| このページの情報は「芥川賞のすべて・のようなもの」内の「受賞作家の群像 中山義秀」と同じものです。 | ||
| 生没年月日【注】 | 明治33年/1900年10月5日~昭和44年/1969年8月19日 | |
| 在任期間 | 第39回~第61回(通算11.5年・23回) | |
| 在任年齢 | 57歳8ヶ月~68歳8ヶ月 | |
| 経歴 | 本名=中山議秀(ヨシヒデ)。 福島県岩瀬郡大屋村(現・白河市)生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。 在学中から同人雑誌「塔」に参加、中学の英語教師をするかたわら同人雑誌に関わり、昭和13年/1938年「厚物咲」で芥川賞受賞。 「碑」「テニヤンの末日」などの他、戦国武将・剣豪ものを多く書く。 |
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| 受賞歴・候補歴 | ||
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| 個人全集 | 『中山義秀全集』全9巻(昭和46年/1971年7月~昭和47年/1972年9月・新潮社刊) | |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
| 選考委員 中山義秀 |
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| 候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
| 津村節子 | ◎ | 4 | 「津村さんの「華燭、孔雀、模造、鍵」が面白かった。思わず全篇を読みとおした。」 | |
| ○ | 4 | 「若い女性らしからぬ逞しい、痛烈な切れ味をみせている。」 | ||
| 土屋隆夫 | ○ | 7 | 「快読した。」「面白いものは面白い。こうした作品を遺漏なく綴ってゆくのは、おおかたの努力ではなかろうと思われる。」 | |
| 池波正太郎 | ○ | 7 | 「私には面白かった。徳山五兵衛と秘戯図の組合せに、これという必然性のない、思いつきにすぎないみたいな安っぽさはあるが、候補作品の中、これが一番大人ではないかと思った。」 | |
| □ | 5 | 「末の松山の章だけしか読む時間がなかったが、作者の真摯な努力にたいして、当選に祝意を表するとも異存はない。」 | ||
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選評出典:『オール讀物』昭和34年/1959年10月号 |
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| 選考委員 中山義秀 |
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| 候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
| ○ | 7 | 「文芸作品はつねに時代を、最も敏感に反映する、とされているとおり、(引用者中略)異色ある文体に、シニカルな老練さを味わった。」 | ||
| ○ | 5 | 「文芸作品はつねに時代を、最も敏感に反映する、とされているとおり、(引用者中略)時勢の流行を感じ、」 | ||
| 渡辺淳一 | ○ | 16 | 「死と愛との格闘は、かなり見事に描きだされているようである。」「老校長の死とその妻との関係に、何かただならぬ、真剣さをおぼえたのは、この一篇だけであった。」 | |
| 「此度の選考は、まことに適切だったようである。」 | ||||
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選評出典:『オール讀物』昭和43年/1968年4月号 |
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