第159回

第158回第160回

平成30年/2018年上半期 平成30年/2018年7月18日決定発表／『文藝春秋』平成30年/2018年9月号選評掲載

選考委員　 小川洋子 56歳 山田詠美 59歳 島田雅彦 57歳 川上弘美 60歳 宮本輝 71歳 高樹のぶ子 72歳 吉田修一 49歳 堀江敏幸 54歳 奥泉光 62歳 選評総行数　 84 91 89 95 85 78 104 85 106 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 高橋弘希　「送り火」 152枚 38歳 評 ◎ 39 ◎ 12 ○ 17 ■ 22 □ 33 ● 46 ○ 22 ○ 25 □ 22 古谷田奈月　「風下の朱」 98枚 36歳 評 □ 24 △ 17 ■ 12 ■ 15 ■ 11 ― 0 ■ 9 ■ 12 ■ 9 北条裕子　「美しい顔」 208枚 32歳 評 ■ 6 ■ 33 ■ 30 ■ 27 ■ 21 △ 30 ● 29 ■ 16 ■ 44 町屋良平　「しき」 235枚 34歳 評 ■ 8 ■ 19 △ 15 △ 12 ● 5 ― 0 △ 21 ○ 15 ◎ 23 松尾スズキ　「もう「はい」としか言えない」 153枚 55歳 評 ● 7 △ 10 ■ 15 ◎ 19 □ 16 ― 0 ■ 23 ■ 17 ■ 9                   年齢/枚数の説明   見方・注意点

小川洋子56歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題豊かな沈黙　総行数84　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高橋弘希 38歳 全 ◎ 39 「他の候補作を圧倒する存在感を放っていた。」「作中、持ち手に“豊かな沈黙”と彫られた木槌が出てくる。納屋の奥で長く忘れ去られていたその一言が、本作についてのすべてを語っていると言ってもいい。語り手の視線には豊かな沈黙が満ちている。」「言葉を発することと無言でいることが、この小説では矛盾しない。高橋さんの言葉は、言葉の届かない場所へ読者を運ぶ。そこは小説でしかたどり着けない場所なのだ。」 古谷田奈月 36歳 全 □ 24 「（引用者注：「送り火」の）次に推した」「血も言葉も通わない、骨と記憶だけの化石になって、小さな女の子にきれいだと思ってもらいたい、と願う侑希美がいとおしかった。」「ただ、野球とソフトの対比があまりに鮮やかなため、作品自体も分かりやすい対立の枠組みに納まってしまった印象は残る。」 北条裕子 32歳 全 ■ 6 「現実を打ち破り、言葉など無意味になる場所へたどり着いたのか。この作品に問われているのは、それだけの覚悟があったかどうかだと思う。」 町屋良平 34歳 全 ■ 8 「一番魅力的なのは、つくもだ。読みながら何度も、つくもが主人公ならよかったのに、とつぶやいていた。彼だけが作者の巧みな手さばきから少し外れたところで、勝手気ままに振る舞っていた。」 松尾スズキ 55歳 全 ● 7 「ドタバタしたユーモアをどうとらえたらいいのか、最後まで分からないままだった。作りものめいた仮面劇を楽しめるか楽しめないかの差なのだろう。」

他の選考委員 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 高樹のぶ子 吉田修一 堀江敏幸 奥泉光

山田詠美59歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「選評」　総行数91　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高橋弘希 38歳 全 ◎ 12 「この作者は、どんな「穢れ」を描いても、そこに澄んだ空気を運んで来る。陰惨なエピソードの合間にある、自然、人間、食べ物……などなど、それらの色彩や匂いが印象的でぐっと来る。完成度に感嘆しながら、受賞作に推した。」 古谷田奈月 36歳 全 △ 17 「印象的な表現を求め過ぎたのか、凝り過ぎて意味が解らなくなってしまったような一文がところどころにある。」「女の〈瘴気〉や〈ソフト臭さ〉を持ち出す侑希美さんの病み方が、興味深くも痛々しい。ソフトボールの上野由岐子投手に会うべきだと思う（余計なお世話ですが）。」 北条裕子 32歳 全 ■ 33 「だいたい資料に寄り掛かり過ぎなんだよ！　もっと、図々しく取り込んで、大胆に咀嚼して、自分の唾液を塗りたくった言葉をぺっと吐き出す、くらいの厚かましさがなければ。」「事実を物語に巻き込んで行くような筆力があるのに、冒頭の比喩や結末に向かう流れが驚くほど凡庸なのが気に掛かる。こういうところこそ、作者のオリジナリティの見せどころではないか。」 町屋良平 34歳 全 ■ 19 「愛らしい少年たちが魅力的。しかし、あまりにも長過ぎる。そして、アフォリズムめいた箇所が多過ぎる。その大半が、こんな小僧どもに言われたかないよ、という代物。存在の耐えられないポエム感というか。」「そんな中、杉尾少年だけがきらめいていて心魅かれた。」 松尾スズキ 55歳 全 △ 10 「唯一の大人たちの物語、と期待して読んだら、これが一番（年食った）子供らしい話だった。手練れの技による愉快なトンデモ体験記として楽しく読めたが、最後は結局、妻と話したいと思う主人公。だったら、最初から話しなよ、と力が抜けた。」

他の選考委員 小川洋子 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 高樹のぶ子 吉田修一 堀江敏幸 奥泉光

島田雅彦57歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題青春五群像　総行数89　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高橋弘希 38歳 全 ○ 17 「『送り火』の読みにくさには敬意を払わねばならない。それは予定調和の通用しない世界を描こうとしているからであり、段落ごとに油断ならない状況を冷静に見極める必要があるからだ。」「理不尽な暴力が突発する場にあって、高橋が紡ぐコトバは詩的躍動感にあふれ、陰惨な光景を墓の下から見ているようですらある。」 古谷田奈月 36歳 全 ■ 12 「このジャンルの佳作といっていいと思うが、コスプレの域を突き抜け、スリリングな心理戦になっていたかというと、ちょっと物足りなかった。」 北条裕子 32歳 全 ■ 30 「むろん、被災地に行かなくても、小説は書ける。しかし、事実を変えようとする者、他者のコトバを安易に借用しようとする者は事実から復讐される覚悟も必要である。この作者は書き手として厳しい洗礼を受けたが、まだ終わりではない。これを機にもっと禍々しくパワーアップせよ。」 町屋良平 34歳 全 △ 15 「学園や地域のディストピア化著しい昨今、ダンスやピアノに打ち込む青春群像をチャーミングな表現で描き出したところに本作の価値がある。」「この作品の中の子たちが狂ったら、どうなるかそれも読みたい気がする。」 松尾スズキ 55歳 全 ■ 15 「個人的にはこの手の悪趣味は大好きだが、『こち亀』や『男はつらいよ』にも海外旅行編があり、主人公のパリでの顛末に既視感を覚えてしまったのも事実。」

他の選考委員 小川洋子 山田詠美 川上弘美 宮本輝 高樹のぶ子 吉田修一 堀江敏幸 奥泉光

川上弘美60歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題連れてゆかれる　総行数95　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高橋弘希 38歳 全 ■ 22 「怖い小説です。怖いけれど、自分にひきつけて考えられる物語でもあるところがすばらしい。ただ、読後わたしは、どこにも行けないような気がしてしまったのです。」「ここまで大きくなってきた作者の高橋さんには、次の作品で、ぜひどこかに連れていってもらいたい……。いやいや、こんな頼みはもちろん気にしないでいいのですよ。」 古谷田奈月 36歳 全 ■ 15 「人物や風景の描写、会話のやりとりをこんなに魅力的に書ける作者なのに、物語をはこんでゆく大きな何かを表現しようとする時に、なぜだか性急に短絡的になってしまった、そんな印象をもちました。」 北条裕子 32歳 全 ■ 27 「語り手以外の登場人物が、物語を構成するための装置になってしまっていることが、残念だったのです。」「「美しい顔」という作品の美点は、引用部分にあるのではないとわたしは思います。だからこそ、なおさら引用の不用意さを悲しみます。」 町屋良平 34歳 全 △ 12 「推したかった。でも、△でした。長すぎると思います。それは物理的な長さではなく、いわば、小説を読んでいる時間の心理的な長さです。」「行間にある何かをあらわすに関しては、ピカ一の小説でした。」 松尾スズキ 55歳 全 ◎ 19 「斎藤聖にやられて、目がくらんで、ともかくこの作品に○をつけました。選考委員みんながそうだと思っていたら、そうではなくて、びっくりしました。」「読んだあと、ともかくわたしはへんなところへ連れてゆかれてしまったのです。作中のスイスやフランスではなく、もっとずっとへんなところでした。小説を読むよろこびは、これだ。そう感じたのでした。」

他の選考委員 小川洋子 山田詠美 島田雅彦 宮本輝 高樹のぶ子 吉田修一 堀江敏幸 奥泉光

宮本輝71歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題ディテールの濃密さ　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高橋弘希 38歳 全 □ 33 「最後の場面は残酷で、主人公の少年はこのまま殺されてしまうのかと、その不当さに首をかしげざるを得ない。」「しかし、「指の骨」も南方戦線に送られた兵士を待ち受ける戦争という不当な暴力が主題であったし、他の作品にも圧倒的な暴力やそれと類似する力へのこだわりがあったと思う。そのようなものに惹かれるなにかが高橋さんのなかにあって、主題はつねにその奥に隠されていると読めば、抜きん出た文章力が今後の作品に明確さを加味させていくかもしれない。」 古谷田奈月 36歳 全 ■ 11 「ソフトボールしかやったことのない主人公が初めて硬いボールをキャッチして、その感触を体で感じていくところは臨場感がある。しかし、スポーツ根性物に観念的な思弁を語らせる臭みは、この小説を幼くさせていると思う。」 北条裕子 32歳 全 ■ 21 「表現の幾つかに盗用を疑われる個所があるということだったが、それを抜きにして一篇の小説として評価しても足りないものが多い。」「北条さんは作家としての腕力はあるが、避難所で生じる人間ドラマをいささか舐めている。もっとすさまじい修羅場がテレビには映らないところで起こっているのだ。その視点の低さで「美しい顔」は点が低かった。」 町屋良平 34歳 全 ● 5 「思春期の少年少女のあとあじのいい青春ドラマの域を出ていなくて、もう一工夫が必要だと感じた。」 松尾スズキ 55歳 全 □ 16 「私には単純におもしろかった。喜劇を読まされるときのおもしろさだが、それは演劇の世界でよく使われるドタバタのおもしろさ以上のものではないという意見が多かった。そう言われてみれば確かにそのとおりだと思う。」   「ひょっとしたら今回は受賞作が出ないのではないかと思いながら選考会に出席したが、蓋をあけると最初から「送り火」に票が集まった。」

他の選考委員 小川洋子 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 高樹のぶ子 吉田修一 堀江敏幸 奥泉光

高樹のぶ子72歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題青春と暴力　総行数78　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高橋弘希 38歳 全 ● 46 「「送り火」の一五歳の少年は、ひたすら理不尽な暴力の被害者でしかない。この少年の肉体的心理的な血祭りが、作者によって、どんな位置づけと意味を持っているのだろう。それが見いだせなくて、私は受賞に反対した。」「読み終わり、目をそむけながら、それで何？　と呟いた。それで何？　の答えが無ければ、この暴力は文学ではなく警察に任せれば良いことになる。」 古谷田奈月 36歳 全 ― 0   北条裕子 32歳 全 △ 30 「書きたいことが明確にある作品だ。」「才気と勇気のある新人だが、最初に小説の型があり、その型の中に震災の情報を流し込んだ感はある。」「オリジナリティとは、文章だけでなく映像もネット情報も含めて、すでに表現されたものの上に存在する。それが文化というものだ。ただその場合、既存のものを越えなければならない。越えようとする意識と覚悟が、オリジナリティを生むのだと思う。」 町屋良平 34歳 全 ― 0   松尾スズキ 55歳 全 ― 0     「久しぶりに青春小説の候補作が並んだ。それは嬉しいことだ。」

他の選考委員 小川洋子 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 吉田修一 堀江敏幸 奥泉光

吉田修一49歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数104　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高橋弘希 38歳 全 ○ 22 「この作者の描写力には文句のつけようがない。」「自分の居場所というものを望んでいないし、信用していないのだろう。その執着のなさが、絶対的な観察者としての目となり、このような狂気じみた描写を可能にしているのではないだろうか。ある委員が、この作者が持つテーマとして「理不尽な暴力」という言葉を使われたのだが、それがとても肚に落ちた。」 古谷田奈月 36歳 全 ■ 9 「スポーツとアスリートたちと来たら、普通は次に「汗」なのに「血」でくるのか！　とその才気に身震いした。ただ、この一作では弱い。この血が「汗」のようにきらきら輝きだすところまで読みたい。」 北条裕子 32歳 全 ● 29 「（引用者注：盗用に関する）騒動を離れたとしても、今作にあまり好感は持てなかった。お涙頂戴のマスコミ報道を終始揶揄しながらも、今作自体がそのお涙頂戴の流れに乗っているようで（弟が首に母の名前を掲げるところなど）、とすれば、自家撞着を起こしているようにも思える。」 町屋良平 34歳 全 △ 21 「昨今のエアバッグとか自動ブレーキではないが、ぶつかりたくてもどうしてもぶつかれない現代の若者の距離感が、説明的ではなく見事に描かれている。動画投稿サイトの「踊ってみた」シリーズなど小道具の扱いも巧みで、次作を期待したい。その際は是非、この若者たちの間にあるエアバッグの中身を教えてほしい。」 松尾スズキ 55歳 全 ■ 23 「読んでいくと、やはりいちいち面白いというか、何か動くと必ず一笑いある。」「おそらく松尾氏はこの小説も、大勢の観客たちのために書いている。だから舞台を見上げる大勢の観客の一人として読むと、たいそう面白い。でも、著者と読者として一対一になった途端、少し物足りなさを感じてしまった。」

他の選考委員 小川洋子 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 高樹のぶ子 堀江敏幸 奥泉光

堀江敏幸54歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題索敵の果てに聞こえてくるもの　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高橋弘希 38歳 全 ○ 25 「歩の受難と陰惨な場面の先になにがあるのか。それを問うことは、この作品においてあまり意味がない。異界のなかで索敵を終えた歩の、血みどろになって遠のいていく意識のなかで、シャンシン、シャンシンというチャッパの音を聴き取ることができれば、それでいいのだ。」 古谷田奈月 36歳 全 ■ 12 「期待と不安がないまぜになった結末まで崩れのない文で読ませる一方、それが型への意識をやや浮き立たせすぎることにもなっただろうか。」 北条裕子 32歳 全 ■ 16 「参考文献の扱いや執筆動機の是非について、議論すべき点はある。しかしそれと同時に、もしくはそれ以前に、（引用者中略・注：文章による）推進力が前半のみで終わっている点、避難所や遺体安置所の並列的な描写に比して、斎藤さんという女性が語る、子を亡くした体験談の精度が高すぎる点が気になった。」 町屋良平 34歳 全 ○ 15 「十六歳の若者たちの悩みどころをうまく拾いあげ、ツッコミを入れる正確な間と箴言めいたコメントの切れ味。やや思弁的にすぎる箇所があるとはいえ、全篇にただようユーモアと結末の微妙な脱力感が、この作品を前向きなものにしている。」 松尾スズキ 55歳 全 ■ 17 「浮気をめぐる冒頭の狭いやりとりから、一挙にフランス、スイスへと飛ぶ展開の速度は心地よいのだが、パリの難民をめぐる記述には、破れかぶれの筆法の水位を下げてしまう危うさもある。」

他の選考委員 小川洋子 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 高樹のぶ子 吉田修一 奥泉光

奥泉光62歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数106　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高橋弘希 38歳 全 □ 22 「高橋弘希氏は、二十世紀零年代に成立した日本語のリアリズムの技法・文体をわがものとして、描写、説明のバランスを的確にとりながら奥行きある小説世界を構築できる力量の持ち主であり、「送り火」は、一見はのどかな地方の時間の流れのなかに悪意と暴力がじわり染み出てくる構成も巧みで、選考会ではすんなり授賞が決まった。自分も異存はない。」 古谷田奈月 36歳 全 ■ 9 「文章のセンスがよく、リアリズムとはやや異なる場所で、不思議に魅力ある小説世界が展開されていて面白く読んだ。が、野球をする身体と女性の身体の対比から浮かび上がる問題がいまひとつ捉えきれなかった。」 北条裕子 32歳 全 ■ 44 「人々の記憶に新しい出来事を扱うには、物語の構成があまりに短兵急であったといわざるをえない。ことにかつて子供を事故で失った「奥さん」が主人公に決定的な言葉を与えるあたりの展開、あるいは主人公の弟の描き方など、物語一般がどうしても孕んでしまう「ご都合主義」の臭いが強くなってしまった。」 町屋良平 34歳 全 ◎ 23 「一番推した」「「かれ」と表記される主人公を中心に、複数の人物へ視点が移り変わる「多元」の技法を使うことで、高校生の世代の人たちの世界感覚、時間の移ろいが、たしかな手触りとともに定着されている。」「平凡な人たちを平凡なままに輝かせることは、近代以降の小説のひとつの課題であるが、その課題に応えうる方法の可能性を自分は感じた。」 松尾スズキ 55歳 全 ■ 9 「ドタバタ劇ふう展開も面白く、しかし、なにかもうひとつ、あっけにとられるような飛び抜けた展開があったらと感じた。」

他の選考委員 小川洋子 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 高樹のぶ子 吉田修一 堀江敏幸

高橋弘希38歳×各選考委員　 「送り火」 中篇 152枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 56歳 全 ◎ 39 「他の候補作を圧倒する存在感を放っていた。」「作中、持ち手に“豊かな沈黙”と彫られた木槌が出てくる。納屋の奥で長く忘れ去られていたその一言が、本作についてのすべてを語っていると言ってもいい。語り手の視線には豊かな沈黙が満ちている。」「言葉を発することと無言でいることが、この小説では矛盾しない。高橋さんの言葉は、言葉の届かない場所へ読者を運ぶ。そこは小説でしかたどり着けない場所なのだ。」 山田詠美 59歳 全 ◎ 12 「この作者は、どんな「穢れ」を描いても、そこに澄んだ空気を運んで来る。陰惨なエピソードの合間にある、自然、人間、食べ物……などなど、それらの色彩や匂いが印象的でぐっと来る。完成度に感嘆しながら、受賞作に推した。」 島田雅彦 57歳 全 ○ 17 「『送り火』の読みにくさには敬意を払わねばならない。それは予定調和の通用しない世界を描こうとしているからであり、段落ごとに油断ならない状況を冷静に見極める必要があるからだ。」「理不尽な暴力が突発する場にあって、高橋が紡ぐコトバは詩的躍動感にあふれ、陰惨な光景を墓の下から見ているようですらある。」 川上弘美 60歳 全 ■ 22 「怖い小説です。怖いけれど、自分にひきつけて考えられる物語でもあるところがすばらしい。ただ、読後わたしは、どこにも行けないような気がしてしまったのです。」「ここまで大きくなってきた作者の高橋さんには、次の作品で、ぜひどこかに連れていってもらいたい……。いやいや、こんな頼みはもちろん気にしないでいいのですよ。」 宮本輝 71歳 全 □ 33 「最後の場面は残酷で、主人公の少年はこのまま殺されてしまうのかと、その不当さに首をかしげざるを得ない。」「しかし、「指の骨」も南方戦線に送られた兵士を待ち受ける戦争という不当な暴力が主題であったし、他の作品にも圧倒的な暴力やそれと類似する力へのこだわりがあったと思う。そのようなものに惹かれるなにかが高橋さんのなかにあって、主題はつねにその奥に隠されていると読めば、抜きん出た文章力が今後の作品に明確さを加味させていくかもしれない。」 高樹のぶ子 72歳 全 ● 46 「「送り火」の一五歳の少年は、ひたすら理不尽な暴力の被害者でしかない。この少年の肉体的心理的な血祭りが、作者によって、どんな位置づけと意味を持っているのだろう。それが見いだせなくて、私は受賞に反対した。」「読み終わり、目をそむけながら、それで何？　と呟いた。それで何？　の答えが無ければ、この暴力は文学ではなく警察に任せれば良いことになる。」 吉田修一 49歳 全 ○ 22 「この作者の描写力には文句のつけようがない。」「自分の居場所というものを望んでいないし、信用していないのだろう。その執着のなさが、絶対的な観察者としての目となり、このような狂気じみた描写を可能にしているのではないだろうか。ある委員が、この作者が持つテーマとして「理不尽な暴力」という言葉を使われたのだが、それがとても肚に落ちた。」 堀江敏幸 54歳 全 ○ 25 「歩の受難と陰惨な場面の先になにがあるのか。それを問うことは、この作品においてあまり意味がない。異界のなかで索敵を終えた歩の、血みどろになって遠のいていく意識のなかで、シャンシン、シャンシンというチャッパの音を聴き取ることができれば、それでいいのだ。」 奥泉光 62歳 全 □ 22 「高橋弘希氏は、二十世紀零年代に成立した日本語のリアリズムの技法・文体をわがものとして、描写、説明のバランスを的確にとりながら奥行きある小説世界を構築できる力量の持ち主であり、「送り火」は、一見はのどかな地方の時間の流れのなかに悪意と暴力がじわり染み出てくる構成も巧みで、選考会ではすんなり授賞が決まった。自分も異存はない。」

他の候補作 古谷田奈月 「風下の朱」 北条裕子 「美しい顔」 町屋良平 「しき」 松尾スズキ 「もう「はい」としか言えない」

古谷田奈月36歳×各選考委員　 「風下の朱」 短篇 98枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 56歳 全 □ 24 「（引用者注：「送り火」の）次に推した」「血も言葉も通わない、骨と記憶だけの化石になって、小さな女の子にきれいだと思ってもらいたい、と願う侑希美がいとおしかった。」「ただ、野球とソフトの対比があまりに鮮やかなため、作品自体も分かりやすい対立の枠組みに納まってしまった印象は残る。」 山田詠美 59歳 全 △ 17 「印象的な表現を求め過ぎたのか、凝り過ぎて意味が解らなくなってしまったような一文がところどころにある。」「女の〈瘴気〉や〈ソフト臭さ〉を持ち出す侑希美さんの病み方が、興味深くも痛々しい。ソフトボールの上野由岐子投手に会うべきだと思う（余計なお世話ですが）。」 島田雅彦 57歳 全 ■ 12 「このジャンルの佳作といっていいと思うが、コスプレの域を突き抜け、スリリングな心理戦になっていたかというと、ちょっと物足りなかった。」 川上弘美 60歳 全 ■ 15 「人物や風景の描写、会話のやりとりをこんなに魅力的に書ける作者なのに、物語をはこんでゆく大きな何かを表現しようとする時に、なぜだか性急に短絡的になってしまった、そんな印象をもちました。」 宮本輝 71歳 全 ■ 11 「ソフトボールしかやったことのない主人公が初めて硬いボールをキャッチして、その感触を体で感じていくところは臨場感がある。しかし、スポーツ根性物に観念的な思弁を語らせる臭みは、この小説を幼くさせていると思う。」 高樹のぶ子 72歳 全 ― 0   吉田修一 49歳 全 ■ 9 「スポーツとアスリートたちと来たら、普通は次に「汗」なのに「血」でくるのか！　とその才気に身震いした。ただ、この一作では弱い。この血が「汗」のようにきらきら輝きだすところまで読みたい。」 堀江敏幸 54歳 全 ■ 12 「期待と不安がないまぜになった結末まで崩れのない文で読ませる一方、それが型への意識をやや浮き立たせすぎることにもなっただろうか。」 奥泉光 62歳 全 ■ 9 「文章のセンスがよく、リアリズムとはやや異なる場所で、不思議に魅力ある小説世界が展開されていて面白く読んだ。が、野球をする身体と女性の身体の対比から浮かび上がる問題がいまひとつ捉えきれなかった。」

他の候補作 高橋弘希 「送り火」 北条裕子 「美しい顔」 町屋良平 「しき」 松尾スズキ 「もう「はい」としか言えない」

北条裕子32歳×各選考委員　 「美しい顔」 中篇 208枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 56歳 全 ■ 6 「現実を打ち破り、言葉など無意味になる場所へたどり着いたのか。この作品に問われているのは、それだけの覚悟があったかどうかだと思う。」 山田詠美 59歳 全 ■ 33 「だいたい資料に寄り掛かり過ぎなんだよ！　もっと、図々しく取り込んで、大胆に咀嚼して、自分の唾液を塗りたくった言葉をぺっと吐き出す、くらいの厚かましさがなければ。」「事実を物語に巻き込んで行くような筆力があるのに、冒頭の比喩や結末に向かう流れが驚くほど凡庸なのが気に掛かる。こういうところこそ、作者のオリジナリティの見せどころではないか。」 島田雅彦 57歳 全 ■ 30 「むろん、被災地に行かなくても、小説は書ける。しかし、事実を変えようとする者、他者のコトバを安易に借用しようとする者は事実から復讐される覚悟も必要である。この作者は書き手として厳しい洗礼を受けたが、まだ終わりではない。これを機にもっと禍々しくパワーアップせよ。」 川上弘美 60歳 全 ■ 27 「語り手以外の登場人物が、物語を構成するための装置になってしまっていることが、残念だったのです。」「「美しい顔」という作品の美点は、引用部分にあるのではないとわたしは思います。だからこそ、なおさら引用の不用意さを悲しみます。」 宮本輝 71歳 全 ■ 21 「表現の幾つかに盗用を疑われる個所があるということだったが、それを抜きにして一篇の小説として評価しても足りないものが多い。」「北条さんは作家としての腕力はあるが、避難所で生じる人間ドラマをいささか舐めている。もっとすさまじい修羅場がテレビには映らないところで起こっているのだ。その視点の低さで「美しい顔」は点が低かった。」 高樹のぶ子 72歳 全 △ 30 「書きたいことが明確にある作品だ。」「才気と勇気のある新人だが、最初に小説の型があり、その型の中に震災の情報を流し込んだ感はある。」「オリジナリティとは、文章だけでなく映像もネット情報も含めて、すでに表現されたものの上に存在する。それが文化というものだ。ただその場合、既存のものを越えなければならない。越えようとする意識と覚悟が、オリジナリティを生むのだと思う。」 吉田修一 49歳 全 ● 29 「（引用者注：盗用に関する）騒動を離れたとしても、今作にあまり好感は持てなかった。お涙頂戴のマスコミ報道を終始揶揄しながらも、今作自体がそのお涙頂戴の流れに乗っているようで（弟が首に母の名前を掲げるところなど）、とすれば、自家撞着を起こしているようにも思える。」 堀江敏幸 54歳 全 ■ 16 「参考文献の扱いや執筆動機の是非について、議論すべき点はある。しかしそれと同時に、もしくはそれ以前に、（引用者中略・注：文章による）推進力が前半のみで終わっている点、避難所や遺体安置所の並列的な描写に比して、斎藤さんという女性が語る、子を亡くした体験談の精度が高すぎる点が気になった。」 奥泉光 62歳 全 ■ 44 「人々の記憶に新しい出来事を扱うには、物語の構成があまりに短兵急であったといわざるをえない。ことにかつて子供を事故で失った「奥さん」が主人公に決定的な言葉を与えるあたりの展開、あるいは主人公の弟の描き方など、物語一般がどうしても孕んでしまう「ご都合主義」の臭いが強くなってしまった。」

他の候補作 高橋弘希 「送り火」 古谷田奈月 「風下の朱」 町屋良平 「しき」 松尾スズキ 「もう「はい」としか言えない」

町屋良平34歳×各選考委員　 「しき」 中篇 235枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 56歳 全 ■ 8 「一番魅力的なのは、つくもだ。読みながら何度も、つくもが主人公ならよかったのに、とつぶやいていた。彼だけが作者の巧みな手さばきから少し外れたところで、勝手気ままに振る舞っていた。」 山田詠美 59歳 全 ■ 19 「愛らしい少年たちが魅力的。しかし、あまりにも長過ぎる。そして、アフォリズムめいた箇所が多過ぎる。その大半が、こんな小僧どもに言われたかないよ、という代物。存在の耐えられないポエム感というか。」「そんな中、杉尾少年だけがきらめいていて心魅かれた。」 島田雅彦 57歳 全 △ 15 「学園や地域のディストピア化著しい昨今、ダンスやピアノに打ち込む青春群像をチャーミングな表現で描き出したところに本作の価値がある。」「この作品の中の子たちが狂ったら、どうなるかそれも読みたい気がする。」 川上弘美 60歳 全 △ 12 「推したかった。でも、△でした。長すぎると思います。それは物理的な長さではなく、いわば、小説を読んでいる時間の心理的な長さです。」「行間にある何かをあらわすに関しては、ピカ一の小説でした。」 宮本輝 71歳 全 ● 5 「思春期の少年少女のあとあじのいい青春ドラマの域を出ていなくて、もう一工夫が必要だと感じた。」 高樹のぶ子 72歳 全 ― 0   吉田修一 49歳 全 △ 21 「昨今のエアバッグとか自動ブレーキではないが、ぶつかりたくてもどうしてもぶつかれない現代の若者の距離感が、説明的ではなく見事に描かれている。動画投稿サイトの「踊ってみた」シリーズなど小道具の扱いも巧みで、次作を期待したい。その際は是非、この若者たちの間にあるエアバッグの中身を教えてほしい。」 堀江敏幸 54歳 全 ○ 15 「十六歳の若者たちの悩みどころをうまく拾いあげ、ツッコミを入れる正確な間と箴言めいたコメントの切れ味。やや思弁的にすぎる箇所があるとはいえ、全篇にただようユーモアと結末の微妙な脱力感が、この作品を前向きなものにしている。」 奥泉光 62歳 全 ◎ 23 「一番推した」「「かれ」と表記される主人公を中心に、複数の人物へ視点が移り変わる「多元」の技法を使うことで、高校生の世代の人たちの世界感覚、時間の移ろいが、たしかな手触りとともに定着されている。」「平凡な人たちを平凡なままに輝かせることは、近代以降の小説のひとつの課題であるが、その課題に応えうる方法の可能性を自分は感じた。」

他の候補作 高橋弘希 「送り火」 古谷田奈月 「風下の朱」 北条裕子 「美しい顔」 松尾スズキ 「もう「はい」としか言えない」

松尾スズキ55歳×各選考委員　 「もう「はい」としか言えない」 中篇 153枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 56歳 全 ● 7 「ドタバタしたユーモアをどうとらえたらいいのか、最後まで分からないままだった。作りものめいた仮面劇を楽しめるか楽しめないかの差なのだろう。」 山田詠美 59歳 全 △ 10 「唯一の大人たちの物語、と期待して読んだら、これが一番（年食った）子供らしい話だった。手練れの技による愉快なトンデモ体験記として楽しく読めたが、最後は結局、妻と話したいと思う主人公。だったら、最初から話しなよ、と力が抜けた。」 島田雅彦 57歳 全 ■ 15 「個人的にはこの手の悪趣味は大好きだが、『こち亀』や『男はつらいよ』にも海外旅行編があり、主人公のパリでの顛末に既視感を覚えてしまったのも事実。」 川上弘美 60歳 全 ◎ 19 「斎藤聖にやられて、目がくらんで、ともかくこの作品に○をつけました。選考委員みんながそうだと思っていたら、そうではなくて、びっくりしました。」「読んだあと、ともかくわたしはへんなところへ連れてゆかれてしまったのです。作中のスイスやフランスではなく、もっとずっとへんなところでした。小説を読むよろこびは、これだ。そう感じたのでした。」 宮本輝 71歳 全 □ 16 「私には単純におもしろかった。喜劇を読まされるときのおもしろさだが、それは演劇の世界でよく使われるドタバタのおもしろさ以上のものではないという意見が多かった。そう言われてみれば確かにそのとおりだと思う。」 高樹のぶ子 72歳 全 ― 0   吉田修一 49歳 全 ■ 23 「読んでいくと、やはりいちいち面白いというか、何か動くと必ず一笑いある。」「おそらく松尾氏はこの小説も、大勢の観客たちのために書いている。だから舞台を見上げる大勢の観客の一人として読むと、たいそう面白い。でも、著者と読者として一対一になった途端、少し物足りなさを感じてしまった。」 堀江敏幸 54歳 全 ■ 17 「浮気をめぐる冒頭の狭いやりとりから、一挙にフランス、スイスへと飛ぶ展開の速度は心地よいのだが、パリの難民をめぐる記述には、破れかぶれの筆法の水位を下げてしまう危うさもある。」 奥泉光 62歳 全 ■ 9 「ドタバタ劇ふう展開も面白く、しかし、なにかもうひとつ、あっけにとられるような飛び抜けた展開があったらと感じた。」

他の候補作 高橋弘希 「送り火」 古谷田奈月 「風下の朱」 北条裕子 「美しい顔」 町屋良平 「しき」