直木賞のすべて
曲木さんの
代わりに

~第136回決定発表
『オール讀物』掲載の
“「受賞作なし」の栄光”
に寄せて
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Last Update[H19]2007/2/23

第136回直木賞は「受賞作なし」でしたが、
その決定発表の掲載されている『オール讀物』平成19年/2007年3月号に、
曲木(まがき)十九さんが、特別読物として「「受賞作なし」の栄光」を
書かれています。
世に、いったいどれだけ棲息しているのか、
実数もいまだ判明しない“直木賞研究家”諸氏にとっては、
こういう緻密な論稿が雑誌に載ったことは、ほんとに心強いかぎりです。

で、おそらく『オール讀物』という発表媒体ゆえに、
曲木さんが語ることができなかったであろうことを、
僭越ながら、当サイト管理人が
データを補強するという意味で書いてみます。

ちなみに、ワタクシ管理人は、曲木さんとは何の関係もなく、
下記のハナシは、ワタクシが勝手に書きつづったことですので、
どうか曲木さんを責めないであげてください。

わかる、わかるよ、曲木さん。
 で、曲木十九さんって、どんな方なのか、まったくもって存じあげないのですが、「直木」をもじって「曲木」、だとすると十九歳の方なんでしょうか。案外、本名だったりして。

 それはともかく、『オール讀物』平成19年/2007年3月号掲載の「「受賞作なし」の栄光」は、過去の(主に戦後の)受賞作がなかった回に焦点を当てて、あと一歩のところで受賞を逃した滝口康彦第68回選評の概要)、植草圭之助第70回選評の概要)、林青梧第51回選評の概要)のエピソードとか、受賞人数が最初は基本的には一人だったところから「受賞作なし」と「二人受賞」が生まれていった過程とか、直木賞マニアにはおいしい内容満載で、すばらしい。そもそも、評論や批評のあまりない直木賞の世界にあって、エピソードを掘り起こして、なんらか読者に提供しようというその姿勢がすばらしい。

 すばらしい、だけなら、何もインターネットの片隅でほそぼそと営まれている小サイトが取り上げるまでもないんだけど、残念無念、この読み物には、おそらく唯一の弱点が存在しています。『オール讀物』に載っている、という点です。

 要はその立つ位置が、主催者サイドにあるわけです。そうすると、どんな弊害が生まれるか。受賞作家のことは、ふんだんに取り上げられるけど、さすがに落選した人たちのことは、大っぴらには語れないでしょう。それと、直木賞の運営姿勢について、批判的な文言は控えざるを得ません。題の「「受賞作なし」の栄光」というのが、何を意味しているのか、正直いまいちわからないのですが、「なんで受賞作を出さないんだ!」という批判に対して、「出さないゆえの、直木賞の栄光でもあるでしょ」と答えようとしていると受け取られかねません。

 わかる、わかるよ、曲木さん。あなたが、フリーライターなのか文春社員なのかは存じませんが、そりゃ仕事ですもの、主催者の意向に沿った線で原稿をまとめなくてはいけない苦労、わかります。

 ですので、おせっかいながら、何のコネも縁もない真っ裸のワタクシめに、もうちょっとくわしくデータを挙げさせてください。
「はるかに大きい」の根拠をさぐる
 「「受賞作なし」の栄光」が最終的にいちばん何を言いたいのか、勝手に読解すると、結局は原稿の末尾ちかくにあるこの言葉に帰結するように思うわけです。
 当然のことだが候補者たちはいつ受賞してもおかしくない実力者ぞろいなのである。前述したとおり受賞チャンスの大きい次回に期待しよう。
 まさしく。みなさん次回に期待しましょう。って、それはいいんですが、「前述したとおり受賞チャンスの大きい」とあります。何を前述したかといえば、この読物の最初のほうで、戦後の直木賞(第21回から前回第135回まで)の傾向を数値を挙げて論述し、
受賞作なしの次の回の候補者たちは他の回よりも受賞の可能性がはるかに大きいと言える。
 と結論づけていることを指しています。

 え、ほんとうですか。疑りぶかいワタクシからすると、なんとなく、最初に「次回に大いに期待しようね」という結論ありきで、その結論をもっともらしく説明したいがためにデータを取って付けたんじゃないか、とふと思ってしまうのでした。

 曲木さんの論の組み立ては、こうです。
  • 第21回~第135回で、受賞作なしは21回あった。その次の回に受賞作を出したのが18回ある。
  • つまり、受賞作なしの次も、受賞作なし、という例は3回しかない。
  • しかも、受賞作を出した18回のうち、受賞者二人の例は、10回ある。
  • ゆえに、受賞作なしの次の回は、他の回に比べて受賞の可能性がはるかに大きい。
 まとめると、受賞作なしの次の回が、「2人受賞:10回(47.62%)」「1人受賞:8回(38.10%)」「受賞作なし:3回(14.29%)」であり、 受賞人数の観点で言うと、受賞作なしの次の回は、過去21回あって28人の受賞者を輩出している、ということになります。

 惜しいかな、この論考では「受賞作なしでなかった回の次の回」のデータが提出されていません。これでは比較ができないので、「はるかに大きい」という言葉に信憑性が感じられなくなってしまうのです。

 代わりに、ワタクシが数えてみました。
  • 受賞者1人だった回の次の回 「2人受賞:22回(51.16%)」「1人受賞:14回(32.56%)」「受賞作なし:7回(16.28%)」
  • 受賞者2人だった回の次の回 「2人受賞:19回(38.00%)」「1人受賞:20回(40.00%)」「受賞作なし:11回(22.00%)」
 これらを足すと、受賞作なしでなかった回の次の回は「2人受賞:41回(44.09%)」「1人受賞:34回(36.56%)」「受賞作なし:18回(19.35%)」であり、 全93回で116人の受賞者を輩出しています。

 たしかに次が「受賞作なし」になる確率は、5%ぐらい違いますけど、ワタクシの個人的な感触を申せば「はるかに大きい」と表現できるほど、大した差があるわけではないように見えるのですが。

 それと、曲木さんは、
 受賞者二人の次の回で受賞作なしは十一回ある。選考委員の側に「前回なかったから今回は出そう」「前回は二人だったから今回は辛目に」という心理が微妙に働くのかもしれない。
 とも指摘しているのですが、これもなんだか、いかにもありそうで、“ために”つくった論っぽい匂いがするわけです。おそらくそういう心理が働いた回もあったとは思いますが、おしなべて見れば、そうじゃない回だって何度もあるわけで、別に「今回受賞作なしだったから次回は期待できるぞ」と胸を張って言えるほどの統計じゃないと思います。
世評……げにあやしげな言葉
 結論。「受賞作を出さないのが、直木賞の伝統を築いてきたのであって、それが栄光ともいえる」などと、もてはやして、毎回毎回がんばって(?)受賞作を出し続けてきている山○周○郎賞とか吉○英○文学新人賞とかに喧嘩を売らないほうがいいと思います。

 蛇足。曲木さんは、
 芥川・直木賞は数ある文学賞の中でも最も公正という世評が定着しているが、
 とおっしゃっていますが、ほう、そんな世評が定着しているんですか。直木賞を研究し始めてたかだか十ン年のワタクシですけど、寡聞にしてそんな世評、はじめて目にいたしました。おっと、「公正じゃないではないか」と反論したいわけじゃないですよ。ほんとにそんな世評があるとは知らなかったもので。
(平成19年/2007年2月23日記)
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