Last Update●[R6]2024/11/5
主催 |
日本エッセイスト・クラブ |
対象 |
広義のエッセイ(随想、評論、ノンフィクションなどを含む)作品で、とくに新人の発掘をめざす。 |
対象期間 |
前年4月1日~当年3月31日 |
昭和28年/1953年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』4号[昭和28年/1953年8月]発表
受賞 |
市川謙一郎 |
「一日一言」 |
『北海タイムス』昭和27年/1952年-月 |
受賞 |
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『数学の影絵』 |
昭和27年/1952年9月・東和社刊 |
受賞 |
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『きつつきの路』 |
昭和27年/1952年10月・東和社刊 |
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選考委員 |
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授賞式●昭和28年/1953年6月13日16:30~20:00 [会場]東京会館別館 |
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昭和29年/1954年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』5号[昭和29年/1954年9月]発表
受賞 |
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『院長日記』 |
昭和28年/1953年8月・筑摩書房刊 |
受賞 |
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「私の見たこと、聞いたこと」 |
昭和25年/1950年6月~・NHKラジオ放送 |
受賞 |
須田 栄 |
「千夜一夜」 |
『東京新聞』昭和11年/1936年7月~ |
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選考委員 |
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授賞式●昭和29年/1954年6月23日16:00~ [会場]銀座・山一ホール |
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昭和30年/1955年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』7号[昭和30年/1955年8月]発表
受賞 |
木下広居 |
『イギリスの議会』 |
昭和29年/1954年12月・読売新聞社刊 |
受賞 |
片山廣子 |
『燈火節』 |
昭和28年/1953年6月・暮しの手帖社刊 |
候補 |
阪本 勝 |
『市長の手帖』 |
昭和29年/1954年10月・新元社刊 |
塚本 哲 |
『赤いサンダル ――社会福祉ノート』 |
昭和30年/1955年2月・理想社刊 |
山田和男 |
『続 英語こぼれ話』 |
昭和30年/1955年-月・文建書房刊 |
最終候補作5点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦約30点 |
予選候補 |
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『アンドレ・ジイド論』 |
昭和29年/1954年-月・☆☆刊 |
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『平和論にたいする疑問』 |
昭和30年/1955年2月・文藝春秋新社刊 |
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『食いしん坊』 |
昭和29年/1954年9月・文藝春秋新社刊 |
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『わが文学生活』(1)(2) |
昭和29年/1954年9月、10月・大日本雄弁会講談社刊 |
新居 格 |
『区長日記』 |
昭和30年/1955年5月・学芸通信社刊 |
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選考委員 |
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審査委員会決定●昭和29年/1954年末 |
推薦依頼●昭和30年/1955年1月 |
決定発表●5月15日 |
授賞式●6月15日16:00~ [会場]銀座・山一証券ホール |
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昭和31年/1956年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』8号[昭和31年/1956年8月]発表
受賞 |
小林 勇 |
『遠いあし音』 |
昭和30年/1955年12月・文藝春秋新社刊 |
受賞 |
清水 一 |
『すまいの四季』 |
昭和31年/1956年-月・暮しの手帖社刊 |
受賞 |
藤田信勝 |
『不思議な国イギリス』 |
昭和30年/1955年9月・毎日新聞社刊 |
候補作7~8点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦50数点 |
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選考委員 |
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審査委員会決定●昭和31年/1956年1月末 |
第一回審査会●2月半 |
協議●4月~6月 |
授賞式●6月30日16:00~ [会場]銀座・山一証券ホール |
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昭和32年/1957年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』9号[昭和32年/1957年8月]発表
受賞 |
小熊 捍 |
『桃栗三年』 |
昭和32年/1957年3月・内田老鶴圃刊 |
受賞 |
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『野鳥と生きて』 |
昭和31年/1956年12月・ダヴィッド社刊 |
受賞 |
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『父の帽子』 |
昭和32年/1957年2月・筑摩書房刊 |
候補 |
鍋島直紹 |
『ほりばた』 |
昭和32年/1957年1月・佐賀県立図書館刊 |
藤田晴子 |
『楽の音によせて』 |
昭和31年/1956年12月・音楽之友社/音楽新書 |
白石 凡 |
『サンチョ・パンサの言葉』 |
昭和31年/1956年6月・中央公論社刊 |
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『食は広州に在り』 |
昭和32年/1957年4月・龍星閣刊 |
岡部伊都子 |
『いとはんさいなら』 |
昭和32年/1957年3月・創元社刊 |
最終候補作8点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦46点 |
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選考委員 |
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推薦受付●昭和32年/1957年4月30日まで |
第一回審査会●5月15日 8点を選定 [会場]山一サロン |
第二回審査会●6月4日 [会場]本部 |
授賞式●6月14日16:00~18:00すぎ [会場]銀座・山一証券ホール |
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昭和33年/1958年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』10号[昭和33年/1958年8月]発表
受賞 |
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『ものいわぬ農民』 |
昭和33年/1958年2月・岩波書店/岩波新書 |
受賞 |
佐々木祝雄 |
『三十八度線』 |
昭和32年/1957年8月・全国引揚孤児育英援護会刊 |
受賞 |
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『薄田泣菫』 |
昭和32年/1957年9月・角川書店刊 |
候補 |
桜井忠温 |
『哀しきものの記録』 |
昭和32年/1957年12月・文藝春秋新社刊 |
菅 裸馬 (菅礼之助) |
『うしろむき』(上)(下) |
昭和33年/1958年1月・俳句研究社刊 |
最終候補作7点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦49点 |
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選考委員 |
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第一回審査会●7点を選定 |
第二回審査会●昭和33年/1958年6月11日 |
授賞式●6月26日15:00~ [会場]東京ステーション・ホテル |
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昭和34年/1959年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』11号[昭和34年/1959年8月]発表
受賞 |
竹田米吉 |
『職人 ――一建築家の回想』 |
昭和33年/1958年11月・工作社刊 |
受賞 |
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『海辺の熔岩』 |
昭和33年/1958年-月・創文社刊 |
受賞 |
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『地中海からの手紙』 |
昭和33年/1958年11月・毎日新聞社刊 |
候補 |
飯田美稲 |
『湯とうふ』 |
昭和33年/1958年12月・八木書店刊 |
池島信平 |
『雑誌記者』 |
昭和33年/1958年10月・中央公論社刊 |
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『人間巴里』 |
昭和33年/1958年11月・文藝春秋新社刊 |
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『芸術家との対話』 |
昭和33年/1958年7月・美術出版社刊 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦62点 |
予選候補 |
秋山徳蔵 |
『料理のコツ』 |
昭和34年/1959年3月・有紀書房刊 |
坂口三千代 |
「クラクラ日記」 |
『酒』昭和32年/1957年-月~ |
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「船上にて」 |
『文芸首都』昭和34年/1959年1月号~5月号 |
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「海辺にて」 |
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選考委員 |
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第一回審査会●7点を選定 |
第二回審査会●昭和34年/1959年6月11日 |
授賞式●6月15日16:30~18:30 [会場]銀座・山一証券ホール |
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昭和35年/1960年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』12号[昭和35年/1960年8月]発表
受賞 |
高橋喜平 |
『雪国動物記』 |
昭和34年/1959年11月・明玄書房刊 |
受賞 |
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『秘境ブータン』 |
昭和34年/1959年11月・毎日新聞社刊 |
受賞 |
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『父・萩原朔太郎』 |
昭和34年/1959年11月・筑摩書房刊 |
候補 |
木村 繁 |
『筑波山』二版 |
昭和34年/1959年-月・朝日新聞水戸支局刊 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦73点 |
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選考委員 |
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第一回審査会●昭和35年/1960年5月10日 14点を選定 [会場]クラブ事務所 |
第二回審査会●5月30日 [会場]クラブ事務所 |
授賞式●6月20日16:00~ [会場]銀座・米津風月堂 |
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昭和36年/1961年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』13号[昭和36年/1961年9月]発表
受賞 |
塚田泰三郎 |
『和時計』 |
昭和35年/1960年12月・東峰書院刊 |
受賞 |
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『日本の離島』 |
昭和35年/1960年9月・未来社刊 |
受賞 |
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『ロッテルダムの灯』 |
昭和35年/1960年5月・レグホン舎刊 |
候補 |
並木正吉 |
『農村は変わる』 |
昭和35年/1960年7月・岩波書店/岩波新書 |
中山誠記 |
『食生活はどうなるか』 |
昭和35年/1960年9月・岩波書店/岩波新書 |
戸川猪佐武 |
『戦後風俗史 ――ろうそくからテレビへ 廃墟から生活革命へ』 |
昭和35年/1960年4月・雪華社刊 |
浜野重郎 |
『子供とともに』 |
昭和36年/1961年-月・フェニックス書院刊 |
坂崎乙郎 |
『夜の画家たち ――表現主義から抽象へ』 |
昭和35年/1960年12月・雪華堂刊 |
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『母そはの母』 |
昭和35年/1960年6月・東都書房刊 |
田中隆尚 |
『茂吉随聞』(上)(下) |
昭和35年/1960年5月・筑摩書房刊 |
松尾ちよ子 |
『ママおうちが燃えてるの』 |
昭和36年/1961年5月・やしま書房刊 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦97点(80名) |
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選考委員 |
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審査委員会決定●昭和36年/1961年3月 |
推薦受付●4月30日まで |
第一回審査会●5月22日 約30名を選定 |
第二回審査会●6月2日 |
第三回審査会●6月5日 |
授賞式●6月20日16:00~18:00 [会場]東京会館別館 |
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昭和37年/1962年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』14号[昭和37年/1962年9月]発表
受賞 |
小門勝二 |
『散人』1号~12号 |
昭和36年/1961年5月~昭和37年/1962年4月・私家版 |
受賞 |
小島亮一 |
『ヨーロッパ手帳』 |
昭和36年/1961年7月・朝日新聞社刊 |
受賞 |
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『父阿部次郎 ――愛と死』 |
昭和36年/1961年8月・角川書店刊 |
候補 |
岡本文弥 |
『芸渡世』 |
昭和37年/1962年3月・三月書房刊 |
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『目の見えぬ子ら ――点字の作文をそだてる』 |
昭和36年/1961年12月・岩波書店/岩波新書 |
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『日常茶飯事』 |
昭和37年/1962年-月・工作社刊 |
渋沢華子 |
『やどかり』 |
昭和37年/1962年3月・聖パウロ女子修道会/ユニヴァーサル文庫 |
島田とみ子 |
『イギリスの女性』 |
昭和36年/1961年10月・大修館書店刊 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦60点 |
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選考委員 |
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第一回審査会●昭和37年/1962年5月12日 |
第二回審査会●5月30日 |
第三回審査会●6月4日 |
授賞式●6月20日16:00~18:00 [会場]東京会館別館 |
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昭和38年/1963年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』15号[昭和38年/1963年9月]発表
受賞 |
新保千代子 |
『室生犀星 ――ききがき抄』 |
昭和37年/1962年12月・角川書店刊 |
受賞 |
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『シルクロード』 |
昭和37年/1962年8月・美術出版社刊 |
受賞 |
石井好子 |
「巴里の空の下 オムレツのにおいは流れる」 |
『暮しの手帖』54号[昭和35年/1960年5月]~昭和37年/1962年 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦134点 |
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選考委員 |
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第一回審査会●昭和38年/1963年5月30日 |
授賞式●7月10日16:00~18:00 [会場]東京会館別館 |
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昭和39年/1964年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』16号[昭和39年/1964年10月]発表
受賞 |
片岡弥吉 |
『浦上四番崩れ』 |
昭和38年/1963年10月・筑摩書房/グリーンベルト・シリーズ |
受賞 |
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『蜘蛛百態』 |
昭和39年/1964年2月・赤光発行所/赤光叢書 |
受賞 |
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『説教と話芸』 |
昭和39年/1964年2月・青蛙房刊 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦96点 |
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選考委員 |
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第一回審査会●30点を選定 |
第二回審査会●決定 |
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昭和40年/1965年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』17号[昭和40年/1965年9月]発表
受賞 |
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『ロバータさあ歩きましょう』 |
昭和39年/1964年-月・朝日新聞社刊 |
受賞 |
坂田貞之 |
『列車ダイヤの話』 |
昭和39年/1964年9月・中央公論社/中公新書 |
受賞 |
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『美女とネズミと神々の島』 |
昭和39年/1964年7月・河出書房刊 |
候補 |
団 伊玖磨 |
『エスカルゴの歌』 |
昭和39年/1964年6月・文代服装学院出版局刊 |
むのたけじ |
『雪と足と』 |
昭和39年/1964年10月・文藝春秋新社刊 |
最終候補作5点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦110点 |
予選候補 |
末広恭雄 |
『魚と伝説』 |
昭和39年/1964年11月・新潮社刊 |
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『濠端随筆』 |
昭和40年/1965年2月・文藝春秋新社刊 |
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選考委員 |
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第一回審査会●30点を選定 |
第二回審査会●決定 |
贈呈式●7月14日 [会場]丸の内東商スカイルーム |
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昭和41年/1966年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』18号[昭和41年/1966年9月]発表
受賞 |
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『真贋 ――美と欲望の11章』 |
昭和40年/1965年11月・講談社刊 |
受賞 |
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『住み方の記』 |
昭和40年/1965年6月・文藝春秋新社刊 |
受賞 |
阿部 孝 |
『ばら色のばら』 |
昭和40年/1965年8月・高知新聞社刊 |
候補 |
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『南極 ――最後の大陸を行く』 |
昭和40年/1965年-月・日本放送出版協会刊 |
江國 滋 |
『落語美学』 |
昭和40年/1965年12月・東京書房刊 |
五来 重 |
『高野聖』 |
昭和40年/1965年5月・角川書店/角川新書 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦150点 |
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正賞記念品+副賞5万円 |
選考委員 |
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第一回審査会●昭和41年/1966年5月28日 |
決定●6月 |
贈呈式●7月11日16:00~18:00 [会場]丸の内東商スカイルーム |
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昭和42年/1967年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』19号[昭和42年/1967年8月]発表
受賞 |
宮本又次 |
『関西と関東』 |
昭和41年/1966年10月・青蛙房/青蛙選書 |
受賞 |
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『春夏秋冬帖』 |
昭和41年/1966年5月・牧羊社刊 |
受賞 |
佐藤達夫 |
『植物誌』 |
昭和41年/1966年12月・雪華社刊 |
候補 |
和田重正 |
『山あり花咲きて父母いませり』 |
昭和42年/1967年2月・柏樹社刊 |
柳永二郎 |
『絵番附・新派劇談』 |
昭和41年/1966年11月・青蛙房/青蛙選書 |
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『魚との対話』 |
昭和42年/1967年1月・現文社刊 |
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『教師一代』 |
昭和41年/1966年-月・共文社刊 |
最終候補作7点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦107点 |
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正賞記念品+副賞10万円 |
選考委員 |
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第一回審査会●昭和42年/1967年5月 71点を選定 |
第二回審査会●35点を選定 |
第三回審査会●7点を選定 |
贈呈式●7月11日16:00~18:00 [会場]東京商工会議所スカイルーム |
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昭和43年/1968年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』20号[昭和43年/1968年8月]発表
受賞 |
団藤重光 |
『刑法紀行』 |
昭和42年/1967年10月・創文社刊 |
受賞 |
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『フィールド・ノート[野帖] ――文化人類学・思索の旅』 |
昭和42年/1967年9月・新潮社/新潮選書 |
受賞 |
|
『われら動物みな兄弟 ――愛と生命の科学』 |
昭和42年/1967年11月・協同企画社刊 |
候補 |
山本作兵衛 |
『炭礦(ヤマ)に生きる ――地の底の人生記録』 |
昭和42年/1967年10月・講談社刊 |
佐藤信行 |
『未開と文明の交点 ――南米諸族の人類学覚え書』 |
昭和42年/1967年11月・日本放送出版協会/NHKブックス |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦100点 |
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選考委員 |
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第一回審査会●40点を選定 |
第二回審査会 |
贈呈式●7月1日16:00~18:00 [会場]東京商工会議所スカイルーム |
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昭和44年/1969年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』21号[昭和44年/1969年8月]発表
受賞 |
佐貫亦男 |
『引力とのたたかい―とぶ―』 |
昭和44年/1969年-月・法政大学出版局/叢書・現象を見つめる |
受賞 |
|
『きものの思想』 |
昭和43年/1968年9月・毎日新聞社刊 |
受賞 |
|
『戯場戯語』 |
昭和43年/1968年10月・中央公論社刊 |
候補 |
内村祐之 |
『わが歩みし精神医学の道』 |
昭和43年/1968年9月・みすず書房刊 |
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『枇杷の花』 |
昭和43年/1968年3月・短歌新聞社刊 |
|
『「岩宿」の発見 ――幻の旧石器を求めて』 |
昭和44年/1969年1月・講談社刊 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦約100点 |
|
選考委員 |
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予備審査●82点を選定 |
最終(第五回)審査会●6月25日 |
贈呈式●7月7日16:00~18:00 [会場]東京商工会議所スカイルーム |
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昭和45年/1970年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』22号[昭和45年/1970年8月]発表
受賞 |
仲田定之助 |
『明治商売往来』 |
昭和44年/1969年1月・青蛙房/青蛙選書 |
受賞 |
|
『アメリカにおける秋山真之 ――明治期日本人の一肖像』 |
昭和44年/1969年7月・朝日新聞社刊 |
受賞 |
|
『決められた以外のせりふ』 |
昭和45年/1970年2月・新潮社刊 |
受賞 |
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『情報人間の時代』 |
昭和44年/1969年-月・実業之日本社刊 |
候補 |
|
『第二次世界大戦前夜 ――ヨーロッパ1939年』 |
昭和44年/1969年8月・岩波書店/岩波新書 |
|
『花―美への行動と日本文化』 |
昭和44年/1969年10月・日本放送出版協会刊 |
|
『青春の山想』 |
昭和44年/1969年11月・二見書房/山岳名著シリーズ |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦約120点 |
|
選考委員 |
|
第一回審査会●30冊を選定 |
第二回審査会●9冊を選定 |
贈呈式●7月4日14:00~17:00すぎ [会場]東京商工会議所スカイルーム |
|
昭和46年/1971年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』23号[昭和46年/1971年8月]発表
受賞 |
|
『沖縄に生きて』 |
昭和45年/1970年9月・サイマル出版会/サイマル・ドキュメント |
受賞 |
|
『続 関西名作の風土』 |
昭和46年/1971年3月・創元社刊 |
候補 |
|
『秘話ある山河』 |
昭和45年/1970年11月・日本交通公社/新旅行選書 |
堀 多恵子 |
『葉鶏頭 ――辰雄のいる随筆』 |
昭和45年/1970年6月・麦書房刊 |
|
正賞+副賞10万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
第一回審査会●4月15日 |
第二回審査会●5月20日 30数冊を選定 |
第三回審査会●6月11日 8冊を選定 |
最終審査会●6月24日 |
贈呈式●7月3日14:00~ [会場]東京商工会議所スカイルーム |
|
昭和47年/1972年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』24号[昭和47年/1972年8月]発表
受賞 |
堀 淳一 |
『地図のたのしみ』 |
昭和47年/1972年1月・河出書房新社刊 |
受賞 |
|
『雉子の聲』 |
昭和47年/1972年1月・東京美術刊 |
候補 |
植田多喜子 |
『うずみ火』 |
昭和47年/1972年-月・仙石出版社刊 |
|
『落花抄 ――娘白蘭への鎮魂歌』 |
昭和47年/1972年3月・中央公論社刊 |
|
『潜像残像 ――写真家の体験的回想』 |
昭和46年/1971年7月・河出書房新社刊 |
|
『和魂洋才の系譜 ――内と外からの明治日本』 |
昭和46年/1971年12月・河出書房新社刊 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦96点 |
|
正賞+副賞10万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
第一回審査会●5月12日 33点を選定 |
第二回審査会●5月29日 15点を選定 |
最終(第三回)審査会 |
贈呈式●7月1日14:00~ [会場]東京商工会議所スカイルーム |
|
昭和48年/1973年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』25号[昭和48年/1973年8月]発表
受賞 |
鳥羽欽一郎 |
『二つの顔の日本人 ――東南アジアの中で』 |
昭和48年/1973年3月・中央公論社/中公新書 |
受賞 |
斎藤真一 |
『瞽女 ――盲目の旅芸人』 |
昭和47年/1972年5月・日本放送出版協会刊 |
受賞 |
樋口敬二 |
『地球からの発想』 |
昭和47年/1972年12月・新潮社/新潮選書 |
候補 |
畠山久尚 |
『雷の科学』 |
昭和45年/1970年10月・河出書房新社/科学選書 |
多田 晃 |
『テレビの思想 ――日本的発想からの転換』 |
昭和47年/1972年10月・サイマル出版会刊 |
最終候補作11点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦104点 |
予選候補 |
高橋誠一郎 |
『春日随想』 |
昭和48年/1973年1月・読売新聞社刊 |
|
『私のヨーロッパ』 |
昭和47年/1972年10月・新潮社/新潮選書 |
|
『ルワンダ中央銀行総裁日記』 |
昭和47年/1972年6月・中央公論社/中公新書 |
片桐喜一、要一 |
『ふたごの校長』 |
|
正賞+副賞10万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
第一回審査会●5月10日 |
第二回審査会●5月31日 |
最終(第三回)審査会●6月15日 |
贈呈式●6月30日14:00~ [会場]東京商工会議所スカイルーム |
|
昭和49年/1974年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』26号[昭和49年/1974年9月]発表
受賞 |
|
『日本人とすまい』 |
昭和49年/1974年3月・岩波書店/岩波新書 |
受賞 |
|
『曠野から ――アフリカで考える』 |
昭和48年/1973年8月・筑摩書房刊 |
受賞 |
早川良一郎 |
『A STUDY OF SMOKING』 |
昭和48年/1973年-月・私家版 |
候補 |
|
『学問への散策』 |
昭和49年/1974年3月・岩波書店刊 |
藤本浩一 |
『木地山紀行 ――秘境の民』 |
昭和48年/1973年-月・角川書店刊 |
岡田酉次 |
『日中戦争裏方記』 |
昭和49年/1974年3月・東洋経済新報社刊 |
榊 莫山 |
『人と書と』 |
昭和48年/1973年12月・日本放送出版協会/NHK女性手帳 |
石坂直行 |
『ヨーロッパ車いすひとり旅』 |
昭和48年/1973年5月・日本放送出版協会刊 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦91点 |
|
正賞+副賞10万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
初会合●4月15日 |
第一回審査会●5月10日 |
第二回審査会●5月31日 |
最終(第三回)審査会●6月14日 |
贈呈式●7月6日14:00~16:00 [会場]東京商工会議所スカイルーム |
|
昭和50年/1975年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』27号[昭和50年/1975年9月]発表
受賞 |
(加古里子) |
『遊びの四季 ――ふるさとの伝承遊戯考』 |
昭和50年/1975年4月・じゃこめてぃ出版刊 |
受賞 |
|
『ヨーロッパとの対話』 |
昭和49年/1974年8月・日本経済新聞社刊 |
受賞 |
|
『一銭五厘たちの横丁』 |
昭和50年/1975年2月・晶文社刊 |
特別賞 |
|
『上海時代 ――ジャーナリストの回想』(上)(中)(下) |
昭和49年/1974年10月、12月、昭和50年/1975年3月・中央公論社/中公新書 |
候補 |
|
『綱大夫四季』 |
昭和49年/1974年10月・南窓社刊 |
森 文作 |
『ごまめのはぎしり』[正](続) |
昭和50年/1975年-月・カンデラ書館刊 |
|
『釣山河』 |
昭和50年/1975年-月・二見書房/釣魚名著シリーズ |
小林禎作 |
『雪に魅せられた人びと』 |
昭和50年/1975年-月・築地書館刊 |
谷村 裕 |
『ずいひつ大蔵省の隠語』 |
昭和49年/1974年11月・日本経済新聞社刊 |
|
『灼熱の氷惑星 ――地球との接触でノア大洪水が再襲来』 |
昭和50年/1975年2月・原書房刊 |
大久保喬樹 |
『パリの静かな時』 |
昭和49年/1974年11月・北洋社刊 |
|
『名品流転』 |
昭和50年/1975年-月・読売新聞社刊 |
与謝野迪子 |
『想い出』 |
昭和49年/1974年5月・与謝野光刊 |
|
『呪われたシルク・ロード』 |
昭和50年/1975年4月・角川書店刊 |
最終候補作15点 |
|
正賞+副賞10万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
初会合●4月15日 |
第一回審査会●5月8日 |
第二回審査会●6月2日 |
最終(第三回)審査会●6月16日 |
贈呈式●7月5日15:00~17:00 [会場]東京商工会議所スカイルーム |
|
昭和51年/1976年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』28号[昭和51年/1976年9月]発表
受賞 |
|
『ブリューゲルへの旅』 |
昭和51年/1976年2月・河出書房新社刊 |
受賞 |
|
『腐敗の時代』 |
昭和50年/1975年5月・文藝春秋刊 |
受賞 |
|
『わたしの渡世日記』(上)(下) |
昭和51年/1976年2月、5月・朝日新聞社刊 |
候補 |
池田瓢阿 |
『瑞籬の香木』 |
昭和51年/1976年-月・求龍堂刊 |
日本文化研究所(編) |
『A Hundred things Japanese』 |
大西勝巳 |
『一兵士の野戦日記』 |
昭和51年/1976年3月・迫四会刊 |
粕谷奎三 |
『建具屋五十年』 |
昭和50年/1975年-月・工作社/室内選書 |
|
『生きものの条件 ――植物生態学の立場から』 |
昭和51年/1976年-月・柏樹社/柏樹新書 |
鷲谷七菜子 |
『咲く花散る花 ――京洛・近江へのいざない』 |
昭和51年/1976年-月・牧羊社刊 |
最終候補作15点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦122点 |
|
正賞+副賞10万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
第一回審査会●5月14日 68冊を選定 |
第二回審査会●5月30日 15冊を選定 |
最終(第三回)審査会●6月22日 |
贈呈式●7月5日14:00~ [会場]東京商工会議所スカイルーム |
|
昭和52年/1977年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』29号[昭和52年/1977年9月]発表
受賞 |
沢村貞子 |
『私の浅草』 |
昭和51年/1976年1月・暮しの手帖社刊 |
受賞 |
|
『洛中生息』 |
昭和51年/1976年10月・みすず書房刊 |
受賞 |
|
『サーカスが来た! ――アメリカ大衆文化覚書』 |
昭和51年/1976年12月・東京大学出版会刊 |
候補 |
柴田俊治 |
『遥かなヨーロッパ』 |
昭和52年/1977年3月・朝日新聞社刊 |
|
『人間の終焉 ――分子生物学者のことあげ』 |
昭和51年/1976年-月・朝日出版社/エピステーメー叢書 |
最終候補作9点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦150点 |
|
正賞+副賞10万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
第一回審査会●5月 51冊を選定 |
第二回審査会●5月 9冊を選定 |
最終(第三回)審査会●6月 |
贈呈式●7月2日14:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和53年/1978年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』30号[昭和53年/1978年9月]発表
受賞 |
|
『四百字のデッサン』 |
昭和53年/1978年4月・河出書房新社刊 |
受賞 |
|
『若き数学者のアメリカ』 |
昭和52年/1977年11月・新潮社刊 |
受賞 |
長坂 覚 |
『隣の国で考えたこと』 |
昭和52年/1977年11月・日本経済新聞社刊 |
候補 |
秋岡芳夫 |
『日本の手道具 ――失われてゆくひとつの文化』 |
昭和52年/1977年9月・創元社刊 |
|
『ロンドン ――ほんの百年前の物語』 |
昭和53年/1978年2月・中央公論社/中公新書 |
最終候補作9点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦167点 |
予選候補 |
|
『失われた兵士たち ――戦争文学試論』 |
昭和52年/1977年8月・芙蓉書房刊 |
|
正賞+副賞10万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
初会合●4月14日 |
第一回審査会●5月 59冊を選定 |
第二回審査会●5月29日 9冊を選定 |
最終(第三回)審査会●6月19日 |
贈呈式●7月7日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和54年/1979年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』31号[昭和54年/1979年9月]発表
受賞 |
|
『墨いろ』 |
昭和53年/1978年5月・PHP研究所刊 |
受賞 |
斉藤広志 |
『外国人になった日本人 ――ブラジル移民の生き方と変り方』 |
昭和53年/1978年-月・サイマル出版会刊 |
受賞 |
百目鬼恭三郎 |
『奇談の時代』 |
昭和53年/1978年8月・朝日新聞社刊 |
候補 |
小西章子 |
『遥かなるボストン ――15年目のクラスメート』 |
昭和54年/1979年2月・鎌倉書房刊 |
谷畑良三 |
『ソビエト外交の発想』 |
昭和54年/1979年3月・三修社/海外叢書 |
青木利夫 |
『ヨーロッパ 昨日・今日・明日』 |
昭和54年/1979年3月・朝日新聞社刊 |
最終候補作9点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦141点 |
|
正賞+副賞20万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
第一回審査会●47冊を選定 |
第二回審査会●9冊を選定 |
最終(第三回)審査会 |
贈呈式●7月7日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和55年/1980年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』32号[昭和55年/1980年8月]発表
受賞 |
|
『肩書きのない名刺』 |
昭和55年/1980年2月・自由現代社刊 |
受賞 |
太田愛人 |
『羊飼の食卓』 |
昭和54年/1979年12月・築地書館刊 |
受賞 |
小松恒夫 |
『百姓入門記』 |
昭和54年/1979年12月・農山漁村文化協会/人間選書 |
候補 |
|
- |
中西秀男 |
- |
|
- |
|
『パリの石畳』 |
昭和54年/1979年11月・朝日イブニングニュース社刊、朝日新聞社発売 |
最終候補作9点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦181点(推薦114冊+寄贈67冊) |
|
正賞+副賞20万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
初会合●4月15日 40冊を選定 |
第一回審査会●5月15日 27冊を選定 |
第二回審査会●6月2日 9冊を選定 |
最終(第三回)審査会●6月16日 |
贈呈式●7月5日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和56年/1981年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』33号[昭和56年/1981年8月]発表
受賞 |
|
『日本の鶯 ――堀口大學聞書き』 |
昭和55年/1980年5月・角川書店刊 |
受賞 |
古波蔵保好 |
『沖縄物語』 |
昭和56年/1981年4月・新潮社刊 |
受賞 |
両角良彦 |
『1812年の雪 ――モスクワからの敗走』 |
昭和55年/1980年7月・筑摩書房刊 |
候補 |
松田 銑 |
『二つのジャーナリズムの谷間から ――リーダーズダイジェストと私』 |
昭和56年/1981年1月・冬樹社刊 |
最終候補作7点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦196点(推薦143冊+寄贈53冊) |
|
正賞+副賞20万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
初会合●4月16日 |
第一回審査会●5月15日 46冊を選定 |
第二回審査会●5月29日 7冊を選定 |
最終(第三回)審査会 |
贈呈式●7月4日14:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和57年/1982年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』34号[昭和57年/1982年8月]発表
受賞 |
|
『虹滅記』 |
昭和57年/1982年4月・朝日新聞社刊 |
受賞 |
伊藤光彦 |
『ドイツとの対話』 |
昭和56年/1981年9月・毎日新聞社刊 |
受賞 |
|
『イラン人の心』 |
昭和56年/1981年6月・日本放送出版協会/NHKブックス |
候補 |
|
『パリの四角い空』 |
昭和56年/1981年11月・講談社刊 |
最終候補作9点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦215点 |
|
正賞+副賞20万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
初会合●4月15日 |
第一回審査会●5月14日 41冊を選定 |
第二回審査会●5月28日 9冊を選定 |
最終(第三回)審査会●6月21日 |
贈呈式●7月10日14:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和58年/1983年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』35号[昭和58年/1983年8月]発表
受賞 |
|
『巨岩と花びら』 |
昭和57年/1982年6月・筑摩書房刊 |
受賞 |
藤原作弥 |
『聖母病院の友人たち ――肝炎患者の学んだこと』 |
昭和57年/1982年5月・新潮社刊 |
受賞 |
志賀かう子 |
『祖母、わたしの明治』 |
昭和57年/1982年12月・北上書房刊 |
候補 |
徳広睦子 |
『兄の左手』 |
昭和57年/1982年8月・筑摩書房刊 |
岡村喬生 |
『ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ』 |
昭和58年/1983年3月・新潮社刊 |
下田実花 |
『ふみつづり』 |
昭和57年/1982年12月・永田書房刊 |
中条一雄 |
『私のヒロシマ原爆』 |
昭和58年/1983年3月・朝日新聞社刊 |
佐藤隆三 |
『ミー時代のアメリカ ――「私」優先社会の危機』 |
昭和57年/1982年5月・日本経済新聞社刊 |
最終候補作11点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦211点(推薦124点+寄贈87点) |
|
正賞+副賞20万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
初会合●4月13日 |
第一回審査会●5月12日 71冊を選定 |
第二回審査会●5月30日 11冊を選定 |
最終(第三回)審査会●6月20日 |
贈呈式●7月9日14:00~16:30 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和59年/1984年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』36号[昭和59年/1984年8月]発表
受賞 |
吉行和子 |
『どこまで演れば気がすむの』 |
昭和58年/1983年11月・潮出版社刊 |
受賞 |
|
『源氏の恋文』 |
昭和59年/1984年4月・求龍堂刊 |
受賞 |
佐橋慶女 |
『おじいさんの台所 ――父・83歳からのひとり暮らし特訓』 |
昭和59年/1984年4月・文藝春秋刊 |
候補 |
芥川瑠璃子 |
『双景 ――芥川龍之介と夫比呂志』 |
昭和59年/1984年2月・新潮社刊 |
宇江敏勝 |
『山びとの動物誌』 |
昭和58年/1983年9月・福音館書店/福音館日曜日文庫 |
黒岩 徹 |
『豊かなイギリス ――ゆとりと反競争の世界』 |
昭和59年/1984年2月・中央公論社/中公新書 |
|
『道具づくし』 |
昭和59年/1984年2月・大和書房刊 |
最終候補作13点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦207点(推薦135点+寄贈66点+追加6点) |
|
正賞+副賞20万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
第一回審査会●85冊を選定 |
第二回審査会●13冊を選定 |
最終(第三回)審査会 |
贈呈式●7月7日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和60年/1985年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』37号[昭和60年/1985年8月]発表
受賞 |
関 千枝子 |
『広島第二県女二年西組 ――原爆で死んだ級友たち』 |
昭和60年/1985年2月・筑摩書房刊 |
受賞 |
|
『古文書の面白さ』 |
昭和59年/1984年11月・新潮社/新潮選書 |
受賞 |
清水俊二 |
『映画字幕五十年』 |
昭和60年/1985年4月・早川書房刊 |
候補 |
佐藤幸子 |
『からっぽの金庫から』 |
昭和60年/1985年1月・ミリオン書房刊 |
高橋延清 |
『樹海に生きて ――どろ亀さんと森の仲間たち』 |
昭和59年/1984年6月・朝日新聞社刊 |
尾塩 尚 |
『天界航路 ――天野芳太郎とその時代』 |
昭和59年/1984年9月・筑摩書房刊 |
|
『手づくりのまち ――わがまち“一本の道”からの発想』 |
昭和60年/1985年2月・総合労働研究所刊 |
笹川 巌 |
『知る遊ぶ休む ――生活味わい学十二講 怠けの歳時記』 |
昭和59年/1984年12月・実業之日本社刊 |
最終候補作9点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦210点(推薦137点+寄贈73点) |
|
正賞+副賞20万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
第一回審査会●17冊を選定 |
第二回審査会●9冊を選定 |
最終(第三回)審査会 |
贈呈式●7月6日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和61年/1986年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』38号[昭和61年/1986年8月]発表
受賞 |
田村京子 |
『北洋船団女ドクター航海記』 |
昭和60年/1985年12月・集英社刊 |
受賞 |
豊田正子 |
『花の別れ ――田村秋子とわたし』 |
昭和60年/1985年7月・未来社刊 |
受賞 |
中村伸郎 |
『おれのことなら放つといて』 |
昭和61年/1986年2月・早川書房刊 |
候補 |
|
『隠れた秩序 ――二十一世紀の都市に向って』 |
昭和61年/1986年3月・中央公論社刊 |
|
『ほろよいかげん』 |
昭和60年/1985年7月・毎日新聞社刊 |
半田真理子 |
『都市に森をつくる ――私の公園学』 |
昭和60年/1985年10月・朝日新聞社刊 |
目加田 誠 |
『夕陽限りなく好し』 |
昭和61年/1986年4月・時事通信社刊 |
最終候補作14点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦207点(推薦141点+寄贈66点) |
|
正賞+副賞20万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
初会合●4月4日 |
第二回審査会●5月16日 58冊を選定 |
第三回審査会●6月2日 14冊を選定 |
最終(第四回)審査会●6月18日 |
贈呈式●7月5日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和62年/1987年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』39号[昭和62年/1987年8月]発表
受賞 |
金森久雄 |
『男の選択』 |
昭和62年/1987年11月・日本経済新聞社刊 |
受賞 |
|
『画家たちの原風景 ――日曜美術館から』 |
昭和61年/1986年9月・日本放送出版協会/NHKブックスカラー版 |
受賞 |
|
『ひとり旅一人芝居』 |
昭和62年/1987年4月・講談社刊 |
候補 |
|
『夢うつつの図鑑』 |
昭和61年/1986年7月・文藝春秋刊 |
ハギィギィ志雅子 |
『カスピ海の空はむらさき色 ――イランに暮らした日々』 |
昭和62年/1987年2月・日本放送出版協会刊 |
|
『開国の作法』 |
昭和62年/1987年2月・東京大学出版会/UP選書 |
中平邦彦 |
『パルモア病院日記 ――三宅廉と二万人の赤ん坊たち』 |
昭和61年/1986年9月・新潮社刊 |
安達正勝 |
『フランス革命と四人の女』 |
昭和61年/1986年8月・新潮社/新潮選書 |
川崎 浹 |
『複眼のモスクワ日記 ――オリンピック村団地の一年』 |
昭和62年/1987年3月・中央公論社刊 |
最終候補作10点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦202点(推薦143点+寄贈59点) |
予選候補 |
山口一夫 |
『福沢諭吉の亜米利加体験』 |
昭和61年/1986年9月・福沢諭吉協会/福沢諭吉協会叢書、文化総合出版発売 |
|
正賞+副賞20万円・記念の万年筆 |
選考委員 |
|
初会合●4月13日 |
第二回審査会●5月18日 71冊を選定 |
第三回審査会●6月8日 10冊を選定 |
最終(第四回)審査会●6月22日 |
贈呈式●7月4日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
昭和63年/1988年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』40号[昭和63年/1988年8月]発表
受賞 |
北見治一 |
『回想の文学座』 |
昭和62年/1987年8月・中央公論社/中公新書 |
受賞 |
田中トモミ |
『天からの贈り物 ――『峠の釜めし』誕生秘話』 |
昭和63年/1988年4月・アドア出版刊 |
受賞 |
山形孝夫 |
『砂漠の修道院』 |
昭和62年/1987年10月・新潮社/新潮選書 |
候補 |
村崎芙蓉子 |
『カイワレ族の偏差値日記』 |
昭和62年/1987年12月・鎌倉書房刊 |
|
『鞄に本だけつめこんで』 |
昭和62年/1987年10月・新潮社刊 |
|
『笑ってケツカッチン』 |
昭和63年/1988年4月・筑摩書房刊 |
本間千枝子 |
『父のいる食卓』 |
昭和62年/1987年10月・文藝春秋刊 |
最終候補作11点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦107点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
初会合●4月4日 |
第二回審査会●5月9日 |
第三回審査会●5月30日 39冊を選定 |
第四回審査会●6月13日 11冊を選定 |
最終(第五回)審査会●6月27日 |
贈呈式●7月9日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成1年/1989年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』41号[平成1年/1989年8月]発表
受賞 |
河村幹夫 |
『シャーロック・ホームズの履歴書』 |
平成1年/1989年4月・講談社/講談社現代新書 |
受賞 |
酒井 寛 |
『花森安治の仕事』 |
昭和63年/1988年11月・朝日新聞社刊 |
受賞 |
平原 毅 |
『英国大使の博物誌』 |
昭和63年/1988年9月・朝日新聞社刊 |
候補 |
久野明子 |
『鹿鳴館の貴婦人大山捨松 ――日本初の女子留学生』 |
昭和63年/1988年11月・中央公論社刊 |
|
『イギリス四季暦』 (春/夏)(秋/冬) |
昭和63年/1988年6月、10月・東京書籍刊 |
最終候補作5点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦160点(推薦119点+寄贈41点) |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
初会合●4月3日 |
第二回審査会●5月9日 64冊を選定 |
第三回審査会●5月30日 23冊を選定 |
第四回審査会●6月12日 5冊を選定 |
最終(第五回)審査会●6月26日 |
贈呈式●7月8日14:00~16:30 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成2年/1990年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』42号[平成2年/1990年8月]発表
受賞 |
澤口たまみ |
『虫のつぶやき聞こえたよ』 |
平成1年/1989年10月・白水社刊 |
受賞 |
|
『私の中のシャルトル』 |
平成2年/1990年2月・筑摩書房刊 |
受賞 |
|
『名手名言』 |
平成1年/1989年10月・中央法規出版刊 |
候補 |
池部 良 |
『寝そべる風』 |
平成1年/1989年10月・マガジンハウス刊 |
中井貴恵 |
『貴恵のニューイングランド物語 ――信号三つの町に暮らして』 |
平成2年/1990年4月・文化出版局刊 |
黒柳弥寿雄 |
『閑かなる死』 |
平成2年/1990年1月・ゆるみ出版刊 |
最終候補作11点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦106点(推薦84点+寄贈22点) |
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賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
初会合●4月9日 |
第二回審査会●5月14日 84冊を選定 |
第三回審査会●5月28日 27冊を選定 |
第四回審査会●6月11日 11冊を選定 |
最終(第五回)審査会●6月25日 |
贈呈式●7月7日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成3年/1991年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』43号[平成3年/1991年8月]発表
受賞 |
|
『フィルハーモニーの風景』 |
平成2年/1990年8月・岩波書店/岩波新書 |
受賞 |
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『イギリスはおいしい』 |
平成3年/1991年3月・平凡社刊 |
受賞 |
山崎章郎 |
『病院で死ぬということ』 |
平成2年/1990年10月・主婦の友社刊 |
候補 |
|
『南海漂泊 ――土方久功伝』 |
平成2年/1990年8月・河出書房新社刊 |
森下玲子 |
『暁の里 ――御巣鷹の尾根に眠る母へ捧げる』 |
平成3年/1991年3月・文園社刊 |
最終候補作9点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦204点(推薦148点+寄贈56点) |
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賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
第一回審査会●4月8日 |
第二回審査会●60冊を選定 |
第三回審査会●23冊を選定 |
第四回審査会●9冊を選定 |
最終(第五回)審査会●6月10日 |
贈呈式●7月6日14:00~16:10 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成4年/1992年度
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』44号[平成4年/1992年8月]発表
受賞 |
加藤雅彦 |
『ドナウ河紀行 ――東欧・中欧の歴史と文化』 |
平成3年/1991年10月・岩波書店/岩波新書 |
受賞 |
山崎柄根 |
『鹿野忠雄 ――台湾に魅せられたナチュラリスト』 |
平成4年/1992年2月・平凡社刊 |
受賞 |
|
『江戸お留守居役の日記 ――寛永期の萩藩邸』 |
平成3年/1991年7月・読売新聞社刊 |
候補 |
|
『恋のかけひき ――『源氏物語』もうひとつの読み方』 |
平成3年/1991年6月・主婦と生活社刊 |
後藤 茂 |
『わが心の有本芳水』 |
平成4年/1992年2月・六興出版刊 |
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『エチオピアで井戸を掘る』 |
平成3年/1991年10月・草思社刊 |
最終候補作9点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦280点 |
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賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
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選考委員 |
(委員長) |
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(委員長代理) |
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(途中死去) |
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(幹事) |
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予備会議●11月15日 |
第一回審査会●4月6日 114冊を選定 |
第二回審査会●4月20日 46冊を選定 |
第三回審査会●5月11日 18冊を選定 |
第四回審査会●5月18日 9冊を選定 |
最終(第五回)審査会●6月8日 |
贈呈式●7月4日14:00~16:00 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成5年/1993年度
=[ 決定 ] 平成5年/1993年6月14日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』45号[平成5年/1993年8月]発表
受賞 |
|
『語りかける花』 |
平成4年/1992年9月・人文書院刊 |
受賞 |
鈴木 博 |
『熱帯の風と人と ――医動物のフィールドから』 |
平成4年/1992年9月・新宿書房刊 |
受賞 |
中野利子 |
『父中野好夫のこと』 |
平成4年/1992年11月・岩波書店刊 |
候補 |
池辺史生 |
『ゆきあいの空 ――アルツハイマー・パーキンソン老人看病記』 |
平成4年/1992年12月・朝日新聞社刊 |
吉田康彦 |
『美辞麗句を使うべし ――国連10年の異文化体験』 |
平成4年/1992年11月・日本放送出版協会刊 |
最終候補作5点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦294点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
予備審査●106点を選定 |
第一回審査会●平成5年/1993年4月5日 |
第二回審査会●4月26日 28点を選定 |
第三回審査会●5月10日 11点を選定 |
第四回審査会●5月24日 5点を選定 |
最終(第五回)審査会●6月14日 |
贈呈式●7月10日14:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成6年/1994年度
=[ 決定 ] 平成6年/1994年
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』46号[平成6年/1994年8月]発表
受賞 |
伊吹和子 |
『われよりほかに ――谷崎潤一郎最後の十二年』 |
平成6年/1994年2月・講談社刊 |
受賞 |
|
『ベラルーシの林檎』 |
平成5年/1993年11月・朝日新聞社刊 |
受賞 |
|
『原爆亭折ふし』 |
平成5年/1993年5月・西田書店刊 |
候補 |
|
『弁護士カモ君のちょっと休廷』 |
平成6年/1994年2月・角川書店刊 |
栗谷川福子 |
『ありのままのイスラエル』 |
平成5年/1993年12月・柏書房刊 |
藤森節子 |
『女優原泉子 ――中野重治と共に生きて』 |
平成6年/1994年1月・新潮社刊 |
最終候補作6点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦249点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
最終(第五回)審査会 |
贈呈式●7月9日14:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成7年/1995年度
=[ 決定 ] 平成7年/1995年
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』47号[平成7年/1995年8月]発表
受賞 |
|
『日本を愛した科学者 ――スタンレー・ベネットの生涯』 |
平成6年/1994年11月・ジャパンタイムズ刊 |
受賞 |
徐 京植 |
『子どもの涙 ――ある在日朝鮮人の読書遍歴』 |
平成7年/1995年3月・柏書房刊 |
受賞 |
星野慎一 |
『俳句の国際性 ――なぜ俳句は世界的に愛されるようになったのか』 |
平成7年/1995年2月・博文館新社刊 |
候補 |
戸田奈津子 |
『字幕の中に人生』 |
平成6年/1994年5月・白水社刊 |
鈴木孝夫 |
『人にはどれだけの物が必要か』 |
平成6年/1994年11月・飛鳥新社刊 |
|
『天怪地奇の中国』 |
平成6年/1994年5月・新潮社刊 |
武田秀夫 |
『セイレーンの誘惑 ――漱石と賢治』 |
平成6年/1994年9月・現代書館刊 |
最終候補作7点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦192点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
予備審査●平成7年/1995年3月30日 109点を選定 |
第一回審査会●4月3日 |
第二回審査会●4月24日 36点を選定 |
第三回審査会●5月8日 13点を選定 |
第四回審査会●5月22日 7点を選定 |
最終(第五回)審査会 |
贈呈式●7月8日14:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成8年/1996年度
=[ 決定 ] 平成8年/1996年6月10日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』48号[平成8年/1996年8月]発表
受賞 |
石坂昌三 |
『小津安二郎と茅ヶ崎館』 |
平成7年/1995年6月・新潮社刊 |
受賞 |
|
『世界の翻訳家たち ――異文化接触の最前線を語る』 |
平成7年/1995年9月・新評論刊 |
受賞 |
|
『二重らせんの私 ――生命科学者の生まれるまで』 |
平成7年/1995年12月・早川書房刊 |
候補 |
|
『ハリボテの町』 |
平成8年/1996年1月・朝日新聞社刊 |
荒井保男 |
『医の名言』 |
平成7年/1995年10月・中央公論社刊 |
|
『ビルマの鳥の木』 |
平成7年/1995年10月・日本経済新聞社刊 |
最終候補作6点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦213点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
予備審査●平成8年/1996年3月27日 112点を選定 |
第一回審査会●4月1日 |
第四回審査会●5月20日 6点を選定 |
最終(第五回)審査会●6月10日 |
贈呈式●7月5日16:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成9年/1997年度
=[ 決定 ] 平成9年/1997年
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』49号[平成9年/1997年8月]発表
受賞 |
|
『嬉遊曲、鳴りやまず ――斎藤秀雄の生涯』 |
平成8年/1996年7月・新潮社刊 |
受賞 |
松本仁一 |
『アフリカで寝る』 |
平成8年/1996年10月・朝日新聞社刊 |
受賞 |
|
『ああ、そうかね』 |
平成8年/1996年10月・京都新聞社刊 |
特別賞 |
加藤シヅエ |
『百歳人加藤シヅエ 生きる』 |
平成9年/1997年2月・日本放送出版協会刊 |
候補 |
阿部よしこ |
『合言葉はノー・プロブレム ――自閉症の子ら、カナディアン・ロッキーへ』 |
平成9年/1997年3月・岩波書店刊 |
西川 恵 |
『エリゼ宮の食卓 ――その饗宴と美食外交』 |
平成8年/1996年8月・新潮社刊 |
李 青若 |
『在日韓国人三世の胸のうち』 |
平成9年/1997年1月・草思社刊 |
|
『龍あらわる ――中華怪有篇』 |
平成9年/1997年1月・文藝春秋刊 |
最終候補作8点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦211点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
最終(第五回)審査会 |
贈呈式●7月4日16:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成10年/1998年度
=[ 決定 ] 平成10年/1998年6月8日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』50号[平成10年/1998年8月]発表
受賞 |
岸田今日子 |
『妄想の森』 |
平成9年/1997年10月・文藝春秋刊 |
受賞 |
小林和男 |
『エルミタージュの緞帳 ――モスクワ特派員物語』 |
平成9年/1997年9月・日本放送出版協会刊 |
受賞 |
|
『魂のランドスケープ』 |
平成9年/1997年10月・岩波書店刊 |
候補 |
|
『特捜検察』 |
平成9年/1997年9月・岩波書店/岩波新書 |
|
『日々是怪談』 |
平成9年/1997年10月・中央公論社刊 |
志賀洋子 |
『坂の迷宮』 |
平成9年/1997年5月・日本経済新聞社刊 |
|
『月の家族』 |
平成9年/1997年5月・晶文社刊 |
鈴木尚之 |
『私説内田吐夢伝』 |
平成9年/1997年9月・岩波書店刊 |
中島 誠 |
『司馬遼太郎と丸山真男』 |
平成10年/1998年2月・現代書館刊 |
最終候補作9点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦219点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
第一回審査会●平成10年/1998年4月2日 |
最終(第五回)審査会●6月8日 |
贈呈式●6月26日16:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成11年/1999年度
=[ 決定 ] 平成11年/1999年6月7日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』51号[平成11年/1999年8月]発表
受賞 |
小塩 節 |
『木々を渡る風』 |
平成10年/1998年4月・新潮社刊 |
受賞 |
|
『江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く ――諸九尼の生涯』 |
平成10年/1998年8月・晶文社刊 |
受賞 |
浜辺祐一 |
『救命センターからの手紙 ――ドクター・ファイルから』 |
平成10年/1998年4月・集英社刊 |
候補 |
|
『姿の消し方 ――幻想人物コレクション』 |
平成10年/1998年11月・集英社刊 |
|
『東京牛乳物語 ――和田牧場の明治・大正・昭和』 |
平成10年/1998年5月・新潮社刊 |
|
『鳥が教えてくれた空』 |
平成10年/1998年9月・日本放送出版協会刊 |
町田 貢 |
『ソウルの日本大使館 ――外交官だけが知っている素顔の日韓関係』 |
平成11年/1999年3月・文藝春秋刊 |
最終候補作7点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦219点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
最終(第五回)審査会●6月7日 |
贈呈式●7月2日14:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成12年/2000年度
=[ 決定 ] 平成12年/2000年6月12日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』52号[平成12年/2000年8月]発表
受賞 |
|
『独酌余滴』 |
平成11年/1999年-月・朝日新聞社刊 |
受賞 |
鶴ヶ谷真一 |
『書を読んで羊を失う』 |
平成11年/1999年10月・白水社刊 |
受賞 |
|
『ソフィアの白いばら』 |
平成11年/1999年6月・福音館書店刊 |
候補 |
中井義幸 |
『鴎外留学始末』 |
平成11年/1999年7月・岩波書店刊 |
山根基世 |
『ことばで「私」を育てる』 |
平成11年/1999年12月・講談社刊 |
最終候補作5点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦208点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞日本航空ペア国内搭乗券
|
選考委員 |
|
第一回審査会●平成12年/2000年4月4日 |
最終(第五回)審査会●6月12日 |
贈呈式●7月7日15:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成13年/2001年度
=[ 決定 ] 平成13年/2001年6月11日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』53号[平成13年/2001年8月]発表
受賞 |
|
『青柳瑞穂の生涯 ――真贋のあわいに』 |
平成12年/2000年9月・新潮社刊 |
受賞 |
|
『そっと耳を澄ませば』 |
平成13年/2001年2月・日本放送出版協会刊 |
受賞 |
|
『菅江真澄 みちのく漂流』 |
平成13年/2001年1月・岩波書店刊 |
候補 |
|
『動物の宇宙誌』 |
平成12年/2000年6月・青土社刊 |
長浜正彦 |
『It's My Challenge ――ペンシルベニア大学医学部留学奮戦記』 |
平成12年/2000年12月・篠原出版新社刊 |
|
『「A」撮影日誌 ――オウム施設で過ごした13カ月』 |
平成12年/2000年6月・現代書館刊 |
最終候補作6点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦210点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞パーカー高級万年筆
|
選考委員 |
|
第一回審査会●平成13年/2001年4月3日 |
最終(第五回)審査会●6月11日 |
贈呈式●7月6日15:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成14年/2002年度
=[ 決定 ] 平成14年/2002年6月10日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』54号[平成14年/2002年8月]発表
受賞 |
|
『旅日記』 |
平成13年/2001年8月・集英社刊 |
受賞 |
|
『春の数えかた』 |
平成13年/2001年12月・新潮社刊 |
受賞 |
|
『ソウルの風景 ――記憶と変貌』 |
平成13年/2001年9月・岩波書店/岩波新書 |
候補 |
袴田茂樹 |
『現代ロシアを読み解く ――社会主義から「中世社会」へ』 |
平成14年/2002年2月・筑摩書房/ちくま新書 |
中原静子 |
『難波大助・虎ノ門事件 ――愛を求めたテロリスト』 |
平成14年/2002年2月・影書房刊 |
緑ゆうこ |
『イギリス人は「理想」がお好き』 |
平成14年/2002年3月・紀伊國屋書店刊 |
内田義雄 |
『聖地ソロフキの悲劇 ――ラーゲリの知られざる歴史をたどる』 |
平成13年/2001年6月・日本放送出版協会刊 |
最終候補作7点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦200点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞パーカー高級万年筆
|
選考委員 |
|
第一回審査会●平成14年/2002年4月2日 |
最終(第五回)審査会●6月10日 |
贈呈式●7月5日15:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成15年/2003年度
=[ 決定 ] 平成15年/2003年6月10日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』55号[平成15年/2003年8月]発表
受賞 |
上野 創 |
『がんと向き合って』 |
平成14年/2002年7月・晶文社刊 |
受賞 |
|
『神楽坂ホン書き旅館』 |
平成14年/2002年5月・日本放送出版協会刊 |
受賞 |
古庄ゆき子 |
『ここに生きる ――村の家・村の暮らし』 |
平成14年/2002年8月・ドメス出版刊 |
候補 |
|
『「漫画少年」物語 ――編集者・加藤謙一伝』 |
平成14年/2002年12月・都市出版刊 |
金 正美 |
『しがまっこ溶けた ――詩人桜井哲夫との歳月』 |
平成14年/2002年7月・日本放送出版協会刊 |
冨森叡児 |
『うろんなり助右衛門 ――ある赤穂浪士とその末裔』 |
平成14年/2002年12月・草思社刊 |
|
『犬は「びよ」と鳴いていた ――日本語は擬音語・擬態語が面白い』 |
平成14年/2002年8月・光文社/光文社新書 |
最終候補作7点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦196点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞パーカー高級万年筆
|
選考委員 |
|
第一回審査会●平成15年/2003年4月1日 |
最終(第五回)審査会●6月10日 |
贈呈式●7月4日15:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成16年/2004年度
=[ 決定 ] 平成16年/2004年6月23日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』56号[平成16年/2004年8月]発表
受賞 |
|
『日本〈汽水〉紀行 ――「森は海の恋人」の世界を尋ねて』 |
平成15年/2003年9月・文藝春秋刊 |
受賞 |
松尾文夫 |
『銃を持つ民主主義』 |
平成16年/2004年3月・小学館刊 |
受賞 |
柳澤嘉一郎 |
『ヒトという生きもの』 |
平成15年/2003年12月・草思社刊 |
候補 |
宮元健次 |
『月と日本建築 ――桂離宮から月を観る』 |
平成15年/2003年8月・光文社/光文社新書 |
大橋弘枝 |
『もう声なんかいらないと思った』 |
平成16年/2004年1月・出窓社刊 |
坂本宮尾 |
『杉田久女』 |
平成15年/2003年5月・富士見書房刊 |
|
『忘れられる過去』 |
平成15年/2003年7月・みすず書房刊 |
以下の候補作は、著者が5月4日に逝去したため審査対象から外れる |
候補 |
山下恒夫 |
『大黒屋光太夫 ――帝政ロシア漂流の物語』 |
平成16年/2004年2月・岩波書店/岩波新書 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦199点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞パーカー高級万年筆
|
選考委員 |
|
第一回審査会●平成16年/2004年4月7日 |
最終(第五回)審査会●6月23日 |
贈呈式●7月9日15:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成17年/2005年度
=[ 決定 ] 平成17年/2005年6月15日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』57号-I[平成17年/2005年8月]発表
受賞 |
|
『日本を愛したティファニー』 |
平成16年/2004年10月・河出書房新社刊 |
受賞 |
|
『名優・滝沢修と激動昭和』 |
平成16年/2004年10月・新風舎/新風舎文庫 |
受賞 |
竹山恭二 |
『報道電報検閲秘史 ――丸亀郵便局の日露戦争』 |
平成16年/2004年12月・朝日新聞社/朝日選書 |
候補 |
須磨 章 |
『猫は犬より働いた』 |
平成16年/2004年12月・柏書房刊 |
|
『音楽青年誕生物語』 |
平成16年/2004年9月・音楽之友社/繰り返せない旅だから |
|
『孔雀の羽の目がみてる』 |
平成16年/2004年9月・白水社刊 |
馬場公彦 |
『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』 |
平成16年/2004年12月・法政大学出版局刊 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦208点 |
|
賞状+賞金30万円
副賞化粧箱入りパーカー高級万年筆
|
選考委員 |
|
第一回審査会●平成17年/2005年4月6日 |
最終(第五回)審査会●6月15日 |
贈呈式●7月13日15:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
|
平成18年/2006年度
=[ 決定 ] 平成18年/2006年6月13日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』58号-I[平成18年/2006年8月]発表
受賞 |
|
『逃亡 ――「油山事件」戦犯告白録』 |
平成18年/2006年3月・毎日新聞社刊 |
受賞 |
内藤初穂 |
『星の王子の影とかたちと』 |
平成18年/2006年3月・筑摩書房刊 |
受賞 |
中島さおり |
『パリの女は産んでいる ――〈恋愛大国フランス〉に子供が増えた理由』 |
平成17年/2005年11月・ポプラ社刊 |
候補 |
|
『ブータン仏教から見た日本仏教』 |
平成17年/2005年6月・日本放送出版協会/NHKブックス |
方波見康雄 |
『生老病死を支える ――地域ケアの新しい試み』 |
平成18年/2006年1月・岩波書店/岩波新書 |
春日孝之 |
『アフガニスタンから世界を見る』 |
平成18年/2006年2月・晶文社刊 |
|
『物乞う仏陀』 |
平成17年/2005年10月・文藝春秋刊 |
最終候補作7点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦176点 |
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賞状+賞金30万円
副賞パーカー高級万年筆
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選考委員 |
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第一回審査会●平成18年/2006年4月5日 |
最終(第五回)審査会●6月13日 |
贈呈式●7月10日15:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
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平成19年/2007年度
=[ 決定 ] 平成19年/2007年6月11日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』59号-I[平成19年/2007年8月]発表
受賞 |
植村鞆音 |
『歴史の教師 植村清二』 |
平成19年/2007年2月・中央公論新社刊 |
受賞 |
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『オペラ歌手誕生物語』 |
平成19年/2007年3月・音楽之友社/繰り返せない旅だから |
受賞 |
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『日本語の歴史』 |
平成18年/2006年5月・岩波書店/岩波新書 |
候補 |
島本慈子 |
『戦争で死ぬ、ということ』 |
平成18年/2006年7月・岩波書店/岩波新書 |
秋草鶴次 |
『十七歳の硫黄島』 |
平成18年/2006年12月・文藝春秋/文春新書 |
金谷武洋 |
『主語を抹殺した男 ――評伝三上章』 |
平成18年/2006年12月・講談社刊 |
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『パリの秘密』 |
平成18年/2006年10月・中央公論新社刊 |
最終候補作7点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦約200点 |
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賞状+賞金30万円
副賞パーカー高級万年筆
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選考委員 |
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最終(第五回)審査会●平成19年/2007年6月11日 |
贈呈式●7月9日15:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
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平成20年/2008年度
=[ 決定 ] 平成20年/2008年6月11日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』60号-I[平成20年/2008年8月]発表
受賞 |
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『ルポ 貧困大国アメリカ』 |
平成20年/2008年1月・岩波書店/岩波新書 |
受賞 |
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『恋と伯爵と大正デモクラシー ――有馬頼寧日記1919』 |
平成19年/2007年9月・日本経済新聞出版社刊 |
候補 |
金子敦郎 |
『世界を不幸にする原爆カード ――ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』 |
平成19年/2007年7月・明石書店刊 |
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『戦争と民衆 ――イラクで何が起きたのか』 |
平成20年/2008年3月・毎日新聞社刊 |
内田洋一 |
『風の天主堂』 |
平成20年/2008年3月・日本経済新聞出版社刊 |
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『ブータンに魅せられて』 |
平成20年/2008年3月・岩波書店/岩波新書 |
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『評伝菊田一夫』 |
平成20年/2008年1月・岩波書店刊 |
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『生物と無生物のあいだ』 |
平成19年/2007年5月・講談社/講談社現代新書 |
最終候補作8点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦200点以上 |
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賞状+賞金100万円
副賞パーカー高級万年筆
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選考委員 |
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最終(第五回)審査会●平成20年/2008年6月11日 |
贈呈式●7月9日15:00~ [会場]日本記者クラブ宴会場 |
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平成21年/2009年度
=[ 決定 ] 平成21年/2009年6月11日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』61号-I[平成21年/2009年8月]発表
受賞 |
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『アーサー・ウェイリー ――『源氏物語』の翻訳者』 |
平成20年/2008年11月・白水社刊 |
受賞 |
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『人間を撮る ――ドキュメンタリーがうまれる瞬間』 |
平成20年/2008年5月・平凡社刊 |
候補 |
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『移民環流 ――南米から帰ってくる日系人たち』 |
平成20年/2008年11月・新潮社刊 |
原田信男 |
『食をうたう ――詩歌にみる人生の味わい』 |
平成20年/2008年11月・岩波書店刊 |
最終候補作4点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦162点 |
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賞状+賞金100万円
副賞パーカー高級万年筆
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選考委員 |
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第一回審査会●平成21年/2009年4月8日 |
最終(第五回)審査会●6月10日 |
贈呈式●7月8日 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
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平成22年/2010年度
=[ 決定 ] 平成22年/2010年6月16日
=[ 媒体 ] 『日本エッセイスト・クラブ会報』62号-I[平成22年/2010年8月]発表
受賞 |
秋尾沙戸子 |
『ワシントンハイツ ――GHQが東京に刻んだ戦後』 |
平成21年/2009年7月・新潮社刊 |
候補 |
岡村春彦 |
『自由人佐野碩の生涯』 |
平成21年/2009年6月・岩波書店刊 |
後藤乾一 |
『「沖縄核密約」を背負って ――若泉敬の生涯』 |
平成22年/2010年1月・岩波書店刊 |
高橋卓志 |
『寺よ、変われ』 |
平成21年/2009年5月・岩波書店/岩波新書 |
塩谷靖子 |
『寄り道人生で拾ったもの』 |
平成21年/2009年4月・小学館刊 |
最終候補作5点 |
クラブ員・出版社・新聞社による推薦150点 |
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賞状+賞金100万円 |
選考委員 |
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第一回審査会●平成22年/2010年4月 |
最終(第五回)審査会●6月16日 |
贈呈式●7月7日 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
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平成23年/2011年度
=[ 決定 ] 平成23年/2011年6月15日
受賞 |
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『大逆事件 ――死と生の群像』 |
平成22年/2010年5月・岩波書店刊 |
受賞 |
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『ジーノの家 ――イタリア10景』 |
平成23年/2011年2月・文藝春秋刊 |
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贈呈式●平成23年/2011年7月6日 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
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平成24年/2012年度
=[ 決定 ] 平成24年/2012年6月6日
受賞 |
井口隆史 |
『安部磯雄の生涯 ――質素之生活 高遠之理想』 |
平成23年/2011年6月・早稲田大学出版部刊 |
受賞 |
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『うたの動物記』 |
平成23年/2011年7月・日本経済新聞出版社刊 |
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贈呈式●平成24年/2012年6月27日 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
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平成25年/2013年度
=[ 決定 ] 平成25年/2013年6月5日
受賞 |
尾崎俊介 |
『S先生のこと』 |
平成25年/2013年2月・新宿書房刊 |
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贈呈式●平成25年/2013年6月26日 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
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平成26年/2014年度
=[ 決定 ] 平成26年/2014年6月4日
受賞 |
後藤秀機 |
『天才と異才の日本科学史 ――開国からノーベル賞まで、150年の軌跡』 |
平成25年/2013年9月・ミネルヴァ書房刊 |
受賞 |
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『辞書になった男 ――ケンボー先生と山田先生』 |
平成26年/2014年2月・文藝春秋刊 |
推薦・応募作品182作 |
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最終審査委員会●平成26年/2014年6月4日 |
贈呈式●6月27日 [会場]日本記者クラブ宴会場 |
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平成27年/2015年度
=[ 発表 ] 平成27年/2015年6月3日
受賞 |
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『天災から日本史を読みなおす ――先人に学ぶ防災』 |
平成26年/2014年11月・中央公論新社/中公新書 |
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賞金50万円 |
贈呈式●平成27年/2015年6月29日15:30~ [会場]日本記者クラブ |
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平成28年/2016年度
=[ 発表 ] 平成28年/2016年6月2日
受賞 |
阿部菜穂子 |
『チェリー・イングラム ――日本の桜を救ったイギリス人』 |
平成28年/2016年3月・岩波書店刊 |
受賞 |
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『台湾生まれ 日本語育ち』 |
平成28年/2016年1月・白水社刊 |
受賞 |
原 彬久 |
『戦後政治の証言者たち ――オーラル・ヒストリーを往く』 |
平成27年/2015年8月・岩波書店刊 |
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賞金30万円 |
贈呈式●平成28年/2016年6月29日 [会場]日本記者クラブ |
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平成29年/2017年度
=[ 発表 ] 平成29年/2017年5月31日
受賞 |
鳥海 修 |
『文字を作る仕事』 |
平成28年/2016年7月・晶文社刊 |
受賞 |
原田國男 |
『裁判の非情と人情』 |
平成29年/2017年2月・岩波書店/岩波新書 |
推薦・応募作品134作 |
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賞金30万円 |
選考委員 |
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最終審査委員会●平成29年/2017年5月31日 |
贈呈式●6月26日 [会場]日本記者クラブ |
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平成30年/2018年度
=[ 発表 ] 平成30年/2018年5月29日
受賞 |
内藤啓子 |
『枕詞はサッちゃん ――照れやな詩人、父・阪田寛夫の人生』 |
平成29年/2017年11月・新潮社刊 |
受賞 |
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『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 |
平成30年/2018年2月・東洋経済新報社刊 |
候補 |
澤宮 優 |
『集団就職 ――高度経済成長を支えた金の卵たち』 |
平成29年/2017年5月・弦書房刊 |
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賞金各30万円 |
最終審査委員会●平成30年/2018年5月 |
贈呈式●6月25日 [会場]日本記者クラブ |
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平成31年/2019年度
=[ 発表 ] 令和1年/2019年5月28日
受賞 |
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『線量計と奥の細道』 |
平成30年/2018年7月・幻戯書房刊 |
受賞 |
小堀鷗一郎 |
『死を生きた人びと ――訪問診療医と355人の患者』 |
平成30年/2018年5月・みすず書房刊 |
候補 |
斎藤 禎 |
『文士たちのアメリカ留学 一九五三~一九六三』 |
平成30年/2018年12月・書籍工房早山刊 |
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『最後の読書』 |
平成30年/2018年11月・新潮社刊 |
古川雄嗣 |
『大人の道徳 ――西洋近代思想を問い直す』 |
平成30年/2018年8月・東洋経済新報社刊 |
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『軌道 ――福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』 |
平成30年/2018年4月・東洋経済新報社刊 |
最終候補作6点 |
会員・出版社による推薦・個人応募140点 |
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賞金各30万円 |
選考委員 |
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最終審査委員会●令和1年/2019年5月28日 |
贈呈式●9月7日 [会場]日本記者クラブ |
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令和2年/2020年度
=[ 発表 ] 令和2年/2020年6月24日
受賞 |
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『裁判官も人である ――良心と組織の狭間で』 |
令和2年/2020年1月・講談社刊 |
受賞 |
上野 誠 |
『万葉学者、墓をしまい母を送る』 |
令和2年/2020年3月・講談社刊 |
候補 |
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『ぼけますから、よろしくお願いします。』 |
令和1年/2019年10月・新潮社刊 |
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『宮沢賢治 デクノボーの叡知』 |
令和1年/2019年9月・新潮社/新潮選書 |
関 啓子 |
『「関さんの森」の奇跡 ――市民が育む里山が地球を救う』 |
令和2年/2020年1月・新評論刊 |
神野紗希 |
『もう泣かない 電気毛布は 裏切らない』 |
令和1年/2019年10月・日本経済新聞出版社刊 |
服部英二 |
『転生する文明』 |
令和1年/2019年6月・藤原書店刊 |
最終候補作7点 |
会員・出版社による推薦・個人応募113点(うち審査対象106点) |
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賞金各30万円 |
選考委員 |
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最終審査委員会●令和2年/2020年6月23日 |
贈呈式●9月7日 [会場]日本記者クラブ |
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令和3年/2021年度
=[ 発表 ] 令和3年/2021年6月2日
受賞 |
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『さだの辞書』 |
令和2年/2020年4月・岩波書店刊 |
受賞 |
柳田由紀子 |
『宿無し弘文 ――スティーブ・ジョブズの禅僧』 |
令和2年/2020年4月・集英社インターナショナル刊 |
候補 |
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『アルツハイマー征服』 |
令和3年/2021年1月・KADOKAWA刊 |
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『玉まつり ――深田久弥『日本百名山』と『津軽の野づら』と』 |
令和2年/2020年5月・幻戯書房刊 |
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『海をあげる』 |
令和2年/2020年10月・筑摩書房刊 |
最終候補作5点 |
会員・出版社による推薦・個人応募127点(うち審査対象60点) |
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賞金各30万円 |
選考委員 |
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最終審査委員会●令和3年/2021年6月1日 |
贈呈式●6月28日 [会場]日本記者クラブ |
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令和4年/2022年度
=[ 発表 ] 令和4年/2022年6月1日
受賞 |
松本俊彦 |
『誰がために医師はいる ――クスリとヒトの現代論』 |
令和3年/2021年4月・みすず書房刊 |
候補 |
山田庄一 |
『京なにわ 暮らし歳時記 ――船場の「ぼん」の回想録』 |
令和3年/2021年12月・岩波書店刊 |
ナガノハル |
『一万年生きた子ども ――統合失調症の母をもって』 |
令和3年/2021年11月・現代書館刊 |
駒井一慶 |
『ふぞろいなキューリと地上の卵 ――〈無肥料・無農薬〉の野菜と卵を一〇〇キロ離れた札幌に 宅配する北海道豊浦町の農家のおじさんのはなし』 |
令和4年/2022年1月・寿郎社刊 |
湯浅 誠 |
『つながり続ける こども食堂』 |
令和3年/2021年6月・中央公論新社刊 |
村山恒夫 |
『新宿書房往来記』 |
令和3年/2021年12月・港の人刊 |
最終候補作6点 |
会員・出版社による推薦・個人応募118点(うち審査対象67点) |
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賞金各30万円 |
選考委員 |
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最終審査委員会●令和4年/2022年5月31日 |
贈呈式●6月27日 [会場]日本記者クラブ |
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令和5年/2023年度
=[ 発表 ] 令和5年/2023年5月30日
受賞 |
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『黒い海 ――船は突然、深海へ消えた』 |
令和4年/2022年12月・講談社刊 |
受賞 |
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『親愛なるレニー ――レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』 |
令和4年/2022年10月・アルテスパブリッシング刊 |
候補 |
高宮利行 |
『西洋書物史への扉』 |
令和5年/2023年2月・岩波書店/岩波新書 |
円満字二郎 |
『漢字の動物苑 ――鳥・虫・けものと季節のうつろい』 |
令和5年/2023年1月・岩波書店刊 |
|
『江戸漢詩の情景 ――風雅と日常』 |
令和4年/2022年8月・岩波書店/岩波新書 |
山本幸司 |
『死者を巡る「想い」の歴史』 |
令和4年/2022年9月・岩波書店刊 |
井上篤夫 |
『フルベッキ伝』 |
令和4年/2022年9月・国書刊行会刊 |
最終候補作6点 |
会員・出版社による推薦・個人応募109点(うち審査対象69点) |
|
賞金30万円 |
選考委員 |
|
最終審査委員会●令和5年/2023年5月30日 |
贈呈式●6月26日 [会場]日本記者クラブ |
|
令和6年/2024年度
=[ 発表 ] 令和6年/2024年5月28日
受賞 |
|
『異邦人のロンドン』 |
令和5年/2023年9月・集英社インターナショナル刊 |
候補 |
村上一枝 |
『悩んでも迷っても道はひとつ ――マリ共和国の女性たちと共に生きた 自立活動三〇年の軌跡』 |
令和6年/2024年2月・小学館刊 |
|
『鬼の筆 ――戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』 |
令和5年/2023年11月・文藝春秋刊 |
|
『扉の向う側』 |
令和5年/2023年11月・マガジンハウス刊 |
最終候補作4点 |
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賞金30万円 |
選考委員 |
|
最終審査委員会●令和6年/2024年5月28日 |
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