選評の概要
39. 40.41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63.
生没年月日【注】 | 明治34年/1901年11月5日(戸籍上では3月13日)~昭和52年/1977年12月1日 | |
在任期間 | 第39回~第63回(通算12.5年・25回) | |
在任年齢 | 56歳7ヶ月~68歳7ヶ月 | |
経歴 | 本名=末富東作(スエトミ・トウサク)。鹿児島県伊佐郡大口村(現・大口市)生まれ。国学院大学高等師範部国漢科卒。中学教師を務める傍ら、昭和4年/1929年サンデー毎日大衆文芸に「うたかた草紙」が入選。昭和9年/1934年教師を辞し職業作家に。 | |
受賞歴・候補歴 |
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処女作 | 「うたかた草紙」(『サンデー毎日』昭和4年/1929年9月22日号) | |
個人全集 | 『海音寺潮五郎全集』全21巻(昭和44年/1969年10月~昭和46年/1971年6月・朝日新聞社刊) | |
直木賞候補歴 | 第1回候補 昭和10年/1935年上半期 業績全般 第2回候補 昭和10年/1935年下半期 業績全般 第3回受賞 「天正女合戦」(『オール讀物』昭和11年/1936年4月号~7月号)その他 第3回受賞 「武道伝来記」(『日の出』昭和11年/1936年3月号)その他 |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 海音寺潮五郎 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
45歳 |
◎ | 17 | 「ぼくはこれを一番買った。」「男女多数の人物をそれぞれに個性を持たせて書きわけている点、才能の豊贍が十分にうかがわれた。この人の本質は詩人ではないだろうか。全篇にみなぎる詩情がまことに楽しかった。」 | |
津村節子 | 31歳 |
○ | 7 | 「女が女を書く場合、男の作家は遠くおよばないと感にたえた。認める人がわずかに二人しかなかったのが、ぼくには不思議であった。」 |
27歳 |
□ | 13 | 「ぼくはこの作品を買わなかった。」「最後に人情話めいたものが食っついているのがすっかり興趣をそいだ。」「しかし、腕は十分にある人のようだ。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和34年/1959年10月号 |
選考委員 海音寺潮五郎 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
57歳 |
◎ | 8 | 「作品集中の「道祖神幕」だけを、ぼくは推薦した。」「計算の行きとどいた、巧緻をきわめた作品である。」 | |
野村尚吾 | 52歳 |
◎ | 18 | 「誰も書かない時代、誰も書かない素材(引用者中略)に、正面からとりくんで、これまでに仕上げた作者の働きを、ぼくは最も高いものに買った。」「ぼくはこの人にもらってほしかった。」 |
55歳 |
△ | 31 | 「安藤鶴夫氏のような著名で、しかも現在週刊朝日のような大雑誌に小説を連載している人を、選考の対象とすることには、大いに疑義がある、(引用者中略)という意味のことを、ぼくは開会冒頭に一席ぶったが、容れられなかった。」「作品としては、ほとんど間然とするところがない。名作である。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和39年/1964年4月号 |
選考委員 海音寺潮五郎 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
三好文夫 | 35歳 |
○ | 18 | 「一番買った。」「作者の精神に先ず好意を持った。」「かすかに推理小説的手法を用いて、読者を引いて行く手口もよいと思った。アイヌの青年のこの抵抗は、常識的には無駄な抵抗であるが、最も高い抵抗、最も高い抗議は、常識的には常に無駄なのだ。ぼくはこの悲壮さをよしとした。」 |
49歳 |
● | 6 | 「ぼくは棄権した。甘ったるいのが気に入らないのである。この作品は全篇が遊びであるが、こうまで遊んでしまっては、ぼくは好かん。」 | |
「それぞれに感心したが、当選には距離があると思った。「今期はなしだな」と思って、出席した。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和40年/1965年10月号 |
選考委員 海音寺潮五郎 66歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
37歳 |
◎ | 16 | 「大坂ことばの長所を利用しての冗舌は、縦横無尽のようでいながら、無駄なおしゃべりは少しもない。十分な計算がある。見事というほかはない。」「描写に少しもいやしさがなく、突飛な効果が笑いをさそう。感心した。」 | |
37歳 |
◎ | 19 | 「社会に生きて行く人間の約束を教えられなかった、無道徳な、一種な明るさと空しさを持つ少年と少女が生き生きと書かれている。驚嘆した。」「望蜀を言えば、伏線のおき方が少々弱い。」「しかし、十分に授賞に値する作である。」 | |
原田八束 | 46歳 |
○ | 16 | 「物語を作る力は十分である。」「設定は、図式的ではあるが見事である。他の場合だったら受賞作に選ばれたろう。」 |
「授賞を二人にする時は、いつも気おくれを感ずるのだが、こんどはそれがない。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和43年/1968年4月号 |
選考委員 海音寺潮五郎 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
◎ | 16 | 「調べがよく行きとどいており、描写が的確であり、医学的面は作者の職業がら自信に満ちており、水際立って見事な作品になっている。これまで度々候補に上っている人だから、実力のほども信じてよい。」 | |
白石一郎 | 38歳 |
◎ | 23 | 「この作品には大いに感心した。通事の立場から書いたのが、先ず巧みである。」「調子の高い文学といってよい。」「(引用者注:ぼくのように)高く買っている者もあるのだから、屈せず、さらに努力してほしい。」 |
43歳 |
□ | 8 | 「この狙いのものは戦後は一向にめずらしくない。しかし、こういう作品が必要であることは言うまでもない。」「授賞は遅すぎたといってよい。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和45年/1970年10月号 |