生没年月日【注】 | 明治34年/1901年11月5日(戸籍上では3月13日)~昭和52年/1977年12月1日 | |
受賞年齢 | 35歳4ヵ月 | |
経歴 | 本名=末富東作(スエトミ・トウサク)。鹿児島県伊佐郡大口村(現・大口市)生まれ。国学院大学高等師範部国漢科卒。中学教師を務める傍ら、昭和4年/1929年サンデー毎日大衆文芸に「うたかた草紙」が入選。昭和9年/1934年教師を辞し職業作家に。 | |
受賞歴・候補歴 |
|
|
サブサイトリンク | ||
処女作 | 「うたかた草紙」(『サンデー毎日』昭和4年/1929年9月22日号) | |
個人全集 | 『海音寺潮五郎全集』全21巻(昭和44年/1969年10月~昭和46年/1971年6月・朝日新聞社刊) | |
直木賞 選考委員歴 |
第39回~第63回(通算12.5年・25回) |
昭和10年/1935年上半期 業績全般該当期までの作品 昭和4年/1929年
「うたかた草紙」(『サンデー毎日』昭和4年/1929年9月22日号)
昭和7年/1932年
「風雲」(『サンデー毎日』昭和7年/1932年8月7日号~昭和8年/1933年2月5日号)
昭和11年/1936年11月・東京アトリエ社/新鋭大衆小説全集『風雲』
昭和8年/1933年
「久坂玄瑞の恋」(『話』昭和8年/1933年4月号)
「弥惣左覚書」(『オール讀物』昭和8年/1933年5月号)
昭和14年/1939年12月・八紘社杉山書店刊『千石鶉』所収
「河上彦斎の死」(『サンデー毎日』昭和8年/1933年6月4日号)
「生きる道」(『オール讀物』昭和8年/1933年8月号)
「武士といふものは」(『大衆倶楽部』昭和8年/1933年☆月号)
昭和14年/1939年12月・八紘社杉山書店刊『千石鶉』所収
昭和9年/1934年
「因州ばなし」(『オール讀物』昭和9年/1934年1月号)
「愛染」(『大衆倶楽部』昭和9年/1934年1月号)
「無法者」(『講談倶楽部』昭和9年/1934年1月号)
昭和14年/1939年12月・八紘社杉山書店刊『千石鶉』所収
「闘犬術」(『大衆倶楽部』昭和9年/1934年2月号)
「千石鶉」(『サンデー毎日』昭和9年/1934年春季特別号[3月])
昭和14年/1939年12月・八紘社杉山書店刊『千石鶉』所収
「生きていた団右衛門」(『娯楽雑誌』昭和9年/1934年4月号、5月号)
「身分」(『大衆倶楽部』昭和9年/1934年5月号)
昭和18年/1943年☆月・聖紀書房刊『大風の歌』所収
「白雲の上」(『サンデー毎日』昭和9年/1934年夏季特別号[6月])
「もつれ」(『東京朝日新聞』昭和9年/1934年6月☆日)
「恋ね槃」(『大衆倶楽部』昭和9年/1934年7月号~9月号)
「転変」(『オール讀物』昭和9年/1934年7月号)
昭和14年/1939年12月・八紘社杉山書店刊『千石鶉』所収
「男の仕事」(『サンデー毎日』昭和9年/1934年秋季特別号[9月])
昭和15年/1940年☆月・博文館刊『勤王小説名作集』所収
昭和18年/1943年☆月・聖紀書房刊『大風の歌』所収
「渡世仁義」(『雄弁』昭和9年/1934年10月号)
昭和11年/1936年8月・新小説社/股旅小説全集『恥を知る者』所収
昭和16年/1941年5月・教育社/新歴史文学選書『武道伝来記』所収
「浅茅」(『オール讀物』昭和9年/1934年11月号)
昭和14年/1939年12月・八紘社杉山書店刊『千石鶉』所収
「武士道うらおもて」(『日の出』昭和9年/1934年11月号)
昭和11年/1936年8月・新小説社/股旅小説全集『恥を知る者』所収
昭和16年/1941年5月・教育社/新歴史文学選書『武道伝来記』所収
該当期の作品 「一夢物語」(『大衆倶楽部』昭和10年/1935年1月号)
昭和13年/1938年☆月・八紘社刊『南風薩摩歌』所収
「幸福」(『サンデー毎日』昭和10年/1935年新春特別号[1月])
昭和18年/1943年☆月・聖紀書房刊『大風の歌』所収
『読切倶楽部』昭和28年/1953年11月号
「恥を知る者」(『サンデー毎日』昭和10年/1935年1月6日号~2月24日号)
昭和11年/1936年8月・新小説社/股旅小説全集『恥を知る者』所収
昭和16年/1941年5月・教育社/新歴史文学選書『武道伝来記』所収
「勝敗」(『大衆倶楽部』昭和10年/1935年2月号)
「道中役者」(『講談倶楽部』昭和10年/1935年2月号)
昭和11年/1936年8月・新小説社/股旅小説全集『恥を知る者』所収
昭和16年/1941年5月・教育社/新歴史文学選書『武道伝来記』所収
「紅蓮」(『大衆倶楽部』昭和10年/1935年3月号)
「生死」(『オール讀物』昭和10年/1935年3月号)
「狐妖太平噺」(『日の出』昭和10年/1935年3月号)
「髭の大膳」(『大阪朝日新聞』昭和10年/1935年3月)
「暁の歌」(『大衆倶楽部』昭和10年/1935年4月号)
「中山忠光の死」(『大衆倶楽部』昭和10年/1935年4月号)
「母子草」(『ホームライン』昭和10年/1935年4月号)
「さびしき人」(『週刊朝日』昭和10年/1935年大衆読物号[5月])
昭和11年/1936年8月・新小説社/股旅小説全集『恥を知る者』所収
昭和16年/1941年5月・教育社/新歴史文学選書『武道伝来記』所収
|
|
昭和10年/1935年下半期 業績全般該当期の作品 「海の荒鷲」(『オール讀物』昭和10年/1935年6月号~9月号)
昭和11年/1936年8月・春秋社刊『天正女合戦』所収
「桜井の白百合」(『少女倶楽部』昭和10年/1935年7月号)
「ままならず」(『サンデー毎日』昭和10年/1935年秋季特別号[9月])
「一枚起誓文」(『講談雑誌』昭和10年/1935年10月号)
「秋夕夢」(『婦人倶楽部』昭和10年/1935年10月号)
「青空街道」(『日の出』昭和10年/1935年10月号~12月号)
「関の戸」(『週刊朝日』昭和10年/1935年大衆読物号[11月])
|
|
「天正女合戦」(『オール讀物』昭和11年/1936年4月号~7月号)その他媒体・作品情報
書誌 昭和11年/1936年8月・春秋社刊『天正女合戦』所収
昭和14年/1939年2月・八紘社大陸版『大奥秘帖』所収
昭和15年/1940年4月・春陽堂書店/春陽堂文庫『天正女合戦』
昭和26年/1951年9月・同光社刊『天正女合戦』(「茶道太閤記」の改題作)
『読切読物倶楽部』昭和28年/1953年新春増刊号<大衆文芸受賞作品選集>[1月]
昭和29年/1954年2月・春陽堂書店/春陽文庫『天正女合戦』
昭和45年/1970年9月・朝日新聞社刊『海音寺潮五郎全集 第8巻』所収
『オール讀物』平成1年/1989年臨時増刊号<直木賞受賞傑作短篇35>[3月]
平成16年/2004年7月・メディアファクトリー/ダ・ヴィンチ特別編集7『消えた受賞作 直木賞編』所収
|
|
「武道伝来記」(『日の出』昭和11年/1936年3月号)その他媒体・作品情報
上記のうち紫の太字はブラウザでの表示が困難な異体字(主に正字など)
書誌 昭和11年/1936年8月・新小説社/股旅小説全集『恥を知る者』所収
昭和16年/1941年5月・教育社/新歴史文学選書『武道伝来記』所収
平成2年/1990年11月・光文社/光文社文庫『武道伝来記』所収
平成16年/2004年6月・ベストセラーズ/ベスト時代文庫『武士の本懐 武士道小説傑作選』所収 該当期の他の作品 「大老堀田正俊」(『改造』昭和11年/1936年1月号)
昭和53年/1978年4月・講談社/講談社文庫『海音寺潮五郎短篇総集1』所収
平成8年/1996年1月・青樹社/青樹社文庫『江戸城事件史1 徳川武家騒動記』所収
「寛永ばなし」(『サンデー毎日』昭和11年/1936年新春特別号[1月])
昭和11年/1936年8月・新小説社/股旅小説全集『恥を知る者』所収
昭和16年/1941年5月・教育社/新歴史文学選書『武道伝来記』所収
「愛憎」(『サンデー毎日』昭和11年/1936年2月16日号)
「薩摩歌」(『サンデー毎日』昭和11年/1936年春季特別号[3月])
「仇討人と恋」(『週刊朝日』昭和11年/1936年春季特別号[4月])
「双燕譜」(『日曜報知』昭和10年/1935年10月20号~昭和11年/1936年3月15日号)
昭和11年/1936年8月・春秋社刊『天正女合戦』所収
|
|