第163回

第162回第164回

令和2年/2020年上半期 令和2年/2020年7月15日決定発表／『文藝春秋』令和2年/2020年9月号選評掲載

選考委員　 平野啓一郎 45歳 吉田修一 51歳 松浦寿輝 66歳 小川洋子 58歳 島田雅彦 59歳 山田詠美 61歳 川上弘美 62歳 奥泉光 64歳 堀江敏幸 56歳 選評総行数　 91 89 139 85 86 91 94 88 94 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 高山羽根子　「首里の馬」 232枚 45歳 評 □ 25 ○ 24 ◎ 32 △ 11 △ 17 ○ 11 ◎ 12 □ 18 △ 19 遠野遥　「破局」 176枚 28歳 評 ◎ 28 △ 21 ■ 36 ◎ 31 △ 16 ◎ 14 △ 11 ■ 13 ○ 24 石原燃　「赤い砂を蹴る」 208枚 48歳 評 ■ 21 ■ 15 ● 41 △ 13 ■ 31 ■ 26 ■ 13 ◎ 12 ■ 19 岡本学　「アウア・エイジ（Our Age）」 204枚 47歳 評 ■ 8 ■ 13 ■ 16 ■ 9 △ 35 ■ 20 △ 10 ■ 9 ■ 15 三木三奈　「アキちゃん」 105枚 29歳 評 ● 6 △ 16 ● 22 ○ 21 ● 5 ■ 20 ■ 10 ● 11 ■ 15     欠席 書面回答             年齢/枚数の説明   見方・注意点

平野啓一郎45歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題他者との「ディスタンス」　総行数91　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高山羽根子 45歳 全 □ 25 「沖縄、資料館、遠隔クイズ、宮古馬といった各要素の結びつきは、理解できるものの、やや苦しい。」「他方、「孤独」故に、三人称一元視点のナラティヴには、しばしば論評的な平板さがあった。それでも、この想像力と構想力を評価することに異存はなかった。」 遠野遥 28歳 全 ◎ 28 「私が推したのは『破局』だった。爽快な小説ではないが、他者への共感能力を欠き、肉体的な欲望（スポーツとセックス）以外は、完全に“自律的に他律的”とも言うべき主人公の造形は、一個の現代的な典型たり得ている。」「主人公が例外的に“自律的に自律的”であったスポーツによって他者を滅ぼし、同時にセックスによって他者から滅ぼされてゆく展開は見事で、「かくれんぼ」の効果的な使用など、各部が緊密に結び合って全体を形作っている。」 石原燃 48歳 全 ■ 21 「新自由主義と結託した反動的な家族観が政治によって語られる時代に、家族自体の複雑さを描く佳作だが、今ひとつ感動が深まらなかった。」 岡本学 47歳 全 ■ 8 「謎解きの伏線と回収という技法が、後段、殊に自己目的化していて、肝心の母と娘の深刻な主題を埋没させている。」 三木三奈 29歳 全 ● 6 「文体、人物造形に心許なさがあり、殊に「アキちゃん」の個性が、性同一性障害の故と粗雑に総括される、同級生の昔話風の着地点に疑問を感じた。」   「パンデミック下で私たちが再考を迫られたのは、他者との「ディスタンス」である。」

他の選考委員 吉田修一 松浦寿輝 小川洋子 島田雅彦 山田詠美 川上弘美 奥泉光 堀江敏幸

吉田修一51歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数89　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高山羽根子 45歳 全 ○ 24 「高山さんはおそらく「孤独な場所」というものが一体どんな場所なのか、その正体を、手を替え品を替え、執拗に真剣に、暴こうとする作家なのだと思います。」「沖縄の描き方やその向き合い方の過不足はおいておいたとしても、宮古馬の登場のさせ方は鮮烈で、この宮古馬もまた孤独の象徴だと読めば、そこには体温があり、怯えがあり、臭いがあり、疲れもある。」 遠野遥 28歳 全 △ 21 「わりとよくある就活ものの青春小説だと思うのですが、そこはかとなく新しい時代の香りが漂っていて、定型的な物語が逆に新鮮に感じられたような気がします。」「個人的には本作を「若い依存症患者たちの物語」として読みました。（引用者中略）いろいろな依存が出てくるなか、主人公が抱えた「常識・マナー依存」が一番恐ろしい。」 石原燃 48歳 全 ■ 15 「多くの武器をお持ちの作者なのでかなり期待して読んだのですが、肩透かしというか、母娘の物語とブラジルの「ヤマ」の話が呼応しているというよりは、お互い核心に触れそうになると、どちらかへ逃げていくような印象でした。」 岡本学 47歳 全 ■ 13 「芥川賞には少し大人し過ぎるというか、この手の作品の場合、書き始めたときに作者が着地しようとしていた場所から、一歩でもいいので足を踏み外してほしいと思いました。」 三木三奈 29歳 全 △ 16 「叙述トリックという手法が、読者の先入観や偏見や思い込みを逆手に取るものだとすれば、これほどテーマと手法が合っているものはない。このようなテーマと手法とを意識的に組み合わせる作品をあと数作書けば、かなりユニークな作家になるのではないでしょうか。」

他の選考委員 平野啓一郎 松浦寿輝 小川洋子 島田雅彦 山田詠美 川上弘美 奥泉光 堀江敏幸

松浦寿輝66歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題奇抜なユーモアに満ちた思考実験　総行数139　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高山羽根子 45歳 全 ◎ 32 「ずば抜けて面白い。きわめて「馬鹿々々しい」発想の小説だが、この「馬鹿々々しさ」は小説という物語形式の本質的魅力に触れているめざましい達成だと思う。」「非日常のＳＦ的世界と、沖縄というフォークロア空間との間の絶妙な釣り合い。奇抜なユーモアに満ちた思考実験として第一級の作品と思う。」 遠野遥 28歳 全 ■ 36 「カミュの『異邦人』や丸山健二氏の初期作品を思い出させる、乾いたハードボイルドな文体が堂に入っており、抑制された心理描写がかえってこの主人公の不穏な内面をなまなましく暗示する。」「底流しつづけていた「不穏」が最後に暴発するが、この「破局」にはしかし意外に衝撃がない。取り返しのつかないカタストロフというより、若さの無思慮ゆえのちょっとした失態といった程度にしか読めない。」 石原燃 48歳 全 ● 41 「平凡と言うほかない。」「今さらこんなものを読まされて、という感じ。」「津島佑子のデビュー（あの鮮烈な『謝肉祭』！）以来のファンであるわたしとしては、津島氏がご子息を風呂場で亡くされた状況などをこうした形で読むことは、或る種の興味、感慨、感動をいだかないわけではない。しかし週刊誌の記事ではあるまいし、そんな私生活への覗き趣味のモチーフから小説を読むといった振る舞いからは身を遠ざけていたい。」 岡本学 47歳 全 ■ 16 「encourageの一語の出現で、ポジティヴなオプティミズムの光に包まれる読後感も爽やかだが、「首里の馬」の突拍子のなさが孕む豊かさと比べると、この単線的なナラティヴはやや単調で貧しい。」 三木三奈 29歳 全 ● 22 「時間の遠近法が終始不安定である。（引用者中略）わたしの目には、時間の処理をめぐるたんなる未熟ないし思慮不足としか映らなかった。「アキちゃん」の性別をめぐるオチに関しては、下手な手品を見せられたようで、So what?としか思わなかった。」

他の選考委員 平野啓一郎 吉田修一 小川洋子 島田雅彦 山田詠美 川上弘美 奥泉光 堀江敏幸

小川洋子58歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題普遍的な小説　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高山羽根子 45歳 全 △ 11 「人間が生きている痕跡を選別せず、平等に尊ぶ意味を問い掛けてくる。」「結局、人と人をつなぐのは、実体のある何かではなく、それが去ったあとの痕跡、幻なのだと思わされる。」 遠野遥 28歳 全 ◎ 31 「二重丸をつけて臨んだ。正しさからはみ出した奇妙な邪悪を描く小説は珍しくないが、『破局』は正しさへの執着が主人公を破綻させる点において、特異だった。」「彼は嫌味な男だ。にもかかわらず、見捨てることができない。社会に対して彼が味わっている違和感に、いつの間にか共感している。もしかしたら、恐ろしいほどに普遍的な小説なのかもしれない。」 石原燃 48歳 全 △ 13 「描かれる重層的な死の底には、常に暴力の気配が漂っている。農場の創設者、アル中の夫、弟の父、姑……。彼らによってもたらされる痛みの記憶は、死のように昇華されないまま、複雑な暗がりを生み出している。」 岡本学 47歳 全 ■ 9 「写真の謎が解けた時、主人公だけが満足し、ミスミが一人置き去りにされた印象が残った。」 三木三奈 29歳 全 ○ 21 「（引用者注：「破局」の）次に『アキちゃん』を推した。小学生特有の極端さや図太さ、もの寂しさが、大人の解釈で装飾されていない、本物の子どもの声で語られていた。」「大学生の場面が付け足しに感じられ、少し残念だった。」

他の選考委員 平野啓一郎 吉田修一 松浦寿輝 島田雅彦 山田詠美 川上弘美 奥泉光 堀江敏幸

島田雅彦59歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題全員孤独　総行数86　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高山羽根子 45歳 全 △ 17 「過去の高山作品がコトバへの拘泥と単発的なイメージの逆転のコレクションだったとすれば、今回は世界観の提示という領域に踏み込んだ。」「この小説自体が特異なデータを集めただけの小さな資料館になってしまっては駄目で、もっと沖縄と世界の孤独が身体化されていれば、よかった。」 遠野遥 28歳 全 △ 16 「「ラガーマンがストーカーやファシスト、ゾンビ、自粛警察になったら」という設定で読むと、不愉快極まりない。おそらくこの不愉快な読後感は、無知とゆがんだ正義感と過剰な体力でスクラムを組まれたら、絶対押し切られるという不安とセットになっている。」 石原燃 48歳 全 ■ 31 「旅を通じて自分と家族の過去を見つめ直すセンチメンタル・ジャーニーはおそらくこの先も続くと思われるが、本作はまだ序章に過ぎない。」 岡本学 47歳 全 △ 35 「時間の経過とともに想定外の事実を突きつけられる経験はミステリーに不可欠な要素で、これは岡本版『ゴーン・ガール』と受け止めた。」 三木三奈 29歳 全 ● 5 「小学生の稚拙な嫌悪感が性同一性障害の問題に帰結するリニアな構成の短編で、習作の域を出ない。」

他の選考委員 平野啓一郎 吉田修一 松浦寿輝 小川洋子 山田詠美 川上弘美 奥泉光 堀江敏幸

山田詠美61歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「選評」　総行数91　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高山羽根子 45歳 全 ○ 11 「この作者の小説には、いくつもの世界がパラレルに存在していて、それをつなぐ鍵となるものが、今回は沖縄の宮古馬。その馬に乗った作者の視点が物語を牽引し、文学にしか出来ない冒険に読者を誘（ルビ：いざな）ってくれる。」 遠野遥 28歳 全 ◎ 14 「ほとんどゾンビ化している人間たちによる群像劇、と読んだのは、私だけだったようだ（ほら、走ってタックルするのは、ラグビーかアメフトかゾンビだし）。そんな勝手な読み方をしたせいか、私にとって一番おもしろかったのが、これ。」「この作者は、きっと、手練に見えない手練になる。」 石原燃 48歳 全 ■ 26 「作者が太宰治の孫であるとか、津島佑子氏の娘さんであるとかの報道を知らずに読んだ時には、こう思った。もったいない、と。」「そして、作者の出自を知った後は、こう思ったのである。ますます、もったいなーい！」「開き直って、向き合わなくてはならない喪の仕事を自分なりにディープにまっとうすべきだろう。幼ない我が子を亡くしたのをテーマにしたあなたのお母さんの作品には、多くの読者が既に絶大なる敬意を払っているのだ。今度は、自身の番と覚悟を決めるべきだろう。」 岡本学 47歳 全 ■ 20 「「バグダッド・カフェ」「ギルバート・グレイプ」「ベティ・ブルー」など。これらの映画の共通点は「塔」だと、遠い目をしたその女は言う。でも、私には、九〇年代前半あたりに数多く棲息していた、エキセントリックぶりっこの困ったちゃん女があげる共通フェイヴァリット・フィルムに思える。」「最後にまさかの語呂合わせめいたポジティヴ・シンキング…あー、もう!!」 三木三奈 29歳 全 ■ 20 「大学で、ばったり再会した元同級生と「荒城の月」を口ずさみ、〈「昔の光　今いずこ」を重ね合わせて、安直でうすっぺらい物思いにふけったわけではない。それ（原文傍点）をしたのはもっとあとのことだ。〉うんうん、解ったよ。でも、小説って〈それ（原文傍点）〉を手間暇かけて引っ張り出し、修復するものだと思う。」

他の選考委員 平野啓一郎 吉田修一 松浦寿輝 小川洋子 島田雅彦 川上弘美 奥泉光 堀江敏幸

川上弘美62歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題魔法　総行数94　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高山羽根子 45歳 全 ◎ 12 「『首里の馬』の中にある静かな絶望と、その絶望に浸るまいという意志に、感じ入りました。一読、すぐに○をつけました。再読し、さらにこの小説の奥行をさぐりたくなりました。」 遠野遥 28歳 全 △ 11 「表現しようとしていることと、言葉の間に、美しい相関関係があり、その相関関係は一つの完成した数式で表せる、そんなふうに感じました。その意味で、この小説も検算ができるのかと、二度三度読んでいったのですが、いつの間にか検算ができなくなっていた。興味深いです。」 石原燃 48歳 全 ■ 13 「ここにある世界は、『アキちゃん』よりも広いけれど、広いも狭いも、実は小説にとってはあまり関係ないのです。それら狭い、あるいは広い世界が、いつの間にか伸び縮みし、狭いものは広く、広いものはさらに深くあるいはいっそのことひどく狭く、なってくれないと、そこに「魔法」は存在したことになりません。」 岡本学 47歳 全 △ 10 「ミスミという女のつまらなさにやられました。このつまらなさ、大いに惹かれます。ただ、不必要なことではなく、必要なことを書きすぎている、という印象があった。惜しいです。」 三木三奈 29歳 全 ■ 10 「作者は言葉を使うすべを、すでに充分に身につけている。ただわたしはこの小説を読み、「うまく検算ができるな」と感じてしまった。埒外に出られなかったのです。」

他の選考委員 平野啓一郎 吉田修一 松浦寿輝 小川洋子 島田雅彦 山田詠美 奥泉光 堀江敏幸

奥泉光64歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題いつもどおり　総行数88　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高山羽根子 45歳 全 □ 18 「世界のあらゆる事象が、どんなに詰まらなく見えるものであれ、かならず存在の痕跡を残すのだとの思いが細部から匂い立つ。複数のエピソードの有機的なつながりが掴みにくく、それらを包みこむのであろう沖縄の舞台設定がいまひとつ効果を発揮していないなどの不満はあるものの、受賞作にふさわしい佳篇だと評価した。」 遠野遥 28歳 全 ■ 13 「主人公は「欠落」を抱えた人間である。だからこそかれは世間の通念に過剰に従おうとするので、そのアイロニーが笑いを生んでおもしろい。が、かれの「欠落」とは、しかしいったい何なのかと、思考を誘う力が弱い感じがした。」 石原燃 48歳 全 ◎ 12 「今回自分は一番推した。こうした人生模様をリアリズムで描く作品は自分の好みではないが、時間処理の工夫をはじめ、複数の人生を立体的に描き出そうとする意欲を評価した。」 岡本学 47歳 全 ■ 9 「謎解きエンターテインメントとして楽しく読めた。が、謎解きの物語自体は類型的にならざるをえないわけで、母娘の過去の深刻な出来事が、ストーリー構成上の一断片（ルビ：ピース）に見えてしまうのがやや苦しい。」 三木三奈 29歳 全 ● 11 「この主題（トランスジェンダー）を扱うなら、もっと正面から描くべきではないかとの感想を持たざるをえなかった。」   「新型コロナ感染症拡大下の選考会は、座席のあいだにアクリル板を立てたり、リモート参加する委員があったりと、通常とはやや異なる形で行われたが、議論はほぼいつもどおりに進行した。」

他の選考委員 平野啓一郎 吉田修一 松浦寿輝 小川洋子 島田雅彦 山田詠美 川上弘美 堀江敏幸

堀江敏幸56歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題空の抜け具合　総行数94　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 高山羽根子 45歳 全 △ 19 「宮古馬の末脚では届かない無鑑査の記憶をどこに保管するのか。それを問うているはずなのに、四コーナーを気持ちよく回ると迷い馬の脚で差し切れそうな言葉のほうが多くなって、直線までの距離が見えてしまう。息を整えすぎたその一点がやや気になる。」 遠野遥 28歳 全 ○ 24 「ゴールまでの距離感がしっかりしている作品だった。終着点の不意打ちを活かす加速にも無理はない。」「トライを決めない無意識の節度と、見えない楕円球を手放したまま警官の頭越しに見える空の抜け具合に、敵と味方の言葉の呼吸がうまくかみ合っていた。」 石原燃 48歳 全 ■ 19 「母親の死を描く場面で用いられている架空の対話は、モデルと覚しき実在の小説家が亡き息子を描く作品群で活用した手法へのオマージュになっている。そこに、和解や理解ではない軋みがあった。ギアを外して赤い砂を蹴り去る強い言葉を待ちたい。」 岡本学 47歳 全 ■ 15 「主人公の比重がミスミから母親に移行していく流れに、好ましい緩手がある。しかし後半になると姿勢がどんどん前のめりになり、着地点に合うよう言葉の歩幅を調整せざるをえなくなってくる。」 三木三奈 29歳 全 ■ 15 「身体の性と心の性が一致していない主人公の言動と、語り手の気持ちの動きがほぼ現場の感覚をもって再生され、読み手もその空気を追体験しうるのだが、過去の言葉の逃げ足を語りの現在がせき止めてしまっている。アキちゃんの空白は、噂と伝聞ではない仕方で埋めたほうがよかったかもしれない。」   「候補作五篇、行文にはそれぞれの世界に即した速度があった。」

他の選考委員 平野啓一郎 吉田修一 松浦寿輝 小川洋子 島田雅彦 山田詠美 川上弘美 奥泉光

高山羽根子45歳×各選考委員　 「首里の馬」 中篇 232枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 45歳 全 □ 25 「沖縄、資料館、遠隔クイズ、宮古馬といった各要素の結びつきは、理解できるものの、やや苦しい。」「他方、「孤独」故に、三人称一元視点のナラティヴには、しばしば論評的な平板さがあった。それでも、この想像力と構想力を評価することに異存はなかった。」 吉田修一 51歳 全 ○ 24 「高山さんはおそらく「孤独な場所」というものが一体どんな場所なのか、その正体を、手を替え品を替え、執拗に真剣に、暴こうとする作家なのだと思います。」「沖縄の描き方やその向き合い方の過不足はおいておいたとしても、宮古馬の登場のさせ方は鮮烈で、この宮古馬もまた孤独の象徴だと読めば、そこには体温があり、怯えがあり、臭いがあり、疲れもある。」 松浦寿輝 66歳 全 ◎ 32 「ずば抜けて面白い。きわめて「馬鹿々々しい」発想の小説だが、この「馬鹿々々しさ」は小説という物語形式の本質的魅力に触れているめざましい達成だと思う。」「非日常のＳＦ的世界と、沖縄というフォークロア空間との間の絶妙な釣り合い。奇抜なユーモアに満ちた思考実験として第一級の作品と思う。」 小川洋子 58歳 全 △ 11 「人間が生きている痕跡を選別せず、平等に尊ぶ意味を問い掛けてくる。」「結局、人と人をつなぐのは、実体のある何かではなく、それが去ったあとの痕跡、幻なのだと思わされる。」 島田雅彦 59歳 全 △ 17 「過去の高山作品がコトバへの拘泥と単発的なイメージの逆転のコレクションだったとすれば、今回は世界観の提示という領域に踏み込んだ。」「この小説自体が特異なデータを集めただけの小さな資料館になってしまっては駄目で、もっと沖縄と世界の孤独が身体化されていれば、よかった。」 山田詠美 61歳 全 ○ 11 「この作者の小説には、いくつもの世界がパラレルに存在していて、それをつなぐ鍵となるものが、今回は沖縄の宮古馬。その馬に乗った作者の視点が物語を牽引し、文学にしか出来ない冒険に読者を誘（ルビ：いざな）ってくれる。」 川上弘美 62歳 全 ◎ 12 「『首里の馬』の中にある静かな絶望と、その絶望に浸るまいという意志に、感じ入りました。一読、すぐに○をつけました。再読し、さらにこの小説の奥行をさぐりたくなりました。」 奥泉光 64歳 全 □ 18 「世界のあらゆる事象が、どんなに詰まらなく見えるものであれ、かならず存在の痕跡を残すのだとの思いが細部から匂い立つ。複数のエピソードの有機的なつながりが掴みにくく、それらを包みこむのであろう沖縄の舞台設定がいまひとつ効果を発揮していないなどの不満はあるものの、受賞作にふさわしい佳篇だと評価した。」 堀江敏幸 56歳 全 △ 19 「宮古馬の末脚では届かない無鑑査の記憶をどこに保管するのか。それを問うているはずなのに、四コーナーを気持ちよく回ると迷い馬の脚で差し切れそうな言葉のほうが多くなって、直線までの距離が見えてしまう。息を整えすぎたその一点がやや気になる。」

他の候補作 遠野遥 「破局」 石原燃 「赤い砂を蹴る」 岡本学 「アウア・エイジ（Our Age）」 三木三奈 「アキちゃん」

遠野遥28歳×各選考委員　 「破局」 中篇 176枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 45歳 全 ◎ 28 「私が推したのは『破局』だった。爽快な小説ではないが、他者への共感能力を欠き、肉体的な欲望（スポーツとセックス）以外は、完全に“自律的に他律的”とも言うべき主人公の造形は、一個の現代的な典型たり得ている。」「主人公が例外的に“自律的に自律的”であったスポーツによって他者を滅ぼし、同時にセックスによって他者から滅ぼされてゆく展開は見事で、「かくれんぼ」の効果的な使用など、各部が緊密に結び合って全体を形作っている。」 吉田修一 51歳 全 △ 21 「わりとよくある就活ものの青春小説だと思うのですが、そこはかとなく新しい時代の香りが漂っていて、定型的な物語が逆に新鮮に感じられたような気がします。」「個人的には本作を「若い依存症患者たちの物語」として読みました。（引用者中略）いろいろな依存が出てくるなか、主人公が抱えた「常識・マナー依存」が一番恐ろしい。」 松浦寿輝 66歳 全 ■ 36 「カミュの『異邦人』や丸山健二氏の初期作品を思い出させる、乾いたハードボイルドな文体が堂に入っており、抑制された心理描写がかえってこの主人公の不穏な内面をなまなましく暗示する。」「底流しつづけていた「不穏」が最後に暴発するが、この「破局」にはしかし意外に衝撃がない。取り返しのつかないカタストロフというより、若さの無思慮ゆえのちょっとした失態といった程度にしか読めない。」 小川洋子 58歳 全 ◎ 31 「二重丸をつけて臨んだ。正しさからはみ出した奇妙な邪悪を描く小説は珍しくないが、『破局』は正しさへの執着が主人公を破綻させる点において、特異だった。」「彼は嫌味な男だ。にもかかわらず、見捨てることができない。社会に対して彼が味わっている違和感に、いつの間にか共感している。もしかしたら、恐ろしいほどに普遍的な小説なのかもしれない。」 島田雅彦 59歳 全 △ 16 「「ラガーマンがストーカーやファシスト、ゾンビ、自粛警察になったら」という設定で読むと、不愉快極まりない。おそらくこの不愉快な読後感は、無知とゆがんだ正義感と過剰な体力でスクラムを組まれたら、絶対押し切られるという不安とセットになっている。」 山田詠美 61歳 全 ◎ 14 「ほとんどゾンビ化している人間たちによる群像劇、と読んだのは、私だけだったようだ（ほら、走ってタックルするのは、ラグビーかアメフトかゾンビだし）。そんな勝手な読み方をしたせいか、私にとって一番おもしろかったのが、これ。」「この作者は、きっと、手練に見えない手練になる。」 川上弘美 62歳 全 △ 11 「表現しようとしていることと、言葉の間に、美しい相関関係があり、その相関関係は一つの完成した数式で表せる、そんなふうに感じました。その意味で、この小説も検算ができるのかと、二度三度読んでいったのですが、いつの間にか検算ができなくなっていた。興味深いです。」 奥泉光 64歳 全 ■ 13 「主人公は「欠落」を抱えた人間である。だからこそかれは世間の通念に過剰に従おうとするので、そのアイロニーが笑いを生んでおもしろい。が、かれの「欠落」とは、しかしいったい何なのかと、思考を誘う力が弱い感じがした。」 堀江敏幸 56歳 全 ○ 24 「ゴールまでの距離感がしっかりしている作品だった。終着点の不意打ちを活かす加速にも無理はない。」「トライを決めない無意識の節度と、見えない楕円球を手放したまま警官の頭越しに見える空の抜け具合に、敵と味方の言葉の呼吸がうまくかみ合っていた。」

他の候補作 高山羽根子 「首里の馬」 石原燃 「赤い砂を蹴る」 岡本学 「アウア・エイジ（Our Age）」 三木三奈 「アキちゃん」

石原燃48歳×各選考委員　 「赤い砂を蹴る」 中篇 208枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 45歳 全 ■ 21 「新自由主義と結託した反動的な家族観が政治によって語られる時代に、家族自体の複雑さを描く佳作だが、今ひとつ感動が深まらなかった。」 吉田修一 51歳 全 ■ 15 「多くの武器をお持ちの作者なのでかなり期待して読んだのですが、肩透かしというか、母娘の物語とブラジルの「ヤマ」の話が呼応しているというよりは、お互い核心に触れそうになると、どちらかへ逃げていくような印象でした。」 松浦寿輝 66歳 全 ● 41 「平凡と言うほかない。」「今さらこんなものを読まされて、という感じ。」「津島佑子のデビュー（あの鮮烈な『謝肉祭』！）以来のファンであるわたしとしては、津島氏がご子息を風呂場で亡くされた状況などをこうした形で読むことは、或る種の興味、感慨、感動をいだかないわけではない。しかし週刊誌の記事ではあるまいし、そんな私生活への覗き趣味のモチーフから小説を読むといった振る舞いからは身を遠ざけていたい。」 小川洋子 58歳 全 △ 13 「描かれる重層的な死の底には、常に暴力の気配が漂っている。農場の創設者、アル中の夫、弟の父、姑……。彼らによってもたらされる痛みの記憶は、死のように昇華されないまま、複雑な暗がりを生み出している。」 島田雅彦 59歳 全 ■ 31 「旅を通じて自分と家族の過去を見つめ直すセンチメンタル・ジャーニーはおそらくこの先も続くと思われるが、本作はまだ序章に過ぎない。」 山田詠美 61歳 全 ■ 26 「作者が太宰治の孫であるとか、津島佑子氏の娘さんであるとかの報道を知らずに読んだ時には、こう思った。もったいない、と。」「そして、作者の出自を知った後は、こう思ったのである。ますます、もったいなーい！」「開き直って、向き合わなくてはならない喪の仕事を自分なりにディープにまっとうすべきだろう。幼ない我が子を亡くしたのをテーマにしたあなたのお母さんの作品には、多くの読者が既に絶大なる敬意を払っているのだ。今度は、自身の番と覚悟を決めるべきだろう。」 川上弘美 62歳 全 ■ 13 「ここにある世界は、『アキちゃん』よりも広いけれど、広いも狭いも、実は小説にとってはあまり関係ないのです。それら狭い、あるいは広い世界が、いつの間にか伸び縮みし、狭いものは広く、広いものはさらに深くあるいはいっそのことひどく狭く、なってくれないと、そこに「魔法」は存在したことになりません。」 奥泉光 64歳 全 ◎ 12 「今回自分は一番推した。こうした人生模様をリアリズムで描く作品は自分の好みではないが、時間処理の工夫をはじめ、複数の人生を立体的に描き出そうとする意欲を評価した。」 堀江敏幸 56歳 全 ■ 19 「母親の死を描く場面で用いられている架空の対話は、モデルと覚しき実在の小説家が亡き息子を描く作品群で活用した手法へのオマージュになっている。そこに、和解や理解ではない軋みがあった。ギアを外して赤い砂を蹴り去る強い言葉を待ちたい。」

他の候補作 高山羽根子 「首里の馬」 遠野遥 「破局」 岡本学 「アウア・エイジ（Our Age）」 三木三奈 「アキちゃん」

岡本学47歳×各選考委員　 「アウア・エイジ（Our Age）」 中篇 204枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 45歳 全 ■ 8 「謎解きの伏線と回収という技法が、後段、殊に自己目的化していて、肝心の母と娘の深刻な主題を埋没させている。」 吉田修一 51歳 全 ■ 13 「芥川賞には少し大人し過ぎるというか、この手の作品の場合、書き始めたときに作者が着地しようとしていた場所から、一歩でもいいので足を踏み外してほしいと思いました。」 松浦寿輝 66歳 全 ■ 16 「encourageの一語の出現で、ポジティヴなオプティミズムの光に包まれる読後感も爽やかだが、「首里の馬」の突拍子のなさが孕む豊かさと比べると、この単線的なナラティヴはやや単調で貧しい。」 小川洋子 58歳 全 ■ 9 「写真の謎が解けた時、主人公だけが満足し、ミスミが一人置き去りにされた印象が残った。」 島田雅彦 59歳 全 △ 35 「時間の経過とともに想定外の事実を突きつけられる経験はミステリーに不可欠な要素で、これは岡本版『ゴーン・ガール』と受け止めた。」 山田詠美 61歳 全 ■ 20 「「バグダッド・カフェ」「ギルバート・グレイプ」「ベティ・ブルー」など。これらの映画の共通点は「塔」だと、遠い目をしたその女は言う。でも、私には、九〇年代前半あたりに数多く棲息していた、エキセントリックぶりっこの困ったちゃん女があげる共通フェイヴァリット・フィルムに思える。」「最後にまさかの語呂合わせめいたポジティヴ・シンキング…あー、もう!!」 川上弘美 62歳 全 △ 10 「ミスミという女のつまらなさにやられました。このつまらなさ、大いに惹かれます。ただ、不必要なことではなく、必要なことを書きすぎている、という印象があった。惜しいです。」 奥泉光 64歳 全 ■ 9 「謎解きエンターテインメントとして楽しく読めた。が、謎解きの物語自体は類型的にならざるをえないわけで、母娘の過去の深刻な出来事が、ストーリー構成上の一断片（ルビ：ピース）に見えてしまうのがやや苦しい。」 堀江敏幸 56歳 全 ■ 15 「主人公の比重がミスミから母親に移行していく流れに、好ましい緩手がある。しかし後半になると姿勢がどんどん前のめりになり、着地点に合うよう言葉の歩幅を調整せざるをえなくなってくる。」

他の候補作 高山羽根子 「首里の馬」 遠野遥 「破局」 石原燃 「赤い砂を蹴る」 三木三奈 「アキちゃん」

三木三奈29歳×各選考委員　 「アキちゃん」 短篇 105枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 平野啓一郎 45歳 全 ● 6 「文体、人物造形に心許なさがあり、殊に「アキちゃん」の個性が、性同一性障害の故と粗雑に総括される、同級生の昔話風の着地点に疑問を感じた。」 吉田修一 51歳 全 △ 16 「叙述トリックという手法が、読者の先入観や偏見や思い込みを逆手に取るものだとすれば、これほどテーマと手法が合っているものはない。このようなテーマと手法とを意識的に組み合わせる作品をあと数作書けば、かなりユニークな作家になるのではないでしょうか。」 松浦寿輝 66歳 全 ● 22 「時間の遠近法が終始不安定である。（引用者中略）わたしの目には、時間の処理をめぐるたんなる未熟ないし思慮不足としか映らなかった。「アキちゃん」の性別をめぐるオチに関しては、下手な手品を見せられたようで、So what?としか思わなかった。」 小川洋子 58歳 全 ○ 21 「（引用者注：「破局」の）次に『アキちゃん』を推した。小学生特有の極端さや図太さ、もの寂しさが、大人の解釈で装飾されていない、本物の子どもの声で語られていた。」「大学生の場面が付け足しに感じられ、少し残念だった。」 島田雅彦 59歳 全 ● 5 「小学生の稚拙な嫌悪感が性同一性障害の問題に帰結するリニアな構成の短編で、習作の域を出ない。」 山田詠美 61歳 全 ■ 20 「大学で、ばったり再会した元同級生と「荒城の月」を口ずさみ、〈「昔の光　今いずこ」を重ね合わせて、安直でうすっぺらい物思いにふけったわけではない。それ（原文傍点）をしたのはもっとあとのことだ。〉うんうん、解ったよ。でも、小説って〈それ（原文傍点）〉を手間暇かけて引っ張り出し、修復するものだと思う。」 川上弘美 62歳 全 ■ 10 「作者は言葉を使うすべを、すでに充分に身につけている。ただわたしはこの小説を読み、「うまく検算ができるな」と感じてしまった。埒外に出られなかったのです。」 奥泉光 64歳 全 ● 11 「この主題（トランスジェンダー）を扱うなら、もっと正面から描くべきではないかとの感想を持たざるをえなかった。」 堀江敏幸 56歳 全 ■ 15 「身体の性と心の性が一致していない主人公の言動と、語り手の気持ちの動きがほぼ現場の感覚をもって再生され、読み手もその空気を追体験しうるのだが、過去の言葉の逃げ足を語りの現在がせき止めてしまっている。アキちゃんの空白は、噂と伝聞ではない仕方で埋めたほうがよかったかもしれない。」

他の候補作 高山羽根子 「首里の馬」 遠野遥 「破局」 石原燃 「赤い砂を蹴る」 岡本学 「アウア・エイジ（Our Age）」