第35回

第34回第36回

令和3年/2021年度 令和4年/2022年5月16日決定発表／『小説新潮』令和4年/2022年7月号選評掲載

選考委員　 伊坂幸太郎 50歳 江國香織 58歳 荻原浩 65歳 今野敏 66歳 三浦しをん 45歳 選評総行数　 189 172 215 179 228 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 砂原浩太朗　『黛家の兄弟』 52歳 評 △ 26 ○ 49 △ 35 ◎ 37 □ 60 吉川トリコ　『余命一年、男をかう』 44歳 評 △ 45 ■ 29 ■ 34 ■ 31 △ 29 葉真中顕　『灼熱』 46歳 評 △ 39 ■ 29 ◎ 40 ■ 27 ■ 60 一穂ミチ　『砂嵐に星屑』 43歳 評 △ 39 ■ 34 △ 35 △ 21 ◎ 34 一條次郎　『チェレンコフの眠り』 48歳 評 ○ 36 □ 21 ■ 31 △ 25 △ 42           年齢の説明   見方・注意点

伊坂幸太郎50歳×各候補作

年齢の説明 見方・注意点

題第35回の選評　総行数189　（1行=19字） 候補 評価 行数 評言 砂原浩太朗 52歳 全 △ 26 「小説のたたずまいとしては派手さはありませんが、ストーリーはサービス精神に溢れていますし、このシリーズが読者にとっては大切なものになるのではないか、と前作で感じた思いを今回、さらに強くしました。」「今回の受賞で、ご自分の小説作法を信じ、書き進めていってもらえると嬉しいです。とはいえ、無責任な読者の我儘としましては、従来の時代小説の枠組みから外れた、仰天するような作品をいつか書いてもらえたら、という気持ちもあります。」 吉川トリコ 44歳 全 △ 45 「軽快なノリで書かれている前半部分よりも（僕が単に、こういったノリの文体が苦手なだけかもしれません）、後半の瀬名君のパートに入ってからのほうが読み応えがあり、ホストの瀬名君の背景に奥深さを感じました。」「ただ、選考会ではむしろ前半を評価する声が多く、この作品の美点や欠点は読み手によって変わるのかもしれない、とは感じました。」 葉真中顕 46歳 全 △ 39 「大作を読む喜びを味わわせてもらいました。」「「勝ち負け抗争」におけるさまざまな要素は、今の時代の、情報操作、偏向報道、「敵か味方かに分断される社会」といったものとそのまま重なり合いますから、「昔の話でありながらも、今まさに読まれるべきもの」であることに興奮を覚えずにいられません。」「ただ、「日本が戦争に負けたこと」を読者は知っているため、「勝ち組」「負け組」を同じトーンで描くよりは、「勝ったと信じている側」の心情や事情をもっと知りたかったという気持ちもあります。」 一穂ミチ 43歳 全 △ 39 「どの短編でも、主人公は何かを勝ち得るわけではなく、喪失感を抱えたままであるにもかかわらず、「いい話を読んだ」と満足感を覚える小説を書くのは難易度が高いと思います。僕自身は小説に、巧さ以上に、逸脱した面白さを求めてしまうため、物足りなさを感じてしまうのも事実ですが（それでも、この作品が受賞作であってもおかしくないと思いました）、非常に良質な小説であることは間違いありません。」 一條次郎 48歳 全 ○ 36 「「プラスチック」という言葉が頻出しますし、環境破壊に対する憂いや諦観じみたものを感じることはできるのですが、ただ、「環境破壊への抗議」「文明批判」と言い切れるほど分かりやすいものではなく、押しつけがましさが皆無であるところが、さらに素晴らしいと感じました。優れた文学作品は、「これは○○についての小説である」と言えるようなものではないと思っていますので、この作品は、（大衆小説を対象とした）本賞の候補作ではありながらも、優れた（純文学的な意味での）文学作品ではないかと思っています。」

他の選考委員 江國香織 荻原浩 今野敏 三浦しをん

江國香織58歳×各候補作

年齢の説明 見方・注意点

題技が光っていた　総行数172　（1行=19字） 候補 評価 行数 評言 砂原浩太朗 52歳 全 ○ 49 「端正な文章と上品さはそのままに、エンターテインメント性が前回の候補作から激しくアップしていて、豊かな読書体験をさせてもらえた。なにしろ、途中でびっくり、リーガル・サスペンスの側面もあるのだ。」「一人の人間にとっての命の軽さ（価値においてでは無論なく、いろいろな理由でいまよりもあっけなく潰えがちだったであろう命と、それが必然的に生んだはずの時間や外の世界への感覚）が、虫や鳥や花や空と響き合って小説を構成している。」 吉川トリコ 44歳 全 ■ 29 「文章に体力があり、観察眼のよさがあちこちに光っている。とくに前半はリーダビリティが高く、ぐいぐい引き込まれた。」「この小説で私がもっとも感銘を受けたのは、切実なことをドライに書く手腕で、そこにとても惹かれた。ただ、後半そのドライさが急に揺らぎ、やや甘くウェットになってしまったことが残念。」 葉真中顕 46歳 全 ■ 29 「前半の村の描写に作者の誠実さが感じられ、夜の暗さや畑のハッカの匂いまで漂ってくるようだった。のだけれど、史実をできるだけ正確に、できるだけたくさん伝えたいという意欲と、フィクションとしての完成度の追求、という二つのあいだでバランスを崩してしまった小説、というふうに私には見えた。前者のために後者がつくられたという印象が拭えず、十分おもしろかったのに（でもそれは史実のおもしろさである気がして）、推すことができなかった。」 一穂ミチ 43歳 全 ■ 34 「連作短編集で、隅々まで神経のいきとどいた書きぶりに目を瞠った。上手いなあと思う。」「普段わざわざ言葉にしない一瞬の感情をすくいあげる手際が鮮やかで、ああ、わかる、とか、そうそう、そうなのよ、とか、ついたくさん共感してしまう。そして、そこが私にとってちょっと物足りないところだった。共感させるのは技術だし、もちろん悪いことではないのだが、共感の先にあるもの、が見たかった。」 一條次郎 48歳 全 □ 21 「なんてチャーミングな一冊。今回、私は受賞作とこの作品とのあいだで、最後まで迷った。」「イメージの喚起力が豊かで、読んでいて、どこに連れて行かれるのかわからない愉しさがあった。」「ユーモアと詩情、皮肉と哀愁の漂う言語センスも魅力的だった。そして、なによりも、前提のない場所で小説を書こうとする（いわば、共感を求めない）姿勢に私は敬意を表する。」   「今年の候補作は佳品揃いだった。ので、選考は難航した。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 荻原浩 今野敏 三浦しをん

荻原浩65歳×各候補作

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題あわや五作同時受賞　総行数215　（1行=19字） 候補 評価 行数 評言 砂原浩太朗 52歳 全 △ 35 「文章のたたずまいがいい。情景描写もせりふも、凛として美しい。」「ただ、これも前回にも感じたことだが、江戸時代を描くというお約束に忠実すぎるように思えた。当時の人にだって、身分や家柄や性別や長幼で物事が決められてしまうことに、葛藤や反発があったはずで（たとえば、この小説であれば、新三郎の友だったのに家来になってしまった由利圭蔵の心情にいちばん共感できた）、家老の息子の主人公には見えていない周囲の人々の屈折なんかも、もっと砂原節で読んでみたかった。ないものねだりですけれど。」 吉川トリコ 44歳 全 ■ 34 「一ページ目を開いたとたん、ダムが決壊したように言葉が押し寄せてくる。文章によるマシンガントーク。凄い。」「話が進むにつれて、二人の関係性がどんなに物凄いことになるだろうと、期待しながらページをめくっていたのだが、後半に差しかかると、二人ともわりと真人間になって、話もうまいことまとまっていく。」「個人的にはもう少し驚かせて欲しかった。」 葉真中顕 46歳 全 ◎ 40 「せりふやストーリー展開の生硬さがときおり目についてしまった。でも、そうした細部には目をつぶってしまおう、と思わせる力作だ。」「「フェイクニュース」「陰謀論」「分断」などという言葉がキーワードになっているこの時代に（書いている時には作者は知る由もなかったろう、ロシア国内と、他の国々で流れる情報の違いに唖然とするいまこそ）、読まれるべき小説だと思う。」「私はこの『灼熱』が一推しだった。他の選考委員の評価もおおむね良好ではあったのだが、受賞には至らなかった。」 一穂ミチ 43歳 全 △ 35 「文章が巧い。特別な言葉を使っているわけではないのに、鋭くて強くてリズム感に富んでいる。それにひと役買っているのが、おそらく大阪弁だ。」「「良いものを読ませていただきました」と言うほかはなく、唯一の短編集だから、少しひいき目に評価する心づもりだったのだが、そんな必要もなかった。」「幽霊が出現しても淡々とストーリーが進んでしまうような、良くも悪くも漂っている「寓話感」みたいなトーンが、ひとクセもふたクセもあるツワモノぞろいの他の作品の中では、薄味に思えてしまったかもしれない。」 一條次郎 48歳 全 ■ 31 「とにかく密度が濃い。一行一行の文章が練りに練られた感がある。」「ただし、作者の創造する世界観やイメージの奔流について行けてるうちはいいけれど、ときどき意味不明だったり、ついて行ききれなかったりした。そこがいいのだ、ついてこれんほうが悪い、という感度の高い一條さんのファンも多いのだろうけれど、せっかくの優れた文章力、比喩力を、もっと万人に行使しても損はないと思う。」   「山本周五郎賞に現在、二作同時受賞はない。私が選考にかかわるようになったこの六年間でも、その規定に関して一度ならず揉めた。」「今回の選考会でも、同時受賞はどうなのか、という話が出た。だが、今回の場合、突出した二作があって、どちらかに決めかねた末に、というわけではなく、五つどもえというか、五作の候補それぞれが捨てがたく、どれもが落とすのにしのびない状況に陥ったのだ。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 江國香織 今野敏 三浦しをん

今野敏66歳×各候補作

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題「波乱の予感」　総行数179　（1行=19字） 候補 評価 行数 評言 砂原浩太朗 52歳 全 ◎ 37 「私は完全に脱帽だった。この作品を推そうと心に決めて選考会に臨んだ。」「花鳥風月をちりばめた、鮮やかな文体。その描写が物語の流れをまったく削いでいない。説明せずに読者にわからせるという技術が卓越している。特に会話が見事だ。」「全体として、凛とした武家のたたずまいを感じ、読後感も実にすがすがしい。ああ、いい小説を読んだなと、しばらく幸福感が続いた。」 吉川トリコ 44歳 全 ■ 31 「世の中を斜に構えて見ている主人公の本音にはうなずくことも多かった。正体のない怒りにも共感できる。ところが、後半、視点が瀬名という男性に変わると、集中力というか緊張感が失われたように感じられた。前半の女性のものに比べて、男性の心情に実感を持てなかったからだろうか。」「救急車沙汰一発で、物語は解決に向かう。それでいいのかという思いはあった。」「おそらく、前半のテンションと結末の軽妙さのバランスが取れていないのではないだろうか。ともあれ、読後感はよかった。」 葉真中顕 46歳 全 ■ 27 「間違いなく力作なのだが、読後に少々アンバランスな印象が残り、それが残念だった。ブラジル移民の歴史の大きさと、物語のエピソードの小ささがアンバランスなのだろう。」「老婆へのインタビューのページが何のためにあるのか、最後まで理解できなかった。この場面で歴史などの説明があるのだが、それは物語を読めば理解できるので、まったく必要なかった。」「大作を書くと気負ってしまうのは、とてもよく理解できる。ただ、それを読者に感じさせてはいけない。」 一穂ミチ 43歳 全 △ 21 「会話のうまさは抜群だ。いわゆる「ボケとツッコミ」があり、そうかと思うと意外な外し方で、ドキリとさせてくれる。」「どのエピソードも、軽い話かと思って読み進めると、意外とずっしりとしたテーマを含んでいてしみじみとしてしまう。」「人の心の機微を描くという点では、この作品が一番だったのではないか。受賞作に推した選考委員もいた。ただ、連作短編集は、気合いの入った長編と比較するとどうしても力負けしてしまう。それが残念だ。」 一條次郎 48歳 全 △ 25 「何人かの選考委員はこの作品を推していた。私もとてもよい作品だと思う。」「きわめて意味の深い単語が、随所にちりばめられている。それにこだわっても、またうっかり読み過ごしても、あるいは無視しても、この物語はしっかりと成立してくれる。」「ただ、環境問題に対する意識が、素で垣間見えるのが、ちょっとだけ興ざめという感があった。」「こうした不思議な味わいの小説は、なかなか書けるものではない。」   「選考会は長時間にわたった。選考委員が今の顔ぶれになってから一番時間もかかったし、意見も割れた。それでも、ちゃんと結論が出たのだから、選考委員はみんな大人だなあと感心した。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 江國香織 荻原浩 三浦しをん

三浦しをん45歳×各候補作

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題第35回の選評　総行数228　（1行=19字） 候補 評価 行数 評言 砂原浩太朗 52歳 全 □ 60 「受賞に全面的に賛同した。」「とにかく文章が端整で時代小説の醍醐味がてんこ盛り。」「どうして一番には推さなかったかというと、女性の描きかたに少々引っかかりを覚えたからだ。たとえば、主人公の妻・りくは、女中だったすぎが、かつて栄之丞（りくの片思い相手、主人公の兄）とつきあっていたことを知っているのだろうか？　知らない（気づいていない）とすれば、りくはかなりぼんやりした女だなと思うし、そんなりくと何食わぬ顔で親しくしてるすぎは、相当やな女だと思う。」 吉川トリコ 44歳 全 △ 29 「「なるほど、いわゆる『余命物』映画の良質なパロディになっているんだな」と膝を打った。軽快かつユーモアにあふれた文章に導かれ、ぐいぐい読み進める。」「家族や同僚とのかかわりなども描きかたが素晴らしく（生山課長の小物感といったら！）、世の中に「脇役」など一人もいないのだと、私は本作を通して改めて実感することができた。」 葉真中顕 46歳 全 ■ 60 「作中で大変な事態がさまざまに起きるわりには、小説としての盛りあがりにやや欠ける気がする。ブラジル移民社会で実際にあった「勝ち負け抗争」という史実を扱っているがゆえ、安易に盛りあげるのを避けた、作者の誠実さゆえだとは思う。だが、「構成」と「主要登場人物の対比」という二点に関し、一考の余地があるようにも感じた。」「とはいえ（引用者中略）超骨太の小説なのはまちがいなく、作者の情熱と胆力にシャッポを脱いだ。」 一穂ミチ 43歳 全 ◎ 34 「私は『砂嵐に星屑』を推した。大阪のテレビ局を舞台に、ひとの心の機微が繊細かつユーモアをもって丁寧に描きだされ、胸に迫るものがあったからだ。」「時代設定が周到に練られており、格差や報道の意義やマイノリティの生きづらさといった社会の重要課題がさりげなく織りこまれた、視野が広い小説だと私は思う。むろん、その重要課題も、「いま世間で話題になっているから」ではなく、登場人物（および作者）の切実な思いに裏打ちされて織りこまれているのであり、だからこそ本作は生き生きときらめいている。」 一條次郎 48歳 全 △ 42 「本作はもう、我々読者がどうこう口を挟むような次元を超えて、唯一無二の確固とした世界を現出させており、それをひたすら堪能する喜びに浸ればいいと思う。しかし野暮を承知で、気になるところを強いて挙げるとすれば、人称視点の問題だ。基本的に三人称で語られているが、随所に若干のブレがある」   「今回は特に、各作品の内容やテイストがバラエティに富んでいた感があり、議論を重ねた。」

他の選考委員 伊坂幸太郎 江國香織 荻原浩 今野敏

砂原浩太朗52歳×各選考委員　 『黛家の兄弟』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 50歳 全 △ 26 「小説のたたずまいとしては派手さはありませんが、ストーリーはサービス精神に溢れていますし、このシリーズが読者にとっては大切なものになるのではないか、と前作で感じた思いを今回、さらに強くしました。」「今回の受賞で、ご自分の小説作法を信じ、書き進めていってもらえると嬉しいです。とはいえ、無責任な読者の我儘としましては、従来の時代小説の枠組みから外れた、仰天するような作品をいつか書いてもらえたら、という気持ちもあります。」 江國香織 58歳 全 ○ 49 「端正な文章と上品さはそのままに、エンターテインメント性が前回の候補作から激しくアップしていて、豊かな読書体験をさせてもらえた。なにしろ、途中でびっくり、リーガル・サスペンスの側面もあるのだ。」「一人の人間にとっての命の軽さ（価値においてでは無論なく、いろいろな理由でいまよりもあっけなく潰えがちだったであろう命と、それが必然的に生んだはずの時間や外の世界への感覚）が、虫や鳥や花や空と響き合って小説を構成している。」 荻原浩 65歳 全 △ 35 「文章のたたずまいがいい。情景描写もせりふも、凛として美しい。」「ただ、これも前回にも感じたことだが、江戸時代を描くというお約束に忠実すぎるように思えた。当時の人にだって、身分や家柄や性別や長幼で物事が決められてしまうことに、葛藤や反発があったはずで（たとえば、この小説であれば、新三郎の友だったのに家来になってしまった由利圭蔵の心情にいちばん共感できた）、家老の息子の主人公には見えていない周囲の人々の屈折なんかも、もっと砂原節で読んでみたかった。ないものねだりですけれど。」 今野敏 66歳 全 ◎ 37 「私は完全に脱帽だった。この作品を推そうと心に決めて選考会に臨んだ。」「花鳥風月をちりばめた、鮮やかな文体。その描写が物語の流れをまったく削いでいない。説明せずに読者にわからせるという技術が卓越している。特に会話が見事だ。」「全体として、凛とした武家のたたずまいを感じ、読後感も実にすがすがしい。ああ、いい小説を読んだなと、しばらく幸福感が続いた。」 三浦しをん 45歳 全 □ 60 「受賞に全面的に賛同した。」「とにかく文章が端整で時代小説の醍醐味がてんこ盛り。」「どうして一番には推さなかったかというと、女性の描きかたに少々引っかかりを覚えたからだ。たとえば、主人公の妻・りくは、女中だったすぎが、かつて栄之丞（りくの片思い相手、主人公の兄）とつきあっていたことを知っているのだろうか？　知らない（気づいていない）とすれば、りくはかなりぼんやりした女だなと思うし、そんなりくと何食わぬ顔で親しくしてるすぎは、相当やな女だと思う。」

他の候補作 吉川トリコ 『余命一年、男をかう』 葉真中顕 『灼熱』 一穂ミチ 『砂嵐に星屑』 一條次郎 『チェレンコフの眠り』

吉川トリコ44歳×各選考委員　 『余命一年、男をかう』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 50歳 全 △ 45 「軽快なノリで書かれている前半部分よりも（僕が単に、こういったノリの文体が苦手なだけかもしれません）、後半の瀬名君のパートに入ってからのほうが読み応えがあり、ホストの瀬名君の背景に奥深さを感じました。」「ただ、選考会ではむしろ前半を評価する声が多く、この作品の美点や欠点は読み手によって変わるのかもしれない、とは感じました。」 江國香織 58歳 全 ■ 29 「文章に体力があり、観察眼のよさがあちこちに光っている。とくに前半はリーダビリティが高く、ぐいぐい引き込まれた。」「この小説で私がもっとも感銘を受けたのは、切実なことをドライに書く手腕で、そこにとても惹かれた。ただ、後半そのドライさが急に揺らぎ、やや甘くウェットになってしまったことが残念。」 荻原浩 65歳 全 ■ 34 「一ページ目を開いたとたん、ダムが決壊したように言葉が押し寄せてくる。文章によるマシンガントーク。凄い。」「話が進むにつれて、二人の関係性がどんなに物凄いことになるだろうと、期待しながらページをめくっていたのだが、後半に差しかかると、二人ともわりと真人間になって、話もうまいことまとまっていく。」「個人的にはもう少し驚かせて欲しかった。」 今野敏 66歳 全 ■ 31 「世の中を斜に構えて見ている主人公の本音にはうなずくことも多かった。正体のない怒りにも共感できる。ところが、後半、視点が瀬名という男性に変わると、集中力というか緊張感が失われたように感じられた。前半の女性のものに比べて、男性の心情に実感を持てなかったからだろうか。」「救急車沙汰一発で、物語は解決に向かう。それでいいのかという思いはあった。」「おそらく、前半のテンションと結末の軽妙さのバランスが取れていないのではないだろうか。ともあれ、読後感はよかった。」 三浦しをん 45歳 全 △ 29 「「なるほど、いわゆる『余命物』映画の良質なパロディになっているんだな」と膝を打った。軽快かつユーモアにあふれた文章に導かれ、ぐいぐい読み進める。」「家族や同僚とのかかわりなども描きかたが素晴らしく（生山課長の小物感といったら！）、世の中に「脇役」など一人もいないのだと、私は本作を通して改めて実感することができた。」

他の候補作 砂原浩太朗 『黛家の兄弟』 葉真中顕 『灼熱』 一穂ミチ 『砂嵐に星屑』 一條次郎 『チェレンコフの眠り』

葉真中顕46歳×各選考委員　 『灼熱』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 50歳 全 △ 39 「大作を読む喜びを味わわせてもらいました。」「「勝ち負け抗争」におけるさまざまな要素は、今の時代の、情報操作、偏向報道、「敵か味方かに分断される社会」といったものとそのまま重なり合いますから、「昔の話でありながらも、今まさに読まれるべきもの」であることに興奮を覚えずにいられません。」「ただ、「日本が戦争に負けたこと」を読者は知っているため、「勝ち組」「負け組」を同じトーンで描くよりは、「勝ったと信じている側」の心情や事情をもっと知りたかったという気持ちもあります。」 江國香織 58歳 全 ■ 29 「前半の村の描写に作者の誠実さが感じられ、夜の暗さや畑のハッカの匂いまで漂ってくるようだった。のだけれど、史実をできるだけ正確に、できるだけたくさん伝えたいという意欲と、フィクションとしての完成度の追求、という二つのあいだでバランスを崩してしまった小説、というふうに私には見えた。前者のために後者がつくられたという印象が拭えず、十分おもしろかったのに（でもそれは史実のおもしろさである気がして）、推すことができなかった。」 荻原浩 65歳 全 ◎ 40 「せりふやストーリー展開の生硬さがときおり目についてしまった。でも、そうした細部には目をつぶってしまおう、と思わせる力作だ。」「「フェイクニュース」「陰謀論」「分断」などという言葉がキーワードになっているこの時代に（書いている時には作者は知る由もなかったろう、ロシア国内と、他の国々で流れる情報の違いに唖然とするいまこそ）、読まれるべき小説だと思う。」「私はこの『灼熱』が一推しだった。他の選考委員の評価もおおむね良好ではあったのだが、受賞には至らなかった。」 今野敏 66歳 全 ■ 27 「間違いなく力作なのだが、読後に少々アンバランスな印象が残り、それが残念だった。ブラジル移民の歴史の大きさと、物語のエピソードの小ささがアンバランスなのだろう。」「老婆へのインタビューのページが何のためにあるのか、最後まで理解できなかった。この場面で歴史などの説明があるのだが、それは物語を読めば理解できるので、まったく必要なかった。」「大作を書くと気負ってしまうのは、とてもよく理解できる。ただ、それを読者に感じさせてはいけない。」 三浦しをん 45歳 全 ■ 60 「作中で大変な事態がさまざまに起きるわりには、小説としての盛りあがりにやや欠ける気がする。ブラジル移民社会で実際にあった「勝ち負け抗争」という史実を扱っているがゆえ、安易に盛りあげるのを避けた、作者の誠実さゆえだとは思う。だが、「構成」と「主要登場人物の対比」という二点に関し、一考の余地があるようにも感じた。」「とはいえ（引用者中略）超骨太の小説なのはまちがいなく、作者の情熱と胆力にシャッポを脱いだ。」

他の候補作 砂原浩太朗 『黛家の兄弟』 吉川トリコ 『余命一年、男をかう』 一穂ミチ 『砂嵐に星屑』 一條次郎 『チェレンコフの眠り』

一穂ミチ43歳×各選考委員　 『砂嵐に星屑』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 50歳 全 △ 39 「どの短編でも、主人公は何かを勝ち得るわけではなく、喪失感を抱えたままであるにもかかわらず、「いい話を読んだ」と満足感を覚える小説を書くのは難易度が高いと思います。僕自身は小説に、巧さ以上に、逸脱した面白さを求めてしまうため、物足りなさを感じてしまうのも事実ですが（それでも、この作品が受賞作であってもおかしくないと思いました）、非常に良質な小説であることは間違いありません。」 江國香織 58歳 全 ■ 34 「連作短編集で、隅々まで神経のいきとどいた書きぶりに目を瞠った。上手いなあと思う。」「普段わざわざ言葉にしない一瞬の感情をすくいあげる手際が鮮やかで、ああ、わかる、とか、そうそう、そうなのよ、とか、ついたくさん共感してしまう。そして、そこが私にとってちょっと物足りないところだった。共感させるのは技術だし、もちろん悪いことではないのだが、共感の先にあるもの、が見たかった。」 荻原浩 65歳 全 △ 35 「文章が巧い。特別な言葉を使っているわけではないのに、鋭くて強くてリズム感に富んでいる。それにひと役買っているのが、おそらく大阪弁だ。」「「良いものを読ませていただきました」と言うほかはなく、唯一の短編集だから、少しひいき目に評価する心づもりだったのだが、そんな必要もなかった。」「幽霊が出現しても淡々とストーリーが進んでしまうような、良くも悪くも漂っている「寓話感」みたいなトーンが、ひとクセもふたクセもあるツワモノぞろいの他の作品の中では、薄味に思えてしまったかもしれない。」 今野敏 66歳 全 △ 21 「会話のうまさは抜群だ。いわゆる「ボケとツッコミ」があり、そうかと思うと意外な外し方で、ドキリとさせてくれる。」「どのエピソードも、軽い話かと思って読み進めると、意外とずっしりとしたテーマを含んでいてしみじみとしてしまう。」「人の心の機微を描くという点では、この作品が一番だったのではないか。受賞作に推した選考委員もいた。ただ、連作短編集は、気合いの入った長編と比較するとどうしても力負けしてしまう。それが残念だ。」 三浦しをん 45歳 全 ◎ 34 「私は『砂嵐に星屑』を推した。大阪のテレビ局を舞台に、ひとの心の機微が繊細かつユーモアをもって丁寧に描きだされ、胸に迫るものがあったからだ。」「時代設定が周到に練られており、格差や報道の意義やマイノリティの生きづらさといった社会の重要課題がさりげなく織りこまれた、視野が広い小説だと私は思う。むろん、その重要課題も、「いま世間で話題になっているから」ではなく、登場人物（および作者）の切実な思いに裏打ちされて織りこまれているのであり、だからこそ本作は生き生きときらめいている。」

他の候補作 砂原浩太朗 『黛家の兄弟』 吉川トリコ 『余命一年、男をかう』 葉真中顕 『灼熱』 一條次郎 『チェレンコフの眠り』

一條次郎48歳×各選考委員　 『チェレンコフの眠り』

年齢の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 伊坂幸太郎 50歳 全 ○ 36 「「プラスチック」という言葉が頻出しますし、環境破壊に対する憂いや諦観じみたものを感じることはできるのですが、ただ、「環境破壊への抗議」「文明批判」と言い切れるほど分かりやすいものではなく、押しつけがましさが皆無であるところが、さらに素晴らしいと感じました。優れた文学作品は、「これは○○についての小説である」と言えるようなものではないと思っていますので、この作品は、（大衆小説を対象とした）本賞の候補作ではありながらも、優れた（純文学的な意味での）文学作品ではないかと思っています。」 江國香織 58歳 全 □ 21 「なんてチャーミングな一冊。今回、私は受賞作とこの作品とのあいだで、最後まで迷った。」「イメージの喚起力が豊かで、読んでいて、どこに連れて行かれるのかわからない愉しさがあった。」「ユーモアと詩情、皮肉と哀愁の漂う言語センスも魅力的だった。そして、なによりも、前提のない場所で小説を書こうとする（いわば、共感を求めない）姿勢に私は敬意を表する。」 荻原浩 65歳 全 ■ 31 「とにかく密度が濃い。一行一行の文章が練りに練られた感がある。」「ただし、作者の創造する世界観やイメージの奔流について行けてるうちはいいけれど、ときどき意味不明だったり、ついて行ききれなかったりした。そこがいいのだ、ついてこれんほうが悪い、という感度の高い一條さんのファンも多いのだろうけれど、せっかくの優れた文章力、比喩力を、もっと万人に行使しても損はないと思う。」 今野敏 66歳 全 △ 25 「何人かの選考委員はこの作品を推していた。私もとてもよい作品だと思う。」「きわめて意味の深い単語が、随所にちりばめられている。それにこだわっても、またうっかり読み過ごしても、あるいは無視しても、この物語はしっかりと成立してくれる。」「ただ、環境問題に対する意識が、素で垣間見えるのが、ちょっとだけ興ざめという感があった。」「こうした不思議な味わいの小説は、なかなか書けるものではない。」 三浦しをん 45歳 全 △ 42 「本作はもう、我々読者がどうこう口を挟むような次元を超えて、唯一無二の確固とした世界を現出させており、それをひたすら堪能する喜びに浸ればいいと思う。しかし野暮を承知で、気になるところを強いて挙げるとすれば、人称視点の問題だ。基本的に三人称で語られているが、随所に若干のブレがある」

他の候補作 砂原浩太朗 『黛家の兄弟』 吉川トリコ 『余命一年、男をかう』 葉真中顕 『灼熱』 一穂ミチ 『砂嵐に星屑』