第166回

第165回第167回

令和3年/2021年下半期 令和4年/2022年1月19日決定発表／『文藝春秋』令和4年/2022年3月号選評掲載

選考委員　 小川洋子 59歳 島田雅彦 60歳 吉田修一 53歳 山田詠美 62歳 奥泉光 65歳 川上弘美 63歳 平野啓一郎 46歳 松浦寿輝 67歳 堀江敏幸 58歳 選評総行数　 85 85 91 92 95 90 86 96 85 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 砂川文次　「ブラックボックス」 240枚 31歳 評 ○ 37 △ 19 ◎ 36 ○ 9 △ 10 ◎ 53 □ 16 △ 39 △ 20 石田夏穂　「我が友、スミス」 219枚 30歳 評 ■ 12 ■ 9 △ 14 △ 17 △ 18 ◎ 21 ■ 17 ― 0 ■ 15 九段理江　「Schoolgirl」 134枚 31歳 評 ■ 6 ◎ 28 △ 14 ■ 24 ■ 21 ■ 6 ◎ 33 ◎ 49 △ 15 島口大樹　「オン・ザ・プラネット」 264枚 23歳 評 △ 12 ■ 10 ● 12 ● 22 △ 20 ■ 6 ● 9 ― 0 ■ 18 乗代雄介　「皆のあらばしり」 179枚 35歳 評 □ 18 ■ 10 ■ 15 ● 20 ■ 15 ■ 12 ■ 11 △ 10 ○ 17                   年齢/枚数の説明   見方・注意点

小川洋子59歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題真正面から　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 砂川文次 31歳 全 ○ 37 「ものを運ぶだけの日常も、恋人との関係も、刑務所での毎日も、隔てなく客観的に描写している。安っぽい感傷が入り込む余地はない。だからこそ、サクマを取り囲む壁の冷ややかさが、生々しく伝わってくる。」「今回、工夫を凝らし、策を練った候補作が目立った中で、最も真正面から文学にぶつかっていった作品が受賞となった。文学的な挑戦は、目新しさの中にあるとは限らない。」 石田夏穂 30歳 全 ■ 12 「筋トレをして別の生き物になる、自由に体を鍛えることで自分を好きになれる。主人公が味わう喜びには新鮮さがあった。ただ、肉体と心が一対一で対決する緊張感が、もっとほしかった。」 九段理江 31歳 全 ■ 6 「『Schoolgirl』の娘と母は、対立することさえできない異なる座標に立っている。その不気味さが、底なしに深く掘り下げられてゆくさまを読みたかった。」 島口大樹 23歳 全 △ 12 「切れ目のない不思議な視点の入れ替わりも、映画の内側と外側の混在も、魅力的に活きていた。おしまいには登場人物たちが境界線を失くし、砂丘のように平らになったかのようだった。」 乗代雄介 35歳 全 □ 18 「知識が異様に豊富で、記憶力が抜群で、胡散臭い人生訓を垂れる謎の男の存在感が、抜群だった。」「最後にヘビのおもちゃが飛び出してくる場面など、多少やり過ぎのような気もするが、乗代さんの徹底ぶりはやはり、評価に値する。」

他の選考委員 島田雅彦 吉田修一 山田詠美 奥泉光 川上弘美 平野啓一郎 松浦寿輝 堀江敏幸

島田雅彦60歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題文学的逆襲？　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 砂川文次 31歳 全 △ 19 「この作品はメッセンジャーとしての日常を描く前半と刑務所で懲役刑に服す後半から構成される。両者の間には因果や必然性が欠落しているのだが、現在巷で流行る理不尽極まる突発的犯罪の背後に見え隠れするものを確実に捉えている。」 石田夏穂 30歳 全 ■ 9 「トレーニングを通じて「別の生き物」になろうとするヒロインの実存は変わらなかった。冷静な分析に終始する姿勢によって最高のルポルタージュにはなった。」 九段理江 31歳 全 ◎ 28 「母と娘の対立は、迷信や無知との戦いでもあり、影響の不安をめぐる感情的軋轢でもあるので、父と息子におけるイデオロギー対立のように単純には解決できない。そこにＡＩなどが登場して、このテーマにまつわる達観を披露したりするのだが、これもユニークな新機軸となっている。母と娘の対立に無関係なおっさん三人がこの力業を強く推した」 島口大樹 23歳 全 ■ 10 「作中で展開される友達同士のチャットに魅力はあるものの、思弁をもっと有機的にストーリー展開にからめてほしかった。」 乗代雄介 35歳 全 ■ 10 「郷土史の魅力的エピソードをしゃべくり漫才に溶かし込み、その軽妙な会話でストーリーをすすめ、どんでん返しを仕込むというエンターティメントの新しいフォーマットを開発したことは評価するが、自問自答につきものの予定調和感は否めない。」

他の選考委員 小川洋子 吉田修一 山田詠美 奥泉光 川上弘美 平野啓一郎 松浦寿輝 堀江敏幸

吉田修一53歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数91　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 砂川文次 31歳 全 ◎ 36 「Uber Eatsの配達員を一昔前の新聞配達員に重ね合わせれば、中上健次の『十九歳の地図』の系譜と言えなくもなく、もちろん本家が持つ言語の暴力性には大きく及ばないながらも、ここには、新宿通り、外堀通り……、都心の大通りや路地裏に吐き捨てられ、踏みつけられて、乾いて、雨に流されていった都市の言葉たちが満ちている。」「ここには圧倒的な実感がある。もしもこの実感を古臭さと呼ぶのなら、私は胸を張ってこの古臭さを買いたいと思う。」 石田夏穂 30歳 全 △ 14 「地味なＯＬがタフな自分に変身していくという王道のストーリーが、ボディビルやフェミニズムの視点で更新されているのだろうが、もう一つ食い足りないのは、おそらくタフな別の生き物という作者が描きたかったイメージがうまく伝わってこなかったせいではないだろうか。」 九段理江 31歳 全 △ 14 「娘世代の正義に翻弄される時代遅れの母親がとてもよく描けている反面、いかにも現代風の娘の造形が少しステレオタイプすぎないだろうか。頑張ってＡＩロボットを描かなくても、冷えたベーコンエッグをそっと娘に出すような場面の方がずっと現代的だと思う。」 島口大樹 23歳 全 ● 12 「頭でっかちな会話が青臭い。誰もが一度は通る道なので、青臭さを否定するわけではないが、付き合うにしても泊りがけは長い。せめて日帰り旅行くらいにしてほしかった。」 乗代雄介 35歳 全 ■ 15 「絶妙な場所選びのセンスとその土地のアーカイブを題材に、演歌のご当地ソングではないが、ご当地小説というジャンルを確立できるのではないかと思ってしまった。今回は少し作為的すぎたかもしれないが、相変わらず力ある書き手なのは間違いない。」

他の選考委員 小川洋子 島田雅彦 山田詠美 奥泉光 川上弘美 平野啓一郎 松浦寿輝 堀江敏幸

山田詠美62歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「選評」　総行数92　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 砂川文次 31歳 全 ○ 9 「「青春の殺人者」的要素を持った小説は、いつの時代でも生まれ続ける。なかなか来ない刑期満了の人生の息苦しさを描いたこの作品に最終的に○を付けた。」 石田夏穂 30歳 全 △ 17 「小気味良い語り口で読ませる。でも、なんか引っ掛かりがないなー、と感じていた時に、たまたま、ビキニアスリートの一日を追ったドキュメントを観た。（引用者中略）映像の中の生身の女性は、体に必要な栄養とは別に、ランチにおはぎ四個を食べて至福を味わうのである。その食べっぷりの見事さを見て、あ、この小説にも、おはぎ的なものがあればなあ、と惜しい気持になった。」 九段理江 31歳 全 ■ 24 「すごくおもしろい小説世界の、まだ導入部という感じがする。」「昔の小説を自分の作品世界に組み込むということは、敬意を持って、それを蹂躙する覚悟が必要である。ちょっと及び腰だったかも。なお、他の選考委員が指摘した新しいトライアルのようなものは感じなかった。」 島口大樹 23歳 全 ● 22 「良くも悪くも若者の特権に満ちている。」「若い人たちに八十年代ブームが来てるというけれど、これも、死をアクセントに使うあたりが、ディテイルと相まって八十年代っぽい。意味あり気で意味のない問答も。」 乗代雄介 35歳 全 ● 20 「最後の種明かしで、読み手は、まあ！　そうだったのね！　と納得する……と思ったら大間違いなのである。こういう仕掛け、いらないから。むしろ、このエンディングから始めてしまう潔さがあっても良かったと思う。あそこから展開する小説なんて馬鹿みたいでおもしろいよ。」

他の選考委員 小川洋子 島田雅彦 吉田修一 奥泉光 川上弘美 平野啓一郎 松浦寿輝 堀江敏幸

奥泉光65歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題リーダブルなものとそうでないもの　総行数95　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 砂川文次 31歳 全 △ 10 「方法の冒険はなく、小説的企みも薄く、退屈さは否めなかったが、しかしそれでもなお、ここには何かしら「切実なもの」があると感じさせるだけの迫力があった。」 石田夏穂 30歳 全 △ 18 「軽快な文章で愉しく読ませる。」「なにより登場する人物の輪郭が明確で、読んで心地よい。思わず笑ってしまう箇所も多く、ただいくぶんサービス過剰なところがあって、笑いを狙った表現が上滑りになっているのが惜しい。」 九段理江 31歳 全 ■ 21 「文章は的確で、構想にも魅力がある。が、骨格をなすべき主題が提示されただけの印象をもった。小説はここからはじまるべきではないのか。」 島口大樹 23歳 全 △ 20 「こうした小説は、ともすればひとりよごりになりがちなところ、最後まで飽かず読ませるのはたいしたものだ。全体に漂う「青臭さ」は、青春から遠く離れた自分には芳香とはいえぬが、決して悪いものではないだろう。議論を交わす人物像の輪郭がもう少し明瞭になっていればと思う。」 乗代雄介 35歳 全 ■ 15 「構築性に優れ、しかしその裏腹として、やや作り物めく感じから逃れられなかった。小説はそもそも作り物なのだけれど、右の感想になるのは、なにかしらの徹底が不足しているからかもしれない。作者の掌のうえで読者を転がすのなら、娯楽性のさらなる追求が要るだろう。」   「正月明けに実家のある山形庄内へ候補作を持参していった。今年は雪が多く、ちょうど荒天にあたったから、往復の列車とバス、あるいは実家の座敷で、吹雪く景色を見ながら順番に読んだ。寒気に集中力が増したからなのか、どれもおもしろく読み得た。」

他の選考委員 小川洋子 島田雅彦 吉田修一 山田詠美 川上弘美 平野啓一郎 松浦寿輝 堀江敏幸

川上弘美63歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題丸まってうなる　総行数90　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 砂川文次 31歳 全 ◎ 53 「（引用者注：「我が友、スミス」と共に）○をつけました。」「わたしはとても胸苦しく読みました。」「胸苦しいのは、その文章の表現する意味が胸苦しいからではなく、たとえば若冲の絵を見ている時に胸苦しさを感じるのにも似た理由に因るものなのだと思うのです。過剰に細密なものを見たとき、わたしたちは讃嘆すると同時に、苦しくもなるのではないでしょうか。」 石田夏穂 30歳 全 ◎ 21 「（引用者注：「ブラックボックス」と共に）○をつけました。」「何回笑いくずれたことでしょう。皮肉に笑わされることもあれば、文章の余白に笑わされることもあれば、言葉の置き方の緩急に笑わされることもありました。この作者の、自身の小説に対する客観性が素晴らしいからだと思います。」 九段理江 31歳 全 ■ 6 「小説を作り上げる、ということに対する九段さんの意識の冴えを感じましたが、そこからどれだけ粘って小説を書きつぐかが問題なのだと思います。」 島口大樹 23歳 全 ■ 6 「島口さんが、確信と迷いのどちらをも手放さず書ききることができた時、どんな小説を書くのかを、刮目して待っております。」 乗代雄介 35歳 全 ■ 12 「「男」の造形がとても面白かった。」「ただ、小説を閉じるために作者が小説の中の何かに少し手を貸しすぎてしまった、という印象があるのです。乗代さんの今までの候補作の中では、個人的には一番好きな作品だっただけに、ほんとうに惜しい、と思いました。」

他の選考委員 小川洋子 島田雅彦 吉田修一 山田詠美 奥泉光 平野啓一郎 松浦寿輝 堀江敏幸

平野啓一郎46歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題母娘小説の更新　総行数86　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 砂川文次 31歳 全 □ 16 「著者のマニアックなまでに平板な詳述法が、ギグワーカーとしての主人公の人生を効果的に表現しており、しかもその日常が、服役後も奇妙に連続している点に注目した。」「スタイル自体は、些か手堅過ぎるが、本作の受賞に私も賛成した。」 石田夏穂 30歳 全 ■ 17 「旧弊なジェンダー・バイアスを巡るアイロニーが巧みに描かれているが、空虚化した実存の依存先という主題自体は『推し、燃ゆ』と同範疇であり、そうなると、釣りでもゲームでも料理でも、あとは無限のヴァリエーションが思い浮かぶ。そこに、一種の停滞も感じた。」 九段理江 31歳 全 ◎ 33 「最も高く評価した」「虐待の連鎖を恐れる抑制的な母親と、グレタ・トゥーンベリに憧れ、親世代を「馬鹿あつかい」しているＺ世代の娘という新しい母娘関係が描かれている。」「こうした物語の全体を、夢と覚醒とを象徴として、『女生徒』を踏まえつつ纏め上げる構成力も見事だった。」「結末としての文学への期待も、若い作家の意志として私は肯定的に受け止めた。」 島口大樹 23歳 全 ● 9 「思弁的な小説としては文体を欠き、断片的な思索が一本調子で続いてゆく作りに隔靴掻痒を覚えた。小説内小説という構造も、成功しているとは言い難い。」 乗代雄介 35歳 全 ■ 11 「着想とリサーチは良かったが、（引用者中略）死語的な常套句を乱発する男の単調な関西弁のわざとらしさ、欺し欺されという展開中の「ヘビ」のような小道具の安直さ、「おもろなってきた」等の強引な台詞、……と、小説としては頼りなかった。」

他の選考委員 小川洋子 島田雅彦 吉田修一 山田詠美 奥泉光 川上弘美 松浦寿輝 堀江敏幸

松浦寿輝67歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「Schoolgirl」を推す　総行数96　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 砂川文次 31歳 全 △ 39 「自転車事故も暴行事件も鮮やかな迫真感とともに描出され、意味する言葉と意味されるアクションが間然するところなく合致しつつ、滑らかな律動で回っていく。」「しかし、その滑らかさは自然主義リアリズムの古めかしさと裏おもてで、そこから現代のプロレタリア文学かという感想も浮かぶ。」「わたしは前作「小隊」の、軍事ジャーゴンをしこたま詰めこんだ文章が醸し出す強烈な「異化効果」のほうを高く買う。」 石田夏穂 30歳 全 ― 0   九段理江 31歳 全 ◎ 49 「父不在の状況下での母＝娘の葛藤は、日常心理を逸脱した一種異様な倒錯性をまとっており、フロイト理論も何理論も通用しないきわめて特異な心理小説が試みられていると思われた。」「聡明な作者が世界に向けた知的悪意が全ページをうっすらと覆っていることから来ると思われるこの後味の悪さに、しかしわたしは新しい文学の可能性を感じた。」「ただ、（引用者中略）本作が人物と関係を提示しただけに終わっていて、物語を駆動する出来事やアクションを欠いている点に物足りなさが残ることも事実だ。」 島口大樹 23歳 全 ― 0   乗代雄介 35歳 全 △ 10 「ツイストを利かせたウィッティな小説で、ずいぶん考え抜いて作った構築物だとは思うが、全体が会話劇の体裁なのに会話の言葉が不自然すぎて読者を乗せきれないのは、やはり致命的ではないか。」   「「Schoolgirl」が○、「ブラックボックス」と「皆のあらばしり」が△――というのが今回のわたしの判定である。」

他の選考委員 小川洋子 島田雅彦 吉田修一 山田詠美 奥泉光 川上弘美 平野啓一郎 堀江敏幸

堀江敏幸58歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題ねじ山の距離　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 砂川文次 31歳 全 △ 20 「焦り、怒り、説明不可能な心の暴発。それらを言葉で再生するのは、町の倉庫やオフィスのような中の見えない暗箱ではなく、刑務所内での閉居罰によって生まれた明るい空洞だ。それが従来作の混濁をなくす正の力になった。しかし、小さなねじ山の距離を揃えない前作の、負の力に満ちた行文も忘れがたい。」 石田夏穂 30歳 全 ■ 15 「コミカルな空気感がいい。ただ、謙虚で禁欲的で哲学的な先達たちが抱える空洞を主人公の言葉の増減にもっと活用したら、笑みの表現の幅が広がったと思う。」 九段理江 31歳 全 △ 15 「ＡＩの提案を受け入れながら話す母と、ＳＮＳ上の情報を取捨して語る娘の、質の異なる空虚を混ぜあわせる滑らかな手つきが網膜に残る。」「特別な濾過装置なしでもこの手つきは活かせるのではないか。」 島口大樹 23歳 全 ■ 18 「いまこの年齢でしか書けない若々しい力みの方が前に出ている。横浜から鳥取砂丘まで、そしてまた横浜までの道中を写した映画を観ている語り手のヴォイス・オーヴァーや、ラストの剝製の鳥を用いた挿話が、世界の断片化をむしろ防いでいる点が気にかかる。」 乗代雄介 35歳 全 ○ 17 「これまでの作品の湿気を取り払い、疾走感のある乾いた人工「世界」を現出させた、思い切りのいい語りで読ませる。」「作中、江戸時代後期の蔵書家にして紀行文作家が登場するが、干鰯で富を築いた豪商を扱うにふさわしい言葉の金肥がここにある。」

他の選考委員 小川洋子 島田雅彦 吉田修一 山田詠美 奥泉光 川上弘美 平野啓一郎 松浦寿輝

砂川文次31歳×各選考委員　 「ブラックボックス」 中篇 240枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 59歳 全 ○ 37 「ものを運ぶだけの日常も、恋人との関係も、刑務所での毎日も、隔てなく客観的に描写している。安っぽい感傷が入り込む余地はない。だからこそ、サクマを取り囲む壁の冷ややかさが、生々しく伝わってくる。」「今回、工夫を凝らし、策を練った候補作が目立った中で、最も真正面から文学にぶつかっていった作品が受賞となった。文学的な挑戦は、目新しさの中にあるとは限らない。」 島田雅彦 60歳 全 △ 19 「この作品はメッセンジャーとしての日常を描く前半と刑務所で懲役刑に服す後半から構成される。両者の間には因果や必然性が欠落しているのだが、現在巷で流行る理不尽極まる突発的犯罪の背後に見え隠れするものを確実に捉えている。」 吉田修一 53歳 全 ◎ 36 「Uber Eatsの配達員を一昔前の新聞配達員に重ね合わせれば、中上健次の『十九歳の地図』の系譜と言えなくもなく、もちろん本家が持つ言語の暴力性には大きく及ばないながらも、ここには、新宿通り、外堀通り……、都心の大通りや路地裏に吐き捨てられ、踏みつけられて、乾いて、雨に流されていった都市の言葉たちが満ちている。」「ここには圧倒的な実感がある。もしもこの実感を古臭さと呼ぶのなら、私は胸を張ってこの古臭さを買いたいと思う。」 山田詠美 62歳 全 ○ 9 「「青春の殺人者」的要素を持った小説は、いつの時代でも生まれ続ける。なかなか来ない刑期満了の人生の息苦しさを描いたこの作品に最終的に○を付けた。」 奥泉光 65歳 全 △ 10 「方法の冒険はなく、小説的企みも薄く、退屈さは否めなかったが、しかしそれでもなお、ここには何かしら「切実なもの」があると感じさせるだけの迫力があった。」 川上弘美 63歳 全 ◎ 53 「（引用者注：「我が友、スミス」と共に）○をつけました。」「わたしはとても胸苦しく読みました。」「胸苦しいのは、その文章の表現する意味が胸苦しいからではなく、たとえば若冲の絵を見ている時に胸苦しさを感じるのにも似た理由に因るものなのだと思うのです。過剰に細密なものを見たとき、わたしたちは讃嘆すると同時に、苦しくもなるのではないでしょうか。」 平野啓一郎 46歳 全 □ 16 「著者のマニアックなまでに平板な詳述法が、ギグワーカーとしての主人公の人生を効果的に表現しており、しかもその日常が、服役後も奇妙に連続している点に注目した。」「スタイル自体は、些か手堅過ぎるが、本作の受賞に私も賛成した。」 松浦寿輝 67歳 全 △ 39 「自転車事故も暴行事件も鮮やかな迫真感とともに描出され、意味する言葉と意味されるアクションが間然するところなく合致しつつ、滑らかな律動で回っていく。」「しかし、その滑らかさは自然主義リアリズムの古めかしさと裏おもてで、そこから現代のプロレタリア文学かという感想も浮かぶ。」「わたしは前作「小隊」の、軍事ジャーゴンをしこたま詰めこんだ文章が醸し出す強烈な「異化効果」のほうを高く買う。」 堀江敏幸 58歳 全 △ 20 「焦り、怒り、説明不可能な心の暴発。それらを言葉で再生するのは、町の倉庫やオフィスのような中の見えない暗箱ではなく、刑務所内での閉居罰によって生まれた明るい空洞だ。それが従来作の混濁をなくす正の力になった。しかし、小さなねじ山の距離を揃えない前作の、負の力に満ちた行文も忘れがたい。」

他の候補作 石田夏穂 「我が友、スミス」 九段理江 「Schoolgirl」 島口大樹 「オン・ザ・プラネット」 乗代雄介 「皆のあらばしり」

石田夏穂30歳×各選考委員　 「我が友、スミス」 中篇 219枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 59歳 全 ■ 12 「筋トレをして別の生き物になる、自由に体を鍛えることで自分を好きになれる。主人公が味わう喜びには新鮮さがあった。ただ、肉体と心が一対一で対決する緊張感が、もっとほしかった。」 島田雅彦 60歳 全 ■ 9 「トレーニングを通じて「別の生き物」になろうとするヒロインの実存は変わらなかった。冷静な分析に終始する姿勢によって最高のルポルタージュにはなった。」 吉田修一 53歳 全 △ 14 「地味なＯＬがタフな自分に変身していくという王道のストーリーが、ボディビルやフェミニズムの視点で更新されているのだろうが、もう一つ食い足りないのは、おそらくタフな別の生き物という作者が描きたかったイメージがうまく伝わってこなかったせいではないだろうか。」 山田詠美 62歳 全 △ 17 「小気味良い語り口で読ませる。でも、なんか引っ掛かりがないなー、と感じていた時に、たまたま、ビキニアスリートの一日を追ったドキュメントを観た。（引用者中略）映像の中の生身の女性は、体に必要な栄養とは別に、ランチにおはぎ四個を食べて至福を味わうのである。その食べっぷりの見事さを見て、あ、この小説にも、おはぎ的なものがあればなあ、と惜しい気持になった。」 奥泉光 65歳 全 △ 18 「軽快な文章で愉しく読ませる。」「なにより登場する人物の輪郭が明確で、読んで心地よい。思わず笑ってしまう箇所も多く、ただいくぶんサービス過剰なところがあって、笑いを狙った表現が上滑りになっているのが惜しい。」 川上弘美 63歳 全 ◎ 21 「（引用者注：「ブラックボックス」と共に）○をつけました。」「何回笑いくずれたことでしょう。皮肉に笑わされることもあれば、文章の余白に笑わされることもあれば、言葉の置き方の緩急に笑わされることもありました。この作者の、自身の小説に対する客観性が素晴らしいからだと思います。」 平野啓一郎 46歳 全 ■ 17 「旧弊なジェンダー・バイアスを巡るアイロニーが巧みに描かれているが、空虚化した実存の依存先という主題自体は『推し、燃ゆ』と同範疇であり、そうなると、釣りでもゲームでも料理でも、あとは無限のヴァリエーションが思い浮かぶ。そこに、一種の停滞も感じた。」 松浦寿輝 67歳 全 ― 0   堀江敏幸 58歳 全 ■ 15 「コミカルな空気感がいい。ただ、謙虚で禁欲的で哲学的な先達たちが抱える空洞を主人公の言葉の増減にもっと活用したら、笑みの表現の幅が広がったと思う。」

他の候補作 砂川文次 「ブラックボックス」 九段理江 「Schoolgirl」 島口大樹 「オン・ザ・プラネット」 乗代雄介 「皆のあらばしり」

九段理江31歳×各選考委員　 「Schoolgirl」 短篇 134枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 59歳 全 ■ 6 「『Schoolgirl』の娘と母は、対立することさえできない異なる座標に立っている。その不気味さが、底なしに深く掘り下げられてゆくさまを読みたかった。」 島田雅彦 60歳 全 ◎ 28 「母と娘の対立は、迷信や無知との戦いでもあり、影響の不安をめぐる感情的軋轢でもあるので、父と息子におけるイデオロギー対立のように単純には解決できない。そこにＡＩなどが登場して、このテーマにまつわる達観を披露したりするのだが、これもユニークな新機軸となっている。母と娘の対立に無関係なおっさん三人がこの力業を強く推した」 吉田修一 53歳 全 △ 14 「娘世代の正義に翻弄される時代遅れの母親がとてもよく描けている反面、いかにも現代風の娘の造形が少しステレオタイプすぎないだろうか。頑張ってＡＩロボットを描かなくても、冷えたベーコンエッグをそっと娘に出すような場面の方がずっと現代的だと思う。」 山田詠美 62歳 全 ■ 24 「すごくおもしろい小説世界の、まだ導入部という感じがする。」「昔の小説を自分の作品世界に組み込むということは、敬意を持って、それを蹂躙する覚悟が必要である。ちょっと及び腰だったかも。なお、他の選考委員が指摘した新しいトライアルのようなものは感じなかった。」 奥泉光 65歳 全 ■ 21 「文章は的確で、構想にも魅力がある。が、骨格をなすべき主題が提示されただけの印象をもった。小説はここからはじまるべきではないのか。」 川上弘美 63歳 全 ■ 6 「小説を作り上げる、ということに対する九段さんの意識の冴えを感じましたが、そこからどれだけ粘って小説を書きつぐかが問題なのだと思います。」 平野啓一郎 46歳 全 ◎ 33 「最も高く評価した」「虐待の連鎖を恐れる抑制的な母親と、グレタ・トゥーンベリに憧れ、親世代を「馬鹿あつかい」しているＺ世代の娘という新しい母娘関係が描かれている。」「こうした物語の全体を、夢と覚醒とを象徴として、『女生徒』を踏まえつつ纏め上げる構成力も見事だった。」「結末としての文学への期待も、若い作家の意志として私は肯定的に受け止めた。」 松浦寿輝 67歳 全 ◎ 49 「父不在の状況下での母＝娘の葛藤は、日常心理を逸脱した一種異様な倒錯性をまとっており、フロイト理論も何理論も通用しないきわめて特異な心理小説が試みられていると思われた。」「聡明な作者が世界に向けた知的悪意が全ページをうっすらと覆っていることから来ると思われるこの後味の悪さに、しかしわたしは新しい文学の可能性を感じた。」「ただ、（引用者中略）本作が人物と関係を提示しただけに終わっていて、物語を駆動する出来事やアクションを欠いている点に物足りなさが残ることも事実だ。」 堀江敏幸 58歳 全 △ 15 「ＡＩの提案を受け入れながら話す母と、ＳＮＳ上の情報を取捨して語る娘の、質の異なる空虚を混ぜあわせる滑らかな手つきが網膜に残る。」「特別な濾過装置なしでもこの手つきは活かせるのではないか。」

他の候補作 砂川文次 「ブラックボックス」 石田夏穂 「我が友、スミス」 島口大樹 「オン・ザ・プラネット」 乗代雄介 「皆のあらばしり」

島口大樹23歳×各選考委員　 「オン・ザ・プラネット」 中篇 264枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 59歳 全 △ 12 「切れ目のない不思議な視点の入れ替わりも、映画の内側と外側の混在も、魅力的に活きていた。おしまいには登場人物たちが境界線を失くし、砂丘のように平らになったかのようだった。」 島田雅彦 60歳 全 ■ 10 「作中で展開される友達同士のチャットに魅力はあるものの、思弁をもっと有機的にストーリー展開にからめてほしかった。」 吉田修一 53歳 全 ● 12 「頭でっかちな会話が青臭い。誰もが一度は通る道なので、青臭さを否定するわけではないが、付き合うにしても泊りがけは長い。せめて日帰り旅行くらいにしてほしかった。」 山田詠美 62歳 全 ● 22 「良くも悪くも若者の特権に満ちている。」「若い人たちに八十年代ブームが来てるというけれど、これも、死をアクセントに使うあたりが、ディテイルと相まって八十年代っぽい。意味あり気で意味のない問答も。」 奥泉光 65歳 全 △ 20 「こうした小説は、ともすればひとりよごりになりがちなところ、最後まで飽かず読ませるのはたいしたものだ。全体に漂う「青臭さ」は、青春から遠く離れた自分には芳香とはいえぬが、決して悪いものではないだろう。議論を交わす人物像の輪郭がもう少し明瞭になっていればと思う。」 川上弘美 63歳 全 ■ 6 「島口さんが、確信と迷いのどちらをも手放さず書ききることができた時、どんな小説を書くのかを、刮目して待っております。」 平野啓一郎 46歳 全 ● 9 「思弁的な小説としては文体を欠き、断片的な思索が一本調子で続いてゆく作りに隔靴掻痒を覚えた。小説内小説という構造も、成功しているとは言い難い。」 松浦寿輝 67歳 全 ― 0   堀江敏幸 58歳 全 ■ 18 「いまこの年齢でしか書けない若々しい力みの方が前に出ている。横浜から鳥取砂丘まで、そしてまた横浜までの道中を写した映画を観ている語り手のヴォイス・オーヴァーや、ラストの剝製の鳥を用いた挿話が、世界の断片化をむしろ防いでいる点が気にかかる。」

他の候補作 砂川文次 「ブラックボックス」 石田夏穂 「我が友、スミス」 九段理江 「Schoolgirl」 乗代雄介 「皆のあらばしり」

乗代雄介35歳×各選考委員　 「皆のあらばしり」 中篇 179枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 59歳 全 □ 18 「知識が異様に豊富で、記憶力が抜群で、胡散臭い人生訓を垂れる謎の男の存在感が、抜群だった。」「最後にヘビのおもちゃが飛び出してくる場面など、多少やり過ぎのような気もするが、乗代さんの徹底ぶりはやはり、評価に値する。」 島田雅彦 60歳 全 ■ 10 「郷土史の魅力的エピソードをしゃべくり漫才に溶かし込み、その軽妙な会話でストーリーをすすめ、どんでん返しを仕込むというエンターティメントの新しいフォーマットを開発したことは評価するが、自問自答につきものの予定調和感は否めない。」 吉田修一 53歳 全 ■ 15 「絶妙な場所選びのセンスとその土地のアーカイブを題材に、演歌のご当地ソングではないが、ご当地小説というジャンルを確立できるのではないかと思ってしまった。今回は少し作為的すぎたかもしれないが、相変わらず力ある書き手なのは間違いない。」 山田詠美 62歳 全 ● 20 「最後の種明かしで、読み手は、まあ！　そうだったのね！　と納得する……と思ったら大間違いなのである。こういう仕掛け、いらないから。むしろ、このエンディングから始めてしまう潔さがあっても良かったと思う。あそこから展開する小説なんて馬鹿みたいでおもしろいよ。」 奥泉光 65歳 全 ■ 15 「構築性に優れ、しかしその裏腹として、やや作り物めく感じから逃れられなかった。小説はそもそも作り物なのだけれど、右の感想になるのは、なにかしらの徹底が不足しているからかもしれない。作者の掌のうえで読者を転がすのなら、娯楽性のさらなる追求が要るだろう。」 川上弘美 63歳 全 ■ 12 「「男」の造形がとても面白かった。」「ただ、小説を閉じるために作者が小説の中の何かに少し手を貸しすぎてしまった、という印象があるのです。乗代さんの今までの候補作の中では、個人的には一番好きな作品だっただけに、ほんとうに惜しい、と思いました。」 平野啓一郎 46歳 全 ■ 11 「着想とリサーチは良かったが、（引用者中略）死語的な常套句を乱発する男の単調な関西弁のわざとらしさ、欺し欺されという展開中の「ヘビ」のような小道具の安直さ、「おもろなってきた」等の強引な台詞、……と、小説としては頼りなかった。」 松浦寿輝 67歳 全 △ 10 「ツイストを利かせたウィッティな小説で、ずいぶん考え抜いて作った構築物だとは思うが、全体が会話劇の体裁なのに会話の言葉が不自然すぎて読者を乗せきれないのは、やはり致命的ではないか。」 堀江敏幸 58歳 全 ○ 17 「これまでの作品の湿気を取り払い、疾走感のある乾いた人工「世界」を現出させた、思い切りのいい語りで読ませる。」「作中、江戸時代後期の蔵書家にして紀行文作家が登場するが、干鰯で富を築いた豪商を扱うにふさわしい言葉の金肥がここにある。」

他の候補作 砂川文次 「ブラックボックス」 石田夏穂 「我が友、スミス」 九段理江 「Schoolgirl」 島口大樹 「オン・ザ・プラネット」