Last Update●[H28]2016/1/30
主催 |
文藝春秋新社→文藝春秋 |
対象 |
『文藝春秋』に発表された記事 |
昭和24年/1949年度
=[ 決定 ] 昭和25年/1950年1月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和25年/1950年3月号決定発表
受賞 |
辰野 隆、、サトウハチロー 「天皇陛下大いに笑ふ」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年6月号 |
候補 |
新井 勲 |
「日本を震撼させた四日間」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年5月号、6月号 |
|
「中共に科学ありや」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年8月号 |
|
「ルネタの市民兵」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年8月号 |
高木惣吉 |
「聯合艦隊始末記」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年臨時増刊[7月] |
|
「本の話」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年9月号 |
草鹿龍之介 |
「運命の海戦」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年10月号 |
ヴァイニング夫人 「皇太子殿下の御教育」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年11月号 |
|
「確証」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年9月号 |
|
「ひる顔夜顔」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年3月号~6月号連載 |
|
「御前文学会議」 |
『文藝春秋』昭和24年/1949年10月号 |
読者投票〔第1位~第10位〕 |
投票総数5627票 |
|
賞金10万円
当選作品への投票者(抽選)A:1名1万円+B:20名1000円+C:100名文藝春秋新社発行図書購読券
|
選考委員 |
|
投票締切●昭和24年/1949年12月10日 |
選考会●昭和25年/1950年1月20日夜 |
|
昭和25年/1950年度
=[ 決定 ] 昭和26年/1951年1月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和26年/1951年3月号決定発表
受賞 |
|
「安吾巷談」 |
『文藝春秋』昭和25年/1950年1月号~12月号連載 |
候補 |
|
「異邦人」 |
『文藝春秋』昭和25年/1950年10月号 |
|
「本日休診」 |
『別册文藝春秋』12号~16号[昭和24年/1949年8月~昭和25年/1950年5月] |
石崎由三郎 |
「南溟に果てし我子よ」 |
『文藝春秋』昭和25年/1950年10月号 |
ウインザア公 |
「わが愛の物語」 |
『文藝春秋』昭和25年/1950年10月号 |
|
「黯い潮」 |
『文藝春秋』昭和25年/1950年7月号~10月号連載 |
|
「闘牛」 |
『文藝春秋』昭和25年/1950年4月号 |
辻 政信 |
「ガダルカナル」 |
『文藝春秋』昭和25年/1950年5月号 |
河原俊明 |
「密航一萬里」 |
『文藝春秋』昭和25年/1950年12月号 |
|
「亡びゆく日本国土」 |
『文藝春秋』昭和25年/1950年9月号 |
読者投票〔第1位~第10位〕 |
投票総数17500票 |
|
賞金10万円
当選作品への投票者(抽選)一等:1名1万円+二等:50名1000円+三等:100名文藝春秋新社特製記念品
|
選考委員 |
|
選考会●昭和26年/1951年1月19日夜 |
|
昭和26年/1951年度
=[ 決定 ] 昭和26年/1951年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和27年/1952年3月号決定発表
受賞 |
|
「天皇機関説」 |
『文藝春秋』昭和26年/1951年7月号 |
|
昭和27年/1952年度
=[ 決定 ] 昭和27年/1952年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和28年/1953年2月号決定発表
受賞 |
小泉信三 |
「平和論」 |
『文藝春秋』昭和27年/1952年1月号 |
|
昭和28年/1953年度
=[ 決定 ] 昭和28年/1953年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和29年/1954年3月号決定発表
受賞 |
|
「現代政治家論」 |
『文藝春秋』昭和28年/1953年-月号 |
|
昭和29年/1954年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和29年/1954年8月号決定発表
(昭和29年/1954年)
受賞 |
行広房子 |
「原爆少女母親の記録」 |
『文藝春秋』昭和29年/1954年4月号 |
|
昭和29年/1954年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和30年/1955年2月号決定発表
(昭和29年/1954年)
受賞 |
|
「科学と国境」 |
『文藝春秋』昭和29年/1954年12月号 |
|
昭和30年/1955年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和30年/1955年8月号決定発表
(昭和30年/1955年)
受賞 |
|
「忘れ残りの記」 |
『文藝春秋』昭和30年/1955年1月号~昭和31年/1956年9月号 |
|
昭和30年/1955年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和31年/1956年2月号決定発表
(昭和30年/1955年)
受賞 |
文藝春秋 編集部 |
「新聞の尻に敷かれる日本人」 |
『文藝春秋』昭和30年/1955年10月号 |
|
昭和31年/1956年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和31年/1956年8月号決定発表
(昭和31年/1956年)
受賞 |
|
「日本の裏街道を行く」 |
『文藝春秋』昭和31年/1956年1月号 |
|
昭和31年/1956年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和32年/1957年2月号決定発表
(昭和31年/1956年)
受賞 |
|
「「ハダカの王様」西へ行く」 |
『文藝春秋』昭和31年/1956年11月号 |
|
昭和32年/1957年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和32年/1957年8月号決定発表
(昭和32年/1957年)
受賞 |
鈴木茂三郎 |
「ある社会主義者の半生」 |
『文藝春秋』昭和32年/1957年1月号~昭和33年/1958年3月号 |
|
昭和32年/1957年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和33年/1958年2月号決定発表
(昭和32年/1957年)
受賞 |
|
「「三笠」の偉大と悲惨」 |
『文藝春秋』昭和32年/1957年8月号 |
|
昭和33年/1958年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和33年/1958年8月号決定発表
(昭和33年/1958年)
受賞 |
|
「妄想とその犠牲」 |
『文藝春秋』昭和32年/1957年11月号~昭和33年/1958年4月号 |
|
昭和33年/1958年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和34年/1959年2月号決定発表
(昭和33年/1958年)
受賞 |
|
「苦悶するデモクラシー」 |
『文藝春秋』昭和33年/1958年6月号~12月号 |
|
昭和34年/1959年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和34年/1959年8月号決定発表
(昭和34年/1959年)
受賞 |
|
「小説帝銀事件」 |
『文藝春秋』昭和34年/1959年5月号~7月号 |
|
昭和34年/1959年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和35年/1960年2月号決定発表
(昭和34年/1959年)
受賞 |
菊地政男、山地 正 「白い肌と黄色い隊長」 |
『文藝春秋』昭和34年/1959年10月号 |
|
昭和35年/1960年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和35年/1960年8月号決定発表
(昭和35年/1960年)
受賞 |
|
「蒼き狼」 |
『文藝春秋』昭和34年/1959年10月号~昭和35年/1960年7月号 |
|
昭和35年/1960年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和36年/1961年2月号決定発表
(昭和35年/1960年)
|
昭和36年/1961年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和36年/1961年8月号決定発表
(昭和36年/1961年)
受賞 |
加東大介 |
「南海の芝居に雪が降る」 |
『文藝春秋』昭和36年/1961年3月号 |
|
昭和36年/1961年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和37年/1962年2月号決定発表
(昭和36年/1961年)
受賞 |
|
「所得倍増の二日酔い」 |
『文藝春秋』昭和36年/1961年12月号 |
受賞 |
|
「東独のヒルダ」その他 |
『文藝春秋』昭和36年/1961年11月号 |
|
昭和37年/1962年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和37年/1962年8月号決定発表
(昭和37年/1962年)
受賞 |
山中峯太郎 |
「実録アジアの曙」 |
『文藝春秋』昭和37年/1962年2月号~10月号 |
|
昭和37年/1962年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和38年/1963年2月号決定発表
(昭和37年/1962年)
受賞 |
|
「太平洋ひとりぼっち」 |
『文藝春秋』昭和37年/1962年11月号 |
|
昭和38年/1963年度・上
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和38年/1963年8月号決定発表
(昭和38年/1963年)
受賞 |
|
「昭和の謎辻政信伝」 |
『文藝春秋』昭和38年/1963年1月号~8月号 |
|
昭和38年/1963年度・下
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和39年/1964年2月号決定発表
(昭和38年/1963年)
受賞 |
|
「硫黄島に死す」 |
『文藝春秋』昭和38年/1963年11月号 |
|
昭和39年/1964年度
=[ 決定 ] 昭和39年/1964年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和40年/1965年2月号決定発表
受賞 |
|
「私ひとりの私」 |
『文藝春秋』昭和39年/1964年10月号~12月号 |
|
昭和40年/1965年度
=[ 決定 ] 昭和40年/1965年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和41年/1966年2月号決定発表
受賞 |
|
「城」 |
『文藝春秋』昭和40年/1965年10月号、11月号 |
|
昭和41年/1966年度
=[ 決定 ] 昭和41年/1966年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和42年/1967年2月号決定発表
受賞 |
|
「現代王国論」 |
『文藝春秋』昭和41年/1966年6月号~昭和42年/1967年6月号 |
|
昭和42年/1967年度
=[ 決定 ] 昭和42年/1967年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和43年/1968年2月号決定発表
受賞 |
|
「海暗」 |
『文藝春秋』昭和42年/1967年4月号~昭和43年/1968年4月号 |
|
昭和43年/1968年度
=[ 決定 ] 昭和43年/1968年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和44年/1969年2月号決定発表
受賞 |
|
「歴史を紀行する」 |
『文藝春秋』昭和43年/1968年1月号~12月号 |
|
昭和44年/1969年度
=[ 決定 ] 昭和44年/1969年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和45年/1970年2月号決定発表
受賞 |
、 「日本について語ろう」 |
『文藝春秋』昭和44年/1969年12月号 |
|
昭和45年/1970年度
=[ 決定 ] 昭和45年/1970年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和46年/1971年2月号決定発表
受賞 |
田村 洪 |
「対立する三人の公害告発者」 |
『文藝春秋』昭和45年/1970年12月号 |
|
昭和46年/1971年度
=[ 決定 ] 昭和46年/1971年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和47年/1972年2月号決定発表
受賞 |
|
「かかる聖医ありき」 |
『文藝春秋』昭和46年/1971年7月号 |
|
昭和47年/1972年度
=[ 決定 ] 昭和47年/1972年
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和48年/1973年2月号決定発表
受賞 |
|
「深海の使者」 |
『文藝春秋』昭和47年/1972年1月号~昭和48年/1973年3月号 |
|
昭和48年/1973年度
=[ 決定 ] 昭和48年/1973年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和49年/1974年2月号決定発表
受賞 |
|
「ある異常体験者の偏見」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年3月号~連載(昭和49年/1974年2月号) |
候補 |
|
「日本共産党を動かす一一〇人」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年10月号 |
大前正臣 |
「三大新聞解体論」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年11月号 |
加瀬俊一 |
「日本外交の主役たち」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年1月号~12月号 |
上田耕一郎、松本善明、工藤晃 「日本共産党は何を考えているか」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年3月号 |
|
「日教組解体論」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年6月号 |
|
「洪陸軍中将の刑死」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年8月号 |
辻 玄子 |
「優子のピアノはもう鳴らない」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年7月号 |
|
「北極圏・犬橇で三〇〇〇キロ」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年9月号 |
会田雄次、、 「世界を変えた一一〇人」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年7月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品は選考の対象外 |
|
賞金10万円+副賞特製置時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和48年/1973年12月8日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和49年/1974年度
=[ 決定 ] 昭和49年/1974年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和50年/1975年2月号決定発表
受賞 |
、 「特集 田中角栄研究」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年11月号 |
候補 |
グループ 一九八四年 |
「日本共産党「民主連合政府綱領」批判」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年6月号 |
|
「がんセンター総長の“戦死”」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年10月号 |
ピアズ・P・リード 「大アンデスからの生還」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年3月号 |
ワシントン・ポスト記者 「ニクソンを追いつめた三〇〇日」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年7月号 |
鈴木紀夫 |
「小野田少尉発見の旅」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年5月号 |
|
「君 国売り給うことなかれ」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年9月号 |
|
「日本赤軍兄弟の育ち方」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年12月号 |
|
「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年5月号 |
ジーン・R・ラロック 「核のカサと核アレルギー」 |
『文藝春秋』昭和49年/1974年12月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品は選考の対象外 |
|
賞金10万円+副賞特製置時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和49年/1974年12月11日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和50年/1975年度
=[ 決定 ] 昭和50年/1975年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和51年/1976年2月号決定発表
受賞 |
|
「海は甦る」 |
『文藝春秋』昭和48年/1973年1月号~昭和50年/1975年12月号 |
候補 |
グループ 一九八四年 |
「現代の魔女狩り」 |
『文藝春秋』昭和50年/1975年12月号 |
|
「天皇とアメリカと太平洋戦争」 |
『文藝春秋』昭和50年/1975年11月号、12月号 |
グループ 一九八四年 |
「日本の自殺」 |
『文藝春秋』昭和50年/1975年2月号 |
|
「社会党葬送行進曲」 |
『文藝春秋』昭和50年/1975年9月号 |
明日の教育を考える会 「国家一〇〇年のための新・教育宣言」 |
『文藝春秋』昭和50年/1975年8月号 |
、原 勝洋 「日米全調査・戦艦大和」 |
『文藝春秋』昭和50年/1975年8月号、10月号 |
|
「最近朝日新聞紙学」 |
『文藝春秋』昭和50年/1975年11月号 |
井上和枝 |
「ママ、千華をたすけて」 |
『文藝春秋』昭和50年/1975年3月号 |
児玉正子 |
「田中角栄研究を書いて死んでいった夫」 |
『文藝春秋』昭和50年/1975年8月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品および芥川賞、大宅賞受賞作は選考の対象外 |
|
賞金10万円+副賞特製置時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和50年/1975年12月12日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和51年/1976年度
=[ 決定 ] 昭和51年/1976年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和52年/1977年2月号決定発表
受賞 |
夏之炎 |
「北京のいちばん寒い冬」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年11月号~連載(昭和52年/1977年2月号) |
候補 |
|
「ドキュメント狭山事件」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年7月号~12月号 |
|
「北極横断三〇〇〇里」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年7月号 |
|
「毎日新聞をつぶしてなるものか」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年10月号 |
|
「日本占領」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年8月号~連載(昭和53年/1978年11月号) |
宮野 澄 |
「海軍大将の英語塾」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年10月号 |
|
「皇太子を奪取せよ」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年8月号、9月号 |
近藤忠孝、神崎敏雄、 「「現代の魔女狩り」論争」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年2月号 |
キュービック |
「エンテベ空港・深夜の特攻作戦」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年9月号 |
グループ 一九八四年 |
「腐敗の研究」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年7月号 |
|
「田中角栄の三〇〇日」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年12月号 |
デヴィ・スカルノ |
「デヴィ夫人自伝」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年1月号~4月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品および大宅賞受賞作は選考の対象外 |
対象外 |
|
「青い壺」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年1月号~連載(昭和52年/1977年2月号) |
|
「日本共産党の研究」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年1月号~連載(昭和52年/1977年12月号) |
|
「最近新聞紙学」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年1月号~12月号 |
|
「新西洋事情」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年5月号 |
|
賞金10万円+副賞特製置時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和51年/1976年12月13日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和52年/1977年度
=[ 決定 ] 昭和52年/1977年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和53年/1978年2月号決定発表
受賞 |
|
「誘拐」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年6月号~8月号 |
候補 |
|
「あめゆきさんの歌」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年4月号、7月号、10月号、11月号 |
、ほか |
「満州の妖怪」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年11月号 |
森本忠夫 |
「安宅崩壊にみる商社と銀行」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年12月号 |
|
「日本占領」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年8月号~連載(昭和53年/1978年11月号) |
丸山千里 |
「諦めるな、丸山ワクチンがある」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年10月号 |
江田三郎 |
「社会党よさらば」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年5月号 |
|
「ある事件記事による新聞研究」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年1月号~4月号 |
|
「危機の宰相」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年7月号 |
|
「ハマチ養殖亡国論」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年11月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品および大宅賞受賞作は選考の対象外 |
対象外 |
|
「日本共産党の研究」 |
『文藝春秋』昭和51年/1976年1月号~昭和52年/1977年12月号 |
|
「国際経済戦争の最前線をゆく」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年6月号~連載(昭和53年/1978年6月号) |
|
「太平洋の生還者」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年5月号 |
|
「黄昏のロンドンから」 |
『文藝春秋』昭和52年/1977年5月号 |
|
賞金10万円+副賞特製置時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和52年/1977年12月14日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和53年/1978年度
=[ 決定 ] 昭和53年/1978年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和54年/1979年2月号決定発表
受賞 |
土門周平、ほか |
「第三次世界大戦〈日本篇〉」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年12月号 |
候補 |
|
「テロルの決算」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年1月号~3月号 |
|
「黄色いリンゴ」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年6月号 |
J・ハケット |
「第三次世界大戦〈世界篇〉」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年10月号 |
|
「権力への野望」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年7月号 |
|
「狂気」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年4月号~6月号 |
近藤 豊 |
「日本赤軍との対決・戦慄の四日間」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年11月号 |
|
「狼がやってきた日」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年8月号、9月号 |
|
「日本の賭け」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年11月号 |
|
「長谷川テルへの旅」 |
『文藝春秋』昭和53年/1978年11月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品および芥川賞、大宅賞受賞作は選考の対象外 |
|
賞金10万円+副賞特製置時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和53年/1978年12月11日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和54年/1979年度
=[ 決定 ] 昭和54年/1979年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和55年/1980年2月号決定発表
受賞 |
、関 嘉彦 「大論争 戦争と平和」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年7月号、10月号 |
受賞 |
|
「昭和史のおんな」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年5月号~12月号 |
候補 |
|
「ガン50人の勇気」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年11月号 |
大熊房太郎、 他33名 |
「70年代を創った34人」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年12月号 |
富山和子 |
「水の文化史」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年6月号、7月号、9月号、12月号 |
|
「ガダルカナル」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年8月号~連載(昭和55年/1980年8月号) |
|
「新西洋往来」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年7月号~連載(昭和55年/1980年5月号) |
|
「死守!」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年10月号 |
内藤泰子 |
「私の難民体験」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年9月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品および大宅賞受賞作は選考の対象外 |
対象外 |
|
「白と黒の革命」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年6月号~12月号 |
|
「テロルの決算」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年5月号 |
|
「サイゴンから来た妻と娘」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年5月号 |
|
賞金10万円+記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和54年/1979年12月12日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和55年/1980年度
=[ 決定 ] 昭和55年/1980年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和56年/1981年2月号決定発表
受賞 |
|
「洞爺丸はなぜ沈んだか」 |
『文藝春秋』昭和55年/1980年10月号 |
候補 |
|
「暗闘!「総理の病室」」 |
『文藝春秋』昭和55年/1980年12月号 |
|
「「世界のサワダ」の撃たれた日」 |
『文藝春秋』昭和55年/1980年11月号 |
|
「ガダルカナル」 |
『文藝春秋』昭和54年/1979年8月号~昭和55年/1980年8月号 |
、近藤昭二 「「顔」の疑惑」 |
『文藝春秋』昭和55年/1980年8月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品は選考の対象外 |
|
賞金10万円+記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和55年/1980年12月16日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和56年/1981年度
=[ 決定 ] 昭和56年/1981年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和57年/1982年2月号決定発表
受賞 |
|
「世界が日本を見倣う日」 |
『文藝春秋』昭和56年/1981年11月号 |
受賞 |
文藝春秋 編集部 |
「――市民への直通電話」 |
『文藝春秋』昭和56年/1981年6月号、7月号、8月号、9月号、11月号、12月号 |
候補 |
|
「田中角栄独占インタビュー」 |
『文藝春秋』昭和56年/1981年2月号 |
F・フェヌロン |
「ファニア歌いなさい」 |
『文藝春秋』昭和56年/1981年10月号 |
|
「ガンを追いつめた」他 |
『文藝春秋』昭和56年/1981年1月号~3月号 |
|
「滅びのチター師」 |
『文藝春秋』昭和56年/1981年6月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品は選考の対象外 |
対象外 |
|
「齋藤隆夫 かく戦えり」 |
『文藝春秋』昭和56年/1981年6月号~11月号 |
|
「日本人にとって太平洋戦争とは何であったか」 |
『文藝春秋』昭和56年/1981年12月号 |
|
「『田中角栄無罪』はあるか」 |
『文藝春秋』昭和56年/1981年9月号 |
|
賞金10万円+記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和56年/1981年12月8日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和57年/1982年度
=[ 決定 ] 昭和57年/1982年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和58年/1983年2月号決定発表
受賞 |
|
「ブリエアの解放者たち」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年5月号~12月号 |
候補 |
|
「女帝・竹久みちの野望と金脈」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年9月号 |
|
「新聞記者の倫理を問う」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年11月号 |
|
「国鉄労使『国賊』論」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年4月号 |
三木武夫 |
「田中角栄君、驕るなかれ」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年8月号 |
、 「日本国憲法を読もう」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年6月号 |
井口民樹 |
「丸山ワクチン ある開業医の挑戦全記録」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年12月号 |
これまでの読者賞受賞者の作品は選考の対象外 |
対象外 |
|
「雑談・隣りの土々」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年1月号~10月号 |
|
賞金10万円+記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和57年/1982年12月8日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和58年/1983年度
=[ 決定 ] 昭和58年/1983年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和59年/1984年2月号決定発表
受賞 |
|
「田中角栄と私の9年間」 |
『文藝春秋』昭和58年/1983年11月号 |
受賞 |
|
「されど、わが「満洲」」 |
『文藝春秋』昭和58年/1983年9月号 |
候補 |
、 「宇宙飛行士と空海」 |
『文藝春秋』昭和58年/1983年10月号 |
|
「静寂の声」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年1月号~連載(昭和61年/1986年5月号) |
|
「秦野章法相独占インタビュー」 |
『文藝春秋』昭和58年/1983年12月号 |
|
「田中擁護のあらゆる俗論を排す」 |
『文藝春秋』昭和58年/1983年12月号 |
|
「アメリカ生きがいの旅」 |
『文藝春秋』昭和58年/1983年6月号~12月号 |
|
「『新聞権力』よ、驕るなかれ」 |
『文藝春秋』昭和58年/1983年2月号 |
|
「アキノ暗殺を見た」 |
『文藝春秋』昭和58年/1983年10月号 |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和58年/1983年12月 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、3000名に有名作家サイン入り手拭い |
|
昭和59年/1984年度
=[ 決定 ] 昭和59年/1984年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和60年/1985年2月号決定発表
受賞 |
|
「現代と戦略」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年1月号~12月号 |
受賞 |
、、 「鼎談書評」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年2月号~連載(昭和61年/1986年1月号) |
候補 |
|
「『角栄裁判』に異議あり!」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年10月号 |
|
「静寂の声」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年1月号~連載(昭和61年/1986年5月号) |
石島 泰 |
「司法の病根」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年9月号~11月号 |
|
「『角栄裁判』が問いかけるもの」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年11月号 |
|
「アジアの女アジアの声」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年1月号~12月号 |
西堀栄三郎、他 |
「植村直己マッキンリーに消ゆ」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年5月号 |
畝本正己、鵜飼敏定、土屋正治、板倉由明、 田中正明(司会)「『南京虐殺』参戦者の証言」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年12月号 |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和59年/1984年12月10日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製エプロン |
|
昭和60年/1985年度
=[ 決定 ] 昭和60年/1985年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和61年/1986年2月号決定発表
受賞 |
(訊き手) |
「企業トップの「わが決断」」 伊藤淳二、八尋俊邦、千野宜時、真藤恒、 本田宗一郎、磯田一郎、江戸英雄、平岩外四、 吉田忠雄、長岡實、山本卓眞 |
『文藝春秋』昭和60年/1985年2月号~連載(昭和62年/1987年3月号) |
受賞 |
|
「聖断」 |
『文藝春秋』昭和60年/1985年5月号~8月号 |
候補 |
|
「日本航空は誰のものか」 |
『文藝春秋』昭和60年/1985年8月号 |
「日航機はなぜ堕ちる?」 |
『文藝春秋』昭和60年/1985年10月号 |
|
「静寂の声」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年1月号~連載(昭和61年/1986年5月号) |
|
「私が日航を敬遠して来た理由」 |
『文藝春秋』昭和60年/1985年10月号 |
「NHK分割払下げのすすめ」 |
『文藝春秋』昭和60年/1985年11月号 |
|
「文部省解体論」 |
『文藝春秋』昭和60年/1985年4月号~6月号 |
|
「夢うつつの図鑑」 |
『文藝春秋』昭和60年/1985年1月号~12月号 |
|
「海の祭礼」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年8月号~連載(昭和61年/1986年9月号) |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和60年/1985年12月18日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製エプロン |
|
昭和61年/1986年度
=[ 決定 ] 昭和61年/1986年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和62年/1987年2月号決定発表
受賞 |
|
「静寂の声」 |
『文藝春秋』昭和57年/1982年1月号~昭和61年/1986年5月号 |
受賞 |
藤尾正行 |
「"放言大臣"大いに吠える」 |
『文藝春秋』昭和61年/1986年10月号 |
候補 |
|
「日米に“不均衡”はない」 |
『文藝春秋』昭和61年/1986年4月号 |
「『第三次農地解放』のすすめ」 |
『文藝春秋』昭和61年/1986年8月号 |
、安倍基雄、 別技篤彦、「特集 藤尾発言の波紋」 |
『文藝春秋』昭和61年/1986年11月号 |
村尾次郎、中村 粲、 愼鏞廈、姜徳相「激突!日韓大闘論」 |
『文藝春秋』昭和61年/1986年12月号 |
|
「苦言諫言」 |
『文藝春秋』昭和61年/1986年1月号~12月号 |
セイモア・ハーシュ 「目標は撃墜された!」 |
『文藝春秋』昭和61年/1986年11月号 |
|
「教科書問題を考える」 |
『文藝春秋』昭和61年/1986年10月号 |
河口栄二 |
「瀬戸大橋に賭けた男」 |
『文藝春秋』昭和61年/1986年10月号 |
|
「海の祭礼」 |
『文藝春秋』昭和59年/1984年8月号~昭和61年/1986年9月号 |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和61年/1986年12月16日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
昭和62年/1987年度
=[ 決定 ] 昭和62年/1987年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』昭和63年/1988年2月号決定発表
受賞 |
|
「「見えない税金」に怒れ」 |
『文藝春秋』昭和62年/1987年4月号 |
受賞 |
|
「新東洋事情」 |
『文藝春秋』昭和62年/1987年7月号~連載(昭和63年/1988年4月号) |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和62年/1987年12月15日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
昭和63年/1988年度
=[ 決定 ] 昭和63年/1988年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成1年/1989年2月号決定発表
受賞 |
|
「いい加減にしてよアグネス」 |
『文藝春秋』昭和63年/1988年5月号 |
受賞 |
真神 博 |
「衝突現場15分間の新事実」 |
『文藝春秋』昭和63年/1988年10月号 |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●昭和63年/1988年12月15日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成1年/1989年度
=[ 決定 ] 平成1年/1989年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成2年/1990年2月号決定発表
受賞 |
|
「松風の家」 |
『文藝春秋』昭和62年/1987年1月号~平成1年/1989年3月号 |
受賞 |
|
「「輝ける昭和人」 血族の証言55」 |
『文藝春秋』平成1年/1989年9月号 |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●平成1年/1989年12月14日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成2年/1990年度
=[ 決定 ] 平成2年/1990年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成3年/1991年2月号決定発表
受賞 |
- |
「昭和天皇の独白 八時間」 |
『文藝春秋』平成2年/1990年12月号 |
受賞 |
|
「大地の子」 |
『文藝春秋』昭和62年/1987年5月号~連載(平成3年/1991年4月号) |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●平成2年/1990年12月13日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成3年/1991年度
=[ 決定 ] 平成3年/1991年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成4年/1992年2月号決定発表
受賞 |
|
「本田宗一郎は泣いている」 |
『文藝春秋』平成3年/1991年10月号 |
受賞 |
|
「ピアニストという蛮族がいる」 |
『文藝春秋』平成2年/1990年1月号~平成3年/1991年6月号 |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●平成3年/1991年12月9日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成4年/1992年度
=[ 決定 ] 平成4年/1992年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成5年/1993年2月号決定発表
受賞 |
|
「東大のいちばん長い日」 |
『文藝春秋』平成4年/1992年5月号~10月号 |
候補 |
盛田昭夫 |
「「日本型経営」が危い」 |
『文藝春秋』平成4年/1992年2月号 |
細川護煕 |
「「自由社会連合」結党宣言」 |
『文藝春秋』平成4年/1992年6月号 |
イワン・コワレンコ 「瀬島龍三・シベリアの真実」 |
『文藝春秋』平成4年/1992年2月号 |
小沢一郎 |
「我々はなぜ改革をめざすか」 |
『文藝春秋』平成4年/1992年12月号 |
|
「がん検診・百害あって一利なし」 |
『文藝春秋』平成4年/1992年9月号 |
読者投票〔第1位~第6位〕(既受賞者、連載中のものを除く) |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●平成4年/1992年12月11日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成5年/1993年度
=[ 決定 ] 平成5年/1993年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成6年/1994年2月号決定発表
受賞 |
矢野絢也 |
「極秘メモ全公開」 |
『文藝春秋』平成5年/1993年10月号~12月号 |
受賞 |
伊藤 律 |
「「日本のユダ」と呼ばれて」 |
『文藝春秋』平成5年/1993年2月号~4月号 |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●平成5年/1993年12月14日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成6年/1994年度
=[ 決定 ] 平成6年/1994年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成7年/1995年2月号決定発表
受賞 |
|
「犠牲(サクリファイス) ――わが息子・脳死の11日」 |
『文藝春秋』平成6年/1994年4月号、5月号 |
候補 |
加賀孝英 |
「笹川一族の崩壊」 |
『文藝春秋』平成6年/1994年6月号、7月号 |
|
「堤義明『コクド』の研究」 |
『文藝春秋』平成6年/1994年9月号 |
(監修) |
「徹底検証 官僚の神話」 |
『文藝春秋』平成6年/1994年2月号 |
田崎史郎 |
「小沢一郎との訣別」 |
『文藝春秋』平成6年/1994年10月号 |
読者投票〔第1位~第5位〕(既受賞者、連載中のものを除く) |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●平成6年/1994年12月14日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成7年/1995年度
=[ 決定 ] 平成7年/1995年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成8年/1996年2月号決定発表
受賞 |
|
「あなたがガンになったとき」 |
『文藝春秋』平成7年/1995年2月号~12月号 |
受賞 |
|
「美しき日本人50の肖像」 |
『文藝春秋』平成7年/1995年8月号 |
|
記念品時計 |
選考委員 |
|
選考●平成7年/1995年12月13日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成8年/1996年度
=[ 決定 ] 平成8年/1996年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成9年/1997年2月号決定発表
受賞 |
|
「日本国の研究」 |
『文藝春秋』平成8年/1996年11月号~12月号(平成9年/1997年1月号) |
候補 |
|
「連合赤軍『あさま山荘事件』」 |
『文藝春秋』平成8年/1996年2月号~4月号 |
|
「平成大論争20」 |
『文藝春秋』平成8年/1996年2月号 |
近藤 誠、斎藤 建、川端英孝 「がん治療 白熱大論争」 |
『文藝春秋』平成8年/1996年10月号 |
|
「ここまできたか歴史教科書」 |
『文藝春秋』平成8年/1996年11月号 |
|
正賞時計+副賞50万円 |
選考委員 |
|
選考●平成8年/1996年12月10日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成9年/1997年度
=[ 決定 ] 平成9年/1997年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成10年/1998年2月号決定発表
受賞 |
|
「脳治療革命」 |
『文藝春秋』平成9年/1997年4月号~連載(平成10年/1998年3月号) |
受賞 |
稲泉 連、久田 恵 母と子の同時進行ドキュメント 「[子の記録]僕が学校を辞めると言った日」 「[母の記録]息子の心、親知らず」 |
『文藝春秋』平成9年/1997年10月号 |
|
正賞時計+副賞50万円 |
選考委員 |
|
選考●平成9年/1997年12月11日 |
読者投票の当選者100名に賞金各1万円、600名に特製テレホンカード |
|
平成10年/1998年度
=[ 決定 ] 平成10年/1998年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成11年/1999年2月号決定発表
受賞 |
三好万季 |
「毒入りカレー殺人 犯人は他にもいる」 |
『文藝春秋』平成10年/1998年11月号 |
特別賞 |
美智子 |
「子供時代の読書の思い出」 |
『文藝春秋』平成10年/1998年11月号 |
|
正賞時計+副賞50万円 |
選考委員 |
|
選考●平成10年/1998年12月7日 |
読者投票の当選者100名に図書券1万円分、600名に特製図書カード |
|
平成11年/1999年度
=[ 決定 ] 平成11年/1999年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成12年/2000年2月号決定発表
受賞 |
、、、 、(司会兼任)「20世紀 日本の戦争」 |
『文藝春秋』平成11年/1999年12月号 |
受賞 |
|
「『買ってはいけない』は インチキ本だ」 |
『文藝春秋』平成11年/1999年9月号 |
候補 |
|
「妻と私」 |
|
正賞時計+副賞50万円 |
選考委員 |
|
選考●平成11年/1999年12月9日 |
読者投票の当選者100名に図書券1万円分、600名に特製図書カード |
|
平成12年/2000年度
=[ 決定 ] 平成12年/2000年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成13年/2001年2月号決定発表
受賞 |
堀内光雄 |
「石油公団は解散しろ」 |
『文藝春秋』平成12年/2000年5月号 |
受賞 |
|
「わが人生の時の人々」 |
『文藝春秋』平成12年/2000年3月号~12月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成12年/2000年12月8日 |
読者投票の当選者100名に図書券1万円分、600名に特製図書カード |
|
平成13年/2001年度
=[ 決定 ] 平成13年/2001年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成14年/2002年2月号決定発表
受賞 |
|
「日本人へ! ビンラディンにどう勝つか」 |
『文藝春秋』平成13年/2001年12月号 |
受賞 |
山崎敏子 |
「小児がん 九歳の息子が遺した言葉」 |
『文藝春秋』平成13年/2001年12月号 |
候補 |
- |
「総力特集 中国、この厄介な隣人」 |
『文藝春秋』平成13年/2001年10月号 |
候補辞退 |
|
「シャトウ・ルージュ」 |
『文藝春秋』平成12年/2000年3月号~平成13年/2001年8月号 |
|
正賞時計+副賞50万円 |
選考委員 |
|
選考●平成13年/2001年12月12日 |
読者投票の当選者10名に現金10万円、200名に特製図書カード |
|
平成14年/2002年度
=[ 決定 ] 平成14年/2002年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成15年/2003年2月号決定発表
受賞 |
|
「私をボケと罵った 自民党議員へ」 |
『文藝春秋』平成14年/2002年7月号 |
受賞 |
|
「遺書 80人 魂の記録」 |
『文藝春秋』平成14年/2002年1月号 |
|
正賞時計+副賞50万円 |
選考委員 |
|
選考●平成14年/2002年12月12日 |
読者投票の当選者10名に現金10万円、200名に特製図書カード |
|
平成15年/2003年度
=[ 決定 ] 平成15年/2003年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成16年/2004年2月号決定発表
受賞 |
|
「昭和天皇 国民への謝罪詔書草稿 封印された詔書草稿を読み解く」 |
『文藝春秋』平成15年/2003年7月号 |
受賞 |
片桐幸雄 |
「道路公団 藤井総裁の 嘘と専横を暴く」 |
『文藝春秋』平成15年/2003年8月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成15年/2003年12月4日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成16年/2004年度
=[ 決定 ] 平成16年/2004年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成17年/2005年2月号決定発表
受賞 |
松田昌士、田中一昭 「「道路公団」 裏切りの民営化全内幕」 |
『文藝春秋』平成16年/2004年3月号 |
受賞 |
|
「伏魔殿 社会保険庁を解体せよ」 |
『文藝春秋』平成16年/2004年10月号 |
|
正賞時計+副賞50万円 |
選考委員 |
|
選考●平成16年/2004年12月8日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成17年/2005年度
=[ 決定 ] 平成17年/2005年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成18年/2006年2月号決定発表
受賞 |
、田久保忠衛、劉江永、歩平、 趙甲濟、洪熒「日中韓「靖国参拝」大論争」 |
『文藝春秋』平成17年/2005年8月号 |
受賞 |
、、、 、、「日本 敗れたり ――あの戦争になぜ負けたのか」 |
『文藝春秋』平成17年/2005年11月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成17年/2005年12月6日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成18年/2006年度
=[ 決定 ] 平成18年/2006年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成19年/2007年2月号決定発表
受賞 |
、 「般若心経 いのちの対話」 |
『文藝春秋』平成18年/2006年12月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成18年/2006年12月8日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成19年/2007年度
=[ 決定 ] 平成19年/2007年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成20年/2008年2月号決定発表
受賞 |
、、、 、平間洋一「昭和の海軍 エリート集団の栄光と失墜」 |
『文藝春秋』平成19年/2007年8月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成19年/2007年12月6日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成20年/2008年度
=[ 決定 ] 平成20年/2008年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成21年/2009年2月号決定発表
受賞 |
戸塚洋二 |
「あと三ヵ月 死への準備日記」 |
『文藝春秋』平成20年/2008年9月号 |
受賞 |
|
「インテリジェンス交渉術」 |
『文藝春秋』平成19年/2007年7月号~平成20年/2008年12月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成20年/2008年12月9日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成21年/2009年度
=[ 決定 ] 平成21年/2009年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成22年/2010年2月号決定発表
受賞 |
|
「名著講義」 |
『文藝春秋』平成20年/2008年10月号~平成21年/2009年9月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成21年/2009年12月2日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成22年/2010年度
=[ 決定 ] 平成22年/2010年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成23年/2011年2月号決定発表
受賞 |
|
「天上紅蓮」 |
『文藝春秋』平成21年/2009年8月号~平成22年/2010年12月号 |
受賞 |
村木厚子 |
「私は泣かない、屈さない」 |
『文藝春秋』平成22年/2010年10月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成22年/2010年12月6日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成23年/2011年度
=[ 決定 ] 平成23年/2011年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成24年/2012年2月号決定発表
受賞 |
佐藤あつ子 |
「田中角栄の恋文」 |
『文藝春秋』平成23年/2011年11月号 |
受賞 |
|
「【解説】これは歴史の一級資料だ」 |
〃 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成23年/2011年12月5日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成24年/2012年度
=[ 決定 ] 平成24年/2012年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成25年/2013年2月号決定発表
受賞 |
|
「原発事故 「私の最終報告書」」 |
『文藝春秋』平成24年/2012年9月号~12月号 |
受賞 |
- |
「完全保存版 太平洋戦争 語られざる証言」 |
『文藝春秋』平成24年/2012年9月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成24年/2012年12月5日 |
読者投票の当選者30名に現金3万円、200名に図書カード(3千円分) |
|
平成25年/2013年度
=[ 決定 ] 平成25年/2013年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成26年/2014年2月号決定発表
受賞 |
(選・文) |
「うらやましい死に方2013」 |
『文藝春秋』平成25年/2013年12月号 |
受賞 |
野上孝子 |
「山崎豊子先生の素顔」 |
『文藝春秋』平成25年/2013年12月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成25年/2013年12月3日 |
読者投票の当選者30名に現金1万円、100名に図書カード(3千円分) |
|
平成26年/2014年度
=[ 決定 ] 平成26年/2014年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成27年/2015年2月号決定発表
受賞 |
、、 「「昭和天皇実録」の衝撃」 |
『文藝春秋』平成26年/2014年10月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成26年/2014年12月3日 |
読者投票の当選者30名に現金1万円、100名に図書カード(3千円分) |
|
平成27年/2015年度
=[ 決定 ] 平成27年/2015年12月
=[ 媒体 ] 『文藝春秋』平成28年/2016年2月号決定発表
受賞 |
、 「イスラム国との「新・戦争論」」 |
『文藝春秋』平成27年/2015年3月号 |
受賞 |
エマニュエル・トッド、堀茂樹(通訳) 「幻想の大国を恐れるな」 |
『文藝春秋』平成27年/2015年10月号 |
|
正賞時計 |
選考委員 |
|
選考●平成27年/2015年12月3日 |
読者投票の当選者30名に現金1万円、100名に図書カード(3千円分) |
|