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生没年月日【注】 | 明治31年/1898年3月17日~昭和22年/1947年12月30日 | |
在任期間 | 第1回~第20回(通算10年・20回) | |
在任年齢 | 37歳3ヶ月~46歳9ヶ月 | |
経歴 | 福島県生まれ。早稲田大学中退。 菊池寛を知り、大正12年/1923年『文藝春秋』創刊から編集同人となる。 同年「日輪」「蠅」を発表。翌年の「頭ならびに腹」は“新感覚派”と呼ばれた。 代表作に「上海」「機械」「紋章」など。未完の作品に「旅愁」がある。 |
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受賞歴・候補歴 | ||
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個人全集 | 『横光利一全集』全10巻(昭和11年/1936年・非凡閣刊) 『横光利一全集』全23巻(昭和23年/1948年~昭和25年/1950年・改造社刊) 『定本横光利一全集』全16巻(昭和56年/1981年~昭和62年/1987年・河出書房新社刊) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 横光利一 42歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
白川渥 | 33歳 |
◎ | 6 | 「(引用者注:「祝といふ男」「鶏」と共に)最後まで「源内」に迫ったが、「崖」は現在のところ、発表不可能という材料の不運のために落ちた。この作は今までの芥川賞授賞作品のうち、最も良いものの一つと並び、さまで遜色のない重量を備えたものと思った。」 |
牛島春子 | 27歳 |
○ | 6 | 「(引用者注:「崖」「鶏」と共に)最後まで「源内」に迫った」「荒々しい描写力に新鮮鋭敏な健康さがあり、芸を無視しているところに満洲という土地に相応しい強さを感じた。」 |
44歳 |
△ | 9 | 「材料の験べに適当な現代人の批評力もあり、描写力もあり、文章に格調もあって授賞作の品格を充分持った作品と思う。ただ私一個人の見解として、現代物に優秀な作品のあるときは、歴史物を第二とすべきであると主張している関係上、私は現代物の方を推賞した。」 | |
「この度びは(引用者中略)優れた作の多かったのは、頼母しい現象だと思った。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和16年/1941年3月号) |