生没年月日【注】 | 明治23年/1890年11月2日~昭和29年/1954年3月5日 | |
在任期間 | 第17回~第30回(通算11年・14回) | |
在任年齢 | 52歳7ヶ月~63歳1ヶ月 | |
経歴 | 東京市四谷区(現・新宿区)生まれ。東京帝国大学仏文科選科に学ぶ。 パリに遊学し、フランス演劇史等を研究。大正12年/1923年帰国、『演劇新潮』などに戯曲を発表。昭和7年/1932年に築地座を、昭和12年/1937年に岩田豊雄・久保田万太郎らと文学座を創設する。その活動は演劇だけにとどまらず、小説、翻訳などにも及ぶ。 |
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受賞歴・候補歴 | ||
個人全集 | 『岸田國士全集』全10巻(昭和29年/1954年9月~昭和30年/1955年9月・新潮社刊) 『岸田國士全集』全28巻(平成1年/1989年11月~平成4年/1992年6月・岩波書店刊) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 岸田國士 54歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
国枝治 | 34歳 |
◎ | 9 | 「いま特に推奨したいと思った」「観念的と云えば観念的であり、啓蒙的すぎる(文学の本道でないという意味)と云えばそうも云えるが、(引用者中略)立派に一国民としての感懐を作家の情熱と融合させた才能と努力とを、私は高く評価したいと思う。」 |
26歳 |
■ | 13 | 「十分に傑れたところは認めるが、これを今日取り立てて世間に吹聴しようという風には考えなかった。」「たしかに、若い俳詩人の将来は私も楽しみだ。ただ「生活」の意味をこの作者はどう解しているのか。作品を通じての不安がそこから来るのを私はどうしようもなかった。」 | |
「私の手許に送られて来た作品は、いずれもなかなか佳いものであった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和20年/1945年3月号) |
選考委員 岸田國士 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
48歳 |
○ | 6 | 「若し二人なら私は由起しげ子と峯雪栄を推す。」「技術的な苦しみを経ていない、小説としては非常に脆いところのあるものだが、女性として豊かに成長した精神の一記録とみれば、なによりも清潔な文章である。」 | |
峰雪栄 | 32歳 |
○ | 6 | 「若し二人なら私は由起しげ子と峯雪栄を推す。」「「妄執」その他は、やや型にはまりかけた趣味が難点とはいえるが、才能と生活とを賭けた作家修業の道程が素朴に作品の心を貫いている点、私はその努力の成果に敬意を表する。」 |
24歳 |
■ | 4 | 「入選者の一人と決定したが、私は、ただ祝意を表するだけで讃辞は保留する。思想的根柢のない安易な露出趣味の文学は、大成を望むものにとって才能の浪費である。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和24年/1949年9月号) |
選考委員 岸田國士 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
前田純敬 | 27歳 |
◎ | 10 | 「第一に推すことにした。」「初々しい感動があり、健康な意欲も目立ち、可なり確かな眼で現象も捉えられている。」「多少冗漫な個所もなくはないし甘いといえば甘いところがあるにはある。しかし、それらをひっくるめて、やはり新鮮で美しい物語になっている。」 |
42歳 |
□ | 7 | 「「闘牛」(井上靖)は、わが国では珍しい、既に成熟を感じさせる、一個の文学的才能の所産である。常識に富んだ、余情ある巧みな作品がどしどし書ける作家の手腕を示している。」「衆目の見るところ、入選作として、これも、当を得たものである。私も敢て反対する気持はない。」 | |
「今度は読みごたえのある作品が多く、だいたい粒がそろっていて、たいへん張り合いがあった。」「私の望むところは、芥川賞の性格をもうすこしはっきりさせて、なるだけ無理のない結果が得られるようにしたいものだと思う。この賞も創作としての戯曲を除外してあるわけではないのに、一度も選にはいらぬというのも片手落の感があり、今度も、例えば福田恒存の「キティ颱風」のような秀作が予選の中にさえ数えられていないことを私は指摘したい。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和25年/1950年4月号) |
選考委員 岸田國士 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
安岡章太郎 | 31歳 |
◎ | 11 | 「推すことにした。」「他のどれよりもとび抜けて優れた作品だとは思わなかったが、まずこれが比較的新鮮味もあり、異な才能の芽も感じられ、ことに、その才能が過不足なく作品の調子を整えているスマートさに敬意を表したくなった。」「すこしお坊ちゃん臭い甘ったれ気分もみえるにはみえるが、これはこれで、青春のひとつの生き方として私は私なりにゆるせるのである。」 |
37歳 |
△ | 6 | 「力作であり、かつ、有望な才能の持主であることはわかる。」「足取りはなかなか確かだがやや、先人の道を歩いているような気がした」 | |
27歳 |
△ | 10 | 「力作であり、かつ、有望な才能の持主であることはわかる。」「注目すべき野心作にはちがいないが、もうちょっと彫琢されてあることが望ましいものであった。序に言えば、この作家の言葉遣いには、腑におちぬ日本語の誤りが眼についた。」 | |
「芥川賞の性格を、もっとはっきりさせなければ、選そのものも徒らにむつかしくなるし、賞の意味もそのために、稀薄になりはせぬかと思う。」「例えば、宇野浩二氏などの反対にも拘わらず、やはり、委員の投票という制度を明かにきめてかかるのが当然だと主張したい。文学の評価を数字で示すことの不合理、不見識をおそれる必要は、この場合、ない。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和26年/1951年10月号) |
選考委員 岸田國士 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
庄野潤三 | 32歳 |
○ | 5 | 「一種の才気と、ちょっと心にくいほどの新鮮な観察とを、私は可なり高く評価する。しっかりと足を地につけて悠々と自分の領域をひらいていくであろうこの作者の将来は非常に楽しみである。」 |
33歳 |
□ | 11 | 「「悪い仲間」と「陰気な愉しみ」は、いずれも稀にみるすぐれた才能を示した短篇小説だが、これだけとしては出来栄えにやや物足りないところがある。この作者の仕事を私は「ガラスの靴」以来注目していたので、(引用者中略)以上の二篇に授賞してもだいたい間違いはないと考えた。しかし、この作者は、もっといいものの書ける人だ。」 | |
「特に一篇だけ傑出したというものはなかった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和28年/1953年9月号) |