生没年月日【注】 | 明治40年/1907年1月30日~昭和40年/1965年8月17日 | |
在任期間 | 第47回~第53回(通算3.5年・7回) | |
在任年齢 | 55歳5ヶ月~58歳5ヶ月 | |
経歴 | 本名=高間芳雄。福井県坂井郡三国町(現・坂井市)生まれ。東京帝国大学英文科卒。在学中より創作を発表する。娘にエッセイストの高見恭子、従兄弟に作家の永井荷風がいる。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『高見順全集』全20巻・別巻(昭和45年/1970年2月~昭和52年/1977年9月・勁草書房刊) | |
芥川賞候補歴 | 第1回候補 「故旧忘れ得べき」(『日暦』7号~11号[昭和10年/1935年2月~7月])〈連載中〉 |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 高見順 55歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
吉村昭 | 35歳 |
◎ | 17 | 「私は推した。」「このところ毎回のように候補にあがっている。今度の「石の微笑」も決定打にはならない作品だが、力のある作家である。」「つとに「貝殻」(「早稲田文學」三十四年三月)から見られる死の影、あるいは骨への嗜好といったものは、現在の作品にもずっとつづいている。」「そこに私は注目しつつ「石の微笑」や「墳墓の谷」(「文學者三十七年四月。候補作にあげられた「石の微笑」より私にはこの方が面白かった)を読んで、推したのである。」 |
河野多恵子 | 36歳 |
○ | 5 | 「私は推した。」「「幼児狩り」や「劇場」(「新潮」二月)は異常感覚の強調がいやだったが、候補作「雪」、更に「文學者」二月の「塀の中」に私は感心した。でも、まだこれからの人とも言える。」 |
34歳 |
□ | 8 | 「挫折した魂のいたましさを感じさせることで、昔の「人民文庫」の仲間の仕事を私に思わせた。」「しかし何かゲテの趣きがありそれから出るのを待ちたいと思って私は推さなかった。しかし私の推した作品が落ちて、最後の投票という時は、昔の仲間を偲ばせる共感の方に私は従った。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和37年/1962年9月号) |
選考委員 高見順 55歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
河野多恵子 | 36歳 |
◎ | 11 | 「私は推した。前回の候補作「雪」のほうがいいと見る委員もあったが、私はその反対の見方をしていた。」「キラリと光るところが諸所にあって、すぐれた文学的稟質を感じさせる。」「この人の「幼児狩り」が三十六年度の新潮社同人雑誌賞を受けたとき銓衡者のひとりとして消極的だった私は、この人がこんなにうまい作家になろうとは思わなかった。」 |
多岐一雄 | 31歳 |
○ | 10 | 「「美少女についで(引用者中略)推した。疎外の時代の人間像が描かれていると私は見た。軽薄を軽薄として書いているのを私はそう解した。難点はあっても、もっとも新人らしい小説はこれだと思われた。第二の石原慎太郎という気もした。」「抑制が見事で、小説としても上手だと思われる。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和38年/1963年3月号) |
選考委員 高見順 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
井上光晴 | 37歳 |
◎ | 9 | 「私は(引用者中略)推した。今さらという声が委員の間であるだろうと思わないではなかったが、そして井上氏自身も今さらという気持かもしれぬと思ったが、今度の候補作品のなかでは「地の群れ」以外に積極的に推したいものがなかった。」 |
35歳 |
□ | 11 | 「(引用者注:「地の群れ」以外であれば)一票を投じようと思った。劇画化に筆がすべりすぎているところなどに疑問があるが、それをもふくめて、そこに現代的な一種の新鮮感がある。」「たとえ品が悪くても、お行儀のいい上手な小説より新人らしい活力がある。」 | |
「外出が無理な状態なので委員会に書面回答をした。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和39年/1964年3月号) |
選考委員 高見順 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
立原正秋 | 39歳 |
◎ | 8 | 「今回は入選作として(引用者中略)推す。話がいささかできすぎている感が(たとえこの話が事実としても)無いでもないが、小説に必要なこの物語性を、通俗的な軽さにしていないところにこの作者の力量がある。」「がっしりした骨格をそなえていて、将来がたのしみである。」 |
37歳 |
△ | 5 | 「妻を(引用者注:良人と)同じ作家志望としないところに成功の一因がある。小説の最後がメデタシメデタシの観を呈しており、妥協的なようで、実は逆だ。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和40年/1965年9月号) |