Last Update●[H26]2014/11/28
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Kawabata Yasunari
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このページの情報は「芥川賞のすべて・のようなもの」内の「選考委員の群像 川端康成」と同じものです。 |
生没年月日【注】 |
明治32年/1899年6月14日~昭和47年/1972年4月16日 |
在任期間 |
第10回~第13回(通算2年・4回) |
在任年齢 |
40歳6ヶ月~42歳0ヶ月 |
経歴 |
大阪府生まれ。東京帝国大学国文科卒。
在学中に第六次『新思潮』創刊。
大正13年/1924年、横光利一らと『文芸時代』を創刊、
“掌の小説”といわれる短編・評論を発表し、“新感覚派”と呼ばれた。
戦前の作品に「伊豆の踊子」「浅草紅団」「禽獣」「雪国」(完結は戦後)などがあり、
戦後も「千羽鶴」「山の音」「眠れる美女」「古都」などを書き創作力は衰えなかった。
昭和43年/1968年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。
昭和47年/1972年、ガス自殺により逝去。 |
受賞歴・候補歴 |
- |候補| 第1回渡辺賞(大正15年/1926年)
- |候補| 第2回文藝懇話会賞(昭和10年/1935年)「花のワルツ」
- 第3回文藝懇話会賞(昭和11年/1936年)『雪国』
- 第6回菊池寛賞(昭和18年/1943年)
- |候補| 第4回毎日出版文化賞(昭和25年/1950年)『全日本児童詩集』(共編)
- |候補| 第2回読売文学賞[小説賞](昭和25年/1950年)「舞姫」
- 第8回日本藝術院賞[文芸](昭和26年/1951年度)「千羽鶴」その他
- 第7回野間文芸賞(昭和29年/1954年)「山の音」
- |候補| 第2回新潮社文学賞(昭和30年/1955年)『みづうみ』
- 第6回菊池寛賞(昭和33年/1958年)
- L'Ordre des Arts et des Lettres{芸術文化勲章/フランス}[Officier{オフィシエ}](昭和35年/1960年)
- Prix du Meilleur livre étranger{最優秀外国文学賞/フランス}(昭和36年/1961年)『雪国』(Fujimori Bunkichi・Armel Guerne訳)
- 文化功労者(昭和36年/1961年)
- 文化勲章(昭和36年/1961年)
- 第16回毎日出版文化賞(昭和37年/1962年)『眠れる美女』
- |候補| 第14回読売文学賞[小説賞](昭和37年/1962年)『古都』
- Nobel Prize in Literature{ノーベル文学賞/スウェーデン}(昭和43年/1968年)
- 鎌倉市名誉市民(昭和44年/1969年)
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サブサイトリンク |
▼全14件
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個人全集 |
『川端康成全集』全35巻・補2巻(新潮社) |
備考 |
第10回から暫定的に芥川賞選考委員が直木賞選考委員も兼ねる措置がとられ、
その結果、直木賞選考委員に名を連ねることになりましたが、
実際には、選考に参加しなかったと思われます。 |