生没年月日【注】 | 明治39年/1906年12月3日(戸籍上は明治40年/1907年1月25日)~昭和35年/1960年1月24日 | |
在任期間 | 第18回~第20回(通算1.5年・3回) | |
在任年齢 | 37歳0ヶ月~38歳0ヶ月 | |
経歴 | 本名=玉井勝則。福岡県遠賀郡若松町(現・北九州市)生まれ。早稲田大学英文科中退。昭和9年/1934年、劉寒吉・岩下俊作らの同人詩誌『とらんしつと』に参加。日中戦争出征中に芥川賞受賞。従軍記『麦と兵隊』がベストセラーとなる。昭和35年/1960年自殺。 | |
受賞歴・候補歴 | ||
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個人全集 | 『火野葦平選集』全8巻(昭和33年/1958年2月~昭和34年/1959年6月・東京創元社刊) | |
芥川賞候補歴 | 第6回受賞 「糞尿譚」(『文學會議』4冊[昭和12年/1937年11月]) 第6回参考作品 「山芋」(『文學會議』2冊[昭和12年/1937年6月]) 第6回参考作品 「河豚」(『文學會議』3冊[昭和12年/1937年8月]) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 火野葦平 37歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
黒木清次 | 28歳 |
○ | 2 | 「未完なので、あとまわしになったが、完結していたら、私はこれを推すつもりであった。」 |
41歳 |
□ | 8 | 「まことにうまい作品で、今度の芥川賞とすれば、もとより、申し分はないが、私には小説作法というものに気をつかいすぎているようで、そこに首を傾げるものがあった。」「しかし、出征した兵隊の妻となるべき女を、家の者がいたわり、また、いたわられながら、いろいろ気をつかっている女の気持などがよくあらわれていて、私はときどき涙をもよおした。」 | |
「私はいつもそう思うのであるが、このごろの同人雑誌を読むと、どの作品もなかなかうまい。私はそれに感心したり、また不満だったりする。」「もっと、形はととのわなくてもよいから、胸の底に触れて来る作品が欲しいと思うのである。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和19年/1944年3月号) |