第161回

第160回第162回

平成31年・令和1年/2019年上半期 令和1年/2019年7月17日決定発表／『文藝春秋』令和1年/2019年9月号選評掲載

選考委員　 小川洋子 57歳 高樹のぶ子 73歳 奥泉光 63歳 山田詠美 60歳 島田雅彦 58歳 川上弘美 61歳 宮本輝 72歳 吉田修一 50歳 堀江敏幸 55歳 選評総行数　 85 86 88 87 91 101 84 161 78 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 今村夏子　「むらさきのスカートの女」 199枚 39歳 評 ◎ 29 △ 24 □ 24 ○ 12 △ 23 ◎ 17 ◎ 33 ○ 25 ◎ 21 高山羽根子　「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」 118枚 44歳 評 ◎ 18 ■ 16 ■ 11 □ 14 ■ 12 □ 12 ■ 18 ◎ 53 △ 17 古市憲寿　「百の夜は跳ねて」 234枚 34歳 評 ● 7 ■ 11 ◎ 21 ● 29 ■ 13 ● 47 ■ 9 ● 31 ● 13 古川真人　「ラッコの家」 99枚 30歳 評 △ 15 ■ 8 △ 20 ■ 15 ■ 7 ■ 12 ■ 10 ● 25 △ 14 李琴峰　「五つ数えれば三日月が」 100枚 29歳 評 ■ 16 ○ 14 ■ 12 △ 17 ○ 12 △ 16 ■ 14 △ 27 △ 13                   年齢/枚数の説明   見方・注意点

小川洋子57歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題滑稽な生きもの　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 今村夏子 39歳 全 ◎ 29 「奇妙にピントの外れた人間を、本人を語り手にして描くのは困難だが、目の前にむらさきのスカートの女を存在させることで、“わたし”の陰影は一気に奥行きを増した。」「ラスト、クリームパンを食べようとした“わたし”が、子供に肩を叩かれる場面にたどり着いた時、狂気を突き抜けた哀しさが胸に迫ってきた。」「常軌を逸した人間の魅力を、これほど生き生きと描けるのは、間違いなく今村さんの才能である。」 高山羽根子 44歳 全 ◎ 18 「（引用者注：「むらさきのスカートの女」と共に）推した。」「自由気ままな語りの裏に、性的暴行を受けた女性の、自らを肯定できない屈折が潜んでいる。」「高山さんは、書かないことでしか書けないことを書いた。貴重な問いを突きつける作品だと思う。」 古市憲寿 34歳 全 ● 7 「卑屈な主人公を、最後、母親のもとへ戻すほどの凄味が、老婆にあったかどうか。そこが引っ掛かった。無理矢理、作者の計画した地点へ着地させた印象を拭えなかった。」 古川真人 30歳 全 △ 15 「『ラッコの家』に響く重層的な声には、輪郭がなく、すべてが潮のように流れてゆく。しかし読み終わった時、タツコの手触りが確かに残る。」「古川さんにはこのまま、独自の題材、書き方に徹底的にこだわってほしい。同じことを書き続けることでしか見えてこない何かが、必ずあるはずだから。」 李琴峰 29歳 全 ■ 16 「ひたすら、恋愛小説として本作に没頭したかった。柱の多すぎる見通しの悪い部屋をさ迷うような、もどかしさを感じた。」

他の選考委員 高樹のぶ子 奥泉光 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 吉田修一 堀江敏幸

高樹のぶ子73歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題最後の選評　総行数86　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 今村夏子 39歳 全 △ 24 「新進作家らしからぬトリッキーな小説で、語り手と語られる女が、重なったり離れたりしながら、最後には語られる女が消えて、その席に語り手が座っている。」「不確かさを不確かなままに書き置くことが出来るのが女性の強みだが、裏に必死な切実さが感じられなければ、ただの無責任な奔流になる。さてこの先、いくらかでも理路を通すか、さらなる大奔流で、実存を薙ぎ倒すか。」 高山羽根子 44歳 全 ■ 16 「雪虫、ダウンの羽毛、おばあちゃんの背中、どれも白くて美しいが、肝心要のことを外した書き方が、効果的というより、焦点をぼかされた感じがした。」 古市憲寿 34歳 全 ■ 11 「前回の候補作より完成度を上げたが、ガラス拭きの肉体労働と、その主人公の想念がどうも融合していない。冒頭に、生まれることも死ぬことも出来ない島の説明があるけれど、命の問題というより、いかにもお洒落な記述に見えた。」 古川真人 30歳 全 ■ 8 「お経か音楽を聴くように聞き慣れてしまう。白濁した世界を、長々と泳がされている気がした。」 李琴峰 29歳 全 ○ 14 「直球ド真ん中に投げ込まれた恋愛小説。」「この作品は、女性が女性に向ける恋情の哀しさを描いて、切なく真っ直ぐだ。恋情というのは強い。漢詩も良く効いている。」   「「愛」と「哀」の消えた砂漠を、女性たちの感性が、自己中心的で幼いながらも、一所懸命に、地下水脈となって潤している光景が見えてきます。その地下水脈の源には、ともかくも身体の感覚がありますが、男たちは頭脳が成長し過ぎたせいか、世界と繋がる五感を失って見えます。」

他の選考委員 小川洋子 奥泉光 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 吉田修一 堀江敏幸

奥泉光63歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数88　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 今村夏子 39歳 全 □ 24 「「わたし」の異様な行動の奥から浮かび上がる何か――直接には書かれぬそれを、小説が端正であるだけに、自分はうまく捉えられず、むしろ「わたし」の奇矯なふるまいを描く場面を増やしてもっと笑わせて欲しかった、などと、ないものねだり的に考えたりもしたのだけれど、作者の力量に対する評価は変わらなかった。」 高山羽根子 44歳 全 ■ 11 「対象の捉え方に独自のセンスがあって、とりわけ描かれた人物像は不思議な魅力を放つ。しかし一篇の小説として完結させなければならないという命令の窮屈さが、小説世界をいくぶん小さくしてしまった印象をもった。」 古市憲寿 34歳 全 ◎ 21 「今回自分が一番推したのは、古市憲寿氏の「百の夜は跳ねて」だったが、選考会の場で評価する声はほとんど聞かれず、だいぶ弱った。」「外にあるさまざまな言葉をコラージュして小説を作る作者の方向を、小説とは元来そういうものであると考える自分は肯定的に捉えた。」 古川真人 30歳 全 △ 20 「九州の方言をかたりの柱に据える独自の文体を追求しながら、ひとつの「物語」を連作風に書き継いでいて、その貫徹ぶりには感心させられる。」「芥川賞は完結した短編に与えられる、と決まりがあるわけではないけれど、連作の一篇を独立して評価するのはむずかしい面があるともいわざるをえない。」 李琴峰 29歳 全 ■ 12 「漢詩文をうまく使って、主人公の切ない恋情を中心に愛らしい作品に仕上げている。漢詩文に漂う清爽な言葉の表情が、地の文にも滲み出していれば、もっと高い評価が得られたのではないだろうか。」

他の選考委員 小川洋子 高樹のぶ子 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 吉田修一 堀江敏幸

山田詠美60歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「選評」　総行数87　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 今村夏子 39歳 全 ○ 12 「少しも大仰でない独得の言葉で、そこはかとない恐怖、そして、おかしみの点在する世界に読み手を引き摺り込む手管は見事だと舌を巻いた。」 高山羽根子 44歳 全 □ 14 「変態〈お腹なめおやじ〉に本当はなめられているのに〈なめられていないほうの女子〉に分類されてしまった少女の受難は、大人になる過程でも続く。主人公が止めることないその歩みを、真摯に描いていると感じた。」 古市憲寿 34歳 全 ● 29 「いくつも列記されている参考文献の中に、書籍化されていない小説作品があるのを知った。（引用者中略）その木村友祐作「天空の絵描きたち」を読んでみた。」「そして、びっくり！　極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法。候補作よりはるかにおもしろい。」「候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっと、ずっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る。」 古川真人 30歳 全 ■ 15 「方言を多用し過ぎて、効果的な域をはるかに越えている。なかなか作品世界に入って行けなくて、前半は意味を汲み取るのにも難儀した。」「しかし、後半、タツコひとりの描写になると、俄然、味わいを増す。」 李琴峰 29歳 全 △ 17 「胸に秘めていた長年の想い人への抑えた気持が流れ出て止められなかったのか、あまりにも大仰な比喩が目立つ。」「もう少し油を差した言い回しで彼女を描写出来ていたら、主人公のせつない気持が自然と引き立っただろう。ラストでは、思わず応援したくなってしまった。」

他の選考委員 小川洋子 高樹のぶ子 奥泉光 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 吉田修一 堀江敏幸

島田雅彦58歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題物足りない理由　総行数91　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 今村夏子 39歳 全 △ 23 「商品としては実にウエルメイドで、平易な文章に、寓話的なストーリー運びの巧みさ、キャラクター設定の明快さ、批評のしやすさなど、ビギナーから批評家まで幅広い層に受け入れられるだろう。だが、エンターテイメント・スキルだけでは「物足りない」のも事実である。」 高山羽根子 44歳 全 ■ 12 「ディテール、表現がアイデアに満ち、「いいね」を効率よく稼いでいるのだが、フェティシズムのバリエーションが続くだけで上滑りしてしまっている。」 古市憲寿 34歳 全 ■ 13 「語り手は窓の内側より、窓に映る自分の方により関心が高かったようで、前作ほどではないが、ナルシスト的私語りが中心で、リアリティ構築に必要な細部も情報のパッチワークに終始しているのが気になった。それでも確実に進化はしている。」 古川真人 30歳 全 ■ 7 「田舎の家族経営の民宿に泊まり、目の見えづらいおばあさんの方言語りに耳を傾ける感じが心地よいが、語り手の観察者的介入により、リズムが壊れるところが残念。」 李琴峰 29歳 全 ○ 12 「私の今回の一押しだった。台湾人と日本人の女友達の再会と出会った頃の回想で構成される淡く、儚く、実らない同性愛的関係を、日本と台湾双方への愛着を絡めた佳作となっている。ただ、日本語を使い、台湾の食文化や名物を紹介するだけでは気の利いたガイドブックにとどまってしまう。」   「自分の周囲の観察を通じて、異変や深淵や真実を発見してしまうのが小説の醍醐味なので、身辺雑記はある意味、王道でもある。今回の候補作五編もまたそのカテゴリーに当てはまる。」「選考委員たちがつい「物足りない」という感想を漏らしてしまうのは、語り手が欲望や悪意を抑え、「やれやれ」と行儀よく、現実を回避してしまうからではないか。」

他の選考委員 小川洋子 高樹のぶ子 奥泉光 山田詠美 川上弘美 宮本輝 吉田修一 堀江敏幸

川上弘美61歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題声　総行数101　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 今村夏子 39歳 全 ◎ 17 「小説を読むと、作者の声が聞こえてきます。」「「むらさきのスカートの女」の中には、作者今村さんの声がほんとうによく響いていました。今村さんがつくりあげた、今村さんの声を、惜しむことなく美しく聞かせてくれました。一番に推しました。」 高山羽根子 44歳 全 □ 12 「作者高山さんの持つ小説家としての力を喜ばしく思いつつも、ほんのわずか、わずかだけ、何かが保留になっていると感じてしまったのです。次点でした。」 古市憲寿 34歳 全 ● 47 「一読し、前作よりも厚みがあると感じました。」「（引用者注：そのあとで「参考文献」として挙げられた木村友祐「天空の絵描きたち」を読んで）私は悲しかった。木村友祐さんの声が、そのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまったからです。」「たとえ木村さんご自身が「参考」にすることを了解していたとしても、古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持に欠ける行為であると、わたしは思います。」 古川真人 30歳 全 ■ 12 「「ラッコの家」の作者の声は、わたしには少し聞きづらいのです。」「今までも候補となった古川さんのいくつかの作品と続けて、長い一つの小説としてまた読み返したいですし、同時に古川さんのほかの種類の作品の、ほかの声も、いつか聞いてみたいのです。」 李琴峰 29歳 全 △ 16 「「実桜」の台湾での生活を、視点人物が聞いたとして書かれている部分が、結局は「実桜」自身を視点とする中途半端な声になってしまっているところのぶれがなければ、もっと積極的に推しました。」

他の選考委員 小川洋子 高樹のぶ子 奥泉光 山田詠美 島田雅彦 宮本輝 吉田修一 堀江敏幸

宮本輝72歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題人間の迷宮　総行数84　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 今村夏子 39歳 全 ◎ 33 「語り部である女が、この小説では最も異常性が顕著だが、読み手はむらさきのスカートの女を変わり者として感じてしまう。このふたりがじつは同一人物ではないかと疑いだすと、正常と異常の垣根の曖昧さは、そのまま人間の迷宮へとつながっていく。今村さんは以前候補作となった「あひる」でも特異な才能を感じさせたが、今回の「むらさきの…」で本領を発揮して、わたしは受賞作として推した。」 高山羽根子 44歳 全 ■ 18 「（引用者注：前の候補作「居た場所」と）共通するわかりづらさは、抑制のしすぎ、省略のしすぎではなく、「書かなさ過ぎ」であって、「書き過ぎ」よりも始末に負えない。核心を解く鍵はたったの一行、もしくは二行でいいが、それがなければ小説の芯が見えなくなる。」 古市憲寿 34歳 全 ■ 9 「高層ビルの窓拭きを仕事とする青年だけを書けたら、受賞作の対象になっただろうという気がした。他の登場人物たちがみな類型の寄せ集めなのだ。」 古川真人 30歳 全 ■ 10 「味わいがあって、その味わいの奥になにかが隠れていそうなのだが、読み終わると、なにが書かれていたのかわからなくなる。」 李琴峰 29歳 全 ■ 14 「（引用者注：登場人物の日本人女性と台湾人女性の）ふたりのあいだにはほのかな同性愛の香りも漂い、その思いを漢詩に託して伝える場面には清潔な詩情すら漂っている。」「だが、わたしはそこだけしか心に残らなくて、いったいなにを書きたかった小説なのか理解できなかった。」   「帯に短し襷に長し、の候補作」

他の選考委員 小川洋子 高樹のぶ子 奥泉光 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 吉田修一 堀江敏幸

吉田修一50歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数161　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 今村夏子 39歳 全 ○ 25 「前作の「星の子」や「あひる」などにも見られる書く技術の高さには文句のつけようがない。」「個人的には、不潔な女性の描写に魅かれた。これまで不潔だが魅力的な男性というのは小説でも読んだことがあるが、ここまで不潔なのに魅力的という女性は初めてのような気がする。」 高山羽根子 44歳 全 ◎ 53 「本作に○をつけて選考会に臨んだ。まず、この人の文章には質感がある。」「主人公の女性がこれまでの人生で受けてきた性被害の風景がとても軽やかに、まるで笑い話のように語られていく。（引用者中略）最後まで読むと、そこには笑い飛ばすことでしか乗り越えられなかった切実な悔しさが滲み出てくる。」「タイトルがボブ・ディランの楽曲から取られていることもあり、これからの令和という時代が、デモと社会的弱者の時代になるのではないかという暗示としても読めた。」 古市憲寿 34歳 全 ● 31 「なにより主人公の凡庸な価値観に唖然とする。」「あと、参考文献に挙げられていた木村友祐氏の佳品『天空の絵描きたち』を読み、本作に対して盗作とはまた別種のいやらしさを感じた。ぜひ読み比べてほしいのだが、あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う。」 古川真人 30歳 全 ● 25 「好意的な選考委員がおっしゃるようにサーガの一部だとしても、退屈にすぎる。」「「もしかしたら、この味わい深い方言の中に何か意味のあることが書かれているのかもしれないわ」と期待を持たれている読者に、「ここがそうです」と自信を持って指摘できる箇所は見つけられない。」 李琴峰 29歳 全 △ 27 「なによりストレートの女性に対するレズビアンである台湾人の叶わぬ恋を描きながら、この恋が叶わぬ理由に「女性同士であるから」という言い訳やエクスキューズが一切なく、果敢に攻めていく主人公の潔さと勇気に感服した。」「本作にあるような淡い恋愛の風景でさえ、実は入国管理官（政治）のハンコ一つの上に成り立っているという恐ろしさまでを今後の作品で描き出せれば、この種の小説の嚆矢となるはずである。」

他の選考委員 小川洋子 高樹のぶ子 奥泉光 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 堀江敏幸

堀江敏幸55歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題いびつさをいとおしさに変える眼力　総行数78　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 今村夏子 39歳 全 ◎ 21 「見る側の奇妙な思い込みは、他人を鏡にして自身のいびつさを際立たせるのだが、そのいびつさをなにか愛しいものに変えていく淡々とした語りの豪腕ぶりに、大きな魅力がある。」「本作を推した。」 高山羽根子 44歳 全 △ 17 「語り手は、過去に受けたいくつかの性的被害を淡々と語る一方で、高校の同期の男にされたことの真偽は明示しない。」「選ぶべき方向を曖昧に開く結末は印象的だが、羽虫から雪虫へとつながる周到なイメージの連鎖に凭（原文ルビ：よ）りかかりすぎたかもしれない。」 古市憲寿 34歳 全 ● 13 「主人公は、（引用者中略・注：高層ビルの窓の）表面に映じた自分の顔しか見ていない。地上二百五十メートルの高さにではなく、参考文献にあげられた他者の小説の、最も重要な部分をかっぱいでも（原文傍点）、ガラスは濁るだけではないか。」 古川真人 30歳 全 △ 14 「八十歳近い主人公が、海に落ちた小さい頃の自分をラッコのように眺めている結びには、親しい他者の顔もとらえられている。欲を言えば、旧知の人物に再会できた喜びを超えるなにかが欲しかった。」 李琴峰 29歳 全 △ 13 「台湾出身で東京の銀行に職を得た女性と、台湾人と結婚してその地にとどまった日本人女性。前者から後者への報われぬ想いが、地震の影響や文化と言語の相違、歴史的な問題を背景に押しやり、想いの芯だけを読後に残す。この芯は、とてもよいものだ。」

他の選考委員 小川洋子 高樹のぶ子 奥泉光 山田詠美 島田雅彦 川上弘美 宮本輝 吉田修一

今村夏子39歳×各選考委員　 「むらさきのスカートの女」 中篇 199枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 57歳 全 ◎ 29 「奇妙にピントの外れた人間を、本人を語り手にして描くのは困難だが、目の前にむらさきのスカートの女を存在させることで、“わたし”の陰影は一気に奥行きを増した。」「ラスト、クリームパンを食べようとした“わたし”が、子供に肩を叩かれる場面にたどり着いた時、狂気を突き抜けた哀しさが胸に迫ってきた。」「常軌を逸した人間の魅力を、これほど生き生きと描けるのは、間違いなく今村さんの才能である。」 高樹のぶ子 73歳 全 △ 24 「新進作家らしからぬトリッキーな小説で、語り手と語られる女が、重なったり離れたりしながら、最後には語られる女が消えて、その席に語り手が座っている。」「不確かさを不確かなままに書き置くことが出来るのが女性の強みだが、裏に必死な切実さが感じられなければ、ただの無責任な奔流になる。さてこの先、いくらかでも理路を通すか、さらなる大奔流で、実存を薙ぎ倒すか。」 奥泉光 63歳 全 □ 24 「「わたし」の異様な行動の奥から浮かび上がる何か――直接には書かれぬそれを、小説が端正であるだけに、自分はうまく捉えられず、むしろ「わたし」の奇矯なふるまいを描く場面を増やしてもっと笑わせて欲しかった、などと、ないものねだり的に考えたりもしたのだけれど、作者の力量に対する評価は変わらなかった。」 山田詠美 60歳 全 ○ 12 「少しも大仰でない独得の言葉で、そこはかとない恐怖、そして、おかしみの点在する世界に読み手を引き摺り込む手管は見事だと舌を巻いた。」 島田雅彦 58歳 全 △ 23 「商品としては実にウエルメイドで、平易な文章に、寓話的なストーリー運びの巧みさ、キャラクター設定の明快さ、批評のしやすさなど、ビギナーから批評家まで幅広い層に受け入れられるだろう。だが、エンターテイメント・スキルだけでは「物足りない」のも事実である。」 川上弘美 61歳 全 ◎ 17 「小説を読むと、作者の声が聞こえてきます。」「「むらさきのスカートの女」の中には、作者今村さんの声がほんとうによく響いていました。今村さんがつくりあげた、今村さんの声を、惜しむことなく美しく聞かせてくれました。一番に推しました。」 宮本輝 72歳 全 ◎ 33 「語り部である女が、この小説では最も異常性が顕著だが、読み手はむらさきのスカートの女を変わり者として感じてしまう。このふたりがじつは同一人物ではないかと疑いだすと、正常と異常の垣根の曖昧さは、そのまま人間の迷宮へとつながっていく。今村さんは以前候補作となった「あひる」でも特異な才能を感じさせたが、今回の「むらさきの…」で本領を発揮して、わたしは受賞作として推した。」 吉田修一 50歳 全 ○ 25 「前作の「星の子」や「あひる」などにも見られる書く技術の高さには文句のつけようがない。」「個人的には、不潔な女性の描写に魅かれた。これまで不潔だが魅力的な男性というのは小説でも読んだことがあるが、ここまで不潔なのに魅力的という女性は初めてのような気がする。」 堀江敏幸 55歳 全 ◎ 21 「見る側の奇妙な思い込みは、他人を鏡にして自身のいびつさを際立たせるのだが、そのいびつさをなにか愛しいものに変えていく淡々とした語りの豪腕ぶりに、大きな魅力がある。」「本作を推した。」

他の候補作 高山羽根子 「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」 古市憲寿 「百の夜は跳ねて」 古川真人 「ラッコの家」 李琴峰 「五つ数えれば三日月が」

高山羽根子44歳×各選考委員　 「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」 短篇 118枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 57歳 全 ◎ 18 「（引用者注：「むらさきのスカートの女」と共に）推した。」「自由気ままな語りの裏に、性的暴行を受けた女性の、自らを肯定できない屈折が潜んでいる。」「高山さんは、書かないことでしか書けないことを書いた。貴重な問いを突きつける作品だと思う。」 高樹のぶ子 73歳 全 ■ 16 「雪虫、ダウンの羽毛、おばあちゃんの背中、どれも白くて美しいが、肝心要のことを外した書き方が、効果的というより、焦点をぼかされた感じがした。」 奥泉光 63歳 全 ■ 11 「対象の捉え方に独自のセンスがあって、とりわけ描かれた人物像は不思議な魅力を放つ。しかし一篇の小説として完結させなければならないという命令の窮屈さが、小説世界をいくぶん小さくしてしまった印象をもった。」 山田詠美 60歳 全 □ 14 「変態〈お腹なめおやじ〉に本当はなめられているのに〈なめられていないほうの女子〉に分類されてしまった少女の受難は、大人になる過程でも続く。主人公が止めることないその歩みを、真摯に描いていると感じた。」 島田雅彦 58歳 全 ■ 12 「ディテール、表現がアイデアに満ち、「いいね」を効率よく稼いでいるのだが、フェティシズムのバリエーションが続くだけで上滑りしてしまっている。」 川上弘美 61歳 全 □ 12 「作者高山さんの持つ小説家としての力を喜ばしく思いつつも、ほんのわずか、わずかだけ、何かが保留になっていると感じてしまったのです。次点でした。」 宮本輝 72歳 全 ■ 18 「（引用者注：前の候補作「居た場所」と）共通するわかりづらさは、抑制のしすぎ、省略のしすぎではなく、「書かなさ過ぎ」であって、「書き過ぎ」よりも始末に負えない。核心を解く鍵はたったの一行、もしくは二行でいいが、それがなければ小説の芯が見えなくなる。」 吉田修一 50歳 全 ◎ 53 「本作に○をつけて選考会に臨んだ。まず、この人の文章には質感がある。」「主人公の女性がこれまでの人生で受けてきた性被害の風景がとても軽やかに、まるで笑い話のように語られていく。（引用者中略）最後まで読むと、そこには笑い飛ばすことでしか乗り越えられなかった切実な悔しさが滲み出てくる。」「タイトルがボブ・ディランの楽曲から取られていることもあり、これからの令和という時代が、デモと社会的弱者の時代になるのではないかという暗示としても読めた。」 堀江敏幸 55歳 全 △ 17 「語り手は、過去に受けたいくつかの性的被害を淡々と語る一方で、高校の同期の男にされたことの真偽は明示しない。」「選ぶべき方向を曖昧に開く結末は印象的だが、羽虫から雪虫へとつながる周到なイメージの連鎖に凭（原文ルビ：よ）りかかりすぎたかもしれない。」

他の候補作 今村夏子 「むらさきのスカートの女」 古市憲寿 「百の夜は跳ねて」 古川真人 「ラッコの家」 李琴峰 「五つ数えれば三日月が」

古市憲寿34歳×各選考委員　 「百の夜は跳ねて」 中篇 234枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 57歳 全 ● 7 「卑屈な主人公を、最後、母親のもとへ戻すほどの凄味が、老婆にあったかどうか。そこが引っ掛かった。無理矢理、作者の計画した地点へ着地させた印象を拭えなかった。」 高樹のぶ子 73歳 全 ■ 11 「前回の候補作より完成度を上げたが、ガラス拭きの肉体労働と、その主人公の想念がどうも融合していない。冒頭に、生まれることも死ぬことも出来ない島の説明があるけれど、命の問題というより、いかにもお洒落な記述に見えた。」 奥泉光 63歳 全 ◎ 21 「今回自分が一番推したのは、古市憲寿氏の「百の夜は跳ねて」だったが、選考会の場で評価する声はほとんど聞かれず、だいぶ弱った。」「外にあるさまざまな言葉をコラージュして小説を作る作者の方向を、小説とは元来そういうものであると考える自分は肯定的に捉えた。」 山田詠美 60歳 全 ● 29 「いくつも列記されている参考文献の中に、書籍化されていない小説作品があるのを知った。（引用者中略）その木村友祐作「天空の絵描きたち」を読んでみた。」「そして、びっくり！　極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法。候補作よりはるかにおもしろい。」「候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっと、ずっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る。」 島田雅彦 58歳 全 ■ 13 「語り手は窓の内側より、窓に映る自分の方により関心が高かったようで、前作ほどではないが、ナルシスト的私語りが中心で、リアリティ構築に必要な細部も情報のパッチワークに終始しているのが気になった。それでも確実に進化はしている。」 川上弘美 61歳 全 ● 47 「一読し、前作よりも厚みがあると感じました。」「（引用者注：そのあとで「参考文献」として挙げられた木村友祐「天空の絵描きたち」を読んで）私は悲しかった。木村友祐さんの声が、そのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまったからです。」「たとえ木村さんご自身が「参考」にすることを了解していたとしても、古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持に欠ける行為であると、わたしは思います。」 宮本輝 72歳 全 ■ 9 「高層ビルの窓拭きを仕事とする青年だけを書けたら、受賞作の対象になっただろうという気がした。他の登場人物たちがみな類型の寄せ集めなのだ。」 吉田修一 50歳 全 ● 31 「なにより主人公の凡庸な価値観に唖然とする。」「あと、参考文献に挙げられていた木村友祐氏の佳品『天空の絵描きたち』を読み、本作に対して盗作とはまた別種のいやらしさを感じた。ぜひ読み比べてほしいのだが、あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う。」 堀江敏幸 55歳 全 ● 13 「主人公は、（引用者中略・注：高層ビルの窓の）表面に映じた自分の顔しか見ていない。地上二百五十メートルの高さにではなく、参考文献にあげられた他者の小説の、最も重要な部分をかっぱいでも（原文傍点）、ガラスは濁るだけではないか。」

他の候補作 今村夏子 「むらさきのスカートの女」 高山羽根子 「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」 古川真人 「ラッコの家」 李琴峰 「五つ数えれば三日月が」

古川真人30歳×各選考委員　 「ラッコの家」 短篇 99枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 57歳 全 △ 15 「『ラッコの家』に響く重層的な声には、輪郭がなく、すべてが潮のように流れてゆく。しかし読み終わった時、タツコの手触りが確かに残る。」「古川さんにはこのまま、独自の題材、書き方に徹底的にこだわってほしい。同じことを書き続けることでしか見えてこない何かが、必ずあるはずだから。」 高樹のぶ子 73歳 全 ■ 8 「お経か音楽を聴くように聞き慣れてしまう。白濁した世界を、長々と泳がされている気がした。」 奥泉光 63歳 全 △ 20 「九州の方言をかたりの柱に据える独自の文体を追求しながら、ひとつの「物語」を連作風に書き継いでいて、その貫徹ぶりには感心させられる。」「芥川賞は完結した短編に与えられる、と決まりがあるわけではないけれど、連作の一篇を独立して評価するのはむずかしい面があるともいわざるをえない。」 山田詠美 60歳 全 ■ 15 「方言を多用し過ぎて、効果的な域をはるかに越えている。なかなか作品世界に入って行けなくて、前半は意味を汲み取るのにも難儀した。」「しかし、後半、タツコひとりの描写になると、俄然、味わいを増す。」 島田雅彦 58歳 全 ■ 7 「田舎の家族経営の民宿に泊まり、目の見えづらいおばあさんの方言語りに耳を傾ける感じが心地よいが、語り手の観察者的介入により、リズムが壊れるところが残念。」 川上弘美 61歳 全 ■ 12 「「ラッコの家」の作者の声は、わたしには少し聞きづらいのです。」「今までも候補となった古川さんのいくつかの作品と続けて、長い一つの小説としてまた読み返したいですし、同時に古川さんのほかの種類の作品の、ほかの声も、いつか聞いてみたいのです。」 宮本輝 72歳 全 ■ 10 「味わいがあって、その味わいの奥になにかが隠れていそうなのだが、読み終わると、なにが書かれていたのかわからなくなる。」 吉田修一 50歳 全 ● 25 「好意的な選考委員がおっしゃるようにサーガの一部だとしても、退屈にすぎる。」「「もしかしたら、この味わい深い方言の中に何か意味のあることが書かれているのかもしれないわ」と期待を持たれている読者に、「ここがそうです」と自信を持って指摘できる箇所は見つけられない。」 堀江敏幸 55歳 全 △ 14 「八十歳近い主人公が、海に落ちた小さい頃の自分をラッコのように眺めている結びには、親しい他者の顔もとらえられている。欲を言えば、旧知の人物に再会できた喜びを超えるなにかが欲しかった。」

他の候補作 今村夏子 「むらさきのスカートの女」 高山羽根子 「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」 古市憲寿 「百の夜は跳ねて」 李琴峰 「五つ数えれば三日月が」

李琴峰29歳×各選考委員　 「五つ数えれば三日月が」 短篇 100枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 57歳 全 ■ 16 「ひたすら、恋愛小説として本作に没頭したかった。柱の多すぎる見通しの悪い部屋をさ迷うような、もどかしさを感じた。」 高樹のぶ子 73歳 全 ○ 14 「直球ド真ん中に投げ込まれた恋愛小説。」「この作品は、女性が女性に向ける恋情の哀しさを描いて、切なく真っ直ぐだ。恋情というのは強い。漢詩も良く効いている。」 奥泉光 63歳 全 ■ 12 「漢詩文をうまく使って、主人公の切ない恋情を中心に愛らしい作品に仕上げている。漢詩文に漂う清爽な言葉の表情が、地の文にも滲み出していれば、もっと高い評価が得られたのではないだろうか。」 山田詠美 60歳 全 △ 17 「胸に秘めていた長年の想い人への抑えた気持が流れ出て止められなかったのか、あまりにも大仰な比喩が目立つ。」「もう少し油を差した言い回しで彼女を描写出来ていたら、主人公のせつない気持が自然と引き立っただろう。ラストでは、思わず応援したくなってしまった。」 島田雅彦 58歳 全 ○ 12 「私の今回の一押しだった。台湾人と日本人の女友達の再会と出会った頃の回想で構成される淡く、儚く、実らない同性愛的関係を、日本と台湾双方への愛着を絡めた佳作となっている。ただ、日本語を使い、台湾の食文化や名物を紹介するだけでは気の利いたガイドブックにとどまってしまう。」 川上弘美 61歳 全 △ 16 「「実桜」の台湾での生活を、視点人物が聞いたとして書かれている部分が、結局は「実桜」自身を視点とする中途半端な声になってしまっているところのぶれがなければ、もっと積極的に推しました。」 宮本輝 72歳 全 ■ 14 「（引用者注：登場人物の日本人女性と台湾人女性の）ふたりのあいだにはほのかな同性愛の香りも漂い、その思いを漢詩に託して伝える場面には清潔な詩情すら漂っている。」「だが、わたしはそこだけしか心に残らなくて、いったいなにを書きたかった小説なのか理解できなかった。」 吉田修一 50歳 全 △ 27 「なによりストレートの女性に対するレズビアンである台湾人の叶わぬ恋を描きながら、この恋が叶わぬ理由に「女性同士であるから」という言い訳やエクスキューズが一切なく、果敢に攻めていく主人公の潔さと勇気に感服した。」「本作にあるような淡い恋愛の風景でさえ、実は入国管理官（政治）のハンコ一つの上に成り立っているという恐ろしさまでを今後の作品で描き出せれば、この種の小説の嚆矢となるはずである。」 堀江敏幸 55歳 全 △ 13 「台湾出身で東京の銀行に職を得た女性と、台湾人と結婚してその地にとどまった日本人女性。前者から後者への報われぬ想いが、地震の影響や文化と言語の相違、歴史的な問題を背景に押しやり、想いの芯だけを読後に残す。この芯は、とてもよいものだ。」

他の候補作 今村夏子 「むらさきのスカートの女」 高山羽根子 「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」 古市憲寿 「百の夜は跳ねて」 古川真人 「ラッコの家」