選評の概要
1. 2. 3. 4. 5.6. 7. 8. 9. 10.
11. 12. 13. 14. 15.
16. 21. 22. 23. 24. 25.
26. 27. 28. 29. 30.
31. 32. 33. 34. 35.
36. 37. 38. 39. 40.
41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54.
このページの情報は「芥川賞のすべて・のようなもの」内の「選考委員の群像 小島政二郎」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 明治27年/1894年1月31日~平成6年/1994年3月24日 | |
在任期間 | 第1回~第16回、第21回~第54回(通算25年・50回) | |
在任年齢 | 41歳5ヶ月~48歳11ヶ月、55歳5ヶ月~71歳11ヶ月 | |
経歴 | 東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒。 在学中の大正5年/1916年「オオソグラフイ」を発表。卒業後「赤い鳥」編集に携わる。 「一枚看板」「含羞」「新居」「海燕」「眼中の人」「円朝」などの作品を発表、 古典鑑賞の著作や、「聖胎拝受」「鴎外 荷風 万太郎」など作家に材を採った作品を遺す。 |
|
受賞歴・候補歴 |
|
|
サブサイトリンク |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 小島政二郎 46歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
堤千代 | 28歳 |
◎ | 148 | 「作者が花柳界の女性の心理を捉えて生かし切っているところに、喋っている人の呼吸まで聞えるくらい活写しているところに、僕は感服したのだ。」 |
大庭さち子 | 35歳 |
○ | 14 | 「感心した。これはテーマ小説である。「五」の小野の言葉には真実があると思った。」 |
「「妻と戦争」も「小指」と同じように芝居に上演されてしまった。その意味で、資格を失った訳である。」「派生的な事情で賞に洩れたと云うことは、僕には不本意至極である。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成14年/2002年10月号再録(初出:『文藝春秋』昭和15年/1940年4月号) |
選考委員 小島政二郎 55歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
45歳 |
◎ | 74 | 「第一回なるが故に特に、且つ直木賞の権威と方向の確立のために、私はどうしても富田常雄に授賞したかった。」「彼独自の素材を豊かに持ち、多彩富贍な空想力を与えられ、雄勁で迫真力を持った文章を己れのものとしている彼、富田常雄は既に第一流である。」 | |
中村八朗 | 35歳 |
○ | 5 | 「有力な候補作品だったが、次の機会を待っても遅くはないと思い、そうした。」 |
山田克郎 | 38歳 |
○ | 5 | 「有力な候補作品だったが、次の機会を待っても遅くはないと思い、そうした。」 |
「戦前の直木賞のように、「不在投票」も一票と数えることは遠慮して貰いたい。私は今度の委員会でそれを云い、みんなの賛成を得た。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年1月号再録(初出:『文藝讀物』昭和24年/1949年9月号) |
選考委員 小島政二郎 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
34歳 |
◎ | 15 | 「私は新人と云う一本槍で、柴田君の作に期待を掛けて読んだ。力作であり、優れた作品であったので喜び勇んで出席した。」 | |
中山正男 | 41歳 |
○ | 8 | 「後半のまずさ加減、古さ加減は、何としたことだろう。前半が素晴らしいだけに、奇異な感じさえした。」 |
49歳 |
□ | 7 | 「直木賞二人説が出た時、私は柴田君一人説を持して容易に下らなかった。」「久生君に反対したのは唯候補者としては大家過ぎると云うこと以外にはなかったのだから、文学的には異を立てる所存はなかったのである。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年1月号再録(初出:『オール讀物』昭和27年/1952年4月号) |
選考委員 小島政二郎 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
長谷川幸延 | 48歳 |
◎ | 42 | 「戦争前の「直木賞」の時、もう少しで授賞作品になりそうになった「冠婚葬祭」を思い出して、(引用者中略)この作品に賞を授けて下さい。」「この作品に流れているペーソスは、これまでの長谷川君の作品の中にあった濁ったそれと違い、清純で、本当の物だと思います。」 |
松本清張 | 43歳 |
○ | 10 | 「「西郷札」の作者が、こういう「文学」を書くに到ったことは、大変な成長だと思います。私はこの作品を押したいのですが、しかし、考えて見ると、どうも「直木賞」の作品ではなさそうです。」 |
49歳 |
― | 0 | ||
「余儀ない事情で欠席します。一回も欠席したことがないだけに、誠に残念です。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年1月号再録(初出:『オール讀物』昭和28年/1953年4月号) |
選考委員 小島政二郎 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
◎ | 38 | 「最後の三作には構成もあり、話術もシッカリしてい、文章にも健康なリズムが打っていて、魅力があり、何か始めて理想的な直木賞の作者を発見したような喜びに私は興奮した。」 | |
広池秋子 | 34歳 |
○ | 15 | 「「世間胸算用」時代の丹羽文雄のような雑多紛々のリズムが打っている。私はそこに魅力を感じた。」 |
「まず文学であること。笑われるかも知れないが、直木賞はこの機会にこのことをもう一度改めてハッキリと旗幟として鮮明にして置きたいと思う。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年3月号再録(初出:『オール讀物』昭和29年/1954年10月号) |
選考委員 小島政二郎 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
44歳 |
◎ | 42 | 「一番感心した。」「みんないい効果を収めている。ただ、一行読んだら、そのまま読者をつかんで放さないと言う大衆小説における第一義的な魅力に欠けている。」 | |
石野径一郎 | 47歳 |
○ | 17 | 「感心した。小説としてでなく、ドキュメントとして。しかし、ドキュメントとしては、小説的であり過ぎる。この作品はどっちかにキッパリと性格をきめるべきだったと思う。」 |
58歳 |
□ | 16 | 「こんなもので今東光がほめられては可哀相な気がした。」「(引用者注:『中央公論』に載った)「闘鶏」は、今東光の傑作であるばかりでなく、最近での文壇第一の傑作だと思う。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和32年/1957年4月号 |
選考委員 小島政二郎 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
津田信 | 32歳 |
◎ | 16 | 「随分沢山の人物が出て来るが、それぞれの性格を描き分けている手腕は、得やすからざるものだと思う。」「デキから言ったら、今度の十篇のうち、第一位を占める作のように思う。」 |
北川荘平 | 27歳 |
○ | 8 | 「文章もリズムを打って躍動していて、いかにもテーマ小説にふさわしい文体だ。」「第二作を期待する。」 |
45歳 |
△ | 6 | 「さすがに年期がはいっていると思った。」「もっとこれをテーマ小説にしたら、もっと簡潔で面白かったのではないかと思う。」 | |
33歳 |
■ | 19 | 「この作では芸人カタギというものが、ちっとも書けていず、彼女の成功のイキサツが実にイージー・ゴーイングで、私にはシロウトくさく感じられた。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和33年/1958年10月号 |
選考委員 小島政二郎 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
津田信 | 33歳 |
◎ | 6 | 「一番感心した。これだけ多くの男女の性格を彷彿とさせた手腕、柔かな上品な文章、全体の構図の自然な発展、どこにも間然するところがない。」 |
39歳 |
○ | 29 | 「候補作品三つのうちでは「落ちる」が一番つまらなかった。「ある脅迫」と「笑う男」の方が面白かった。」「この作者のウソを本当に構成して行く腕力と、たれに気兼ねもしない物語力とに若々しい精気の楽しさを私は味わった。」 | |
深田祐介 | 27歳 |
○ | 5 | 「二番目に私が感心したのは、「あざやかな人々」だった。」「こういうのが私は小説だと思うのだが――。」 |
31歳 |
― | 0 | ||
選評出典:『オール讀物』昭和34年/1959年4月号 |
選考委員 小島政二郎 70歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
佐藤愛子 | 41歳 |
◎ | 15 | 「一番面白いと思った」「話も面白いし、夫婦――殊に夫人の性格が活写されている、その活写の仕方の逞しさに魅力があった。」「この人の「ソクラテスの妻」が芥川賞でなく、直木賞へ提出されたら当然賞を与えられていたと思う。」 |
津田信 | 39歳 |
○ | 4 | 「よく書けていると思ったが、イージーゴーイングとの評だった。私はそうは思わないのだが――」 |
39歳 |
● | 4 | 「私には小説性が稀薄で、読むのに骨が折れた。これが委員諸君の気に入った理由が私には理解出来なかった。」 | |
37歳 |
● | 5 | 「私には全体の調子が弱くって、そのためあのお伽話めいた話の中へ私を引き摩り込んでくれる力がなかった。」 | |
「今度くらい委員諸君と私の考えとが大きく隔たったことはなかった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和40年/1965年4月号 |