第165回

第164回第166回

令和3年/2021年上半期 令和3年/2021年7月14日決定発表／『文藝春秋』令和3年/2021年9月号選評掲載

選考委員　 松浦寿輝 67歳 島田雅彦 60歳 吉田修一 52歳 小川洋子 59歳 平野啓一郎 46歳 山田詠美 62歳 奥泉光 65歳 川上弘美 63歳 堀江敏幸 57歳 選評総行数　 98 88 101 84 86 88 83 82 83 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 石沢麻依　「貝に続く場所にて」 240枚 41歳 評 ○ 41 ○ 32 ○ 35 ○ 33 ■ 15 △ 11 ○ 14 ■ 12 ○ 21 李琴峰　「彼岸花が咲く島」 266枚 31歳 評 ○ 40 ○ 21 ◎ 50 ○ 22 ■ 14 ■ 28 △ 21 △ 15 ○ 15 くどうれいん　「氷柱の声」 152枚 26歳 評 ― 0 ■ 10 ■ 6 ■ 7 ■ 9 ● 16 ■ 10 ■ 6 ■ 20 高瀬隼子　「水たまりで息をする」 213枚 33歳 評 ― 0 ■ 13 △ 6 ■ 13 ◎ 31 ■ 11 △ 26 ■ 5 ■ 13 千葉雅也　「オーバーヒート」 238枚 42歳 評 ― 0 ■ 12 ■ 8 ■ 9 △ 17 ◎ 22 ■ 12 ◎ 23 ■ 14                   年齢/枚数の説明   見方・注意点

松浦寿輝67歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題何をやろうとしているか　総行数98　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石沢麻依 41歳 全 ○ 41 「（引用者注：「彼岸花が咲く島」と共に）小説という器を使って何ごとか冒険を試みようとしていると感じられた」「３・１１をいかにして文学作品へと昇華するかというモチーフから書かれた作品はすでにかなりの数にのぼるが、サバイバーズ・ギルト（生き残った者の罪悪感）を抱えつづけることの意味を、（引用者中略）意表を突く設定で描き切った力業に敬意を表したい。」 李琴峰 31歳 全 ○ 40 「（引用者注：「貝に続く場所にて」と共に）小説という器を使って何ごとか冒険を試みようとしていると感じられた」「「日本」とその外部、文化の「女性性」をめぐって、これほどの「小説的思考」が凝らされたことの意義は大きい。小説によってしか考えられないことを考えようとしているこの新人が内に秘めているポテンシャルの射程は、信じるに足りるものと思われた。」 くどうれいん 26歳 全 ― 0   高瀬隼子 33歳 全 ― 0   千葉雅也 42歳 全 ― 0     「小説で何を描くか、何を語るか、どんな主題を扱うか、その主題のためにどんな文体を選ぶか、等々といった問いより、もっと重要な問題があり、それは、「小説で何をやろうとしているか」という問いだと思う。」「たとえうまく行かなかったところ、失敗したところ、独りよがりに終わったところが残ったとしても、少なくとも何ごとかをやろうと試みたという気概と意欲が伝わってくる作品を読みたい。」

他の選考委員 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 平野啓一郎 山田詠美 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

島田雅彦60歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題幽霊はここにいる　総行数88　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石沢麻依 41歳 全 ○ 32 「風景や人物、事物に秘められている意味を、トリュフ犬のように掘り起こし、解読してゆく手口は、芥川の『歯車』を思い出させもする。」「震災時のまま止まった時間、都市に堆積した歴史の時間、コロナ時代の現在進行形の時間がパイ状に重ね合わさった時空間を、語り手が自在に往来している。死者をコトバで「再生」し続ければ、それは文学者独自の鎮魂の儀式となる。」 李琴峰 31歳 全 ○ 21 「少女に作者が自己投影しているならば、隠れ私小説と見做すのが妥当だろう。ただ、この理想郷がいかにして可能となったか、一切、言及されていないのは、煩雑で、心折れる闘争からも逃れたかったからかもしれない。そうした欠点を抱えながらも、自己表出の新機軸を打ち出した点を評価した。」 くどうれいん 26歳 全 ■ 10 「震災時に十代の子どもだった人が、メディアが作る美談ポルノに抵抗し、自らを語る手法を獲得するまでを描いた青春の記録だが、その結末も美談化を免れていないとの指摘に頷きつつ、作者には別の復讐の仕方に打って出ることを期待する。」 高瀬隼子 33歳 全 ■ 13 「水のイメージを基底に据え、壊れてゆく夫のための変奏曲が展開されるが、この長さならもっと妻も夫も遠くまでいけたはず。」 千葉雅也 42歳 全 ■ 12 「自分語りに存在論的思弁ソースを絡めた前作（引用者注：「デッドライン」）には、自己解剖のスリルがあったが、今回は愚行自慢の典型的私小説に回帰したようでもあり、その線で攻めるなら、もっと「嫌な奴」になるべきだったと思う。」

他の選考委員 松浦寿輝 吉田修一 小川洋子 平野啓一郎 山田詠美 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

吉田修一52歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数101　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石沢麻依 41歳 全 ○ 35 「完成度の高い作品である。」「生者と死者、過去と現在、こちらとあちら、東日本大震災とコロナと第二次世界大戦におけるジェノサイドまで、とても捉えきれそうにない遠近を、なんとか言葉で捉えようとする意欲作」「構成や構図があまりに巧みなため、文章自体の真面目さや硬質さがそのまま堅苦しい印象を与えてしまうところはあるのだが、私としては、この作品を詩人の散文として読んだ。」 李琴峰 31歳 全 ◎ 50 「この作品を受賞作として推したのは、この作者が作中で未来の可能性について語る時の力強さ、そして可能性という言葉に対する無防備なまでの信頼感が、いつの頃からか曇った目でしか未来を見なくなっていた私の心に、まっすぐに突き刺さってきたからだ。」「一見乱暴に掻き集められたような作中のエピソードの一つ一つは、実はこの作者がこれまでの人生をかけて自身のテーマであるセクシャルマイノリティーやフェミニズムを描くために地道に集めてきたものである。決して場当たり的なものではなく、作者の信念に裏打ちされている。」 くどうれいん 26歳 全 ■ 6 「弱者に寄り添うということへの執念的なまでの考察など、いい点も多々あったのだが、受賞作二作ほどには心を動かされなかった。」 高瀬隼子 33歳 全 △ 6 「ユーモラスな共依存夫婦の姿が大変面白かった。今回は受賞を逃したが、現代文学のメインストリームにある作品だと思う。」 千葉雅也 42歳 全 ■ 8 「人間の生っぽい部分がゴロッと出てくる描写（引用者中略）など、いい点も多々あったのだが、受賞作二作ほどには心を動かされなかった。」

他の選考委員 松浦寿輝 島田雅彦 小川洋子 平野啓一郎 山田詠美 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

小川洋子59歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題小説にしかできないやり方　総行数84　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石沢麻依 41歳 全 ○ 33 「行方不明者も、死者も、犬も、生者も皆が同じ地平に立ち、平等に振る舞っている。彼らの抱える記憶が重層的に絡まり合い、何度も遠近感を失ってめまいを起こし、気がつけば予想より更に奥深い地点にまで引きずり込まれていた。」「小説にしかできないやり方で、東日本大震災の体験を刻み付けようとする本作の試みを高く評価したい。」 李琴峰 31歳 全 ○ 22 「さまざまな方向から読み解いてゆけるタイプの小説だが、最も心打たれたのは、島の若者三人の、実に生き生きとした関係だった。」「私は本作を、性の揺らぎの中で怯える若者たちの青春小説として読んだ。それで十分、賞に値すると思った。」 くどうれいん 26歳 全 ■ 7 「書かれていないところに読み手を引きずり込む力が、やや弱かった気がする。自分の小説から裏切られるような体験をしてこそ、その作品がマイボールになるのではないだろうか。」 高瀬隼子 33歳 全 ■ 13 「ひたひたと迫って来る狂気が伝わってくれば、もっと凄まじい小説になっただろう。書かれていないところに潜む恐怖を感じたかった。」 千葉雅也 42歳 全 ■ 9 「（引用者注：語り手である）偽悪的な男に、一片のもの哀しさを感じることができれば、全く違った印象の小説になったかもしれない。」

他の選考委員 松浦寿輝 島田雅彦 吉田修一 平野啓一郎 山田詠美 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

平野啓一郎46歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「他者性」と向き合う　総行数86　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石沢麻依 41歳 全 ■ 15 「秩序と無秩序といったフレームで、個々の逸話が統合されてゆくのだが、最終的に野宮が自ら語る言葉、またそれを受けての主人公の感慨に、死者の他者性の尊重という観点から疑問が残った。」 李琴峰 31歳 全 ■ 14 「作者のバックグラウンドにある歴史的・政治的な緊張が反映された野心作だが、寓話性とリアリズムとのバランスに難があり、（引用者中略）何よりも、大ノロによって語られる秘史があまりに大味で、政治を描きつつ、政治的に最も困難な問題について書かれていない点が残念だった。」 くどうれいん 26歳 全 ■ 9 「主人公同様、作者の「正直」さが伝わる作品だったが、メディア的な「被災した子供たち」ではない、「本当の姿」を提示しようとしつつ、それがこちらの想像を超えないところに複雑な気分になった。」 高瀬隼子 33歳 全 ◎ 31 「私が、一人だけ強く推した」「社会的に逸脱した男性の面倒を看る女性主人公という意味では、『蹴りたい世界』、『コンビニ人間』を思い出させるが、だからこそ「悪臭」という受け容れがたい要素が効果的である。」「奇妙な共依存関係の描写は濃やかで、都市的な快適さ、清潔さが必要とする水のエコロジカルな批評は、しかし、自然賛美とも直結せず、異常気象の影響らしい豪雨へとアイロニカルに飛躍する。浴室でペットボトルから注がれた水のか細さから、豪雨の川へと発展してゆくイメージの肥大も秀逸だった。」 千葉雅也 42歳 全 △ 17 「佳作だった。論文、ＳＮＳ、批評、……といった様々な「書くこと」では、どうしても表現しきれないものを、小説形式で書こうとする必然を感じた。」

他の選考委員 松浦寿輝 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 山田詠美 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

山田詠美62歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「選評」　総行数88　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石沢麻依 41歳 全 △ 11 「小説でしか出来ないやり方で、死者への鎮魂を描こうとするのは、りっぱ。しかし、作者が「文学的」と信じている言い回しが読んでいて照れ笑いを誘う。」 李琴峰 31歳 全 ■ 28 「〈男がいつでも好きな時に女を殴ったり、犯したり、殺したりできるんだ。オカスってどういう意味かって？　そりゃ、無理やり子供を生ませるっちゅう意味さ。〉」「……ふう。もしもそこに真実が含まれていたとしても、私は、そう出来なかった男を捜し出して描くことが小説の仕事だと思っている。そして、こういう重要な一文の主語が「男」という普通名詞であってはならない。」 くどうれいん 26歳 全 ● 16 「大震災という誰もが知る悲劇を、ステレオタイプに陥らないように描こうとすればするほど、避けていた筈の「絆」や「希望」に近付いてしまう不思議。」「震災をモチーフに使った成長物語……だったのか。」 高瀬隼子 33歳 全 ■ 11 「何しろ長過ぎる。ずうっと水浸しになっている、この奇妙な夫婦の話をもっとタイトな感じにまとめたら、不気味な、けれども目を離せない魅力の漂う短編が三つ四つ出て来そうだ。」 千葉雅也 42歳 全 ◎ 22 「昔から「哲学書を読む娼婦」は文学に愛されて来たが、「娼婦の振る舞いをする哲学者」は嫌われるらしいのだ。○を付けたのが私だけだったのは何とも残念」「テーマや描き方が古いという指摘もあったが、チャーミングなあばずれの行状に古いも新しいもあるものか。」

他の選考委員 松浦寿輝 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 平野啓一郎 奥泉光 川上弘美 堀江敏幸

奥泉光65歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数83　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石沢麻依 41歳 全 ○ 14 「小説なるジャンルの力を最大限に引き出そうとする作者の意欲が、徹底的にねりあげられた文章にこめられた一篇で、意欲がややからまわりしてしまい、了解の困難な文章がときおり顔を出してしまうきらいはあるものの、受賞作にふさわしい作品だと評価した。」 李琴峰 31歳 全 △ 21 「戦争や排外主義を乗り越えた女性原理に基づく社会の提示は、いまなにより求められるべき思想の水脈につながっている。であるだけに、この「理想社会」がいかに可能なのかという、なにより知りたいところが、あまりにも素朴な神話ふうかたりで処理されてしまったのは残念だ。」 くどうれいん 26歳 全 ■ 10 「災害自体ではなく、復興へと向かう日本に広がる言説から「傷」を受けた人々の物語で、そこにこめられた批評性は評価できたものの、かたりの魅力がやや乏しく、ひとつひとつのエピソードが鮮烈さを欠いたのは残念だった。」 高瀬隼子 33歳 全 △ 26 「単直な物語構成のなかに、主人公の思考や感情の動きがたしかな手触りとともに浮かび上がる好篇である。」「夫が氾濫する河川に消える結末は、主人公がむかし飼っていた魚のエピソード（これはこれで面白い）に重ねられ、いくぶん寓話的に処理されるのが物足りなく思えたが、作者の対象を捉える目には確たるものを感じた。」 千葉雅也 42歳 全 ■ 12 「私小説の伝統に連なるものだが、私小説が面白くなるには、書く私と書かれる私の分列が生み出すアイロニーがもっと必要ではないか。」

他の選考委員 松浦寿輝 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 平野啓一郎 山田詠美 川上弘美 堀江敏幸

川上弘美63歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題正直　総行数82　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石沢麻依 41歳 全 ■ 12 「せっかくの作者自身の「声」があまりスムーズに発声されていないように、わたしには感じられてしまいました。」「元から自身の中にすでに存在していた「よそからの声」を、「よそから」の形のままに借りてしまったのではないか。」 李琴峰 31歳 全 △ 15 「なんといっても、〈ニホン語〉の造形がすばらしかった。」「作者が自身の内をしっかりと見つめなければできなかった造形でしょう。ただ、島と外部との関係を説明する時に使われた「声」は、作者だけの声ではなかったのではないか。惜しかったです。」 くどうれいん 26歳 全 ■ 6 「「氷柱の声」の作者も、とてもいいものを持っているのに、一番手放してはいけないところで、自身の「声」を手放してしまっている。」 高瀬隼子 33歳 全 ■ 5 「奇妙に惹かれる小説でしたが、この「声」で語るには、小説が長すぎました。」 千葉雅也 42歳 全 ◎ 23 「読みながら、「なんとこの作家は正直に書こうとしているのだろう」と、感銘を受けました。」「「正直」に書くためには、方法が必要です。その方法とは、自分で自分の「声」をつくりだし、その「声」に責任をもつことです。自分の声なんだから、声を出し切らなきゃ、と言いかえてもいいかもしれません。一番に推しました。」   「小説を読んでいる時に、「この作家は正直に書いている」と感じることが、ときどきあります。」「けれどいったい、「小説における正直」さの定義とは何なのか。」「読者であるわたしが、その作家の「正直」さを、どうやって判断しうるのか。できるわけがないのです、実際のところ。」

他の選考委員 松浦寿輝 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 平野啓一郎 山田詠美 奥泉光 堀江敏幸

堀江敏幸57歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題怯えの在処　総行数83　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石沢麻依 41歳 全 ○ 21 「語り手は、「記憶の痛みではなく、距離に向けられた罪悪感」をなぞるために行方不明者を異国の現在に召喚し、実在した書き手と対話させる。」「作中の温度を低く一定に保ち続ける知的な意匠を凝らした文体が、ときにだまになり、幽霊に幽霊としての現状認識を問うてしまう弱さのうちに、書くことに対する真摯な怯えを読んだ。」 李琴峰 31歳 全 ○ 15 「クレオール的なニホン語と、歴史伝承のための女語が混在する《島》。舞台設定の批評性が、少年少女の牧歌的な空気と溶け合っている。」「《島》の現在と未来に「外」から来た者が参加しようとする覚悟は、書き手だけのものではない。」 くどうれいん 26歳 全 ■ 20 「「綺麗事を言うなと叫ぶ行為そのものが、またひとつの綺麗事になってしまう途方のなさ」と向き合う姿勢には共感できる。ただ、絵を希望どおりに評価されることで自己承認を果たすという結末もまた綺麗事に回収されうる危険性に、もっと怯えてもよかったのではないか。」 高瀬隼子 33歳 全 ■ 13 「「水たまりで息をする」にあるのは、透明なマスクをして怯えを拒む意識的な自失の感覚だ。」「ふしぎな息苦しさを生むゆるい文体は効果的だが、物語が異界へ飛ぶのに必要な熱を冷ましてもいる。」 千葉雅也 42歳 全 ■ 14 「やみくもに何かを書こうとする気持ちを抑え、けっしてオーバーヒートしないようその前で言葉をうまく冷却している印象を受けた。身体の衰えに伴う怯えの熱暴走も読みたいと思う。」

他の選考委員 松浦寿輝 島田雅彦 吉田修一 小川洋子 平野啓一郎 山田詠美 奥泉光 川上弘美

石沢麻依41歳×各選考委員　 「貝に続く場所にて」 中篇 240枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 松浦寿輝 67歳 全 ○ 41 「（引用者注：「彼岸花が咲く島」と共に）小説という器を使って何ごとか冒険を試みようとしていると感じられた」「３・１１をいかにして文学作品へと昇華するかというモチーフから書かれた作品はすでにかなりの数にのぼるが、サバイバーズ・ギルト（生き残った者の罪悪感）を抱えつづけることの意味を、（引用者中略）意表を突く設定で描き切った力業に敬意を表したい。」 島田雅彦 60歳 全 ○ 32 「風景や人物、事物に秘められている意味を、トリュフ犬のように掘り起こし、解読してゆく手口は、芥川の『歯車』を思い出させもする。」「震災時のまま止まった時間、都市に堆積した歴史の時間、コロナ時代の現在進行形の時間がパイ状に重ね合わさった時空間を、語り手が自在に往来している。死者をコトバで「再生」し続ければ、それは文学者独自の鎮魂の儀式となる。」 吉田修一 52歳 全 ○ 35 「完成度の高い作品である。」「生者と死者、過去と現在、こちらとあちら、東日本大震災とコロナと第二次世界大戦におけるジェノサイドまで、とても捉えきれそうにない遠近を、なんとか言葉で捉えようとする意欲作」「構成や構図があまりに巧みなため、文章自体の真面目さや硬質さがそのまま堅苦しい印象を与えてしまうところはあるのだが、私としては、この作品を詩人の散文として読んだ。」 小川洋子 59歳 全 ○ 33 「行方不明者も、死者も、犬も、生者も皆が同じ地平に立ち、平等に振る舞っている。彼らの抱える記憶が重層的に絡まり合い、何度も遠近感を失ってめまいを起こし、気がつけば予想より更に奥深い地点にまで引きずり込まれていた。」「小説にしかできないやり方で、東日本大震災の体験を刻み付けようとする本作の試みを高く評価したい。」 平野啓一郎 46歳 全 ■ 15 「秩序と無秩序といったフレームで、個々の逸話が統合されてゆくのだが、最終的に野宮が自ら語る言葉、またそれを受けての主人公の感慨に、死者の他者性の尊重という観点から疑問が残った。」 山田詠美 62歳 全 △ 11 「小説でしか出来ないやり方で、死者への鎮魂を描こうとするのは、りっぱ。しかし、作者が「文学的」と信じている言い回しが読んでいて照れ笑いを誘う。」 奥泉光 65歳 全 ○ 14 「小説なるジャンルの力を最大限に引き出そうとする作者の意欲が、徹底的にねりあげられた文章にこめられた一篇で、意欲がややからまわりしてしまい、了解の困難な文章がときおり顔を出してしまうきらいはあるものの、受賞作にふさわしい作品だと評価した。」 川上弘美 63歳 全 ■ 12 「せっかくの作者自身の「声」があまりスムーズに発声されていないように、わたしには感じられてしまいました。」「元から自身の中にすでに存在していた「よそからの声」を、「よそから」の形のままに借りてしまったのではないか。」 堀江敏幸 57歳 全 ○ 21 「語り手は、「記憶の痛みではなく、距離に向けられた罪悪感」をなぞるために行方不明者を異国の現在に召喚し、実在した書き手と対話させる。」「作中の温度を低く一定に保ち続ける知的な意匠を凝らした文体が、ときにだまになり、幽霊に幽霊としての現状認識を問うてしまう弱さのうちに、書くことに対する真摯な怯えを読んだ。」

他の候補作 李琴峰 「彼岸花が咲く島」 くどうれいん 「氷柱の声」 高瀬隼子 「水たまりで息をする」 千葉雅也 「オーバーヒート」

李琴峰31歳×各選考委員　 「彼岸花が咲く島」 中篇 266枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 松浦寿輝 67歳 全 ○ 40 「（引用者注：「貝に続く場所にて」と共に）小説という器を使って何ごとか冒険を試みようとしていると感じられた」「「日本」とその外部、文化の「女性性」をめぐって、これほどの「小説的思考」が凝らされたことの意義は大きい。小説によってしか考えられないことを考えようとしているこの新人が内に秘めているポテンシャルの射程は、信じるに足りるものと思われた。」 島田雅彦 60歳 全 ○ 21 「少女に作者が自己投影しているならば、隠れ私小説と見做すのが妥当だろう。ただ、この理想郷がいかにして可能となったか、一切、言及されていないのは、煩雑で、心折れる闘争からも逃れたかったからかもしれない。そうした欠点を抱えながらも、自己表出の新機軸を打ち出した点を評価した。」 吉田修一 52歳 全 ◎ 50 「この作品を受賞作として推したのは、この作者が作中で未来の可能性について語る時の力強さ、そして可能性という言葉に対する無防備なまでの信頼感が、いつの頃からか曇った目でしか未来を見なくなっていた私の心に、まっすぐに突き刺さってきたからだ。」「一見乱暴に掻き集められたような作中のエピソードの一つ一つは、実はこの作者がこれまでの人生をかけて自身のテーマであるセクシャルマイノリティーやフェミニズムを描くために地道に集めてきたものである。決して場当たり的なものではなく、作者の信念に裏打ちされている。」 小川洋子 59歳 全 ○ 22 「さまざまな方向から読み解いてゆけるタイプの小説だが、最も心打たれたのは、島の若者三人の、実に生き生きとした関係だった。」「私は本作を、性の揺らぎの中で怯える若者たちの青春小説として読んだ。それで十分、賞に値すると思った。」 平野啓一郎 46歳 全 ■ 14 「作者のバックグラウンドにある歴史的・政治的な緊張が反映された野心作だが、寓話性とリアリズムとのバランスに難があり、（引用者中略）何よりも、大ノロによって語られる秘史があまりに大味で、政治を描きつつ、政治的に最も困難な問題について書かれていない点が残念だった。」 山田詠美 62歳 全 ■ 28 「〈男がいつでも好きな時に女を殴ったり、犯したり、殺したりできるんだ。オカスってどういう意味かって？　そりゃ、無理やり子供を生ませるっちゅう意味さ。〉」「……ふう。もしもそこに真実が含まれていたとしても、私は、そう出来なかった男を捜し出して描くことが小説の仕事だと思っている。そして、こういう重要な一文の主語が「男」という普通名詞であってはならない。」 奥泉光 65歳 全 △ 21 「戦争や排外主義を乗り越えた女性原理に基づく社会の提示は、いまなにより求められるべき思想の水脈につながっている。であるだけに、この「理想社会」がいかに可能なのかという、なにより知りたいところが、あまりにも素朴な神話ふうかたりで処理されてしまったのは残念だ。」 川上弘美 63歳 全 △ 15 「なんといっても、〈ニホン語〉の造形がすばらしかった。」「作者が自身の内をしっかりと見つめなければできなかった造形でしょう。ただ、島と外部との関係を説明する時に使われた「声」は、作者だけの声ではなかったのではないか。惜しかったです。」 堀江敏幸 57歳 全 ○ 15 「クレオール的なニホン語と、歴史伝承のための女語が混在する《島》。舞台設定の批評性が、少年少女の牧歌的な空気と溶け合っている。」「《島》の現在と未来に「外」から来た者が参加しようとする覚悟は、書き手だけのものではない。」

他の候補作 石沢麻依 「貝に続く場所にて」 くどうれいん 「氷柱の声」 高瀬隼子 「水たまりで息をする」 千葉雅也 「オーバーヒート」

くどうれいん26歳×各選考委員　 「氷柱の声」 中篇 152枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 松浦寿輝 67歳 全 ― 0   島田雅彦 60歳 全 ■ 10 「震災時に十代の子どもだった人が、メディアが作る美談ポルノに抵抗し、自らを語る手法を獲得するまでを描いた青春の記録だが、その結末も美談化を免れていないとの指摘に頷きつつ、作者には別の復讐の仕方に打って出ることを期待する。」 吉田修一 52歳 全 ■ 6 「弱者に寄り添うということへの執念的なまでの考察など、いい点も多々あったのだが、受賞作二作ほどには心を動かされなかった。」 小川洋子 59歳 全 ■ 7 「書かれていないところに読み手を引きずり込む力が、やや弱かった気がする。自分の小説から裏切られるような体験をしてこそ、その作品がマイボールになるのではないだろうか。」 平野啓一郎 46歳 全 ■ 9 「主人公同様、作者の「正直」さが伝わる作品だったが、メディア的な「被災した子供たち」ではない、「本当の姿」を提示しようとしつつ、それがこちらの想像を超えないところに複雑な気分になった。」 山田詠美 62歳 全 ● 16 「大震災という誰もが知る悲劇を、ステレオタイプに陥らないように描こうとすればするほど、避けていた筈の「絆」や「希望」に近付いてしまう不思議。」「震災をモチーフに使った成長物語……だったのか。」 奥泉光 65歳 全 ■ 10 「災害自体ではなく、復興へと向かう日本に広がる言説から「傷」を受けた人々の物語で、そこにこめられた批評性は評価できたものの、かたりの魅力がやや乏しく、ひとつひとつのエピソードが鮮烈さを欠いたのは残念だった。」 川上弘美 63歳 全 ■ 6 「「氷柱の声」の作者も、とてもいいものを持っているのに、一番手放してはいけないところで、自身の「声」を手放してしまっている。」 堀江敏幸 57歳 全 ■ 20 「「綺麗事を言うなと叫ぶ行為そのものが、またひとつの綺麗事になってしまう途方のなさ」と向き合う姿勢には共感できる。ただ、絵を希望どおりに評価されることで自己承認を果たすという結末もまた綺麗事に回収されうる危険性に、もっと怯えてもよかったのではないか。」

他の候補作 石沢麻依 「貝に続く場所にて」 李琴峰 「彼岸花が咲く島」 高瀬隼子 「水たまりで息をする」 千葉雅也 「オーバーヒート」

高瀬隼子33歳×各選考委員　 「水たまりで息をする」 中篇 213枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 松浦寿輝 67歳 全 ― 0   島田雅彦 60歳 全 ■ 13 「水のイメージを基底に据え、壊れてゆく夫のための変奏曲が展開されるが、この長さならもっと妻も夫も遠くまでいけたはず。」 吉田修一 52歳 全 △ 6 「ユーモラスな共依存夫婦の姿が大変面白かった。今回は受賞を逃したが、現代文学のメインストリームにある作品だと思う。」 小川洋子 59歳 全 ■ 13 「ひたひたと迫って来る狂気が伝わってくれば、もっと凄まじい小説になっただろう。書かれていないところに潜む恐怖を感じたかった。」 平野啓一郎 46歳 全 ◎ 31 「私が、一人だけ強く推した」「社会的に逸脱した男性の面倒を看る女性主人公という意味では、『蹴りたい世界』、『コンビニ人間』を思い出させるが、だからこそ「悪臭」という受け容れがたい要素が効果的である。」「奇妙な共依存関係の描写は濃やかで、都市的な快適さ、清潔さが必要とする水のエコロジカルな批評は、しかし、自然賛美とも直結せず、異常気象の影響らしい豪雨へとアイロニカルに飛躍する。浴室でペットボトルから注がれた水のか細さから、豪雨の川へと発展してゆくイメージの肥大も秀逸だった。」 山田詠美 62歳 全 ■ 11 「何しろ長過ぎる。ずうっと水浸しになっている、この奇妙な夫婦の話をもっとタイトな感じにまとめたら、不気味な、けれども目を離せない魅力の漂う短編が三つ四つ出て来そうだ。」 奥泉光 65歳 全 △ 26 「単直な物語構成のなかに、主人公の思考や感情の動きがたしかな手触りとともに浮かび上がる好篇である。」「夫が氾濫する河川に消える結末は、主人公がむかし飼っていた魚のエピソード（これはこれで面白い）に重ねられ、いくぶん寓話的に処理されるのが物足りなく思えたが、作者の対象を捉える目には確たるものを感じた。」 川上弘美 63歳 全 ■ 5 「奇妙に惹かれる小説でしたが、この「声」で語るには、小説が長すぎました。」 堀江敏幸 57歳 全 ■ 13 「「水たまりで息をする」にあるのは、透明なマスクをして怯えを拒む意識的な自失の感覚だ。」「ふしぎな息苦しさを生むゆるい文体は効果的だが、物語が異界へ飛ぶのに必要な熱を冷ましてもいる。」

他の候補作 石沢麻依 「貝に続く場所にて」 李琴峰 「彼岸花が咲く島」 くどうれいん 「氷柱の声」 千葉雅也 「オーバーヒート」

千葉雅也42歳×各選考委員　 「オーバーヒート」 中篇 238枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 松浦寿輝 67歳 全 ― 0   島田雅彦 60歳 全 ■ 12 「自分語りに存在論的思弁ソースを絡めた前作（引用者注：「デッドライン」）には、自己解剖のスリルがあったが、今回は愚行自慢の典型的私小説に回帰したようでもあり、その線で攻めるなら、もっと「嫌な奴」になるべきだったと思う。」 吉田修一 52歳 全 ■ 8 「人間の生っぽい部分がゴロッと出てくる描写（引用者中略）など、いい点も多々あったのだが、受賞作二作ほどには心を動かされなかった。」 小川洋子 59歳 全 ■ 9 「（引用者注：語り手である）偽悪的な男に、一片のもの哀しさを感じることができれば、全く違った印象の小説になったかもしれない。」 平野啓一郎 46歳 全 △ 17 「佳作だった。論文、ＳＮＳ、批評、……といった様々な「書くこと」では、どうしても表現しきれないものを、小説形式で書こうとする必然を感じた。」 山田詠美 62歳 全 ◎ 22 「昔から「哲学書を読む娼婦」は文学に愛されて来たが、「娼婦の振る舞いをする哲学者」は嫌われるらしいのだ。○を付けたのが私だけだったのは何とも残念」「テーマや描き方が古いという指摘もあったが、チャーミングなあばずれの行状に古いも新しいもあるものか。」 奥泉光 65歳 全 ■ 12 「私小説の伝統に連なるものだが、私小説が面白くなるには、書く私と書かれる私の分列が生み出すアイロニーがもっと必要ではないか。」 川上弘美 63歳 全 ◎ 23 「読みながら、「なんとこの作家は正直に書こうとしているのだろう」と、感銘を受けました。」「「正直」に書くためには、方法が必要です。その方法とは、自分で自分の「声」をつくりだし、その「声」に責任をもつことです。自分の声なんだから、声を出し切らなきゃ、と言いかえてもいいかもしれません。一番に推しました。」 堀江敏幸 57歳 全 ■ 14 「やみくもに何かを書こうとする気持ちを抑え、けっしてオーバーヒートしないようその前で言葉をうまく冷却している印象を受けた。身体の衰えに伴う怯えの熱暴走も読みたいと思う。」

他の候補作 石沢麻依 「貝に続く場所にて」 李琴峰 「彼岸花が咲く島」 くどうれいん 「氷柱の声」 高瀬隼子 「水たまりで息をする」