、直木三十五賞は個人賞にして広く各新聞雑誌(同人雑誌を含む)に発表されたる無名若しくは新進作家の大衆文芸中最も優秀なるものに呈す。
二、直木三十五賞は賞牌(時計)を以てし別に副賞として金五百円也を贈呈す。
三、直木三十五賞受賞者の審査は「直木賞委員」之を行ふ。委員は故人と交誼あり且つ本社と関係深き左の人々を以て組織す。
菊池寛・久米正雄・吉川英治・大佛次郎・小島政二郎・三上於菟吉・白井喬二・佐佐木茂索(順序不同)
四、直木三十五賞は六ヶ月毎に審査を行ふ。適当なるものなき場合は授賞を行はず。
五、直木三十五賞受賞者には「オール讀物」の誌面を提供し大衆文芸一篇を発表せしむ。
(以下略)
さて、現在のところ、直木賞が対象とする作家・作品は、どのように定義づけられているのでしょうか。文藝春秋のホームページを見てみると、こうあります。
対象となる期間は、創設以来、変遷がありましたが現在は、
最終的に直木賞の授賞は、7月と1月に行われる選考委員会において、選考委員たちが討議をして決めます。しかし彼らが、対象となる期間に発表された全作品を読むわけにはいかないので、選考委員会に先立ち、候補作品が幾作品か選ばれ、それを選考委員会の俎上に乗せることになります。
この候補作品は、どうやって決められるのでしょうか。文藝春秋の社員が、この選考役に当たるようです。『オール讀物』編集部員や出版部員、合わせて20名が多数決で決めるといいます。多数決だから「審査は絶対公平」には違いありませんが、候補作品に、文藝春秋系の作品(文藝春秋が刊行した単行本、『別冊文藝春秋』『オール讀物』に掲載された中・短篇)が自然と多くなるのは、この仕組み上いかんともしがたいところでしょう。
受賞作・候補作一覧を見れば一目瞭然、文藝春秋系の作品が候補作に挙げられなかったのは、平成に入ってから一度もありません。いちばん最近で、第86回(昭和56年/1981年・下半期)というから、約25年前です。新潮社が設けている山本周五郎賞という大衆文芸賞に、かならず新潮社の本が1冊は候補にのぼるのと同じ原理です。
「各新聞・雑誌(同人雑誌を含む)あるいは単行本として発表された短編および長編の大衆文芸作品中最も優秀なるものに呈する」「無名・新進・中堅作家が対象となる」
先の「直木三十五賞規定」の「一」と比べてみると、やはり歴史を感じます。いつの頃から「中堅作家」が対象のなかに加えられたのか、未調査なので何ともいえませんが、最近の授賞傾向を見ても、もはや直木賞を「新人作家の登龍門」と紋切り型で表現するのは誤っていると言うしかありません。対象となる期間は、創設以来、変遷がありましたが現在は、
上半期……前年12月1日~5月31日までに公表されたもの。雑誌、同人雑誌は11月1日~5月31日まで
下半期……6月1日~11月30日までに公表されたもの。雑誌、同人雑誌は5月1日~10月31日まで
ということになっています。下半期……6月1日~11月30日までに公表されたもの。雑誌、同人雑誌は5月1日~10月31日まで
最終的に直木賞の授賞は、7月と1月に行われる選考委員会において、選考委員たちが討議をして決めます。しかし彼らが、対象となる期間に発表された全作品を読むわけにはいかないので、選考委員会に先立ち、候補作品が幾作品か選ばれ、それを選考委員会の俎上に乗せることになります。
この候補作品は、どうやって決められるのでしょうか。文藝春秋の社員が、この選考役に当たるようです。『オール讀物』編集部員や出版部員、合わせて20名が多数決で決めるといいます。多数決だから「審査は絶対公平」には違いありませんが、候補作品に、文藝春秋系の作品(文藝春秋が刊行した単行本、『別冊文藝春秋』『オール讀物』に掲載された中・短篇)が自然と多くなるのは、この仕組み上いかんともしがたいところでしょう。
受賞作・候補作一覧を見れば一目瞭然、文藝春秋系の作品が候補作に挙げられなかったのは、平成に入ってから一度もありません。いちばん最近で、第86回(昭和56年/1981年・下半期)というから、約25年前です。新潮社が設けている山本周五郎賞という大衆文芸賞に、かならず新潮社の本が1冊は候補にのぼるのと同じ原理です。