第167回

第166回

令和4年/2022年上半期 令和4年/2022年7月20日決定発表／『文藝春秋』令和4年/2022年9月号選評掲載

選考委員　 山田詠美 63歳 島田雅彦 61歳 小川洋子 60歳 松浦寿輝 68歳 吉田修一 53歳 平野啓一郎 47歳 奥泉光 66歳 川上弘美 64歳 堀江敏幸 58歳 選評総行数　 95 88 83 96 97 90 83 92 85 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 高瀬隼子　「おいしいごはんが食べられますように」 193枚 34歳 評 □ 9 △ 17 ■ 6 ◎ 48 △ 23 △ 22 ◎ 28 ○ 41 ○ 20 小砂川チト　「家庭用安心坑夫」 185枚 32歳 評 ■ 10 △ 23 ◎ 42 ― 0 ■ 18 ◎ 32 △ 16 ■ 6 △ 19 鈴木涼美　「ギフテッド」 130枚 39歳 評 ■ 9 △ 20 △ 9 ○ 26 ○ 29 ■ 16 ■ 14 △ 18 ■ 14 年森瑛　「Ｎ／Ａ」 124枚 27歳 評 △ 15 △ 18 ■ 9 △ 11 ■ 11 △ 11 ■ 11 ○ 20 ■ 15 山下紘加　「あくてえ」 237枚 28歳 評 ◎ 11 △ 10 △ 17 ■ 11 ■ 16 ● 9 △ 15 ■ 10 ■ 17         欠席 書面回答         年齢/枚数の説明   見方・注意点

山田詠美63歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「世相と時代の怪」　総行数95　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高瀬隼子 34歳 全 □ 9 「私を含む多くの女性が天敵と恐れる「猛禽©瀧波ユカリさん」登場！　彼女のそら恐ろしさが、これでもか、と描かれる。思わず上手い！　と唸った。でも、少しだけエッセイ漫画的既視感があるのが残念。」 小砂川チト 32歳 全 ■ 10 「おかしくてチャーミングで、そして、不気味な時間が交錯し、引き付けられながら読んだ。しかし、ちょっと凝り過ぎでは？　ツトムとサナが上手く噛み合ってない気が。」 鈴木涼美 39歳 全 ■ 9 「十行の説明を、たった一行で表わすのを「小説」という。もっと、つたなく書いてみては？　〈最後の詩〉のように。」 年森瑛 27歳 全 △ 15 「大切に一文を重ねて行っているのが解る。でも、時々出現する御丁寧で大仰な比喩が興を削ぐ。」「それらを一度全部取ってみたら、いっきに洗練されると思う。小説における洗練とは野蛮さに磨きをかけることだ。」 山下紘加 28歳 全 ◎ 11 「これまでも老人介護の作品はいくつかあり、受賞もしているが、皆、ポップな方向に逃げている。しかし、これは、ガッツリ向い合っているところを評価して○を付けた。世界平和より、今、こちらを訴えたい人は多い。」   「今回、芥川賞候補者五人全員が女性、そして、直木賞受賞者も女性だったことで、ある種のメディアは「世相」とか「時代」とかに絡めて、あらかじめ報道内容を決めていたらしい。」「今回の女性候補者たちは「男女機会均等法枠」で選ばれたのではなく、小説作品の質が高いから最終的に残ったのである。小説の出来に「均等」なんてないよ！　そこ、ヨロシク。」

他の選考委員 島田雅彦 小川洋子 松浦寿輝 吉田修一 平野啓一郎 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

島田雅彦61歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題アモルファス５　総行数88　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高瀬隼子 34歳 全 △ 17 「人物設定を意図的に類型化しているのだが、可愛くて料理上手の、いわば特性のない女が総取りするという脱力の結末に向かう行程を面白がるか、首を傾げるかで評価は分かれた。」 小砂川チト 32歳 全 △ 23 「焦点人物は都内の集合住宅に夫と暮らす専業主婦小波だが、おそらくは心の病を抱えている。」「幼少の頃から小波は坑夫の人形をツトムと呼び、父と聞かされ、生活の一部と見なしていた。やがて、その人形を連れ帰り、同居を始めるのだが、不気味に思い始め、実家に置き去りにして東京に戻ることにする。」「誰もがテーマパーク化した現実の中で暮らすことの違和感を抱えるが、それを炙り出している。」 鈴木涼美 39歳 全 △ 20 「ホステスの「私」は、「あと一編だけ、詩をかき上げたい」と願う母を引き取る。」「母を突き放す娘の視点を縦糸に、自殺した女友達や母をよく知る男を横糸に絡め、未来の自分に思いを馳せているようにも読める。母の遺作の詩で小説は締めくくられるが、この詩が枯れていて、出来損ないであることによって、乾いた悲しみが際立っている。」 年森瑛 27歳 全 △ 18 「月経を忌避し、偏食を続ける高校生まどかは（引用者中略）他人との接触の仕方に悩むあまり、一種のコミュ障に陥り、紋切り型への恐怖を募らせるその迷走ぶりが「乱暴に」描写される。生身の自分に理想的行動ができるアプリをダウンロードしようとするが、どうしても齟齬が生じてしまう実態は、「多様な生き方」の曖昧さを浮き彫りにする。」 山下紘加 28歳 全 △ 10 「ボケが進んだ祖母に対し、毒蝮三太夫ばりの悪態をつきまくる孫の介護と小説家修行の悪戦苦闘の日々を描く。」「毒親の末路をしっかり観察している。」

他の選考委員 山田詠美 小川洋子 松浦寿輝 吉田修一 平野啓一郎 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

小川洋子60歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題ツトムという異物　総行数83　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高瀬隼子 34歳 全 ■ 6 「最も恐ろしいのは芦川さんだ。その恐ろしさが一つの壁を突き破り、狂気を帯びるところにまで至っていれば、と思う。」 小砂川チト 32歳 全 ◎ 42 「主人公の小波とツトムの間に通う信号は、特別な波形を映し出していた。」「混乱する女性の内面を、人形を使って外側からあぶり出そうとする試みがユニークだ。実在の坑夫が下りてゆく坑道と、巨大倉庫に一人取り残されている小波が、一つの暗闇でつながり合う場面も印象深い。」「受賞作に推しきれなかったのが、残念でならない。」 鈴木涼美 39歳 全 △ 9 「主人公は、最初から母との過去を納得して受け入れようとはしていない。ただ、母の死だけを見つめている。」「死以外の方法を示さない、母という存在の残酷さが、にじみ出ていた。」 年森瑛 27歳 全 ■ 9 「まどかは、実に賢い子だ。」「しかし作者が、彼女の分析を的確に言葉に置き換えてしまっている点が、むしろ弱点のような気がした。」 山下紘加 28歳 全 △ 17 「深刻な介護の話でありながら、どこかあきらめきって、突き抜けた雰囲気を漂わせている。」「きいちゃんが一人、見返りのない労働に没入している。いつしか、主人公の語りから置き去りにされるきいちゃんの存在が、最も大きくなってゆく。ふと、きいちゃんの視点でこの小説を読んでみたい、という気持ちになっていた。」

他の選考委員 山田詠美 島田雅彦 松浦寿輝 吉田修一 平野啓一郎 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

松浦寿輝68歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題冷酷な視線　総行数96　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高瀬隼子 34歳 全 ◎ 48 「候補作五篇のうち（引用者中略）ずば抜けて面白い。閉じた小集団内部での人間関係の力学が繊細な筆致で活写され、どこか横光利一「機械」を思わせる。」「圧倒的に凄いのはいつもにこにこしている「芦川さん」の人物像の造型だ。」「打算的な女と煮え切らない男を突き放して見ている作者の視線は冷酷だが、同時にその距離感によって二人を優しく赦している気配もある。」 小砂川チト 32歳 全 ― 0   鈴木涼美 39歳 全 ○ 26 「心理を、描写するのではなくアクションの連鎖に語らせてゆくハードボイルドな書きぶりは堂に入ったものである。」「選考委員会では臨終の床にある母とのあいだに和解が成り立つのが安易だという意見が出たが、この場面で主人公が自分の母を赦しているとは、わたしには読めなかった。」「「ギフテッド」の同時受賞も――という可能性が浮上すれば積極的に支持するつもりでいた」 年森瑛 27歳 全 △ 11 「「摂食障害」（引用者中略）「ＳＮＳ」「ＬＧＢＴＱ」という現代的トピック三つを並べた、あざとい三題噺のような物語で、題名の付けかたをはじめ、作者の才走りように感心しないでもない。」 山下紘加 28歳 全 ■ 11 「惚けかけた祖母との「悪態」の投げつけ合いはむしろ退屈だった。」「主人公が祖母の頭にそっと手をのせ、「頭皮の、あの何とも言えない剥き出しの感覚」に恐怖を覚える場面。少なくともここにだけは小説家の感性がある。」

他の選考委員 山田詠美 島田雅彦 小川洋子 吉田修一 平野啓一郎 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

吉田修一53歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数97　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高瀬隼子 34歳 全 △ 23 「誰も我慢しなくて済むようにとの思いから生まれたはずの多くのコンプライアンスの中で、誰が一番我慢を強いられているか？　を競うコンテストのような物語として読んだ。」「全体的に少し冗長すぎるように思う。描写で読みたい場面の多くが会話文で処理されているのも不満が残る。」「とはいえ、前作に引き続きの筆力は確かである。」 小砂川チト 32歳 全 ■ 18 「読み応えはあったが、例えば今回のように主人公の女性が、理解のない夫に精神的に追い詰められ、突飛な行動に出るというプロットは、わりとよくあるもので、ならばせっかくのツトムをもっと現実に引き寄せる形でうまく使って欲しかった。」 鈴木涼美 39歳 全 ○ 29 「一文一文に見られる覚悟もそうだが、小説のラストをポエムで着地させようとするのは相当な覚悟が必要で、今回はその仕掛けがうまくいっていると思う。おそらくこれが仕掛けではなく、リアルだからなのだろう。」「ダメな母×ダメな娘が感動的である。」「ただ、難点を言えば、その母と娘の関係性を、たとえば家出したやくざな息子と無口な父親に置き換えた場合、（引用者中略）どこか浪花節っぽいストーリーにも読めてしまう。」 年森瑛 27歳 全 ■ 11 「何か新しい人間たちがこの作品の中では生きているという感触もあった。」「ただ、その感触がまだどうしても弱い。」 山下紘加 28歳 全 ■ 16 「ヤングケアラーの壮絶な介護記録文学として読ませる力はあると思うが、流石にここまで「あくてえ」が続くと、夏は暑い夏は暑い夏は暑いと延々と言い続けられているようで、読者としての忍耐が持たなかった。」

他の選考委員 山田詠美 島田雅彦 小川洋子 松浦寿輝 平野啓一郎 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

平野啓一郎47歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題気になり続ける作品　総行数90　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高瀬隼子 34歳 全 △ 22 「生のルーティンの懐疑という前作以来の主題は、より複雑化し、緻密になった分、インパクトはやや低下したが、作者の着実な歩みが評価されたことは喜ばしい。」 小砂川チト 32歳 全 ◎ 32 「今回は『家庭用安心坑夫』を推した。」「母の狂気に受動的に従っていた娘が、そこから解放された後、いっそ母のように狂えていたなら、という無意識裡の願望に衝き動かされ、実行に移すという発想に、非凡なものを感じた。」「結局は母のようには狂えないまま、一端、踏み外してしまった日常にも、もう帰る場所がないという結びにはペーソスを感じた。」「全候補作を読み終えてからも、私はこの小説のことが気になって仕方がなく、別の作品を推すつもりだったが、最終的に考えを変えた。」 鈴木涼美 39歳 全 ■ 16 「「母と娘」という主題については、前回候補作の『Schoolgirl』が鮮烈にアプローチを更新したような新味に乏しかった。死という契機を導入した「父殺し」ならぬ「母赦し」という定型は、よくわかるのだが、（引用者中略）作者の願望としての和解のヴィジョンの直接的な提示に、本当にそういう着地だろうかと、どうしても疑問を抱く。」 年森瑛 27歳 全 △ 11 「性自認に於ける“本当の自分”という意識が、そのフレームを食み出して、主体そのものの本質主義にまで拡張される様をアイロニカルに描いている。佳作だった。」 山下紘加 28歳 全 ● 9 「知らないおばあさんの悪口をずっと聞かされているような心地悪さがあった。主人公の苦境は理解できるものの、小説としては工夫が足りない。」

他の選考委員 山田詠美 島田雅彦 小川洋子 松浦寿輝 吉田修一 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

奥泉光66歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題野心的作品　総行数83　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高瀬隼子 34歳 全 ◎ 28 「自分もこの作品を推した。」「どこにでもありそうな職場の、珍しくもない人間模様を描いた本作は、一人称と三人称の二つの視点を導入することで、人物らの「関係」を立体的に描き出すことに成功している。」「一見は平凡に見えて、本作は野心的な作品といってよく、作者の方法への意識の高さをなにより評価した。」 小砂川チト 32歳 全 △ 16 「主人公の「妄想」を軸に展開するドタバタ劇ふうの筋立ては、馬鹿馬鹿しいけれど、馬鹿馬鹿しさには熱がこもり、そこはかとない哀感も漂う。」「（引用者注：「あくてえ」と共に）小説の奥行きの点で受賞作にやや及ばないと考えた。」 鈴木涼美 39歳 全 ■ 14 「主人公の生活心情を描く文章の質は高く、ともすれば単調になりがちな一人称の小説空間にも広がりがあり、作者の才気が感じられた。が、母親の死という、強力な物語の磁場に小説が閉じ込められてしまった印象があった。」 年森瑛 27歳 全 ■ 11 「快作であるが、小説中の鍵語であり、物語の推進力たるべき「かけがえのない他人」がいまひとつ焦点を結ばぬ憾みが残った。」 山下紘加 28歳 全 △ 15 「介護する側される側の、悪態をついて感情のエネルギーを処理するほかない、どうにもならぬ有様が、どうにもならぬままに描き出される、その徹底ぶりは爽快ですらある。」「（引用者注：「家庭用安心坑夫」と共に）小説の奥行きの点で受賞作にやや及ばないと考えた。」   「芥川賞の選考が近づくとコロナ感染者数が増大するという嬉しくない現象のなか、それでも久しぶりに選考委員は大多数が会場に集まり、やはり議論は対面がしやすいとあらためて感じた。」

他の選考委員 山田詠美 島田雅彦 小川洋子 松浦寿輝 吉田修一 平野啓一郎 川上弘美 堀江敏幸

川上弘美64歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題球体　総行数92　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高瀬隼子 34歳 全 ○ 41 「（引用者注：「Ｎ／Ａ」と共に）○をつけました。」「わたしは読みながら、芦川と二谷に心を奪われてしまった。押尾も、もちろん好き。周囲のほかの同僚たちも面白い。やがてかれら全員が、簡単にはほぐれない一つの球体をなして、どんどん輝きを放ってくる。」「作られた人たちのはずなのに、作者の手をずいぶん離れて、作者も思っていなかった行動を、かれらはしていったのではないでしょうか。」 小砂川チト 32歳 全 ■ 6 「「がんばって書いた。うん、よくやった」と思わせてしまったのが、残念。もっと力を抜くか、あるいは、したたかに書くか、でもいいのかも。」 鈴木涼美 39歳 全 △ 18 「△をつけましたが、○にとても近かった。語り手が、建物の廊下に出るための「重たい扉」をきしませながら開け、さらに自分の部屋の前まで来てから鍵を開くという、冒頭の場面から、人間の身体がそこにある、と感じました。いっぽうの、語り手の母親の身体感は、たいそう薄い。その書き分けようがとても自然で、一回読んだ時にはわたしも気がつかなかったのです。」 年森瑛 27歳 全 ○ 20 「（引用者注：「おいしいごはんが食べられますように」と共に）○をつけました。」「ある規格におさめられてしまうことを拒否している語り手、という存在は、多くの小説にあらわれてきましたが、この小説の語り手は、言葉の表層だけではなく、そこに本当に存在している人間としての実感をこめて、何かを拒否しているように感じられたのです。語り手が、作者のたくらみを表現するだけの道具にはとどまらず、自立している。」 山下紘加 28歳 全 ■ 10 「「きいちゃん」は、わたしにとって、全部の小説の中で一番恐ろしい人でした。」「それにくらべ、語り手と「ばばあ」は、安心できて、その安心感が、少し、わざわいしたのかもしれません。」

他の選考委員 山田詠美 島田雅彦 小川洋子 松浦寿輝 吉田修一 平野啓一郎 奥泉光 堀江敏幸

堀江敏幸58歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題使用不可の旨味　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高瀬隼子 34歳 全 ○ 20 「会社内の群像劇に一対一の関係を入れ込むのではなく、一対一の関係が多対一に溶けて不気味に広がり出す過程を巧みに描きだす。」「芦川という女性の「使用不可」感の凄みが際立つのは事実だが、（引用者中略）他のどこからも「入手不可」で「ないがしろにできない」ものとして徹底されていくところに、あとをひく旨味があった。」 小砂川チト 32歳 全 △ 19 「あなたの父親はツトムだと言い続けて亡くなった母親の虚言は、語り手の現在に重なったとたん、つよい真実に変貌する。」「この得がたい感覚が、実在の施設に書き割りを借りたツトムの周辺の記述の濃度の高さによって弱まり、他の部分との折り合いが悪くなっている。ツトムはしかし、忘れがたい。」 鈴木涼美 39歳 全 ■ 14 「重いドアの開け閉めの際の、空気をゆっくり押し出すような「緩」のなかでの濃淡のにじませ方が心に残る。ただ、それが母の遺した詩にならない詩（の形をした詩）に収束し、「――できれば、しずかにしまるといい。」と結ばれた瞬間、あいだに聞こえていた荒い呼気の力が、少し薄れた気がする。」 年森瑛 27歳 全 ■ 15 「語り手に一種の改心をもたらすのは否定的に扱った相手から示される下心なしの反応なのだが、そこへ持っていくための最後をややしつらえすぎたかもしれない。」 山下紘加 28歳 全 ■ 17 「ばばあの暴言や語り手の返しより母親のきいちゃんが黙って抱えている屈折の方が雄弁に感じられる。主人公が小説家志望だとしたら、この沈黙の根に触れるべきだったのではないか。」

他の選考委員 山田詠美 島田雅彦 小川洋子 松浦寿輝 吉田修一 平野啓一郎 奥泉光 川上弘美

高瀬隼子34歳×各選考委員　 「おいしいごはんが食べられますように」 中篇 193枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 63歳 全 □ 9 「私を含む多くの女性が天敵と恐れる「猛禽©瀧波ユカリさん」登場！　彼女のそら恐ろしさが、これでもか、と描かれる。思わず上手い！　と唸った。でも、少しだけエッセイ漫画的既視感があるのが残念。」 島田雅彦 61歳 全 △ 17 「人物設定を意図的に類型化しているのだが、可愛くて料理上手の、いわば特性のない女が総取りするという脱力の結末に向かう行程を面白がるか、首を傾げるかで評価は分かれた。」 小川洋子 60歳 全 ■ 6 「最も恐ろしいのは芦川さんだ。その恐ろしさが一つの壁を突き破り、狂気を帯びるところにまで至っていれば、と思う。」 松浦寿輝 68歳 全 ◎ 48 「候補作五篇のうち（引用者中略）ずば抜けて面白い。閉じた小集団内部での人間関係の力学が繊細な筆致で活写され、どこか横光利一「機械」を思わせる。」「圧倒的に凄いのはいつもにこにこしている「芦川さん」の人物像の造型だ。」「打算的な女と煮え切らない男を突き放して見ている作者の視線は冷酷だが、同時にその距離感によって二人を優しく赦している気配もある。」 吉田修一 53歳 全 △ 23 「誰も我慢しなくて済むようにとの思いから生まれたはずの多くのコンプライアンスの中で、誰が一番我慢を強いられているか？　を競うコンテストのような物語として読んだ。」「全体的に少し冗長すぎるように思う。描写で読みたい場面の多くが会話文で処理されているのも不満が残る。」「とはいえ、前作に引き続きの筆力は確かである。」 平野啓一郎 47歳 全 △ 22 「生のルーティンの懐疑という前作以来の主題は、より複雑化し、緻密になった分、インパクトはやや低下したが、作者の着実な歩みが評価されたことは喜ばしい。」 奥泉光 66歳 全 ◎ 28 「自分もこの作品を推した。」「どこにでもありそうな職場の、珍しくもない人間模様を描いた本作は、一人称と三人称の二つの視点を導入することで、人物らの「関係」を立体的に描き出すことに成功している。」「一見は平凡に見えて、本作は野心的な作品といってよく、作者の方法への意識の高さをなにより評価した。」 川上弘美 64歳 全 ○ 41 「（引用者注：「Ｎ／Ａ」と共に）○をつけました。」「わたしは読みながら、芦川と二谷に心を奪われてしまった。押尾も、もちろん好き。周囲のほかの同僚たちも面白い。やがてかれら全員が、簡単にはほぐれない一つの球体をなして、どんどん輝きを放ってくる。」「作られた人たちのはずなのに、作者の手をずいぶん離れて、作者も思っていなかった行動を、かれらはしていったのではないでしょうか。」 堀江敏幸 58歳 全 ○ 20 「会社内の群像劇に一対一の関係を入れ込むのではなく、一対一の関係が多対一に溶けて不気味に広がり出す過程を巧みに描きだす。」「芦川という女性の「使用不可」感の凄みが際立つのは事実だが、（引用者中略）他のどこからも「入手不可」で「ないがしろにできない」ものとして徹底されていくところに、あとをひく旨味があった。」

他の候補作 小砂川チト 「家庭用安心坑夫」 鈴木涼美 「ギフテッド」 年森瑛 「Ｎ／Ａ」 山下紘加 「あくてえ」

小砂川チト32歳×各選考委員　 「家庭用安心坑夫」 中篇 185枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 63歳 全 ■ 10 「おかしくてチャーミングで、そして、不気味な時間が交錯し、引き付けられながら読んだ。しかし、ちょっと凝り過ぎでは？　ツトムとサナが上手く噛み合ってない気が。」 島田雅彦 61歳 全 △ 23 「焦点人物は都内の集合住宅に夫と暮らす専業主婦小波だが、おそらくは心の病を抱えている。」「幼少の頃から小波は坑夫の人形をツトムと呼び、父と聞かされ、生活の一部と見なしていた。やがて、その人形を連れ帰り、同居を始めるのだが、不気味に思い始め、実家に置き去りにして東京に戻ることにする。」「誰もがテーマパーク化した現実の中で暮らすことの違和感を抱えるが、それを炙り出している。」 小川洋子 60歳 全 ◎ 42 「主人公の小波とツトムの間に通う信号は、特別な波形を映し出していた。」「混乱する女性の内面を、人形を使って外側からあぶり出そうとする試みがユニークだ。実在の坑夫が下りてゆく坑道と、巨大倉庫に一人取り残されている小波が、一つの暗闇でつながり合う場面も印象深い。」「受賞作に推しきれなかったのが、残念でならない。」 松浦寿輝 68歳 全 ― 0   吉田修一 53歳 全 ■ 18 「読み応えはあったが、例えば今回のように主人公の女性が、理解のない夫に精神的に追い詰められ、突飛な行動に出るというプロットは、わりとよくあるもので、ならばせっかくのツトムをもっと現実に引き寄せる形でうまく使って欲しかった。」 平野啓一郎 47歳 全 ◎ 32 「今回は『家庭用安心坑夫』を推した。」「母の狂気に受動的に従っていた娘が、そこから解放された後、いっそ母のように狂えていたなら、という無意識裡の願望に衝き動かされ、実行に移すという発想に、非凡なものを感じた。」「結局は母のようには狂えないまま、一端、踏み外してしまった日常にも、もう帰る場所がないという結びにはペーソスを感じた。」「全候補作を読み終えてからも、私はこの小説のことが気になって仕方がなく、別の作品を推すつもりだったが、最終的に考えを変えた。」 奥泉光 66歳 全 △ 16 「主人公の「妄想」を軸に展開するドタバタ劇ふうの筋立ては、馬鹿馬鹿しいけれど、馬鹿馬鹿しさには熱がこもり、そこはかとない哀感も漂う。」「（引用者注：「あくてえ」と共に）小説の奥行きの点で受賞作にやや及ばないと考えた。」 川上弘美 64歳 全 ■ 6 「「がんばって書いた。うん、よくやった」と思わせてしまったのが、残念。もっと力を抜くか、あるいは、したたかに書くか、でもいいのかも。」 堀江敏幸 58歳 全 △ 19 「あなたの父親はツトムだと言い続けて亡くなった母親の虚言は、語り手の現在に重なったとたん、つよい真実に変貌する。」「この得がたい感覚が、実在の施設に書き割りを借りたツトムの周辺の記述の濃度の高さによって弱まり、他の部分との折り合いが悪くなっている。ツトムはしかし、忘れがたい。」

他の候補作 高瀬隼子 「おいしいごはんが食べられますように」 鈴木涼美 「ギフテッド」 年森瑛 「Ｎ／Ａ」 山下紘加 「あくてえ」

鈴木涼美39歳×各選考委員　 「ギフテッド」 短篇 130枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 63歳 全 ■ 9 「十行の説明を、たった一行で表わすのを「小説」という。もっと、つたなく書いてみては？　〈最後の詩〉のように。」 島田雅彦 61歳 全 △ 20 「ホステスの「私」は、「あと一編だけ、詩をかき上げたい」と願う母を引き取る。」「母を突き放す娘の視点を縦糸に、自殺した女友達や母をよく知る男を横糸に絡め、未来の自分に思いを馳せているようにも読める。母の遺作の詩で小説は締めくくられるが、この詩が枯れていて、出来損ないであることによって、乾いた悲しみが際立っている。」 小川洋子 60歳 全 △ 9 「主人公は、最初から母との過去を納得して受け入れようとはしていない。ただ、母の死だけを見つめている。」「死以外の方法を示さない、母という存在の残酷さが、にじみ出ていた。」 松浦寿輝 68歳 全 ○ 26 「心理を、描写するのではなくアクションの連鎖に語らせてゆくハードボイルドな書きぶりは堂に入ったものである。」「選考委員会では臨終の床にある母とのあいだに和解が成り立つのが安易だという意見が出たが、この場面で主人公が自分の母を赦しているとは、わたしには読めなかった。」「「ギフテッド」の同時受賞も――という可能性が浮上すれば積極的に支持するつもりでいた」 吉田修一 53歳 全 ○ 29 「一文一文に見られる覚悟もそうだが、小説のラストをポエムで着地させようとするのは相当な覚悟が必要で、今回はその仕掛けがうまくいっていると思う。おそらくこれが仕掛けではなく、リアルだからなのだろう。」「ダメな母×ダメな娘が感動的である。」「ただ、難点を言えば、その母と娘の関係性を、たとえば家出したやくざな息子と無口な父親に置き換えた場合、（引用者中略）どこか浪花節っぽいストーリーにも読めてしまう。」 平野啓一郎 47歳 全 ■ 16 「「母と娘」という主題については、前回候補作の『Schoolgirl』が鮮烈にアプローチを更新したような新味に乏しかった。死という契機を導入した「父殺し」ならぬ「母赦し」という定型は、よくわかるのだが、（引用者中略）作者の願望としての和解のヴィジョンの直接的な提示に、本当にそういう着地だろうかと、どうしても疑問を抱く。」 奥泉光 66歳 全 ■ 14 「主人公の生活心情を描く文章の質は高く、ともすれば単調になりがちな一人称の小説空間にも広がりがあり、作者の才気が感じられた。が、母親の死という、強力な物語の磁場に小説が閉じ込められてしまった印象があった。」 川上弘美 64歳 全 △ 18 「△をつけましたが、○にとても近かった。語り手が、建物の廊下に出るための「重たい扉」をきしませながら開け、さらに自分の部屋の前まで来てから鍵を開くという、冒頭の場面から、人間の身体がそこにある、と感じました。いっぽうの、語り手の母親の身体感は、たいそう薄い。その書き分けようがとても自然で、一回読んだ時にはわたしも気がつかなかったのです。」 堀江敏幸 58歳 全 ■ 14 「重いドアの開け閉めの際の、空気をゆっくり押し出すような「緩」のなかでの濃淡のにじませ方が心に残る。ただ、それが母の遺した詩にならない詩（の形をした詩）に収束し、「――できれば、しずかにしまるといい。」と結ばれた瞬間、あいだに聞こえていた荒い呼気の力が、少し薄れた気がする。」

他の候補作 高瀬隼子 「おいしいごはんが食べられますように」 小砂川チト 「家庭用安心坑夫」 年森瑛 「Ｎ／Ａ」 山下紘加 「あくてえ」

年森瑛27歳×各選考委員　 「Ｎ／Ａ」 短篇 124枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 63歳 全 △ 15 「大切に一文を重ねて行っているのが解る。でも、時々出現する御丁寧で大仰な比喩が興を削ぐ。」「それらを一度全部取ってみたら、いっきに洗練されると思う。小説における洗練とは野蛮さに磨きをかけることだ。」 島田雅彦 61歳 全 △ 18 「月経を忌避し、偏食を続ける高校生まどかは（引用者中略）他人との接触の仕方に悩むあまり、一種のコミュ障に陥り、紋切り型への恐怖を募らせるその迷走ぶりが「乱暴に」描写される。生身の自分に理想的行動ができるアプリをダウンロードしようとするが、どうしても齟齬が生じてしまう実態は、「多様な生き方」の曖昧さを浮き彫りにする。」 小川洋子 60歳 全 ■ 9 「まどかは、実に賢い子だ。」「しかし作者が、彼女の分析を的確に言葉に置き換えてしまっている点が、むしろ弱点のような気がした。」 松浦寿輝 68歳 全 △ 11 「「摂食障害」（引用者中略）「ＳＮＳ」「ＬＧＢＴＱ」という現代的トピック三つを並べた、あざとい三題噺のような物語で、題名の付けかたをはじめ、作者の才走りように感心しないでもない。」 吉田修一 53歳 全 ■ 11 「何か新しい人間たちがこの作品の中では生きているという感触もあった。」「ただ、その感触がまだどうしても弱い。」 平野啓一郎 47歳 全 △ 11 「性自認に於ける“本当の自分”という意識が、そのフレームを食み出して、主体そのものの本質主義にまで拡張される様をアイロニカルに描いている。佳作だった。」 奥泉光 66歳 全 ■ 11 「快作であるが、小説中の鍵語であり、物語の推進力たるべき「かけがえのない他人」がいまひとつ焦点を結ばぬ憾みが残った。」 川上弘美 64歳 全 ○ 20 「（引用者注：「おいしいごはんが食べられますように」と共に）○をつけました。」「ある規格におさめられてしまうことを拒否している語り手、という存在は、多くの小説にあらわれてきましたが、この小説の語り手は、言葉の表層だけではなく、そこに本当に存在している人間としての実感をこめて、何かを拒否しているように感じられたのです。語り手が、作者のたくらみを表現するだけの道具にはとどまらず、自立している。」 堀江敏幸 58歳 全 ■ 15 「語り手に一種の改心をもたらすのは否定的に扱った相手から示される下心なしの反応なのだが、そこへ持っていくための最後をややしつらえすぎたかもしれない。」

他の候補作 高瀬隼子 「おいしいごはんが食べられますように」 小砂川チト 「家庭用安心坑夫」 鈴木涼美 「ギフテッド」 山下紘加 「あくてえ」

山下紘加28歳×各選考委員　 「あくてえ」 中篇 237枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 63歳 全 ◎ 11 「これまでも老人介護の作品はいくつかあり、受賞もしているが、皆、ポップな方向に逃げている。しかし、これは、ガッツリ向い合っているところを評価して○を付けた。世界平和より、今、こちらを訴えたい人は多い。」 島田雅彦 61歳 全 △ 10 「ボケが進んだ祖母に対し、毒蝮三太夫ばりの悪態をつきまくる孫の介護と小説家修行の悪戦苦闘の日々を描く。」「毒親の末路をしっかり観察している。」 小川洋子 60歳 全 △ 17 「深刻な介護の話でありながら、どこかあきらめきって、突き抜けた雰囲気を漂わせている。」「きいちゃんが一人、見返りのない労働に没入している。いつしか、主人公の語りから置き去りにされるきいちゃんの存在が、最も大きくなってゆく。ふと、きいちゃんの視点でこの小説を読んでみたい、という気持ちになっていた。」 松浦寿輝 68歳 全 ■ 11 「惚けかけた祖母との「悪態」の投げつけ合いはむしろ退屈だった。」「主人公が祖母の頭にそっと手をのせ、「頭皮の、あの何とも言えない剥き出しの感覚」に恐怖を覚える場面。少なくともここにだけは小説家の感性がある。」 吉田修一 53歳 全 ■ 16 「ヤングケアラーの壮絶な介護記録文学として読ませる力はあると思うが、流石にここまで「あくてえ」が続くと、夏は暑い夏は暑い夏は暑いと延々と言い続けられているようで、読者としての忍耐が持たなかった。」 平野啓一郎 47歳 全 ● 9 「知らないおばあさんの悪口をずっと聞かされているような心地悪さがあった。主人公の苦境は理解できるものの、小説としては工夫が足りない。」 奥泉光 66歳 全 △ 15 「介護する側される側の、悪態をついて感情のエネルギーを処理するほかない、どうにもならぬ有様が、どうにもならぬままに描き出される、その徹底ぶりは爽快ですらある。」「（引用者注：「家庭用安心坑夫」と共に）小説の奥行きの点で受賞作にやや及ばないと考えた。」 川上弘美 64歳 全 ■ 10 「「きいちゃん」は、わたしにとって、全部の小説の中で一番恐ろしい人でした。」「それにくらべ、語り手と「ばばあ」は、安心できて、その安心感が、少し、わざわいしたのかもしれません。」 堀江敏幸 58歳 全 ■ 17 「ばばあの暴言や語り手の返しより母親のきいちゃんが黙って抱えている屈折の方が雄弁に感じられる。主人公が小説家志望だとしたら、この沈黙の根に触れるべきだったのではないか。」

他の候補作 高瀬隼子 「おいしいごはんが食べられますように」 小砂川チト 「家庭用安心坑夫」 鈴木涼美 「ギフテッド」 年森瑛 「Ｎ／Ａ」