生没年月日【注】 | 大正14年/1925年1月14日~昭和45年/1970年11月25日 | |
在任期間 | 第55回~第63回(通算4.5年・9回) | |
在任年齢 | 41歳5ヶ月~45歳5ヶ月 | |
経歴 | 本名=平岡公威(ヒラオカ・キミタケ)。東京市四谷区生まれ。東京大学法学部卒。学習院中等科在学中より創作を始め、大学在学中に『花ざかりの森』出版。卒業後、昭和22年/1947年に大蔵省事務官に任官するが、翌年退職。創作に専念し、昭和24年/1949年『仮面の告白』で注目を浴びる。その後、『潮騒』『金閣寺』『美徳のよろめき』『豊饒の海』などの小説や戯曲を次々に発表。昭和45年/1970年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に籠城、割腹自殺にて死去。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『三島由紀夫全集』全35巻・補巻1(昭和48年/1973年4月~昭和51年/1976年6月・新潮社刊) 『三島由紀夫全集』全42巻・別巻・補巻(平成12年/2000年11月~平成18年/2006年4月・新潮社刊) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 三島由紀夫 42歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
阪田寛夫 | 41歳 |
○ | 8 | 「いい作品だった。」「巧みな構成であり、古風なハイカラな銅版画的な味のある作品だ。」 |
山崎柳子 | 43歳 |
○ | 9 | 「いい作品だった。」「ラストの二行に感心した。」「この小説の終ったところから、本当の三角関係がはじまるわけだ。このさりげない暗示が、作品の奥行を増していると思う。」 |
23歳 |
△ | 16 | 「当選作として推したわけではないが、この授賞に積極的に反対ではなかった。男性的ないい文章であり、いい作品である。」「人物のデッサンもたしかなら、妻の無感動もいいし、ラストの感懐もさりげなく出ている。」「しかし二十三歳という作者の年齢を考えると、あんまり落着きすぎ、節度がありすぎ、若々しい過剰なイヤらしいものが少なすぎるのが気にならぬではない。そして一面、悪い意味の「してやったり」という若気も出ている。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和42年/1967年3月号) |
選考委員 三島由紀夫 43歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
34歳 |
○ | 25 | 「授賞については、全く賛成である。」「私はこれと佐江衆一氏の「風」のどちらかと思っていた」「あくまで典型的日本人の心理を一歩も逸脱せぬ物語の、実に平板な進行に、何のことかわからずに読んでいるうち、第三章の柿の木に至って、忽ち真のテーマがあらわれ、(引用者中略)目にもとまらぬ早さで、作者の言わんとするところが象徴的に結晶する。」「(引用者注:文体に)自然の流露感や内的必然性がなく、若隠居みたいな気取りの見えるのが残念である。」 | |
佐江衆一 | 34歳 |
○ | 10 | 「古風なドイツ風な静かな小説で、文章は(引用者注:「徳山道助の帰郷」より)このほうがよいと思った。」「このごろはこういう作品に接することが少ないので、久々で、演奏が素人っぽくても気品のある室内楽をきいた感じがする。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和43年/1968年3月号) |
選考委員 三島由紀夫 43歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
42歳 |
◎ | 8 | 「(引用者注:最後に残った「年の残り」と「三匹の蟹」のうち)私は「年の残り」のほうを買った。」「いかにも花のない作家であるが、今度の作で何かを確実に把握したという感じがある。人生、老、病、死の不可知を扱って、それを不可知のままで詠嘆に流しているのではなく、作家としての一つの苦い観点を確保したと思われる。」 | |
斎藤昌三 | 27歳 |
○ | 6 | 「(引用者注:受賞作の)他に私は(引用者中略)推した。この何ともいえない錯雑した、もってまわった文体には、何かある時代の普遍性と肉感性がある。」「ただ、二、三、プロットに不合理なところがあるのは遺憾であった。」 |
37歳 |
△ | 9 | 「最後の二行が巧いし、短篇として時間の錯綜する構成も巧い。」「ただパーティーの会話が、嫌悪と倦怠を読者に伝える手段であるにしても、作者が得意になっているという感じが鼻をつく。しかし、ともあれ、才気ある作品であった。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和43年/1968年9月号) |
選考委員 三島由紀夫 45歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
森万紀子 | 35歳 |
○ | 11 | 「私は(引用者中略)「密約」と「星のない部屋」を推していた。」「「密約」の小説的興趣には今度の候補作のどれも及ばないと思われた。」「が、いかにも惜しいのは、「夫の周囲に何もない人間本来の場所が」云々の観念的結末」「小説として作法を守り、起承転結がしっかりしているものほど、結末の念押しで失敗する、というのは、短篇小説のむつかしさを今更ながら思わせる。」 |
黒井千次 | 37歳 |
○ | 16 | 「私は(引用者中略)「密約」と「星のない部屋」を推していた。」「倦怠と無気力の描写、その無気力の只中に、無気力自体が呼び出さずには措かぬ不安や恐怖が、唯一の生の象徴になる、というテーマは、テーマ自体は平凡でも、きわめて的確な明晰な扱いによって巧みに展開される。」 |
47歳 |
□ | 12 | 「愛すべき作品であり、詩と思索と旅情と風景の織りまぜられたジャン・パウル風の散文である。」「大連は心象風景であるから、外地であると同時に内地であり、「にせアカシヤ」の「にせ」に関する考察などに、この作家の心情が窺われる。当選作としてふしぎはない。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和45年/1970年3月号) |