著作目録(エッセイ類)
復刻版『直木三十五全集』第21巻および別巻(平成3年/1991年7月・示人社刊)をもとに作成
復刻版『直木三十五全集』第21巻および別巻(平成3年/1991年7月・示人社刊)をもとに作成
全集収録巻 | |||||
作品名 | 発表紙誌 | 年月 | 備考 | | | 名義 |
大正8年(1919年)──
訳、評論「オーガスタア・ジョン」など | 『主潮』 | 大正8年 | 未 | 植村宋一 |
大正11年(1922年)──
月評 | 『時事新報』 | 大正11年 | 未 | 直木三十一 |
大正12年(1923年)──
路上砂語 | 『文藝春秋』 | 大正12年1月号 | 15 | 直木三十二 | |
呈言二束 | 『文藝春秋』 | 大正12年2月号 | 15 | 直木三十二 | |
対手になるな | 『文藝春秋』 | 大正12年3月号 | 15 | 直木三十三 | |
喧言騒語 | 『文藝春秋』 | 大正12年4月号 | 15 | 直木三十三 | |
開店御披露 | 『文藝春秋』 | 大正12年5月号 | 15 | 直木三十三 | |
温古論新 | 『文藝春秋』 | 大正12年6月号 | 15 | 直木三十三 | |
商語 | 『文藝春秋』 | 大正12年7月号 | 15 | 直木三十三 | |
雑八題 | 『文藝春秋』 | 大正12年8月号 | 15 | 直木三十三 | |
エス語、発見、随筆 | 『文藝春秋』 | 大正12年11月号 | 15 | 直木三十三 | |
来阪理由 | 『文藝春秋』 | 大正12年11月号 | 15 | 直木三十三 |
大正13年(1924年)──
贅沢その他 | 『文藝春秋』 | 大正13年2月号 | 15 | 直木三十三 | |
馬鹿と錐(落語) | 『文藝春秋』 | 大正13年4月号 | 15 | 直木三十三 | |
才子の堕ちる地獄 | 『文藝春秋』 | 大正13年4月号 | 未 | 竹林賢七 | |
有用無用の弁 | 『文藝春秋』 | 大正13年6月号 | 15 | 直木三十三 | |
直木のこと | 『文藝春秋』 | 大正13年7月号 | 15 | 直木三十三 | |
貧閑 | 『文藝春秋』 | 大正13年10月号 | 15 | 直木三十三 | |
或る書の序─春陽堂から出づべき | 『文藝春秋』 | 大正13年11月号 | 15 | 直木三十三 |
大正14年(1925年)──
──よ、汝の名は | 『文藝春秋』 | 大正14年1月号 | 15 | 直木三十三 | |
陽の下何の新しき物あらんや | 『文藝春秋』 | 大正14年1月号 | 15 | 直木三十三 | |
──に答ふ | 『文藝春秋』 | 大正14年2月号 | 15 | 直木三十三 | |
諸事改良の事 | 『文藝春秋』 | 大正14年3月号 | 15 | 直木三十三 | |
晴雨計外篇 | 『文藝春秋』 | 大正14年5月号 | 15 | 閑養軒 | |
続晴雨計外篇 | 『文藝春秋』 | 大正14年6月号 | 15 | 閑養軒 | |
人を救ひたし | 『文藝春秋』 | 大正14年8月号 | 15 | 直木三十三 | |
世上近頃 | 『文藝春秋』 | 大正14年8月号 | 15 | 閑養軒 | |
喧嘩の法─中村武羅夫氏に | 『文藝春秋』 | 大正14年9月号 | 15 | 閑養軒 | |
不景気 | 『文藝春秋』 | 大正14年10月号 | 15 | 直木三十三 | |
不良二種 | 『文藝春秋』 | 大正14年11月号 | 15 | 直木三十三 | |
印刷芸術行詰り時代 | 『文藝春秋』 | 大正14年12月号 | 15 | 直木三十三 |
大正15年(1926年)──
改名披露その他 | 『文藝春秋』 | 大正15年1月号 | 15 | ||
東洋的な 或は老人めいた─ | 『文藝春秋』 | 大正15年2月号 | 15 | ||
銀座黙晴 | 『中央公論』 | 大正15年2月号 | 未 | ||
雑音 | 『大衆文藝』 | 大正15年2、4、5月号 | 未 | ||
映画界泥話 | 『映画時代』 | 大正15年3月号~7月号 | (映画界泥ばなし) | 21 | |
去来三代記予告話 | 『大衆文藝』 | 大正15年3月号 | 未 | ||
かくの如く移る? | 『文藝春秋』 | 大正15年4月号 | 15 | ||
猶未だ、女なら | 『大衆文藝』 | 大正15年5月号 | 未 | ||
痛ましき新時代 | 『文藝春秋』 | 大正15年6月号 | 15 | ||
課題に答ふ | 『大衆文藝』 | 大正15年6月号 | 未 | ||
具象を尊ぶ | 『文藝春秋』 | 大正15年7月号 | 15 | ||
大衆文学分類法 | 『中央公論』 | 大正15年7月号 | 15 | ||
土地について答ふ | 『大衆文藝』 | 大正15年7月号 | 未 | ||
犬を殺したい | 『文藝春秋』 | 大正15年8月号 | 15 | ||
御恵附 | 『文藝市場』 | 大正15年8月号 | 21 | ||
日輪(シナリオ) | 『大衆文藝』 | 大正15年8月号 | 未 | ||
浅薄なるもの | 『文藝春秋』 | 大正15年9月号 | 未 | ||
苦労、苦労、苦労 | 『大衆文藝』 | 大正15年9月号 | 未 | ||
新篇映画界泥話 | 『映画時代』 | 大正15年9月号~昭和2年4月号 | 21 | ||
文藝時評(春夫偏見その他) | 『文藝春秋』 | 大正15年10月号 | 15 | ||
身辺変事 | 『大衆文藝』 | 大正15年10月号 | 未 | ||
退屈者散歩 | 『大衆文藝』 | 大正15年10月号 | 未 | ||
不愉快な結論 | 『文藝春秋』 | 大正15年11月号 | 未 | ||
甘い晦日 | 『中央公論』 | 大正15年12月号 | 15 | ||
何をしてゐるのだ | 『大衆文藝』 | 大正15年12月号 | 未 |
昭和2年(1927年)──
十一円五十銭 | 『文藝春秋』 | 昭和2年1月号 | 未 | ||
三十六計浮世話 | 『苦楽』 | 昭和2年2月号 | 21 | ||
現代夫人気質 | 『女性』 | 昭和2年3月号 | 14 | ||
最初の部分 | 『文藝春秋』 | 昭和2年3月号 | 15 | ||
阿呆らしい | 『大衆文藝』 | 昭和2年3月号 | 15 | ||
吾が大衆文芸陣 | 『大衆文藝』 | 昭和2年3月号~5月号、7月号 | 「青野、相馬両氏に与ふ」「橋爪健君に与へて「人生的意義」を冷笑す」「谷崎精二君に与へて、通俗非通俗を説く」「宇野浩二に与へて文芸の分野を説く」 | 15 | |
残念印象記 | 『大衆文藝』 | 昭和2年4月号 | 21 | ||
剣法雑爼 | 『大衆文藝』 | 昭和2年5月号 | 未 | ||
映画界七花八裂 | 『映画時代』 | 昭和2年6、7月号 | 21 | ||
日本映画及び映画界 | 『文藝春秋』 | 昭和2年7月号 | 21 | ||
秋色漫想 | 『アサヒグラフ』 | 昭和2年9月 | 15 | ||
「人間」貧乏 | 『創作月刊』 | 昭和2年9月号 | 未 | ||
映画はん監論 | 『不同調』 | 昭和2年11月号 | 21 | ||
エキストラに就て─附排優になる近道 | 『キネマコーザ』3号 | 昭和2年11月 | 21 | ||
先生がっかり | 『映画と演芸』 | 昭和2年11月号 | 未 |
昭和3年(1928年)──
金持になって不愉快な話 | 『不同調』 | 昭和3年1月号 | 15 | ||
映画人情非人情 陰謀暴露 | 『週刊朝日』 | 昭和3年1月 | 21 | ||
俳優の給金─映街漫歩の1 | 『映画時代』 | 昭和3年1月号 | 21 | ||
プロダクション聯盟成る?─映街漫歩の2 | 『映画時代』 | 昭和3年2月号 | 21 | ||
間違ひ事 | 『創作月刊』 | 昭和3年2月号 | 未 | ||
濫費礼讃 | 『女性』 | 昭和3年3月号 | 15 | ||
映画儲けか、裏話 | 『週刊朝日』 | 昭和3年3月 | 21 | ||
映画界虚々実録 | 『大阪朝日新聞』 | 昭和3年3月 | 21 | ||
月形の独立─映街漫歩の3 | 『映画時代』 | 昭和3年3月号 | 21 | ||
就中プロ文学は | 『不同調』 | 昭和3年3月号 | 未 | ||
映画愚談銷夏 | 『週刊朝日』 | 昭和3年4月 | 21 | ||
月形に対するマキノの暴状─映街漫歩の4 | 『映画時代』 | 昭和3年4月号 | 21 | ||
時運来る─映街漫歩の5 | 『映画時代』 | 昭和3年6月号 | 21 | ||
機運動く | 『映画と演芸』 | 昭和3年6月号 | 未 | ||
文壇棋術行脚 | 『週刊朝日』 | 昭和3年7月 | 21 | ||
小路が拓けた | 『映画時代』 | 昭和3年7月号 | 21 | ||
映画人、映画国 | 『映画時代』 | 昭和3年7月号~12月号 | 21 | ||
剣法の発達 | 『文藝春秋』 | 昭和3年9月号、12月号 | 15 | ||
争は法廷に | 『映画時代』 | 昭和3年9月号 | 21 | ||
いろはろうとへ | 『映画と演芸』 | 昭和3年9月号 | 未 | ||
金がなくてよかった話 | 不明 | 昭和3年11月 | 未 |
昭和4年(1929年)──
映界去来 | 『映画時代』 | 昭和4年1月号 | 21 | ||
『蒼弓を仰ぐ』を書きつつ | 『北海タイムス』 | 昭和4年1月27日 | 未 | ||
金儲けの秘伝 | 『サンデー毎日』 | 昭和4年6月 | 14 | ||
旅 | 『文藝春秋』 | 昭和4年9月号 | 15 | ||
剣法の起源 | 『改造』 | 昭和4年9月号 | 15 | ||
必ずしも | 『映画時代』 | 昭和4年10月号 | 21 | ||
探偵小説と其作品 | 『読売新聞』 | 昭和4年10月29日 | 21 | ||
検閲問題雑爼 | 『週刊朝日』 | 昭和4年11月 | 14 | ||
屈辱の売文─講談社との絶縁 | 『文藝春秋』 | 昭和4年11月号 | 15 | ||
見るのでない拝見だ | 『読売新聞』 | 昭和4年11月10日~12日 | 14 | ||
地上より安全 | 『夕刊大阪』 | 昭和4年12月 | 14 |
昭和5年(1930年)──
日本映画を斬殺す | 『改造』 | 昭和5年1月号 | 15 | ||
碁論、愚論 | 『文藝春秋』 | 昭和5年1月号 | 15 | ||
宮本武蔵の強さ | 『週刊朝日』 | 昭和5年1月 | 15 | ||
木谷実か呉清源か? | 『文藝春秋』 | 昭和5年1月号 | 15? | ||
代議士になるなら | 『大阪朝日新聞』 | 昭和5年1月24日 | 21 | ||
維新剣客の強さ | 『週刊朝日』 | 昭和5年4月 | 未 | ||
競馬 | 『大阪毎日新聞』 | 昭和5年4月16日 | 21 | ||
原作料、良介、正次 | 『映画時代』 | 昭和5年5月号 | 21 | ||
吾々の雑誌 | 『文藝春秋』 | 昭和5年5月号 | 未 | ||
挙兵前の大塩平八郎 | 『文藝春秋』 | 昭和5年7月号 | 14 | ||
何うだ、何うだ | 『映画時代』 | 昭和5年7月号 | 未 | ||
納税への不満 | 『文藝春秋』 | 昭和5年10月号 | 15 | ||
大衆文芸への批評 | 『文藝春秋』 | 昭和5年10月号 | 21 |
昭和6年(1931年)──
囲碁のこと | 『文藝春秋』 | 昭和6年1月号 | 14 | ||
大衆文学作家総評 | 『改造』 | 昭和6年1月号 | 15 | ||
見ない「南国太平記」 | 『大阪朝日新聞』 | 昭和6年1月 | 21 | ||
銀座縦横記 | 『改造』 | 昭和6年5月号 | 14 | ||
人の事、自分の事 | 『朝日新聞』(大阪・東京) | 昭和6年5月 | 15 | ||
キングへ書く | 『文藝春秋』 | 昭和6年5月号 | 15 | ||
東京を呆れる | 不明 | 昭和6年5月 | 21 | ||
倶楽部とメムバー | 『文藝春秋』 | 昭和6年5月号 | 未 | ||
日本モナコ設計図 | 『改造』 | 昭和6年8月号 | 14 | ||
「南国太平記」を終りて | 『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』 | 昭和6年10月 | 14 | ||
貴族的な大佛君 | 『文藝春秋』 | 昭和6年10月号 | 14 | ||
満州見聞 | 『中央公論』 | 昭和6年10月号 | 14 | ||
休憩と休載 | 『文藝春秋』 | 昭和6年10月号 | 21 | ||
大阪で想ふ | 『大阪毎日新聞』 | 昭和6年11月 | 14 | ||
大衆文学の弁─正宗白鳥氏に答ふ | 『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』 | 昭和6年11月 | 15 | ||
現代芸者論 | 『中央公論』 | 昭和6年12月号 | 15 |
昭和7年(1932年)──
大衆文芸作法 | 文藝春秋社刊『新文芸思想講座』 | 昭和7年刊 | 21 | ||
日本一の剣客は誰か? | 『キング』 | 昭和7年1月号 | 14 | ||
顔 | 『婦人公論』 | 昭和7年1月号 | 14 | ||
何のための監督局 | 『文藝春秋』 | 昭和7年1月号 | 14 | ||
炉辺剣談 | 『サンデー毎日』 | 昭和7年1月 | 14 | ||
観戦 | 『読売新聞』 | 昭和7年1月 | 14 | ||
文芸時評 | 『読売新聞』 | 昭和7年1月 | 14 | ||
今年こそ是非行って見たいところ | 『行楽』 | 昭和7年1月号 | 21 | ||
大衆文学の動向 | 『新潮』 | 昭和7年1月号 | 21 | ||
私の顔よ | 『サンデー毎日』 | 昭和7年1月 | 未 | ||
続東向きの窓 | 『国民新聞』 | 昭和7年1月2日 | 21 | ||
三月号雑誌展望 | 『読売新聞』 | 昭和7年2月 | 14 | ||
「結婚解消」是か非か?─彼女の態度や悪し | 『サンデー毎日』 | 昭和7年2月 | 「鳥潟博士令嬢の結婚解消是非」に改題? | 14 | |
ゴシップに答ふ | 『読売新聞』 | 昭和7年2月 | 未 | ||
読者層の問題 | 『読売新聞』 | 昭和7年3月 | 14 | ||
ファシストチャンチャン征伐─新作落語 | 『文藝春秋』 | 昭和7年3月号 | 14 | ||
貧乏一期二期三期─わが落魄の記 | 『婦人公論』 | 昭和7年3月号 | 15 | ||
剣道及剣客 | 『報知新聞』 | 昭和7年3月8日~5月20日 | 未 | ||
上海へ行くから「日本の戦慄」休載に就て | 『文藝春秋』 | 昭和7年4月号 | 14 | ||
上海雑事 | 『東京朝日新聞』 | 昭和7年6月 | 14 | ||
上海と戦争 | 『時事新報』 | 昭和7年6月 | 14 | ||
和製のファッショとは | 『夕刊大阪』 | 昭和7年6月 | 14? | ||
仙台萩の真相 | 『文藝春秋』 | 昭和7年7月号 | 14 | ||
胸襟を開く | 『読売新聞』 | 昭和7年8月 | 未 | ||
芸術的立場より見た歌舞伎の将来 | 『東京日日新聞』 | 昭和7年9月 | 21 | ||
書物に見た日米作戦に就て | 『サンデー毎日』 | 昭和7年10月 | 14 | ||
大衆文学を辻斬る | 『時事新報』 | 昭和7年10月 | 15 | ||
人の事、己の事 | 『改造』 | 昭和7年11月号 | 14 | ||
大衆文学の定規 | 『新潮』 | 昭和7年11月号 | 14 | ||
上泉信綱と宮本武蔵 | 『文藝春秋』 | 昭和7年11月号 | 15 | ||
続大衆文学を辻斬る | 『時事新報』 | 昭和7年12月 | 21 |
昭和8年(1933年)──
史話二三 | 『報知新聞』 | 昭和8年1月 | 14 | ||
返答その他 | 『文藝春秋』 | 昭和8年1月号 | 14 | ||
一年、十年、其他 | 『改造』 | 昭和8年1月号 | 14 | ||
大衆文学の本質 | 改造社刊『日本文学講座』 | 昭和8年1月刊 | 21 | ||
僕も応じるつもり | 『東京朝日新聞』 | 昭和8年1月 | 未 | ||
武勇伝雑話 | 『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』 | 昭和8年1月14日~21日 | 15 | ||
自分の臓腑は自分でも分らぬ | 『読売新聞』 | 昭和8年2月 | 14 | ||
川端康成君に | 『文藝春秋』 | 昭和8年2月号 | 21 | ||
落合三郎君に与ふ | 『時事新報』 | 昭和8年2月 | 21 | ||
上泉信綱 | 『文藝春秋』 | 昭和8年2、3月号 | 14 | ||
生活と芸術との問題 | 『文芸首都』 | 昭和8年3月号 | 14 | ||
文芸時評(削除は不快その他) | 『東京朝日新聞』 | 昭和8年3月 | 14 | ||
果物地獄 | 『新青年』 | 昭和8年3月号 | 15 | ||
愛国的といふこと | 『文藝春秋』 | 昭和8年3月号 | 21 | ||
遊侠伝損得 | 『サンデー毎日』 | 昭和8年3月 | 未 | ||
大衆・作家・雑誌 | 『改造』 | 昭和8年4月号 | 14 | ||
新領土の開拓 | 『文芸首都』 | 昭和8年4月号 | 14 | ||
私の友人名簿 | 『モダン日本』 | 昭和8年5月号~8月号 | 21 | ||
新聞小説三論 | 『報知新聞』 | 昭和8年6月 | 21 | ||
文芸時評(七月の小説其の他) | 『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』 | 昭和8年6月 | 21 | ||
大衆文学落穂集 | 『読売新聞』 | 昭和8年7月 | 14 | ||
若し神風吹かざりせば | 『雄弁』 | 昭和8年7月号 | 14 | ||
税金・著作権 | 『東京朝日新聞』 | 昭和8年7月 | 14 | ||
僕が女だったら | 『婦人公論』 | 昭和8年8月号 | 15 | ||
税務署のやり方 | 『文藝春秋』 | 昭和8年8月号 | 15 | ||
再び税のこと | 『文藝春秋』 | 昭和8年9月号 | 15 | ||
直木益々貧乏の事 | 『オール讀物』 | 昭和8年9月号 | 15 | ||
死までを語る | 『話』 | 昭和8年9月号~昭和9年3月号 | 8 | ||
憐憫を催す | 『文藝』 | 昭和8年10月号 | 14 | ||
昭和の大棋戦観戦記 | 『読売新聞』 | 昭和8年11月 | 14 | ||
石田三成 | 『文藝春秋』 | 昭和8年12月号 | 14 | ||
遊侠物に就て | 『文藝』 | 昭和8年12月号 | 14 |
昭和9年(1934年)──
近事悲憤の事 | 『中央公論』 | 昭和9年1月号 | 14 | ||
戦争の不思議 | 『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』 | 昭和9年1月 | 14 | ||
広津に競作を提案する | 『文藝』 | 昭和9年1月号 | 21 | ||
文学と政治との接触 | 『読売新聞』 | 昭和9年1月 | 21 | ||
日曜夕話 | 『報知新聞』 | 昭和9年2月 | 14 | ||
税金問題の終末 | 『文藝春秋』 | 昭和9年3月号 | 未 | ||
塚原卜伝 | 『文藝春秋』 | 昭和9年4月号 | 未 | ||
歴史小説に就いて | 『東京朝日新聞』 | 昭和9年5月 | 遺稿 | 未 | |
全盛の我等 | 『話』 | 昭和9年5月号 | 遺稿 | 未 | |
生活・収入・支出 | 『実話雑誌』 | 遺稿 | 21 |
以下、初出誌不明
「日本の戦慄」休載に就て | 14 | ||||
アッパッパを見て感あり | 14 | ||||
イット | 14 | ||||
ゴシップの弁─佐藤春夫氏を主として | 14 | ||||
ゴシップ風の | 14 | ||||
横光利一 | 14 | ||||
何故に軍部の旗を擔ぐか? | 14 | ||||
科学小説に就て | 14 | ||||
回顧と近事 | 14 | ||||
簡牛氏の仕事 | 14 | ||||
貴下の思想と芸術との間に矛盾なきか豊島与志雄 | 14 | ||||
菊池寛全集 | 14 | ||||
久米正雄 | 14 | ||||
強い剣客 | 14 | ||||
近頃は | 14 | ||||
愚問賢答─徳永君に | 14 | ||||
軍部との会見 | 14 | ||||
剣道修業 | 14 | ||||
航空郵便の遅さ | 14 | ||||
荒木陸相との会見序論 | 14 | ||||
私のロボット硅君 | 14 | ||||
私の興味に就て | 14 | ||||
社会展望 | 14 | ||||
新年の感想 | 14 | ||||
昔の科学戦物語 | 14 | ||||
大衆文芸の歴史 | 14 | ||||
大大阪小唄 | 14 | ||||
痴言早々 | 14 | ||||
長谷川時雨が卅歳若かったら | 14 | ||||
通俗軽蔑の幣 | 14 | ||||
東向の窓 | 14 | ||||
答二三 | 14 | ||||
反射塔 | 14 | ||||
美人あちこち | 14 | ||||
文街散歩 | 14 | ||||
文学の地位と国家施設 | 14 | ||||
文学は生活を書くものだ | 14 | ||||
文芸家分類法案草稿 | 14 | ||||
文壇柳暗録 | 14 | ||||
平沼騏一郎男 | 14 | ||||
帽子 | 14 | ||||
遊〓論 | 14 | ||||
旅三、芸者三 | 14 | ||||
涙の始末 | 14 | ||||
插絵 | 14 | ||||
炬燵から | 14 | ||||
「鼠小僧」に就て | 15 | ||||
剣法雑話 | 15 | ||||
生活の打明け | 15 | ||||
俗悪文学退治 | 15 | ||||
続大阪を歩く | 15 | ||||
大阪を歩く | 15 | ||||
大衆文学の歩いた道─一九三二年 | 15 | ||||
大衆文学二三の俗論を駁す─猿芝居と犬芝居 | 15 | ||||
大大阪小唄 | 15 | ||||
叩きつぶすぞ | 15 | ||||
哲学乱酔 | 15 | ||||
貧乏解消論 | 15 | ||||
暮などなんだ | 15 | ||||
僕の秘密室 | 15 | ||||
キネマ界児戯に類す | 21 | ||||
チョコレート女優─夏川静江の話 | 21 | ||||
奇談ノート | 『アサヒグラフ』 | 21 | |||
欣一羨むべし | 『関西文芸』 | 21 | |||
喧嘩を買ふ | 21 | ||||
喧嘩を売る | 21 | ||||
書け、書け、書く | 21 | ||||
大楠公のえらさ | 『東日マガジン』 | 21 | |||
動静・華楚 | 21 | ||||
反感を買ふべき数項 | 『映画時代』 | 21 | |||
焚書への抗議を嗤ふ | 21 | ||||
編輯も又疲る? | 21 | ||||
万年筆 | 21 | ||||
李下に正す | 21 | ||||
立廻りいろいろ話 | 『演劇映画』 | 21 |