選評の概要
123. 124. 125.126. 127. 128. 129. 130.
131. 132. 133. 134. 135.
136. 137. 138. 139. 140.
141. 142. 143. 144. 145.
146. 147. 148. 149. 150.
151. 152. 153. 154. 155.
156. 157. 158. 159. 160.
161. 162.
生没年月日【注】 | 昭和20年/1945年2月4日~ | |
在任期間 | 第123回~第162回(通算20年・40回) | |
在任年齢 | 55歳4ヶ月~74歳10ヶ月 | |
経歴 | 本名=宮城谷誠一。愛知県生まれ。早稲田大学文学部卒。師に立原正秋がいる。 | |
受賞歴・候補歴 |
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サブサイトリンク | ||
個人全集 | 『宮城谷昌光全集』全21巻(平成14年/2002年11月~平成16年/2004年7月・文藝春秋刊) | |
直木賞候補歴 | 第104回候補 『天空の舟――小説・伊尹伝』(上)(下)(平成2年/1990年7月・海越出版社刊) 第105回受賞 『夏姫春秋』(上)(下)(平成3年/1991年4月・海越出版社刊) |
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サイト内リンク | ▼直木賞受賞作全作読破への道Part2 |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 宮城谷昌光 55歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
31歳 |
○ | 24 | 「小説を書くという作業にあらたな課題をあたえ、何かを越えようとするこころみが感じられた」「すぐれた作家のみがかならずもっている憎悪が底辺にめだたないようにあり、この憎悪の管理が疎漏なくなされているがゆえに、人間の愛ややさしさが小説世界のすみずみにしみわたってゆくのである。」 | |
宇江佐真理 | 50歳 |
○ | 33 | 「小説を書くという作業にあらたな課題をあたえ、何かを越えようとするこころみが感じられた」「おもしろい小説を書きたい、という初志を喪っていないように感じられた。その時代における認識の甘さや語法の不備など、問題点はすくなくないが、私には初志を遵守してゆく姿が美しければ、それだけで打たれる。」 |
真保裕一 | 39歳 |
○ | 28 | 「小説を書くという作業にあらたな課題をあたえ、何かを越えようとするこころみが感じられた」「作為の跡が消されておらず、人間関係もぎごちないが、この作家の精神の中枢にはたぶん変化と成長があり、自身を甘やかさない厳しさがあるとみて、好感を懐いた。」 |
56歳 |
■ | 20 | 「作品にある内的方向性の用いかたを私は学ばせてもらったような気がしている。」「氏が置いてゆくことばが象を描くのが早すぎはしないか。両者の距離が短すぎると色あいを内含するゆとりをもたず、さらに語がおなじ方向をむいてしまっているので、単調さを産んでしまう。」 | |
「この賞が功労賞ではなく新人賞であり、この賞の受賞がその作家にとって飛躍のための翼やスプリングボードになってくれればよく、そのための選考である、と自分にいいきかせて候補作品を読んだ。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成12年/2000年9月号 |
選考委員 宮城谷昌光 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
黒川博行 | 52歳 |
◎ | 12 | 「小説家としての努力の痕跡があり、その賢明さに感心させられた。作品は賞に手がとどいていたと私は感じたが、その手は賞をつかむことができなかった。が、握力の差をあまり深く考えないほうがよい。」 |
53歳 |
○ | 20 | 「山本一力氏には、内なる力があり、その力がおのずと求めた小説様式が、素直に展開されたことで、読むほうも素直になれたという事実がある。私は氏の作品を読みすすむにつれて、良い人情噺が書ける作者があらわれたな、という実感を強くした。作品が人の胸を打つということは、そこに真実がある、ということにほかならない。」 | |
46歳 |
● | 19 | 「謬舛の多い私の読解の目には、その軽みに文学的な非凡さや時代的な個性が映らなかった。すなわち受賞作品は氏の最大限の表現に到達したものであったのか、疑問が残る。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成14年/2002年3月号 |
選考委員 宮城谷昌光 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
奥田英朗 | 42歳 |
◎ | 30 | 「まえの候補作品の『邪魔』には隠微な笑いがあった。が、今回は笑いが顕現した。」「それは氏のなかにバランスのよい客観性が生じたからであろうと推察している。克己があったのではないか。ゆえに、氏は読者に一歩も二歩も近づいたのであり、小説の愉しさが幅をひろげたのである。」「これほどの才能が受賞という光を浴びなかったのは、解せず、私は廓如とした気分になった。」 |
49歳 |
△ | 19 | 「用心深い作品であるように感じられた。」「その作品(引用者注:「蔓の端々」)からこの作品まで、氏は何かをつらぬいてきたのであり、その努力と研鑽は私の想像のおよばぬものであろう。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成14年/2002年9月号 |
選考委員 宮城谷昌光 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
奥田英朗 | 43歳 |
○ | 13 | 「こういう平凡なテーマを、こういう気どらない筆致で書いたのは、作者がいかに挑戦的であったかということである。虚構の振幅のほどのよさは、絶妙とさえいえる。読者はそれにおどろかねばならぬ。それにもかかわらずこの作品に賞という冠が置かれなかった事実をどう解したらよいのか。」 |
「すべての候補作品を読み終えたあと、まだ一、二の作品を読んでいないような、ものたりなさをおぼえたのであるが、それはおそらくどの作品も読む側の感覚を刺激する圭角をもっていなかったことによるのではないかとおもっている。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年3月号 |
選考委員 宮城谷昌光 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
真保裕一 | 42歳 |
◎ | 36 | 「創作の基盤に感動がすえられていたのが真保裕一氏の「繋がれた明日」であることは瞭然としている。」「むろん小説の良否は修辞に大きくかかわり、主題の堅牢さは修辞のまずさによって湮没させられてしまう。しかし真保氏の創作の姿勢と手順は正しい。ところどころ虚構の素肌が露呈しているが、そんなことを嗤われても、まったく気にする必要はない。この小説には真実があると私はみた。」 |
43歳 |
○ | 43 | 「その実績が認められ(引用者中略)ての受賞である、と私は理解した。」「過去の候補作品の上にこの作品が積まれて峻竦した観がある。この作家にはもともと純気があり、風俗を描いてもけがれるおそれのない人ではあるが、それだけに淡白さがあることに私は不満をおぼえていた。この作品からは淡白さを感じず、都会の情緒を感じた。」 | |
39歳 |
△ | 17 | 「その成長が賛嘆されての受賞である、と私は理解した。」「それは多くの選考委員が村山氏の旧作を丹念に読んでいる証左であり、それは村山氏の幸運でもあろうが、作家としての徳というものでもあろう。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年9月号 |
選考委員 宮城谷昌光 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
福井晴敏 | 36歳 |
◎ | 61 | 「感心した」「氏の小説はあとあじがよい。」「氏はあわててまにあわせのことばを捜しにゆかないところがよい。それは作者の胆力をあらわしている。」「もっとも私が重視したのは、小説空間の表層と深層のつかいわけのうまさであり、ことばを熟知していなければ、それができるはずもなく、もっといえば一語にある深浅がわからなければ、氏の小説のすごみを洞察できるはずもない。」 |
37歳 |
■ | 50 | 「角田氏の小説には、おどろくべき素直さと首をかしげたくなる圭角がある。」「『空中庭園』においてもそうであったが、理性的な意義をみつけにくい整理と組み合わせがなされていて、むしろそれは生理的なものではないか、と疑ったのである。あえていえば、性癖が露呈している。」「今回の作品では、氏の手法によって情景は額縁のなかにおさまるが、じつは読む側の感情がそのなかにおさまらないという体験をした。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成17年/2005年3月号 |
選考委員 宮城谷昌光 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
荻原浩 | 49歳 |
◎ | 18 | 「いわゆる小説らしい小説とは、荻原浩氏の「あの日にドライブ」しかなかったといってよいのに、推したのが私ひとりであったのは意外であった。作者の意匠的肚のすえかたは尋常ではない。」「作者のすぐれた自制力と偏曲しない感性がみえるようであり、そのため小説の風景がゆがんでみえない。」 |
47歳 |
■ | 14 | 「他の候補作品は力感において東野氏のそれに及ばなかったということに尽きる。」「閉じられた合理のなかで物語が展開し、読者のなぜという問いかけはうけつけず、作者の自問自答で終始する。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成18年/2006年3月号 |
選考委員 宮城谷昌光 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
三田完 | 51歳 |
○ | 14 | 「いわゆる巧い小説で、知識、構成力、言語感覚などが上級である。小説がもっている情報量も豊富で、しかも正確であるように感じられたので、衒学的であるとはおもわなかった。しかしながら上手の手から水が漏るところがあり、推しきれなかった。」 |
53歳 |
■ | 53 | 「その構成力に作者の肚のすえかたがまざまざとみてとれる。とはいえ、読者に有無をいわせぬ語りの連続に、私は辟易した。」「作品と読者の距離がありすぎる。ただしその距離に、作者の自尊の高さがある、と感じられるが、それが志の大きさであろうとはいいにくい。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成19年/2007年9月号 |
選考委員 宮城谷昌光 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
佐々木譲 | 57歳 |
○ | 8 | 「『警官の血』の構成と描写には、瑕がすくないようにおもわれた。設計図をもとに、基礎工事も手ぬきなくおこなわれて、建てられた家を想えばよい。」 |
36歳 |
■ | 16 | 「(引用者注:「約束の地で」より)全体が明瞭ではあるが、明瞭でありすぎて、おもしろみが希薄となった。小説の構成の失敗があったと私はみるが、どうであろうか。わざわざわかりにくい小説を書く必要はないが、作者のエネルギーを蓄積し、噴出させるための陰翳をもうすこし長く保持しておいたほうがよい。」 | |
「いまや小説というものが旧慣に満ちているとはいえ、やはりなんらかの新風を感じたい。桜庭一樹氏の幻想的作品が受賞した理由は、そこにあるかもしれない。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成20年/2008年3月号 |
選考委員 宮城谷昌光 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
道尾秀介 | 33歳 |
○ | 38 | 「最初から読んでも、最後から読んでも、意味はかわらないという仕掛けは、小説内の瑣末な描写にだけあったわけではなく、全体の構成にかくされていたのである。こういう知的な作業がなされた小説はめったにあらわれるものではない。非凡である、とあえていっておく。」 |
48歳 |
△ | 22 | 「現代の陰の事象をことごとく直視してゆく勇気をもったものである。が、多少説明的であり、近視眼的である。今あるいは現代がもっている負の要素にこだわりすぎている。」「残念ながら、この小説には夾雑物が大きすぎる。」 | |
52歳 |
△ | 17 | 「建てられた物、作られた物に、作り手あるいは所有者の精神を視る目を、作者がそなえているにせよ、こと小説に関しては、この作者は人を内から建てていないことに手法上の欠陥がある。」 | |
「直木賞の選考会にもっとも近い日まで読んでいた候補作品が、もっとも印象が強くなるので、なるべく早く全作品を読み終えて、すくなくとも選考会まで二日のゆとりが欲しい、とつねにおもい、実際にそうしてきた。」「不公平さを自分のなかで匡す時間が要るのである。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成21年/2009年3月号 |
選考委員 宮城谷昌光 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
池井戸潤 | 46歳 |
○ | 27 | 「最近の直木賞候補作品ははっきりいってパワー不足で、表層のつくろいに終始している作品が多い。ところが氏の作品は力動感にあふれ、パワーに関しては群をぬいている。しかしながら私が氏の作品を推しきれなかったのは、ひとつに文章の問題があったからである。この文章に新味はない。」 |
59歳 |
□ | 27 | 「氏の『警官の血』が、押した作品、であるとすれば、これは、引いた作品、である。私はまえに『警官の血』が受賞作品になってよいとおもっていたので、それと合わせれば、この作品が受賞してもかまわないが、切り離して考えるべきだといわれれば、ものたりないというしかない。ただし作家としての習熟度は氏がもっとも高い。」 | |
51歳 |
■ | 18 | 「自己を嫌悪するのであれば、もっと細部にあるいは恥部に精密な描写をほどこすべきだ。そこを徹底せずに切り上げたという感は否めない。」 | |
「私は候補作品を読むまえに、もしかすると画期的な文体を目にすることになるのではないか、と期待するのが常である。が、この期待は裏切られつづけたといってよい。これは新しい作家たちが厳しく激しい自己否定を経ていないからであり、究極の孤独を体験していないがゆえに、真の共感を知らないせいではあるまいか。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成22年/2010年3月号 |
選考委員 宮城谷昌光 65歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
乾ルカ | 40歳 |
○ | 25 | 「注目した」「この作品には、過去と現在、生と死が織り込まれており、いわばモザイクのような形式になっている。しかしきれいに混乱は避けられており、それだけでも氏の才能が尋常ではないとわかる。」 |
46歳 |
■ | 26 | 「(引用者注:「リアル・シンデレラ」とともに)過去を描写する上で、作者以外に作中に話者を立てたという点で、構成は似ている。(引用者中略)私の印象ではただ単にリアリティが遠ざかっただけで、予想もしなかった大きな何かを与えられたとはおもわれなかった。」「小説世界にある人と物を、読む側に立って、手で触れたという実感がなかった。」 | |
「各候補作品から、小説の工夫というものが強く感じられた。これは、それぞれの作者が従来の小説のありかたに疑念をもち、新しい小説の方向性を探ろうとしているあかしであろう。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成22年/2010年9月号 |
選考委員 宮城谷昌光 69歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
伊吹有喜 | 45歳 |
◎ | 47 | 「ストーリー優先主義の小説では、風景描写はよけいなもの、小説のながれを阻害するものであるとおもわれがちだが、その考えは小説世界の幅をせばめ、奥ゆきを失わせる、と私はおもっている。(引用者中略)その風景描写が的確におこなわれている」「文章も浸潤性をもっており、その文章が解体されて、ことばに還ったとしても、生色を失わないであろう。」 |
65歳 |
△ | 14 | 「以前読んだ『国境』とくらべると、小説世界のスケールが縮んだという感は否めないものの、独特なペーソスがあり、それに色づけされた小説内の風景に棄てがたいものがあった。私はこの作家の作品が嫌いではないが、賞となれば、どうであろう。」 | |
「所詮、小説はことばから発してことばに還るものだ、とおもっている。そのことばの構築の美が文章であるが、ちかごろそういう美しさを感じさせてくれない小説が多い、というのが実感である。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成26年/2014年9月号 |
選考委員 宮城谷昌光 70歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
46歳 |
○ | 20 | 「ことばを慎重に選ぶのではなく、手あたりしだいに集めて詰めてゆけばなんとかなるというずぶとさがみえて、めずらしかった。しかしながら、台湾という小国がもっている不断の不安が通奏低音的にながれていて、その上での事象のあやうさが、おのずと読み手にしみてくる。私は新しい風を感じた。」 | |
澤田瞳子 | 37歳 |
○ | 29 | 「この作家は上達したというしかない。節度のある比喩を用いていることにも感心した。」「この作品を読んで、いやな感じをうける人はほとんどいないであろう。そこに作者の風致をみたとおもうのだが、称めすぎであろうか。」 |
選評出典:『オール讀物』平成27年/2015年9月号 |
選考委員 宮城谷昌光 73歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
41歳 |
○ | 40 | 「(引用者注:「童の神」と共に)注目せざるをえなかった」「真藤氏の賢さは、物語の中核となる人を増やさないで展開したことにある。しかも氏のずるさは、もっとも重要な人物をすぐに不在とし、それを謎として、読者を巻末までひきずったことである。」」「話の落としどころとしては、形而下ではなく形而上にもってゆかないと、読み手は納得できないのではないか、と私は思った。この思いが裏切られる結末になったとはいえ、この作品を否というつもりはない。」 | |
今村翔吾 | 34歳 |
○ | 24 | 「(引用者注:「宝島」と共に)注目せざるをえなかった」「日本の歴史・時代小説の息苦しさは、戦国時代か幕末を書かなければ読者の共感を得にくいことである。今村氏はそれを承知で、敢然と平安時代を書き、しかも通念としてある善と悪をひっくりかえしてみせた。私はこの作品の成否をわきにおいて、その勇気をたたえたい。」 |
「今回はずいぶん特色のある作品がならんだように感じられた。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成31年/2019年3・4月合併号 |
選考委員 宮城谷昌光 74歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
原田マハ | 57歳 |
○ | 23 | 「松方コレクションがどのように買われ、どのように戦火をまぬかれ、どのようにフランスから寄贈返還されたかが明瞭に書かれている。創作の主旨が明確であり、筆致も落ち着いている。」「コレクションを守りぬいた日置釭三郎の陰の偉業を作者は顕彰したかったにちがいなく、それは成功しているとみた。」 |
56歳 |
△ | 15 | 「手練を想わせる語り口で、独特の世界を描いている。が、みかたをかえれば、この小説は独白がつづいているようなもので、巧い落語家の話をきいているようであった。近松半二は舞台と客席に対位法をもちこんだといわれており、それらしきしかけがこの小説にあったか、と問うているところである。」 | |
選評出典:『オール讀物』令和1年/2019年9・10月合併号 |