第34回

第33回第35回

令和2年/2020年度 令和3年/2021年5月14日決定発表／『小説新潮』令和3年/2021年7月号選評掲載

選考委員　 伊坂幸太郎 49歳 江國香織 57歳 荻原浩 64歳 今野敏 65歳 三浦しをん 44歳 選評総行数　 216 182 235 179 237 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 佐藤究　『テスカトリポカ』 43歳 評 ○ 46 ◎ 68 □ 39 ◎ 67 ◎ 93 伊吹有喜　『犬がいた季節』 52歳 評 ■ 36 △ 35 ■ 34 ■ 29 ■ 47 伊与原新　『八月の銀の雪』 49歳 評 ○ 64 ■ 20 △ 35 ■ 37 ◎ 24 小川糸　『とわの庭』 47歳 評 ■ 36 ● 30 ◎ 56 ● 23 ● 25 砂原浩太朗　『高瀬庄左衛門御留書』 51歳 評 △ 30 △ 27 ■ 39 □ 26 △ 50           年齢の説明   見方・注意点

伊坂幸太郎49歳×各候補作

年齢の説明 見方・注意点

題第34回の選評　総行数216　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 佐藤究 43歳 全 ○ 46 「自分なりに考えた結果、この小説はいわゆる「起承転結」の「起承」の部分がほとんどを占め、その「起承」の面白さが魅力なのだと気づきました」「「濃密な文体で、メインストーリー以上に、途中経過と細部をひたすら面白く描く」というこの小説は、「文学とエンターテインメントは両立するのか」「ストーリーが面白い文学は存在するのか」といった問いに対する一つの回答にも思いました。」 伊吹有喜 52歳 全 ■ 36 「会話で大半のことが説明されていく部分がもったいなく感じます。」「時代を説明する手法が、会話内のヒット曲やCMに出ている芸能人、といった固有名詞を使うことが多く、読者自身の思い出にかなり頼ったものなのも物足りなく感じました。」「「固有名詞とは別の部分」でも時代の変化を感じさせたほうが、最終話の感動も増したのでは、といろいろ考えてしまい、推すことはできませんでした。」 伊与原新 49歳 全 ○ 64 「この作品は、「いい話」でありながらまったく白けた気持ちにはさせられず、それは作者の誠実で丁寧なスタンス、優れたバランス感覚によるものだと感じました。」「フィクションに「何か変わったもの」「ちょっとした毒」を求める（僕のような）読者からすると少し優等生的で、物足りなく感じられる部分もあるかもしれませんが、こういった、「大勢の人に良い読書体験を与える」「創作に対して細かいところまで神経を行き届かせた」小説は貴重ですから、もし可能なら二作受賞としてこの作品を！　と考えていたのですが叶いませんでした。」 小川糸 47歳 全 ■ 36 「全体の色合いが統一されていない、と言いますか、（引用者中略）「見えない人の世界を描きたい」という部分と「作者本人がいつものように書く」部分とが混在している印象を受け、それがもったいないと感じました。」「読者もストーリーも、「とわさんの強さ」をただ見守っているだけ、といった気持ちになり（作者がこの小説を書くために目指していただろう）大きな感動を、僕は得ることができませんでした。」 砂原浩太朗 51歳 全 △ 30 「ストーリー的にも、前半の庄左衛門の周辺の出来事が、過去のエピソードを説明しつつ、後半のエンターテインメント的展開にも活きてきて非常によくできていますし、ぐっと来る場面も多く、「うまいなあ」と何度も思いました。」「今回、受賞作とはなりませんでしたが、この作家が今後書く時代小説は、時代小説ファンのみならずエンターテインメント小説全般の読者にとっても大事なものになるような予感を覚えます。」

他の選考委員 江國香織 荻原浩 今野敏 三浦しをん

江國香織57歳×各候補作

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題圧倒的でした　総行数182　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 佐藤究 43歳 全 ◎ 68 「圧倒的でした。」「熱量、発想の豊かさ、リサーチの堅牢さ、文体の緊密さ、詩的さ加減、スケールの大きさ、登場人物一人一人に血が通っていること（だからたくさんの血が流れるのだが……）、物語がきわめて複合的であること、その手腕――。見事としか言えない。」「なかでもいちばん驚いたのは、すべてを言葉で描写しようとするこの作家の意志と体力で、これはもうすさまじいものがあった。」「すみずみまで神経をいきわたらせて描写し、安易なことを絶対にしないところに私は胸を打たれた。」 伊吹有喜 52歳 全 △ 35 「今回の候補作中、私にとっていちばん判断の難しい小説でした。率直に言って“べた”な話なのに、正直に言うと心を揺らされてしまった。」「いちばん問題だったのは犬が一人称で語る部分で、そうすることによって、いわずもがなな事柄を説明してしまっているのが残念でした。と、マイナス点をならべながら自分でも不思議なのですが、欠点も多いけれど魅力的な作品だったと思います。」 伊与原新 49歳 全 ■ 20 「瑕疵なくきれいに書かれているのに、安全な道を歩いているようで物足りなく感じてしまった」「登場人物の心理の推移もやや理がまさってしまっていて、自然界の知識を核に、小説的な肉づけをしているという印象が拭えず、もしこれが反対で、小説的な冒険を核に、知識と技術が駆使されていたら盤石だろうにと惜しまれます。」 小川糸 47歳 全 ● 30 「前半、妙に甘やかなのだが、実はその甘やかな部分こそが哀しい、ということが徐々にわかる構造になっている。」「母親の不安定さはよくわかって哀しく、ロバのエピソードも効いていましたが、納得のいかないこと（オットさんの行動や、主人公にできることとできないこと、屋根裏部屋の謎、恋の顛末、雑巾、など）が多く、私は高く評価することができませんでした。ただ、一切説明を加えないという勇気ある決断は、間違いなく正しかったし、称賛に値すると思います。」 砂原浩太朗 51歳 全 △ 27 「文句なくいい小説でした。」「事件とのんびりした日々のバランスが絶妙で、上手いなあとうなりました。」「主人公の、世のなかとの距離のとり方が読んでいて心地よく、作品にとって効果的でもあって、小説に自由さと奥行きを与えていた。」「ただ、本来美点であるはずのひっそりしたところとあぶなげのなさが、他作品との比較においてはやや不利に働いてしまった。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 荻原浩 今野敏 三浦しをん

荻原浩64歳×各候補作

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題異種格闘技戦　総行数235　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 佐藤究 43歳 全 □ 39 「すげえな。読んでいる途中、何度も呟いてしまった。」「文章から、行間から、こめた思いが煙みたいに立ち上がってくるようだ。」「ただ日本が舞台になってからは、物語の迫力にブレーキがかかってしまった気がした。作者の責任というより、バルミロのいっそカラッとした圧倒的な暗黒ぶりや、アステカ古代文明の残酷さが、日本のじっとりした稲作的風土には合わないのかもしれない。」「それもあって、個人的には一推しに、とまでは考えられなかった。でも、佐藤さんの受賞に異存はありません。」 伊吹有喜 52歳 全 ■ 34 「素直でいい小説だ。」「しいて言えば、何も問題がないのが、問題かもしれない。学校が舞台なんだから、もう少し問題を起こして欲しかった。ストーリー的にも、文章表現的にも。」「援交をしている問題ありの子が登場しても、小説に流れるトーンに悪意の影がないから、ああ、この子もだいじょうぶ、最後には救われるんだよな、と何の心配もなく読めてしまう。」 伊与原新 49歳 全 △ 35 「各篇で語られる科学の話がどれも面白い。新しい知識を得る喜びを味わえる。」「文章がうまい人だ。科学の話だけじゃなくて、人間も時代の空気も、緻密に美しく描き出す。」「重箱の隅をつつくとしたら、科学と人間ドラマを融合させる、というおそらくはこの短編集の命題をこなそうとして、うまくすり合わせすぎている感があることだ。どっちも良い素材なのに、半々に組み合わせることで、逆に薄味になってしまっている気もした。」 小川糸 47歳 全 ◎ 56 「もともと文章技術が高い人なのだと思う。ありふれた言葉を使いながら、これしかないというようなフレーズが配置される、比喩があてはめられる。だから視覚情報がなくても、世界が広がるのだ。」「今回は本当に優れた作品ばかりで迷ったが、この『とわの庭』を一推しと決めて選考会に臨んだ。決め手は去年と同じになるが、文章力だ。」「小川さんは嬉しくもなんともないだろうけれど、僕の中では、最優秀作品です。」 砂原浩太朗 51歳 全 ■ 39 「昔の言葉を駆使して、時には古い言い回しを巧みに利用して、情景も人々の心情も美しく切なく綴っていく。素朴だからこそ響く言葉を随所にちりばめる。」「贅沢を言えば、凄いものを読んだという驚きやワクワクがもう少しあれば、とは思った。」「この小説にも決闘シーンや脱出劇などはあるのだが、わりとお行儀がいい。全体の印象は江戸時代を舞台にしたサラリーマン小説という感じ。」   「手前味噌ではあるが、最近の山本周五郎賞はハードルが高いと思う。受賞は年に一回、受賞者は常に一人だけ（かつては認められていた同時受賞が現在では認められていない）、そしてノンジャンル。」「観客としてなら楽しいが、審判（選考委員）としては、なかなか苦しい選考でした。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 江國香織 今野敏 三浦しをん

今野敏65歳×各候補作

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題圧倒的な作品力　総行数179　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 佐藤究 43歳 全 ◎ 67 「衝撃だった。そのスケール感、発想、臨場感、密度、そして深み、いずれも群を抜いている。」「情報量も半端ではなく、まるで海外のノンフィクションを読んでいるようだ。この作品をものにするための取材のたいへんさは、想像を絶する。」「候補作に選ばれたと知ったときから、この作品を賞に推そうと考えていた。（引用者中略）蓋を開けると、何のことはない、他の選考委員の意見も同様で、ほぼ満票で受賞作に決まった。」「選考委員という立場を忘れ、一小説家として、この作品には脱帽だった。とても敵わないと思わされた。」 伊吹有喜 52歳 全 ■ 29 「悪い意味ではなく、この作者はずるい、あざといと感じる。心の隙というか弱点を見事に衝いてくるのだ。」「ただ、男子たちがいずれもあまりに屈託がなくいい子ばかり。一種のファンタジーと読むべきなのだろうが、それでも現実感がなさすぎる。」「平成の時代を網羅していて、世相風俗にも触れているが、驚くほど懐かしさを感じなかった。平成の三十年間は、私のような世代にとってはまだ日常なのだ。まあ、前期高齢者の男性が、女子高校生に感情移入するという事自体に無理があるので、私のような者が読むべき本ではないのかもしれないが……。」 伊与原新 49歳 全 ■ 37 「高く評価する選考委員が複数いて、実は少々驚いた。たしかによくできた話が並んでいるが、私はそれほどの感動を覚えなかった。」「文章はとてもうまい。随処に、思わず感心するような描写がある。」「『テスカトリポカ』がなければ、受賞作に推した」という選考委員が何人かおり、もしそんなことがあったとしても、反対はしなかったと思う。」 小川糸 47歳 全 ● 23 「母親が姿を消してから、主人公が路上で助けられるまでの勢いがすごい。ページをめくる手が止まらなかった。だが、盲導犬と過ごしはじめてから、急速に興味を失った。現実感がまるでないのだ。」「まったく現実味のないまま一つの小説が成立するのだということに驚いた。これまで経験したことのない読書体験だった。」 砂原浩太朗 51歳 全 □ 26 「抜群の安定感を持った小説だ。時代小説らしい言葉づかいで、その語彙に舌を巻いた。」「布石、伏線がすべて回収されている。その構成も見事だ。」「ただ、少々話ができすぎというか、作り過ぎの傾向があるかもしれない。しかし、それも時代小説なら許されるという気がする。」「（引用者注：受賞作の）『テスカトリポカ』がなければ、受賞作に推せたかもしれない。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 江國香織 荻原浩 三浦しをん

三浦しをん44歳×各候補作

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題神話的蠢き　総行数237　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 佐藤究 43歳 全 ◎ 93 「（引用者注：「八月の銀の雪」と共に）推した。」「あまりにおもしろく、すさまじくて、私は途中から「選考」という目的を忘れて読みふけった。」「そもそも「あらすじ」を拒絶する蠢きに満ちているのが魅力なので、説明は放棄して話をさきに進めるが、ナワトル語（の存在すら私は知らずにいた）まで調べあげた著者のリサーチ能力にシャッポを脱いだ。」「なによりも震えたのは、文章の硬質な美だ。多摩川をこんなにも静謐でうつくしい場所として描きだした創作物がかつてあっただろうか。そして、アステカについての語りが生みだす神話的な輝きと躍動感といったら……！」 伊吹有喜 52歳 全 ■ 47 「私は特に、「セナと走った日」と「スカーレットの夏」が好きだった。」「ただ気になるのは、時代を象徴する歌や事象が一般的すぎるというか、あっさりした年表に載ってそうなものばかりなことだ。」「もっとも引っかかったのは、ほぼ全話の最初と最後に犬の視点があることだ。語られる内容自体はとても胸に迫るのだが、どうしても、「犬は……しゃべらないだろ」と思えてしまい、没入しきれなかった。」 伊与原新 49歳 全 ◎ 24 「（引用者注：「テスカトリポカ」と共に）推した。」「透きとおったうつくしさ、科学と物語の完璧な融合ぶりにも強く胸を打たれるものがあり、伊坂幸太郎さんと私はなんとか同時受賞の道を探らんと応援演説をするも、山本周五郎賞は一作のみに授与されるとのことで無念だ。」「科学の負の側面にもちゃんと触れ、小説として昇華させる著者の誠実な姿勢もまた、科学を単なる「ネタ」とは思っておらず、登場人物たちを都合のいい「駒」とも思っていないのだとうかがわせるに充分だ。」 小川糸 47歳 全 ● 25 「ちょっと辻褄が合わないのではと思える点がいろいろあった。たとえばオットさんは、とわがもう充分に大きくなっているのに、注文される物品のなかに再びオムツが登場したことに不審を覚えなかったのだろうか。」「目が見えないとわの一人称にしては、「見えている」としか思えない描写も多く、たとえば、とわがはじめて筆箱と接したとき、「中を開けると、そこには消しゴムと、先の尖った鉛筆が数本入っていた」そうなのだが、触れずにどうして、これまたはじめて接したはずの消しゴムと鉛筆の存在をすんなり把握できたのかと疑問だった。」 砂原浩太朗 51歳 全 △ 50 「静かにつづられる庄左衛門の日常に存在する、ほのかなユーモアや心理の綾がたしかに感じられ、神山藩で暮らしてみたいなと思った。」「現代の感覚に照らしあわせつつ、時代小説で女性をどう描くかは、塩梅がむずかしいことだろうと推測する。（引用者中略）「なんで？」と一番引っかかったのは、庄左衛門と志穂の関係だ。」「そこまでおじさん（庄左衛門）を甘やかすことはない。再婚せず絵で身を立てたいと願う志穂を私は渾身で応援したし、絵を描くことを通して互いを理解しあうからこそ、二人の関係は貴く得がたいのだ。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 江國香織 荻原浩 今野敏

佐藤究43歳×各選考委員　 『テスカトリポカ』

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選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 49歳 全 ○ 46 「自分なりに考えた結果、この小説はいわゆる「起承転結」の「起承」の部分がほとんどを占め、その「起承」の面白さが魅力なのだと気づきました」「「濃密な文体で、メインストーリー以上に、途中経過と細部をひたすら面白く描く」というこの小説は、「文学とエンターテインメントは両立するのか」「ストーリーが面白い文学は存在するのか」といった問いに対する一つの回答にも思いました。」 江國香織 57歳 全 ◎ 68 「圧倒的でした。」「熱量、発想の豊かさ、リサーチの堅牢さ、文体の緊密さ、詩的さ加減、スケールの大きさ、登場人物一人一人に血が通っていること（だからたくさんの血が流れるのだが……）、物語がきわめて複合的であること、その手腕――。見事としか言えない。」「なかでもいちばん驚いたのは、すべてを言葉で描写しようとするこの作家の意志と体力で、これはもうすさまじいものがあった。」「すみずみまで神経をいきわたらせて描写し、安易なことを絶対にしないところに私は胸を打たれた。」 荻原浩 64歳 全 □ 39 「すげえな。読んでいる途中、何度も呟いてしまった。」「文章から、行間から、こめた思いが煙みたいに立ち上がってくるようだ。」「ただ日本が舞台になってからは、物語の迫力にブレーキがかかってしまった気がした。作者の責任というより、バルミロのいっそカラッとした圧倒的な暗黒ぶりや、アステカ古代文明の残酷さが、日本のじっとりした稲作的風土には合わないのかもしれない。」「それもあって、個人的には一推しに、とまでは考えられなかった。でも、佐藤さんの受賞に異存はありません。」 今野敏 65歳 全 ◎ 67 「衝撃だった。そのスケール感、発想、臨場感、密度、そして深み、いずれも群を抜いている。」「情報量も半端ではなく、まるで海外のノンフィクションを読んでいるようだ。この作品をものにするための取材のたいへんさは、想像を絶する。」「候補作に選ばれたと知ったときから、この作品を賞に推そうと考えていた。（引用者中略）蓋を開けると、何のことはない、他の選考委員の意見も同様で、ほぼ満票で受賞作に決まった。」「選考委員という立場を忘れ、一小説家として、この作品には脱帽だった。とても敵わないと思わされた。」 三浦しをん 44歳 全 ◎ 93 「（引用者注：「八月の銀の雪」と共に）推した。」「あまりにおもしろく、すさまじくて、私は途中から「選考」という目的を忘れて読みふけった。」「そもそも「あらすじ」を拒絶する蠢きに満ちているのが魅力なので、説明は放棄して話をさきに進めるが、ナワトル語（の存在すら私は知らずにいた）まで調べあげた著者のリサーチ能力にシャッポを脱いだ。」「なによりも震えたのは、文章の硬質な美だ。多摩川をこんなにも静謐でうつくしい場所として描きだした創作物がかつてあっただろうか。そして、アステカについての語りが生みだす神話的な輝きと躍動感といったら……！」

他の候補作 伊吹有喜 『犬がいた季節』 伊与原新 『八月の銀の雪』 小川糸 『とわの庭』 砂原浩太朗 『高瀬庄左衛門御留書』

伊吹有喜52歳×各選考委員　 『犬がいた季節』

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選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 49歳 全 ■ 36 「会話で大半のことが説明されていく部分がもったいなく感じます。」「時代を説明する手法が、会話内のヒット曲やCMに出ている芸能人、といった固有名詞を使うことが多く、読者自身の思い出にかなり頼ったものなのも物足りなく感じました。」「「固有名詞とは別の部分」でも時代の変化を感じさせたほうが、最終話の感動も増したのでは、といろいろ考えてしまい、推すことはできませんでした。」 江國香織 57歳 全 △ 35 「今回の候補作中、私にとっていちばん判断の難しい小説でした。率直に言って“べた”な話なのに、正直に言うと心を揺らされてしまった。」「いちばん問題だったのは犬が一人称で語る部分で、そうすることによって、いわずもがなな事柄を説明してしまっているのが残念でした。と、マイナス点をならべながら自分でも不思議なのですが、欠点も多いけれど魅力的な作品だったと思います。」 荻原浩 64歳 全 ■ 34 「素直でいい小説だ。」「しいて言えば、何も問題がないのが、問題かもしれない。学校が舞台なんだから、もう少し問題を起こして欲しかった。ストーリー的にも、文章表現的にも。」「援交をしている問題ありの子が登場しても、小説に流れるトーンに悪意の影がないから、ああ、この子もだいじょうぶ、最後には救われるんだよな、と何の心配もなく読めてしまう。」 今野敏 65歳 全 ■ 29 「悪い意味ではなく、この作者はずるい、あざといと感じる。心の隙というか弱点を見事に衝いてくるのだ。」「ただ、男子たちがいずれもあまりに屈託がなくいい子ばかり。一種のファンタジーと読むべきなのだろうが、それでも現実感がなさすぎる。」「平成の時代を網羅していて、世相風俗にも触れているが、驚くほど懐かしさを感じなかった。平成の三十年間は、私のような世代にとってはまだ日常なのだ。まあ、前期高齢者の男性が、女子高校生に感情移入するという事自体に無理があるので、私のような者が読むべき本ではないのかもしれないが……。」 三浦しをん 44歳 全 ■ 47 「私は特に、「セナと走った日」と「スカーレットの夏」が好きだった。」「ただ気になるのは、時代を象徴する歌や事象が一般的すぎるというか、あっさりした年表に載ってそうなものばかりなことだ。」「もっとも引っかかったのは、ほぼ全話の最初と最後に犬の視点があることだ。語られる内容自体はとても胸に迫るのだが、どうしても、「犬は……しゃべらないだろ」と思えてしまい、没入しきれなかった。」

他の候補作 佐藤究 『テスカトリポカ』 伊与原新 『八月の銀の雪』 小川糸 『とわの庭』 砂原浩太朗 『高瀬庄左衛門御留書』

伊与原新49歳×各選考委員　 『八月の銀の雪』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 49歳 全 ○ 64 「この作品は、「いい話」でありながらまったく白けた気持ちにはさせられず、それは作者の誠実で丁寧なスタンス、優れたバランス感覚によるものだと感じました。」「フィクションに「何か変わったもの」「ちょっとした毒」を求める（僕のような）読者からすると少し優等生的で、物足りなく感じられる部分もあるかもしれませんが、こういった、「大勢の人に良い読書体験を与える」「創作に対して細かいところまで神経を行き届かせた」小説は貴重ですから、もし可能なら二作受賞としてこの作品を！　と考えていたのですが叶いませんでした。」 江國香織 57歳 全 ■ 20 「瑕疵なくきれいに書かれているのに、安全な道を歩いているようで物足りなく感じてしまった」「登場人物の心理の推移もやや理がまさってしまっていて、自然界の知識を核に、小説的な肉づけをしているという印象が拭えず、もしこれが反対で、小説的な冒険を核に、知識と技術が駆使されていたら盤石だろうにと惜しまれます。」 荻原浩 64歳 全 △ 35 「各篇で語られる科学の話がどれも面白い。新しい知識を得る喜びを味わえる。」「文章がうまい人だ。科学の話だけじゃなくて、人間も時代の空気も、緻密に美しく描き出す。」「重箱の隅をつつくとしたら、科学と人間ドラマを融合させる、というおそらくはこの短編集の命題をこなそうとして、うまくすり合わせすぎている感があることだ。どっちも良い素材なのに、半々に組み合わせることで、逆に薄味になってしまっている気もした。」 今野敏 65歳 全 ■ 37 「高く評価する選考委員が複数いて、実は少々驚いた。たしかによくできた話が並んでいるが、私はそれほどの感動を覚えなかった。」「文章はとてもうまい。随処に、思わず感心するような描写がある。」「『テスカトリポカ』がなければ、受賞作に推した」という選考委員が何人かおり、もしそんなことがあったとしても、反対はしなかったと思う。」 三浦しをん 44歳 全 ◎ 24 「（引用者注：「テスカトリポカ」と共に）推した。」「透きとおったうつくしさ、科学と物語の完璧な融合ぶりにも強く胸を打たれるものがあり、伊坂幸太郎さんと私はなんとか同時受賞の道を探らんと応援演説をするも、山本周五郎賞は一作のみに授与されるとのことで無念だ。」「科学の負の側面にもちゃんと触れ、小説として昇華させる著者の誠実な姿勢もまた、科学を単なる「ネタ」とは思っておらず、登場人物たちを都合のいい「駒」とも思っていないのだとうかがわせるに充分だ。」

他の候補作 佐藤究 『テスカトリポカ』 伊吹有喜 『犬がいた季節』 小川糸 『とわの庭』 砂原浩太朗 『高瀬庄左衛門御留書』

小川糸47歳×各選考委員　 『とわの庭』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 49歳 全 ■ 36 「全体の色合いが統一されていない、と言いますか、（引用者中略）「見えない人の世界を描きたい」という部分と「作者本人がいつものように書く」部分とが混在している印象を受け、それがもったいないと感じました。」「読者もストーリーも、「とわさんの強さ」をただ見守っているだけ、といった気持ちになり（作者がこの小説を書くために目指していただろう）大きな感動を、僕は得ることができませんでした。」 江國香織 57歳 全 ● 30 「前半、妙に甘やかなのだが、実はその甘やかな部分こそが哀しい、ということが徐々にわかる構造になっている。」「母親の不安定さはよくわかって哀しく、ロバのエピソードも効いていましたが、納得のいかないこと（オットさんの行動や、主人公にできることとできないこと、屋根裏部屋の謎、恋の顛末、雑巾、など）が多く、私は高く評価することができませんでした。ただ、一切説明を加えないという勇気ある決断は、間違いなく正しかったし、称賛に値すると思います。」 荻原浩 64歳 全 ◎ 56 「もともと文章技術が高い人なのだと思う。ありふれた言葉を使いながら、これしかないというようなフレーズが配置される、比喩があてはめられる。だから視覚情報がなくても、世界が広がるのだ。」「今回は本当に優れた作品ばかりで迷ったが、この『とわの庭』を一推しと決めて選考会に臨んだ。決め手は去年と同じになるが、文章力だ。」「小川さんは嬉しくもなんともないだろうけれど、僕の中では、最優秀作品です。」 今野敏 65歳 全 ● 23 「母親が姿を消してから、主人公が路上で助けられるまでの勢いがすごい。ページをめくる手が止まらなかった。だが、盲導犬と過ごしはじめてから、急速に興味を失った。現実感がまるでないのだ。」「まったく現実味のないまま一つの小説が成立するのだということに驚いた。これまで経験したことのない読書体験だった。」 三浦しをん 44歳 全 ● 25 「ちょっと辻褄が合わないのではと思える点がいろいろあった。たとえばオットさんは、とわがもう充分に大きくなっているのに、注文される物品のなかに再びオムツが登場したことに不審を覚えなかったのだろうか。」「目が見えないとわの一人称にしては、「見えている」としか思えない描写も多く、たとえば、とわがはじめて筆箱と接したとき、「中を開けると、そこには消しゴムと、先の尖った鉛筆が数本入っていた」そうなのだが、触れずにどうして、これまたはじめて接したはずの消しゴムと鉛筆の存在をすんなり把握できたのかと疑問だった。」

他の候補作 佐藤究 『テスカトリポカ』 伊吹有喜 『犬がいた季節』 伊与原新 『八月の銀の雪』 砂原浩太朗 『高瀬庄左衛門御留書』

砂原浩太朗51歳×各選考委員　 『高瀬庄左衛門御留書』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 49歳 全 △ 30 「ストーリー的にも、前半の庄左衛門の周辺の出来事が、過去のエピソードを説明しつつ、後半のエンターテインメント的展開にも活きてきて非常によくできていますし、ぐっと来る場面も多く、「うまいなあ」と何度も思いました。」「今回、受賞作とはなりませんでしたが、この作家が今後書く時代小説は、時代小説ファンのみならずエンターテインメント小説全般の読者にとっても大事なものになるような予感を覚えます。」 江國香織 57歳 全 △ 27 「文句なくいい小説でした。」「事件とのんびりした日々のバランスが絶妙で、上手いなあとうなりました。」「主人公の、世のなかとの距離のとり方が読んでいて心地よく、作品にとって効果的でもあって、小説に自由さと奥行きを与えていた。」「ただ、本来美点であるはずのひっそりしたところとあぶなげのなさが、他作品との比較においてはやや不利に働いてしまった。」 荻原浩 64歳 全 ■ 39 「昔の言葉を駆使して、時には古い言い回しを巧みに利用して、情景も人々の心情も美しく切なく綴っていく。素朴だからこそ響く言葉を随所にちりばめる。」「贅沢を言えば、凄いものを読んだという驚きやワクワクがもう少しあれば、とは思った。」「この小説にも決闘シーンや脱出劇などはあるのだが、わりとお行儀がいい。全体の印象は江戸時代を舞台にしたサラリーマン小説という感じ。」 今野敏 65歳 全 □ 26 「抜群の安定感を持った小説だ。時代小説らしい言葉づかいで、その語彙に舌を巻いた。」「布石、伏線がすべて回収されている。その構成も見事だ。」「ただ、少々話ができすぎというか、作り過ぎの傾向があるかもしれない。しかし、それも時代小説なら許されるという気がする。」「（引用者注：受賞作の）『テスカトリポカ』がなければ、受賞作に推せたかもしれない。」 三浦しをん 44歳 全 △ 50 「静かにつづられる庄左衛門の日常に存在する、ほのかなユーモアや心理の綾がたしかに感じられ、神山藩で暮らしてみたいなと思った。」「現代の感覚に照らしあわせつつ、時代小説で女性をどう描くかは、塩梅がむずかしいことだろうと推測する。（引用者中略）「なんで？」と一番引っかかったのは、庄左衛門と志穂の関係だ。」「そこまでおじさん（庄左衛門）を甘やかすことはない。再婚せず絵で身を立てたいと願う志穂を私は渾身で応援したし、絵を描くことを通して互いを理解しあうからこそ、二人の関係は貴く得がたいのだ。」

他の候補作 佐藤究 『テスカトリポカ』 伊吹有喜 『犬がいた季節』 伊与原新 『八月の銀の雪』 小川糸 『とわの庭』