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生没年月日【注】 | 明治22年/1889年8月1日~昭和37年/1962年3月26日 | |
在任期間 | 第1回~第16回(通算8年・16回) | |
在任年齢 | 45歳11ヶ月~53歳5ヶ月 | |
経歴 | 本名=室生照道。石川県生まれ。金沢高小中退。 明治45年/1912年『スバル』に詩を発表。 大正7年/1918年『愛の詩集』『抒情小曲集』を刊行し、抒情詩人の地位を確立する。 小説では、大正9年/1920年の「性に目覚める頃」をはじめとして、戦前では「あにいもうと」、戦後には「杏っ子」などの代表作がある。 |
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受賞歴・候補歴 | ||
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個人全集 | 『室生犀星全集』全12巻・別巻2(昭和39年/1964年~昭和43年/1968年・新潮社刊) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 室生犀星 46歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
宮内寒彌 | 24歳 |
◎ | 18 | 「甚だ佳い作品」「やはり処女作めいたごついところと、内容が眼に珍しかったからであった。書き出しの自然描写にも、ちょっと奥の手を見せたすっきりしたところもあったし、作品のがらが小説的でもあったからである。後端は拙く前半が良い。あとの拙いことも、甚だたどたどしくてよかった。」「「中央高地」は傑作でも何でもないが、人々はこういう作品を見過すことのできない、微妙な、小説的宿縁を感じるのである。」「芥川賞に値するせんよりもこの機縁こそ、若い作家に猛然たる蛮力を与えることと信じるからである。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第一巻』昭和57年/1982年2月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和11年/1936年4月号) |
選考委員 室生犀星 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
29歳 |
◎ | 14 | 「大変にうつくしい小説だと思った。小説というものに野心を持たず、にごった気持やすたれたところも見えず、美しい一方であった。」「(引用者注:第二回の委員会で)私は「乗合場所」をすいせんした。」「未熟の美しさを認めるとすればお帳場(引用者注:「お帳場日誌」)もいいし、中里氏もいいわけである。」 | |
吉川江子 | 27歳 |
○ | 16 | 「第一回の委員会で(引用者中略)すいせんした。」「ごちゃごちゃした書き方ではあるがこれらを整理できる将来がこの作者に持たれて行ったら、新人ではあり、うみたて卵のようでいいと思った。」「未熟の美しさを認めるとすればお帳場(引用者注:「お帳場日誌」)もいいし、中里氏もいいわけである。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第二巻』昭和57年/1982年3月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和14年/1939年3月号) |
選考委員 室生犀星 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
34歳 |
◎ | 9 | 「(引用者注:「鶏騒動」と共に)小説としての向側が見え透いているが、見えていても別々にいいところを持っている。」「何度もその素材の上で読んだことのある小説のような気がするが、それでいて又別な味がする。」「(引用者注:旅行先から)電報で一票を入れた。」 | |
28歳 |
○ | 8 | 「(引用者注:「あさくさの子供」と共に)小説としての向側が見え透いているが、見えていても別々にいいところを持っている。」「旅行先で川端康成君にお願いして「鶏騒動」と「姫鱒」とがいいという意味をつたえて、欠席した」 | |
長見義三 | 31歳 |
○ | 2 | 「旅行先で川端康成君にお願いして「鶏騒動」と「姫鱒」とがいいという意味をつたえて、欠席した」 |
選評出典:『芥川賞全集 第二巻』昭和57年/1982年3月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和14年/1939年9月号) |
選考委員 室生犀星 50歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
織田作之助 | 26歳 |
◎ | 10 | 「「俗臭」を推薦することを期して出席した」「僅かに久米委員が一顧をあたえてくれただけである。瀧井委員は少し品がわるくてといい、彼方向いて了った。宇野委員にどうかねとたずねると、黙って顔を少し動かしただけである。」 |
32歳 |
□ | 13 | 「半分しかよんでいなかった。当夜持って出た私の覚書には「身につかず」と書いて置いた。(引用者中略)「密猟者」の生活全体がその読んだ日の私の心の向きにつき(原文傍点)が悪かったからである。」「翌日私は「密猟者」を読んで見て鮮かなる一芸を諒解したのである。」「ただ、こういう世界は詩人にのみ描ける世界であることを嘗ての作品経験から私は知っていたので、やはり大して驚かなかった。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第二巻』昭和57年/1982年3月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和15年/1940年3月号) |
選考委員 室生犀星 50歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
高木卓 | 33歳 |
○ | 16 | 「歴史小説としてのすじの正しいものであって、ありふれた駄洒落やインチキの食ッ付きがなく、歴史小説の陥ち入りやすい厭味から脱けているところがいいと思った。それだけ平凡だといえばいえるが、こういう平凡は却って宜い意味の平凡だともいえる。」「辞退をされたので無賞となったが、それもそれでいいだろう。しかし一たん「芥川賞」の刻印を打たれたら斯る公けのものゆえ、それは却って芥川賞の色が濃くはげないことになる。どういう理由か分らないが、こういう作家があってもいいわけである。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第二巻』昭和57年/1982年3月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和15年/1940年9月号) |
選考委員 室生犀星 51歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
阿部光子 | 28歳 |
○ | 5 | 「後はすこし変だけれども、先のほうなら我慢できる。」「(引用者注:「長江デルタ」より)心理的にしっかりしていますよ。二段三段になっている、描写の構えが。」 |
28歳 |
△ | 16 | 「上海のことを書くと膨れ上るけれども、人間のことは小さく書く、それで三つ(引用者注:「長江デルタ」「山彦」「下職人」)の中ではいいと思うのだけれども、飛びついていいと思うほどいいと思わんナ。」「(引用者注:選ぶとすれば)やはり時局的という言葉を使えば、「長江デルタ」だろうね。」 | |
「賞なしには賛成するナ。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和16年/1941年9月号) |
選考委員 室生犀星 52歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
水原吉郎 | 33歳 |
○ | 17 | 「「火渦」「腕」は震災に材を得たもので一読先ず打つところがあった。」「私はたった川端君一人の賛成を得ただけで、この作品をすいせんした。」「水原君の作品の溷濁をいといながら、それに平凡な一読者として捲きこまれたという実際問題については、先ず当然私にあるべき筈の批判すら少時は持ちえなかったとしたら、委員として少々ぼんくらであると云わざるをえない。」 |
27歳 |
△ | 4 | 「前半の正確な主格に於て、澄んだものすらあった。すくなくとも久米君のいう小説になっているところのものであり随筆的な水原君の作品とは、こういう意味でだんぜんちがうのかも知れない。」 | |
「私は私のすいせんするところの作品がいつも落ちてゆく姿を見るのも、私の不見識と否とにかかわらず、それがやっと私に与えられた役目であることもそろそろと遅蒔きながら感じることができるようになったのである。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和17年/1942年3月号) |