第158回

第157回第159回

平成29年/2017年下半期 平成30年/2018年1月16日決定発表／『文藝春秋』平成30年/2018年3月号選評掲載

選考委員　 小川洋子 55歳 吉田修一 49歳 山田詠美 58歳 宮本輝 70歳 高樹のぶ子 71歳 奥泉光 61歳 島田雅彦 56歳 堀江敏幸 54歳 川上弘美 59歳 村上龍 65歳 選評総行数　 85 98 86 81 78 83 84 89 97   評 評 評 評 評 評 評 評 評 選評なし 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 石井遊佳　「百年泥」 170枚 54歳 評 ○ 27 △ 18 ◎ 16 ◎ 26 △ 29 □ 23 △ 21 □ 20 ◎ 15     若竹千佐子　「おらおらでひとりいぐも」 189枚 63歳 評 △ 16 ◎ 36 ◎ 13 ◎ 38 ◎ 49 ◎ 29 ○ 17 ○ 22 □ 17     木村紅美　「雪子さんの足音」 161枚 42歳 評 △ 19 △ 15 △ 21 △ 14 ― 0 ■ 7 △ 13 △ 15 □ 23     前田司郎　「愛が挟み撃ち」 229枚 40歳 評 ■ 11 △ 21 ● 20 ■ 8 ― 0 △ 10 ● 12 ■ 15 ■ 11     宮内悠介　「ディレイ・エフェクト」 74枚 38歳 評 ■ 12 ■ 8 ■ 16 ● 5 ― 0 ■ 9 ○ 21 ■ 17 ■ 12                       欠席 年齢/枚数の説明   見方・注意点

小川洋子55歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題饒舌と無言　総行数85　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石井遊佳 54歳 全 ○ 27 「翼をつけて出勤する役員も、ソーセージのような蛭も、デーヴァラージの法螺話も、すべてを飲み込むのは泥ではなく、母の無言なのだ、と気づいた時、圧倒される思いにとらわれた。」「一回めの投票でほんのわずか過半数に届かなかったにもかかわらず、二回めで受賞に滑り込んだしぶとさが、これから書き続けてゆくうえで、石井さんの強みになるはずだ。」 若竹千佐子 63歳 全 △ 16 「卓越した語りの文体は、自由気ままを装いながら、実に用心深く論理的に組み立てられている。」「地球四十六億年の歴史など超越した、もっととんでもない場所にまで到達した桃子さんを見てみたかった。」 木村紅美 42歳 全 △ 19 「忘れ難い場面はいくつもあった。ただ、それらが断片のまま取り残されている印象を受けた。断片が積み重なり、内側から小説の枠を破壊するほどの作品になっていたら、と考えると残念でならない。」 前田司郎 40歳 全 ■ 11 「子どもを求める夫婦の情愛と、水口が俊介を求める切実さは、同じ座標で交わることができない。その残酷さは間違いなく伝わってきた。」 宮内悠介 38歳 全 ■ 12 「今の自分も未来の人類からのぞき見されているのでは、という微妙な違和感を覚えるあたり、面白く読んだ。しかし、あくまでもアイデアの面白さに留まっている気がする。」

他の選考委員 吉田修一 山田詠美 宮本輝 高樹のぶ子 奥泉光 島田雅彦 堀江敏幸 川上弘美

吉田修一49歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数98　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石井遊佳 54歳 全 △ 18 「どこか自虐的な女性語りにギリギリ嫌味がない。」「自分でも整理できなくなったイメージが次々に投げつけられるようで疾走感もある。」「美点は尽きない。ただ、今回はこれとまったく同じ美点が「おらおら～」の方にもあり、私は「おらおら～」が持つぬくもりに票を入れた。」 若竹千佐子 63歳 全 ◎ 36 「待合室にいる他の患者たちを不安にさせる老女を、桃子さんは「この人にはこの人の時間が流れている」だけなのだと受け入れる。「おらおらでひとりいぐも」という作品の底に流れているのは、この生きていることのぬくもりではないだろうか。そしてこのぬくもりは、作者がその人生を賭けて勝ち取ったものである。」 木村紅美 42歳 全 △ 15 「二十年前の東京の様子が、とてもうまく描かれている。」「大家の老女から小遣いをもらう青年の卑しさや、彼を好きになる女性のどん臭さにちゃんと匂いがあった。」 前田司郎 40歳 全 △ 21 「いわゆるスリーサムものの青春小説で、新鮮味はない分、安定した甘酸っぱさがあって好感を持ったのだが、選考会での評価は相当厳しかった。」 宮内悠介 38歳 全 ■ 8 「いつものように才気煥発。なのだが、戦時中と現代の生活を重ねて描くという非凡な外枠と、若い夫婦のすれ違いからの再生という凡庸な中身のバランスがあまりに悪い。」

他の選考委員 小川洋子 山田詠美 宮本輝 高樹のぶ子 奥泉光 島田雅彦 堀江敏幸 川上弘美

山田詠美58歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「選評」　総行数86　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石井遊佳 54歳 全 ◎ 16 「外国に住む日本人を描いた、よくあるエトランジェ系自分捜しではなく、かの地の、文字通り泥の中から引っ張り上げた自身のピースが存在感のあるコラージュを完成させた。労作にして傑作。」 若竹千佐子 63歳 全 ◎ 13 「昔行ったことのあるアメリカ南部の田舎町のひなびたジュークジョイント、そこで聴いたブルースの掛け合いを思い出した。ファンキーで力強く、そして、どこか哀しい。もはやこれは東北弁であって東北弁ではないね。若竹節と言えるかも。野蛮で秀逸。」 木村紅美 42歳 全 △ 21 「主人公、雪子さん、小野田さん、この三人の奏でる不協和音が、いつのまにか不気味なケミストリーを起こして溶け合って行くさまが興味深かった。そして、それを引き立てているのが時間経過の描写や比喩の上手さ。」「願わくば、この不穏な感じを最後の方でピークに持って来て欲しかった。」 前田司郎 40歳 全 ● 20 「あんまり嫌な人間ばかり登場するので、かえって私の与り知らぬリアリティがあるのかと思いつつ興味深く読んで行ったのだが、最後に思わず叫んでしまいましたよ。真面目にやれーっ！」「そもそも、こんなトリッキーなやり方しなくても三人で子供を作る方法ありますよ。教えてやろうか？」 宮内悠介 38歳 全 ■ 16 「作者が伝えたいことは、きちんとこちらにも伝わる。でも、何故だろう。全然もの足りない。小説に必要な大事な無駄という要素がない。こぢんまりとした良い話で終わってしまった感じ。」

他の選考委員 小川洋子 吉田修一 宮本輝 高樹のぶ子 奥泉光 島田雅彦 堀江敏幸 川上弘美

宮本輝70歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題小説の深さ　総行数81　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石井遊佳 54歳 全 ◎ 26 「マジックリアリズム的手法であっても、翼を付けて人間が空を飛んでいようとも、おそらくそういう手法でなければ描きようのないインドと、そこに暮らす人々の精神性を活写して見事である。」 若竹千佐子 63歳 全 ◎ 38 「七十四歳の女性の内面は、複雑な思弁に満ちていて、過去、現在、未来へと縦横に行き来するが、たぶんさほど多くはないであろう未来への向日性に富んでいる。」「このような深さは、やはりある程度の年齢を重ねてこなければ書けないもののようだ。」 木村紅美 42歳 全 △ 14 「評価は低くなかったが、どれもが△ばかりで、それがこの作品そのものをよく表している。丁寧に書かれてはいても、登場人物の細部には踏み込めていない。難しいところは避けて通ったという感が否めない。」 前田司郎 40歳 全 ■ 8 「前半、夫に精子がないとわかってからの夫婦の言動には味わいがあるが、後半、とくに最後の場面はドタバタ喜劇としか言いようがなくて、読み終えて失笑してしまった。」 宮内悠介 38歳 全 ● 5 「ＳＦ的小説であるが、その手法によって示そうとする暗喩の正体がわかりにくかった。」   「若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」と石井遊佳さんの「百年泥」のどちらを推すか決まらないまま選考会に臨んだ。」

他の選考委員 小川洋子 吉田修一 山田詠美 高樹のぶ子 奥泉光 島田雅彦 堀江敏幸 川上弘美

高樹のぶ子71歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題裡なる多言語　総行数78　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石井遊佳 54歳 全 △ 29 「インドでは、魔法が当たり前のように起きるようだ。（引用者中略）それだけに、最後の方で教え子が語る、いや声ではなくインスピレーションで伝える彼の半生は、前半の魔法を裏切ってインドの「情報」になっているのが残念だった。この国の異様さや非人間性を視るには、先進国の眼鏡ではなく、インドの魔法の眼鏡が必要な気がする。」 若竹千佐子 63歳 全 ◎ 49 「従来の方言は、土地の力や霊異を宿していささか古めかしく発色したけれど、桃子さんの岩手弁は老いへの挑戦状であり、裡なる対立をエネルギーにして未来へと疾走する。」「自分の裡にある言語同士が鬩ぎ合い、状況によってどちらかが表面に出てくるという姿は、実は誰にでも日常的に起きている。多言語化は国際的な場だけでなく、個人の中の現象でもあることを発見させてくれた。」 木村紅美 42歳 全 ― 0   前田司郎 40歳 全 ― 0   宮内悠介 38歳 全 ― 0

他の選考委員 小川洋子 吉田修一 山田詠美 宮本輝 奥泉光 島田雅彦 堀江敏幸 川上弘美

奥泉光61歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題力ある新人の登場　総行数83　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石井遊佳 54歳 全 □ 23 「奇想と主人公の生活の実相が混濁したまま、いくつもの物語が次々と繰り出される」「どうしてそれらの物語が選ばれたのか、読む進むなかで疑問に思うに瞬間がときおりあって、（引用者中略）混沌のパワーが不足しているせいではないかと自分はやや不満に思ったのだけれど、選考会の場で他委員の推薦の言葉を聴くうち、なるほどこの過剰性は評価に値すると考え直し、受賞作とすることに賛成した。」 若竹千佐子 63歳 全 ◎ 29 「「おらおらでひとりいぐも」一本を推そうと決めて選考会に臨んだところ、積極消極のニュアンスの差はありながら、選考委員のほぼ全員がこれに票を投じて、開始早々に受賞が決まった。」「本作はひとりの老女の内面の出来事を追うことに多くの頁が割かれて、彼女の記憶や思考を巡る思想のドラマが一篇の中核をなすのであるが、こうした「思弁」でもって小説を構成して強度を保つのは一般に難しい。ところがここではそれが見事に達成されている。」 木村紅美 42歳 全 ■ 7 「主人公の大学生の無個性ぶりと、雪子さんの不気味さがもっと徹底される必要があったのではないか。」 前田司郎 40歳 全 △ 10 「登場人物への安易な共感を拒絶しながら、読者に頁を繰らせていく文章と構成の魅力は十分に感じられた。評価が相対的に低くなってしまったのは、自分の好みとしかいいようがないだろう。」 宮内悠介 38歳 全 ■ 9 「いかにもＳＦ的なアイデアを出発点にした作品」「この短さのなかでアイデアを生かし切ることは、さすがに作者の力量をもってしても難しかったと思われる。」

他の選考委員 小川洋子 吉田修一 山田詠美 宮本輝 高樹のぶ子 島田雅彦 堀江敏幸 川上弘美

島田雅彦56歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題東北とインド　総行数84　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石井遊佳 54歳 全 △ 21 「『百年泥』のディテールはインド社会の多様性を反映し、ワンダーランドの様相を呈しており、地域研究の成果として出色のものである。」「海外体験のバリエーションが増えた現代、ルポルタージュのジャンルはかなり豊かになって来たが、小説との境界線を何処に引くべきかといったことを考えさせられた。」 若竹千佐子 63歳 全 ○ 17 「標準語の語り手と東北弁の桃子さんの声が交錯する二重構造が効果的で、東北ルーツの女の一生を過去と現代を自在に往還しながら、時に思弁的、時にセンチメンタルに語り尽くしている。」 木村紅美 42歳 全 △ 13 「「めぞん一刻」を思い出させる佳作だが、セクハラできないフェミニストたる主人公の行動は「草食男子」の誕生秘話のようにも読める。ここ二十年変わらない世相の中で、丹念に微妙な変化を拾い上げているという意見もあり、それには大いに賛同。」 前田司郎 40歳 全 ● 12 「ロスジェネ以降の世代の悲しみは中年期を迎えても続くが、不妊治療のリアリティはさておき、今ひとつ少子化問題に対する風刺が効いていないような気が。」 宮内悠介 38歳 全 ○ 21 「人は記憶の中では過去のフラッシュバックをしばしば経験するし、映画では時空をシャッフルする。そんな「ソラリス」的な体験を限られた枚数で鮮やかに切り取る佳品だが、長編の序章のような印象を与えたのは不利だった。」「芥川賞でも直木賞でもとっとと獲らせてしまえと思ったが、残念な結果になった。」

他の選考委員 小川洋子 吉田修一 山田詠美 宮本輝 高樹のぶ子 奥泉光 堀江敏幸 川上弘美

堀江敏幸54歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題「解」の求め方　総行数89　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石井遊佳 54歳 全 □ 20 「インドの現実をふまえた、狂言回し的な人物の過去が、やや整理されすぎている感がなくもないけれど、泥からあがった記憶と奇想の車輪が徐々に制御不能に陥っていく勢いのなかに、この書き手の目にしか映らない言葉の破片が散っている。」 若竹千佐子 63歳 全 ○ 22 「そこに本当の意味での混沌はない。主人公の内側から湧き出る東北弁に、語り手がきちんとした理路を与えているからだ。」「小さな日常のなかから、巨大な泥にも洪水にもなる「あのどき」の過剰さを引き受けようとする言葉の渦に、読者は抗うことができない。」 木村紅美 42歳 全 △ 15 「あえて類型的な人物を配し、細部を丁寧に描くことで、その平板さに潜む無気味さを輝かす目論みは成功している。ところが、成功した瞬間、作品全体がその過不足のなさの照り返しを浴びてしまう。」 前田司郎 40歳 全 ■ 15 「不妊治療といびつな三角関係を絡めながらテンポよく文章が運ばれ、しかも胆汁の苦みを残す。ただ、苦みの配置にも一定のリズムが与えられているせいか、本来の魅力である「ずれ」が修正されて、驚きの、となるはずの結末が、予想された「解」の提示になっているように感じられる。」 宮内悠介 38歳 全 ■ 17 「これは短篇ではなく長篇のひな形ではないかとの印象を拭い去ることができなかった。とくに夫婦の不和の遠因と曾祖父の戦時の研究を結ぶ穴を掘るには、もっと尺が必要だろう。」

他の選考委員 小川洋子 吉田修一 山田詠美 宮本輝 高樹のぶ子 奥泉光 島田雅彦 川上弘美

川上弘美59歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題独特　総行数97　（1行=13字） 候補 評価 行数 評言 石井遊佳 54歳 全 ◎ 15 「作者の、ある種の適当さといいましょうか、おおらかさといいましょうか、そのあたりの独特さに、わたしは大変に惹かれました。選考会では「この、バカな感じが、いいと思います！」と推しました。」 若竹千佐子 63歳 全 □ 17 「（引用者注：「雪子さんの足音」と共に）真面目さを感じました。え、小説って、真面目に書いちゃだめなの？　というご質問には、ええと、普遍的な真面目さとはちがう真面目さが必要なんですたぶん、と答えたく思います。」 木村紅美 42歳 全 □ 23 「びっくりしました。誰もが書きそうで実はなかなか書かないことが、ほんとうにたくみに表現されていたからです。」「一番に推さなかった理由を、ずっと考えているのですが、まだうまく言い表せません。」「あえて言うなら、真面目に書きすぎた、のかもしれません。」 前田司郎 40歳 全 ■ 11 「水口と俊介という二人の男の奇妙な関係が描かれ、ページをめくる手を止めさせませんでした。ただ、京子という女だけが、なんだか平べったかった。」 宮内悠介 38歳 全 ■ 12 「普遍につながりうるだろう、この人だけに書ける独特な輪郭はつくっているのに、そこに何かを注ぎこむ前に終了してしまった、という、惜しい印象を得ました。」   「いわば「何にも誰にも当てはまらなさそうなこと」を描いているにもかかわらず、いったいどうしてなのだろう、その小説の中に「普遍」というものがあらわれてしまうことがあって、そんな作品が出現した時には、たいがい芥川賞を受賞するような気がします。」

他の選考委員 小川洋子 吉田修一 山田詠美 宮本輝 高樹のぶ子 奥泉光 島田雅彦 堀江敏幸

石井遊佳54歳×各選考委員　 「百年泥」 中篇 170枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 55歳 全 ○ 27 「翼をつけて出勤する役員も、ソーセージのような蛭も、デーヴァラージの法螺話も、すべてを飲み込むのは泥ではなく、母の無言なのだ、と気づいた時、圧倒される思いにとらわれた。」「一回めの投票でほんのわずか過半数に届かなかったにもかかわらず、二回めで受賞に滑り込んだしぶとさが、これから書き続けてゆくうえで、石井さんの強みになるはずだ。」 吉田修一 49歳 全 △ 18 「どこか自虐的な女性語りにギリギリ嫌味がない。」「自分でも整理できなくなったイメージが次々に投げつけられるようで疾走感もある。」「美点は尽きない。ただ、今回はこれとまったく同じ美点が「おらおら～」の方にもあり、私は「おらおら～」が持つぬくもりに票を入れた。」 山田詠美 58歳 全 ◎ 16 「外国に住む日本人を描いた、よくあるエトランジェ系自分捜しではなく、かの地の、文字通り泥の中から引っ張り上げた自身のピースが存在感のあるコラージュを完成させた。労作にして傑作。」 宮本輝 70歳 全 ◎ 26 「マジックリアリズム的手法であっても、翼を付けて人間が空を飛んでいようとも、おそらくそういう手法でなければ描きようのないインドと、そこに暮らす人々の精神性を活写して見事である。」 高樹のぶ子 71歳 全 △ 29 「インドでは、魔法が当たり前のように起きるようだ。（引用者中略）それだけに、最後の方で教え子が語る、いや声ではなくインスピレーションで伝える彼の半生は、前半の魔法を裏切ってインドの「情報」になっているのが残念だった。この国の異様さや非人間性を視るには、先進国の眼鏡ではなく、インドの魔法の眼鏡が必要な気がする。」 奥泉光 61歳 全 □ 23 「奇想と主人公の生活の実相が混濁したまま、いくつもの物語が次々と繰り出される」「どうしてそれらの物語が選ばれたのか、読む進むなかで疑問に思うに瞬間がときおりあって、（引用者中略）混沌のパワーが不足しているせいではないかと自分はやや不満に思ったのだけれど、選考会の場で他委員の推薦の言葉を聴くうち、なるほどこの過剰性は評価に値すると考え直し、受賞作とすることに賛成した。」 島田雅彦 56歳 全 △ 21 「『百年泥』のディテールはインド社会の多様性を反映し、ワンダーランドの様相を呈しており、地域研究の成果として出色のものである。」「海外体験のバリエーションが増えた現代、ルポルタージュのジャンルはかなり豊かになって来たが、小説との境界線を何処に引くべきかといったことを考えさせられた。」 堀江敏幸 54歳 全 □ 20 「インドの現実をふまえた、狂言回し的な人物の過去が、やや整理されすぎている感がなくもないけれど、泥からあがった記憶と奇想の車輪が徐々に制御不能に陥っていく勢いのなかに、この書き手の目にしか映らない言葉の破片が散っている。」 川上弘美 59歳 全 ◎ 15 「作者の、ある種の適当さといいましょうか、おおらかさといいましょうか、そのあたりの独特さに、わたしは大変に惹かれました。選考会では「この、バカな感じが、いいと思います！」と推しました。」

他の候補作 若竹千佐子 「おらおらでひとりいぐも」 木村紅美 「雪子さんの足音」 前田司郎 「愛が挟み撃ち」 宮内悠介 「ディレイ・エフェクト」

若竹千佐子63歳×各選考委員　 「おらおらでひとりいぐも」 中篇 189枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 55歳 全 △ 16 「卓越した語りの文体は、自由気ままを装いながら、実に用心深く論理的に組み立てられている。」「地球四十六億年の歴史など超越した、もっととんでもない場所にまで到達した桃子さんを見てみたかった。」 吉田修一 49歳 全 ◎ 36 「待合室にいる他の患者たちを不安にさせる老女を、桃子さんは「この人にはこの人の時間が流れている」だけなのだと受け入れる。「おらおらでひとりいぐも」という作品の底に流れているのは、この生きていることのぬくもりではないだろうか。そしてこのぬくもりは、作者がその人生を賭けて勝ち取ったものである。」 山田詠美 58歳 全 ◎ 13 「昔行ったことのあるアメリカ南部の田舎町のひなびたジュークジョイント、そこで聴いたブルースの掛け合いを思い出した。ファンキーで力強く、そして、どこか哀しい。もはやこれは東北弁であって東北弁ではないね。若竹節と言えるかも。野蛮で秀逸。」 宮本輝 70歳 全 ◎ 38 「七十四歳の女性の内面は、複雑な思弁に満ちていて、過去、現在、未来へと縦横に行き来するが、たぶんさほど多くはないであろう未来への向日性に富んでいる。」「このような深さは、やはりある程度の年齢を重ねてこなければ書けないもののようだ。」 高樹のぶ子 71歳 全 ◎ 49 「従来の方言は、土地の力や霊異を宿していささか古めかしく発色したけれど、桃子さんの岩手弁は老いへの挑戦状であり、裡なる対立をエネルギーにして未来へと疾走する。」「自分の裡にある言語同士が鬩ぎ合い、状況によってどちらかが表面に出てくるという姿は、実は誰にでも日常的に起きている。多言語化は国際的な場だけでなく、個人の中の現象でもあることを発見させてくれた。」 奥泉光 61歳 全 ◎ 29 「「おらおらでひとりいぐも」一本を推そうと決めて選考会に臨んだところ、積極消極のニュアンスの差はありながら、選考委員のほぼ全員がこれに票を投じて、開始早々に受賞が決まった。」「本作はひとりの老女の内面の出来事を追うことに多くの頁が割かれて、彼女の記憶や思考を巡る思想のドラマが一篇の中核をなすのであるが、こうした「思弁」でもって小説を構成して強度を保つのは一般に難しい。ところがここではそれが見事に達成されている。」 島田雅彦 56歳 全 ○ 17 「標準語の語り手と東北弁の桃子さんの声が交錯する二重構造が効果的で、東北ルーツの女の一生を過去と現代を自在に往還しながら、時に思弁的、時にセンチメンタルに語り尽くしている。」 堀江敏幸 54歳 全 ○ 22 「そこに本当の意味での混沌はない。主人公の内側から湧き出る東北弁に、語り手がきちんとした理路を与えているからだ。」「小さな日常のなかから、巨大な泥にも洪水にもなる「あのどき」の過剰さを引き受けようとする言葉の渦に、読者は抗うことができない。」 川上弘美 59歳 全 □ 17 「（引用者注：「雪子さんの足音」と共に）真面目さを感じました。え、小説って、真面目に書いちゃだめなの？　というご質問には、ええと、普遍的な真面目さとはちがう真面目さが必要なんですたぶん、と答えたく思います。」

他の候補作 石井遊佳 「百年泥」 木村紅美 「雪子さんの足音」 前田司郎 「愛が挟み撃ち」 宮内悠介 「ディレイ・エフェクト」

木村紅美42歳×各選考委員　 「雪子さんの足音」 中篇 161枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 55歳 全 △ 19 「忘れ難い場面はいくつもあった。ただ、それらが断片のまま取り残されている印象を受けた。断片が積み重なり、内側から小説の枠を破壊するほどの作品になっていたら、と考えると残念でならない。」 吉田修一 49歳 全 △ 15 「二十年前の東京の様子が、とてもうまく描かれている。」「大家の老女から小遣いをもらう青年の卑しさや、彼を好きになる女性のどん臭さにちゃんと匂いがあった。」 山田詠美 58歳 全 △ 21 「主人公、雪子さん、小野田さん、この三人の奏でる不協和音が、いつのまにか不気味なケミストリーを起こして溶け合って行くさまが興味深かった。そして、それを引き立てているのが時間経過の描写や比喩の上手さ。」「願わくば、この不穏な感じを最後の方でピークに持って来て欲しかった。」 宮本輝 70歳 全 △ 14 「評価は低くなかったが、どれもが△ばかりで、それがこの作品そのものをよく表している。丁寧に書かれてはいても、登場人物の細部には踏み込めていない。難しいところは避けて通ったという感が否めない。」 高樹のぶ子 71歳 全 ― 0   奥泉光 61歳 全 ■ 7 「主人公の大学生の無個性ぶりと、雪子さんの不気味さがもっと徹底される必要があったのではないか。」 島田雅彦 56歳 全 △ 13 「「めぞん一刻」を思い出させる佳作だが、セクハラできないフェミニストたる主人公の行動は「草食男子」の誕生秘話のようにも読める。ここ二十年変わらない世相の中で、丹念に微妙な変化を拾い上げているという意見もあり、それには大いに賛同。」 堀江敏幸 54歳 全 △ 15 「あえて類型的な人物を配し、細部を丁寧に描くことで、その平板さに潜む無気味さを輝かす目論みは成功している。ところが、成功した瞬間、作品全体がその過不足のなさの照り返しを浴びてしまう。」 川上弘美 59歳 全 □ 23 「びっくりしました。誰もが書きそうで実はなかなか書かないことが、ほんとうにたくみに表現されていたからです。」「一番に推さなかった理由を、ずっと考えているのですが、まだうまく言い表せません。」「あえて言うなら、真面目に書きすぎた、のかもしれません。」

他の候補作 石井遊佳 「百年泥」 若竹千佐子 「おらおらでひとりいぐも」 前田司郎 「愛が挟み撃ち」 宮内悠介 「ディレイ・エフェクト」

前田司郎40歳×各選考委員　 「愛が挟み撃ち」 中篇 229枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 55歳 全 ■ 11 「子どもを求める夫婦の情愛と、水口が俊介を求める切実さは、同じ座標で交わることができない。その残酷さは間違いなく伝わってきた。」 吉田修一 49歳 全 △ 21 「いわゆるスリーサムものの青春小説で、新鮮味はない分、安定した甘酸っぱさがあって好感を持ったのだが、選考会での評価は相当厳しかった。」 山田詠美 58歳 全 ● 20 「あんまり嫌な人間ばかり登場するので、かえって私の与り知らぬリアリティがあるのかと思いつつ興味深く読んで行ったのだが、最後に思わず叫んでしまいましたよ。真面目にやれーっ！」「そもそも、こんなトリッキーなやり方しなくても三人で子供を作る方法ありますよ。教えてやろうか？」 宮本輝 70歳 全 ■ 8 「前半、夫に精子がないとわかってからの夫婦の言動には味わいがあるが、後半、とくに最後の場面はドタバタ喜劇としか言いようがなくて、読み終えて失笑してしまった。」 高樹のぶ子 71歳 全 ― 0   奥泉光 61歳 全 △ 10 「登場人物への安易な共感を拒絶しながら、読者に頁を繰らせていく文章と構成の魅力は十分に感じられた。評価が相対的に低くなってしまったのは、自分の好みとしかいいようがないだろう。」 島田雅彦 56歳 全 ● 12 「ロスジェネ以降の世代の悲しみは中年期を迎えても続くが、不妊治療のリアリティはさておき、今ひとつ少子化問題に対する風刺が効いていないような気が。」 堀江敏幸 54歳 全 ■ 15 「不妊治療といびつな三角関係を絡めながらテンポよく文章が運ばれ、しかも胆汁の苦みを残す。ただ、苦みの配置にも一定のリズムが与えられているせいか、本来の魅力である「ずれ」が修正されて、驚きの、となるはずの結末が、予想された「解」の提示になっているように感じられる。」 川上弘美 59歳 全 ■ 11 「水口と俊介という二人の男の奇妙な関係が描かれ、ページをめくる手を止めさせませんでした。ただ、京子という女だけが、なんだか平べったかった。」

他の候補作 石井遊佳 「百年泥」 若竹千佐子 「おらおらでひとりいぐも」 木村紅美 「雪子さんの足音」 宮内悠介 「ディレイ・エフェクト」

宮内悠介38歳×各選考委員　 「ディレイ・エフェクト」 短篇 74枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 小川洋子 55歳 全 ■ 12 「今の自分も未来の人類からのぞき見されているのでは、という微妙な違和感を覚えるあたり、面白く読んだ。しかし、あくまでもアイデアの面白さに留まっている気がする。」 吉田修一 49歳 全 ■ 8 「いつものように才気煥発。なのだが、戦時中と現代の生活を重ねて描くという非凡な外枠と、若い夫婦のすれ違いからの再生という凡庸な中身のバランスがあまりに悪い。」 山田詠美 58歳 全 ■ 16 「作者が伝えたいことは、きちんとこちらにも伝わる。でも、何故だろう。全然もの足りない。小説に必要な大事な無駄という要素がない。こぢんまりとした良い話で終わってしまった感じ。」 宮本輝 70歳 全 ● 5 「ＳＦ的小説であるが、その手法によって示そうとする暗喩の正体がわかりにくかった。」 高樹のぶ子 71歳 全 ― 0   奥泉光 61歳 全 ■ 9 「いかにもＳＦ的なアイデアを出発点にした作品」「この短さのなかでアイデアを生かし切ることは、さすがに作者の力量をもってしても難しかったと思われる。」 島田雅彦 56歳 全 ○ 21 「人は記憶の中では過去のフラッシュバックをしばしば経験するし、映画では時空をシャッフルする。そんな「ソラリス」的な体験を限られた枚数で鮮やかに切り取る佳品だが、長編の序章のような印象を与えたのは不利だった。」「芥川賞でも直木賞でもとっとと獲らせてしまえと思ったが、残念な結果になった。」 堀江敏幸 54歳 全 ■ 17 「これは短篇ではなく長篇のひな形ではないかとの印象を拭い去ることができなかった。とくに夫婦の不和の遠因と曾祖父の戦時の研究を結ぶ穴を掘るには、もっと尺が必要だろう。」 川上弘美 59歳 全 ■ 12 「普遍につながりうるだろう、この人だけに書ける独特な輪郭はつくっているのに、そこに何かを注ぎこむ前に終了してしまった、という、惜しい印象を得ました。」

他の候補作 石井遊佳 「百年泥」 若竹千佐子 「おらおらでひとりいぐも」 木村紅美 「雪子さんの足音」 前田司郎 「愛が挟み撃ち」