第38回

第37回

令和6年/2024年度 令和7年/2025年5月16日決定発表

選考委員　 伊坂幸太郎 53歳 江國香織 61歳 小川哲 38歳 今野敏 69歳 三浦しをん 48歳 選評総行数　 242 163 366 183 221 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 新川帆立　『女の国会』 34歳 評 △ 37 □ 55 ○ 83 ◎ 36 ◎ 43 河野裕　『彗星を追うヴァンパイア』 (41歳) 評 ○ 68 △ 21 ■ 64 △ 28 △ 59 月村了衛　『虚の伽藍』 62歳 評 ■ 38 △ 52 △ 70 ■ 40 ◎ 33 高瀬乃一　『梅の実るまで　茅野淳之介幕末日乗』 (52歳) 評 △ 36 ■ 50 ■ 56 ■ 38 ■ 26 逢坂冬馬　『ブレイクショットの軌跡』 39歳 評 ■ 59 △ 43 ◎ 75 ● 36 ■ 26           年齢の説明   見方・注意点

伊坂幸太郎53歳×各候補作

年齢の説明 見方・注意点

題第38回の選評　総行数242　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 新川帆立 34歳 全 △ 37 「とてもよくできたエンターテインメント小説で、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、欠点のない（厳密に言えば気になるところもありますが）百点満点の作品だと思いました。」「現実的な物語の中で、アガサ・クリスティの小説のような毒殺事件、古風ともいえる毒殺トリックが組み込まれているのが新鮮で、そのバランスも非常に好みでした。」「僕自身はどうしても、欠点のない（レールからはみ出すことのない）百点満点の小説よりも、作者が想像力を駆使して、定型になるべく乗らないように、と「頑張っている」小説のほうが、良い小説だと考えてしまうため、賞の選考としては積極的に推すことはできなかったのです」 河野裕 (41歳) 全 ○ 68 「定型的なストーリー展開になるべく頼らず、見たことのない場面、新鮮なやり取りを用意し、個性的な世界をつくることこそ小説家のやるべきことだと思っているため、この作品が候補作の中では一番、素晴らしいと感じました。」「選考会では、どの登場人物も雰囲気が似ており、たとえば会話の知的レベルが均一である点、ヴァンパイアの魅力が感じられない点がマイナス点として挙げられました。確かにその通りだな、と感じましたが、僕自身はそのことで作品の魅力が大きく損なわれているようには感じませんでした。」 月村了衛 62歳 全 ■ 38 「どこかあっさりとした印象を受けてしまいました。なぜなんだろう、と何度か読み返し、考えたのですが、もしかすると、主人公自身が恐ろしい行動をする直接的な場面がほとんどなく、大半が会話などの情報で読者に伝えられるからかもしれない、と思いました。」「主人公の、読経の際の声がよく、頭の形が完全に左右対称で、剃髪がさまになっている、といった特徴には特別にわくわくしましたし、声明の時に様々なことに思いを馳せ、昂る場面もとても好みだったため、こういった要素がもっと活きてきてほしかった気がします。」 高瀬乃一 (52歳) 全 △ 36 「潜入捜査をする展開になったり、牢獄での話が出てきたりするのも、落ち着き払った文章で穏やかな日々を描く小説だろうというこちらの先入観を裏切り、魅力的でした。」「文章表現が丁寧な上に、エンターテインメント小説に必要なサービス精神のある、良質な作品だと感じ、欠点らしい欠点もないため選考会でも多くの支持を得ると思っていたのですが、そうはならず、その点は意外に感じました。」 逢坂冬馬 39歳 全 ■ 59 「半ば過ぎまで、「こんなに面白い小説は久しぶりだ」という気持ちで読み進めていました。」「ただ半ばを過ぎたあたりから、登場人物たちの思い（もしくは作者の思い）があまりに会話や地の文で説明され過ぎていると感じてしまい、（引用者中略）どうしても引っかかってしまいました。」「「スポーツ選手の差別発言」「自動車修理における不正」「安易に『プロレス』と表現することへの苦言」等々、作中で使われている要素に、比較的最近の現実社会で話題になったものが多いように感じられ、近い場所から題材を持ってきたように思えてしまうのも少しもったいないように感じました。」

他の選考委員 江國香織 小川哲 今野敏 三浦しをん

江國香織61歳×各候補作

年齢の説明 見方・注意点

題ながいながい議論の流れ　総行数163　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 新川帆立 34歳 全 □ 55 「（引用者注：「ブレイクショットの軌跡」「虚の伽藍」と共に）息もつかせぬ展開とリーダビリティの高さ、途方もない熱量と赤裸々な描写、誤解の余地のない筋運びと、よく調べられた背景の三作が残った。」「重いテーマにまっすぐ切り込みながらユーモアもあり、ディテールの扱いの上手さには、小説家としてのセンスを感じた。」「こわいほどの臨場感。登場人物たちは類型的なのではなく典型的なのだ、というある選考委員の言葉には虚を突かれたし、なるほどと納得した。受賞作とすることに異存はないけれど、長所だらけのこの著者が、時代の要請から離れたところで書いた作品を読んでみたいと思うのは、望み過ぎだろうか。」 河野裕 (41歳) 全 △ 21 「十七世紀のイングランドを舞台に、等身大の（というのはつまり伝説としてでも悪夢としてでもなく）ヴァンパイアを登場させるというきわめて難しいことに挑んでいて、私はその勇気に胸を打たれた。（引用者中略）何よりも、好きなことを好きなように書こうとする姿勢が好もしく、私はこの作品を推したいと思った。強く思った。のだけれど、小説にはストーリーというものがあり、そのストーリーが途中から破綻していた。」「いちばん残念だったのがケム・ソネットで、あのチャーミングな二人組（の、せっかくつくった名前とそれが体現するもの）が、もっと生かされていたらよかったのにと思う。」 月村了衛 62歳 全 △ 52 「（引用者注：「女の国会」「ブレイクショットの軌跡」と共に）息もつかせぬ展開とリーダビリティの高さ、途方もない熱量と赤裸々な描写、誤解の余地のない筋運びと、よく調べられた背景の三作が残った。」「迫力には圧倒されたし、何度かでてくる読経の場面は法悦感が狂おしくビビッドで、読みながらこちらまで陶然となった。」 高瀬乃一 (52歳) 全 ■ 50 「風通しのよさと上品さというこの小説の美点自体が、五冊のなかでの選考においてはマイナスに作用してしまった。風通しのよさは有機性の欠如に、上品さは中途半端さに変換され得るから」「小説の強度という意味で、他作品に軍配を上げざるを得なかった。作中である登場人物が口にする、「あっしはね、茅野の旦那。攘夷だとか御降嫁だとか、そんなこたあ気にも留めずにきたんだ。お天道さまがからっと照って、雨がしとしと降ってよ。そんでうまい飯が食えりゃあそれでいいってな」というたくましい言葉がもっと色濃く小説全体に反映されていたら、あるいは違ったかもしれない。」 逢坂冬馬 39歳 全 △ 43 「（引用者注：「女の国会」「虚の伽藍」と共に）息もつかせぬ展開とリーダビリティの高さ、途方もない熱量と赤裸々な描写、誤解の余地のない筋運びと、よく調べられた背景の三作が残った。」「物語のひろがり方は開放的で気持ちがよく（だからこそ、最後のまとめみたいな、五五六頁から五六二頁あたりまでは不要だと思ったけれど）、丁寧に描かれた登場人物たちも印象的だった（とくに霧山修悟と後藤晴斗！）。」   「実力伯仲とはこのことか、と思う五冊だった」

他の選考委員 伊坂幸太郎 小川哲 今野敏 三浦しをん

小川哲38歳×各候補作

年齢の説明 見方・注意点

題ほんのわずかな差　総行数366　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 新川帆立 34歳 全 ○ 83 「まず、ディテールが素晴らしい。女性であるというだけで日常的にどのような不利を被っているのか、四人の視点から具体的、かつリアリティをもって描かれている。」「ラストの真相が作品の構造をより多層的にしていることは認めつつ、女性として生きていくことのリアリティと、殺人事件のリアリティが釣り合っていないせいで、本作の素晴らしいディテールが戯画的になってしまってはもったいない、とも感じる。」「（最後の決選投票では悩んだ末に『女の国会』に一票を投じた）。」 河野裕 (41歳) 全 ■ 64 「候補作の中でもっとも美しい構造の作品であると感じた。」「本作のアクロバティックな構造の根本が「ミクロとマクロの対比」にあることを考えると、本作の大きな魅力である「切れ味のいい会話」が致命的な弱点にもなり得る。人類史というマクロを個人の生というミクロによって統計学的に（「誤りの定理」として）処理するためには、やはり不完全な個人が存在していなければならず、登場する市井の人々まで理知的な会話をこなしていることは、観測データの偏りと捉えられても仕方ない。」 月村了衛 62歳 全 △ 70 「宗教法人を舞台にした小説自体が珍しく、それだけでも読み応えがあるのだが、そこに極道との関わりが加わることで「仏教」を多面的に捉える視点が生まれている。」「個人的には、敵対する人々や、自身に懐疑的な人々を前に、凌玄が屁理屈のように仏法を使って説得し、危機を切り抜けていく場面が面白かった。」「総貫首選挙を終えた凌玄が、冒頭に登場する仏堂へ回帰していく結末が構造的に美しいことは間違いないのだが、架空の宗派の架空の故事が、凌玄の夢想であったというラストは少し肩透かしかもしれない。」 高瀬乃一 (52歳) 全 ■ 56 「舞台設定が非常に巧みだと感じた。コレラが流行し、不平等条約を結ばされ、外国人への排外主義が広がった江戸を、コロナ後の日本の映し鏡として見ることができるようになっている。」「単なる時代小説という枠組みを超えて、学問の本懐や幕末思想の本質に迫ろうというのであれば、特異な経験を経た淳之介でしか届かない、彼の言葉を導いてほしかったと思う。」「淳之介の「成長」をどのように描くかという問いは、そのまま「明治維新とは何か」という問いに対する答えとなり得る。作品が「明治維新」を多面的に描いていただけに、淳之介の目を通じてこの問いに向き合うべきだったと感じた。」 逢坂冬馬 39歳 全 ◎ 75 「視点人物も多く、それぞれの生い立ちも多岐にわたるが、全体の主題は明確で読みやすく、読者が迷子にならないような工夫が凝らされている。」「作為的ともとれる偶然の連鎖は、リアリティのあるディテールと定型的でないエピソードによって支えられることで、著者本位の「ご都合主義」や「説教臭さ」ではなく、作品が要請する「必然性」に昇華できていると感じた。」「この著者でしか描くことのできない作品であると同時に、この一年を代表する作品であると思い、選考会では一番に推した」   「五人の選考委員のイチオシが四つの作品に割れ（うち一人は「全作品が横並びである」と言っていた）、受賞作を決める作業はきわめて難航した。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 江國香織 今野敏 三浦しをん

今野敏69歳×各候補作

年齢の説明 見方・注意点

題推す決め手　総行数183　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 新川帆立 34歳 全 ◎ 36 「冒頭から説明を最小限まで省き、次々と波乱を起こす手際が見事だ。そして、こうした重量級の内容を軽妙にあっけらかんと描いている。これはなかなかできることではない。」「どろどろした世界を描きつつ読後感は爽やか。この軽さが強みだ。」「セクハラを耐えた秘書が、女性議員から「ごめんなさい」と言われ、「そういうときは、あの、ありがとうって言ってほしい、です」とこたえるシーンや、亡くなった朝沼議員に対する顕太郎の「笑っている顔じゃなくてもいい。泣いている顔でもいいから、もう一度見たいんだよ」という台詞で、文句なく受賞作に推した。」 河野裕 (41歳) 全 △ 28 「科学史とオレンジ公ウィリアムによるイギリスの名誉革命と、ヴァンパイアを一つの物語にまとめる力量はすごい。特に、科学史の部分は知的興奮に満ちあふれている。」「ただ、科学史にまつわる知的興奮のヴォルテージに比べ、ヴァンパイアの存在感が見劣りする。」「また、名誉革命の部分が終盤にまとめて説明するような形になっているのが、少々残念。」 月村了衛 62歳 全 ■ 40 「思わずページをめくり一気読みだ。」「だが、読み終えてふと思った。既視感がある。第一部は、（引用者中略）『半沢直樹』や『課長・島耕作』などを連想してしまう。」「また第二部は『ナニワ金融道』や『地面師たち』などを連想してしまう。」「本作で、私は凌玄という主人公に今一つ共感が持てなかったし、感情移入もできなかった。」「この作家が魅力的なキャラクターと出会うことができれば、すさまじい推進力となると、私は信じている。」「もう一つだけ言わせてもらうと、本作は第二部があることが最大の欠点かもしれないと感じた。」 高瀬乃一 (52歳) 全 ■ 38 「下級武士、あるいは市井の者たちから見た幕末という切り口は斬新だ。」「ただ、気合いの入った長編と比較すると連作短編は、賞に推すには少々見劣りがするのは事実だ。」「私はどうしても主人公の淳之介に感情移入ができなかった。」「弱くて情けない男というのは、別に悪くはない。だが、何もできずにきれい事を言っている主人公というのは受け容れがたい。」「父親の介錯もできないという不甲斐なさに愛想が尽きた。その後は、淳之介が何をしようが、何を言おうが、ただそらぞらしいだけだった。」 逢坂冬馬 39歳 全 ● 36 「この作者の何から何まで説明しなければ気が済まないという姿勢は、私にはとても冗漫に感じられた。」「プロローグとエピローグだけで物語を作ればよいのであり、あるいは「アフリカのホワイトハウス」だけでも作品は書ける。それを長大な一つの小説にする意図が伝わってこなかった。」「設計図をそのまま文章にしたようで、作者の「実」が見えてこない。それでいて、登場人物の台詞などで作者の「生」の主張が垣間見えて興ざめする感がある。」   「三時間半もかかった。私が選考委員を始めて以来最長の選考会になった。」「力作ぞろいだった。こうなるともう、判断の基準は好き嫌いしかなくなるのではないか。実作者の好き嫌いというのはすなわち小説作法ということであり、作品のポリシーでもあるわけだ。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 江國香織 小川哲 三浦しをん

三浦しをん48歳×各候補作

年齢の説明 見方・注意点

題第三十八回の選評　総行数221　（1行=18字） 候補 評価 行数 評言 新川帆立 34歳 全 ◎ 43 「（引用者注：「虚の伽藍」と共に）推した。」「最終的に（引用者中略）一票を投じた。」「文章と謎解きがやや粗い印象を受けたが、構成に過不足がなく、勢いがあってぐいぐい拝読した。」「本作では、（特に政界での）女性の立場や苦闘がつぶさに描かれる。重要な問題提起なのだが、だからこそ深刻になりすぎない筆致で、「読んで楽しい小説」を志しているところに、作者の気概を感じた。」「本作を読んで、政治や社会問題に興味を抱き、選挙に行ってみようと思うかたも多いはずで、登場する女性たちの姿は、現実においても希望の光になりえるだけの強度を宿している。」 河野裕 (41歳) 全 △ 59 「この世界の理（ルビ：ことわり）を追究しつづけずにはいられない人々の思いと試行錯誤が重なって、「いま」があり、「これから」があるのだと真に迫って感じられ、非常に貴く輝くものを見た、と思った。」「ラストも、「こうなるんだろうな」という予想を裏切ることなく、しかし期待を大幅に超える深い感動がもたらされ、しばらく余韻に浸った。」「ただ、ストーリーの駆動力がやや弱い、という感は否めない。」「人物造形、心情表現が上品なのが本作の魅力だが、思い切って人物の対照性を際立たせ、もっとドラマティックに葛藤（ぶつかりあい）を描いてもよかったかもしれない。」 月村了衛 62歳 全 ◎ 33 「（引用者注：「女の国会」と共に）推した。」「近年、この泥っこさと驀進力を有した作品はなかなか思い当たらず、「やっぱりいいよなあ、こういう小説」と興奮しながら拝読した。」「主人公の常軌を逸した（と思える）熱狂と没入、その果てに出現する「虚の伽藍」を、読者として一歩引いた場所から目撃するとき、私が生きる現実も「虚の伽藍」に過ぎないのだと痛感され、その事実を小説という「虚の伽藍」を通して見事に構築し、突きつけてくる本作は、本当にすごいし、仏教が説いていることの本質に迫っているのではないか。」 高瀬乃一 (52歳) 全 ■ 26 「いくつかの章の導入部が、「視点人物が切り替わったの？」「時系列、おかしくない？」など、混乱を招く仕様になっており、読者の驚きや興味をかきたてるための作者の狙いなのだとしても、ちょっとうまくいっていない気がした。私が一番引っかかったのは、主人公がわりと剣が達者で、ずばずばひとを斬るところだ。」「彼が懸命に修め、まわりに教授している「時代遅れ」の学問が、事態の解決に寄与しているようには感じられない。」 逢坂冬馬 39歳 全 ■ 26 「大変な力作だと感じた。」「弱点があるとすれば、エピローグだろう。急に駆け足になり、伏線回収のための段取りと説明ゼリフが増える。」「こういう形で説明されなくても、だれとだれがつながり、どう影響しあっていたのかは、前段まででかなり察しがつくので、もう少し見せかたの塩梅を探ったほうがよかったのではないか。」   「個人的には、小説にとって大切なのは、「文章の精度および、その文章が紡ぎだす作品世界の斬新さ」と、「登場人物が作品のための駒にならず、作中で息づいているか。その登場人物を通して、読者が新たな世界を垣間見たり、我がことのように感情や思考を喚起されたりするか」ではないかと思っている（ほかにも大切な要素は多々あるが）。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 江國香織 小川哲 今野敏

新川帆立34歳×各選考委員　 『女の国会』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 53歳 全 △ 37 「とてもよくできたエンターテインメント小説で、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、欠点のない（厳密に言えば気になるところもありますが）百点満点の作品だと思いました。」「現実的な物語の中で、アガサ・クリスティの小説のような毒殺事件、古風ともいえる毒殺トリックが組み込まれているのが新鮮で、そのバランスも非常に好みでした。」「僕自身はどうしても、欠点のない（レールからはみ出すことのない）百点満点の小説よりも、作者が想像力を駆使して、定型になるべく乗らないように、と「頑張っている」小説のほうが、良い小説だと考えてしまうため、賞の選考としては積極的に推すことはできなかったのです」 江國香織 61歳 全 □ 55 「（引用者注：「ブレイクショットの軌跡」「虚の伽藍」と共に）息もつかせぬ展開とリーダビリティの高さ、途方もない熱量と赤裸々な描写、誤解の余地のない筋運びと、よく調べられた背景の三作が残った。」「重いテーマにまっすぐ切り込みながらユーモアもあり、ディテールの扱いの上手さには、小説家としてのセンスを感じた。」「こわいほどの臨場感。登場人物たちは類型的なのではなく典型的なのだ、というある選考委員の言葉には虚を突かれたし、なるほどと納得した。受賞作とすることに異存はないけれど、長所だらけのこの著者が、時代の要請から離れたところで書いた作品を読んでみたいと思うのは、望み過ぎだろうか。」 小川哲 38歳 全 ○ 83 「まず、ディテールが素晴らしい。女性であるというだけで日常的にどのような不利を被っているのか、四人の視点から具体的、かつリアリティをもって描かれている。」「ラストの真相が作品の構造をより多層的にしていることは認めつつ、女性として生きていくことのリアリティと、殺人事件のリアリティが釣り合っていないせいで、本作の素晴らしいディテールが戯画的になってしまってはもったいない、とも感じる。」「（最後の決選投票では悩んだ末に『女の国会』に一票を投じた）。」 今野敏 69歳 全 ◎ 36 「冒頭から説明を最小限まで省き、次々と波乱を起こす手際が見事だ。そして、こうした重量級の内容を軽妙にあっけらかんと描いている。これはなかなかできることではない。」「どろどろした世界を描きつつ読後感は爽やか。この軽さが強みだ。」「セクハラを耐えた秘書が、女性議員から「ごめんなさい」と言われ、「そういうときは、あの、ありがとうって言ってほしい、です」とこたえるシーンや、亡くなった朝沼議員に対する顕太郎の「笑っている顔じゃなくてもいい。泣いている顔でもいいから、もう一度見たいんだよ」という台詞で、文句なく受賞作に推した。」 三浦しをん 48歳 全 ◎ 43 「（引用者注：「虚の伽藍」と共に）推した。」「最終的に（引用者中略）一票を投じた。」「文章と謎解きがやや粗い印象を受けたが、構成に過不足がなく、勢いがあってぐいぐい拝読した。」「本作では、（特に政界での）女性の立場や苦闘がつぶさに描かれる。重要な問題提起なのだが、だからこそ深刻になりすぎない筆致で、「読んで楽しい小説」を志しているところに、作者の気概を感じた。」「本作を読んで、政治や社会問題に興味を抱き、選挙に行ってみようと思うかたも多いはずで、登場する女性たちの姿は、現実においても希望の光になりえるだけの強度を宿している。」

他の候補作 河野裕 『彗星を追うヴァンパイア』 月村了衛 『虚の伽藍』 高瀬乃一 『梅の実るまで　茅野淳之介幕末日乗』 逢坂冬馬 『ブレイクショットの軌跡』

河野裕(41歳)×各選考委員　 『彗星を追うヴァンパイア』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 53歳 全 ○ 68 「定型的なストーリー展開になるべく頼らず、見たことのない場面、新鮮なやり取りを用意し、個性的な世界をつくることこそ小説家のやるべきことだと思っているため、この作品が候補作の中では一番、素晴らしいと感じました。」「選考会では、どの登場人物も雰囲気が似ており、たとえば会話の知的レベルが均一である点、ヴァンパイアの魅力が感じられない点がマイナス点として挙げられました。確かにその通りだな、と感じましたが、僕自身はそのことで作品の魅力が大きく損なわれているようには感じませんでした。」 江國香織 61歳 全 △ 21 「十七世紀のイングランドを舞台に、等身大の（というのはつまり伝説としてでも悪夢としてでもなく）ヴァンパイアを登場させるというきわめて難しいことに挑んでいて、私はその勇気に胸を打たれた。（引用者中略）何よりも、好きなことを好きなように書こうとする姿勢が好もしく、私はこの作品を推したいと思った。強く思った。のだけれど、小説にはストーリーというものがあり、そのストーリーが途中から破綻していた。」「いちばん残念だったのがケム・ソネットで、あのチャーミングな二人組（の、せっかくつくった名前とそれが体現するもの）が、もっと生かされていたらよかったのにと思う。」 小川哲 38歳 全 ■ 64 「候補作の中でもっとも美しい構造の作品であると感じた。」「本作のアクロバティックな構造の根本が「ミクロとマクロの対比」にあることを考えると、本作の大きな魅力である「切れ味のいい会話」が致命的な弱点にもなり得る。人類史というマクロを個人の生というミクロによって統計学的に（「誤りの定理」として）処理するためには、やはり不完全な個人が存在していなければならず、登場する市井の人々まで理知的な会話をこなしていることは、観測データの偏りと捉えられても仕方ない。」 今野敏 69歳 全 △ 28 「科学史とオレンジ公ウィリアムによるイギリスの名誉革命と、ヴァンパイアを一つの物語にまとめる力量はすごい。特に、科学史の部分は知的興奮に満ちあふれている。」「ただ、科学史にまつわる知的興奮のヴォルテージに比べ、ヴァンパイアの存在感が見劣りする。」「また、名誉革命の部分が終盤にまとめて説明するような形になっているのが、少々残念。」 三浦しをん 48歳 全 △ 59 「この世界の理（ルビ：ことわり）を追究しつづけずにはいられない人々の思いと試行錯誤が重なって、「いま」があり、「これから」があるのだと真に迫って感じられ、非常に貴く輝くものを見た、と思った。」「ラストも、「こうなるんだろうな」という予想を裏切ることなく、しかし期待を大幅に超える深い感動がもたらされ、しばらく余韻に浸った。」「ただ、ストーリーの駆動力がやや弱い、という感は否めない。」「人物造形、心情表現が上品なのが本作の魅力だが、思い切って人物の対照性を際立たせ、もっとドラマティックに葛藤（ぶつかりあい）を描いてもよかったかもしれない。」

他の候補作 新川帆立 『女の国会』 月村了衛 『虚の伽藍』 高瀬乃一 『梅の実るまで　茅野淳之介幕末日乗』 逢坂冬馬 『ブレイクショットの軌跡』

月村了衛62歳×各選考委員　 『虚の伽藍』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 53歳 全 ■ 38 「どこかあっさりとした印象を受けてしまいました。なぜなんだろう、と何度か読み返し、考えたのですが、もしかすると、主人公自身が恐ろしい行動をする直接的な場面がほとんどなく、大半が会話などの情報で読者に伝えられるからかもしれない、と思いました。」「主人公の、読経の際の声がよく、頭の形が完全に左右対称で、剃髪がさまになっている、といった特徴には特別にわくわくしましたし、声明の時に様々なことに思いを馳せ、昂る場面もとても好みだったため、こういった要素がもっと活きてきてほしかった気がします。」 江國香織 61歳 全 △ 52 「（引用者注：「女の国会」「ブレイクショットの軌跡」と共に）息もつかせぬ展開とリーダビリティの高さ、途方もない熱量と赤裸々な描写、誤解の余地のない筋運びと、よく調べられた背景の三作が残った。」「迫力には圧倒されたし、何度かでてくる読経の場面は法悦感が狂おしくビビッドで、読みながらこちらまで陶然となった。」 小川哲 38歳 全 △ 70 「宗教法人を舞台にした小説自体が珍しく、それだけでも読み応えがあるのだが、そこに極道との関わりが加わることで「仏教」を多面的に捉える視点が生まれている。」「個人的には、敵対する人々や、自身に懐疑的な人々を前に、凌玄が屁理屈のように仏法を使って説得し、危機を切り抜けていく場面が面白かった。」「総貫首選挙を終えた凌玄が、冒頭に登場する仏堂へ回帰していく結末が構造的に美しいことは間違いないのだが、架空の宗派の架空の故事が、凌玄の夢想であったというラストは少し肩透かしかもしれない。」 今野敏 69歳 全 ■ 40 「思わずページをめくり一気読みだ。」「だが、読み終えてふと思った。既視感がある。第一部は、（引用者中略）『半沢直樹』や『課長・島耕作』などを連想してしまう。」「また第二部は『ナニワ金融道』や『地面師たち』などを連想してしまう。」「本作で、私は凌玄という主人公に今一つ共感が持てなかったし、感情移入もできなかった。」「この作家が魅力的なキャラクターと出会うことができれば、すさまじい推進力となると、私は信じている。」「もう一つだけ言わせてもらうと、本作は第二部があることが最大の欠点かもしれないと感じた。」 三浦しをん 48歳 全 ◎ 33 「（引用者注：「女の国会」と共に）推した。」「近年、この泥っこさと驀進力を有した作品はなかなか思い当たらず、「やっぱりいいよなあ、こういう小説」と興奮しながら拝読した。」「主人公の常軌を逸した（と思える）熱狂と没入、その果てに出現する「虚の伽藍」を、読者として一歩引いた場所から目撃するとき、私が生きる現実も「虚の伽藍」に過ぎないのだと痛感され、その事実を小説という「虚の伽藍」を通して見事に構築し、突きつけてくる本作は、本当にすごいし、仏教が説いていることの本質に迫っているのではないか。」

他の候補作 新川帆立 『女の国会』 河野裕 『彗星を追うヴァンパイア』 高瀬乃一 『梅の実るまで　茅野淳之介幕末日乗』 逢坂冬馬 『ブレイクショットの軌跡』

高瀬乃一(52歳)×各選考委員　 『梅の実るまで　茅野淳之介幕末日乗』

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選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 53歳 全 △ 36 「潜入捜査をする展開になったり、牢獄での話が出てきたりするのも、落ち着き払った文章で穏やかな日々を描く小説だろうというこちらの先入観を裏切り、魅力的でした。」「文章表現が丁寧な上に、エンターテインメント小説に必要なサービス精神のある、良質な作品だと感じ、欠点らしい欠点もないため選考会でも多くの支持を得ると思っていたのですが、そうはならず、その点は意外に感じました。」 江國香織 61歳 全 ■ 50 「風通しのよさと上品さというこの小説の美点自体が、五冊のなかでの選考においてはマイナスに作用してしまった。風通しのよさは有機性の欠如に、上品さは中途半端さに変換され得るから」「小説の強度という意味で、他作品に軍配を上げざるを得なかった。作中である登場人物が口にする、「あっしはね、茅野の旦那。攘夷だとか御降嫁だとか、そんなこたあ気にも留めずにきたんだ。お天道さまがからっと照って、雨がしとしと降ってよ。そんでうまい飯が食えりゃあそれでいいってな」というたくましい言葉がもっと色濃く小説全体に反映されていたら、あるいは違ったかもしれない。」 小川哲 38歳 全 ■ 56 「舞台設定が非常に巧みだと感じた。コレラが流行し、不平等条約を結ばされ、外国人への排外主義が広がった江戸を、コロナ後の日本の映し鏡として見ることができるようになっている。」「単なる時代小説という枠組みを超えて、学問の本懐や幕末思想の本質に迫ろうというのであれば、特異な経験を経た淳之介でしか届かない、彼の言葉を導いてほしかったと思う。」「淳之介の「成長」をどのように描くかという問いは、そのまま「明治維新とは何か」という問いに対する答えとなり得る。作品が「明治維新」を多面的に描いていただけに、淳之介の目を通じてこの問いに向き合うべきだったと感じた。」 今野敏 69歳 全 ■ 38 「下級武士、あるいは市井の者たちから見た幕末という切り口は斬新だ。」「ただ、気合いの入った長編と比較すると連作短編は、賞に推すには少々見劣りがするのは事実だ。」「私はどうしても主人公の淳之介に感情移入ができなかった。」「弱くて情けない男というのは、別に悪くはない。だが、何もできずにきれい事を言っている主人公というのは受け容れがたい。」「父親の介錯もできないという不甲斐なさに愛想が尽きた。その後は、淳之介が何をしようが、何を言おうが、ただそらぞらしいだけだった。」 三浦しをん 48歳 全 ■ 26 「いくつかの章の導入部が、「視点人物が切り替わったの？」「時系列、おかしくない？」など、混乱を招く仕様になっており、読者の驚きや興味をかきたてるための作者の狙いなのだとしても、ちょっとうまくいっていない気がした。私が一番引っかかったのは、主人公がわりと剣が達者で、ずばずばひとを斬るところだ。」「彼が懸命に修め、まわりに教授している「時代遅れ」の学問が、事態の解決に寄与しているようには感じられない。」

他の候補作 新川帆立 『女の国会』 河野裕 『彗星を追うヴァンパイア』 月村了衛 『虚の伽藍』 逢坂冬馬 『ブレイクショットの軌跡』

逢坂冬馬39歳×各選考委員　 『ブレイクショットの軌跡』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 53歳 全 ■ 59 「半ば過ぎまで、「こんなに面白い小説は久しぶりだ」という気持ちで読み進めていました。」「ただ半ばを過ぎたあたりから、登場人物たちの思い（もしくは作者の思い）があまりに会話や地の文で説明され過ぎていると感じてしまい、（引用者中略）どうしても引っかかってしまいました。」「「スポーツ選手の差別発言」「自動車修理における不正」「安易に『プロレス』と表現することへの苦言」等々、作中で使われている要素に、比較的最近の現実社会で話題になったものが多いように感じられ、近い場所から題材を持ってきたように思えてしまうのも少しもったいないように感じました。」 江國香織 61歳 全 △ 43 「（引用者注：「女の国会」「虚の伽藍」と共に）息もつかせぬ展開とリーダビリティの高さ、途方もない熱量と赤裸々な描写、誤解の余地のない筋運びと、よく調べられた背景の三作が残った。」「物語のひろがり方は開放的で気持ちがよく（だからこそ、最後のまとめみたいな、五五六頁から五六二頁あたりまでは不要だと思ったけれど）、丁寧に描かれた登場人物たちも印象的だった（とくに霧山修悟と後藤晴斗！）。」 小川哲 38歳 全 ◎ 75 「視点人物も多く、それぞれの生い立ちも多岐にわたるが、全体の主題は明確で読みやすく、読者が迷子にならないような工夫が凝らされている。」「作為的ともとれる偶然の連鎖は、リアリティのあるディテールと定型的でないエピソードによって支えられることで、著者本位の「ご都合主義」や「説教臭さ」ではなく、作品が要請する「必然性」に昇華できていると感じた。」「この著者でしか描くことのできない作品であると同時に、この一年を代表する作品であると思い、選考会では一番に推した」 今野敏 69歳 全 ● 36 「この作者の何から何まで説明しなければ気が済まないという姿勢は、私にはとても冗漫に感じられた。」「プロローグとエピローグだけで物語を作ればよいのであり、あるいは「アフリカのホワイトハウス」だけでも作品は書ける。それを長大な一つの小説にする意図が伝わってこなかった。」「設計図をそのまま文章にしたようで、作者の「実」が見えてこない。それでいて、登場人物の台詞などで作者の「生」の主張が垣間見えて興ざめする感がある。」 三浦しをん 48歳 全 ■ 26 「大変な力作だと感じた。」「弱点があるとすれば、エピローグだろう。急に駆け足になり、伏線回収のための段取りと説明ゼリフが増える。」「こういう形で説明されなくても、だれとだれがつながり、どう影響しあっていたのかは、前段まででかなり察しがつくので、もう少し見せかたの塩梅を探ったほうがよかったのではないか。」

他の候補作 新川帆立 『女の国会』 河野裕 『彗星を追うヴァンパイア』 月村了衛 『虚の伽藍』 高瀬乃一 『梅の実るまで　茅野淳之介幕末日乗』