底ではない。座なのだ。
第22回(昭和24年/1949年・下半期)の直木賞受賞作・候補作には、注目したくなる作品が少なくとも2つある。
若尾徳平の「俘虜五〇七号」と、西川満の「地獄の谷底」だ。「俘虜五〇七号」についてはまたいずれ、機会をみて突っついていくことにして、今回のスポットライトは、「地獄の谷底」のみに当ててみる。
地獄と形容してもなお足りないほどの惨劇が世界各地で起きてしまっている21世紀のこの世に、いったいこれの何が問題になるというのか。作品の内容ではない。作品名だ。ことの発端は、今からさかのぼること50年以上前、第22回受賞決定の掲載された『文藝讀物』昭和25年/1950年6月号の、その発表文に始まる。
地獄と形容してもなお足りないほどの惨劇が世界各地で起きてしまっている21世紀のこの世に、いったいこれの何が問題になるというのか。作品の内容ではない。作品名だ。ことの発端は、今からさかのぼること50年以上前、第22回受賞決定の掲載された『文藝讀物』昭和25年/1950年6月号の、その発表文に始まる。
尚、候補作品の主なるものは左の通りである。
(引用者略)西川満「地獄の谷座」(引用者略)
目をこらしてよおく活字を凝視してみる。眼鏡のレンズを拭きなおして、もう一度、集中して確認してみる。何度みても、いつみても、西川満の候補作は「地獄の谷座」と書いてある。最後の漢字は「底」ではない。「座」なのだ。
(引用者略)西川満「地獄の谷座」(引用者略)
えらいなあ、日本読書新聞は。
今では直木賞の候補作というのは、選考会より先立って1週間から半月ぐらい前に、主催者の日本文学振興会から発表されたものをもとに、大手新聞各紙が報じるし、日本文学振興会のホームページなんてものもあるから、そこにも発表される。当然、受賞決定後の『オール讀物』にもきちんと掲載される。
これだけ情報ソースがあれば、調べるもくそもない。その小説に容易にたどりつくことができるし、読んでみるまでに苦労はない。しかし昭和24年/1949年の頃の直木賞は事情が大いに違う。当時の新聞を何紙か(『朝日新聞』『毎日新聞』『東京新聞』)見てみたが、候補作にまで触れているものは、ひとつもなかった。受賞作についても、決定発表された日の数日以内に、受賞者名・受賞作名のみを数行にわたって報せるだけの、いわゆるベタ記事扱いが基本だった。
昭和25年/1950年、候補作のことまで言及されていた情報源は、いまのところワタクシの知っている限りでは、『日本読書新聞』だけだ。えらいねえ、『日本読書新聞』は。つくづく敬意を表する。
これだけ情報ソースがあれば、調べるもくそもない。その小説に容易にたどりつくことができるし、読んでみるまでに苦労はない。しかし昭和24年/1949年の頃の直木賞は事情が大いに違う。当時の新聞を何紙か(『朝日新聞』『毎日新聞』『東京新聞』)見てみたが、候補作にまで触れているものは、ひとつもなかった。受賞作についても、決定発表された日の数日以内に、受賞者名・受賞作名のみを数行にわたって報せるだけの、いわゆるベタ記事扱いが基本だった。
昭和25年/1950年、候補作のことまで言及されていた情報源は、いまのところワタクシの知っている限りでは、『日本読書新聞』だけだ。えらいねえ、『日本読書新聞』は。つくづく敬意を表する。
誤植だったと、ほぼ確定させてみる。
『キング』
昭和24年/1949年2月号
(第25巻第2号)
大日本雄弁会講談社刊
『キング』の「地獄の谷底」タイトル部分。誰がどう見ても「底」ですね。
西川満はかなり有名な作家なので、その存在を疑う必要なぞさらさらないのだけど、果たして彼が昭和24年/1949年・下半期のうちのいつ、どこに「地獄の谷座」なる小説を発表したのか、調べようと思って一歩二歩すすんでいくと、ズボッとドツボにはまる。
このころの候補作の発表誌を調べるのに最も役に立つのが、『文藝年鑑』だ。昭和24年/1949年一年間の雑誌収録作品の載っている「昭和25年版」を当たってみる。西川満、西川満、……、あった。と思ったら作品名は「地獄の谷底」。『キング』昭和24年/1949年2月号の収録となっている。
谷座と谷底。ははあ、これは誤植だな。そもそも谷底なら意味が通るが、谷座ってなんだ。そんな日本語、聞いたことがない。もし谷座のほうが正解だとしたら、おそらくは固有名詞以外に可能性はなさそうだ。いずれにせよ、ほかの文献を見てみたが、『キング』に載った西川満の作品名は「地獄の谷底」で間違いなさそうだ。現物も入手して確認してみた。谷底だ(たにそこ、とルビあり)。きっと、直木賞の候補になったのはこれだろうと当たりはつく。
このころの候補作の発表誌を調べるのに最も役に立つのが、『文藝年鑑』だ。昭和24年/1949年一年間の雑誌収録作品の載っている「昭和25年版」を当たってみる。西川満、西川満、……、あった。と思ったら作品名は「地獄の谷底」。『キング』昭和24年/1949年2月号の収録となっている。
谷座と谷底。ははあ、これは誤植だな。そもそも谷底なら意味が通るが、谷座ってなんだ。そんな日本語、聞いたことがない。もし谷座のほうが正解だとしたら、おそらくは固有名詞以外に可能性はなさそうだ。いずれにせよ、ほかの文献を見てみたが、『キング』に載った西川満の作品名は「地獄の谷底」で間違いなさそうだ。現物も入手して確認してみた。谷底だ(たにそこ、とルビあり)。きっと、直木賞の候補になったのはこれだろうと当たりはつく。
鬼の微笑み。
『中国妖艶小説集』
西川満
昭和24年/1949年12月・
大日本雄弁会講談社刊
装幀・挿絵 山崎百々雄
しかし、問題は作品名だけにおさまらない。発表された“時期”が、先を急ぐこちらの足をひっぱりやがるのだ。第22回の対象期間は、何度も書くように、昭和24年/1949年・下半期。下半期といえば、7月~12月のことだ。ただし『文藝讀物』昭和25年/1950年6月号の「銓衡経過」には「今回は昭和二十四年度、六月号より十二月号までの期間に発表された作品の中から、」と書いてあって、6月も含んでいるらしい。まあ、大目に見てそこから一ト月二タ月ズレるくらいなら許せるが、「地獄の谷底」の初出は2月号だというではないか。2月を下半期と言ったら、きっと鬼が笑う。笑いはしないかもしれないが、微笑むぐらいのことはするだろう。
鬼には逆らえない。このときの西川満の候補作を、「地獄の谷底」(『キング』昭和24年/1949年2月号)、と書くのはやはりためらいが残る。
昭和24年/1949年・下半期に西川満が発表した「地獄の谷底」もしくは話を戻して「地獄の谷座」は、ほんとうに存在しないのだろうか。思い浮かぶ可能性は、2月に発表した「地獄の谷底」が数か月後に、西川自身の短篇集か、アンソロジーに収録されているケースだ。
昭和24年/1949年に西川満の出した短篇集がある。『中国妖艶小説集』(昭和24年/1949年12月・大日本雄弁会講談社刊)である。収録作を列挙してみる。
鬼には逆らえない。このときの西川満の候補作を、「地獄の谷底」(『キング』昭和24年/1949年2月号)、と書くのはやはりためらいが残る。
昭和24年/1949年・下半期に西川満が発表した「地獄の谷底」もしくは話を戻して「地獄の谷座」は、ほんとうに存在しないのだろうか。思い浮かぶ可能性は、2月に発表した「地獄の谷底」が数か月後に、西川自身の短篇集か、アンソロジーに収録されているケースだ。
昭和24年/1949年に西川満の出した短篇集がある。『中国妖艶小説集』(昭和24年/1949年12月・大日本雄弁会講談社刊)である。収録作を列挙してみる。
- 残月記
- 情炎の使徒
- 飛燕双紙
- 牡丹花燈
- 蓮に乗る女
- 燃える鴛鴦樓
- あとがき
読んでみたいぞ、地獄の谷座。
『現代小説代表選集5』
日本文芸家協会編
昭和24年/1949年12月・
光文社刊
アンソロジーを見てみる。『現代小説代表選集5』(昭和24年/1949年12月・光文社刊)だ。こちらも、収められている内容を書き出してみる。
と、ここまでずらずら書いてきて、いまさらこんなこと言うのも変だが、冷静に考えて、アンソロジーに再録された作品を候補作に挙げるなんて、当時の直木賞“らしくない”んだよな。この前後の回の他の候補作を見ても、基本は雑誌に発表された初出のかたちの作品だからだ。これは推測だが、実際のところ第22回候補の「地獄の谷底」は、主催者当局の意図としては、『キング』2月号のものを、少し遅れて申し訳ないが、という気持ちで採り上げたのかもしれない。再録のかたちの「地獄の谷底」が下半期に存在してしまったのは、たまたまであって、完全なる偶然である気もしてくる。
偶然であろうが、後世に判明したつけたしであろうが、まあいい。昭和24年/1949年・下半期の「地獄の谷底」といえば、『現代小説代表選集5』のそれしかないはずだから。うちのサイトでは、そちらを採用することにしよう。
と、苦渋の決断をしつつも、正直ワタクシは心のどこかでは、昭和24年/1949年・下半期にどこかの雑誌に西川満が「地獄の谷座」という小説を発表していて、なにかの折りに、そのことがひょいと発見されることを期待していたりするのだ。地獄の谷座、どんなお話なんだろう。“地獄の谷”座なる芝居小屋でくりひろげられる役者たちの生活記か、はたまた、かつて中国に生きた“谷座”なる伝説の人物が大活躍する冒険ロマンだろうか。
- これからの小説……田村泰次郎
- 千羽鶴……川端康成 (『読物時事別冊』昭和24年/1949年5月号)
- 帯のそらどけ……舟橋聖一 (青年期の一部 『ホープ』昭和24年/1949年7月号)
- 妻の誕生日……林房雄 (『文藝春秋』昭和24年/1949年5月号)
- 私刑……大坪砂男 (『宝石』昭和24年/1949年6月号)
- おんな牢……土師清二 (『講談倶楽部』昭和24年/1949年8月号)
- 復活祭……久生十蘭 (『オール讀物』昭和24年/1949年5月号)
- 小説天皇……長田幹彦 (『面白倶楽部』昭和24年/1949年3月号)
- 下町(ダウン・タウン)……林芙美子 (『別冊小説新潮』昭和24年/1949年4月号)
- 海は紅……山田克郎 (『大衆文藝』昭和24年/1949年5月号)
- 柳生の宿……白井喬二 (『苦楽』昭和24年/1949年5月号)
- 地獄の谷底……西川満 (『キング』昭和24年/1949年2月号)
- オール・ナイト……宮内寒彌 (『小説新潮』昭和24年/1949年7月号)
- 脂粉の舞……今日出海 (『文藝讀物』昭和24年/1949年7月号)
- 肉塊(第二部)……田村泰次郎 (『小説世界』昭和24年/1949年1月号~5月号)
- 作品解説……林房雄
と、ここまでずらずら書いてきて、いまさらこんなこと言うのも変だが、冷静に考えて、アンソロジーに再録された作品を候補作に挙げるなんて、当時の直木賞“らしくない”んだよな。この前後の回の他の候補作を見ても、基本は雑誌に発表された初出のかたちの作品だからだ。これは推測だが、実際のところ第22回候補の「地獄の谷底」は、主催者当局の意図としては、『キング』2月号のものを、少し遅れて申し訳ないが、という気持ちで採り上げたのかもしれない。再録のかたちの「地獄の谷底」が下半期に存在してしまったのは、たまたまであって、完全なる偶然である気もしてくる。
偶然であろうが、後世に判明したつけたしであろうが、まあいい。昭和24年/1949年・下半期の「地獄の谷底」といえば、『現代小説代表選集5』のそれしかないはずだから。うちのサイトでは、そちらを採用することにしよう。
と、苦渋の決断をしつつも、正直ワタクシは心のどこかでは、昭和24年/1949年・下半期にどこかの雑誌に西川満が「地獄の谷座」という小説を発表していて、なにかの折りに、そのことがひょいと発見されることを期待していたりするのだ。地獄の谷座、どんなお話なんだろう。“地獄の谷”座なる芝居小屋でくりひろげられる役者たちの生活記か、はたまた、かつて中国に生きた“谷座”なる伝説の人物が大活躍する冒険ロマンだろうか。
(平成19年/2007年4月26日記)