Last Update●[H26]2014/11/1
主催 |
第1回~第2回 |
:角川書店 |
第3回~第13回 |
:財団法人角川文化振興財団 |
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対象 |
単行本・雑誌に発表されたか、投稿原稿によるノンフィクション作品。 |
対象期間 |
前年9月~当年8月 |
創設経緯 |
角川書店創業30年と『野性時代』創刊を記念して、角川小説賞、野性時代新人文学賞と共に創設 |
昭和49年/1974年度
└[ 対象期間 ]─昭和48年/1973年9月~昭和49年/1974年8月
=[ 決定 ] 昭和49年/1974年10月11日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和50年/1975年1月号
受賞 |
岡 茂雄 |
『本屋風情』 |
昭和49年/1974年7月・平凡社刊 |
受賞 |
野本三吉 |
『裸足の原始人たち ――寿地区の子ども』 |
昭和49年/1974年5月・田畑書店刊 |
候補 |
西田利貞 |
『精霊の子供たち ――チンパンジーの社会構造を探る』 |
昭和48年/1973年10月・筑摩書房刊 |
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『土の絵本』 |
昭和49年/1974年8月・すばる書房盛光社刊 |
中原フク(述)、 村上 護(編) |
『私の上に降る雪は ――わが子 中原中也を語る』 |
昭和48年/1973年10月・講談社刊 |
最終候補作5作品 |
応募原稿57篇 |
アンケートその他による他薦自薦258点 |
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正賞+副賞20万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和49年/1974年10月11日16:00~ [会場]東京・四谷「福田家」 |
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昭和50年/1975年度
└[ 対象期間 ]─昭和49年/1974年9月~昭和50年/1975年8月
=[ 決定 ] 昭和50年/1975年10月19日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和51年/1976年1月号
受賞 |
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『雨にも負けて風にも負けて ――戦争孤児十三万人の歪められた軌跡』 |
昭和50年/1975年-月・双葉社刊 |
佳作 |
大西信行 |
『落語無頼語録』 |
昭和49年/1974年10月・芸術生活社刊 |
佳作 |
坂間文子 |
『雪原にひとり囚われて ――シベリア抑留10年の記録』 |
昭和50年/1975年8月・講談社刊 |
候補 |
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『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』 |
昭和50年/1975年5月・文藝春秋刊 |
深作光貞 |
『海上の道他界への道 ――与那国沖縄からマダガスカルまで』 |
昭和50年/1975年5月・世界思想社刊 |
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『花岡事件の人たち ――中国人強制連行の記録』 |
昭和50年/1975年7月・評論社/「人間の権利」叢書 |
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『呪われたシルク・ロード』 |
昭和50年/1975年4月・角川書店刊 |
寺河俊人 |
「わが神々のさすらい」 |
(応募原稿) 昭和54年/1979年10月・角川書店/角川選書『神々のさすらい――「播磨国風土記」の世界』 |
最終候補作8作品 |
応募原稿68点 |
アンケートその他による他薦自薦約250点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞30万円
佳作賞:10万円
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選考委員 |
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選考委員会●昭和50年/1975年10月19日18:00~ [会場]東京・四谷ホテルニューオータニ内「なだ万」 |
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昭和51年/1976年度
└[ 対象期間 ]─昭和50年/1975年9月~昭和51年/1976年8月
=[ 決定 ] 昭和51年/1976年10月1日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和52年/1977年1月号
受賞 |
谷 泰 |
『牧夫フランチェスコの一日 ――イタリア中部山村生活誌』 |
昭和51年/1976年8月・日本放送出版協会/NHKブックス |
受賞 |
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『太平洋の生還者』 |
昭和51年/1976年7月・文藝春秋刊 |
佳作 |
森 直樹 |
「ニッポン遙拝」 |
(応募書き下ろし作品) |
候補 |
森崎和江 |
『からゆきさん』 |
昭和51年/1976年5月・朝日新聞社刊 |
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『神を信ぜず ――BC級戦犯の墓碑銘』 |
昭和51年/1976年5月・立風書房刊 |
最終候補作5作品 |
予選通過候補作10作品 |
応募原稿74点 |
アンケートその他による他薦自薦約250点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞30万円
佳作賞:5万円
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選考委員 |
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選考委員会●昭和51年/1976年10月1日18:00~ [会場]東京・四谷「福田家」 |
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昭和52年/1977年度
└[ 対象期間 ]─昭和51年/1976年9月~昭和52年/1977年8月
=[ 決定 ] 昭和52年/1977年10月12日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和53年/1978年1月号
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受賞作なし |
候補 |
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『サンパウロからアマゾンへ』 |
昭和51年/1976年12月・北洋社刊 |
白崎昭一郎 |
『埋もれた王国 ――古代を追う人々』 |
昭和52年/1977年7月・大和書房刊 |
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『砦に拠る』 |
昭和52年/1977年7月・筑摩書房刊 |
最終候補作3作品 |
候補 |
松山幸雄 |
『甘い国から来た男 ――親米家と反米家へ ナショナル・プレスからのレポート』 |
昭和52年/1977年7月・潮出版社刊 |
予選通過候補作11作品 |
応募原稿66点 |
アンケートその他による他薦自薦約200点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞30万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和52年/1977年10月12日18:00~ [会場]東京・四谷「福田家」 |
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昭和53年/1978年度
└[ 対象期間 ]─昭和52年/1977年9月~昭和53年/1978年8月
=[ 決定 ] 昭和53年/1978年10月12日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和54年/1979年1月号
受賞 |
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『時刻表2万キロ』 |
昭和53年/1978年7月・河出書房新社刊 |
受賞 |
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『火はわが胸中にあり ――忘れられた近衛兵士の叛乱・竹橋事件』 |
昭和53年/1978年7月・角川書店刊 |
佳作 |
西条 正 |
『中国人として育った私 ――解放後のハルビンで』 |
昭和53年/1978年1月・中央公論社/中公新書 |
候補 |
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『木村王国の崩壊 ―ドキュメント福島県政汚職―』 |
昭和53年/1978年6月・朝日新聞社刊 |
最終候補作4作品 |
候補 |
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『言葉の海へ』 |
昭和53年/1978年7月・新潮社刊 |
第一次候補作9作品 |
応募原稿63点 |
アンケートその他による他薦自薦約250点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞30万円
佳作賞:10万円
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選考委員 |
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選考委員会●昭和53年/1978年10月12日18:30~ [会場]東京・四谷「福田家」 |
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昭和54年/1979年度
└[ 対象期間 ]─昭和53年/1978年9月~昭和54年/1979年8月
=[ 決定 ] 昭和54年/1979年9月28日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和55年/1980年1月号
受賞 |
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『にっぽん音吉漂流記』 |
昭和54年/1979年5月・晶文社刊 |
新人賞 |
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「日系アメリカ人」 |
(応募原稿) 昭和55年/1980年8月・角川書店刊『他人の国、自分の国――日系アメリカ人オザキ家三代の記録』 |
候補 |
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『ヒトラーの奇襲 ――暗号の名は「バルバロッサ」』 |
昭和54年/1979年5月・講談社刊 |
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『子どもの文化人類学』 |
昭和54年/1979年2月・晶文社刊 |
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『サバンナの博物誌』 |
昭和54年/1979年8月・新潮社/新潮選書 |
斎藤充功 |
『中国獄中二十五年 ――戦後三十三年目の生還者』 |
昭和54年/1979年8月・ダイヤモンド社刊 |
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『犬が星見た ――ロシア旅行』 |
昭和54年/1979年2月・中央公論社刊 |
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『私たちは敵だったのか ――在米ヒバクシャの黙示録』 |
昭和53年/1978年12月・潮出版社刊 |
吉原健一郎 |
『江戸の情報屋 ――幕末庶民史の側面』 |
昭和53年/1978年12月・日本放送出版協会/NHKブックス |
最終候補作9作品 |
応募原稿59点 |
アンケートその他による他薦自薦約150点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞50万円:新人賞正賞金時計+副賞30万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和54年/1979年9月28日18:00~ [会場]東京・四谷「福田家」 |
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昭和55年/1980年度
└[ 対象期間 ]─昭和54年/1979年9月~昭和55年/1980年8月
=[ 決定 ] 昭和55年/1980年9月27日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和56年/1981年1月号
受賞 |
吉野孝雄 |
『宮武外骨』 |
昭和55年/1980年7月・河出書房新社刊 |
新人賞 |
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『オホーツク諜報船』 |
昭和55年/1980年7月・角川書店刊 |
候補 |
山本祐司 |
『東京地検特捜部 ――日本最強の捜査機関・その光と影』 |
昭和55年/1980年5月・現代評論社刊 |
水谷慶一 |
『知られざる古代 ――謎の北緯三四度三二分をゆく』 |
昭和55年/1980年2月・日本放送出版協会刊 |
西江雅之 |
『旅人からの便り』 |
昭和55年/1980年7月・リブロポート刊 |
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「ワッターヤー ウチナンチュ」 |
(応募原稿) |
最終候補作6作品 |
応募原稿67点 |
アンケートその他による他薦自薦200余点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞50万円:新人賞正賞金時計+副賞30万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和55年/1980年9月27日夕 [会場]東京・紀尾井町「福田家」 |
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昭和56年/1981年度
└[ 対象期間 ]─昭和55年/1980年9月~昭和56年/1981年8月
=[ 決定 ] 昭和56年/1981年10月10日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和57年/1982年1月号
受賞 |
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『大森界隈職人往来』 |
昭和56年/1981年4月・朝日新聞社刊 |
受賞 |
山際淳司 |
『スローカーブを、もう一球』 |
昭和56年/1981年8月・角川書店刊 |
新人賞 |
受賞作なし |
候補 |
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『イラン人の心』 |
昭和56年/1981年6月・日本放送出版協会/NHKブックス |
佐藤 健 |
『マンダラ探険 ――チベット仏教踏査』 |
昭和56年/1981年6月・人文書院刊 |
合田一道 |
「白い神の家」 |
(応募原稿) |
最終候補作5作品 |
応募原稿56点 |
アンケートその他による他薦自薦約190点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞50万円:新人賞正賞金時計+副賞30万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和56年/1981年10月10日夕 [会場]東京・紀尾井町ホテルニューオータニ内「なだ万」 |
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昭和57年/1982年度
└[ 対象期間 ]─昭和56年/1981年9月~昭和57年/1982年8月
=[ 決定 ] 昭和57年/1982年9月28日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和58年/1983年1月号
受賞 |
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『ビギン・ザ・ビギン ――日本ショウビジネス楽屋口』 |
昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 |
受賞 |
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『無冠の疾走者たち』 |
昭和57年/1982年8月・角川書店刊 |
新人賞 |
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『日本の川を旅する ――カヌー単独行』 |
昭和57年/1982年4月・日本交通公社出版事業局刊 |
候補 |
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『総理の病室』 |
昭和57年/1982年6月・新潮社刊 |
、 スーザン・フィリップス |
『晩香坡の愛 ――田村俊子と鈴木悦』 |
昭和57年/1982年7月・ドメス出版刊 |
最終候補作5作品 |
応募原稿63点 |
アンケートその他による他薦自薦140点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞50万円:新人賞正賞金時計+副賞30万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和57年/1982年9月28日夕 [会場]東京・紀尾井町「福田家」 |
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昭和58年/1983年度
└[ 対象期間 ]─昭和57年/1982年9月~昭和58年/1983年8月
=[ 決定 ] 昭和58年/1983年10月17日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和59年/1984年1月号
受賞 |
工藤久代 |
『ワルシャワ猫物語』 |
昭和58年/1983年5月・文藝春秋刊 |
新人賞 |
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『箱族の街』 |
昭和58年/1983年7月・新潮社刊 |
候補 |
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『線路工手の唄が聞えた』 |
昭和58年/1983年6月・JICC出版局刊 |
最終候補作3作品 |
応募原稿57点 |
アンケートその他による他薦自薦約200点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞50万円:新人賞正賞金時計+副賞30万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和58年/1983年10月17日夕 [会場]東京・紀尾井町「福田家」 |
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昭和59年/1984年度
└[ 対象期間 ]─昭和58年/1983年9月~昭和59年/1984年8月
=[ 決定 ] 昭和59年/1984年10月5日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和60年/1985年1月号
受賞 |
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『カウラの突撃ラッパ ――零戦パイロットはなぜ死んだか』 |
昭和59年/1984年7月・文藝春秋刊 |
受賞 |
読売新聞 大阪社会部(編) |
『警官汚職』 |
昭和59年/1984年8月・角川書店刊 |
新人賞 |
受賞作なし |
候補 |
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『ソウルの練習問題 ――異文化への透視ノート』 |
昭和59年/1984年1月・情報センター出版局刊 |
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『桜島噴火記 ――住民ハ理論ニ信頼セズ…』 |
昭和59年/1984年6月・日本放送出版協会刊 |
最終候補作4作品 |
応募原稿51点 |
アンケートその他による他薦自薦200余点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞50万円:新人賞正賞金時計+副賞30万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和59年/1984年10月5日夕 [会場]東京・紀尾井町「福田家」 |
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昭和60年/1985年度
└[ 対象期間 ]─昭和59年/1984年9月~昭和60年/1985年8月
=[ 決定 ] 昭和60年/1985年10月8日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和61年/1986年1月号
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受賞作なし |
新人賞 |
天野洋一 |
「ダバオ国の末裔たち」 |
(応募原稿) 平成2年/1990年12月・風媒社刊『ダバオ国の末裔たち――フィリピン日系棄民』 |
候補 |
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『本の雑誌風雲録』 |
昭和60年/1985年5月・本の雑誌社刊 |
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『日本海のイカ ――海からだけ見えるニンゲン社会の動悸』 |
昭和60年/1985年5月・情報センター出版局刊 |
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『タクシードライバー日誌』 |
昭和59年/1984年9月・筑摩書房刊 |
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参考作品「石工・丹波佐吉の旅」 |
(応募原稿) 昭和63年/1988年9月・法政大学出版局刊『旅の石工――丹波佐吉の生涯』 |
最終候補作4作品+参考作品1作品 |
応募原稿50点 |
アンケートその他による他薦自薦約200点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞50万円:新人賞正賞金時計+副賞30万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和60年/1985年10月8日夕 [会場]東京・紀尾井町「福田家」 |
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昭和61年/1986年度
└[ 対象期間 ]─昭和60年/1985年9月~昭和61年/1986年8月
=[ 決定 ] 昭和61年/1986年10月17日
=[ 媒体 ] 『野性時代』昭和62年/1987年1月号
|
受賞作なし |
新人賞 |
受賞作なし |
候補 |
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『海上の王国』 |
昭和61年/1986年6月・潮出版社刊 |
秋葉忠利 |
『真珠と桜 ――「ヒロシマ」から見たアメリカの心』 |
昭和61年/1986年7月・朝日新聞社刊 |
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『墜落の夏 ――日航123便事故全記録』 |
昭和61年/1986年8月・新潮社刊 |
最終候補作3作品 |
応募原稿75点 |
アンケートその他による他薦自薦約120点 |
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正賞ブロンズ像一基+副賞50万円:新人賞正賞金時計+副賞30万円 |
選考委員 |
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選考委員会●昭和61年/1986年10月17日夕 [会場]東京・紀尾井町「福田家」 |
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