生没年月日【注】 | 明治32年/1899年3月7日~昭和62年/1987年12月29日 | |
在任期間 | 第47回~第65回(通算9.5年・19回) | |
在任年齢 | 63歳3ヶ月~72歳3ヶ月 | |
経歴 | 本名=石川淳(キヨシ)。東京市浅草区生まれ。東京外国語学校(現・東京外国語大学)フランス語科卒。海軍勤務、フランス語教師などを経て、創作・翻訳活動を行う。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『石川淳全集』全10巻(昭和36年/1961年2月~昭和37年/1962年12月・筑摩書房刊) 『石川淳全集』全13巻・別巻(昭和43年/1968年4月~昭和44年/1969年4月・筑摩書房刊) 『石川淳全集』全14巻(昭和49年/1974年1月~昭和50年/1975年3月・筑摩書房刊 増補) 『石川淳全集』全19巻(平成1年/1989年5月~平成4年/1992年12月・筑摩書房刊) |
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芥川賞候補歴 | 第2回予選候補 「葦手」(『作品』昭和10年/1935年10月号~12月号) 第4回受賞 「普賢」(『作品』昭和11年/1936年6月号~9月号) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 石川淳 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
小佐井伸二 | 29歳 |
○ | 7 | 「わたしはまず(引用者中略)推した。これ一本のことにして見れば、とくにまんぞくな作品とはいえない。」「ただ提出された八篇のワクの中では、傾向からいって、わたしとしてこれを取るほかなかった。」 |
34歳 |
― | 0 | ||
「今回はどの作品も力がよわいのだから、該当作品なしとするのが妥当であったように、わたしは今でもそうおもっている。」「あたえられた条件にしたがって、落すよりはなるべく取るほうに踏みきるべきことは承知してはいるが、どうもと二の足を踏むものばかりでは張合がない。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和37年/1962年9月号) |
選考委員 石川淳 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
井上光晴 | 37歳 |
◎ | 14 | 「第一に推す。」「入りみだれた時間の処置がたくみについていて、そこから事件の綾がさばけて行く。この力量はまんざらでない。」「この作品は二つの理由(引用者注:作者が有名、作品の長さが枚数の限界を超えている)に依ってまず銓衡の場からはずされた。(引用者中略)この理由は二つながらわたしは納得することができない。」 |
35歳 |
□ | 15 | 「(引用者注:「地の群れ」以外の中から)一篇を選ぶとすれば、(引用者中略)取るほかない。」「おもしろいといえば、おもしろい。」「文章にもちとの才気がある。」「ただ現状ではこの作者にあまり多くを望むべきではないだろう。わたしはこの作品があたらしい文学なんぞと買いかぶらないが、作者はともかくあたらしいと錯覚されるような方向に姿勢をとっているものと見える。」「このひとがこれからどこまで伸びるか、あるいは伸びなやみか、ちょっとあぶなっかしい気もするが、まあまあと、わたしはこれを推した。」 | |
「「地の群れ」を(引用者注:資格なしとして)はずしたとなると、(引用者中略)わたしは該当作品なしでもよいとおもった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和39年/1964年3月号) |
選考委員 石川淳 69歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
斎藤昌三 | 28歳 |
○ | 10 | 「「夜への落下」「針魚」「穴と空」の三篇をわたしは取る。」「賞を出すとすれば、この中のどれか一篇を選ぶほかない。」「人生の醜と見られるものにつよい表現をあたえてそこに価値を作っている。」「この表現力は出しきったあとでまた出て来るはずのものとおもう。つぎの作品を待つことができるという意味である。」 |
山崎柳子 | 45歳 |
○ | 17 | 「「夜への落下」「針魚」「穴と空」の三篇をわたしは取る。」「賞を出すとすれば、この中のどれか一篇を選ぶほかない。」「虚脱感と緊張感とが一つに結びついたようなところに生きている。この作品の底にながれいるのは作者の認識ではなくて、おそらく作者の素質である。」「このひとは謂うところの小説家の目ではなくて、生活者の目をもって世界を見ているようである。ただし素質を食っている生活者である。それだから、その書くものが自然に小説になりうる。」 |
黒井千次 | 36歳 |
○ | 17 | 「「夜への落下」「針魚」「穴と空」の三篇をわたしは取る。」「賞を出すとすれば、この中のどれか一篇を選ぶほかない。」「丹念に書いてあるのに、最後のところがどうも気になった。」「このオチは軽すぎた。いや、浅すぎた。」「しかし、このキズ一つをもって全体を捨てるわけにゆかない。そうおもわせるところに、この作品はできあがっている。」 |
「銓衡の結果、該当作品なしときまった。これもまたよし。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和44年/1969年3月号) |
選考委員 石川淳 71歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
古井由吉 | 32歳 |
○ | 10 | 「三篇(引用者注:「赤い樹木」「男たちの円居」「夢の時間」)を取る。」「この一作だけではなく、ちかごろの仕事をざっと見わたしたところ、(わたしもそうたくさん読んでいるわけではないが)その現在価値に於て、賞を受けて妥当のようである。」 |
金井美恵子 | 22歳 |
○ | 6 | 「三篇(引用者注:「赤い樹木」「男たちの円居」「夢の時間」)を取る。」「長くつづくものの部分に相当していて、作風も通念上の小説とはたちのちがうものだから、わたしにしても、これが多数決を建前とする銓衡にすぐパスしようとはおもわない。」 |
黒井千次 | 38歳 |
○ | 10 | 「三篇(引用者注:「赤い樹木」「男たちの円居」「夢の時間」)を取る。」「この一作だけではなく、ちかごろの仕事をざっと見わたしたところ、(わたしもそうたくさん読んでいるわけではないが)その現在価値に於て、賞を受けて妥当のようである。」 |
49歳 |
△ | 2 | 「一応は書けているようだが、すでに決定したもののことを、とやこういうにおよばない。」 | |
36歳 |
△ | 2 | 「一応は書けているようだが、すでに決定したもののことを、とやこういうにおよばない。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和45年/1970年9月号) |
選考委員 石川淳 72歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
金石範 | 44歳 |
○ | 19 | 「八篇の中からぜひ一つえらぶとすれば、わたしは「万徳幽霊奇譚」を取る。」「表現がユーモアの仕立になっているのは必至と見える。幽霊がおかしいのではなくて、喜劇的にしか状況を表現することができないとすれば、「主体的な自由」は化けて出ないわけにはゆかぬのだろう。これはこれで読めないものではないが、なんといっても、叙述の仕方が十分に熟していないことを惜しむ。」 |
「今回はとくにこれはというほどのものは見あたらないから、該当作品なしとすることはやむをえない。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和46年/1971年9月号) |