選評の概要
113. 114. 115.116. 117. 118. 119. 120.
121. 122. 123. 124. 125.
126. 127. 128. 129. 130.
131. 132. 133. 134. 135.
136. 137. 138. 139. 140.
141. 142. 143. 144. 145.
146. 147. 148. 149. 150.
生没年月日【注】 | 昭和10年/1935年1月13日~ | |
在任期間 | 第113回~第150回(通算19年・38回) | |
在任年齢 | 60歳5ヶ月~78歳11ヶ月 | |
経歴 | 東京生まれ。早稲田大学文学部卒。 | |
受賞歴・候補歴 | ||
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直木賞候補歴 | 第80回候補 『冷蔵庫より愛をこめて』(昭和53年/1978年6月・講談社刊) 第81回受賞 『ナポレオン狂』(昭和54年/1979年4月・講談社刊) |
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サイト内リンク | ▼小研究-ミステリーと直木賞 ▼直木賞受賞作全作読破への道Part3 |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 阿刀田高 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
63歳 |
◎ | 14 | 「なによりも行間に含みのある精緻な文章を評価したいと思った。」「「ほとほと……」は万葉集の歌と、稚拙な恋とがうまく呼応して味わいが深い。」「「陽炎球場」は、ベースボールがどれほど美しいドリームであったか、あらためて懐しさを覚えさせてくれた。」 | |
梁石日 | 58歳 |
○ | 21 | 「あらっぽい作りの作品である。」「小説を描く視点にも不適当が見られる。が、もう一度読み返し、さらに他の作品と比べてみると、骨太の魅力がある。」「――この作家は、明確に訴えたいものを持っている――」「その情熱に拍手を送りたくなった。」「受賞に至らなかったのは、作品として、もう一つ、仕上げの丁寧さを欠いていたからだろう。」 |
選評出典:『オール讀物』平成7年/1995年9月号 |
選考委員 阿刀田高 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
53歳 |
○ | 20 | 「特別にドラマチックな出来事があるわけではないのだが、――これが小説を読む楽しさだ――と、こころよく脳味噌を預けて最後まで読み進むことができた。私にはとてもおもしろい小説であった。」「純文学とかエンターテインメントとかいう区分は、多くの場合、それほどの意味を持たない。直木賞は大人の鑑賞にたえるおもしろさをしっかりと見据えていけばよいのだ、と思う。」 | |
梁石日 | 61歳 |
○ | 20 | 「技法的には弱点もあり、相当にあらっぽい作品である。ただ、途方もない主人公をあますところなく描いて、読む者をぐんぐん引き込んでいく。その迫力、そのすさまじさ。」「力作ではあったが、すでに他の賞を受けているという事情もあって、受賞作に一歩譲ることとなった。」 |
「質の高い選考会であった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成10年/1998年9月号 |
選考委員 阿刀田高 65歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
重松清 | 37歳 |
◎ | 14 | 「私としては「カカシの夏休み」を推そうと考えた。子どもたちを取りまく現在の情況を捕らえて淀みがない。会話が巧みである。人物の設定も造形もそつがない。」 |
56歳 |
△ | 42 | 「取材と構成の充実した骨太の作品で、楽しく読むことができたけれど、この手の作品としては、なにもかも予想通りで、闘争のシーンの凄じい描写力を除けばストーリィそのものに胸を躍らせることができなかった。」「しかし、船戸さんが充分なキャリアを持つ優れたストーリィ・テラーである。(引用者中略)ものさしを当てること自体が失礼のような気もする。あれこれ勘案して、おおかたの推輓があれば尻馬に乗るつもりだった。」 | |
31歳 |
■ | 16 | 「ユーモア感覚のすばらしさに拍手を送ったが、これは“私”中心の作品で、周辺がうまく描かれていない。小説として広がりが乏しい。それよりもなによりも、まだ作品数の少ない作家なので、――もう一作、見たい――そこに躊躇の理由があった。」 | |
「候補作のレベルが横一線らしい。選考会へ赴く道筋でも、――どれを推そうか――ずっと悩み続けていた。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成12年/2000年9月号 |
選考委員 阿刀田高 67歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
46歳 |
○ | 11 | 「現代に生きる女性たちをさりげなく描いているが、したたかな隠し味が随所に散っている。登場人物はみんなそれぞれの方法で必死に生きている。それでいながら飛んでいる。そこが快い。」 | |
黒川博行 | 52歳 |
○ | 9 | 「もっともおもしろく読んだ。テンポがよく、ユーモアが冴えている。」「情報の厚みを備えたエンターテインメントとして魅力的だ。ほかの作品との競合の中で敗れたが、残念。あと一息だった。」 |
53歳 |
△ | 15 | 「重厚である。丹念に、きっかりと描いている。」「優等生の模範答案のようで、花の乏しい恨みがあるけれど、模範答案を否定するのは酷だろう。小差ながら「かずら野」より、――よいかな――と思った。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成14年/2002年3月号 |
選考委員 阿刀田高 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
角田光代 | 35歳 |
○ | 28 | 「小説を評価する方法の一つに、――私には書けない――というものさしがある。(引用者中略)〈空中庭園〉は、それに近かった。弱点のない作品ではないけれど、読んでおもしろく、読み進むうちに奇妙な展開が次々にあって小説の深さを感じさせてくれる。」「発想が非凡であり、よおくはわからないながら可能性だけを感じた。」 |
「困難な選考会であった。選考会のあとも、――よい小説とは何だろう――プリミティブな疑問が湧き、しばらくは余波に悩まされそうだ。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年3月号 |
選考委員 阿刀田高 70歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
37歳 |
○ | 16 | 「とりわけ大きな事件が起こるわけではないが、構成の妙もあって楽しく読み進むことができる。少女たちの海辺の生活とその後を描くくだりには感動を覚えた。」 | |
山本兼一 | 48歳 |
○ | 15 | 「わるくなかった。」「建築学的な考証も入念で、私としては、――よい勉強をさせていただきました――という思いが深い。この薀蓄が小説を読む楽しさをそこなっていないところもみごとである。」 |
「厳しい選考であった。七作品のうちから三作品が残り、決選投票の結果「対岸の彼女」が選ばれた。僅差であった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成17年/2005年3月号 |
選考委員 阿刀田高 70歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
42歳 |
○ | 35 | 「どれも怖い話ではない。」「霊柩車の話はばからしく、おかしい。しかし、ここにも人生の反映がある。送りん婆は幽霊談ではないが、現代と、あやかしの世界とが、しなやかに混りあって楽しく読めた。大阪という土地柄をうまく捕らえているところもみごとだった。」 | |
絲山秋子 | 38歳 |
○ | 26 | 「強い愛着を覚えた。サラリと書いているが企みは深い。」「貫くユーモアが上質だ。人間の造形も確かである。「精神を病んでいる者のビヘイビアではない」と他の委員から評されそれを認めざるをえなかった。」 |
選評出典:『オール讀物』平成17年/2005年9月号 |
選考委員 阿刀田高 72歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
池井戸潤 | 43歳 |
○ | 17 | 「読みやすく、充分におもしろい。」「サラリーマン諸氏がみずからの仕事のあいまに、――こんなもんだよな、企業社会は――と同感を覚えながら、ひとときの読書を楽しむには恰好の内容となっている。私はそれを“よし”としたが、直木賞の文学性という、きびしいテーゼを問われると、不足がないでもない。」 |
「(引用者注:直木賞の選考は)選考のプロセスにおいて、――これでいいのだろうか――自問自答をくり返し、それでもなお屈託の残るケースが多い。今回はその顕著な例であった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成19年/2007年3月号 |
選考委員 阿刀田高 77歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
原田マハ | 50歳 |
○ | 22 | 「スケールの大きい知的な世界を綴って楽しい。みごとである。」「――小説って、こういうイマジネーションがあって、そこがすてきなんだよな――しみじみと感じた。構成や技法に少し不足があるようにも思われ、受賞に到らなかったのは残念。」 |
32歳 |
△ | 22 | 「短篇連作集として姿が整っていること、つまり五つの異なったトピックスを扱いながら全体として統一したモチーフを踏んでいるところが、ここちよい。手だれと感じた。読んで、辛く悲しい作品集だが、最後の「君本家の誘拐」など、ホッと救われる部分も散見されて、このあたりに次の可能性が潜んでいるのではあるまいか。」 | |
「選考会に臨むときは、いつもすばらしい才能の登場を衷心から願っている。文芸の振興は結局のところ、有力な作家の存在こそが第一義、たまたまそれが出現するかどうか、選手層の厚さを含めて、このあたりにかかっているところが大きいからだ。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成24年/2012年9月号 |