第164回

第163回第165回

令和2年/2020年下半期 令和3年/2021年1月20日決定発表／『文藝春秋』令和3年/2021年3月号選評掲載

選考委員　 川上弘美 62歳 奥泉光 64歳 松浦寿輝 66歳 島田雅彦 59歳 小川洋子 58歳 山田詠美 61歳 平野啓一郎 45歳 堀江敏幸 57歳 吉田修一 52歳 選評総行数　 93 88 104 87 85 91 86 85 90 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 宇佐見りん　「推し、燃ゆ」 139枚 21歳 評 △ 9 □ 17 □ 52 ○ 20 ◎ 36 ◎ 11 ○ 22 ○ 20 ● 19 尾崎世界観　「母影」 141枚 36歳 評 △ 11 ● 6 △ 13 ● 16 ■ 20 ■ 16 ■ 13 ■ 14 ■ 19 木崎みつ子　「コンジュジ」 233枚 30歳 評 △ 8 ■ 9 ● 9 ■ 10 △ 6 ● 22 △ 16 △ 16 ■ 24 砂川文次　「小隊」 191枚 30歳 評 ◎ 37 ○ 36 △ 19 ■ 14 ■ 11 ● 14 ■ 10 ■ 16 △ 19 乗代雄介　「旅する練習」 245枚 34歳 評 △ 13 ■ 10 △ 9 ■ 17 △ 12 ■ 17 ● 18 ■ 19 ○ 19                   年齢/枚数の説明   見方・注意点

川上弘美62歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題今この時　総行数93　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 宇佐見りん 21歳 全 △ 9 「必要にして充分な描写の力、」「（引用者注：「母影」「コンジュジ」と共に）どれも見るべきものが多くありました。みんな、うまいのです、ほんとうに。」 尾崎世界観 36歳 全 △ 11 「作者が語り手に語らせた、たくさんの人が忘れてしまっただろう「いつか感じたあの気持ち」の再現、」「（引用者注：「母影」「コンジュジ」と共に）どれも見るべきものが多くありました。みんな、うまいのです、ほんとうに。」 木崎みつ子 30歳 全 △ 8 「「せれな」の困難への根気ある書きよう、（引用者注：「母影」「コンジュジ」と共に）どれも見るべきものが多くありました。みんな、うまいのです、ほんとうに。」 砂川文次 30歳 全 ◎ 37 「今回の作品の中でわたしにとって一番無謀なことに挑もうとしているのは、砂川文次さんでした。」「作者は、ただ描写しているのです。突然の理不尽がふりかかった時、人はどのように苦しみ怒り耐え放心しそれでも生きつづけるかを示すために。「新型コロナ禍」という言葉は影も出てこないこの小説を読みながら、わたしは「今この時」について何回連想させられ何回考えさせられたことでしょう。一番に推そうと思い、選考の場に臨みました。」 乗代雄介 34歳 全 △ 13 「亜美という魅力的な少女とその叔父が歩いて旅をする物語の中の、コロナ禍に関係する描写部分が、それ以外の牧歌的な部分から浮き上がる不思議な読みごこちは、作者が企んだいくつかの仕掛けがもたらした成果だと思います。」   「小説家たちは、「今この時」のことを書く。」「誰にも正確に測ることのできないことを書く。それはとても無謀なことであり、難しいことであり、不安なことに違いありません。そこに挑んでいる同時代の小説家たちを、わたしは尊敬します。」

他の選考委員 奥泉光 松浦寿輝 島田雅彦 小川洋子 山田詠美 平野啓一郎 堀江敏幸 吉田修一

奥泉光64歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題リモートで選考会に　総行数88　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 宇佐見りん 21歳 全 □ 17 「本作の受賞に異存はなかった。欠落を抱えた主人公がアイドルを徹底して「推す」ことで自己の発見に至る物語――最後「推し」が芸能界を去ってしまい、アイドルとしては死んだ彼の「骨」を主人公が拾うまでの物語は、定型的ともいえるが、ひとりの人間の生の形を描ききったと、いささか古風な文句でもって評したくなった。」 尾崎世界観 36歳 全 ● 6 「子供視点の採用による異化効果が目指された作品だが、作者が思うほどには効果は発揮されず、結果、平凡な印象になってしまった。」 木崎みつ子 30歳 全 ■ 9 「悲惨な境遇に置かれた主人公が幻想世界へ逃避するだけでは、小説の感動を呼びにくいのではあるまいか。」 砂川文次 30歳 全 ○ 36 「自分が一番注目し、また推したい作品だった。」「政治状況がどうあろうが、戦争の意味がなんだろうが、戦う義務があるから戦うのだと思い定め――というほどの決意もないまま、演習の延長のような形で凄惨な戦いに突入する職業的兵士の姿は、われわれの日常に対する高い批評性を放つ。だが、自分が本作を推しきれなかったのは、戦闘場面や兵士の心理の描出に驚きが少なかったせいだ。」 乗代雄介 34歳 全 ■ 10 「心地よく読みすすめることができた。であるだけに、不慮の死をとげた少女を中核とする物語がむしろ余計なものに感じられる憾みが残った。」   「今回の選考会では、九人の委員中、自分を含め五人がリモートで参加する変則的な形になったが、最初の段階で、受賞作となった宇佐見りん「推し、燃ゆ」に票が集まったこともあり、比較的スムーズに進行した。」

他の選考委員 川上弘美 松浦寿輝 島田雅彦 小川洋子 山田詠美 平野啓一郎 堀江敏幸 吉田修一

松浦寿輝66歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題高水準の成果　総行数104　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 宇佐見りん 21歳 全 □ 52 「リズム感の良い文章を読み進めて、その救いの喪失が語られ、引退した「推し」の住むマンションを主人公が未練がましく見に行くあたりまで来て、不意にじわりと目頭が熱くなってしまった」「主人公の嗜好も生活感情も世界との違和感も、ごく特殊なものでありながら、宇佐見氏の的確な筆遣いによって、どこか人間性の普遍に届いているからだろう。」「受賞には何の異議もない。」 尾崎世界観 36歳 全 △ 13 「たどたどしく綴られた小学生の少女の語りから、なまぐさい大人の世界が逆照射されるという趣向で、アイスの棒をハムスターの墓標にするところ、少女が切符を握り締めて地下鉄に乗るところなど、惹きつけられる細部が幾つもあった。」 木崎みつ子 30歳 全 ● 9 「精神医学の本を読み漁ってきたわたしのような者の目から見ると、解離症状、摂食障害、統合失調症的妄想などという漢字術語が次々に浮かんできて、それを越える小説的な肉感に乏しいと感じざるをえない。」 砂川文次 30歳 全 △ 19 「小隊長の主人公は、上には中隊や大隊をいただき、下には分隊を抱えて、命令を受け、かつみずからの責任で命令を発しなければならない。その難しい位置どりから生じる逡巡や葛藤にも生彩豊かな表現が与えられている。」「軍事ジャーゴンの与える「デペイズマン効果」は作者の計算の内だろう。」 乗代雄介 34歳 全 △ 9 「前々回の候補作「最高の任務」よりずっと面白く読んだ。よりシンプルで、よりのびやかになっており、広やかな水景に沿いながらのロードムーヴィ的運動感が快い。」   「わたしにとってはこれが芥川賞選考への三回目の参加となるが、一回ごとに水準が上がってきたという印象を持っている。今回は優れた候補作が並んだと思う。とはいえ、これが飛び抜けて面白いという「推し」はなかった。」

他の選考委員 川上弘美 奥泉光 島田雅彦 小川洋子 山田詠美 平野啓一郎 堀江敏幸 吉田修一

島田雅彦59歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題少女小説の先　総行数87　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 宇佐見りん 21歳 全 ○ 20 「無意識から意識が立ち上がるその発語のスリリングな瞬間が連続しており、その躍動感に自分まで少女になったような錯覚を覚えた。不愉快な現実からの逃避として一括整理されがちな「追っかけ」の心理の解剖としても一級の資料的価値がある。」 尾崎世界観 36歳 全 ● 16 「子供の視点を導入する場合は、大人でもあり、子供でもある重ね合わせの状態になるので、当然、両者の認識のズレが生じる。そのズレをどう書き込むか、あるいはそれに一切触れないならば、その理由が明らかにされなければ、子供の日記の模造で終わってしまう。」 木崎みつ子 30歳 全 ■ 10 「ストーリーテラーとしてのテクニックは疑いようもないが、逆に全ての細部がカルテのように整理されている印象をぬぐい去れなかった。」 砂川文次 30歳 全 ■ 14 「訓練経験に根ざしたリアリティは見事だが、状況を把握しきれていない主人公と語り手が同じ地平にいるので、読者も戦闘ゲームのプレイヤーと同じ立場に置かれてしまう。もし作者がゾンビ物を書いたら、出色の出来になるのではないかと思った。」 乗代雄介 34歳 全 ■ 17 「メインテーマの練習の先にどんな本番が訪れるのかは語られないまま、少女は交通事故で死んでしまった。この長さなら、練習の先を書くべきだった。」   「現実世界のみならず、小説においても、少女は濫用され、聖性と俗性を過剰に付与されて、美化され、汚されてきた。」「かわいそうな少女たちをどう扱うか、今回はその試案がいくつか提供されたといえる。」

他の選考委員 川上弘美 奥泉光 松浦寿輝 小川洋子 山田詠美 平野啓一郎 堀江敏幸 吉田修一

小川洋子58歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題肉体を通して推す　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 宇佐見りん 21歳 全 ◎ 36 「本作に心を惹かれたのは、推しとの関係が単なる空想の世界に留まるのではなく、肉体の痛みとともに描かれている点だった。」「DVDの中で真幸は、大人になんかなりたくないピーターパンだった。その尖った靴の先で心臓を蹴り上げられた時、まず彼女の中に飛び込んできたのは、陶酔でも衝撃でも憧れでもなく、痛みだった。」「推しを通して自分の肉体を浄化しようともがく彼女の姿が、あまりにも切実だった。」 尾崎世界観 36歳 全 ■ 20 「少女が、日常の片隅を見つめる視線の鋭さには、しばしばはっとさせられた。（引用者中略）繊細さと残酷さが混じり合った光で、世界が照らされていた。」「ただ、もっと思い切って子ども特有の混沌さにぶつかっていってもよかったのではないだろうか。」 木崎みつ子 30歳 全 △ 6 「どこに着地する必要もない小説なのだ。お棺の中に入るだけでいい。着地しない覚悟を持つのは苦しい。もちろん作家は誰でもそれを知っている。」 砂川文次 30歳 全 ■ 11 「最初から最後まで揺るぎのない緊張感が張り巡らされている『小隊』には圧倒された。しかし途中から、その緊張が一本調子に感じられ、情景をイメージするのが難しくなった。」 乗代雄介 34歳 全 △ 12 「風景も時間も記憶も、そこに人間が立って言葉に置き換えるからこそ存在できる。たとえ灰のようにはかないものであったとしても、自分はこの旅行記を書き残す。（引用者中略）そんな強い意志に貫かれていた。結果、文学とは何なのか、を追い求める小説になっている。」

他の選考委員 川上弘美 奥泉光 松浦寿輝 島田雅彦 山田詠美 平野啓一郎 堀江敏幸 吉田修一

山田詠美61歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「選評」　総行数91　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 宇佐見りん 21歳 全 ◎ 11 「今回、出会った何人かの少女の中で、この〈あかりちゃん〉だけが、私にとって生きていた。確かな文学体験に裏打ちされた文章は、若い書き手にありがちな、雰囲気で誤魔化すところがみじんもない。」 尾崎世界観 36歳 全 ■ 16 「今回、取り扱い注意の少女ばっかり登場で辟易したのだが、この作品もそのひとつ。男の書き手がそういう少女を描くと、自らの求めるイメージを投影し過ぎる。自分の好みの傷付きように沿って、彼女らを傷付かせるのだ。」「むしろ、私は、少女のお母さんを主に書いてもらいたかった。」 木崎みつ子 30歳 全 ● 22 「これ、私などの年代からすると、東郷かおる子編集長時代の「ミュージック・ライフ」に重なってしまい、ものすごい既視感に襲われてしまうのだ。つまり、ステレオタイプ。」 砂川文次 30歳 全 ● 14 「軍事系マニアでない読み手には、とてもつらい。」「冒頭に登場するグラマーでエッチなお姉さんを、もっと活躍させて欲しかったです。」 乗代雄介 34歳 全 ■ 17 「八〇年代後半、朝日ジャーナルとか読むおじさん（叔父さんではない）が大好きだった「元気印」の女の子たち。そして、そこに、これまた彼らの好みだった傷付きやすい困ったちゃんの女を絡ませる。そして、結末は……私には、たくらみが過ぎてあざとく思える。」   「驚いた。候補になった五作品の内、四つが少女を主人公にしたり、重要なモチーフとして使ったりしている。偶然なのか、はやりの「この御時世」ってやつなのか。それとも……」

他の選考委員 川上弘美 奥泉光 松浦寿輝 島田雅彦 小川洋子 平野啓一郎 堀江敏幸 吉田修一

平野啓一郎45歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題閉塞感　総行数86　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 宇佐見りん 21歳 全 ○ 22 「推した。「けざやか」という古語を何となく思い出したが、文体は既に熟達しており、年齢的にも目を見張る才能で、綿矢りさ・金原ひとみ両氏の同時受賞時を想起した。しかし、正直に言うと、寄る辺なき実存の依存先という主題は、今更と言っていいほど新味がなく、「推し」を使った現代的な更新は極めて巧みだが、それは、うまく書けて当然なのではないかという気もする。」 尾崎世界観 36歳 全 ■ 13 「読み物としてはこなれているが、人物や事象の扱いが、いずれも「～っぽさ」の次元に留まっていて、結果として、「小説っぽい」小説という印象だった。」 木崎みつ子 30歳 全 △ 16 「「カップス」の造形にリアリティがなく（引用者中略）、そのために妄想と現実とが入り乱れる主人公の世界が、精神医学の症例報告的な記述となってしまった。ただ、“壊れ物としての人間”の描き方には、陰惨だが痛切なものがあり、今回の受賞作（引用者注：「推し、燃ゆ」）に対して、「それでいいのか？」と私が気になっているのも、この作品の影響が大きい。」 砂川文次 30歳 全 ■ 10 「「戦争の日常化」は夙に語られてきたが、それを日ロ間に設定するシミュレーションに、独自の視点を認め難いのは残念だった。」 乗代雄介 34歳 全 ● 18 「亜美の造形は、マイルドなマンスプレイニングを誘発するように描かれていて、全体に語り手の願望に忠実すぎるように見えた。また、途中に挿入される小説の「練習」が効果を上げないのも難点で、唐突な、悲劇的な結末のあとで書かれたという設定を思えば、この形式への固執にナルシシズムが感じられてしまう。」   「全五作の候補のうち四作が少女を主題としていて、相対評価に傾きがちな選考となった。コロナ禍との関係は一概に言えないが、全体として閉塞感があり、新しい思想や価値観の光に乏しかった。」

他の選考委員 川上弘美 奥泉光 松浦寿輝 島田雅彦 小川洋子 山田詠美 堀江敏幸 吉田修一

堀江敏幸57歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題四つん這いで支える言葉　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 宇佐見りん 21歳 全 ○ 20 「バランスの崩れた身体を、最後の最後、自分の骨に見立てた綿棒をぶちまけ、それを拾いながら四つん這いで支えて先を生きようと決意する場面が鮮烈だ。鮮やかに決まりすぎていることに対する書き手のうしろめたさまで拾い上げたくなるような、得がたい結びだった。」 尾崎世界観 36歳 全 ■ 14 「母親の仕事の実体を明示できず、揺れる影の前でとまどいつづける細部の描写が繊細だ。しかし語り手が性的な意味をかけた言葉遊びに寄り掛かって、アイスの心棒をくるくるまわしたときに漂うソーダ味の甘い風の名残りを消してしまっている。」 木崎みつ子 30歳 全 △ 16 「「生き延びる」方途を探る作品として読んだ。」「三十一歳になった語り手が影をはねのけて半身で幻の棺に入ろうとする希望に向かう半歩をあと少し重くしうる力は、この一篇の内に秘められていると思う。」 砂川文次 30歳 全 ■ 16 「コロナ禍における情報疎外の中での律し方と生き延びるための方法を示唆する作品だ。」「主人公の怒りといらだちは伝わる。しかし飛び交う言葉の砲弾は、よい意味で、散文ではない方向を向いている印象を受けた。」 乗代雄介 34歳 全 ■ 19 「我孫子から鹿島を踏破する趣向や文学紀行的な構成が巧みで好感を抱いたが、水鳥の死骸が登場する辺りから死の影が濃くなりすぎる。この作品が要請しているのは、（引用者中略）実戦に至らないリフティングのゆるやかな持続の果てに現れる風景だったのではないか。」

他の選考委員 川上弘美 奥泉光 松浦寿輝 島田雅彦 小川洋子 山田詠美 平野啓一郎 吉田修一

吉田修一52歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数90　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 宇佐見りん 21歳 全 ● 19 「残念ながら目新しさを感じないまま読み終えてしまった。文学の新人賞界隈でよく見かける少女というか、そもそも推しに依存して生きる人生の何がいけないのかが分からない。」 尾崎世界観 36歳 全 ■ 19 「著者の言語センスの良さはすでに周知である。さらにそのセンスだけに頼らず、きちんと物語を構築しようとする志も高い。だが、今回はそのセンスと志が題材に合っていないように思う。」 木崎みつ子 30歳 全 ■ 24 「とにかく内容がつらい……。もちろんつらい話を書いてもいいのだが、その場合、たとえば圧倒的に美しい風景だとか、絶対的に無垢な心だとか、そういったものと引き換えでないと、世界のバランスが悪いような気がする。」 砂川文次 30歳 全 △ 19 「△をつけた。こんなに楽しそうに自分が好きな世界だけを書いている小説を久しぶりに読んだ。戦闘の描写など、登場人物たちが真面目であればあるほどニヤニヤしてしまい、いやいや、そんな読み方しちゃいけないと自分を諫めた。」 乗代雄介 34歳 全 ○ 19 「非常に面白かった。」「この穏やかな旅行記では、コロナ禍という非日常だからこそ見つかる普遍的なものがキラキラと輝いている。そして同時に我々はこの時期に何かを失ってもいるはずで、それがもし「健やかなサッカー少女」だったとすれば、その損失は計り知れない。」

他の選考委員 川上弘美 奥泉光 松浦寿輝 島田雅彦 小川洋子 山田詠美 平野啓一郎 堀江敏幸

宇佐見りん21歳×各選考委員　 「推し、燃ゆ」 中篇 139枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 川上弘美 62歳 全 △ 9 「必要にして充分な描写の力、」「（引用者注：「母影」「コンジュジ」と共に）どれも見るべきものが多くありました。みんな、うまいのです、ほんとうに。」 奥泉光 64歳 全 □ 17 「本作の受賞に異存はなかった。欠落を抱えた主人公がアイドルを徹底して「推す」ことで自己の発見に至る物語――最後「推し」が芸能界を去ってしまい、アイドルとしては死んだ彼の「骨」を主人公が拾うまでの物語は、定型的ともいえるが、ひとりの人間の生の形を描ききったと、いささか古風な文句でもって評したくなった。」 松浦寿輝 66歳 全 □ 52 「リズム感の良い文章を読み進めて、その救いの喪失が語られ、引退した「推し」の住むマンションを主人公が未練がましく見に行くあたりまで来て、不意にじわりと目頭が熱くなってしまった」「主人公の嗜好も生活感情も世界との違和感も、ごく特殊なものでありながら、宇佐見氏の的確な筆遣いによって、どこか人間性の普遍に届いているからだろう。」「受賞には何の異議もない。」 島田雅彦 59歳 全 ○ 20 「無意識から意識が立ち上がるその発語のスリリングな瞬間が連続しており、その躍動感に自分まで少女になったような錯覚を覚えた。不愉快な現実からの逃避として一括整理されがちな「追っかけ」の心理の解剖としても一級の資料的価値がある。」 小川洋子 58歳 全 ◎ 36 「本作に心を惹かれたのは、推しとの関係が単なる空想の世界に留まるのではなく、肉体の痛みとともに描かれている点だった。」「DVDの中で真幸は、大人になんかなりたくないピーターパンだった。その尖った靴の先で心臓を蹴り上げられた時、まず彼女の中に飛び込んできたのは、陶酔でも衝撃でも憧れでもなく、痛みだった。」「推しを通して自分の肉体を浄化しようともがく彼女の姿が、あまりにも切実だった。」 山田詠美 61歳 全 ◎ 11 「今回、出会った何人かの少女の中で、この〈あかりちゃん〉だけが、私にとって生きていた。確かな文学体験に裏打ちされた文章は、若い書き手にありがちな、雰囲気で誤魔化すところがみじんもない。」 平野啓一郎 45歳 全 ○ 22 「推した。「けざやか」という古語を何となく思い出したが、文体は既に熟達しており、年齢的にも目を見張る才能で、綿矢りさ・金原ひとみ両氏の同時受賞時を想起した。しかし、正直に言うと、寄る辺なき実存の依存先という主題は、今更と言っていいほど新味がなく、「推し」を使った現代的な更新は極めて巧みだが、それは、うまく書けて当然なのではないかという気もする。」 堀江敏幸 57歳 全 ○ 20 「バランスの崩れた身体を、最後の最後、自分の骨に見立てた綿棒をぶちまけ、それを拾いながら四つん這いで支えて先を生きようと決意する場面が鮮烈だ。鮮やかに決まりすぎていることに対する書き手のうしろめたさまで拾い上げたくなるような、得がたい結びだった。」 吉田修一 52歳 全 ● 19 「残念ながら目新しさを感じないまま読み終えてしまった。文学の新人賞界隈でよく見かける少女というか、そもそも推しに依存して生きる人生の何がいけないのかが分からない。」

他の候補作 尾崎世界観 「母影」 木崎みつ子 「コンジュジ」 砂川文次 「小隊」 乗代雄介 「旅する練習」

尾崎世界観36歳×各選考委員　 「母影」 中篇 141枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 川上弘美 62歳 全 △ 11 「作者が語り手に語らせた、たくさんの人が忘れてしまっただろう「いつか感じたあの気持ち」の再現、」「（引用者注：「母影」「コンジュジ」と共に）どれも見るべきものが多くありました。みんな、うまいのです、ほんとうに。」 奥泉光 64歳 全 ● 6 「子供視点の採用による異化効果が目指された作品だが、作者が思うほどには効果は発揮されず、結果、平凡な印象になってしまった。」 松浦寿輝 66歳 全 △ 13 「たどたどしく綴られた小学生の少女の語りから、なまぐさい大人の世界が逆照射されるという趣向で、アイスの棒をハムスターの墓標にするところ、少女が切符を握り締めて地下鉄に乗るところなど、惹きつけられる細部が幾つもあった。」 島田雅彦 59歳 全 ● 16 「子供の視点を導入する場合は、大人でもあり、子供でもある重ね合わせの状態になるので、当然、両者の認識のズレが生じる。そのズレをどう書き込むか、あるいはそれに一切触れないならば、その理由が明らかにされなければ、子供の日記の模造で終わってしまう。」 小川洋子 58歳 全 ■ 20 「少女が、日常の片隅を見つめる視線の鋭さには、しばしばはっとさせられた。（引用者中略）繊細さと残酷さが混じり合った光で、世界が照らされていた。」「ただ、もっと思い切って子ども特有の混沌さにぶつかっていってもよかったのではないだろうか。」 山田詠美 61歳 全 ■ 16 「今回、取り扱い注意の少女ばっかり登場で辟易したのだが、この作品もそのひとつ。男の書き手がそういう少女を描くと、自らの求めるイメージを投影し過ぎる。自分の好みの傷付きように沿って、彼女らを傷付かせるのだ。」「むしろ、私は、少女のお母さんを主に書いてもらいたかった。」 平野啓一郎 45歳 全 ■ 13 「読み物としてはこなれているが、人物や事象の扱いが、いずれも「～っぽさ」の次元に留まっていて、結果として、「小説っぽい」小説という印象だった。」 堀江敏幸 57歳 全 ■ 14 「母親の仕事の実体を明示できず、揺れる影の前でとまどいつづける細部の描写が繊細だ。しかし語り手が性的な意味をかけた言葉遊びに寄り掛かって、アイスの心棒をくるくるまわしたときに漂うソーダ味の甘い風の名残りを消してしまっている。」 吉田修一 52歳 全 ■ 19 「著者の言語センスの良さはすでに周知である。さらにそのセンスだけに頼らず、きちんと物語を構築しようとする志も高い。だが、今回はそのセンスと志が題材に合っていないように思う。」

他の候補作 宇佐見りん 「推し、燃ゆ」 木崎みつ子 「コンジュジ」 砂川文次 「小隊」 乗代雄介 「旅する練習」

木崎みつ子30歳×各選考委員　 「コンジュジ」 中篇 233枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 川上弘美 62歳 全 △ 8 「「せれな」の困難への根気ある書きよう、（引用者注：「母影」「コンジュジ」と共に）どれも見るべきものが多くありました。みんな、うまいのです、ほんとうに。」 奥泉光 64歳 全 ■ 9 「悲惨な境遇に置かれた主人公が幻想世界へ逃避するだけでは、小説の感動を呼びにくいのではあるまいか。」 松浦寿輝 66歳 全 ● 9 「精神医学の本を読み漁ってきたわたしのような者の目から見ると、解離症状、摂食障害、統合失調症的妄想などという漢字術語が次々に浮かんできて、それを越える小説的な肉感に乏しいと感じざるをえない。」 島田雅彦 59歳 全 ■ 10 「ストーリーテラーとしてのテクニックは疑いようもないが、逆に全ての細部がカルテのように整理されている印象をぬぐい去れなかった。」 小川洋子 58歳 全 △ 6 「どこに着地する必要もない小説なのだ。お棺の中に入るだけでいい。着地しない覚悟を持つのは苦しい。もちろん作家は誰でもそれを知っている。」 山田詠美 61歳 全 ● 22 「これ、私などの年代からすると、東郷かおる子編集長時代の「ミュージック・ライフ」に重なってしまい、ものすごい既視感に襲われてしまうのだ。つまり、ステレオタイプ。」 平野啓一郎 45歳 全 △ 16 「「カップス」の造形にリアリティがなく（引用者中略）、そのために妄想と現実とが入り乱れる主人公の世界が、精神医学の症例報告的な記述となってしまった。ただ、“壊れ物としての人間”の描き方には、陰惨だが痛切なものがあり、今回の受賞作（引用者注：「推し、燃ゆ」）に対して、「それでいいのか？」と私が気になっているのも、この作品の影響が大きい。」 堀江敏幸 57歳 全 △ 16 「「生き延びる」方途を探る作品として読んだ。」「三十一歳になった語り手が影をはねのけて半身で幻の棺に入ろうとする希望に向かう半歩をあと少し重くしうる力は、この一篇の内に秘められていると思う。」 吉田修一 52歳 全 ■ 24 「とにかく内容がつらい……。もちろんつらい話を書いてもいいのだが、その場合、たとえば圧倒的に美しい風景だとか、絶対的に無垢な心だとか、そういったものと引き換えでないと、世界のバランスが悪いような気がする。」

他の候補作 宇佐見りん 「推し、燃ゆ」 尾崎世界観 「母影」 砂川文次 「小隊」 乗代雄介 「旅する練習」

砂川文次30歳×各選考委員　 「小隊」 中篇 191枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 川上弘美 62歳 全 ◎ 37 「今回の作品の中でわたしにとって一番無謀なことに挑もうとしているのは、砂川文次さんでした。」「作者は、ただ描写しているのです。突然の理不尽がふりかかった時、人はどのように苦しみ怒り耐え放心しそれでも生きつづけるかを示すために。「新型コロナ禍」という言葉は影も出てこないこの小説を読みながら、わたしは「今この時」について何回連想させられ何回考えさせられたことでしょう。一番に推そうと思い、選考の場に臨みました。」 奥泉光 64歳 全 ○ 36 「自分が一番注目し、また推したい作品だった。」「政治状況がどうあろうが、戦争の意味がなんだろうが、戦う義務があるから戦うのだと思い定め――というほどの決意もないまま、演習の延長のような形で凄惨な戦いに突入する職業的兵士の姿は、われわれの日常に対する高い批評性を放つ。だが、自分が本作を推しきれなかったのは、戦闘場面や兵士の心理の描出に驚きが少なかったせいだ。」 松浦寿輝 66歳 全 △ 19 「小隊長の主人公は、上には中隊や大隊をいただき、下には分隊を抱えて、命令を受け、かつみずからの責任で命令を発しなければならない。その難しい位置どりから生じる逡巡や葛藤にも生彩豊かな表現が与えられている。」「軍事ジャーゴンの与える「デペイズマン効果」は作者の計算の内だろう。」 島田雅彦 59歳 全 ■ 14 「訓練経験に根ざしたリアリティは見事だが、状況を把握しきれていない主人公と語り手が同じ地平にいるので、読者も戦闘ゲームのプレイヤーと同じ立場に置かれてしまう。もし作者がゾンビ物を書いたら、出色の出来になるのではないかと思った。」 小川洋子 58歳 全 ■ 11 「最初から最後まで揺るぎのない緊張感が張り巡らされている『小隊』には圧倒された。しかし途中から、その緊張が一本調子に感じられ、情景をイメージするのが難しくなった。」 山田詠美 61歳 全 ● 14 「軍事系マニアでない読み手には、とてもつらい。」「冒頭に登場するグラマーでエッチなお姉さんを、もっと活躍させて欲しかったです。」 平野啓一郎 45歳 全 ■ 10 「「戦争の日常化」は夙に語られてきたが、それを日ロ間に設定するシミュレーションに、独自の視点を認め難いのは残念だった。」 堀江敏幸 57歳 全 ■ 16 「コロナ禍における情報疎外の中での律し方と生き延びるための方法を示唆する作品だ。」「主人公の怒りといらだちは伝わる。しかし飛び交う言葉の砲弾は、よい意味で、散文ではない方向を向いている印象を受けた。」 吉田修一 52歳 全 △ 19 「△をつけた。こんなに楽しそうに自分が好きな世界だけを書いている小説を久しぶりに読んだ。戦闘の描写など、登場人物たちが真面目であればあるほどニヤニヤしてしまい、いやいや、そんな読み方しちゃいけないと自分を諫めた。」

他の候補作 宇佐見りん 「推し、燃ゆ」 尾崎世界観 「母影」 木崎みつ子 「コンジュジ」 乗代雄介 「旅する練習」

乗代雄介34歳×各選考委員　 「旅する練習」 中篇 245枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 川上弘美 62歳 全 △ 13 「亜美という魅力的な少女とその叔父が歩いて旅をする物語の中の、コロナ禍に関係する描写部分が、それ以外の牧歌的な部分から浮き上がる不思議な読みごこちは、作者が企んだいくつかの仕掛けがもたらした成果だと思います。」 奥泉光 64歳 全 ■ 10 「心地よく読みすすめることができた。であるだけに、不慮の死をとげた少女を中核とする物語がむしろ余計なものに感じられる憾みが残った。」 松浦寿輝 66歳 全 △ 9 「前々回の候補作「最高の任務」よりずっと面白く読んだ。よりシンプルで、よりのびやかになっており、広やかな水景に沿いながらのロードムーヴィ的運動感が快い。」 島田雅彦 59歳 全 ■ 17 「メインテーマの練習の先にどんな本番が訪れるのかは語られないまま、少女は交通事故で死んでしまった。この長さなら、練習の先を書くべきだった。」 小川洋子 58歳 全 △ 12 「風景も時間も記憶も、そこに人間が立って言葉に置き換えるからこそ存在できる。たとえ灰のようにはかないものであったとしても、自分はこの旅行記を書き残す。（引用者中略）そんな強い意志に貫かれていた。結果、文学とは何なのか、を追い求める小説になっている。」 山田詠美 61歳 全 ■ 17 「八〇年代後半、朝日ジャーナルとか読むおじさん（叔父さんではない）が大好きだった「元気印」の女の子たち。そして、そこに、これまた彼らの好みだった傷付きやすい困ったちゃんの女を絡ませる。そして、結末は……私には、たくらみが過ぎてあざとく思える。」 平野啓一郎 45歳 全 ● 18 「亜美の造形は、マイルドなマンスプレイニングを誘発するように描かれていて、全体に語り手の願望に忠実すぎるように見えた。また、途中に挿入される小説の「練習」が効果を上げないのも難点で、唐突な、悲劇的な結末のあとで書かれたという設定を思えば、この形式への固執にナルシシズムが感じられてしまう。」 堀江敏幸 57歳 全 ■ 19 「我孫子から鹿島を踏破する趣向や文学紀行的な構成が巧みで好感を抱いたが、水鳥の死骸が登場する辺りから死の影が濃くなりすぎる。この作品が要請しているのは、（引用者中略）実戦に至らないリフティングのゆるやかな持続の果てに現れる風景だったのではないか。」 吉田修一 52歳 全 ○ 19 「非常に面白かった。」「この穏やかな旅行記では、コロナ禍という非日常だからこそ見つかる普遍的なものがキラキラと輝いている。そして同時に我々はこの時期に何かを失ってもいるはずで、それがもし「健やかなサッカー少女」だったとすれば、その損失は計り知れない。」

他の候補作 宇佐見りん 「推し、燃ゆ」 尾崎世界観 「母影」 木崎みつ子 「コンジュジ」 砂川文次 「小隊」