生没年月日【注】 | 大正10年/1921年7月28日~平成25年/2013年8月24日 | |
経歴 | 熊本県水俣市生まれ。東京大学文学部卒。平凡社入社、『太陽』の創刊編集長を務める。病気で退職したのち、評論活動を続ける。日本地名研究所所長。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『谷川健一著作集』全10巻(昭和55年/1980年10月~昭和63年/1988年12月・三一書房刊)、『谷川健一全集』全24巻(平成18年/2006年5月~・冨山房インターナショナル刊) |
『最後の攘夷党――明治四年反政府事件記』
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作品名 別表記 | 表紙・背 「最後の攘夷党 明治四年反政府事件記」 扉・奥付 「最後の攘夷党」 | ||||
印刷/発行年月日 | 発行 昭和41年/1966年3月24日(第1刷) | ||||
発行者等 | 発行者 竹村 一 印刷所 株式会社三陽社 製本所 本間製本株式会社 | ||||
発行所 | 株式会社三一書房(東京都) | 形態 | 新書判 並製 | ||
総ページ数 | 212 | 表記上の枚数 | ― | 基本の文字組 (1ページ当り) |
42字 ×16行 ×1段 |
本文ページ | 7~207 (計201頁) |
測定枚数 | 309枚 |
書誌
昭和52年/1977年10月・三一書房刊『最後の攘夷党』所収
昭和61年/1986年1月・三一書房刊『谷川健一著作集第10巻 文学篇』所収
平成22年/2010年8月・冨山房インターナショナル刊『谷川健一全集第20巻 創作』所収
候補者 谷川健一 44歳 | ||||
選考委員 | 評価 | 行数 | 評言 | |
川口松太郎 | 66歳 |
― | 0 | |
海音寺潮五郎 | 64歳 |
◎ | 26 | 「労と功は大いに買うべきものがある。この意味で、この書は不朽のものとなるであろう。」「大楽源太郎という人物を見事に解釈し、最も鮮明に具象したのは、作家としての手腕である。」 |
村上元三 | 56歳 |
△ | 5 | 「大楽源太郎を久留米藩のほうから描いたのは面白いが、次作にどういう作品が出てくるのか、それを楽しみにしたい。」 |
大佛次郎 | 68歳 |
◎ | 48 | 「私は「最後の攘夷党」を最後まで推した。」「主人公は、大楽源太郎のようであるが、これは真珠母のごときものであって、大楽を囲む多勢の人々、その時世に依る変質、つまり時代そのものが背景としてではなく主人公なのであって、この作品では、それがよく描けている」 |
柴田錬三郎 | 49歳 |
■ | 9 | 「まことに労作というに足りるが、この作者が、次にどんな作品を書くかに、不安をおぼえた。私は、直木賞作家に、一作だけで沈黙する人は採りたくない。」 |
水上勉 | 47歳 |
― | 0 | |
松本清張 | 56歳 |
△ | 6 | 「話が少しゴタついているので、もっと整理したほうが効果的だろう。」「こういう硬筆の文体も直木賞にあっていいと思う。」 |
源氏鶏太 | 54歳 |
△ | 4 | 「題材的には珍しいもののようだ。ただ、はじめのうち、読み辛くて困った。」 |
中山義秀 | 65歳 |
○ | 7 | 「第二候補にあげた。」「力作だが、構想がごたごたしているので、丹念な努力のわりに効果があがっていない。惜しまれる題材である。」 |
今日出海 | 62歳 |
― | 0 | |
選評出典:『オール讀物』昭和41年/1966年10月号 |
文量 | |
長篇 | |
章立て | |
「第一章 久留米応変隊」「第二章 晩鳥大将」「第三章 三月十六日夜」「終章 憑かれた人々」 | |
時代設定 | 場所設定 |
明治初期 | 久留米~山口~京~熊本~日田など |
登場人物 | |
●山木卯蔵(久留米藩の応変隊隊員) ●大楽源太郎(山口藩士、勤王攘夷の煽動家) ●古松簡二(応変隊の指導者のひとり、大楽の知人) ●水野正名(久留米藩参政のち大参事、勤王党、応変隊創設者) ●有馬頼咸(久留米藩主のち藩知事) ●久徳仁之助(応変隊員、佐幕派の父親の子) ●寺崎三矢吉(応変隊の過激派) |