このページの情報は「直木賞のすべて」内の「選考委員の群像 小島政二郎」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 明治27年/1894年1月31日~平成6年/1994年3月24日 | |
在任期間 | 第1回~第16回(通算8年・16回) | |
在任年齢 | 41歳5ヶ月~48歳11ヶ月 | |
経歴 | 東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒。 在学中の大正5年/1916年「オオソグラフイ」を発表。卒業後「赤い鳥」編集に携わる。 「一枚看板」「含羞」「新居」「海燕」「眼中の人」「円朝」などの作品を発表、 古典鑑賞の著作や、「聖胎拝受」「鴎外 荷風 万太郎」など作家に材を採った作品を遺す。 |
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受賞歴・候補歴 |
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下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 小島政二郎 46歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
白川渥 | 33歳 |
◎ | 23 | 「一番優れていると思った」「殆んど過不及ない位よく纏まっているし、描写も行き届いているし、殊に母と云い兄嫁と云い、就中兄嫁の描写などは、そこに肉体を感ずる位ヴィヴィッドに描かれている。」「私はこの作に一番点を入れた。しかし、この作は不幸にして本誌上に再録出来ない性質を持っていると注意されて断念した。」「この作者には新らしく稿を起して貰って本誌に載せると云う条件で我慢する外なかった。」 |
牛島春子 | 27歳 |
○ | 37 | 「描写がモノクロマチックなところが欠点と云えば欠点だが、しかし祝と云う満人の――異人種の、非常に特殊な性格をこれ程まで見詰めた――女流作家としては珍らしいインテンシテー、しかも、その性格描写に於ける成功は、特筆していいと思う。」「作者の導くがままに私はごく自然に祝と云う男を生活した。これは、作者の創作態度が、悪い意味で小説的野心のとりこ(原文傍点)にならなかった賜物であろう。」 |
44歳 |
■ | 11 | 「面白く読んだが、私は更生後の源内の生活に、あれ程科学狂だった彼の性癖が少しもにじみ出ていないのが物足りなかった。」「佐藤春夫も、川端康成も、更生後の源内の生活は、一つのシンボルとして見れば足りると云う説だったが、それはそうに違いないが、しかし小説である以上、私はやっぱり彼の性格の追究を求めたい。」 | |
「今度は珍らしく粒が揃っていて、どれも面白く読めた。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和16年/1941年3月号) |
選考委員 小島政二郎 47歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
相野田敏之 | 24歳 |
○ | 1 | 「(引用者注:この作者の発表作は)あれが初めてで、その後書いているのも相当うまい。」「俺もそう(引用者注:授賞は「山彦」に、文藝春秋に載せるのは「長江デルタ」に)だナ。」 |
28歳 |
■ | 14 | 「未熟な点から言えば、(引用者注:「山彦」より)「長江デルタ」の方が未熟だと思う。」「少し悪口を言えば、ジャーナリスチックだと思う。風景描写にしても、何でも神経が通っていないと思う。」「昭和十六年でなければ全然問題にならんよ。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和16年/1941年9月号) |
選考委員 小島政二郎 48歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
石塚友二 | 35歳 |
◎ | 23 | 「面白かった。」「出来栄から云うと、やはり「松風」かな。」「これだけの作品がある以上、授賞なしとするには当らないと思った」「が、予選委員連が頑として応じないのだ。」「反対のおもなる説の一つは、一生一度の結婚体験を書いてこの程度の佳品をなすことは敢えて偉とするに足らないと云うにあった。私はそうは思わない。作品と作者との距離の正しい美しさには、そうは云い切れないものがあると思うのだ。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和17年/1942年9月号) |