第171回

第170回

令和6年/2024年上半期 令和6年/2024年7月17日決定発表／『文藝春秋』令和6年/2024年9月号選評掲載

選考委員　 平野啓一郎 49歳 島田雅彦 63歳 吉田修一 55歳 小川洋子 62歳 山田詠美 65歳 川上弘美 66歳 松浦寿輝 70歳 奥泉光 68歳 川上未映子 47歳 選評総行数　 90 86 94 86 88 93 95 90 94 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 朝比奈秋　「サンショウウオの四十九日」 210枚 43歳 評 ■ 26 ○ 21 □ 27 ■ 18 ○ 18 ◎ 27 ○ 37 ○ 33 □ 38 松永Ｋ三蔵　「バリ山行」 252枚 44歳 評 ◎ 31 △ 14 ○ 26 △ 11 ◎ 14 ○ 14 ○ 44 △ 9 ■ 17 尾崎世界観　「転の声」 224枚 39歳 評 ■ 11 ■ 16 △ 24 ◎ 23 △ 15 ■ 5 ― 0 ■ 11 ■ 20 坂崎かおる　「海岸通り」 132枚 39歳 評 ■ 10 ■ 17 ■ 8 △ 8 △ 13 △ 5 ■ 8 ■ 11 ■ 8 向坂くじら　「いなくなくならなくならないで」 215枚 29歳 評 △ 12 ○ 18 ■ 9 ● 14 △ 15 ■ 6 △ 11 □ 15 ■ 14                   年齢/枚数の説明   見方・注意点

平野啓一郎49歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題他者性とリアリティ　総行数90　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 朝比奈秋 43歳 全 ■ 26 「「胎児内胎児」と「結合双生児」という二つの特異な設定が、相乗効果よりも寧ろ相殺している憾みがあった。」「設定のツメに甘さがあり、結果、大胆な着想の割に、思想的成果が乏しく、物語も後半失速した。非凡な才能の作者だが、本作に関しては問題が多かった。」 松永Ｋ三蔵 44歳 全 ◎ 31 「私が推したのは、『バリ山行』だった。」「非日常の「リアル」な舞台が、遠い彼方ではなく、六甲山という日常に隣接する場所に設置されている点は、登場人物の妻鹿と共に作者の手柄である。」「文学的な実験性という点では、物足りなさもあるが、この完成度は立派であり、多くの読者に愛される作品であろう。」 尾崎世界観 39歳 全 ■ 11 「ミュージシャンとそのファンダムの必死な空虚さを、ライブチケットのバブル的転売を通じてブラック・ユーモアで描きつつ、同時にコロナ禍でいよいよ美化された音楽の体験至上主義をも批評している点に、作者の誠実さを感じた。」「分量的には些か過剰だった。」 坂崎かおる 39歳 全 ■ 10 「“拗らせた”主人公の内面に変化が兆し、読後感も良いが、マリアさんやサトウさんが、主人公の主観のままに物語に利用されてゆく運びには、やや引っかかった。」 向坂くじら 29歳 全 △ 12 「死者ではなく、生者であるが故に、こちらの勝手な思い入れを歪め、押し返し、掻き乱す他者という設定が秀逸で、未整理ではあるが、強い印象の作品だった。」

他の選考委員 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 山田詠美 川上弘美 松浦寿輝 奥泉光 川上未映子

島田雅彦63歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題五者五様の異世界観　総行数86　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 朝比奈秋 43歳 全 ○ 21 「「結合双生児」の姉妹の「二心同体」における意識の様態を描くことを通じて、具体的なイメージを提起している。」「『ブラック・ジャック』のような医学ファンタジーとして読まれるべきだが、同時に本作はほのぼのしたファミリー・ロマンスでもあり、マッド・サイエンス的テイストを持ちながら、ヒューモアの伏流が貫かれている。」 松永Ｋ三蔵 44歳 全 △ 14 「会社と山の対比は、日常と非日常、組織と自然の対比であり、重ね合わせになっているのだが、登山の細部を丹念になぞったオーソドックスな「自然主義文学」をベタに書いて来たところが評価された。」 尾崎世界観 39歳 全 ■ 16 「情報資本主義に翻弄され、めまぐるしく価値形態が変転するプロセスをなぞらされるアーティストの悪夢は、「もしかして実体験？」と思わせるリアリティがあるが、偉大なるロッカーが業界残酷物語の内部にロックされたままでいいの、と思ってしまった。」 坂崎かおる 39歳 全 ■ 17 「家に帰ろうとする人々のためにフェイクのバス停を置くという冒頭の設定ほか随所に示唆的な細部が張り巡らされているが、群像劇としての広がりが今ひとつゆえ、短編の佳作止まりか。」 向坂くじら 29歳 全 ○ 18 「文学の王道ともいうべき死者との交流を百合テイストで描きながら、タイトルの四重否定に見られるように、愛憎の間を激しく揺れ動く。」「もつれた感情が乱反射し、変化してゆく過程をコトバの変奏曲として描き出した本作を高く買う。」

他の選考委員 平野啓一郎 吉田修一 小川洋子 山田詠美 川上弘美 松浦寿輝 奥泉光 川上未映子

吉田修一55歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数94　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 朝比奈秋 43歳 全 □ 27 「類まれなる発想力と最前線の専門的知識、これだけでも天からの贈り物としては過大なのに、その上、末恐ろしいほどの小説的技法をこの朝比奈秋氏は持っている。」「本作は、面白いようにパズルがパチパチとハマっていく。ただ、少し俯瞰してみると、うまくハマりそうにないパズルは最初から埒外に放り出されており、この辺りにほんのちょっとだけ優等生の危うさを感じた。」 松永Ｋ三蔵 44歳 全 ○ 26 「何よりこの小説は攻撃的でない。自分の言葉で誰かを言い負かそうとしない。」「文章のリズムも素晴らしかった。妻鹿さんという人生の先輩について、一歩ずつ、時に心を躍らせながら、時に苛立ちを露わにしながら、それでも一歩ずつついていく主人公の足音が読後も続くようだった。」 尾崎世界観 39歳 全 △ 24 「この作者の言葉には熱がある。だからこそなのだが、少し饒舌すぎるところがあり、その熱がその場で冷えていってしまう。もう少し文章やエピソードを削れば、熱いまま読者に届くはず。」 坂崎かおる 39歳 全 ■ 8 「いっそ誰のもとにも迎えのバスなんか来なければいいのに、なんてことを恥ずかしげもなく思わせてしまうほどに詩的な作品だった。だからこそだが、本物とニセモノというテーマにもう少し近づいてほしかった。」 向坂くじら 29歳 全 ■ 9 「二段ベッドで愛を育もうとする大人の幼虫の観察日記みたいな面白さもあったが、自己肯定感の低さと承認欲求の強さのバランスの悪さが主人公の魅力ではなく、面倒臭さに読めてしまった。」

他の選考委員 平野啓一郎 島田雅彦 小川洋子 山田詠美 川上弘美 松浦寿輝 奥泉光 川上未映子

小川洋子62歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「転の声」を推す　総行数86　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 朝比奈秋 43歳 全 ■ 18 「主人公は、二つの意識が一つの身体に宿っている。A＝Bならば、B＝A、という論理的に成立しない矛盾の渦中に、二人は飲み込まれている。だからこそ、そこに生じる混乱をもっと丁寧に追ってほしかった。」 松永Ｋ三蔵 44歳 全 △ 11 「妻鹿さんが忘れがたい。」「今も六甲山のバリエーションルートを黙々と歩いている妻鹿さんの後ろ姿が、目に浮かんでくる。」 尾崎世界観 39歳 全 ◎ 23 「異色の光を放っていた」「ここには、人間の存在そのものを打ち消そうとする世界が描かれている。音楽業界が究極に行き着く先は、肉体も意識もない虚無の地である。」「応援したくなる人物が一人も登場しない、どんよりした空気に支配された、稀有な魅力を持つ作品であるのは間違いない。」 坂崎かおる 39歳 全 △ 8 「（引用者注：主人公は）身体を動かし、掃除に没頭することで自分を保とうとしている。肉体の迷路を進み、言葉の消え失せた地まで行き着かなければ、小説は書けないのかもしれない。」 向坂くじら 29歳 全 ● 14 「読み進めてゆくうち、朝日の生死の問題がどんどん後退し、むしろ、時子に寄生してゆくさまが存在感を持ってくる。」「読み終わった時に残るのは、無味無臭な感触だった。せっかくユニークな物語の一滴を手にしたのに、それを目いっぱい薄めて引きのばしてしまった感じがする。」

他の選考委員 平野啓一郎 島田雅彦 吉田修一 山田詠美 川上弘美 松浦寿輝 奥泉光 川上未映子

山田詠美65歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「選評」　総行数88　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 朝比奈秋 43歳 全 ○ 18 「ものすごく難しい設定にチャレンジしていて、読み進めながら大丈夫なのかな？　と思っていたら、概ね大丈夫だった。ひとつの体に二人いる結合双生児のそれぞれの視点のあわいから、ファンタジーと現実の重なりが見える。」「当事者性とは、あらかじめ別の所から始めたこのトライアルに拍手を送りたい。」 松永Ｋ三蔵 44歳 全 ◎ 14 「岩の苔を覆う水からあおい匂いが漂って来るような描写。奇をてらったりしない正攻法の書き方にしびれた。いけすかない服部課長が落ちぶれてくれたようで、快哉。」 尾崎世界観 39歳 全 △ 15 「もちは餅屋ってやつ？　こちらの知らない情報がきっちり詰まっていて、しかも、そのエネルギーがいっきに発動されているようで、とても、おもしろく読んだ。饒舌で、時にふざけた語り口の中に、はっとするアフォリズムが埋め込まれている。」 坂崎かおる 39歳 全 △ 13 「過不足ない、ちょうど良い塩梅のセンティメントが全編を覆っている。」「もう少し凝縮されて、短編小説集に入れられていたら、しみじみと良いものを読んだと思っただろう。少し冗漫なところがあった。」 向坂くじら 29歳 全 △ 15 「この種の題名が増殖しないことを祈る。漫才ネタ的な？　だそう。でも、内容は笑いとは無縁。」「この作者には読者を自分の世界に連れて行く力がある。」   「選考会直前に、文芸評論家の栗原裕一郎氏が週刊新潮のコラムで、こんなことを書いていた。授賞に主催者側の思惑が入り込んでいるとして、〈「今回は誰某シフトだ」といった下馬評がまことしやかに流れたりする。―（中略）―何人かの作家の傍証じみた発言もあったりして、あながち根も葉もない話ではない〉……ねえ、あのさ、その作家って誰と誰？」「シフトって言葉、まったく文学にそぐわないよ。センスない。」

他の選考委員 平野啓一郎 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 川上弘美 松浦寿輝 奥泉光 川上未映子

川上弘美66歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題出来ない　総行数93　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 朝比奈秋 43歳 全 ◎ 27 「今回一番に推したのは、「サンショウウオの四十九日」でした。」「「自己とは何か」ということを、読者にたくさん考えさせてくれます。でも、作者は、たぶん最後まで「自己とは何か」がわからなかったのだと思います。この小説のよさは、わからなかったそのことを隠していないことです。」 松永Ｋ三蔵 44歳 全 ○ 14 「好きな作品でした。この作者は、「サンショウウオ」の作者が出来ることが、きっと出来ない。」「けれど、その「出来ないこと」が、それぞれの小説を書かせてくれたのだし、書き続けることによって、出来なかったことが少しずつ出来るようになってゆくのではないでしょうか。」 尾崎世界観 39歳 全 ■ 5 「「転売ヤー」の仕組みをもう少しはっきりと知りたかった。細部はいろいろ光っているのです。」 坂崎かおる 39歳 全 △ 5 「作者の言葉の斡旋は、さりげないけれど細心です。その繊細な感覚、とてもいいと思いました。」 向坂くじら 29歳 全 ■ 6 「読者を放すまいとする作者の集中力をかいますが、もう少し読者を信じてもいいのではないかとも感じました。」   「小説家たちにも、書くうえでどうがんばっても出来ないことがあるのでは、と、毎回の候補作を読みながら、いつも思うのです。」「出来ない、といういわば虚数のような状態こそが、小説を小説たらしめるのではないかと、ひそかに思っている」「虚数は、そこにないものではなく、虚数として、そこにあるのです。」

他の選考委員 平野啓一郎 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 山田詠美 松浦寿輝 奥泉光 川上未映子

松浦寿輝70歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題対照的な二作　総行数95　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 朝比奈秋 43歳 全 ○ 37 「（引用者注：「バリ山行」と共に）心惹かれる結果となった。」「意識や欲望はどのように生成し個別化してゆくことになるのか。人格の自己同一性はどのように担保されるのか。小説ならではの思考実験をありきたりの家族の物語に溶かしこんでゆく手際はきわめて自然で、その自然さじたいが孕んでいるけれんな不自然を、読者にそくそくと体感させるところに本作の取り柄がある。」 松永Ｋ三蔵 44歳 全 ○ 44 「（引用者注：「サンショウウオの四十九日」と共に）心惹かれる結果となった。」「とりたてて文学的な実験だの形式的な冒険だのを試みているわけでもない平易な作品で、わたしは本来、この種のべたな小説には点が辛いほうだが、「私」と「妻鹿さん」とのあいだに友情の絆がいったんは結ばれかけ、しかしそれがただちにぷっつり切れてしまうこの哀切な物語には、ほろりとせずにはいられなかった。後ろ姿ばかり見せているような「妻鹿さん」の孤独な人物像にも、登山の情景の的確でなまなましい細部にも心を打たれた。」 尾崎世界観 39歳 全 ― 0   坂崎かおる 39歳 全 ■ 8 「面白く読んだが、一癖も二癖もある人間らしい「わたし」の背景や過去への言及がないのが物足りなかった。」 向坂くじら 29歳 全 △ 11 「女友だちとの同居が始まるあたりはありがちな設定だが、その「朝日」が主人公の実家にまでついてきて、ふてぶてしく居座ってしまい、実家の父母や出戻りの姉とのあいだの人間関係が変容してゆくところまで書ききっている筆力には、頼もしいものがある。」

他の選考委員 平野啓一郎 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 山田詠美 川上弘美 奥泉光 川上未映子

奥泉光68歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題出色のかたり　総行数90　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 朝比奈秋 43歳 全 ○ 33 「かたりの魅力の点で出色であった。」「一つの身体を共有する二人のかたり手が、「私」「わたし」の一人称で、交互に、あるいは交錯しつつかたる、その形式自体が生み出す面白さがあり、しかも二人の女性は個性を異にしながら、それぞれに溌剌とした知性や感性の輝きがあって、二つの人格の関係が織りなす豊かさが小説全体を明るく照らしている。」 松永Ｋ三蔵 44歳 全 △ 9 「かたりを含め小説的企みには乏しく、しかしかたり手の男の心情と山の情景描写を、それこそバリ山行のごとく、愚直なまでに真っ直ぐ丹念に重ねて物語を進めていく姿勢には好感を抱いた。」 尾崎世界観 39歳 全 ■ 11 「ミュージシャンと客の関係など、興味深い情報が数多あって愉しく読んだが、無観客ライブの小説内リアリティーを支えるだけのかたりの工夫がいま少しあればと感じた。」 坂崎かおる 39歳 全 ■ 11 「切実な問題を淡々とした筆に載せる技術は高い。しかし複数の事象が巧みに配置された小説の、その結構を支えるためだけに主人公が小説世界に呼び出されたように見えた点にやや不満が残った。」 向坂くじら 29歳 全 □ 15 「面白く読んだ。死んだはずの友人が不意に現れ、同居するうちに、他者としての存在性が次第に浮かび上がり、ついに性的な交わりとの境界が判然としない肉体的闘争に至る物語は、単視点が少々息苦しいものの、強い印象を残した。」   「小説の魅力の大きな部分を占めるのは「かたり」であり、何が書かれているか（what）よりむしろ、どう書かれているか（how）が重要であり、極端な話、whatがほとんどなくても面白い小説は書きうる。」

他の選考委員 平野啓一郎 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 山田詠美 川上弘美 松浦寿輝 川上未映子

川上未映子47歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題知見と想像　総行数94　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 朝比奈秋 43歳 全 □ 38 「虚構の位相の構築が徹底されておらず、小説内ルールに自信がないせいか、説明がくりかえされるために身体と意識を巡る一人称小説としての語りの強度が低い。」「候補作のなかで頭ひとつぶん抜けた挑戦のあとがあるのは確かで、誰も経験したことのない身体と精神の在り方や来し方行く末が、焼かれてしまって骨壺に入ってしまえばそうでないものもみなおなじという入れ子のささやかな着地は、この小説が書かれることではじめて結ばれる像であるように思えた。」 松永Ｋ三蔵 44歳 全 ■ 17 「山と日常の対比、異質さを感じさせる人物との関わりを契機にゆらぐ意識など、構成も展開も順接に過ぎる。人生も登山も感情も、ついぞ一般ルートの常識から離れることなく／離れられず、バリエーションルートへの嫌悪と憧れを含んだ距離を常に推し測ろうとする試みとして読めば、この作品固有の批評性も見こめるか。」 尾崎世界観 39歳 全 ■ 20 「ＳＮＳにおける自意識と執着を追い詰める手つきには、ある種の気高さを感じるほどだ。」「しかし〈聖水〉あたりになると、語り手の思考のパターンが目立ってしまい、そのなかに展開が落としこまれてダイナミズムが褪せてしまう。」 坂崎かおる 39歳 全 ■ 8 「イメージと展開が呼応し手数は多いが、これという台詞や演出に欠け、全体的に既視感のある流れになってしまった。」 向坂くじら 29歳 全 ■ 14 「ここでしか読めない感受性と詩の息づかいの感じられる作品だった。しかし中盤から登場する親の造形の凡庸さにくわえ、終盤にかけての（引用者注：主要人物の）ふたりの攻防が説明とくりかえしを辿るだけになり失速するのがもったいない。」

他の選考委員 平野啓一郎 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 山田詠美 川上弘美 松浦寿輝 奥泉光

朝比奈秋43歳×各選考委員　 「サンショウウオの四十九日」 中篇 210枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 49歳 全 ■ 26 「「胎児内胎児」と「結合双生児」という二つの特異な設定が、相乗効果よりも寧ろ相殺している憾みがあった。」「設定のツメに甘さがあり、結果、大胆な着想の割に、思想的成果が乏しく、物語も後半失速した。非凡な才能の作者だが、本作に関しては問題が多かった。」 島田雅彦 63歳 全 ○ 21 「「結合双生児」の姉妹の「二心同体」における意識の様態を描くことを通じて、具体的なイメージを提起している。」「『ブラック・ジャック』のような医学ファンタジーとして読まれるべきだが、同時に本作はほのぼのしたファミリー・ロマンスでもあり、マッド・サイエンス的テイストを持ちながら、ヒューモアの伏流が貫かれている。」 吉田修一 55歳 全 □ 27 「類まれなる発想力と最前線の専門的知識、これだけでも天からの贈り物としては過大なのに、その上、末恐ろしいほどの小説的技法をこの朝比奈秋氏は持っている。」「本作は、面白いようにパズルがパチパチとハマっていく。ただ、少し俯瞰してみると、うまくハマりそうにないパズルは最初から埒外に放り出されており、この辺りにほんのちょっとだけ優等生の危うさを感じた。」 小川洋子 62歳 全 ■ 18 「主人公は、二つの意識が一つの身体に宿っている。A＝Bならば、B＝A、という論理的に成立しない矛盾の渦中に、二人は飲み込まれている。だからこそ、そこに生じる混乱をもっと丁寧に追ってほしかった。」 山田詠美 65歳 全 ○ 18 「ものすごく難しい設定にチャレンジしていて、読み進めながら大丈夫なのかな？　と思っていたら、概ね大丈夫だった。ひとつの体に二人いる結合双生児のそれぞれの視点のあわいから、ファンタジーと現実の重なりが見える。」「当事者性とは、あらかじめ別の所から始めたこのトライアルに拍手を送りたい。」 川上弘美 66歳 全 ◎ 27 「今回一番に推したのは、「サンショウウオの四十九日」でした。」「「自己とは何か」ということを、読者にたくさん考えさせてくれます。でも、作者は、たぶん最後まで「自己とは何か」がわからなかったのだと思います。この小説のよさは、わからなかったそのことを隠していないことです。」 松浦寿輝 70歳 全 ○ 37 「（引用者注：「バリ山行」と共に）心惹かれる結果となった。」「意識や欲望はどのように生成し個別化してゆくことになるのか。人格の自己同一性はどのように担保されるのか。小説ならではの思考実験をありきたりの家族の物語に溶かしこんでゆく手際はきわめて自然で、その自然さじたいが孕んでいるけれんな不自然を、読者にそくそくと体感させるところに本作の取り柄がある。」 奥泉光 68歳 全 ○ 33 「かたりの魅力の点で出色であった。」「一つの身体を共有する二人のかたり手が、「私」「わたし」の一人称で、交互に、あるいは交錯しつつかたる、その形式自体が生み出す面白さがあり、しかも二人の女性は個性を異にしながら、それぞれに溌剌とした知性や感性の輝きがあって、二つの人格の関係が織りなす豊かさが小説全体を明るく照らしている。」 川上未映子 47歳 全 □ 38 「虚構の位相の構築が徹底されておらず、小説内ルールに自信がないせいか、説明がくりかえされるために身体と意識を巡る一人称小説としての語りの強度が低い。」「候補作のなかで頭ひとつぶん抜けた挑戦のあとがあるのは確かで、誰も経験したことのない身体と精神の在り方や来し方行く末が、焼かれてしまって骨壺に入ってしまえばそうでないものもみなおなじという入れ子のささやかな着地は、この小説が書かれることではじめて結ばれる像であるように思えた。」

他の候補作 松永Ｋ三蔵 「バリ山行」 尾崎世界観 「転の声」 坂崎かおる 「海岸通り」 向坂くじら 「いなくなくならなくならないで」

松永Ｋ三蔵44歳×各選考委員　 「バリ山行」 中篇 252枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 49歳 全 ◎ 31 「私が推したのは、『バリ山行』だった。」「非日常の「リアル」な舞台が、遠い彼方ではなく、六甲山という日常に隣接する場所に設置されている点は、登場人物の妻鹿と共に作者の手柄である。」「文学的な実験性という点では、物足りなさもあるが、この完成度は立派であり、多くの読者に愛される作品であろう。」 島田雅彦 63歳 全 △ 14 「会社と山の対比は、日常と非日常、組織と自然の対比であり、重ね合わせになっているのだが、登山の細部を丹念になぞったオーソドックスな「自然主義文学」をベタに書いて来たところが評価された。」 吉田修一 55歳 全 ○ 26 「何よりこの小説は攻撃的でない。自分の言葉で誰かを言い負かそうとしない。」「文章のリズムも素晴らしかった。妻鹿さんという人生の先輩について、一歩ずつ、時に心を躍らせながら、時に苛立ちを露わにしながら、それでも一歩ずつついていく主人公の足音が読後も続くようだった。」 小川洋子 62歳 全 △ 11 「妻鹿さんが忘れがたい。」「今も六甲山のバリエーションルートを黙々と歩いている妻鹿さんの後ろ姿が、目に浮かんでくる。」 山田詠美 65歳 全 ◎ 14 「岩の苔を覆う水からあおい匂いが漂って来るような描写。奇をてらったりしない正攻法の書き方にしびれた。いけすかない服部課長が落ちぶれてくれたようで、快哉。」 川上弘美 66歳 全 ○ 14 「好きな作品でした。この作者は、「サンショウウオ」の作者が出来ることが、きっと出来ない。」「けれど、その「出来ないこと」が、それぞれの小説を書かせてくれたのだし、書き続けることによって、出来なかったことが少しずつ出来るようになってゆくのではないでしょうか。」 松浦寿輝 70歳 全 ○ 44 「（引用者注：「サンショウウオの四十九日」と共に）心惹かれる結果となった。」「とりたてて文学的な実験だの形式的な冒険だのを試みているわけでもない平易な作品で、わたしは本来、この種のべたな小説には点が辛いほうだが、「私」と「妻鹿さん」とのあいだに友情の絆がいったんは結ばれかけ、しかしそれがただちにぷっつり切れてしまうこの哀切な物語には、ほろりとせずにはいられなかった。後ろ姿ばかり見せているような「妻鹿さん」の孤独な人物像にも、登山の情景の的確でなまなましい細部にも心を打たれた。」 奥泉光 68歳 全 △ 9 「かたりを含め小説的企みには乏しく、しかしかたり手の男の心情と山の情景描写を、それこそバリ山行のごとく、愚直なまでに真っ直ぐ丹念に重ねて物語を進めていく姿勢には好感を抱いた。」 川上未映子 47歳 全 ■ 17 「山と日常の対比、異質さを感じさせる人物との関わりを契機にゆらぐ意識など、構成も展開も順接に過ぎる。人生も登山も感情も、ついぞ一般ルートの常識から離れることなく／離れられず、バリエーションルートへの嫌悪と憧れを含んだ距離を常に推し測ろうとする試みとして読めば、この作品固有の批評性も見こめるか。」

他の候補作 朝比奈秋 「サンショウウオの四十九日」 尾崎世界観 「転の声」 坂崎かおる 「海岸通り」 向坂くじら 「いなくなくならなくならないで」

尾崎世界観39歳×各選考委員　 「転の声」 中篇 224枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 49歳 全 ■ 11 「ミュージシャンとそのファンダムの必死な空虚さを、ライブチケットのバブル的転売を通じてブラック・ユーモアで描きつつ、同時にコロナ禍でいよいよ美化された音楽の体験至上主義をも批評している点に、作者の誠実さを感じた。」「分量的には些か過剰だった。」 島田雅彦 63歳 全 ■ 16 「情報資本主義に翻弄され、めまぐるしく価値形態が変転するプロセスをなぞらされるアーティストの悪夢は、「もしかして実体験？」と思わせるリアリティがあるが、偉大なるロッカーが業界残酷物語の内部にロックされたままでいいの、と思ってしまった。」 吉田修一 55歳 全 △ 24 「この作者の言葉には熱がある。だからこそなのだが、少し饒舌すぎるところがあり、その熱がその場で冷えていってしまう。もう少し文章やエピソードを削れば、熱いまま読者に届くはず。」 小川洋子 62歳 全 ◎ 23 「異色の光を放っていた」「ここには、人間の存在そのものを打ち消そうとする世界が描かれている。音楽業界が究極に行き着く先は、肉体も意識もない虚無の地である。」「応援したくなる人物が一人も登場しない、どんよりした空気に支配された、稀有な魅力を持つ作品であるのは間違いない。」 山田詠美 65歳 全 △ 15 「もちは餅屋ってやつ？　こちらの知らない情報がきっちり詰まっていて、しかも、そのエネルギーがいっきに発動されているようで、とても、おもしろく読んだ。饒舌で、時にふざけた語り口の中に、はっとするアフォリズムが埋め込まれている。」 川上弘美 66歳 全 ■ 5 「「転売ヤー」の仕組みをもう少しはっきりと知りたかった。細部はいろいろ光っているのです。」 松浦寿輝 70歳 全 ― 0   奥泉光 68歳 全 ■ 11 「ミュージシャンと客の関係など、興味深い情報が数多あって愉しく読んだが、無観客ライブの小説内リアリティーを支えるだけのかたりの工夫がいま少しあればと感じた。」 川上未映子 47歳 全 ■ 20 「ＳＮＳにおける自意識と執着を追い詰める手つきには、ある種の気高さを感じるほどだ。」「しかし〈聖水〉あたりになると、語り手の思考のパターンが目立ってしまい、そのなかに展開が落としこまれてダイナミズムが褪せてしまう。」

他の候補作 朝比奈秋 「サンショウウオの四十九日」 松永Ｋ三蔵 「バリ山行」 坂崎かおる 「海岸通り」 向坂くじら 「いなくなくならなくならないで」

坂崎かおる39歳×各選考委員　 「海岸通り」 短篇 132枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 49歳 全 ■ 10 「“拗らせた”主人公の内面に変化が兆し、読後感も良いが、マリアさんやサトウさんが、主人公の主観のままに物語に利用されてゆく運びには、やや引っかかった。」 島田雅彦 63歳 全 ■ 17 「家に帰ろうとする人々のためにフェイクのバス停を置くという冒頭の設定ほか随所に示唆的な細部が張り巡らされているが、群像劇としての広がりが今ひとつゆえ、短編の佳作止まりか。」 吉田修一 55歳 全 ■ 8 「いっそ誰のもとにも迎えのバスなんか来なければいいのに、なんてことを恥ずかしげもなく思わせてしまうほどに詩的な作品だった。だからこそだが、本物とニセモノというテーマにもう少し近づいてほしかった。」 小川洋子 62歳 全 △ 8 「（引用者注：主人公は）身体を動かし、掃除に没頭することで自分を保とうとしている。肉体の迷路を進み、言葉の消え失せた地まで行き着かなければ、小説は書けないのかもしれない。」 山田詠美 65歳 全 △ 13 「過不足ない、ちょうど良い塩梅のセンティメントが全編を覆っている。」「もう少し凝縮されて、短編小説集に入れられていたら、しみじみと良いものを読んだと思っただろう。少し冗漫なところがあった。」 川上弘美 66歳 全 △ 5 「作者の言葉の斡旋は、さりげないけれど細心です。その繊細な感覚、とてもいいと思いました。」 松浦寿輝 70歳 全 ■ 8 「面白く読んだが、一癖も二癖もある人間らしい「わたし」の背景や過去への言及がないのが物足りなかった。」 奥泉光 68歳 全 ■ 11 「切実な問題を淡々とした筆に載せる技術は高い。しかし複数の事象が巧みに配置された小説の、その結構を支えるためだけに主人公が小説世界に呼び出されたように見えた点にやや不満が残った。」 川上未映子 47歳 全 ■ 8 「イメージと展開が呼応し手数は多いが、これという台詞や演出に欠け、全体的に既視感のある流れになってしまった。」

他の候補作 朝比奈秋 「サンショウウオの四十九日」 松永Ｋ三蔵 「バリ山行」 尾崎世界観 「転の声」 向坂くじら 「いなくなくならなくならないで」

向坂くじら29歳×各選考委員　 「いなくなくならなくならないで」 中篇 215枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 49歳 全 △ 12 「死者ではなく、生者であるが故に、こちらの勝手な思い入れを歪め、押し返し、掻き乱す他者という設定が秀逸で、未整理ではあるが、強い印象の作品だった。」 島田雅彦 63歳 全 ○ 18 「文学の王道ともいうべき死者との交流を百合テイストで描きながら、タイトルの四重否定に見られるように、愛憎の間を激しく揺れ動く。」「もつれた感情が乱反射し、変化してゆく過程をコトバの変奏曲として描き出した本作を高く買う。」 吉田修一 55歳 全 ■ 9 「二段ベッドで愛を育もうとする大人の幼虫の観察日記みたいな面白さもあったが、自己肯定感の低さと承認欲求の強さのバランスの悪さが主人公の魅力ではなく、面倒臭さに読めてしまった。」 小川洋子 62歳 全 ● 14 「読み進めてゆくうち、朝日の生死の問題がどんどん後退し、むしろ、時子に寄生してゆくさまが存在感を持ってくる。」「読み終わった時に残るのは、無味無臭な感触だった。せっかくユニークな物語の一滴を手にしたのに、それを目いっぱい薄めて引きのばしてしまった感じがする。」 山田詠美 65歳 全 △ 15 「この種の題名が増殖しないことを祈る。漫才ネタ的な？　だそう。でも、内容は笑いとは無縁。」「この作者には読者を自分の世界に連れて行く力がある。」 川上弘美 66歳 全 ■ 6 「読者を放すまいとする作者の集中力をかいますが、もう少し読者を信じてもいいのではないかとも感じました。」 松浦寿輝 70歳 全 △ 11 「女友だちとの同居が始まるあたりはありがちな設定だが、その「朝日」が主人公の実家にまでついてきて、ふてぶてしく居座ってしまい、実家の父母や出戻りの姉とのあいだの人間関係が変容してゆくところまで書ききっている筆力には、頼もしいものがある。」 奥泉光 68歳 全 □ 15 「面白く読んだ。死んだはずの友人が不意に現れ、同居するうちに、他者としての存在性が次第に浮かび上がり、ついに性的な交わりとの境界が判然としない肉体的闘争に至る物語は、単視点が少々息苦しいものの、強い印象を残した。」 川上未映子 47歳 全 ■ 14 「ここでしか読めない感受性と詩の息づかいの感じられる作品だった。しかし中盤から登場する親の造形の凡庸さにくわえ、終盤にかけての（引用者注：主要人物の）ふたりの攻防が説明とくりかえしを辿るだけになり失速するのがもったいない。」

他の候補作 朝比奈秋 「サンショウウオの四十九日」 松永Ｋ三蔵 「バリ山行」 尾崎世界観 「転の声」 坂崎かおる 「海岸通り」