新聞社に勤める文芸記者って、いったい何なのか。
直木賞とも縁が深いその存在を、歴史的に追っています。
直木賞とも縁が深いその存在を、歴史的に追っています。

『本の雑誌』
令和4年/2022年9月号
(8月発売号)
令和4年/2022年9月号
(8月発売号)
第7回
最後まで取り乱さない人
渡辺均(大阪毎日新聞)
明治27年/1894年8月6日
~昭和26年/1951年3月16日(享年56)
兵庫県揖保川町生まれ。京都帝国大学文学部卒。~昭和26年/1951年3月16日(享年56)
大正8年/1919年、大阪毎日新聞社に入社。大正11年/1922年、学芸部記者として『サンデー毎日』創刊に参加。特別号「小説と講談」の編集等を担当。小説家、落語研究家としての顔も持つ。昭和26年/1951年、自殺。
『本の雑誌』という月刊誌があります。そこで何か連載でも……というお話をもらってから早ン年。ようやくお互いのタイミングが合致して、令和4年/2022年3月号から頑張って始めることになりました。
テーマは、直木賞でも文学賞でもありません。「文芸記者」です。
直木賞に興味をもち出すと、この賞に関するアレやコレやが気になります。そのなかで、ずっと頭にあったのが文芸記者のことです。
作家や出版社、小説業界のことを日頃から取材し、その動向に寄り添いながら、新聞に直木賞のことをデカデカと取り上げては、多くの人たちにこの賞の存在を知らせてきた、アノ人たちです。
そもそも直木賞は、別にそこまで大きく扱うような賞じゃありません。なのに、他の賞に比べて報道陣の食いつき方が異常だ、とさんざん言われてきた歴史があります。さんざん言われてきたのに、何ひとつ是正する気配もなく、いまもなお直木賞となれば無条件に派手な記事を仕立てるテイタラク。いったいあの人たちの頭の中身はどうなっているんだろう。ずっと疑問に思ってきました。
それで今回せっかくの機会なので、明治から現在まで日本の近現代文学をたどりながら、それぞれの時代の文学(というか文壇)に併走していた文芸記者について調べてみたい、と思ったわけです。
直木賞のハナシが中心じゃないんですけど、とりあえず、いまのところ連載は続けています。興味のありそうな文芸記者がいたら、ぜひ『本の雑誌』を覗いてみてやってください。
[R4]2022/7/23

『本の雑誌』
令和4年/2022年8月号
(7月発売号)
令和4年/2022年8月号
(7月発売号)
第6回
記者の仕事から離れて花ひらく
赤井清司(大阪朝日新聞)
明治22年/1889年
~没年不詳
大阪府四宮村生まれ。同志社大学英文科卒。~没年不詳
大正6年/1917年、大阪朝日新聞社に入社。大正11年/1922年、学芸部記者として『週刊朝日』(当初は『旬刊朝日』)創刊に参加。東京勤務を経て、昭和11年/1936年から「朝日会館」主事となる。

『本の雑誌』
令和4年/2022年7月号
(6月発売号)
令和4年/2022年7月号
(6月発売号)
第5回
庶民に目線を合わせた人たち
伊藤みはる(都新聞)
明治11年/1878年
~大正10年/1921年2月6日(享年43)
本名・万三郎。東京出身。~大正10年/1921年2月6日(享年43)
陸軍輜重兵軍曹として日露戦争に従軍。その後『東京新報』を経て明治41年/1908年頃『都新聞』に入社。艶ダネ記者として活躍するかたわら、大日本雄弁会講談社『講談倶楽部』の執筆陣に加わる。

『本の雑誌』
令和4年/2022年6月号
(5月発売号)
令和4年/2022年6月号
(5月発売号)
第4回
文学に踏み止まらない人
柴田勝衛(時事新報、読売新聞)
明治21年/1888年6月4日
~昭和46年/1971年1月16日(享年82)
宮城県仙台市生まれ。青山学院高等科卒。~昭和46年/1971年1月16日(享年82)
教文館勤務を経て、明治45年/1912年『時事新報』に入社。文芸記者として存在感を見せ、大正8年/1919年、同社の千葉亀雄とともに『読売新聞』に移籍。のち文芸部長、編集局長などを歴任する。

『本の雑誌』
令和4年/2022年5月号
(4月発売号)
令和4年/2022年5月号
(4月発売号)
第3回
怒られ通し
森田草平(東京朝日新聞)
明治14年/1881年3月19日
~昭和24年/1949年12月14日(享年68)
岐阜県鷺山村生まれ。東京帝国大学英文科卒。~昭和24年/1949年12月14日(享年68)
夏目漱石門下の一人。明治42年/1909年、平塚明子(のち「らいてう」)と心中未遂事件を起こす。同年『東京朝日新聞』に「煤煙」を連載、翌年、漱石が同紙で始めた文芸欄の、編集担当を任される。

『本の雑誌』
令和4年/2022年4月号
(3月発売号)
令和4年/2022年4月号
(3月発売号)
第2回
振り回される人
嶋田青峰(国民新聞)
明治15年/1882年3月8日
~昭和19年/1944年5月31日(享年62)
本名・賢平。三重県的矢村生まれ。早稲田大学英文科卒。~昭和19年/1944年5月31日(享年62)
学校教師を経て明治41年/1908年、『国民新聞』に入社。高浜虚子のもとで文芸欄を担当し、のち文芸部長となる。その間、虚子に乞われて『ホトトギス』の編集にも参画。大正15年/1926年から俳句誌『土上』主宰。

『本の雑誌』
令和4年/2022年3月号
(2月発売号)
令和4年/2022年3月号
(2月発売号)
第1回
論争と黒子の男
堀紫山(読売新聞)
文久3年/1863年10月23日
~昭和15年/1940年3月16日(享年76)
本名・成之。常陸国下館生まれ。栃木県師範学校卒。~昭和15年/1940年3月16日(享年76)
尾崎紅葉門下の第一号。明治23年/1890年、紅葉と共同生活を送り、その頃から『読売新聞』で働く。その後、『大阪朝日新聞』『読売新聞』(復社)『中央新聞』『二六新報』等を転々とする。