このページの情報は「芥川賞のすべて・のようなもの」内の「選考委員の群像 山本有三」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 明治20年/1887年7月27日~昭和49年/1974年1月11日 | |
在任期間 | 第10回~第13回(通算2年・4回) | |
在任年齢 | 52歳5ヶ月~53歳11ヶ月 | |
経歴 | 本名=山本勇造。栃木県生まれ。東京帝国大学独文科卒。 在学中に第三次『新思潮』に参加。 劇作家としての業績は、大正9年/1920年「生命の冠」が明治座で上演されたのを皮切りに、 「嬰児殺し」「海彦山彦」「米百俵」などがある。 大正15年/1926年「生きとし生けるもの」を『朝日新聞』に連載。小説家としても認められた。 以後の代表作に「波」「風」「女の一生」「真実一路」「路傍の石」など。 10~12年に編集刊行した「日本少国民文庫」では、児童読物に新機軸を開いた。 戦後、21年に貴族院議員に勅選され、22年参議院議員に全国区から当選。 文科委員長、文部委員長、ユネスコ国内委員長などを歴任し、また国語国字問題に取り組んだ。 48年に「濁流」を連載したが、未完に終わる。 |
|
受賞歴・候補歴 |
|
|
個人全集 | 『山本有三全集』全10巻(昭和14年/1939年~昭和16年/1941年・岩波書店刊) 『山本有三全集』全12巻(昭和51年/1976年~昭和52年/1977年・新潮社刊) |
|
備考 | 第10回から暫定的に芥川賞選考委員が直木賞選考委員も兼ねる措置がとられ、 その結果、直木賞選考委員に名を連ねることになりましたが、 実際には、選考に参加しなかったと思われます。 |