選評の概要
66. 67. 68. 69. 70.71. 72. 73. 74. 75.
76. 77. 78. 79. 80.
81. 82. 83. 84. 85.
86. 87. 88. 89. 90.
91. 92. 93. 94. 95.
96. 97. 98. 99. 100.
101. 102. 103. 104. 105.
106. 107. 108. 109. 110.
111.
生没年月日【注】 | 大正13年/1924年4月13日(戸籍上は4月1日)~平成6年/1994年7月26日 | |
在任期間 | 第66回~第111回(通算23年・46回) | |
在任年齢 | 47歳8ヶ月~70歳2ヶ月 | |
経歴 | 岡山県岡山市生まれ、東京育ち。東京大学除籍。大学生時代より同人誌『葦』『世代』『新思潮(第十四次)』に参加。出版社の新太陽社で働く。昭和27年/1952年に休職、病気療養生活を送りながら、大阪朝日放送の放送原稿を書く。父親は作家・詩人の吉行エイスケ、妹に女優の吉行和子、芥川賞受賞作家の吉行理恵がいる。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『吉行淳之介全集』全8巻(昭和46年/1971年7月~昭和47年/1972年2月・講談社刊) 『吉行淳之介全集』全17巻・別巻3(昭和58年/1983年4月~昭和60年/1985年1月・講談社刊) 『吉行淳之介全集』全15巻(平成9年/1997年7月~平成10年/1998年12月・新潮社刊) |
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芥川賞候補歴 | 第26回候補 「原色の街」(『世代』14号[昭和26年/1951年12月]) 第27回候補 「谷間」(『三田文學』昭和27年/1952年6月号) 第28回候補 「ある脱出」(『群像』昭和27年/1952年12月号) 第31回受賞 「驟雨」(『文學界』昭和29年/1954年2月号)その他 第31回候補 「薔薇」(『新潮』昭和29年/1954年6月号) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 吉行淳之介 47歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
33歳 |
○ | 7 | 「私の推したのは、「オキナワの少年」と「玩具の兵隊」であった。」「おそらくずいぶんの努力の末にノンシャラン風の文体をつくり出したのは、手柄である。ただ、終りのところ、少年が家出先を無人島ときめたのは、あまりおもしろくない。この作品の成功は、主人公が少年であることが大きなポイントで、これからの作者は苦しむだろう。」 | |
加藤富夫 | 43歳 |
○ | 6 | 「私の推したのは、「オキナワの少年」と「玩具の兵隊」であった。」「地味な才能の作者だが、ここにある一種苦いユーモアを評価した。」 |
36歳 |
■ | 8 | 「授賞には、私は反対であったが、悪い作品というのではない。」「新しい文学の担い手の一人である筈の氏が、こういう傾向の作品で受賞しては、困るとおもったわけだ。李氏といえば新進作家の感じがあるので、おのずから要求がきびしくなってしまう。」 | |
「この一作という作品はなく、二作合わせて当選作が出るだろうとおもっていた。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第九巻』昭和57年/1982年10月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和47年/1972年3月号) |
選考委員 吉行淳之介 48歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
三木卓 | 37歳 |
◎ | 6 | 「詩人としての感受性を開き過ぎて、かえって目ざわりの箇所もあったが、私はこの作品に一番高い点をつける。」 |
36歳 |
△ | 8 | 「詩人だが、小説家としての、それもストーリー・テラーの才能があるとみえる。上手な作品で、枠の中で物語は見ごとに進行して終るが、欲張ったことをいえばその枠をはじき飛ばす力がない。」 | |
43歳 |
△ | 9 | 「戦争にたいする見方も納得できて、親愛感をもったが、私自身の体験や想像を上まわる部分がなく、ギョッとさせられるところがないのが物足らなかった。」「結局ういういしいところが好感をもたれ、さんざん銓衡会が揉めているうちに、すうっと二作授賞にきまってしまった。」 | |
「今回は読みごたえのある作品が多かった」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第九巻』昭和57年/1982年10月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和48年/1973年3月号) |
選考委員 吉行淳之介 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
森内俊雄 | 36歳 |
◎ | 7 | 「私は(引用者中略)推した。この作品は無理にツジツマを合わせようとしたり、不出来なところが多いが、作者の書きたいところに共感した。新人賞には、こういう欠点は許されるだろうと、おもった。」「なにしろ一票半しか入らなかったので引下るほかなかった。」 |
38歳 |
△ | 5 | 「前回私は最も高く評価したのだが、今度の作品はけっして悪くはないが、不満である。」 | |
「今回の候補作は、すべて一応の水準に達していた。みんな小説がうまくなった。しかし、ここのところに問題がある。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和48年/1973年9月号) |
選考委員 吉行淳之介 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
61歳 |
○ | 10 | 「叩けばホコリも出るが、その文章の力は近来あまり見ないものである。勁いばかりでなく、柔軟であり、陰にこもった色気もあり、大した文章である。芥川賞は新人に与えられるというタテマエなので、この作者の年齢についてはともかく、過去に文壇歴があるという点が私も気にかかった。」「これ一作ではほかの候補者が気の毒で、二作授賞が妥当だとおもった。」 | |
日野啓三 | 44歳 |
○ | 4 | 「(引用者注:「月山」の他に)もう一作となると、私は「此岸の家」を推した。この作品にははじめは「草のつるぎ」を上まわる票が集まった。だが、異例の投票がおこなわれた結果、「草のつるぎ」のほうが当選作となった。」 |
36歳 |
□ | 8 | 「悪い作品ではないが、私には思わせぶりにおもえるところと平板なところが目立ち、不満であった。しかし、(引用者中略)その授賞には反対ではなく、慶賀したい。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和49年/1974年3月号) |
選考委員 吉行淳之介 53歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
43歳 |
◎ | 6 | 「池田満寿夫、高橋揆一郎、三田誠広の順に内心支持して会に出た。」「池田氏の作品についての評価は予想どおりだったが、その反対意見は二作授賞を許さない、という強烈さだった。」「道具立てが華やかで、作者の感性がきらめくのだが(その点も、私は好きだ)、むしろオーソドックスな小説といえる。」「また、池田氏はしたたかな技巧家であるが、あるいは本人自身気付いていないかもしれない素朴な心が、その裏側にある。」 | |
高橋揆一郎 | 49歳 |
○ | 7 | 「池田満寿夫、高橋揆一郎、三田誠広の順に内心支持して会に出た。」「語り手の女主人公も、その亭主になった炭坑夫も、魅力的に描けている。パターンになりかかる話の筋を、ふっくらとして同時に勁いところのある文章で救っている。」 |
29歳 |
□ | 11 | 「池田満寿夫、高橋揆一郎、三田誠広の順に内心支持して会に出た。」「「僕って何」とは同年代に向って「君って何」という問いかけの批評を含んでいて、このあたりの年齢の周辺を私小説風に描いて過大に評価されてきたこれまでのいろいろの作品より、ずっと良かった。ユーモアにもとぼけているようで、批評がある。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十一巻』昭和57年/1982年12月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和52年/1977年9月号) |
選考委員 吉行淳之介 54歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
重兼芳子 | 51歳 |
◎ | 16 | 「感覚・感性については抜群で、そういう資質がつくり出すディテールが魅力的であった。」「私はこの作品を推したが、票が割れてしまったこともあって、最後には「授賞作ナシ」にくみした。」「せっかくのディテールの下の配線が行きとどいていなくて、ランプが点燈しなかったり、光りすぎたりする。」「もっと、自分の十分に掴んでいることだけを、むしろ作文風に書いてみたらよいのではあるまいか。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十二巻』昭和58年/1983年1月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和54年/1979年3月号) |
選考委員 吉行淳之介 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
45歳 |
○ | 18 | 「「青桐」は充江というハイミスの片想いを中心にした心の動きに沿って読んでいくことをすすめる。そうしないといたずらに混乱を起すおそれがあるのだが、読む者の視点を移動させてしまいそうな要素がすぐに現れてくる。」「重い問題を作品の中に持ち込むには、余程の覚悟と計算が必要だが、ここでは提起された問題の内容自体がすでに曖昧である。」「私としては、(引用者注:「青桐」と「刻」の)二作受賞か、という判断があった。」 | |
李良枝 | 29歳 |
○ | 12 | 「荒けずりな部分やいまさらとおもえる実験的手法の部分もあったが、全体として新人らしい新鮮さがあった。過ぎてゆく一刻一刻の中に無理に閉じこめられる苦痛と、またべつの時には一刻を享受している感情の激変もよく書けていた。」「私としては、(引用者注:「青桐」と「刻」の)二作受賞か、という判断があった。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十三巻』平成1年/1989年2月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和60年/1985年3月号) |
選考委員 吉行淳之介 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
42歳 |
◎ | 19 | 「予想を上まわる力を見せた。十分に計算された作品世界を提出し、そこに登場してくる人物も風物も、そして細部もすべていきいきしている。」「おばあさんに悪意があるわけでなく、ぼけているといえないこともないが、むしろ八十歳をしぜんに生きているのである。ここらあたり、不思議なユーモアがある。」 | |
新井満 | 41歳 |
◎ | 16 | 「みずみずしく清新な作品である。「鍋の中」に劣らぬ作品として推したが、僅かな差で受賞にならなかった。」「男と女とが結ばれてゆくための設定は、ますます難しくなってきたが、作者は斜視の男と耳のきこえない女という組合せによって、力業をおこなっている。そしてこの二つは、作品のなかでしばしば有効にはたらいており、とくに末尾の斜視はみごとに機能している。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十四巻』平成1年/1989年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和62年/1987年9月号) |
選考委員 吉行淳之介 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
37歳 |
◎ | 17 | 「私は(引用者中略)第一位(引用者中略)に置いていた」「最初から好感がもてる作風だったが、切れ味が悪かったり切りそこなったりしていた。切れ過ぎるナイフも困るが、前回の「エチオピアからの手紙」から、にわかに良くなった。」「後半、アメリカ人の宣教師が出てきて、これがとてもいい。」「地味だが文学の本筋をゆく作品」 | |
33歳 |
○ | 17 | 「私は(引用者中略・注:「月潟鎌を買いにいく旅」と)同じ第二位に置いていた」「この人の場合は最初から注目してきた。」「自分自身を韓国育ちの韓国人と在日同胞との二人に分けて描いたために、はっきり結論が出ているようでいて、書き手の心が揺れているのが分かる。しかし、それはそれでいい、これからもいろいろのものが出てきて、収穫となるだろう。」 | |
清水邦夫 | 52歳 |
○ | 4 | 「私は(引用者中略・注:「由煕」と)同じ第二位に置いていた」 |
「最後には、三作(引用者注:「ダイヤモンドダスト」「月潟鎌を買いにいく旅」「由煕」)に投票することになった。かなり長くこの賞の委員をつとめているが、三作にたいしてははじめてのことだ。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十四巻』平成1年/1989年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成1年/1989年3月号) |
選考委員 吉行淳之介 66歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
28歳 |
○ | 22 | 「この作風を貫くためには、説明はいけない。いつも困らされたが、透明で鋭敏な文章は健在であり、そこを評価して○をつけた。この人は、一作書き終ると振り出しに戻り、あらためて苦しい旅をつづけるタイプのようで、そこが信用できるとおもった。」 | |
福元正實 | 57歳 |
○ | 4 | 「私は○をつけたが、意外に票が集ってびっくりした。これが短篇というもので、五十枚で書けるものが二百枚になってしまった候補作に泣かされたことは何度もある。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十五巻』平成14年/2002年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成3年/1991年3月号) |
選考委員 吉行淳之介 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
村上政彦 | 33歳 |
○ | 10 | 「以前の候補作の「ナイスボール」が印象に残っていた。」「今回は、全体にわたって力が入っていたが、安定感ができたといえよう。繊細な音の採集からはじまって、複雑な話をよく調べまとめ上げていた。しかし、十分な票が集まらなかった。それにしても、「量子のベルカント」という題名と、頻出する「紗也」という人名とは、どうにかならなかったものか。」 |
36歳 |
△ | 23 | 「私にとって地下の隧道全部が官能のにおいを放ち、大きな事故の予感まで官能的で、そこが面白かった。この作品には、予想以上の票が集まった。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十六巻』平成14年/2002年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成4年/1992年9月号) |
選考委員 吉行淳之介 69歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
○ | 24 | 「私はその両方(引用者注:最後に残った「寂寥郊野」と「穀雨」)にマルを付けていた。」「今回の候補作はみな長く、苦痛をあたえるものもあったが、「寂寥郊野」は無駄に長くはなかった。」「アルツハイマーの進行とともに、幸恵が日本語で喋っていたりするあたり、悲痛である。二、三の疑問点が残ったが、この作品は芥川賞受賞作として、出色のものとおもった。」 | |
河林満 | 42歳 |
○ | 11 | 「私はその両方(引用者注:最後に残った「寂寥郊野」と「穀雨」)にマルを付けていた。」「福祉事務所で働く男が主人公で、私はその内容に共感を持ったが、書き方に不満の残る部分があった。けっして悪い作品ではないが、すでに(引用者注:「寂寥郊野」との)二作の得点の差は大きく、力量の差ははっきりしていた。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十六巻』平成14年/2002年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成5年/1993年9月号) |