選評から見る、『半落ち』への評価
『半落ち』
横山秀夫
平成14年/2002年9月・
講談社刊
まず、「選評」(『オール讀物』平成15年/2003年3月号)をもとに、『半落ち』に対する各選考委員の立場を、まとめてみます。(第128回の全選評の概要はこちら)
かならずしも、主要人物である警部=梶聡一郎の取った行動が、“現実では取り得ない設定だった”ということだけが、受賞見送りの理由ではありません。ですから、たとえ選考委員たちが、ミステリーとして見て最も重要な謎(梶が、妻を殺してから2日間、自首するまでどこで何をしていたか。そのことを逮捕、裁判、収監の過程で一切打ち明けなかったのは、なぜか。)を、おかしいと思わなかったとしても、受賞できたかどうかは、難しいところです。
しかし、「ミステリーとして見てもミスがある」といったような発言は、ことミステリーの枠組みで作品を楽しんでいる人たちには心外でしょう。そういった読者の期待を一身に感じて作品を書いているであろう横山氏にとっても、心外だったのでしょう。だからこそ横山氏は、「現実世界では起こり得ない、とは言えない」とあえて反論したのでしょうし、その反論に何の見解も示さない日本文学振興会(直木賞の主催者)に対して、平成15年/2003年3月31日『上毛新聞』紙上において、今後自らは一切直木賞との関係を断つ、と意思を表明したのでしょう。
実際に選考会の現場でどんなやりとりがあったのでしょうか。ワタクシは選考会に同席していたわけではないので知りませんが、選評から推察できることは、以下のとおりです。
■この作品を推そうと考えている選考委員もいた。逆に、厳しい評価しか持っていない選考委員もいた。
■すべての委員が受賞に賛成できる候補作は、この回には、なかった。
■北方謙三氏が、自分で確認したことを踏まえて、この作品の設定に現実的な問題があることを発表した。
■他の誰も、この設定に無理があるどうか、なんとなく「無理がありそうだな」とは思っていても、自分で実際に調査した人はいなかったので、北方氏の発表は正しいものと思い込んだ。(北方氏がミステリー分野の作品も書く作家だから、なおのこと、その意見の信憑性が増したかどうかは、さすがに計りかねますが。)
■この作品は、ミステリーとして根本的な部分でミスがある、という前提が成り立った。
■最初、この作品を推そうと臨んだ委員が、いかに推そうにも、この前提がある限り、強くは推せなくなった。(あるいは、そこまでして推すほど、手放しで高く評価していたわけではなかったか。)
だいたい、こんな感じではないかと思うのですが、もはや何とも言えません。
肯定 | |
田辺聖子氏 | 「私は『半落ち』(横山秀夫氏)ときめて臨んだ。」「期待を裏切られない緻密な構成だ。」「設定上の疑問点を指摘する声もあり、魅力ある作品だが、ついに見送られて私としてはいたく残念であった。」 |
津本 陽氏 | 「私が推そうと思った作品であった。」「しかし、手続上の問題で疑義があるとのことであったので、つぎの作品を待つことにした。」 |
中立 | |
井上ひさし氏 | 「疑問とすべき箇所も多いが、作者の新工夫は、ここでも光っている。」「呆れるほど頻繁な行替えや体言止めの多用など、これまでの小説技法では禁じられていたものを逆用して、文体を読みやすくした工夫もさらに徹底されている。」 |
平岩弓枝氏 | 「大事な部分に問題点が指摘されたのは惜しかった。」 |
否定(人物造型の面) | |
黒岩重吾氏 | 「警察内部の人間の葛藤がよく描けている。」「登場人物に汗の臭いが感じられない。一歩踏み出し推すのをためらう理由である。」 |
渡辺淳一氏 | 「最大の弱点は、中心人物ともいうべき、妻殺しの警官が、つくられた人形のように存在感がなく、魅力に欠けることである。」「結末はいかにもきれいごとすぎてリアリティに欠ける。」「すべてがお話づくりのためのお話で、人間の本質を探り描こうとする姿勢が見られず、いわゆる推理小説の軽さだけが目立つ。」 |
否定(筋立ての面) | |
宮城谷昌光氏 | 「目くばりの悪さがある。」「小説の筋をふくめてきれいでありすぎることは、魅力に欠けるということでもある。」 |
林 真理子氏 | 「途中から結末が見えてしまう。」「この作品は落ちに欠陥があることが他の委員の指摘でわかった。」 |
五木寛之氏 | 「後半の予定調和的な結果には、大いに失望した。」「文章や表現の古めかしさは、一考の余地があるだろう。」 |
否定(リアリティーの面) | |
北方謙三氏 | 「関係の団体に問い合わせて見解を得、主人公の警部の動きには現実性がないことを、選考の途中で報告することになった。」「妻を殺しながら人を助けようとする、主人公の生命に対する考えに抵抗が多かったのだという気がする。」 |
阿刀田 高氏 | 「推理小説としては謎が浅い。」「ヒューマニズムを訴える点では盛りあがりに欠け、加えて現実には不可能な設定があるとなると、リアリティーに欠け困ってしまう。」 |
しかし、「ミステリーとして見てもミスがある」といったような発言は、ことミステリーの枠組みで作品を楽しんでいる人たちには心外でしょう。そういった読者の期待を一身に感じて作品を書いているであろう横山氏にとっても、心外だったのでしょう。だからこそ横山氏は、「現実世界では起こり得ない、とは言えない」とあえて反論したのでしょうし、その反論に何の見解も示さない日本文学振興会(直木賞の主催者)に対して、平成15年/2003年3月31日『上毛新聞』紙上において、今後自らは一切直木賞との関係を断つ、と意思を表明したのでしょう。
実際に選考会の現場でどんなやりとりがあったのでしょうか。ワタクシは選考会に同席していたわけではないので知りませんが、選評から推察できることは、以下のとおりです。
■この作品を推そうと考えている選考委員もいた。逆に、厳しい評価しか持っていない選考委員もいた。
■すべての委員が受賞に賛成できる候補作は、この回には、なかった。
■北方謙三氏が、自分で確認したことを踏まえて、この作品の設定に現実的な問題があることを発表した。
■他の誰も、この設定に無理があるどうか、なんとなく「無理がありそうだな」とは思っていても、自分で実際に調査した人はいなかったので、北方氏の発表は正しいものと思い込んだ。(北方氏がミステリー分野の作品も書く作家だから、なおのこと、その意見の信憑性が増したかどうかは、さすがに計りかねますが。)
■この作品は、ミステリーとして根本的な部分でミスがある、という前提が成り立った。
■最初、この作品を推そうと臨んだ委員が、いかに推そうにも、この前提がある限り、強くは推せなくなった。(あるいは、そこまでして推すほど、手放しで高く評価していたわけではなかったか。)
だいたい、こんな感じではないかと思うのですが、もはや何とも言えません。
直木賞は、権威を笠に着ているか?
横山氏の姿勢がはっきりしている以上、では、反論を受けた当の選考委員たちはどう考えているのか、ということに関心が向きます。
『毎日新聞』夕刊に、横山氏が「直木賞選考への疑問」を寄稿(平成15年/2003年5月1日)、その反響を追うかたちで同紙平成15年/2003年5月28日夕刊に、「小説と現実の間で 広がった不幸な溝」との記事が掲載されました。
ここには、選考会直後に記者会見した林真理子氏の発言と、横山氏の寄稿を受けた北方謙三氏の見解、阿刀田高氏のコメントが紹介されています。
要は、「北方氏は、現実世界で可能かどうかではなく、あくまで小説世界の中での議論をした」「北方氏の指摘によって『半落ち』が落選したわけではない」ということのようです。
まあ、北方氏はミステリーを多く書いている方ですから、「現実世界では絶対にあり得なくても、小説のなかできちんと説明や心情描写などが尽くされていれば、“小説”として高い水準になりうる」ということは当然認識されているとは思います。しかし悲しいことに、なかには、「現実世界では起こりえない」というただそれだけのことで、「荒唐無稽」「リアリティーがない」などとハナからレッテルを貼る人が、この世のなかにいることも事実です。まさか選考委員のなかに、そんな考え方をする人がいるとは、思いたくありませんが。
今回のこの経緯を見て、外野からのんきな感想を言わせてもらうとすれば、「横山さんが直木賞をとる可能性がまったくなくなったのは、残念」ということに尽きますが、あらためて感じたのは、直木賞に対する日本文学振興会の功績(と言っていいのかな)は、「戦中戦後の一時期を除いて、一回も休むことなく、ただただ継続させてきた」その一点のみしかない、ということです。つまり、主催者には、若手・中堅作家に“自信”や“やる気”を与える義務などないのです。個別の作品に対する評価はすべて、選考委員一人ひとりの責任において行われるもので、主催者は一切関知しないし、責任やら義務やらを負う必要もないのです。直木賞という“権威”はまわりが勝手につくったものだから、彼らは「こっちは何も知らんよ」という顔をしたっていいのです。お金と“場”を提供するだけの役割ですし、“その時々で最高の実力を持つ新人・中堅作家”に賞を与えなくちゃいけない義務など、さらさらありませんから、誰から文句を言われる筋合いもないのです。
横山秀夫さんが今後も活躍されて、すでに何人か存在する“直木賞が逃した実力派エンターテインメント作家”の一員に加わることを、ただ祈るのみです。
『毎日新聞』夕刊に、横山氏が「直木賞選考への疑問」を寄稿(平成15年/2003年5月1日)、その反響を追うかたちで同紙平成15年/2003年5月28日夕刊に、「小説と現実の間で 広がった不幸な溝」との記事が掲載されました。
ここには、選考会直後に記者会見した林真理子氏の発言と、横山氏の寄稿を受けた北方謙三氏の見解、阿刀田高氏のコメントが紹介されています。
要は、「北方氏は、現実世界で可能かどうかではなく、あくまで小説世界の中での議論をした」「北方氏の指摘によって『半落ち』が落選したわけではない」ということのようです。
まあ、北方氏はミステリーを多く書いている方ですから、「現実世界では絶対にあり得なくても、小説のなかできちんと説明や心情描写などが尽くされていれば、“小説”として高い水準になりうる」ということは当然認識されているとは思います。しかし悲しいことに、なかには、「現実世界では起こりえない」というただそれだけのことで、「荒唐無稽」「リアリティーがない」などとハナからレッテルを貼る人が、この世のなかにいることも事実です。まさか選考委員のなかに、そんな考え方をする人がいるとは、思いたくありませんが。
今回のこの経緯を見て、外野からのんきな感想を言わせてもらうとすれば、「横山さんが直木賞をとる可能性がまったくなくなったのは、残念」ということに尽きますが、あらためて感じたのは、直木賞に対する日本文学振興会の功績(と言っていいのかな)は、「戦中戦後の一時期を除いて、一回も休むことなく、ただただ継続させてきた」その一点のみしかない、ということです。つまり、主催者には、若手・中堅作家に“自信”や“やる気”を与える義務などないのです。個別の作品に対する評価はすべて、選考委員一人ひとりの責任において行われるもので、主催者は一切関知しないし、責任やら義務やらを負う必要もないのです。直木賞という“権威”はまわりが勝手につくったものだから、彼らは「こっちは何も知らんよ」という顔をしたっていいのです。お金と“場”を提供するだけの役割ですし、“その時々で最高の実力を持つ新人・中堅作家”に賞を与えなくちゃいけない義務など、さらさらありませんから、誰から文句を言われる筋合いもないのです。
横山秀夫さんが今後も活躍されて、すでに何人か存在する“直木賞が逃した実力派エンターテインメント作家”の一員に加わることを、ただ祈るのみです。
(平成15年/2003年6月29日記)
追記 - 時間軸でこの経緯を追いたい方へ。
上記のまとめでは、『オール讀物』平成15年/2003年3月号に載った選評を中心に紹介しました。その後、今回の騒動がマスコミでどのように取上げられてきたかを時系列を追って調べてみましたので、かなりヌケはあるでしょうが、追記として掲載しておきます(また、これを補足する意味で、ブログ版「直木賞のすべて 余聞と余分」にはこんなエントリーも書きました)。今後、このテーマをより深く研究する方々にとって、いくらかでも資料を探す手間の省けますことを願いつつ。
- 平成14年/2002年9月
講談社より『半落ち』刊行(初出は『小説現代』平成13年/2001年3月号~平成14年/2002年4月号) - 12月
『このミステリーがすごい!2003年版』(宝島社刊)の国内編で『半落ち』が第一位となる。 - 12月
『週刊文春』(文藝春秋刊)の「ミステリーベスト10」国内部門で『半落ち』が第一位となる。 - 平成15年/2003年1月
第128回直木賞候補となる。 - 1月16日
選考会が開かれ落選。この回は受賞作なし。 - 同日
選考後、選考経過を林真理子委員が記者会見。 - 1月23日
『毎日新聞』夕刊に「直木賞候補『半落ち』で評価真っ二つ ミステリーの現実性めぐり議論」の記事が載る。直木賞選考会が『半落ち』にはミスがあると指摘したことを重点的に取り上げる。 - その頃
講談社がホームページ上で、選考経過への反論を掲載。 - その頃
横山氏自身、「欠陥」と指摘された箇所について、あらためて再取材を行う。その結果、作品のなかに事実誤認はなかったと確信、主催者の日本文学振興会に、事実の再検証をするように申し入れる。 - 2月20日頃
『オール讀物』3月号発売。直木賞の選評が掲載される。ここでも記者会見の内容と同様の、「この作品には事実誤認がある」「それを見抜けなかったミステリー界にも問題がある」「それにもかかわらずこの本はいまだに売れ続けている」といった文章があった。 - 3月
横山氏、おおやけに選考会での指摘に対する反論を行う決意を固める。 - 3月19日
『朝日新聞』に「小説「半落ち」は欠陥作か傑作か 主人公の行動可能?…異例の論争」の記事が載る。ここで横山氏は欠陥があるとする意見に反論し、「(直木賞に)今後、作品をゆだねる気には到底ならない」とコメント。 - 3月31日
上記のコメントを受けて、『上毛新聞』が横山氏へのインタビュー記事「人間の矜持保ち次の一歩進める 直木賞への決別宣言 「半落ち」の横山秀夫さん」を掲載。 - 4月10日
『読売新聞』夕刊に「「半落ち」への批判に反論 横山秀夫氏、直木賞に決別宣言」(執筆:石田汗太記者)の記事が載る。 - 4月
文藝春秋が「選考会の手続きに問題があった」と横山氏に謝罪。 - 5月1日
横山氏、『毎日新聞』夕刊に「直木賞選考への疑問 『半落ち』をめぐって」を寄稿。決別宣言の経緯と本意を語る。 - 5月28日
『毎日新聞』夕刊に「小説と現実の間で 広がった不幸な溝――横山秀夫さんの『半落ち』をめぐって」の記事が載る(執筆:重里徹也)。 - 7月17日
第129回直木賞の選考経過の記者会見において、阿刀田高委員が、決別宣言について言及する。いわく「こんちくしょうと思うこともあるのは当然だが、選考委員もおのれの小説観と情熱で評価して結果を出している。素晴らしい才能をお持ちの方ですから、性急なことをおっしゃらずに、どうか、なお挑戦してほしい」。
(平成21年/2009年6月7日記)