第162回

第161回第163回

令和1年/2019年下半期 令和2年/2020年1月15日決定発表／『文藝春秋』令和2年/2020年3月号選評掲載

選考委員　 山田詠美 60歳 吉田修一 51歳 小川洋子 57歳 奥泉光 63歳 川上弘美 61歳 宮本輝 72歳 島田雅彦 58歳 松浦寿輝 65歳 堀江敏幸 56歳 選評総行数　 94 88 86 89 87 85 81 101 82 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 古川真人　「背高泡立草」 204枚 31歳 評 □ 19 □ 16 △ 25 ■ 29 ■ 16 ◎ 29 ○ 15 △ 26 ■ 23 木村友祐　「幼な子の聖戦」 179枚 49歳 評 ● 16 ■ 14 ■ 17 ■ 14 △ 18 ■ 19 △ 18 △ 19 ■ 13 高尾長良　「音に聞く」 182枚 27歳 評 ● 20 ● 14 △ 6 ● 10 ■ 11 ● 7 △ 13 ■ 8 ■ 15 千葉雅也　「デッドライン」 227枚 41歳 評 ○ 20 ■ 19 ● 8 △ 21 ○ 18 △ 10 ■ 18 △ 55 ■ 17 乗代雄介　「最高の任務」 150枚 33歳 評 ● 19 △ 23 ○ 30 ■ 15 △ 24 ■ 20 ■ 8 ■ 7 ■ 14   欠席 書面回答               年齢/枚数の説明   見方・注意点

山田詠美60歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「選評」　総行数94　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 古川真人 31歳 全 □ 19 「同じ場所に確実に存在する異った時の流れを交錯させるのは、この作者の真骨頂だろう。今回は、そこに、さまざまなドラマをはさみ込み厚みが出た。」「正直、毎回この一族の物語を読むたびに、また付き合うのか、と感じていたが、今回、また出会えた！　と思えたのは収穫だった。」 木村友祐 49歳 全 ● 16 「〈幼な子〉と幼稚な大人は全然違うし、下卑ているということと下卑た人間を描くことも違う。この作品は、がんばってはったりかまして下卑ている。」 高尾長良 27歳 全 ● 20 「一見、流麗に見える文章が実は貧弱で空疎なのを露呈してしまっている。十の比喩を一に減らして、もっとシンプルで確実な、肉体からの言語で書いてもらいたい。」 千葉雅也 41歳 全 ○ 20 「性愛にいちいち哲学を持ち出す面倒臭い男だなあ、と思うことも含めて、リアリティに満ちていると感心した。」「これは、セクシャルヒーリングを巡る普遍的な青春小説なのである。妙なことに北杜夫氏の「どくとるマンボウ青春記」を思い出した。青春は可愛い。」 乗代雄介 33歳 全 ● 19 「主人公の女が作者の頭の中で組み立てられたまま、ぎくしゃくと油を差されないで動いている感じ。特に、家族と乗った列車の中で、粘着質の性的視線を送る中年男を翻弄して窮地に追いやる場面にはうんざり。」

他の選考委員 吉田修一 小川洋子 奥泉光 川上弘美 宮本輝 島田雅彦 松浦寿輝 堀江敏幸

吉田修一51歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数88　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 古川真人 31歳 全 □ 16 「これまでの古川さんの作品同様、少し大げさに昭和臭を漂わせる作風には相変わらず違和感をおぼえるのですが、市井の一家のファミリーヒストリーと見せかけて、その土地自体を物語る手腕は高く評価したいと思いました。」 木村友祐 49歳 全 ■ 14 「喜劇『慈縁郷村の協奏曲』とでも名付けたいようなテンポの良い筆捌きで一気に読まされましたが、四十四歳の主人公の子供っぽさが気になりました。」 高尾長良 27歳 全 ● 14 「「極東から来た悪魔」と呼ばれる父親との再会というサスペンスフルなストーリーと、硬質というか、まったく揺らぎのない文章とがあまり合っていないようにも思えました。」 千葉雅也 41歳 全 ■ 19 「最後はとても人間味溢れた授業を受けたような、豊かな気持ちになりました。」「また、珍しく脱線したこの授業は現代思想の基礎講座としても機能しており、とてもためにはなるのですが、残念ながら授業以上ではないと言いますか、小説の喜びとまでは感じられませんでした。」 乗代雄介 33歳 全 △ 23 「愛に包まれた一家のファミリーミステリー旅行が重ねられた結末に、旧石器時代にもあったという一家団欒という言葉が現れるラストは、心をぽっとあたたかにしてくれました。できればその形が一家ではなく、もっと多様性のある形で現れていれば、さらに小説のスケールが大きくなっていたようにも思います。」

他の選考委員 山田詠美 小川洋子 奥泉光 川上弘美 宮本輝 島田雅彦 松浦寿輝 堀江敏幸

小川洋子57歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題言葉以前の言葉で　総行数86　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 古川真人 31歳 全 △ 25 「最初の投票のあと、議論を重ねてゆく中で、『背高泡立草』が不思議な静けさをたたえて浮上してきた。場所はとある島の一点に留まりながら、大胆に時間をかき回すことで、海から逃れられない人生を背負わされた人々が立ち現れてくる。」「古川さんは、今、目の前にいる親しい誰かと、会えるはずもない遠い過去にいる見知らぬ誰かに、等しい距離感で視線を送れる書き手なのだろう。」 木村友祐 49歳 全 ■ 17 「語り手は、人間臭い存在感を放っている。」「気の小さい凡人であるはずの彼が、葛藤を突き抜けた先の狂気に飲まれ、暗殺にまで至る飛躍の瞬間を、もっとじっくり追いかけたかった。」 高尾長良 27歳 全 △ 6 「どんな小説も、言葉以前の言葉で書かれるべきなのだ、と思わせてくれる作品だった。」 千葉雅也 41歳 全 ● 8 「自分を定義しようともがく『デッドライン』の“僕”（引用者中略）の視線は常に自分の内側に向けられている。そのことが時に息苦しかった。」 乗代雄介 33歳 全 ○ 30 「彼女（引用者：主人公）の姿を追っているうち、読み手はごく自然に文学と現実の分かちがたいありようについて、思いを巡らせることになる。お前は誰なんだ、と問う声が耳元に響いてくる。実に微妙で、ややこしくて、ひねくれた、愛すべき小説である。せめて二度めの投票に持ち込めたらと願ったが、叶わなかった。」

他の選考委員 山田詠美 吉田修一 奥泉光 川上弘美 宮本輝 島田雅彦 松浦寿輝 堀江敏幸

奥泉光63歳×各候補作

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題正直な感想　総行数89　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 古川真人 31歳 全 ■ 29 「物語上の要請もあってか、方言の使用は減じて、読みやすくはなっている。しかし、そうなればなったで、全体が平板になった感がある。「読みにくさ」は魅力の源泉でもあったので、そこをむしろ徹底することで、壁を突破して欲しかったというのが正直なところだ。」 木村友祐 49歳 全 ■ 14 「理想や希望を嫌悪し、「この世に無意味をもたらす破壊者」たることを決意した主人公の、やっていることは非常にセコい、というあたりはたいへん面白い。が、彼が宗教的反転をしてテロリストとなる筋には無理があるように感じた。」 高尾長良 27歳 全 ● 10 「西洋小説の翻訳文体を採用した一篇だが、それがいまひとつ効果を発揮していない。主題のひとつであるWort oder Ton（言葉か音か）をめぐる思弁も理解しにくかった。」 千葉雅也 41歳 全 △ 21 「作者が文筆の世界ですでに知られている点を含め、「私小説」の伝統に連なるものといってよいだろう。」「本作では、生活感覚のなかから「知」が生成していく様子が描かれ、そこが面白い。作者には流通する「小説らしさ」を破壊してしまうような小説を期待したい、というのは勝手な願いだろうか。」 乗代雄介 33歳 全 ■ 15 「小説ならではの時間処理の技法のみられる一篇で、企み自体は評価したものの、全体には焦点が判然としない憾みが残った。たとえば小説の最後、主人公が涙を流す場面があるが、いまひとつ共感しにくい。」

他の選考委員 山田詠美 吉田修一 小川洋子 川上弘美 宮本輝 島田雅彦 松浦寿輝 堀江敏幸

川上弘美61歳×各候補作

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題心地よい読書　総行数87　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 古川真人 31歳 全 ■ 16 「小説の中の時間と空間を広げてゆこうという作者の試みが感じられたのは確かなのですが、それがうまくいっていたかどうかは、微妙なところでした。ゆらぎ、たゆたい、おぼろとなってゆく小説世界の中で、いつの間にか時間や空間がゆがんだり行ったり来たりする作者独特の手法を広げようとしたことは、大いに買いたいと思います。」 木村友祐 49歳 全 △ 18 「これは面白い小説だ。そう思いながら読みました。」「推しきれなかったのは、語り手が「ばか（以前も書きましたが、「ばか」は、わたしにとって褒め言葉です）」なはずなのに、要所要所で賢い人物になってしまっているように感じられてしまったからです。」 高尾長良 27歳 全 ■ 11 「文体に関してたいそう意識的なところに好感をもちました。」「今回は残念ながら、作者が自分の文体を自在に乗りこなしていなかったのではないでしょうか。」 千葉雅也 41歳 全 ○ 18 「今回の五作の中で、わたしが一番心ひかれた作品です。読みながら、いろいろなことを考えました。考えはそこにとどまらず、連想が広がり、その時には小説をお休みして、自分の連想の中をただよいました。」「わたし自身にとっては、いちばん心地よい「読書」の体験をすることができたのです。」 乗代雄介 33歳 全 △ 24 「作者の力量を感じます。」「わたしは推しきれなかった。なぜだろう。作中のもろもろの引用が、アンバランスだったからかもしれません。」「分福茶釜の説明部分を読んでいる時には――引用、という言葉は正確にはこの部分には当てはまらないのかもしれませんが――、土地の縁起の書いてある看板の前に自分が立っているような心もちになって、小説からはじき出されてしまったのです。」

他の選考委員 山田詠美 吉田修一 小川洋子 奥泉光 宮本輝 島田雅彦 松浦寿輝 堀江敏幸

宮本輝72歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題人間の逞しさ　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 古川真人 31歳 全 ◎ 29 「重層性と作品それ自体の生命力によって、（引用者注：作者が候補になった）これまでの三作をしのいでいると感じた。」「作品中、三つの異なる挿話が不意に挿入されるが、これをどう評価するかが難しいところだった。わたしはいささか親切過ぎる読み方をして、古い家の雑草刈りに集まった主人公たちが生まれ育った平戸の島そのものの「血」を象徴するメタファだと解釈した。」 木村友祐 49歳 全 ■ 19 「エンターテインメントとしては読ませる力を持っている。」「しかし、ドタバタ喜劇になってしまっているところもある。間抜けな主人公が最後は人を殺そうとする場面は余計であろう。」 高尾長良 27歳 全 ● 7 「ペダンティックな小説には閉口した。ウィーンを舞台にして、人造人間たちが長々と観念劇を演じている。わたしにはなんの益もない空疎な観念劇である。」 千葉雅也 41歳 全 △ 10 「受賞圏内にかろうじて入ってはいたが、主人公の大学院生が学ぶ「哲学」なるものと、ゲイの性の生々しい世界とが遊離したままで、観念としても融合することのないままなのが不満だった。」 乗代雄介 33歳 全 ■ 20 「どう評価していいかわからないというところがある。」「旧石器時代にあっても、人は一家団らんのなかに幸福を見たという厳粛な事実を、作者はなぜもっと直截に書かなかったのかと惜しまれる。」

他の選考委員 山田詠美 吉田修一 小川洋子 奥泉光 川上弘美 島田雅彦 松浦寿輝 堀江敏幸

島田雅彦58歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題意匠は様々ながら　総行数81　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 古川真人 31歳 全 ○ 15 「一族集合しての草刈りという現在時制の出来事に、その土地に根付いている重層的な過去を絡めた物語である。」「古川氏が書き継いできた「サーガ」の一部をなしているが、スピンオフといった人がいて、同意した。」 木村友祐 49歳 全 △ 18 「どっちつかずの男がいよいよ追い詰められ、テロリストに反転するそのモチベーションが今ひとつ他の選考委員には理解されなかったようだが、やけっぱちの一撃に打って出るしかない気分は共有できた。」 高尾長良 27歳 全 △ 13 「クラシック音楽批評家にありがちなペダントリーや、正確だが、回りくどい地の文は、「散文の不幸」を示唆しているのかもしれず、コトバと音の理想的結合としての詩の前での足踏みをそのまま物語にしたのかもしれない。」 千葉雅也 41歳 全 ■ 18 「修士論文は完成しないが、その副産物のようにして生まれた「私」の考察は折々の思弁が生活実感を伴っているせいか、とても読みやすいテクストになっていた。自分を含め、誰もが書かずにはいられない自伝ジャンルのニューウエーブと認めつつも、意識の発生の現場報告にもっと果敢に挑んで欲しいと注文をつける。」 乗代雄介 33歳 全 ■ 8 「日記と家族旅行の細部から浮かび上がる家族関係、叔母のほのぼのとした思い出語りの内容とがやや乖離しているように感じたのは残念だった。」   「選考会初っ端の投票結果から、今回は危うく受賞作なしになりそうだったが、賞は授けるためにあるのであって、酷薄な結果に陥らずに済んでよかった。国会とは違って、選考会で充分に議論が尽くされたことが奏功したのだと思う。」

他の選考委員 山田詠美 吉田修一 小川洋子 奥泉光 川上弘美 宮本輝 松浦寿輝 堀江敏幸

松浦寿輝65歳×各候補作

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題一般性と特異性　総行数101　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 古川真人 31歳 全 △ 26 「古川氏なりの企図や構想があり、方法の追求があるのかもしれないが、彼は結局はただわけもわからぬまま書いているように見える。そこから生まれる読みにくさは、肯定的にも否定的にも評価できるが、いずれにせよ中上健次の文章のような「花」があればと惜しむ気持ちは残る。」「（引用者注：「デッドライン」「幼な子の聖戦」と共に）選考会ではわたしは、（引用者中略）受賞作とすることに「反対はしない」という立場を表明した。」 木村友祐 49歳 全 △ 19 「この作の真の面白さは、越の定まらない「おれ」の不透明な情念の揺れにあり、それが一般通念を食い破って物語の結構をぶち壊すところまで行くさまをぜひ見たかった。」「（引用者注：「デッドライン」「背高泡立草」と共に）選考会ではわたしは、（引用者中略）受賞作とすることに「反対はしない」という立場を表明した。」 高尾長良 27歳 全 ■ 8 「（引用者注：「最高の任務」と共に）野心作とは思いつつ、」「三作（引用者注：「背高泡立草」「デッドライン」「幼な子の聖戦）に比してやや魅力が乏しいと感じずにはいられなかった。」 千葉雅也 41歳 全 △ 55 「誰かの太腿に手を置くとき、あるいは自分の太腿に誰かの手が置かれるとき、自分のうちで蠢くもの、突き上げてくるものがある。それを、読者の安直な共感など撥ねつける自分自身の性の特異性＝固有性として描き尽くそうと、あがきにあがくという段階がまずあってもいいのではないか。」「「デッドライン」の物足りなさは、その中間段階（小説でしかできないのはそこだけではないか）があまりに稀薄で、描写も記述もなしにただちに一般観念をめぐる思弁にあっさり行ってしまっているという点にある。」「（引用者注：「背高泡立草」「幼な子の聖戦」と共に）選考会ではわたしは、（引用者中略）受賞作とすることに「反対はしない」という立場を表明した。」 乗代雄介 33歳 全 ■ 7 「（引用者注：「音に聞く」と共に）野心作とは思いつつ、」「三作（引用者注：「背高泡立草」「デッドライン」「幼な子の聖戦）に比してやや魅力が乏しいと感じずにはいられなかった。」

他の選考委員 山田詠美 吉田修一 小川洋子 奥泉光 川上弘美 宮本輝 島田雅彦 堀江敏幸

堀江敏幸56歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題近さの回復　総行数82　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 古川真人 31歳 全 ■ 23 「声は変わっていない。しかし過去と現在の二項対立ではない「傍らにいる」記憶をたどる言葉の密度が、これまでの作より薄いという印象を受けた。カヌーの挿話と捕鯨の話もどこか中途半端である。」 木村友祐 49歳 全 ■ 13 「主人公の友人に託された主張には深く首肯できるのだが、言いたいことを盛り込みすぎて、もっと魅力的なはずの語りの軽みが重くなり、「虚無の黒い穴」に吸い込まれていくように感じられる。」 高尾長良 27歳 全 ■ 15 「どこかなつかしい気持ちで読んだ。」「「音に聞く」のあとに「高師の浜のあだ波は」と続ければ、主題は言葉と音ではなく、艶書合（ルビ：けそうぶみあわせ）になるだろうか。この筋を少し太くすれば、衒学臭が軽減されたかもしれない。」 千葉雅也 41歳 全 ■ 17 「ドゥルーズを軸とするフランス現代思想がゲイとしての身体に血肉化されていく過程に、修士論文が書きあがらないという逆方向の、未成の維持が重ねられる。それをひとつの「生成」に変えるには、「近くにいる他者とワンセットであるような、新たな自己」が必要なのだが、過去や他者と微妙な距離を保つどこか落ち着いた語り口に、それが妨げられているのではないか。」 乗代雄介 33歳 全 ■ 14 「複数の時間層を行き来する「ねじ木」のような構造を生かしつつ最後まで持ちこたえる語りもいい。にもかかわらず、エピソードの動線がやや見えすぎて、作中に登場する看板建築の前の、まっすぐな通りを歩いているような気分になった。」

他の選考委員 山田詠美 吉田修一 小川洋子 奥泉光 川上弘美 宮本輝 島田雅彦 松浦寿輝

古川真人31歳×各選考委員　 「背高泡立草」 中篇 204枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 60歳 全 □ 19 「同じ場所に確実に存在する異った時の流れを交錯させるのは、この作者の真骨頂だろう。今回は、そこに、さまざまなドラマをはさみ込み厚みが出た。」「正直、毎回この一族の物語を読むたびに、また付き合うのか、と感じていたが、今回、また出会えた！　と思えたのは収穫だった。」 吉田修一 51歳 全 □ 16 「これまでの古川さんの作品同様、少し大げさに昭和臭を漂わせる作風には相変わらず違和感をおぼえるのですが、市井の一家のファミリーヒストリーと見せかけて、その土地自体を物語る手腕は高く評価したいと思いました。」 小川洋子 57歳 全 △ 25 「最初の投票のあと、議論を重ねてゆく中で、『背高泡立草』が不思議な静けさをたたえて浮上してきた。場所はとある島の一点に留まりながら、大胆に時間をかき回すことで、海から逃れられない人生を背負わされた人々が立ち現れてくる。」「古川さんは、今、目の前にいる親しい誰かと、会えるはずもない遠い過去にいる見知らぬ誰かに、等しい距離感で視線を送れる書き手なのだろう。」 奥泉光 63歳 全 ■ 29 「物語上の要請もあってか、方言の使用は減じて、読みやすくはなっている。しかし、そうなればなったで、全体が平板になった感がある。「読みにくさ」は魅力の源泉でもあったので、そこをむしろ徹底することで、壁を突破して欲しかったというのが正直なところだ。」 川上弘美 61歳 全 ■ 16 「小説の中の時間と空間を広げてゆこうという作者の試みが感じられたのは確かなのですが、それがうまくいっていたかどうかは、微妙なところでした。ゆらぎ、たゆたい、おぼろとなってゆく小説世界の中で、いつの間にか時間や空間がゆがんだり行ったり来たりする作者独特の手法を広げようとしたことは、大いに買いたいと思います。」 宮本輝 72歳 全 ◎ 29 「重層性と作品それ自体の生命力によって、（引用者注：作者が候補になった）これまでの三作をしのいでいると感じた。」「作品中、三つの異なる挿話が不意に挿入されるが、これをどう評価するかが難しいところだった。わたしはいささか親切過ぎる読み方をして、古い家の雑草刈りに集まった主人公たちが生まれ育った平戸の島そのものの「血」を象徴するメタファだと解釈した。」 島田雅彦 58歳 全 ○ 15 「一族集合しての草刈りという現在時制の出来事に、その土地に根付いている重層的な過去を絡めた物語である。」「古川氏が書き継いできた「サーガ」の一部をなしているが、スピンオフといった人がいて、同意した。」 松浦寿輝 65歳 全 △ 26 「古川氏なりの企図や構想があり、方法の追求があるのかもしれないが、彼は結局はただわけもわからぬまま書いているように見える。そこから生まれる読みにくさは、肯定的にも否定的にも評価できるが、いずれにせよ中上健次の文章のような「花」があればと惜しむ気持ちは残る。」「（引用者注：「デッドライン」「幼な子の聖戦」と共に）選考会ではわたしは、（引用者中略）受賞作とすることに「反対はしない」という立場を表明した。」 堀江敏幸 56歳 全 ■ 23 「声は変わっていない。しかし過去と現在の二項対立ではない「傍らにいる」記憶をたどる言葉の密度が、これまでの作より薄いという印象を受けた。カヌーの挿話と捕鯨の話もどこか中途半端である。」

他の候補作 木村友祐 「幼な子の聖戦」 高尾長良 「音に聞く」 千葉雅也 「デッドライン」 乗代雄介 「最高の任務」

木村友祐49歳×各選考委員　 「幼な子の聖戦」 中篇 179枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 60歳 全 ● 16 「〈幼な子〉と幼稚な大人は全然違うし、下卑ているということと下卑た人間を描くことも違う。この作品は、がんばってはったりかまして下卑ている。」 吉田修一 51歳 全 ■ 14 「喜劇『慈縁郷村の協奏曲』とでも名付けたいようなテンポの良い筆捌きで一気に読まされましたが、四十四歳の主人公の子供っぽさが気になりました。」 小川洋子 57歳 全 ■ 17 「語り手は、人間臭い存在感を放っている。」「気の小さい凡人であるはずの彼が、葛藤を突き抜けた先の狂気に飲まれ、暗殺にまで至る飛躍の瞬間を、もっとじっくり追いかけたかった。」 奥泉光 63歳 全 ■ 14 「理想や希望を嫌悪し、「この世に無意味をもたらす破壊者」たることを決意した主人公の、やっていることは非常にセコい、というあたりはたいへん面白い。が、彼が宗教的反転をしてテロリストとなる筋には無理があるように感じた。」 川上弘美 61歳 全 △ 18 「これは面白い小説だ。そう思いながら読みました。」「推しきれなかったのは、語り手が「ばか（以前も書きましたが、「ばか」は、わたしにとって褒め言葉です）」なはずなのに、要所要所で賢い人物になってしまっているように感じられてしまったからです。」 宮本輝 72歳 全 ■ 19 「エンターテインメントとしては読ませる力を持っている。」「しかし、ドタバタ喜劇になってしまっているところもある。間抜けな主人公が最後は人を殺そうとする場面は余計であろう。」 島田雅彦 58歳 全 △ 18 「どっちつかずの男がいよいよ追い詰められ、テロリストに反転するそのモチベーションが今ひとつ他の選考委員には理解されなかったようだが、やけっぱちの一撃に打って出るしかない気分は共有できた。」 松浦寿輝 65歳 全 △ 19 「この作の真の面白さは、越の定まらない「おれ」の不透明な情念の揺れにあり、それが一般通念を食い破って物語の結構をぶち壊すところまで行くさまをぜひ見たかった。」「（引用者注：「デッドライン」「背高泡立草」と共に）選考会ではわたしは、（引用者中略）受賞作とすることに「反対はしない」という立場を表明した。」 堀江敏幸 56歳 全 ■ 13 「主人公の友人に託された主張には深く首肯できるのだが、言いたいことを盛り込みすぎて、もっと魅力的なはずの語りの軽みが重くなり、「虚無の黒い穴」に吸い込まれていくように感じられる。」

他の候補作 古川真人 「背高泡立草」 高尾長良 「音に聞く」 千葉雅也 「デッドライン」 乗代雄介 「最高の任務」

高尾長良27歳×各選考委員　 「音に聞く」 中篇 182枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 60歳 全 ● 20 「一見、流麗に見える文章が実は貧弱で空疎なのを露呈してしまっている。十の比喩を一に減らして、もっとシンプルで確実な、肉体からの言語で書いてもらいたい。」 吉田修一 51歳 全 ● 14 「「極東から来た悪魔」と呼ばれる父親との再会というサスペンスフルなストーリーと、硬質というか、まったく揺らぎのない文章とがあまり合っていないようにも思えました。」 小川洋子 57歳 全 △ 6 「どんな小説も、言葉以前の言葉で書かれるべきなのだ、と思わせてくれる作品だった。」 奥泉光 63歳 全 ● 10 「西洋小説の翻訳文体を採用した一篇だが、それがいまひとつ効果を発揮していない。主題のひとつであるWort oder Ton（言葉か音か）をめぐる思弁も理解しにくかった。」 川上弘美 61歳 全 ■ 11 「文体に関してたいそう意識的なところに好感をもちました。」「今回は残念ながら、作者が自分の文体を自在に乗りこなしていなかったのではないでしょうか。」 宮本輝 72歳 全 ● 7 「ペダンティックな小説には閉口した。ウィーンを舞台にして、人造人間たちが長々と観念劇を演じている。わたしにはなんの益もない空疎な観念劇である。」 島田雅彦 58歳 全 △ 13 「クラシック音楽批評家にありがちなペダントリーや、正確だが、回りくどい地の文は、「散文の不幸」を示唆しているのかもしれず、コトバと音の理想的結合としての詩の前での足踏みをそのまま物語にしたのかもしれない。」 松浦寿輝 65歳 全 ■ 8 「（引用者注：「最高の任務」と共に）野心作とは思いつつ、」「三作（引用者注：「背高泡立草」「デッドライン」「幼な子の聖戦）に比してやや魅力が乏しいと感じずにはいられなかった。」 堀江敏幸 56歳 全 ■ 15 「どこかなつかしい気持ちで読んだ。」「「音に聞く」のあとに「高師の浜のあだ波は」と続ければ、主題は言葉と音ではなく、艶書合（ルビ：けそうぶみあわせ）になるだろうか。この筋を少し太くすれば、衒学臭が軽減されたかもしれない。」

他の候補作 古川真人 「背高泡立草」 木村友祐 「幼な子の聖戦」 千葉雅也 「デッドライン」 乗代雄介 「最高の任務」

千葉雅也41歳×各選考委員　 「デッドライン」 中篇 227枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 60歳 全 ○ 20 「性愛にいちいち哲学を持ち出す面倒臭い男だなあ、と思うことも含めて、リアリティに満ちていると感心した。」「これは、セクシャルヒーリングを巡る普遍的な青春小説なのである。妙なことに北杜夫氏の「どくとるマンボウ青春記」を思い出した。青春は可愛い。」 吉田修一 51歳 全 ■ 19 「最後はとても人間味溢れた授業を受けたような、豊かな気持ちになりました。」「また、珍しく脱線したこの授業は現代思想の基礎講座としても機能しており、とてもためにはなるのですが、残念ながら授業以上ではないと言いますか、小説の喜びとまでは感じられませんでした。」 小川洋子 57歳 全 ● 8 「自分を定義しようともがく『デッドライン』の“僕”（引用者中略）の視線は常に自分の内側に向けられている。そのことが時に息苦しかった。」 奥泉光 63歳 全 △ 21 「作者が文筆の世界ですでに知られている点を含め、「私小説」の伝統に連なるものといってよいだろう。」「本作では、生活感覚のなかから「知」が生成していく様子が描かれ、そこが面白い。作者には流通する「小説らしさ」を破壊してしまうような小説を期待したい、というのは勝手な願いだろうか。」 川上弘美 61歳 全 ○ 18 「今回の五作の中で、わたしが一番心ひかれた作品です。読みながら、いろいろなことを考えました。考えはそこにとどまらず、連想が広がり、その時には小説をお休みして、自分の連想の中をただよいました。」「わたし自身にとっては、いちばん心地よい「読書」の体験をすることができたのです。」 宮本輝 72歳 全 △ 10 「受賞圏内にかろうじて入ってはいたが、主人公の大学院生が学ぶ「哲学」なるものと、ゲイの性の生々しい世界とが遊離したままで、観念としても融合することのないままなのが不満だった。」 島田雅彦 58歳 全 ■ 18 「修士論文は完成しないが、その副産物のようにして生まれた「私」の考察は折々の思弁が生活実感を伴っているせいか、とても読みやすいテクストになっていた。自分を含め、誰もが書かずにはいられない自伝ジャンルのニューウエーブと認めつつも、意識の発生の現場報告にもっと果敢に挑んで欲しいと注文をつける。」 松浦寿輝 65歳 全 △ 55 「誰かの太腿に手を置くとき、あるいは自分の太腿に誰かの手が置かれるとき、自分のうちで蠢くもの、突き上げてくるものがある。それを、読者の安直な共感など撥ねつける自分自身の性の特異性＝固有性として描き尽くそうと、あがきにあがくという段階がまずあってもいいのではないか。」「「デッドライン」の物足りなさは、その中間段階（小説でしかできないのはそこだけではないか）があまりに稀薄で、描写も記述もなしにただちに一般観念をめぐる思弁にあっさり行ってしまっているという点にある。」「（引用者注：「背高泡立草」「幼な子の聖戦」と共に）選考会ではわたしは、（引用者中略）受賞作とすることに「反対はしない」という立場を表明した。」 堀江敏幸 56歳 全 ■ 17 「ドゥルーズを軸とするフランス現代思想がゲイとしての身体に血肉化されていく過程に、修士論文が書きあがらないという逆方向の、未成の維持が重ねられる。それをひとつの「生成」に変えるには、「近くにいる他者とワンセットであるような、新たな自己」が必要なのだが、過去や他者と微妙な距離を保つどこか落ち着いた語り口に、それが妨げられているのではないか。」

他の候補作 古川真人 「背高泡立草」 木村友祐 「幼な子の聖戦」 高尾長良 「音に聞く」 乗代雄介 「最高の任務」

乗代雄介33歳×各選考委員　 「最高の任務」 中篇 150枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 山田詠美 60歳 全 ● 19 「主人公の女が作者の頭の中で組み立てられたまま、ぎくしゃくと油を差されないで動いている感じ。特に、家族と乗った列車の中で、粘着質の性的視線を送る中年男を翻弄して窮地に追いやる場面にはうんざり。」 吉田修一 51歳 全 △ 23 「愛に包まれた一家のファミリーミステリー旅行が重ねられた結末に、旧石器時代にもあったという一家団欒という言葉が現れるラストは、心をぽっとあたたかにしてくれました。できればその形が一家ではなく、もっと多様性のある形で現れていれば、さらに小説のスケールが大きくなっていたようにも思います。」 小川洋子 57歳 全 ○ 30 「彼女（引用者：主人公）の姿を追っているうち、読み手はごく自然に文学と現実の分かちがたいありようについて、思いを巡らせることになる。お前は誰なんだ、と問う声が耳元に響いてくる。実に微妙で、ややこしくて、ひねくれた、愛すべき小説である。せめて二度めの投票に持ち込めたらと願ったが、叶わなかった。」 奥泉光 63歳 全 ■ 15 「小説ならではの時間処理の技法のみられる一篇で、企み自体は評価したものの、全体には焦点が判然としない憾みが残った。たとえば小説の最後、主人公が涙を流す場面があるが、いまひとつ共感しにくい。」 川上弘美 61歳 全 △ 24 「作者の力量を感じます。」「わたしは推しきれなかった。なぜだろう。作中のもろもろの引用が、アンバランスだったからかもしれません。」「分福茶釜の説明部分を読んでいる時には――引用、という言葉は正確にはこの部分には当てはまらないのかもしれませんが――、土地の縁起の書いてある看板の前に自分が立っているような心もちになって、小説からはじき出されてしまったのです。」 宮本輝 72歳 全 ■ 20 「どう評価していいかわからないというところがある。」「旧石器時代にあっても、人は一家団らんのなかに幸福を見たという厳粛な事実を、作者はなぜもっと直截に書かなかったのかと惜しまれる。」 島田雅彦 58歳 全 ■ 8 「日記と家族旅行の細部から浮かび上がる家族関係、叔母のほのぼのとした思い出語りの内容とがやや乖離しているように感じたのは残念だった。」 松浦寿輝 65歳 全 ■ 7 「（引用者注：「音に聞く」と共に）野心作とは思いつつ、」「三作（引用者注：「背高泡立草」「デッドライン」「幼な子の聖戦）に比してやや魅力が乏しいと感じずにはいられなかった。」 堀江敏幸 56歳 全 ■ 14 「複数の時間層を行き来する「ねじ木」のような構造を生かしつつ最後まで持ちこたえる語りもいい。にもかかわらず、エピソードの動線がやや見えすぎて、作中に登場する看板建築の前の、まっすぐな通りを歩いているような気分になった。」

他の候補作 古川真人 「背高泡立草」 木村友祐 「幼な子の聖戦」 高尾長良 「音に聞く」 千葉雅也 「デッドライン」