選評の概要
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26. 27. 28. 29. 30.
31. 32. 33. 34. 35.
36. 37. 38. 39. 40.
41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63. 64. 65.
66.
このページの情報は「直木賞のすべて」内の「選考委員の群像 川端康成」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 明治32年/1899年6月14日~昭和47年/1972年4月16日 | |
在任期間 | 第1回~第66回(通算37年・66回) | |
在任年齢 | 36歳0ヶ月~72歳6ヶ月 | |
経歴 | 大阪府生まれ。東京帝国大学国文科卒。 在学中に第六次『新思潮』創刊。 大正13年/1924年、横光利一らと『文芸時代』を創刊、 “掌の小説”といわれる短編・評論を発表し、“新感覚派”と呼ばれた。 戦前の作品に「伊豆の踊子」「浅草紅団」「禽獣」「雪国」(完結は戦後)などがあり、 戦後も「千羽鶴」「山の音」「眠れる美女」「古都」などを書き創作力は衰えなかった。 昭和43年/1968年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。 昭和47年/1972年、ガス自殺により逝去。 |
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受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『川端康成全集』全35巻・補2巻(新潮社) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 川端康成 36歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
丸岡明 | 28歳 |
◎ | 4 | 「私は終始支持し、多分この作が受賞するであろうとひそかに期待していた。ところが委員会の席上で、ややこの作に荷担されたのは、久米正雄氏ただ一人であった。」 |
小山祐士 | 29歳 |
○ | 11 | 「(引用者注:第一に推す丸岡明の次に、川口一郎か小山祐士を)私は推薦したい。このいずれが受賞するも、客観的に見て甚だ妥当だと信じ、私一個の作品批評の見地にても、真に快心事である。」 |
「文壇諸方面から推薦された候補は、今回六十八名の多きに達した。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第一巻』昭和57年/1982年2月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和11年/1936年4月号) |
選考委員 川端康成 37歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
34歳 |
◎ | 2 | 「二篇入賞ならば、(引用者中略)先ず選びたい。」 | |
36歳 |
○ | 4 | 「(引用者注:「城外」と「いのちの初夜」の)いずれが入選しても異存はない。」「長年の勉強が認められたのは、喜ばしい。」 | |
北條民雄 | 21歳 |
○ | 4 | 「(引用者注:「城外」と「いのちの初夜」の)いずれが入選しても異存はない。」「発表当時既に或る程度酬いられ、また特異な作家として印象も強いゆえ、入賞せずとも注目されると思う。」 |
「今回の候補作に就ての感想は「文學界」九月号にも少し書いた。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第一巻』昭和57年/1982年2月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和11年/1936年9月号) |
選考委員 川端康成 39歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
外村繁 | 36歳 |
◎ | 12 | 「私は推したかった。今回はこれ以外にないと思った。ところが、芥川賞より先きに、池谷賞に決定してしまった。」「池谷賞の委員としては、この作品の選ばれたことを喜ぶが、芥川賞の委員としては、この作品の選べぬことを惜しむという結果になった。」 |
29歳 |
○ | 9 | 「中里氏を推すことに賛成である。」「少し弱いけれども、素質のいいところを認めたい。またこういう刺戟の強くない、賞向きでない作家、初めての女流作家の受賞は、喜ぶに足るだろうか。」「長い間この材料を扱って来た作品は、柔かく細かい花である。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第二巻』昭和57年/1982年3月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和14年/1939年3月号) |
選考委員 川端康成 42歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
27歳 |
○ | 12 | 「(引用者注:「火渦」と)いずれを選ぶべきか、私ははっきりせず、と云うよりも、出来るならば、両方に授賞してほしかった。」「主人公の娘のけなげで必死な生き方が作品の呼吸となって、非常な好意を持たずにいられない。強く張っている。表現も確かである。結末近くから甚だ薄手になるのも、或いはやむをえないことだったろうか。」 | |
水原吉郎 | 33歳 |
○ | 13 | 「(引用者注:「青果の市」と)いずれを選ぶべきか、私ははっきりせず、と云うよりも、出来るならば、両方に授賞してほしかった。」「「腕」、「ジュリエット」以来、私の注目している新進作家である。賞の選ということで改まって臨むと、作品の重量感、材料の豊富、異例など、要するに物々しい構えに、自然と押され勝ちで、作者生来の才質が二の次となる傾きもある。そういう考えからも私は水原氏の特異な才能を珍重したかった。」 |
「予選会では、(引用者中略)わずか三篇しか選び出すことが出来なかった。」「諸方からの推薦には、全く問題にしようがなく、推薦の真意の解せぬ作品も、かなりあった。いい作品を逸せぬためには、推薦の多いに越すことはないのだが、多少の責任を推薦者は持ってほしいものである。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和17年/1942年3月号) |
選考委員 川端康成 43歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
石塚友二 | 35歳 |
◎ | 14 | 「(引用者注:「松風」と「光と風と夢」の)いずれかに、或いは二篇共に授賞したかった。」「発表の当時、反響が高く、相当の人々に読まれもしたので、一応世に出て認められた作品であるから、そういう意味では、作者と共に私も慰められるわけである。」「私は先ず「松風」を推し、」 |
中島敦 | 33歳 |
○ | 14 | 「(引用者注:「松風」と「光と風と夢」の)いずれかに、或いは二篇共に授賞したかった。」「発表の当時、反響が高く、相当の人々に読まれもしたので、一応世に出て認められた作品であるから、そういう意味では、作者と共に私も慰められるわけである。」「(引用者注:「松風」の)次とした。」 |
「前にも賞を休んだ例はあるが、今度ほどそれを遺憾に思ったことはないようである。」「二篇(引用者注:「松風」と「光と風と夢」)が芥川賞に価いしないとは、私には信じられない。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和17年/1942年9月号) |
選考委員 川端康成 52歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
27歳 |
◎ | 12 | 「私は推薦したかった。」「堀田氏や安部氏のような作家が出て「歯車」や「壁」のような作品の現われることに、私は今日の必然を感じ、その意味での興味を持つからである。」「冗漫と思えた。また部分によって鋭敏でない。」「しかし、(引用者中略)作者の目的も作品の傾向も明白であって、このような道に出るのは新作家のそれぞれの方向であろう。」 | |
堀田善衛 | 33歳 |
○ | 14 | 「私は推薦したかった。」「堀田氏や安部氏のような作家が出て「歯車」や「壁」のような作品の現われることに、私は今日の必然を感じ、その意味での興味を持つからである。」「最近の飜訳小説の幾つかを連想させ、比較もされて、それが賞を逸する原因の一つともなった。」 |
37歳 |
△ | 4 | 「「春の草」も、特に推薦するほどの作品ではなかろうが、石川氏がすでに確実な作家であり、この作品にもそれが現われているということは、私も認めないわけにゆかない。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和26年/1951年10月号) |
選考委員 川端康成 55歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
39歳 |
○ | 15 | 「小島信夫氏と庄野潤三氏とを推薦することにきまったのは、委員としても、素直によかったと思う。」「「アメリカン・スクール」はこの賞がなくても、好評嘖々である。しかし、参考作品の「神」は感心出来なかった。」「まあまあ長いこと御迷惑かけましたと、芥川賞を卒業してもらうような気持である。受賞にこだわらない方がよい。」 | |
33歳 |
○ | 15 | 「小島信夫氏と庄野潤三氏とを推薦することにきまったのは、委員としても、素直によかったと思う。」「賞などになりにくい作家のようで、今期の「プールサイド小景」も弱いが、これを取り上げたのはよいことであったろう。」「まあまあ長いこと御迷惑かけましたと、芥川賞を卒業してもらうような気持である。受賞にこだわらない方がよい。」 | |
小沼丹 | 36歳 |
○ | 7 | 「(引用者注:二受賞者に)小沼丹氏を加えて、三人でも一向差支えはなかった。と言うよりも、小沼氏を除くのに強い根拠はなく、三人では多過ぎるかもしれないという、漠然とした空気のようだ。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和30年/1955年3月号) |
選考委員 川端康成 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
大江健三郎 | 22歳 |
◎ | 18 | 「「死者の奢り」を、私は初めから推したかった。」「(引用者注:「裸の王様」とどちらを選ぶかという時も)私は「死者の奢り」を選んだ。」「異常な題材を、意識して書いているので、行き過ぎの欠点と、私たちに感じられる個所が少くないのは当然である。それでも、この二作に見る才能はあざやかである。」「開高氏と大江氏と明暗二様の気負いを見るが、これは悪いとは思わない。」 |
27歳 |
□ | 11 | 「授賞に強い反対はない」「「死者の奢り」を推すために、「裸の王様」の欠点を言い過ぎるのは誤りであろう。」「やはり意識して作られた小説であるから、「死者の奢り」の場合とはちがった意味で、そして同じような欠点がないではない。最後の審査会の劇画化などに、それが現われている。」「開高氏と大江氏と明暗二様の気負いを見るが、これは悪いとは思わない。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和33年/1958年3月号) |
選考委員 川端康成 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
金達寿 | 39歳 |
○ | 12 | 「選ぶとすれば、金達寿の「朴達の裁判」のほかにはないという、私の意見は非常にはっきりしていて、動かせるものではなかった。格のちがう作品が一つはいっているような感じである。」「既に地歩業績の認められた金氏を芥川賞とするに及ばないという考えの方に、やや賛成である。それはとにかく(引用者中略)被圧迫民族を描いた左翼文学として一佳作なのは勿論である。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和34年/1959年3月号) |
選考委員 川端康成 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
49歳 |
○ | 13 | 「私は「山塔」に同情を、さらにすすんで同感を寄せていた。しかし、委員の多くが「山塔」を推すだろうとは考えられなかったので、これは私の迂闊であった。」「心の描き出した世界であろうが、その心の歌のわりに、風景はややぼんやりとし、風景のなかの人物はさらにあいまいで、悪く言えば、この種の類型とも思え、全体に感傷がいちじるしい。けれども、純粋の心象に貫かれて、特異な魅力をこめている。このような作品が芥川賞に選ばれたことは私には意外であり、賛成であった。」 | |
佃実夫 | 33歳 |
○ | 4 | 「一票を入れておいた。モラエスをよく調べ、むしろ抑え気味の明らかな文章で、量感もある作品と思った。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和34年/1959年9月号) |
選考委員 川端康成 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
山川方夫 | 31歳 |
◎ | 12 | 「私は旅先きから、一、(引用者中略)と、電報だけは打っておいた。」「いわゆる肉親の絆などの頼むに足らぬ点、むしろいやな点を突き、人間不信、虚無寂寞も出ている。手なれた書き方であるけれども、もっと落ちついた、あるいは肌理こまかに緊密な書き方をしたらどうであったろうか。」「しかし、候補作のうちでは、私はこの作品に考えさせられた。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和36年/1961年9月号) |
選考委員 川端康成 65歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
向坂唯雄 | (38歳) |
○ | 10 | 「一つの職業、一つの職場での労働が、詳細に具体的に書かれている点に、私は興味があった。作者自身が機関士である体験の所産だ。私はそういうものに先ず無条件の尊敬を感じて惹かれる。生活を確実に書いた部分があるからだ。」「委員が一人もこの作品を問題にしなかったのは、私には意外であったが、しかし小説として見るといかにも疑問が少くない。」「作者のために惜しむところがあった。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和40年/1965年3月号) |
選考委員 川端康成 66歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
なだいなだ | 36歳 |
◎ | 10 | 「一票を投じておいた」「すでに特色ある才能を認められている人である。」「ところどころの自然風景の短い描写などに、すぐれたものが見える。作者はこのような野性素朴の巨人に、寓意を托して「童話」と題したのかもしれないが、それは別としても、私はおもしろく読んだ。」 |
33歳 |
△ | 9 | 「(引用者注:授賞が)決定したのは、少し意外であった。いかにも地味で、古風かとも思える作品である。しかし、決定の後に読みかえしてみると、地味で古風かとも思えるところに、質実で丹念な観察と描写があって、これはこれで一つのものであろうか。」「抑える作風は近ごろめずらしいのかもしれない。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和41年/1966年3月号) |