このページの情報は「直木賞のすべて」内の「受賞作家の群像 水上勉」「選考委員の群像 水上勉」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 大正8年/1919年3月8日~平成16年/2004年9月8日 | |
在任期間 | 第94回~第103回(通算5年・10回) | |
在任年齢 | 66歳9ヶ月~71歳3ヶ月 | |
経歴 | 福井県生まれ。立命館大学国文科中退。 | |
受賞歴・候補歴 |
|
|
サブサイトリンク | ||
処女作 | 「フライパンの歌」(昭和23年/1948年) | |
個人全集 | 『水上勉全集』全26巻(昭和51年/1976年6月~昭和53年/1978年11月・中央公論社刊) 『新編 水上勉全集』全16巻(平成7年/1995年10月~平成9年/1997年1月・中央公論社刊) |
|
サイト内リンク | ▼小研究-ミステリーと直木賞 ▼直木賞受賞作全作読破への道Part3 |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 水上勉 67歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
藤本恵子 | 35歳 |
◎ | 24 | 「推すつもりで出かけたが、安岡さんとふたりだけの票で大方の賛成を得なかった。残念だった。」「大きな地主でもない、農地解放でようやく自作農になれたこのあたりのふつうの家の子らが、必死に生きるいじらしさが、滑稽味をともなってつたわった。作者のたしかな腕だ。」「惜しい作品だ。作者には一どしか書けない大事な思い出の作品だろう。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十四巻』平成1年/1989年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和61年/1986年9月号) |
選考委員 水上勉 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
新井満 | 41歳 |
◎ | 16 | 「三作目の候補だが、「ヴェクサシオン」がいちばんかと思った。前の「苺」よりも仕上りがていねいである。」「むずかしい材料をよくもここまでという思いもした。」「甘いところはある。だがその甘さがいいと思った。」「ところが最後の挙手投票で負けた。わずかな差である。」「村田さんの授賞と、新井満さんの落選は運不運というようなことも考えさせた。」 |
42歳 |
□ | 16 | 「道具だてにも感心した。」「年長の少女を主人公においた手法も納得させる。ひと夏の子供らの旅行が、作者のまったくの空想だとしたら、やはり、力量というしかない。この人には「熱愛」という不思議な好短篇があって、その密度が頭にあるので、「鍋の中」の絞りかげんのやわさがチラついた。だが推す人も多いので、授賞に反対はしなかった。」「村田さんの授賞と、新井満さんの落選は運不運というようなことも考えさせた。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十四巻』平成1年/1989年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和62年/1987年9月号) |
選考委員 水上勉 69歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
37歳 |
◎ | 15 | 「ぼくは「ダイヤモンドダスト」「月潟鎌を買いにいく旅」「由煕」の順に考えていた。」「看護士を主人公に、登場する人物がぜんぶ生きている。」「最後の水車づくりにまとめられてゆく、人の世の生のはなやぎというか、はかなさというか、病床描写は簡にして生彩を放っていた。」 | |
清水邦夫 | 52歳 |
○ | 13 | 「ぼくは「ダイヤモンドダスト」「月潟鎌を買いにいく旅」「由煕」の順に考えていた。」「前作の床屋の話よりもはるかによく、作為を見せないで仕上げてゆく手練にうなってしまった。行った先で、ばったり出あう諸人物が、いかにも自然だ。」「最後までこの作にこだわったが、僅かな票で敗れた。残念である。」 |
33歳 |
□ | 14 | 「ぼくは「ダイヤモンドダスト」「月潟鎌を買いにいく旅」「由煕」の順に考えていた。」「重たい問題だが、ていねいな文体で迫る筆力は尋常でない、この作家の気質といっていいものに、圧倒された。」「授賞に賛成である。」 | |
「今回は粒ぞろいだった。それぞれの世界を楽しく読んだ。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十四巻』平成1年/1989年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成1年/1989年3月号) |