このページの情報は「直木賞のすべて」内の「受賞作家の群像 井伏鱒二」「選考委員の群像 井伏鱒二」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 明治31年/1898年2月15日~平成5年/1993年7月10日 | |
在任期間 | 第39回~第54回(通算8年・16回) | |
在任年齢 | 60歳4ヶ月~67歳10ヶ月 | |
経歴 | 本名=井伏満寿二。広島県深安郡加茂村(現・福山市)生まれ。早稲田大学仏文学科中退。 | |
受賞歴・候補歴 |
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処女作 | 「やんま」(大正8年/1919年) 「たま虫を見る」(大正8年/1919年) 「鯉」(大正15年/1926年) 「山椒魚」(昭和4年/1929年) |
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個人全集 | 『井伏鱒二全集』全12巻(昭和39年/1964年9月~昭和40年/1965年8月・筑摩書房刊) 『井伏鱒二全集』全14巻(昭和49年/1974年3月~昭和50年/1975年7月・筑摩書房刊 増補版) 『井伏鱒二全集』全28巻・別巻2(平成8年/1996年11月~平成12年/2000年3月・筑摩書房刊) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 井伏鱒二 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
49歳 |
○ | 14 | 「個性があるという点では(引用者中略・注:一票を)入れたいが、ところどころ表現に小さな無理があるので迷わされた。」「(引用者注:「山塔」と「三十六号室」の)二つのうち、どちらかが取りあげられる話になったらそれに賛成する。――私は病気で銓衡会に出席できなかったので、そういう意味のことを(引用者中略)電話で伝えておいた。」「文章に無理があると私が解したのは、人の使い古した言葉を避けようとして、それの度が過ぎているためかもわからない。」 | |
古田芳生 | 39歳 |
○ | 10 | 「力作という点では(引用者中略)一票を入れたいが、報告的なところが気になるので迷わされた。」「(引用者注:「山塔」と「三十六号室」の)二つのうち、どちらかが取りあげられる話になったらそれに賛成する。――私は病気で銓衡会に出席できなかったので、そういう意味のことを(引用者中略)電話で伝えておいた。」 |
「今度は作品が揃っていると思われたので選ぶのに迷った。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和34年/1959年9月号) |
選考委員 井伏鱒二 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
田久保英夫 | 33歳 |
◎ | 12 | 「自分は『解禁』を推したいと思う。この作品は前半が意識のよく行き届いた方法で書かれており、決して張子ではないように人間の姿が表現されていると思った。」「後半の瑕瑾は問題でないと思ったほど前半に感心した。」「当日、私は欠席したが、たいてい「解禁」が受賞するだろうと思っていた。」 |
27歳 |
□ | 9 | 「問題になりそうだと思ったものを三つ(引用者注:「海の屑」「鯨神」「解禁」)選んでみた。」「「(引用者注:銓衡会場からの電話に)その二篇(引用者注:最後に残った「鯨神」と「透明標本」)のうちなら『鯨神』に票を入れる。」と回答した。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和37年/1962年3月号) |